面と祭り
「いい?あんまり離れちゃダメだからね?」
「分かってるよ!」
そう言って少年は駆け出した。背中に届いた母親の声はもう聞こえていない。
――お祭りだ!
年に一度、村の神社の境内を使って行われるお祭り。少年は瞳を輝かせながら、辺りの屋台を見回す。金魚すくいにわたあめ、かき氷……それ以外にも沢山のお店がある。
――こんなの、選べないよ!
お囃子の音が胸を高鳴らせる。歩いているだけで楽しくて仕方ない。結局、左手に握りしめたお小遣いと相談して、りんご飴の屋台の前に立った。自分のこぶし程もある飴を片手に満足していると、ふと自分が一人きりなことに気付く。
「どうしよう。はぐれちゃったんだ」
辺りを見回しても両親の姿はない。それどころか人が多すぎて彼の身長ではろくに回りを見通すこともできない。
「困ったな……」
言いようもない不安が少年を押しつぶす。先ほどとは全く変わった足取りで、辺りを見回しながら歩く。人混みをかき分けて進んでも見つかる気はしなくて、自然と人気の無い方へ足が向く。気がつくとそこには、神社の大鳥居がそびえ立っていた。
――ちょっと疲れたな。鳥居の下の段差で少し休もう。
鳥居の根元に腰を下ろす。両親は心配しているだろうか。自然とため息が出た。すると突然大風が吹き、舞い上がった砂嵐で思わず目をつむる。
「うわあ!」
風が止んで恐る恐る目を開けるとそこに広がっているのは全く知らない風景だった。
「な、なに?ここ……」
「あれあれ?急に門が開いたから来てみたら、キミ、誰?」
知らない人。赤い着物の男の子。狐のお面で顔は見えない。
「あの、ここはどこ?僕、知らない間にここにいて……」
「んん?ああ、なるほどなるど。キミ、人間かぁ。今年は供物はないって話だし、迷子ってことね」
供物?なんだかよく分からないけど、迷子なのは間違いない。
「あ、そう、です」
「ふぅん。帰してあげたいのは山々だけど、無理だね。ドンマーイ」
「え?でも僕、あっちから来ただけだし……」
「ん?キミ、知らないの?祭りの日にこちら側に来た人間は、現世には帰れないんだよ?」
「そ、それって……」
――どこかで、確か、同じクラスの友達が話していた怪談話。――「お祭りの日に大鳥居の先に行くと、あの世へ連れていかれる」って良くあるお話。でも……。
「で、でも!そんなの、本当にあるわけないじゃないか!」
「でも実際、今キミはこちら側にいる。そうでしょ?」
狐面の少年が指し示すようにあちらへ向かって手を伸ばす。見慣れた造りの建物。それは神社で祀られる拝殿のようだった。しかしそれは普段通りの姿ではなかった。黄昏時の夕日を背後に、暗く影を落としたそれは、ナニカが住まう御殿に見えた。
「じゃあ、じゃあここは一体どこなの!?[#「!?」は縦中横]君たちは一体……」
「ここは、土地神のサクノ様がお出でになられる庭園さ。毎年、祭りの日にいらっしゃる。そして祭りの日に庭園に招かれた人間は……供物として、サクノ様に献上される」
「献上?献上ってまさか……」
「さあ?どうなるのかまではオレ達も知らない。ま、でも普通に考えたら……食べられるんじゃない?っふふ。アハハハハ」
「何だよ、何がおかしいって言うんだ」
「べっつにぃ?なぁんにも面白くないさ。それよりも自分の心配をするんだね。今年は供物を用意しない年だったけど、その供物が自らやって来てくれてるんなら話は別だ。古の習わしではあるけど、村のためだと思って諦めるんだね」
「そんな!ここが庭園ってやつならここから出られれば僕は食べられずに済むんでしょう?土地神のサクノ様っていうのが来る前に、ここから脱出すれば……」
「だから、それは無理って言ったじゃん。サクノ様がいらっしゃる今日の日の結界は特別だ。入ることはできても出ることはできない」
「そ、そんな……」
どうしたらいいんだ。このままわけも分からず食べられるのを待てっていうのか?でも、他にどうすることも……。
「そんなにいじめてやるな、狐」
狐面と少年の話に割り込んできたのは般若の面を着けた男だった年は狐面より少し上くらい。黒い着物とお面のせいで異常な威圧感を放っている。
