美味しそうな顔
「滝くーん! お菓子ちょーだい!」
後ろから弾んだ声で話しかけてきたのは、同じクラスのレイさんだった。
「あっ、う、うん……!」
僕は自転車を押す足を止めて、自分のカバンをあさった。
そして中から小さな袋を取り出し、レイさんに見せた。
「こ、これ……カップケーキ」
「うわぁ凄い! カップケーキ? すっごく美味しそう!」
高いテンションでカップケーキを貰い、レイさんは太陽にかざして見ていた。
「ありがとう! それじゃあいただきまーす!」
ご機嫌な様子でカップケーキをかじり、嬉しそうな声をあげた。
「美味しいっ! んっ、なんかカリッとしてる! 何これ!」
目を丸くしてるレイさんを見て、思わず笑みがこぼれる。
「あ、ありがとう…。フワフワなのもいいけど、カリカリしてるのもいいかなって」
「いや凄いよ滝くん!どうやったらこんなのが作れるの?」
「えっとね……」
しどろもどろになりながらも説明する。
レイさんが僕のお菓子を食べてくれる。「美味しい」って言ってくれる。
そんな帰り道が、僕は好きだった。
「凄いなぁ〜、お菓子作れるのって」
「そ、そんな事ないよ…」
「いや凄い事だよ!」
レイさんが僕の前に立ちはだかる。
「こんなに美味しいお菓子を作れる人なんてなかなか居ないよ!凄い事だよ?」
繰り返し同じ事を言うレイさんに僕は苦笑いをしてしまう。
「あはは……ありがとう」
「みんなに食べてほしいぐらいだもん」
その言葉に、僕は足を止めてしまった。
「ん?どうしたの?滝くん」
「……それは……嫌だ」
「えぇっ?なんで?」
「だって……だって」
お菓子作るのが好きな男子なんて、変だから。
僕は、子供の頃からお菓子を作る事が好きだった。
みんなが美味しそうに食べてくれるのが嬉しくて、たくさん作った。中学生になってからも、行事の度にクラスのみんなに自分がつくったお菓子を配る程だった。それでどんどん、お菓子を作るのが上手くなっていったと思う。
少なくとも、中学生の頃までは自分でそう思うぐらい、自信があった。
だけど、高校に入ってから変わった。
四月、今日から高校生活が始まるというその日、クラスで一人ずつ自己紹介をする事になった。
僕は胸を張って「お菓子を作る事が好きです」と言った。
その時、周りの空気が変わった。
ヒソヒソと喋る声、チラチラと刺さる視線。
『お菓子を作る イコール 女子』
そんなみんなの勝手なイメージから外れる僕の存在は、とても異端に見えたんだと思う。
その日から辛い毎日を送った事は言わなくても分かると思う。
そんな日々も半年過ぎて、一人で帰ってる時に偶然出会ったのが…………レイさんだった。
年下の従兄弟の為に作ったクッキーの袋を持ちながら自転車を押していると、突然横から
「それ、めちゃくちゃ美味しそうだね!」
と、声をかけられた。
「……え……えぇっ?!」
急な出来事に驚き、思わずバランスを崩しこけて尻餅をついてしまった。
「あぁっ! ごめん! 大丈夫?」
「いってて……えっ、あっ、いや……大丈夫です」
「良かったぁ〜。クッキーも割れてないみたいだし」
「…………えっ?」
それから僕は、おかわり用として持ってきたクッキーをレイさんに渡した。
レイさんはとても美味しそうに食べてくれた。
その日からほぼ毎日、僕はレイさんにお菓子を作って、レイさんは僕のお菓子を食べるようになった。
…………そして、今にいたる。
「どうしたの? 滝くん」
「……えっと、ごめん。なんでもない」
「いやなんでもなくないじゃん! 何かあったじゃん!」
レイさんは怒って手をバタバタさせる。
「なんでみんなに食べてほしくないの?」
問い詰めるレイさんから、僕は目を逸らす。
「……別にいいんだ。僕はレイさんが食べてくれるだけで、それだけで、嬉しいから……」
僕の答えにレイさんはむぅっとほっぺを膨らませる。
「あっ、ここでお別れかぁ」
レイさんはY字路の中央で止まる。
「じゃあまた明日ねっ! バイバ〜イ!」
大きく手を振るレイさんに、僕も小さく手を振る。
「……うん、これでいいんだ。」
僕は1人、頷いた。
次の日の帰り道、う~んと悩んでいたレイさんが急に振り返った。
「ハロウィンの日にさ、みんなにお菓子配ろうよ!」
「……へっ?」
突然予想していなかった事を言われ、思わず間抜けな声が漏れる。
「名付けてハロウィン大作戦っ!」
結構そのままだ……。
「あのっ、レイさん……」
「こーんなに美味しいお菓子がつくれるのに、それが多くの人に食べて貰えないなんてもったいないよ!」
レイさんは自身満々にそう言い放った。
「で、でも僕は……」
「ハイ決定! 私も色々と調べるから、ハロウィンの日にまで頑張ろうねっ! それじゃあ私帰るからっ!」
