二話:優しき人の願い
「俺、来月から大学生になる野口隆太って言います。あなたは・・・・・・」
「わしか、わしはなぁ・・・・・・太田じゃ。なんてことない庭師じゃよ」
それは公園の中心部での会話だった。ブランコや滑り台、砂場など適当な遊具が適当な配置で並び、現在も子供たちが遊びまわっているような、そんな公園の。
隆太と太田がいるのは、ベンチのそばだった。そこで隆太たちは、ひたすらに空き缶を拾っては袋の中に入れるという作業を繰り返していた。
隆太は、軍手をはめた手で額を拭った。まだ季節は肌寒さを残すころだったが、それでも汗は流れた。
「俺、ここの公園小さなころからよく来てて。だからこういうのあんまり見過ごせないっていうか」
隆太は地面に落ちた空き缶を見渡しながらそういった。固まって落ちているわけではない。ところどころだが、それでも確実に落ちているのだ。
誰がこんなことを。そんなことを思ったって意味がない。でもきっとこれは、この公園に思い入れのない人間がしたのだろう。
軽い気持ちなんだろうな、と隆太は苦笑いをした。
そんな隆太に、太田はニコリと笑みを返した。
「そうかいそうかい。それはうれしいなぁ」
隆太は手を止めて太田を見やる。え、という声が勝手に漏れ出た。
「どうして太田さんがうれしいんですか?」
「そりゃ、この公園の設計に携わった一人だからのぉ、わしは」
腰の折れ曲がった体で、一生懸命になって空き缶を拾う老人が、そう告げた。
隆太は頬が上気するのを感じた。なんだか急に自分がとてつもなく恥ずかしいことを言った気がしたのだ。
「そ、その。それは、えっと・・・・・・ありがとうございました?」
太田はその言葉を聞き歯を見せにこっと笑った。
「そういわれたのは初めてだわい。隆太君、君はいい子じゃの」
「そ、そんなことないですよ。太田さんこそ、あんまり無理はしないでくださいね」
「隆太君はうちのばあさんと同じことをいうんじゃのぉ。はっはっは」
「はっはっは、でも万が一何かあったら、俺が助けます」
隆太は屈託のない笑みを老人に見せると、また作業に戻った。その後ろで老人がつぶやく「君ならば」という一言には、気づかないまま。
ゴミ掃除は一通り終わった。隆太と太田の周りには、五つにもなるゴミ袋が、所狭しと並んでいる。二人はベンチに腰かけていた。
隆太が買ってきた二つのお茶の内、ひとつを太田に手渡す。
「これ、よかったら飲んでください。喉乾いたでしょ?」
太田は「すまんのぉ」という言葉と共にそれを受け取り、蓋を開けた。
ぐびぐびとそれを飲む太田の様子を見るに、相当喉が渇いていたに違いない。買ってきてよかった。
隆太は自分もペットボトルを開け、飲み口を唇へと近づける。
すると、半分ほど飲み終えた太田がペットボトルの蓋をしめながら、
「のぉ、隆太君。わしの頼みごとを一つ訊いてはくれんかの」
そう告げた。
唐突にそう言われたことで、隆太の手は止まった。動きを静止したまま太田の方を見やると、なんだか切実そうな目をしていた。
隆太はペットボトルを下ろし、話を聞く姿勢をとった。
「僕にできることなら」
隆太の言葉ににこりと笑った太田は、話の続きを口にする。
「もしも、じゃ。もしも君に今日不幸なことが起きるとする」
「ええ」
隆太の感じたそれは、老人の憂いのような、切なくて悲しそうなものだった。だからというわけではなかった。ただ隆太は、この老人の話を、最後まで聞くことにした。
老人は空を見上げた。
「その時、神様を恨まないでほしいんじゃ」
「神さま・・・・・・・?」
突拍子もない話だったが、身構えていた以上のことではない。そんなことでいいのなら。隆太はそう思って、頷いた。
「わかりました」
きっと敬虔な信徒なのだろう。神様を恨まないでくれ、とは何とも優しい人だ。
太田は天を見上げるその瞳を下ろさず、ただただにこりと微笑んで、
「ありがとう。君ならば、きっといい人生を送れるに違いない」
そうつぶやいた。
――――この時、隆太はうなずくべきではなかった。是が非でも首を縦に振ることをしてはならなかった。それは自分を破滅へと導く開演の合図。凱旋の歌が鳴り響く。地獄はすぐそこだ。
――――その三時間後に野口隆太は、交通事故にて死亡したのだから。