楠根由緒の新生活と案内メール
伯父さんの苗字は嘉山です。
姉が失踪してから三日が経った。
失踪当日から連絡もつかず、行方不明者届は出してあるものの、目撃情報は一切届いていない。
今のところ事件性は認められていない。
事情を叔父さんに話すと、信頼できる探偵を紹介してくれた。
直接は会わずに、スマホのメッセージ機能でやり取りをしている。こちらも今のところは手掛かりなしのようだ。
加えて伯父さんは、高校生一人で生活するのは大変だろうといって、一時的に悠兄の家で暮らすことを勧めてくれた。
悠兄は姉と同い年の伯父さんの息子で、俺にとっては兄みたいな存在だ。一年前に上京してきた。
そして悠兄もやはり、一人暮らしには少し持て余す大きさの家に住んでいる。(一度、姉と俺と三人で暮らす話が出たそうだが、姉が断ったという。俺としては歓迎したかったのだが、姉にもいろいろとあるのだろう、と思い何も言わなかった。)
今までの生活は姉に助けられていた部分が大きい。未成年の一人暮らしとなると、いろいろと面倒なことも出てくるだろう。
それに、姉が何の前触れもなく唐突に失踪するこの不気味な出来事は、正直なところとても怖い。
あの日感じた気味悪さも相まって、この家での暮らしは落ち着かない。
信頼できる人のもとにいた方が安心できるだろう。
そう思い、世話になることを決めた。
今日からその新しい生活が始まる。
嘉山、と書かれた表札の前に立ち、一息ついてインターホンを鳴らす。
「お久しぶりです、楠根由緒です」
「あ、はいはいどうもお疲れさん。今開けるからちょっと待っといてな。」
数秒後、気だるそうにドアを開けて出てきたやけに細長い男。
悠兄だ。
服は随分とくたびれていて、髭は生えっぱなし。髪の毛もしばらく切っていないのか、前髪が鼻先まで来るほどだった。
元々身だしなみには気を使わない方だったが、しばらく会わないうちに一層ひどくなっている。
姉がいれば、今すぐにでも着替えさせ、髭をそり、床屋に連れていっているところだ。
「嘉山悠介さん。今日からどうぞよろしくお願いします」
そう言って頭を下げる。
「随分とお堅い挨拶だな。お前そんなだったか?こっち来た時に会ってから何があったよ。」
あくび交じりの返事も悠兄らしい。
「一応、他人様の家にしばらくの間居座らせてもらうわけだから、礼儀はキチンとしとくべきかと思って」
「あぁ、そう。じゃ、いまのでそれ終わりね。相変わらず見た目のわりに中はなんもないとこだけど、俺の部屋以外好きに使っていいよ。荷物は届いたら勝手に受け取っといてくれ。あと、お前家事出来るんだろ?他人様の家に頼み込んで居座らせてもらうんだから、それぐらい手伝えよ」
「わかった。うちと同じように分担しよ。分担表は作っとくよ」
「図々しい居候だな」
他愛ない会話になんとなく懐かしさを覚えつつ、中に入れてもらった。
二階に一部屋、全く使われていない部屋があるらしく、そこを使わせてもらうことになった。
うちよりかは少し小さいが、一人暮らしとは思えない大きさではある。
伯父さんは一体どれほどの資産家なのか。
空き部屋の中は本当に何もなかった。
スライド式の小さめの窓が一つだけ。
布団は用意しておいてくれたらしいから、あとでもらいに行こう。
とりあえず、手で持ってきた荷物を広げる。
家に残っていた常温保存の食品に、歯ブラシや充電コードなどの細々した日用品、ノートパソコン、その他持っていけそうな物を適当に持ってきた。
日持ちしない食べ物は今朝までに消費しきり、衣類や学校の課題はこの前家から送って、今日こっちに届く予定になっている。
さっさと当番表を書いて、布団をもらうついでにダメもとで机代わりになるものがないか聞いてみよう。
悠兄の部屋も二階にある。というか、二階にあるのはこの二部屋とベランダだけだ。
恐らく一階がリビングやキッチン、風呂などのスペースなのだろう。
悠兄の部屋からは微かにキーボードを弾く音が聞こえる。仕事中なのだろうか。
「悠兄、布団もらえる?」
ノックして尋ねたが反応はない。
恐らく、イヤホンか何かをつけていて聞こえていないのだろう。
しょうがない。勝手に入るのも気が引けるし、出てくるまで適当に過ごそう。
悠兄の部屋以外好きにしていいと言っていたし、まずはこの家を知るとしよう。
一番気になるのはキッチンだ。
家の大きさ的に、ある程度のキッチンはあると思うのだが、果たして悠兄がキッチンを使いこなしているのだろうか。
全く使ってないのだとすれば、流石に宝の持ち腐れ過ぎだと思うが。
宝の持ち腐れ過ぎだった。
