エリィの嫌な予感
我が家のテーブルに美しく並べられた料理が私の食欲を刺激する。
「わぁ!今日も美味しそうですね!」
「ふふ。今日はね、鶏肉の南蛮漬けがメインなの。さっぱりした味付けにしてみたわ」
母様がメインだと言っている南蛮漬けは、特製のタレに漬込まれた鶏肉がふっくらと柔らかそうで。色鮮やかな野菜も沢山使われているので見た目も華やかだ。今から食べるのがすごく楽しみでそわそわと落ち着かない。父様はやくはやく。今日は精神的に疲れ果てて、さっぱりとした料理が食べたい気分だったので嬉しいなぁ。……それにしても本当に今日は大変な日だった。
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『今の光は何だ!?一体何が起こって──』
あの後、異変に気付いたデーン先生が教室に飛び込んできて。辺りを見渡し、誰も怪我がないか確認しながらも、数人の同級生たちにひそひそ話されていた私を見てどういう状況か分かったのか、彼らをさり気なく帰らせた。ちなみにその隙を見て私も出ようとしたがガシッと掴まれ失敗に終わった。
そうして先生に逃げようとしたことがばれて怒られながらも、その怒り顔の下には隠し切れない心配の跡が見てとれた。どうやらずいぶんと心配させてしまったらしい。そんな先生を見ると、何もなかったかのように振舞って教室を出ようとしていたことを反省せざるを得なかった。甘んじてお叱りを受け入れよう。そして長く続いた説教が終わると改めて何があったのか聞いてくる先生に私は真摯に向き合った。……とはいっても。
『実は私も何が何だか分かっていないんです。何故か左手が熱くなったと思ったら、急に光はじめて。今はおさまったんですけど』
『……左手が? ライラック、これは!?』
言われてみて、左手の甲を見た瞬間、ぴしりと驚きで固まる。エリィが驚くのも無理はないだろう。
────何故なら左手の甲に、黒い模様が現れていたのだから。
一目見た限りでは、植物の茎やつるが伸びたり、絡み合っている黒模様のようだった。え、いやいや何これ。エリィは動揺して呼吸が詰まる。先程までシミ一つなかった手に、急に現れたこの現象に背筋が凍りつく。そして先生の微かな震えが左手を通じて伝わってきて。それでも何も言わない先生の態度に段々と悪い予感が浮かんできて。
『先生、もしかして……私、死ぬんですか!?』
『んん?』
『手が熱くなって光るなんて聞いたことないですし!それに意味がわからない模様が出るなんて呪いじゃないんですか!? そんなの嫌です!私はまだまだ父様と母様と一緒にっ』
『いやいや落ち着け!今日授業で言ったはずだ、これは呪いじゃない!むしろ──』
『!で、では! とりあえず死ぬようなものではないんですね?』
『あ、当たり前だ! むしろこれはだな』
『安心しました! では父様の仕事を手伝いにもう向かわなければ』
『全く話を聞く気がないな!? あっこら待ちなさいライラック!』
『すみません!明日必ず朝一番に先生の所へ行きますから!』
先生が何やら話していたが、ほっとしたのか全く話が私の頭に入ってこず。それに時計の針は、いつもなら既に学校を出ている時間を指していて。父様の仕事を手伝う前に目立つ模様を隠す手袋も買わないといけなくなったので、そのことも余計に焦りに拍車かける。なので追いかけてくる先生を振り切って、学校を出た。その際に何か言われた気がして、適当に返事をした気がするが。まぁ明日になったら──
「──リィ、エリィ?」
「え」
「どうしたの、ぼーっとして。……もしかして今日の夕食、嫌いなものがあったりした?」
「そんなっ!母様の料理は全て等しく大好きです!」
「ふふ、そう言ってくれるとすごく嬉しいわ。……あら?」
「どうかしましたか、母様?」
「えぇ、ちょっと外が騒がしい気がして」
そう言われると確かに外が少し騒がしい気がする。母様との会話に集中しすぎて周りが疎かになっていたらしい。父様もテーブルに来ないなと思っていたら外の様子に気を取られてたみたいだ。
「……何かあったのかしら? あなた見てきてくれる?」
「あぁ、さすがに行こうかと思ってたんだ」
「いえ母様、父様はお疲れですから。私が行ってきます!」
「あっ、待てエリィ!夜だから俺が──」
後ろから声を掛けられた気がしたけど、よく聞こえなかったからそのままテテッと小走りで玄関に向かう。父様もお仕事で大変お疲れなので、こういう時は率先して私が動かないとね。玄関に近づくにつれ、外の騒めきが強くなっていく。そして騒めきの他にも、地面を何かが踏み鳴らす音も聞こえる。一体何が起こっているんだろうと疑問に思いながらドアを開けると、
「え──」
目の前の光景に驚いて、思わず口をあんぐりと開けてしまう。そこには見たこともないような金と朱の装飾が施された豪奢な馬車が佇んでおり、さらに言えば玄関の目の前に停められていた。まるでこの家に用事でもあるかのように。
そもそも普通の馬車ですら平民の家庭で持てるのはごく少数。父様の仕事上借りることはあるが、持つことはない。それほど馬車の維持にはお金がかかることをエリィは知っている。さらに言えば、こんな無駄に煌びやかな馬車なんて見たことすらないのだ。見ただけでも驚くことなのに、これが家に寄せられていることにエリィはさらに混乱する。ただでさえ人目を引く馬車が、砂煙を盛大に巻き上げ地面を踏み鳴らすので、近所の人達たちも驚いて見に来るはずだ。私だって気になって出てきたのだから。
そんな騒めきや興味本位の視線を物ともしないで、この辺には確実にいない洋装に身を包んだ青年が車体の御者台から降り立ち、固まって動けずにいる私に気づいた。
「エリィ様でいらっしゃいますか」
「え、えっと、は、はい」
「申し遅れました。私は使者のサウジ・カルカッタと申します」
「は、はぁ……それはどうもご丁寧に……?」
名乗った青年、いや使者(?)は優雅な姿勢でお辞儀をした後、私に視線を向けて微笑んだ。……何か嫌な予感がするな。これから私に不都合なことを言われそうな、そんな予感が。
「突然の訪問お許し下さい。我が主の命により、貴方様をお迎えに上がりました」
こうして全く歓迎していない、予期せぬ来訪者が夕食前に現れたのだった。