楠根由緒の曖昧で不安定な始まり
主人公…楠根 由緒
姉…楠根 愛純
変な夢を見た。大抵、夢なんて変なものだが、俺のこれまでの人生と何の脈絡もない、不思議な夢だ。誰かに何か言われてたような気がする。小難しい話だった。よく思い出せない。別に大した問題でもないし、気にするのはやめよう。今は何時だろうか。
「きれいに昼夜逆転してんね」
姉の声がした。時計に目をやると、ちょうど午後4時を過ぎたところのようだ。
「おはよう。こんな時間に帰ってるなんて珍しいね」
「今日は水曜日よ。まぁ夏休みは曜日感覚がなくなんのは分かるわ」
姉は土日と水曜は仕事が休みだ。土日は何かしらの用事で家にいないことが多いが、水曜はよく家にいる。
「床で寝るのはやめときな。体痛めるよ」
その通りだ。さっきから腰と首が痛くて仕方ない。しかし、俺はなぜ床で寝ていたんだろう。昨夜は自分の部屋のベッドでスマホをいじっていた気がする。トイレにでも行って寝ぼけていたのだろうか。
「とりあえずシャワーでも浴びたら?汗すごいよ」
そうしよう。Tシャツがびちょびちょだ。
「そうする。リビング占領しちゃっててわり」
「あいよ」
気だるげな返事だ。
さて、とりあえず着替えを取りに自分の部屋に戻ろう。階段を下り、二階のリビングから一階の自室へと向かう。
が、何か違和感がある。どうも気持ちが悪い。考えようにもまだ少し寝ぼけているようで、頭が回らない。
さっさとシャワーを浴びて目を覚まそう。
自室に着き、タンスから適当にTシャツと短パンを引っ張り出す。そうしたら、また二階の浴室へ向かう。
その前にトイレに行っておこうと思い、一階の階段横にあるトイレで用を足しているときに気が付いた。
トイレは一階にある。
それなのに、わざわざ階段を上がって二階のトイレに行き、そのままリビングで寝てしまうなど、いくら寝ぼけていてもしないはずだ。
そもそも二階のトイレだって、階段のすぐ横なのだから、リビングは経由しない。
それに、さっき自分の部屋に入った時、エアコンはつけっぱなしになっていて、スマホはベッドの上に置いてあった。
俺は風呂に入るとき以外はほぼ常にスマホを持ち歩くような性格なのに、昨夜は部屋に置いたままわざわざリビングの床に寝に行ったというのだろうか。
夢遊病にでもなってしまったのかもしれない。不穏な高2の夏休みだ。
とにかくシャワーを浴びよう。汗まみれの体のせいで余計気持ちが悪い。
汗を流し、浴室から出るとスマホに姉からメッセージが届いていた。
買い出しに出ているらしい。
そういえば洗濯物が少し溜まっていた。帰るまでに済ませておこう。
家事は二人とも気が付いた時にやるのが我が家のルールだ。
うちには両親がいない。
まだ俺が小さい頃、俺と姉を伯父さんに預け、二人で出かけた旅行先で車に撥ねられたらしい。
その後、俺たちはそのまま伯父さんに引き取られた。
当時俺は3歳、姉は9歳だった。
伯父さんの家での生活は快適だったし、俺は親との記憶があまり多くはないから、つらい思いをしたことはそんなにない。
でも、姉は違うだろう。物心ついてすぐに両親を亡くし、唐突に生活する環境が変わり、学校ではかわいそうな子というレッテルが貼られる。
どれだけのストレスがあっただろうか。
そのせいもあってか、姉は高校卒業と同時に東京に引っ越すことを高1の夏には決め、高3で公務員試験に合格。無事伯父さんからの許可も得て、高卒で東京の市役所に勤め始めた。
どうやら伯父さんは結構な資産家らしく、姉の引っ越しに際して、なんと一軒家をプレゼントした。なんでも伯父さんが所有している貸家で、その時はちょうど入居者がいなかったのだとか。
とはいっても、二階建て3LDKの家は一人暮らしには流石に大きすぎる、ということで、ちょうど小学校を卒業した俺がついて行くことになった。
もちろん伯父さんの家にいる選択もできたが、なんとなく姉のそばにいたかった。
多分、姉は友達以上に俺の理解者で、俺もある程度姉の理解者であるはずだ。なかなか離れるという選択はできない。
もし、伯父さんがこんな大きな家をくれていなかったとしても、俺は姉とともに上京することを選んだだろう。
そんな東京での暮らしも五年目。上京したての中学入学時はそれはそれは緊張したものだ。それでも無事に友達もでき、一度だけ儚い恋もし、中学卒業の時には大いに泣いた。高校でも、それなりにそれなりの生活をしている。
よし、スイッチオン。洗濯物を片付けるまで10分もかからなかった。後はリビングで適当なテレビを見て帰りをまとう。そういえばまだ途中のアニメがあった気がする。
その日、姉は帰らなかった。




