エリィの開き直り
"私にとって、生きることとは──ただひたすらに耐え抜くことだった"
これは平民から貴族にまで成り上がったことで有名な、デリー・パイソンが残した言葉である。父様に薦められたその自伝本には、物語のように二転三転する人生が書き綴られていたが、時には権力者が振るう理不尽に耐える姿も描写されていた。エリィは平民として生きることがどれほど辛い時代だったのだろう、と読み耽ったものだ。
しかし、今は昔とは違う。平民も人権を獲得し、奴隷制度も撤廃されている。だからこそ昨日の使者も殿下も、無理矢理連れて行こうとはしないのだろう。あくまで本人の意思を尊重している、とでも言いたげだ。まぁ、聖女(違う)ならではの待遇なのかもしれない。……突然家に来て、怒鳴り、挙句にこんな言い方をされては、良い待遇とは思えないけれど。
とはいえ、依然として身分差は残っている。権力を笠に着る人達がどんな非道なことをするか分からない。だから平穏を望む平民が王族や貴族に反するなど、最もしてはならないこと。それが暗黙の了解であり、公然の事実である。
(なのに、何をやらかしてるの私―!?)
はっ、と口を手で覆うけれどもう遅い。出た言葉は魔法でも取り消すことは出来ない。これは不敬罪で捕まってもおかしくないのでは、とエリィは顔から血の気が引いていく。もし捕らえようとするのであれば全力で抵抗、いやむしろこのまま家族で亡命!?とごちゃごちゃ考えがまとまらない。殿下も目を見開いて驚いている。言い返されるとは夢にも思わなかったのだろう。とにかくすぐに謝罪を──
「あ、あのっ……」
──でも、それでいいのだろうか。
続けようとした言葉が途切れる。自然と思い返されるのは、先程までの殿下の態度や暴言の数々。……いやいや何を思い出しているのエリィ。思い出すべきことは相手が王族だということ、そうでしょう?と脳内で突然現れた、母様を模した天使が言う。でもこのままだとなし崩しに連れて行かれてもおかしくないし、そもそも謝罪する必要なんて、とこれも母様を模した悪魔は囁く。うぐぐぐ。自分の中で天使と悪魔がせめぎ合い、中々言葉が出てこない。その間に気を取り直したらしい殿下が、ボソッと呟く。
「これだから育ちの悪い平民は……」
それを聞いた瞬間、エリィの中の天使が、あ~れ~!と声を出しながら吹き飛んでいった。母様ごめんなさい。
「……大声を出して申し訳ございませんでした。しかし、発言の撤回は致しません」
「分かれば……いや何を」
「先程も申し上げた通り、私の幸せはこの家で両親と静かに暮らしていくことです」
「は?」
「赤の他人を救うことでは決してありません」
「……チッ、こちらが下手に出ておれば!」
どこが下手に出ていたのだ、どこが。とはさすがに言えず内心で留めた。しかし完全に頭にきているだろう殿下だが、立ち上がって我が家から出て行く様子はない。それを残念に思いながら、エリィはさらに威勢よく言い放つ。
「ですよね父様!」
「えっ!?」
はらはらしながらも、静観していた父様が驚いたように声を上げる。まさかここで話を振られるとは思わなかったらしい。驚かせてしまってごめんなさい。でも父様は喋らなくても大丈夫ですからね。にこっと笑って、エリィは父に向けていた瞳をさっと殿下へと戻す。
「私の父は以前、こう言っておりました」
「エ、エリィ?……嫌な予感しかしないんだが何を、」
「代々に渡り引き継いでいく(予定の)店をいずれは任せようと思っている。だから聖女という不確かな立場よりも、自分の後継者として生きることを選んでほしいと」
「聖女が不確かな立場だと!?」
「いいい、言ってません言ってません!」
ぶんぶんと頭と手を振って必死に否定する父様を横目に写しながら、エリィは言い切ったと満足する。確かに父はこんなことを言っていないけれど、心は通じ合っているので思うことは一緒のはずだ。たぶん。しかしさすがに覚えがないことを、さも言ったかのように話されるのは父様も不本意なのだろう。慌てて私の名を強く呼ぶ。
否定、されるのだろうか。その焦りように申し訳なく思いながらも、エリィは不安になる。
両親はもしかすると、私なんていらないのかもしれないという不安に。
「エエエ、エリィ!滅多なことを言っては、」
「と、父様は私と離れ離れになってもいい、と思われているのですか……?」
「え……?」
今までの勢いをなくして恐る恐る聞くエリィに、父は注意しようとしていた口を閉じる。前世の家族は、今もなおエリィに恐怖を与えてくる。まるで呪いのように。肩が、体が震える。
「一度聖女として王城へ行ってしまえば、最悪監禁され二度と会えなくなるかも……っ私は父様と母様とこれからもずっと……!」
「……っ!」
「まてまてっ、大人しく聞いておれば!貴様らは私を何だと、っておい聞いているのか!?」
殿下の言葉はもちろんエリィには届いていない。目に滲んだ涙を手で拭いながら、既に頭の中は不安で埋め尽くされていた。両親に必要とされたい。もう一人は嫌だ。愛されているのは分かっているのに、それでも不安になって下を向く。でもそんな時はいつも。
「エリィに会えなくなるなんて、想像でも耐えられん!」
いつだって不安を吹き飛ばしてくれるのだ、こうやって。父のその言葉に、エリィははっとして顔を上げる。そこには温かい瞳で私を見ている父様がいた。まるで大丈夫、だとでもいうように。そして決断したように表情を変えて、くるりと殿下に向き直り、頭をバッと下げた。
