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41. 選択は幾つもの織りがあります(本編)



仄暗い曇天の下でも、春を迎え咲き誇る花々や静まり返った街は変わらず美しい。



はらはらと舞い散る灰に、灰除けの魔術があちこちで星屑のように煌めく。


風に混じる程度ではあるが、火の予兆を絶えず発し降り続ける灰にも穢されることなく、ウィームの街は静謐な強さを湛えているように見えるのはネアばかりではないだろう。



不謹慎な言い方をするのであれば、そんなウィームも格別に美しかった。



不穏なものに晒され、それでも凛々しく清浄である美しさは不思議な強さで胸を打つ。

ましてや、そんな街を駆け抜けてゆくリーエンベルクの一台の美しい馬車を見れば、その思いはいっそう募るのだろうか。



カラカラと、馬車用の轍を踏んで石畳を走る馬車の車輪の音は静まり返った街の中によく響くだろう。


家々の窓には人影があり、灰が降りしきる街の中を走ってゆく馬車を見送ってくれる。

中には、あまり外出を推奨されない日であるというのに、わざわざ玄関先に出てきてくれて頭を下げている住人達もいた。



警備上の問題で今日は馬車の窓からエーダリアの姿は見えないのに、この馬車には大事なウィーム王家の最後の王子が乗っていることを、みんなが知っているのだ。





「妖精馬さんは重くないのでしょうか……………」



窓の外から視線を戻し、ネアはずっと気になっていたことを口にした。

実は現在、妖精の馬に牽かれて石畳を走る馬車には、本来であればこの馬車に乗りきらないだけの人数が押し込まれている。


昨年まではこの馬車に、エーダリアとヒルド、護衛役を引き受けた二人の騎士が乗り込んでいたのだが、今年は騎士達は会場での合流となり、街の様子を見ながら一足先に向かってくれている。


そして今、馬車には、エーダリアとヒルドに加え、ネアとディノ、ノアとアルテアにネアのポケットに隠れている綿犬というなかなかの人員が乗り込んでしまっていた。



「四頭立ての馬車ですから、問題ないでしょう。妖精馬達は力が強いですからね」

「だが、このような空間の併設魔術があるのだな……………」

「店や家の違法併設と似たようなものだよ。特定の空間の中に余分を足して、表面からは元通りに見えるように均しておくんだ。まぁ、六人用の馬車でも良かったんだろうけど、ちょっとした嫌がらせだよね。何でもこちらに余分になる不確定要素は、増やしておいた方がいいってこと」

「そうか。そのようにして、手数を増やしておくのだな……………」



感心したようにエーダリアは頷き、空間を継ぎ足す魔術は有用なのだなと呟いている。

ここまでの自然な併設を可能にするのは高位の魔物くらいのものなのだが、その点、リーエンベルクにはディノもノアも同居しているので難しいことではないだろう。


四人乗りだと思いそれに見合っただけの戦力で襲撃された場合、実は六人乗っていましたという展開は月並みだがそれなりの効果を持つ。



(おや、……………?)