「般若。別にオレはいじめてないよ?だってどうしようもなくない?よりにもよって今日この時間に迷い込む、この少年の不運が悪いよ」
「……それは否定せん。だが、サクノ様がいらっしゃるまでまだ時間はある。少しは面倒をみても良いだろう?」
「もしかしてそれ、オレがやる感じ?面倒事押し付けるのは止めて欲しいなぁ」
「……ひょっとこ辺りが何か知っているかもしれん」
般若の面の男はそれだけ言うと黙って拝殿のそばの切り株に座り込んでしまった。少年と狐面の間に気まずい沈黙が流れる。
「……チッ何でオレがわざわざ……」
チラリと少年の方を向くとさっきまでのヘラヘラした雰囲気はどこへやら、厳しい目付きで、少年を見た。
「良かったね。般若のおかげで少しは可能性が出たかもよ?代わりにオレには面倒が増えた」
あーあ、適当にからかって遊ぶつもりなだけだったのに。
隠すこともなく狐が喋る本音に内心腹を立てながら、少年は先立って歩き始めた狐面の後を追いかけた。
「これから会うのはひょっとこって奴のとこ。オレらの中では一番の新入りさ。あいつなら現世から来た時のことを覚えてるかもしれないからね」
「えっ、てことは君たちも元は僕達と同じところから来たってこと?」
「んー?まぁそうなんじゃない?昔のこと過ぎて覚えてないよ、そんなこと」
どこか投げやりに聞こえたその言葉は何かを帯びているような気がしてならなかった。
「着いたよ。いつもなら拝殿の中をうろついてるはずだ。おーい、ひょっとこ!お前に客だぞ!」
ギシリ、と床が軋む音がした。明かりのひとつも付いていない真っ暗闇だ。その中から足音のひとつもたてずに近付いてきたのは、ひょっとこのお面を着けた男だった。少年と同じくらいの歳だろうか。ひょっとこは少年を見てもなんの反応も見せずに黙っている。
「お前さ、ここに来た時のこと、覚えてるだろ?こいつ、現世から迷い込んだらしくてさ。般若が、ひょっとこなら帰す方法が分かるかもって言っててさ。なぁ、何か、知らねぇ?」
狐面の問いにもひょっとこは黙りこくったままだった。
「ん?なんだよ。お前がそんなにだんまり決め込むなんて珍しい……」
「狐。その辺にしておきな」
ひょっとこの面を覗き込み、心底不思議そうな様子で狐がひょっとこを伺っていると、少年たちの横の暗がりから鋭い声が飛んできた。
「おかめか。どうしたの?」
「アンタも知ってるでしょう?ひょっとこに現世の話は禁句なのは」
「そうは言ってもさ、こっちも般若に言われて来てるんだ。こいつを現世に帰すのを手伝ってやれってさ。別にオレがいじめてた訳じゃないよ?」
まるでからかうように言い放つ狐だが、その言葉を聞いて、おかめ面の少女が初めて少年を見る。
「へえ。般若がそんなこと言うなんて珍しい。でも、ひょっとこをいじめるのは止めなよ。誰にだって思い出したくないことはあるものでしょう」
「オレにはあんまりないけどねぇ」
「あなたはそうかもしれないね」
面を着けた彼らは何でもないような話を続ける。口ぶりや話している内容を聞くに、おかめ面の少女は悪い人ではないように見えた。でも彼らは、人のかたちをした人でないもの。土地神であるサクノ様とやらの元で人を供物に捧げている。きっと少年を助けようなんてしているのもただの気まぐれなのだろう。
「あ、あの……」
「ん?あぁ、すっかり忘れてた。キミ、日が落ちる前に鳥居の向こうへ帰らなきゃいけないんだったねぇ」
大げさに手を広げて笑ってみせた狐は、その手の平をひょっとこへ向ける。
「ってことでさ、ひとつ頼むよ。キミだって彼を同じような目に合わせたくはないだろう?」
その言葉が聞こえた瞬間、硬いものがぶつかる音がした。見るとそこには壁に押し付けられた狐面と、首を押さえつけたひょっとこの姿があった。
「おいおい、乱暴だなぁ。よしてくれよ、らしくないよ?」
首に指が食いこんでなお、軽口をたたく狐面は変わらずへらへらと笑っていた。
そんな様子を見てひょっとこは押さえていた右手を離した。持ち上げられていた所からそのまま崩れるように落ちてきた狐面はしばらく苦しそうに咳き込んでいた。
