八話:拠点へ
連れられてきた宿に入り、ニトとイリスはまず店主に軽い挨拶をした。案の定店主は目を丸くしてニトの汚らしい外見を見ていたが、二人は気にせずに二階に上がった。中央の、色の禿げた木組みの階段を上り、いくつかの部屋の前を通り過ぎた。そうして取っ手がついているということ以外に特筆するべくもない簡素な一枚扉をイリスは開けた。
二人は中に入り、部屋を見渡す。
「ここが私の部屋。どうかしら、結構気に入ってるのよ?」
「これは確かに・・・いいな!」
「でしょう? わかってるじゃない!」
ニトは異世界人である。当然開けられた部屋の良さなどはわかりもしなかったが、しかし異世界人であるからこそ、一種の目新しさというものを鮮明に受け取ることができた。文献でしか見たことのなかった世界が、今目の前にあるという現実に、彼は心を躍らせていた。
漆喰の塗られた壁と、木で出来た窓。煤だらけの床と、その上に置かれた大きめのチェスト。チェストの上にはなくなりかけの蝋燭が乗った燭台もあった。
頑丈そうな、骨組みの太いベッドの上には、麻と羊毛で出来た簡単な掛布団が敷いてあり目を引く。そのそばに置かれた小さな丸テーブルには、真鍮の水差しがちょこんと乗っていた。
「じゃあ、着替え終わったら言ってくれるかしら」
イリスは部屋の外へそそくさと出ていく。ニトは手に持った服をベッドの上に置きながら、
「わかった」
一言返事をした。
戸が閉められ、ニトは自分の服を脱ぎ始めた。
脱いだ服を広げてみる。感慨深さが胸に募った。しかし同時にこんなに汚いものを今まで着ていたのか、という衝撃も訪れた。
「・・・異世界から持ってこれた唯一の物なんだけどなぁ」
ある日路地に倒れていたニトは、汚らしいその服を着ていた。生前最後に着ていた服。異様に破れているのは、交通事故で車に吹っ飛ばされたせいだろう。
「まぁいいか。それより俺の新しい服は・・・」
ニトは続いて、ベッドの上に置いた新しい服を一枚一枚広げ並べてみる。
「おいおいイリス、嘘だろ・・・」
そうして出来上がるはずのニトの格好を想像すると、ある一つの恐るべき真実を発見する。
麻で出来た、通気性のいい白い長袖のシャツに、緑いろのスカーフ。ビロード製の深緑色をしたベスト。シャツと同じく麻で出来たズボンを見れば、誰かに似ていると思わざるを得なかった。
しかし文句などは言えない。買ってもらったのだ。素直に喜び着るのが普通だ。こんなことでいちいち何かを思っているほうがこの世界ではきっとおかしいのだろう。
そう思ってニトは着替える。出来た格好は、やはり思っていた通りのものだった。
汚い服をたたんでチェストの上に置き、ニトは戸に体を向けた。
「イリス、着替え終わった」
戸の向こうにそう告げると、戸は勢いよく開かれる。そこにいたのは目を輝かせたイリスだった。
「よく似合ってるわ! そうそう、運命共同体はこうじゃないとね!」
「やっぱり狙って似たような服にしたのか!」
「光栄でしょ? 世界一の吟遊詩人と同じ格好ができるんだから」
「ああああ、言わなきゃよかったあんなこと・・・」
肩を落としうなだれるニトの頭に、さらに追い打ちをかけるようにイリスはちょこんと何かを乗せた。
ニトがそれを手に持って見てみると、落ちた肩はさらに下に急降下した。
「これを、かぶれと・・・」
「ええ。私の勘が正しければ、それをかぶった瞬間あなたは一気にかっこよくなるはずよ?」
それは帽子であった。それもただの帽子ではない。ピーターパンハットそっくりな、三角形をした羽根つき帽子だったのだ。
目を輝かせるイリスの視線に耐え切れず、ニトはそれを頭に乗せた。ちょうどいい大きさで、頭がちょうど良く収まった。
「これでネバーランドにでも行けと・・・?」
ニトの言葉をよそに、イリスはニトの頭を見つめながらうんうんと頷く。
「似合ってる。すごく似合ってるわ!」
「本当に言ってるのか・・・・・・?」
「ええ、もちろん。これならどこに行ったって恥じることはないわ」
「でも、こんなのかぶってるやつ見たことないんだが・・・」
「だからこそいいのよ。吟遊詩人なんだから、もっと目立たないと」
「そういうものか・・・」
半ば強引なその話を、ニトは仕方がないと思って飲み込むことにする。なによりも買ってもらったものだというのを忘れてはならない。
ニトはくるりとその場で回って見せる。イリスはおお、と一つ唸った。
これほどまでイリスが推すのだ。なるほど、これはこれで悪くはないのかもしれない。ニトは指でぴん、と帽子をはねさせた。
「ああ、気に入ったよ。特にこの帽子がいいのかも」
「でしょう? ニトならわかってくれると思ってたわ!」
首元のスカーフを指でなぞる。ベストをすっと縦に直した。
「イリス、ありがとう」
「いえいえ、どういたしまして」