理由のレシピ
1600字(Word換算) お題:台所 バイク おかみさん
「それはあっちの棚に仕舞ってほしい」
割烹着を着た金髪の少女が台所の角にある棚を指さして言った。田所は指示された棚に二十キロほどある業務用の調味料を詰め込んだ。
「悪いね、田所さん」
金髪の少女は申し訳なさそうに後頭部を撫でつけながら田所の方を見て言う。
「これくらい全然だって。力仕事は男の俺に任せてよ。ただでさえ華月ちゃんは料理や接客で忙しいんだから」田所は腕まくりした右腕に力こぶを作った。「それよりお母さんの体調はどう?」
田所は探るように金髪の少女――華月に尋ねた。
華月は先月まで市内の高校に通う、ごく普通の女子高生だった。それがある日、買い物帰りの華月の母親に赤いラインの入った黒のバイクが猛スピードで突っ込んできたそうだ。幸いにも衝突はしなかったものの、華月の母親はそれを避けるために右の手首とくるぶしを痛めてしまった。バイクの運転手はそのままどこか走り去っていったらしい。
華月の家庭は母子家庭で、今までも切り詰めて生活してきたのだが唯一の収入源である旅館業が営めないとなると、華月の母親が必死に切り盛りしてきたこの旅館を売らざるを得ないらしい。しかし、これに華月が猛反対したのだ。その意思は固く、華月はすぐに高校を休学し、母親が復帰するまで代わりを務めると買って出たのだ。
この旅館の常連で、昔から華月を知っている田所は華月のそんな大胆で優しい性格に惹かれていた。
「んー、まだちょっとかかりそうかな……。ってか田所さんの方は大丈夫なの?毎日手伝いに来てくれるけど、東京からこっちに帰ってきて絶賛仕事探し中なんでしょ」
華月はからかうように眉を細めながら言った。
「うるさいなぁ。いいんだよ俺のことは」田所は頬を掻きながら言った。「いっそのこと、この旅館に就職しようかな」
「うちに人を雇えるお金はありませんーーでも……」華月は一呼吸置いた。
「田所さんがずっといてくれやら助かるのになぁ」
ぐつぐつと鍋の煮込む音だけが静謐な空間に干渉した。
「ま、まあ、俺はまだ職場が決まったわけじゃないし、しばらくは手伝いに来れるけどね」
田所は上ずった声でまくし立てるように言葉を並べた。額から出た球のような汗が頬をなぞる。
「ねえ、田所さん」
華月の端正な顔が田所の顔を捉えた。
「何であたしを手伝ってくれるの?いくら常連さんでも無給でこんなに手伝ってくれるのっておかしいよ……」
華月がここの女将になったのが十二月の中旬。今は一月の上旬だから約一か月、田所はほぼ無給で手伝いをしていることになる。
「俺は……君の力になりたいんだ。もちろん昔馴染みってこともある。ただそれ以上に何かを守るために行動する君を支えたい」
田所は十二月に旅館に来て、華月が女将をやっていることを知った時に放っておけなくなったのだ。数か月前まで女子高生だった女の子が、いくら母親の後姿を見てきたからといって、旅館をひとりで切り盛りするなど不可能だ。
「……あたし田所さんに何も返せないよ」
「返されるものなんてないよ。俺が好きでやってるんだから」
田所は華月の濃褐色の眼を見て言った。濃褐色の眼はうっすらと潤んでいるように見えた。
それからしばらく、田所と華月は言葉を交わさなかった。田所が時計を確認すると既に二十二時を回っていた。
「じゃあ、俺そろそろ帰るよ」
台所を出ていこうとする田所の袖を華月が細い指先で摘んだ。華月の指は真っ赤に染まっていて痛々しかった。
「あし……」
華月の発した音は弱々しく、肩が震えていた。
「明日も来てくれる?」
「もちろん」
田所は華月を軽く抱き寄せた。その時間はほんの三秒ほどだったが、お互いの気持ちを確認するには十分だった。
田所は華月を開放すると台所を後にした。
外に出ると顔がひりつくくらい寒く、ぱらぱらと雪が降っていた。
「さーて、明日も頑張るか」
田所は軽く伸びをすると、赤いラインが入った黒のバイクに跨り、夜の住宅街に姿を消した。