ここでネアは、すいっと身を屈めてネアのスカートの裾を少し持ち上げたアルテアに、眉を寄せた。


上から贈り物の特別なケープを羽織ってしまっているのだが、リーエンベルクの歌乞いの本日の装いには、綿犬というオプションがある。


すやすや寝ているからという訳ではないが、アルテアに何か含みがありそうだという理由から、ドレスのポケットに潜まされた綿犬の存在は伏せられていた。



今日は、珍しく出かける時間の少し前にリーエンベルクに来たアルテアだが、諸事情から来た直後に十五分程姿を消すという珍しい事が重なった。


とある仕事の交渉で不手際があったらしく、あらためて馬車の前で待ち合わせとなったのは、なぜだったのだろうか。



ネア達はネア達で、ヒルド経由でイーザとも連絡を取ろうとしたのだが、なぜか一向に連絡がつかないので、ヨシュアな綿犬はそのままネア達の手元でお預かりとなっている。


なお、埒があかないのでと焦ったネアが荒技を提案した結果、綿犬とは、アルテアが戻るまでの僅かな時間だったものの綿密な打ち合わせが実現した。


本人からの事情聴取によれば、ヨシュアを綿犬にしてしまった呪いは、サルルカムという魔物が直々に渡しに来たのだそうだ。


友人関係の上であればそのような捻くれた付き合いを楽しむ魔物達もいるが、ヨシュアとその魔物は個人的な接点はなく、姿を隠すことなく呪いを持ち込んだ以上は、宣戦布告と取られても仕方ない。


それが、雲の魔物個人を狙ったものなのか、火の慰霊祭で火消しをする予定の魔物を封じようとしたものなのか、短い時間で正確な判断をするのは難しいだろう。


なのでイーザは、敢えてそれは火の慰霊祭を標的として成された事であるという判断の上、時間が経てば戦力になる綿犬なヨシュアを、秘密裏にリーエンベルクに届けてくれたのだそうだ。


表からリーエンベルクを訪れることをしなかったイーザの警戒の理由として、リーエンベルクに出入りしている誰かの目を警戒したのではないだろうかという深読みをしておき、ネア達は綿犬の存在をアルテアには伝えていない。



そんな状況でスカートの裾を持ち上げられたので、ネアは内心ひやりとしていた。



(でも、馬車の仕掛けなども話してしまうのだから、ある程度は問題ないのかしら?それともここにいる以上は、外とは連携を取れないから構わないのかも?)



ネアの黒にも見える深い紫色のドレスの裾に触れたアルテアの白い手袋が、はっとする程に鮮やかに見える。



「…………念の為に伺いますが、アルテアさんは何をしているのでしょう?」

「火除けの守護の付与だ。俺の魔術は、煙を使うものもあるからな」

「ディノ、使い魔さんが私のスカートをぴらっとします………」

「彼の言う通り、火除けの守護を付与してくれているようだよ。………アルテア、持ち上げ過ぎないようにね……」

「わざわざ屈んで、服裾を手のひらに乗せたくらいだろうが」

「一瞬、守護をくれる風にしてスカートを捲られたのかと思ってしまいました。きりんを出すところだったのですよ?」

「ふざけるな。やめろ」




(何か、変わった様子はあるのだろうか………)




本日のアルテアは、艶やかな濃紺の盛装姿だ。


艶のあるシルクのような布地を敢えてマットにするような加工をしたスリーピースは、光の加減で布地の表面の模様が浮かび上がるのだが、ちらりと見えた感じだと、掠れた木目のような繊細な模様が、どこか人間の持ち得る種類ではない優雅さを引き立てていた。


今日のアルテアの役どころは、ネアの契約の魔物の擬態である。


黒髪に青い瞳の擬態姿は、少しだけスノーに落とされた調印の呪いの時のものに似ていて、ネアは、どこからこの魔物の瞳にこちらをひたりと窺うような暗さが灯ったのかを考えてしまう。


再びリーエンベルクに戻った時も、その様子には変化はないように思えたが、唯一いつもと違う部分があるとしたら、現在のウィームで起こっている火の障りに対して、ネアがまた事故っていないかどうかという軽口を叩かないくらいだろうか。



些細な事ではあるが、魔術は言葉にも秩序を求める力である。


もし今回の一件にアルテアが関わっているのであれば、そこに触れないということはあり得るのかもしれない。



(ディノは、あくまでも可能性として認識しておけばいいよと話してくれたけれど………)



