再生
フタタビ、イキル
目を覚ます。青い空が目の前に見える。
屋上で昼食を取ってあまりの気持ち良さに寝転がり空を眺めていたら、いつの間にか眠っていたらしい。日光も出ていてそれなりに暖かいとは言え、もうすぐ冬なのだ。少し寒気がする。
僕は頭を掻きながら起き上がり、腕に填めた時計へと視線を落とす。
授業開始まで十五分といったところ。確か次は担任の日本史だったはずだ。遅刻すると怖いのでさっさと教室に戻っておいた方が良いのかもしれない。
僕は一人頭の中でこれからの行動を決定し、昼食として食べた購買のパンの袋を一つに纏めていく。
「誠」
楽しそうに僕を呼ぶ声と共に、誰かに肩を叩かれた。
光の加減で薄く茶色掛かって見える肩先まで伸ばされた濡れ羽色の髪。本人曰く、大き過ぎると嘆いている丸く可愛らしい瞳。程よく日に焼けた健康的な白い肌。学校の制服はこっそりと校則を無視して、膝上までの長さしかない。その所為で冬にも関わらずスカートから長く細い足が外気に晒されている。飛び抜けて美人という訳ではないし、抜きん出て可愛いという訳でもない。それでも十人いれば三人は美人か或いは可愛いと言うだろう。
そんな容姿をした人物はこの学校に一人しかいないので、僕はその人物をすぐに認識する。 もし仮に似たような容姿をしている人がいたとしても僕が彼女を見間違うことなんて絶対に無いとは思うけれど。
「何だ、実夜か」
「何だとは失礼だね。折角誠に会いに来たって言うのに」
剥れたように実夜は頬を膨らませ、僕の断りも無しに隣に座り込む。別に僕に断りが無くても座ってくれて問題無いが、しゃがみ込む時に彼女は一切スカートを押さえる事も無かったので、一瞬スカートが華のように広がり中の物が僕の目に晒される。ただスパッツが見えただけで、実夜にしても僕に見られたというのに気にする様子もまるで無いが、それでも僕にしてみれば一大事である。
「………」
僕は視線を実夜とは逆方向に向けて冬の空を眺める。火照る顔に冷たい風が心地良かった。
「…誠、余計なお世話かもしれないけどさ…」
顔を覚ましていた僕に向かって実夜が言い淀む感じで口を開く。
「…もう少し、人と話した方が良いと思うよ? 」
またその話か。実夜が最近僕に話す事と言えばそればかりだ。
僕は何も冬の寒空の下一人で昼食を摂るのが好きな訳ではない。それが一番楽だから、そうしているに過ぎない。誰とも話さず、誰にも気を遣わなくて良いのなら僕はもっと暖かい場所でゆっくりと昼食を摂っている。学食ででももっと暖かくて栄養のあるものを食べている。けれど、そうそう僕に都合良く話が進むなんて事は無く、僕は甘んじて寒さを堪え毎日屋上で昼食を摂っているのだ。
「そんなに人と話すのが嫌い? 」
僕の顔を窺うように彼女は告げる。心配そうな表情は僕の心を締め付ける。僕だけに向けられた言葉。決して口にはしないがそれが何より嬉しく感じる。
それが仮令、クラス委員長という立場にある彼女が僕という人間付き合いが下手なクラスメイトを気に掛けているだけだとしても、僕には充分だ。充分過ぎる。
僕は実夜の問い掛けに答える。
「別に嫌いじゃない」
これは本当。好きでは無いけど、嫌いでは無い。ただ実夜以外の大抵の人と話すのは、僕には面倒臭過ぎる。
ちょっとした言葉に傷付き、ほんの少しの言葉で傷付ける。
傷付けば怒って自らの不満を撒き散らすか泣いて不足を訴え掛ける。
傷付ければ相手は怒りに任せて支離滅裂な言葉を喚き散らすか悲しみに流されるまま四分五裂に言葉を吐き掛ける。
どの状態になったとしても僕には面倒過ぎて嫌になる。そんな面倒に巻き込まれるくらいなら、始めから僕は関わらない。一人でいる方がずっと楽だから。
「嫌いじゃないなら、あたしに話すみたいにすれば良いじゃないか」
「実夜は他の奴らとは違うよ」
言いたい事は決して腹に溜めず、すぐ口にする。言いたい事を的確に相手に伝える。その言葉全てが優しいとは限らないし、その所為で揉め事も起きた事もあったけど、それでも実夜の言葉は理路整然としていて絶対に間違ったことを言わない。
『ムカつく』なんて一言を決して言わない。『…だから、あたしには我慢できない』。実夜は怒りを感じる理由をちゃんと言葉にして伝える。
『ウザイ』なんて一言を全く言わない。『…が〜なので面倒だよ』。実夜は面倒だと思った理由をきちんと言葉にして伝える。
言葉にしなければ、自分の気持ちなんて伝わらない。相手には勿論、自分にだって届かない。だから『キレる』若者が多発するんだ。自分が何に怒っているのかも分からないまま凶器を手にして狂気を振るう、そんな若者が横行するんだ。
世の中には言葉が圧倒的に不足している。
「あたしが他の子達と違う、ってどういう事? 」
実夜が不思議そうに顔を傾げて、僕に問いかける。
「さぁ、どういう事だろうね」
僕が良い例だ。言葉が明らかに不足している。
「もう! 人が折角心配してるのに、そうやって誠はいつも言いたいことを誤魔化すんだ!?」
実夜が語調を荒げて、立ち上がる。どうやら怒ったらしい。当然だろう。僕を心配して態々こんな寒いところまで来てくれたのに、当の本人である僕がこの体たらくでは。
「もう知らないからね!? 」
そう言葉を残し、校舎へと戻っていく。
いつもの事だ。僕の人付き合いの悪さを話すといつも実夜は僕に腹を立てて行ってしまう。何度も何度も僕の心配をしては、僕が適当に誤魔化して実夜は腹を立てることになる。好い加減諦めても良いだろうに。
けど、実夜は諦めずに暇さえあれば僕の所にやって来て僕に話しかけてくれる。腹を立てても次の日には前回の時と同じように明るい調子で、親しみやすく口調で僕に話し掛けてくれる。また腹を立ててもまた僕に話し掛けてくれる。
だから僕はそんな実夜を時々鬱陶しくも思いながら―――
―――いつの間にか好きになっていた。
言葉が不足している僕にはそんな気持ちを口にする事なんて全く及ばない。このままの関係で僕は充分だ。告白したところで、僕みたいに寡黙な奴が言ったところで信憑性もないだろう。そんな事になるなら僕は今のままの方がずっと良い。
だから、僕も今日は怒って去っていく実夜の後姿を見送る。怒らせてしまった事を心の中で詫びながら、また僕に話し掛けてくれる事をお願いしながら、いつものように実夜を見送る。
そのはずだった。けれど
「ちょっと、待って! 」
気付いたら声を掛けていた。