「あっ、レイさっ……!」
レイさんは夢中で駆け出し、僕の声は聞こえてないようだった。
十月三十一日の昼休み、
僕は緊張で頭が真っ白になりかけていた。
その時、肩をトントンと軽く叩かれた。
「大丈夫だよっ。ほら、自信を持って」
レイさんが僕の耳元で喋る。
「あっ、あの人達はどう? 丁度ハロウィンの話してるよっ」
レイさんが指差した方向には、クラスの中心を陣取るグループの人達がいた。男子三人に女子二人の、陽キャグループだ。
「む、無理だよっ! あの人達になんて」
「だーいじょうぶだって! ほら、いってらっしゃい!」
そういうとレイさんは僕の背中を(物理的に)押して、見送った。
僕の両手には、昨日作ったジャック・オー・ランタンの形をしたクッキーが入った袋を握りしめている。
……レイさんがくれたチャンス、ここで頑張らないとダメな気がする。
……よし! 心の中でそう強く決めて、その一歩を踏み出した。
「あ、あの!」
一斉にみんなが振り返る。それは、異端なものを見る目、冷たい目だった。
「ぼ、僕が作……昨日作ってきたお菓子なんだけど……。食べて欲しくて……その」
竜頭蛇尾な声になり、勇気がなくなっていくのを感じる。次に聞こえてきたのは、鼻で笑った声だった。
「お前がつくった菓子なんか誰が食うんだよ。なぁ? みんな」
挑発染みた共感を求める声に、みんなが答えた。
「たしかになー」
「男子なのにお菓子作ってるのー?」
「え〜、キモ〜っ」
「菓子作りとか女々しい事してんなぁー」
「男の手作りなんか食いたくねー」
口々に勝手な事を言い始める。
袋を持つ手が震える。
…………やっぱり、こんな事するべきじゃなかったんだ。
「そんなの関係ない!」
突然、そんな声が教室中に響いた。
声のした方を見ると、涙目でこちらを睨むレイさんが立っていた。
「滝くんはめちゃくちゃ美味しいお菓子が作れるの! それに男子も女子も関係ないでしょ!!」
突然の行動に、周りの女子達が慌てる。
「石川さん……!」
「レイ、やめときなって」
周りの女子達が止めようとする。しかし、レイさんは睨むのをやめなかった。
「……へぇ〜」
そのグループのリーダーらしい男子が、レイさんに近づく。
「よく庇うじゃんか。なんでそこまですんだよ」
またもや挑発的な声で言う。
それでもレイさんは負けなかった。
「私は滝くんのお菓子が好きなの! だからそんな風に言われたくないだけっ!!」
レイさんは勢い良くその男子を押し倒す。
完全に油断していた男子はそのまま倒れた。
「チッ、何すんだよっ!」
そいつは怒りに任せてレイさんの胸ぐらを掴む。
周りが騒めく。
「ゴラァ! お前ら何してんだ!」
その時、先生が教室に入ってきた。先生によって騒ぎは鎮まり、五時間目のチャイムが鳴った。
「……ごめんね、滝くん。」
帰り道、レイさんが珍しくボソッと呟いた。
「いやっ、そのっ、僕にもっと……勇気があったら……」
口ごもりながら、僕もそう言った。
「……あーあ!作戦失敗だったなぁ。滝くんに自信持って欲しかったんだけどなぁ〜」
レイさんは手を上に伸ばしながら言った。僕は申し訳なくて、俯いたままだった。
「悔しかったんだよね、私。滝くんのお菓子をさ、あんな風に言われて」
「……なんで。なんでレイさんはそんなにも、僕の為に」
「だって……本当に美味しいんだもん! 滝くんのお菓子! それなのにあんな風に言われたら悔しいに決まってるじゃん!」
レイさんはそう言い切った。
「……僕も、悔しいよ」
聞こえないぐらいの音量で、僕もそう言った。
その時
「石川さ〜ん!……滝さ〜ん!」
「レイ〜、待ってよ〜」
後ろから二つの声が聞こえた。
振り返ると、昼休みの時にレイさんを止めていた女子達と、他男子数名がやってきた。
「私達も、滝さんのお菓子が食べたいなって……」
「レイがあんなにも絶賛するから気になってさ!私にもちょうだいよ!」
それから、俺も私もと手が挙がった。
僕は驚いてぽかーんとしていたけど、レイさんは
「ホント?! うん! あげるあげる! みんな食べて!」
と、勝手に僕が作ったクッキーをみんなに配っていた。
「レ、レイさん……」
「ほら見てよ滝くん! みんなの顔をさ!」
僕がみんなの方に目をやると……
「ウマい!!」
「お、美味しい…」
「エッ?! ウマッ?! マジでウマい!」
と、口々に言いながら、みんな食べていた。
……美味しそうな顔をしながら、食べていた。
「良かったねっ!滝くん!」
レイさんがニカっと笑った。僕はゆっくりうなづいた。
嬉しかった。
久しぶりに、心の底から、「作って良かった」と思う事ができた。
僕達は、その光景をずっと見ていた。
この話はフィクションです。