魔物は気紛れだ。


ディノ曰く、もしアルテアが何らかの思惑を隠していたとしても、どれだけその条件が整っていても、それが今回の事に紐付くという確証はないらしい。


もしくは、何かを企てかけてもあっさり放棄してしまったり、この先の目的の為の整備や仕込みの一環に過ぎなかったり。

慰霊祭周りの異変には噛んでいたとしても、誰かに玩具だけ与えておいて、その実はこちら側だったという事もあり得る。


ただ、今回の慰霊祭では、ディノがネアの隣に居られない事をアルテアは知っていて、だからこそディノは、この問題に触れざるを得なかったようだ。



(…………でも、ディノの歯切れが悪いのは多分、ある程度はアルテアさんが噛んでいる事を突き止めていて、とは言え、その真意を測りかねているからじゃないかな。………何となく、私があまり心を揺らさないように、言葉を選んでくれている気がする………)



彼はとても退屈していて、暇潰しに、ネアやノア、エーダリアや、いつものわいわいやっている仲間達を傷付けるような事をしているかもしれないよだなんて、ディノには言えないのだろう。



何しろそれは特別な酷い事ではなく、魔物は、時として人間と同じようには考えず、人間が同意出来ない事をする。

そんな資質を承知で魔物というものを理解してくれるかどうか、ディノは、アルテアに対してネアがどう判断を付けるのか分からないからこその苦悩である気がした。



(私はそういうものは平気なのだと言えればいいのだけど、今日のような日にそんな事をされたら、それとこれは別だと言わんばかりに、私は傷付いたりがっかりしたりするのだろう…………)



魔物が気紛れなら、人間は我が儘なのだ。


ぐぬぬと眉を寄せて考えてしまいそうだが、幸いにも、表情には変化が現れない自信がある。


懸念や不安にこそ静まり返ってしまう心の水面に、ネアは、呆れるほどの自分の冷淡さを思い出していた。



(もし、アルテアさんが、今日の慰霊祭を利用して何か良くないことをしようとしているのなら……………)



自分は冷静に対処出来るだろうかと考えれば、どうやら出来るらしい。



自分の伴侶がとても傷付くに違いないと不安がるディノに対し、ネアは、当然のようにそのような事もあるだろうと考えてしまう人間なのだ。


その上で、これはどうにかならないだろうかと考えている。



(だって、多分、心というものはそういうものなのだ………)



強い風が吹いてもいいようにかちりと心の扉を閉めておき、未だ健在なその錠前の頑強さにこの扉を作った日々を思う。


ネアの心もこの通り、やっと手に入れた幸せにぬくぬくと甘え、どれだけ心を緩めて伸びやかに過ごしても、それ迄に作り上げてきたネア自身の心の形が変わる訳ではない。



(…………だから私は、アルテアさんに、私の大切な人達を傷付けようとしたら許さないとは言えても、私にとって不都合な事をしないで欲しいとは言えないのかな………)



明確な敵として振る舞うのなら抗うばかりだが、対岸に渡り、ただ、こちらとは折り合わない邪なものとして過ごすことにしたと言う相手の場合、それを止める言葉など用意しようもない。


けれど、それでもならぬと言えないのは、ネアの無力さ故なのだろう。


力は一種の傲慢さでもあって、それを躊躇いもなく使える人は、あなたがどうであれ、それをしないで欲しいという言葉を容易に使えるのだ。



(この火の慰霊祭ばかりは駄目なのだと言おうとしても、それはやはり私の側の理由でしかない事だし、いざとなったら、使い魔さんの主人としての責任を果たして、ウィームに被害が出ないよう企みを止める覚悟はあるけれど、…………その時はきっと、アルテアさんと決別する時なのだと思う………)



今迄のどの時とも違う。

約束が強くなったからこそ、ぶつかるその時は手を離すしかなくなる。

だから強欲な人間は、どうにかそうならずに済むようにと、狡い事ばかりを考えてしまうのだ。


私情が絡む戦略程ずたぼろなものもなく、結局、どれだけ考えても、最悪の事態になってしまわぬように自分がどう振る舞うべきなのかという答えを、ネアは出せなかった。




やがて、馬車は今年の火の慰霊祭の会場前に到着した。



ここまで来ると、大雑把なネアはもう、なるようになるがいいという開き直った気持ちになってしまう。

大切なものを傷付ける者は打ちのめし、もしそれがアルテアだった場合も、取り敢えずは打ちのめしてから持ち帰ってゆっくり考えよう。



だから今はただ、初めて目にする火の慰霊祭の会場に見惚れる事を堪能しようと思う。





(……………綺麗、)



