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酒瓶と桜

作者: 夜野海月

 公園の桜が咲いた。

 その公園は僕のアパートのすぐ近く、駅まで続く道を一つ折れた先にある。ある、というより佇む、といった方がいいだろうか。一軒家に囲まれたそこは、遊具といっても補助金目当てのブランコと砂場と滑り台があるだけで、他には小さなベンチが一つだけの簡素なものだから。昼間は子供の手を引いた近所の主婦らでそれなりに賑わうのだろうが、夕方になればたまに暇を持て余した感じの高校生が一人二人いるぐらいで、きっとこの街の住人の九割はここに公園があることなんか知らないのだろう。理由は分からないけれども公園の周囲は入り口以外格子状のフェンスに囲まれていて、大半は蔦に覆われてそのままになっている。

 駅から僕の家までは徒歩で十五分ほどかかるから、バイトの帰りなどで疲れたときはたまにそこのベンチに座って休んだりしていた。夜九時にバイトが終わって、駅の階段を下るのが十時近く・・・その頃になるとここにはもう誰もいない。錆だらけの鉄骨に、何かを吸い込んだように黒くなった砂、たまに飲み干したワンカップがベンチの陰に転がっていて、そんな風情がこの公園にはぴったりと合っていた。

 その公園に一本だけある桜が咲いた。

 桜は不思議な樹木だ。三つの季節を静かに過ごしていくのがこの樹だ。そうして春が近づく頃になれば、テレビは開花予報を流し始め、人々はふくらみ始めた蕾を眺めては来たる日を待ち望むようになる。彼らの視線はまるで桜の開花とともに新しい時代が始まるかのように、熱い期待に満ちているし、そうして一斉にそのつぼみが花開けば、人々は桜の元へ集まり大声で春を歌い上げ始める。

 ・・・けれどもその熱情もひとときの夢に過ぎない。桜の花が薄皮を剥ぐように少しずつその身を散らし始めれば、その根元で浮かれ騒いでいた人々も同じように一人一人と消えていく。

 そうして葉桜の頃になれば、人々はその木が桜であったことすら忘れてしまうのだ。


 まるで、花を咲かせるその一時だけの間、それを桜と呼ぶように。


 僕は知っている。この桜が全部散ると、地面にはただ真っ赤な軸だけが散らばることを。去年、僕はその光景を見てここを気に入ったのだ。周囲を巡るアスファルトの道路に、そこだけ赤い絨毯を敷いたような桜の最期を見て。

 この桜の花びらが全部散るまであとどれぐらいかかるのだろう。そして今年もまた、それが見られるのだろうか?


 僕は想像する。その絨毯の上に立つ僕自身を。右手にウイスキーの小瓶を掴んだ僕が、太い幹に沿うように見あげる夜空を。

 それから僕は飲み干した酒瓶を、あの小さなベンチの隅に置くのだ。



 酒瓶を透かした彼女らの死骸が、緩やかな曲線に沿って歪むのを信じながら。


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