「はーあ。こんなのは何十年、いや何百年ぶり?偶には悪くないけど、もうこりごりだな」
「今のあなたが悪いよ。そうやって人をからかったり笑ったりする癖は良くないところだよ」
「仕方ないじゃん?オレは狐だからね」
少しも悪びれずに言ってのける狐面におかめ面もすっかり呆れたようだった。そのやりとりをひょっとこは動きもせず静かに聞いていた。
「……あちら側へ帰る方法は、恐らく無い訳では無い。ただ、俺はそれを成し遂げた者を見たことがない」
「それって……」
「面だ。面を着けたものは、サクノ様に人間だと認識されない」
「じゃあ僕もお面を探せば、元の世界に帰れるってこと?」
「確証はない。なぜなら、それを成功させた人間はいないからだ」
「そんな……」
「これ以上は翁に聞け。俺に、これ以上は分からないからな」
そういうとひょっとこは背を向けて拝殿から出て行ってしまった。
「ちょっと待ちなよ」
おかめがその後を追いかける。
「あーあ、仕方ない。翁のところに行こう。嫌だなあ。あの人怖いから」
そう言いながら狐は拝殿を出て、さらにその奥へ向かった。神社には人間が参拝をする拝殿の奥に、本殿と呼ばれる建物がある。神体がある場所だ。
本殿の傍には翁の面を被った小さな子供がいた。白い着物を着た男の子は少年と狐を一瞥すると、座っていた小岩から立ち上がった。
「やあ、初めまして。人間の迷い子よ。君のことは他の面の子から伝わっている。ここから出たいのだろう?」
見た目からは想像がつかない大人びた口調。面のように老人ではないかと思われるほどだ。先ほどまでへらへらと笑っていた狐もその口を閉ざし、翁とは目を合わさないようにしていた。
「……はい。ここから、出たい、です」
「簡単なことだ。ひょっとこに聞いただろう。面を手に入れればいい」
「でも、お面なんてこんな所にないよ」
「あるじゃないか。君の隣に」
そう言って翁は少年から目を逸らす。その視線の先には、狐面の少年がいた。
「面を手にしたものは、その顔を認識されず、面がその者の顔となる。ひょっとこはそれを知らずに面を付けてしまったから、今もなおここにいるんだ。面を手に入れられなかったひょっとこの友人は供物になったがね」
「……ひょっとこさんはどこからお面を手に入れたんですか」
「彼は初めから持っていたよ。何しろここの扉が開くのは祭りの日だからね」
「……じゃあ、僕が元の世界に帰るには……」
「私以外の面の子から奪えば良い。そして、そのまま急いで鳥居をくぐるんだ。――私以外の面の子は皆もとは人間の子だ。誰でもいいさ」
そう翁が言い終えた時、少年の周りには全ての面の子が揃っていた。少年を帰らせようとしてくれた般若。友人を犠牲に生き続けざるをえないひょっとこ。紅一点で皆から慕われているおかめ。そして、今までずっとそばにいた狐。
「……面を無くした面の子はどうなるんだ」
「代わりに供物になるだけさ。ここに他に面はない。面を持っていることがここで存在できるのに必要なのさ」
――つまり、帰るにはここにいる誰かを殺さなければならない。
少年は辺りを見回した。横顔を流れる汗が止まらなかった。
選ばなければならない。
「急いだ方がいい。刻限は迫っている」
夕日はもう沈みかかっていた。間もなくサクノ様が訪れるという時間がやってくる。
少年は、息を吸って、吐いた。目を閉じて、開ける。そして隣にいた狐の面を剥ぎ取ると、一目散に鳥居へ走った。振り向かなかった。振り向けなかった。いつの間にか潜っていた鳥居の向こうでは、お祭りが続いていた。
――夜が来た。
鳥居の下で肩を上下させていると、向こうから母の声が聞こえてきた。
「もう!探したのよ、どこ行ってたの!」
手を引かれて鳥居から離れる。もう片方の手には狐のお面。――はて、自分はどうしてこんなお面を持っているんだっけ。小さな疑問が浮かぶ。だがその疑問はその後すぐに始まった花火に気を取られ、忘れてしまった。
少年の夏の一日が終わった。
その後、鳥居の向こうで何があったのかはもう、誰も知らない。
夏過ぎちゃいました。
でもこういうお面の人外じみた人たちってすごく心に刺さりませんか?私は大好きです。