慰霊祭の会場に対して、そんな印象を抱くのは間違っているかもしれない。


けれども、豪奢な灰色地に白の織り模様がある天鵞絨のような質感の素材の布を張り巡らせた天幕の大きさや、その入り口に続く漆黒の絨毯の美しさに目を奪われてしまう。


特に漆黒の絨毯には、銀糸で星と雪の模様が織り込まれており、黒の豊かさを際立てる上品なその意匠は溜め息を吐きたくなる程だ。


エーダリアの装いといい、慰霊祭で好まれる色彩は黒なのかもしれない。

ネアの感覚であれば、そのような場面は白なのだが、この世界では貴色にあたる白を、それだけの分量で使うことは難しいだろう。



馬車が完全に停まってから、ネアは隣に座ったディノの顔を覗き込んだ。

心配そうな目でこちらを見た魔物は、さらりとした守護ばかりの温もりが滲む口付けを頬に落としてくれる。



「では、私たちはここで降りますね」

「儀式が終わるまでは会場の横に待たせておくと聞いているから、私は、ひとまずはこのまま馬車の中にいるよ。併設空間を設けたことで扉を開けずとも出られるようになったから、暫くしたら、もう少しそちらに近いところにいるかもしれない」

「はい。…………私が目を離した隙に、危ないことをしたり、体を冷やしたりしてはいけませんよ?」

「うん……………」


きりりとしていたのに、最後に言われたことが嬉しかったのか、ディノは恥じらうように頷いた。

魔物曰く、離れているときのことまでを管理しようとするネアは、とても懐いているらしい。


懐くもなにも伴侶なのだと一言申せば、ディノはなぜか片手で目元を覆ってしまった。



「アルテア、この子を頼んだよ」

「…………ああ。少なくとも、余計な騒ぎを起こさない程度には、見張っておくさ」

「………なぜでしょう。そう言われるとむしゃくしゃします」



そう呟いたネアに、アルテアはふっと淡く微笑んだような気がした。

僅かな表情の温度の変化におやっと思ったが、ネアがその顔を見上げるより早く、アルテアは表情を戻してしまう。



「僕も、少し遅れて違う場所から入るよ。同じ馬車にいたというよりは、そちらの方が説明が楽だろう」

「あら、ノアも後からなんですね」

「今回は、来訪者席だからね。この慰霊祭が、古い魔術の決まり事に則ったもので良かったよ」



ダリルやリーエンベルクの騎士達が既に到着している会場まで無事に辿り着けたのでと、ノアは、後から馬車を降りるようにしたようだ。


併設空間部分を見えないようにしてしまえば、馬車に残っている人達はいいのだろうかと訝しまれることもない。


なお、来訪者というのは、古くから受け継がれる正式な魔術儀式においては必ず用意される、見ず知らずの人ならざる者達に解放された貴賓席のお客の名称だ。


どんな土地にも人知を超えた生き物達が暮らしており、その土地で行われる魔術儀式にさもここの代表ですと言わんばかりに顔を出す事は珍しくない。


ましてや、この慰霊祭のように鎮められる側に人ならざる者達が名を連ねる場合は、そちらの知り合いである可能性があるので受け入れるしかなく、そのような場合は、儀式を行うエーダリアの裁量で受け入れる事になる。


