六話:詩
「は・・・・・・?」
ニトの切実な疑問の声が、おんぼろの教会前に通った。
一瞬何をいわれたのか理解に苦しんだ。それほどまでにその言葉はニトの中に入るには異物過ぎたのだ。
吟遊詩人は、しかし握手を装ってつかみ取ったニトの手を、決して放そうとはしない。
「私のことを話すって言ったわ。もっと仲良くなるためにって」
彼女の張り付けたようにきれいな笑顔に、いささか戦慄を覚えニトは手を引く力をさらに強める。――――が、男のニトが引けども引けども、吟遊詩人は動かなかった。
吟遊詩人がつかむ力を増し始める。
「私の夢は、世界一の吟遊詩人になること」
「それと俺と一緒に旅をすることに何の関係が・・・?」
「かなえてもらったのよねあなた、神様に。世界一の吟遊詩人と旅がしたいって願いを――――」
その言葉でニトは悟った。吟遊詩人の考えていることを。――――数分前、自己満足のために自分語りを始めてしまった自分を殴ってやりたい。ニトは嫌な汗が顎を伝うのを感じた。
「――――おい、あんたまさか」
「そう! あなたと旅をすれば、私は神様に認められた世界一の吟遊詩人になれるのよ!」
驚愕だった。まさかそんな理由で旅がしたいなどとのたまうとは思ってもみなかった。だが彼女は事実、そう言った。
「暴論だ・・・・・・! 少なくとも俺が望んだ吟遊詩人はあんたみたいのじゃなく、もっと、こう、宮廷詩人とか、王族付きの名のあるお方とか、そういうののはずだぞ・・・?」
すると吟遊詩人は、ぷくぅっと頬を膨らませ、いかにも不機嫌だということをアピールしてくる。
「そんな格式ばった人たちの歌よりも、私の歌の方が自由だわ! 少なくとも、子供たちは笑ってくれるもの! あなただって毎日来てくれたじゃない!」
その言葉に、ニトは口をつぐんだ。痛いところををつかれた。毎日飽きもせずに来ていたのは事実だったからだ。別段彼女の歌も好きではないのに。毎日聞いていたのは、眠たくなるような子供向けの明るくて甘いお話ばかりだったのに。
だからニトははっきりということにした。言わなければ誤解させたままな気がした。
「・・・確かにあんたの歌は子供たちを笑顔にできた。だが言わせてほしい。俺は一度としてあんたの歌でわくわくしたり、笑顔になったことはない。――――ただ単に、楽しそうな笑い声につられただけなんだ。だから・・・すまない。あんたは俺の願う世界一の吟遊詩人じゃない」
怒られるだろうと、ニトは身構える。ニトの望むような人物ではないにしろ、吟遊詩人には違いないのだ。それを勝手に他人が、その根本を否定するようなことを言ってはいけないというのはわかっている。
案の定、力のこもっていた吟遊詩人の手は、それを解いていく。するりと落ちるようにニトの手は解放された。
こうしなければならなかったのだろう。ニトは吟遊詩人から背を向けた。
彼女はおそらく、優しい人だ。信心深く、清廉で、しかし暴走気味なだけなのだろう。今回はその暴走が裏目に出てしまっただけだ。
なるほど。ニトは思った。確かに彼女のことは知ることができた。
――――だが、仲良くなれるというのは嘘だったようだ。彼女の歌を聴きに来ることは、もうなくなってしまうのだろうから。
そう思うと少し寂しいのだから救えない。
ニトは一歩進んだ。吟遊詩人との距離が一歩遠ざかった。
―――――――――だが、
『・・・これは世界で一番新しい冒険譚。気難しくて素直じゃない、そんな二人の物語』
弦楽器の音が聞こえた。鈴のようにきれいな声が響いてきた。
――――それは儚げに奏でられる詩だった。
ニトの足は止まる。それがいつも聞いている声だったからだ。毎日毎日、面白くもないと思いながら聞いていたあの――――。
『そこは不思議な不思議な世界。ずっと悲しく冷たくて、彼はそこで泣いていた。きっといっぱい泣いてたの。だって彼は気難しいから。だって彼は素直じゃないから』
相変わらず、子供に聴かせるような甘い言葉の羅列だ。
ニトは気にせず前に進んだ。遠のいていく声がやけに耳に残る。
『きっと彼は優しいから』
吟遊詩人の歌は続いた。
ふと足の裏が痛くなった。腰も痛くなった。これではもう、
「くそ、歩けないな・・・」
ニトは地面に座り込む。胡坐をかき、下を向く。
響く歌に顔を向けない。向いてしまえばきっとなにかが変わってしまう気がした。
『だから彼はいなくなった。それは不思議な不思議な世界の中で、きっと小さなことなのでしょう。でも私はそうは思わない。だって彼は救ったのもの。だって彼は笑えるもの』
足が治った。ニトは立ち上がった。それから考えもなく進んだ。
『だって彼は――――』
・・・・・・いつの間にか、ニトは吟遊詩人の前にいた。
『――――吟遊詩人と旅をすることになるんですもの』
・・・吟遊詩人は楽器を静かに下ろした。
日差しは教会の向こうへと行き、あたりに影を落とす。
吟遊詩人は、閉じていた目をゆっくりと開け、目の前にいるニトをみて柔らかに笑った。
「あら、また会ったわね。世界一の吟遊詩人は見つかった?」
元来、吟遊詩人は詩をきかせた人間から何かをもらうのだという。それはお金であったり、時には食べ物であったり。
ならば、この詩には何をわたそう。
何を渡せばこの吟遊詩人は満足してくれるだろうか。
教会のひび割れたステンドグラスから光が差し込む当てられたのは二人だった。色とりどりの世界の中、ニトは答えを見つけ出した。
いや、最初から明白だ。
「ああ。見つかった」
――――――――――――渡すのは、屈託のない、笑顔だ。