「不敬を承知で申し上げるのですが、やはりエリィは王城へは行けません!」
「よく言ったわあなた!私も可愛いエリィが監禁されるなんて耐えられません!断固拒否します!」
「父様、母様……!!」
父様は私の手を握りながら、バッと出てきた母様は私に抱き着きながら殿下に異議を申し立てる。そっと二人を伺うと二人とも顔色が蒼く強張っていた。そうだ、平民の両親がこうして殿下と話す事に緊張しないはずがない。拒否すること自体、本当に心苦しいことだろう。本当に優しい両親だから。
エリィはバクバク鳴っている母の心臓の音を聞きながら、じーんと幸せを噛みしめる。愛されていることを改めて実感し、そしてさらに強く意志を固めた。絶対に今世の両親を大切にする、と。ちなみに殿下は呆然としていた。
「な、何だこの家族は……」
最高の家族愛です。
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「貴様は何としても聖女として王城へ来る気はないのだな……」
「はい!」
「何故そんな嬉しそうに返事をする!いいか、聖女と認めさえすれば──」
うんたらかんたら、殿下はまだ言い足りないのか口が止まらない様子。だけどエリィはここへきて空腹が限界に来ており、既に聞く耳を持っていなかった。なので殿下の有り難いお言葉は右耳から左耳へ通り抜けていく。最初の彼の威圧感がなくなって、安心したことも理由の一つだ。だけど何か言い忘れている気がするような……。エリィは記憶の端に留めて置いたそれを引っ張り出す。……そうそうそう!すっかり忘れていた。長々と聖女とは、という語りを止めるのにも丁度いい。遮る意図も含め、エリィは口を開いた。
「あの、今更大変申し上げにくいのですが、私聖属性の適性がないと思われます」
「民から絶大な支持を──は?」
「えっと、治癒魔法は使えません」
「ほぼ同じ意味ではないか!いや、どういうことだ!」
どういうことも何も、今まで生きてきて聖属性の適性があるとは感じたことがないし、左手に模様が出てからだって、それらしい魔法を使える気はしない。ということを正直に伝えると、殿下はまさか、と細い声を出しながら顔を手で覆い隠した。そしてその手の間から次々に零れ落ちるのは、いや、そんなはずは、という独り言だ。その姿に申し訳ない気持ちが芽生えないわけでもないが、でもこれで完全に私が聖女だという線は無くなるだろう。これでやっと夕食が食べられる──
「──いや!しかし聖女の紋章が貴様には現れている!それを無視することは出来ぬ!」
「ええ─……」
「不満そうにするな!ええい!貴様には都市アラーナへ赴いてもらうぞ!」
「いえ、行きませ──都市、アラーナ?」
……切り替えが早い。それにまるで子どもの悪あがきのように何か言い出したぞ。私より年上だったはずでは、と思わず言ってしまいそうになる口を閉じる。いや、でもアラーナって、確か。
「聖属性を持たぬ貴様をさすがに聖女として認めることは出来ない。一刻も早く聖属性を開花してもらう必要がある。あの都市にはその点において、」
「是非行かせて頂きます!」
「──は?」
あんぐりと口を開けて殿下はこちらをみる。今まで否定しかしていなかったので、素直に驚いたのだろう。しかしもちろん私が同意した理由は、聖属性を開花させることではない。でもその理由を殿下に話す必要がないからら黙っておくことにする。だけどエリィは大切なことを忘れていた。
「「……エリィ?」」
後ろから父様と母様に声を掛けられる。はっ、として振り向くとそこには心配そうな表情を隠せない両親がいた。いけないいけない。私としたことが両親にいらぬ心配を掛けてしまうなんて。すぐに説明せねば!
「お任せ下さい父様!私が父様の代わりにアラーナの──ジェンナ村へ行って農家さんのご様子を見て来ます!」
「ま、任せる?」
「はい!最近ジェンナ村の特産品であるバケケの納品が少ないことを気にされて、様子を見に行きたいと父様言われてましたよね?」
「あ、あぁ確かにそうだが……」
バケケとは、前世の日本でいうバナナみたいなもので、この国ではアラーナで収穫するバケケが市場の半分を占めている。栄養価も高く、手ごろな価格で購入出来るバケケは、今や平民の食卓には欠かせないフルーツだ。しかしそんなバケケが近頃、収穫が著しく減っているという。父様も個別に契約している農家さんがジェンナ村にいて、最近特に様子を見に行きたいと言っていた。
「ですので、この機会に私が農家さんの様子を見てきます! そうすればお忙しい父様が足を運ばずとも良くなりますし、恐らく殿下のご命令ですので馬車代も要りません。さらに学校を休むことになれば、殿下の権力で!補修という形で手配してもらいましょう。一石二鳥、いいえ!一石三鳥です!」
エリィはたった今思いついた考えを脳を通さず、ペラペラと話す。そう、殿下の存在をすっかり忘れて。
「聖属性開花の為に行くのだぞ!? それが何故バケケの話になっているのだ!単独行動は認めな、……おい、聞け!!」
そうして、私情を多分に含みまくったエリィの、都市アラーナ行きが決定した。
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