つまり、あまり無茶は出来ないが、よく知らない人ですと言える立場のお客に扮することが出来るのだ。



「ああ。ではそうしてくれ」

「離れていてもこのくらいの距離なら足場を繋げるし、会場には他のウィームの住人達もいるからね。………ヒルド、それでも何かがあったら僕の名前を呼んでいいからね」

「ええ。遠慮なくそうさせていただきましょう」



こつこつと馬車の扉が叩かれ、ヒルドが扉の内鍵を解除すると、両開きの扉を開いたのは会場の入り口の警備を任されている街の騎士達だ。


馬車の降り口には灰色の花びらが振り撒かれていて、用意された魔術仕掛けのタラップでゆっくりと降りる。


漆黒の絨毯を歩くと、どこからともなく歩み寄った正装姿の騎士が二人、エーダリアの背後に並んだ。


慰霊祭の間にエーダリアの護衛騎士となるゼベルとリーナは、隊長格のグラストを外せば事実上、一席と二席にあたる騎士達だ。

グラストは歌乞いになるので、伯爵位ということになっているゼノーシュの意向も踏まえてこの会場にはいないとされているが、今回はネア達も同席するので、あえてエーダリアの護衛をゼベルとリーナにし、グラストとゼノーシュは街を脅かす火の対策に回ったのだろう。


開場まではここの警備をしていたので、擬態しどこかに潜んでいるのかもしれないが、グラストについては、このウィーム中央所属の街の騎士達や領内の各騎士団や騎士隊の全てを統括する騎士団長としての役目もある。


慰霊祭にはダリルも参加してしまうので、天幕の外で司令塔になれる貴重な人材として外で活躍しているような気がした。



(今日のノアは、あくまでも人外者のお客という扱いだから、ゼベルさん達でしっかり固めるのかもしれない……………)



この会場に入るのであれば、騎士に扮してエーダリア達についてもいい筈のノアだが、今日ばかりは人間に擬態する訳にはいかない事情がある。

この会場に集まる全ての人間達は、統一戦争で犠牲になった火の系譜の者達の為に祈らなければいけないのだ。



りぃんと、水晶のベルを鳴らしたような音が響いた。



中に入るとすぐに鎮魂の鐘が鳴らされるとは教えられていたが、予想よりもずっと硬質で澄んだ音が体に響く。


いつもだったら立ち止まりかけたネアの方を意地悪な目で見てもいい筈のアルテアだったが、今日ばかりはなぜかこちらを見る気配もない。


アルテアの腕に手をかけさせて貰っているので無用心ではないが、やはり何かが違うような気もする。




ネア達はエーダリアから少し距離を置き、誘導路の漆黒の絨毯を歩いた。

ウィームの住人達がいる他に、あまり見慣れないヴェルリアの貴族達もちらほらと姿が見られる。


壇上に上がるエーダリアと別れたネア達の席は、ウィーム側の席の最前列だ。

前を遮るものがない為に、貴賓席の近くになれば、ヴェンツェル王子やその近くに座った痩せぎすの男の姿がよく見えた。



(あの人が、デルフィッツ子爵…………)



ひょろりと背が高い壮年の男性で、狡猾そうな細面の顔は、見ようによっては魅力的だと思う人もいるかもしれない。

だが、エーダリアを一瞥しての冷笑めいた表情を見ただけで、ネアの機会があれば踏んづけておきたいリストの上位に躍り出た。


貴賓席には中央の儀式祭壇に近い席から、エルゼ、ヴェンツェル、ドリーと並び、ひと席空けて従者に挟まれる形でデルフィッツ子爵が座っているので、通路側に座ったアルテアの隣が、通路を空けてエルゼとなる。



ゴーンゴーンと鐘の音が鳴った。

エーダリアは開会の合図のようなものもなく、無言で貴賓席、そしてその他の参加者達に優雅にお辞儀をする。



慰霊祭は、多くの言葉を発しない儀式なのだそうだ。



これには、魔術儀式と言うよりは政治的な意向も過分に含まれ、当初この慰霊祭を仕切ったヴェルリア側の貴族達は、ウィームとの関係を悪化させたくないのだが火の系譜を鎮めなければならず、それを沈黙と祈りで誤魔化すという手段に出た。