ざっと家中を見て回ったが、この家には調理器具が一つもないどころか、冷蔵庫にはコンセントが刺さっていない。
使っている形跡があるのは、電気ポットと電子レンジのみ。
カップ麺やインスタント食品が大量に入った袋や、ゴミ袋の中のコンビニ弁当の容器を見るに、悠兄の不健康極まりない食生活がうかがえる。
見た目も食生活もだらしない。
それでいてなぜか、家の中は綺麗に片付いている。リビングには汚れ一つないし、風呂やトイレもピカピカだった。
物置ですら、なんだかよく分からない物がたくさんあったが、埃っぽさはなかった。
家中をこまめに掃除していなければ、ここまで綺麗には保てないだろう。
悠兄は思っていた以上に変な人のようだ。
さっき書いた当番表から料理当番は消して掃除当番を増やした方がいいかもしれない。
そんな感想を終えて、リビングの机に座りスマホをいじっていたら、玄関のチャイムが鳴った。
俺の荷物のようだ。
言われた通り勝手に受け取った。
割とかさばってしまった荷物を二回に分けて運び終わったところで、ガチャ、と隣の部屋のドアが開く音がした。
出てきたか。布団のことを聞くついでに食生活について説教してやろう、と思い部屋を出ると、ベランダに出る窓が開いていた。
外の空気を吸いに出たのだろうか。
ベランダを見に行くと、悠兄がしゃがんでいた。
「ん、どうした。なんか用か」
こちらに気づいた悠兄が話しかけてきた。
「布団の場所と、部屋における机代わりのものがないかと、どうしてキッチンを使わないのかを聞きに」
「布団まだ届いてねえか。今日中には届くはずだ。机代わりのモンは悪いがない。俺は基本ずっと部屋に籠ってるから一階の机を使ってくれ。俺は料理をしないからキッチンは使わない。使いたければ好きに使え。冷蔵庫も必要なら電源入れていい」
悠兄は、しゃがんだまま淡々と質問に答えてくれた。
「あ、もう一つ。ここでしゃがんで何してんの?」
「花を見てた。日課なんだ」
意外だ。
まさかこの風貌で花を眺めるのが日課だなんて。
視線を落としてみると、確かに赤い小さな花がプランターに植えてあった。
さっきから変な人の印象が増すばかりだ。
昔はこんな不思議な人ではなかったと思うのだが。
「似合わねえって思っただろ。同意見だ」
「うん。花のこと気にする前に自分の健康気にしろとも思った。明日うちから調理器具取ってくるから、飯は作ってあげる。代わりに俺の掃除と洗濯の当番少なめにしとくね。」
「へいへい」
それじゃ、と言って部屋に戻ろうとしたところで、
「なぁ」
と、呼び止められた。
「聞かれたくないのかも知れねぇけど、悲しくないのか?あんだけベッタリだった姉が居なくなって」
至極当然の質問だ。
唯一の家族が消えたというのに、俺は平然と振舞っている。
しかしこの精神の図太さも、姉譲りのものなのだ。
「悲しいというか、怖くはあるよ。姉ちゃんが変な事件に巻き込まれてたりしたらと思うと。でももう打てる手は打ってあるし、ふさぎ込んでてもどうしようもないかなって。それにあの人、そう易々とは死なないだろうし」
そう答えると、悠兄は少し躊躇ってからもう一つ聞いてきた。
「姉貴がお前捨てて逃げたとは思わないのか?」
「思わない。特に根拠はないけどね」
その答えに対して、悠兄は「そうか」と言って軽く微笑んだ。
姉に似た優しい笑みだった。
「変なこと聞いて悪かったな。俺も協力するから、困ったことがあったら言いな。一応今はお前の保護者だ」
「ありがとう。頼りにしとくよ」
悠兄の珍しく兄っぽいセリフに、そう返事して部屋に戻った。
その後無事布団も届き、荷物もあらかた片付いた。
夕飯には悠兄が買ってきたコンビニ弁当を食べ、風呂と歯磨きを済ませて、今は布団でゴロゴロしていた。
22時。
探偵との定時連絡の時刻を迎えた。
ピコン、とスマホの通知が鳴り、画面に『本日も進展はございませんでした。』と簡潔なメッセージが表示された。
探偵という響きに、俺は多少の期待をしているのだが、日に日にそれも薄まっていく。
いつも22時ちょうどに連絡してくる律義さには感心するが。
と、すぐにもう一件通知が届いた。今度はメールのようだ。
自分宛てのメールなんてスパムしか来ないだろうと通知は切っていたと思ったが。
そのメールの件名を見た瞬間、体が凍り付いた。
全身の身の毛がよだつほどの恐怖を、その時初めて味わった。
『ご案内の準備が整いました』
その意味不明に見える一文は、俺が最も恐れいたもののようでもあったし、俺が最も待ち望んだもののようでもあった。
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