魔術の鈴と鐘の音、そしてさざめきのような静かな聖歌とガレンの長であるエーダリアの詠唱が行われ、最後にヴェルリア側の参加者が詠唱を重ね、また鈴と鐘の音で儀式を締める。


その全てが静謐な音楽のようで、どこまでもどこまでもさらさらと流れてゆくのは、確かに死者達に向ける祈りの声にも似ていた。


儀式そのものが終われば、王都から来ているヴェンツェルの言葉や、領主としてのエーダリアの言葉があるのだが、そこからは暫し政治的な思惑も絡むのでネア達は退出することになる。



ふっと、誰かの視線を感じたような気がした。



重なり響いた複雑な鐘の音の余韻が残る内に、この旋律を途切れさせてはなるまいと聖歌に入る。

勿論ネアは口パクなのだが、エーダリアとその僅かに後方に立ったヒルド、護衛の騎士達しか前方にはいないので、それが露見する事もないだろう。



いん、と天幕の中の空気が変わった。



聖歌は歌わずに、静かに儀式祭壇に立っていたエーダリアが、慰霊の為の詠唱を始めたのだ。



深く静謐な、けれども力強く柔らかい詠唱が体の奥深くまで染み渡るかのように殷々と響き、ネアはふうっと深く息を吸い込む。

清廉な水のようで、豊かな夜のようで、エーダリアの詠唱はやはりとても心地良い。


漆黒のケープに刺繍の彩りが同じ黒の色味を違え、祝福石に天幕の中に下がる小さなシャンデリアの明かりが煌めく。



(ああ、エーダリア様の詠唱は好きだわ…………)



うっとりと聞き惚れ、気付けばもう長いこと聞いていた筈の詠唱は終わっていた。

ネアは目を瞬き、もう終わりなのかなと眉を下げたところで、天幕の壁際にある来訪者の席に擬態したノアを見付ける。

他にも三人ほどの人影があるのだが、なぜかノア以外の者達の姿ははっきりと見えない。


認識を阻害するような魔術を敷いているのかなと考え、続くヴェルリア側の参加者による詠唱を待った。



(……………知らない人だ)



ここで席を立ち壇上に上がったのは、ネアが初めて見る美しい女性であった。

見事な金糸の髪を複雑に結い上げ、艶やかな真紅のドレスに身を包んでいる。

華やかな夜会のドレスとは違う上品なデザインではあるが、やはりこの会場でその色彩は目を射る強さであった。



そうして始まった詠唱の中、ネアはこの女性の詠唱もなかなかだぞと耳を傾けた。

うら若き乙女というよりは子供がいてもおかしくない年齢の女性のように見えるが、優雅に微笑んではいても決して隙を見せてはならない獰猛さが僅かに垣間見える気がする。



リィン、と魔術を敷き並べる鈴が鳴った。


そこに一つ、また一つと鎮魂の鐘が鳴り響き、全ての詠唱を終えた真紅のドレスの女性が優雅にお辞儀をして壇上から下りる。



ネアはふと、儀式が始まってからまだだれも話をしていないのだと気付き、天幕の中の荘厳な空気に背筋を伸ばした。



(この鐘の音が鳴り終わったら、慰霊祭での私の役目は終わるのだわ。……………エーダリア様の最後のお辞儀の後、慰霊祭についてのお言葉が始まってしまう前に、立ち上がってお辞儀をして天幕を出る。………転換が短いから、出遅れないようにしなければだわ………)



ネアが知っている儀式や祝祭は、明るい趣旨のものではなくとも華やかなものが多かった。


花びらも舞わず、きらきらと光る魔術の光や、エーダリアからの言葉にわっと沸く領民達の声も聞こえないこの会場は、やはり慰霊祭らしい空気と言えるのだろう。



そんな事を考えていると、隣のアルテアが小さく身じろぎしたような気がした。

ぎくりとして視界の端にその姿を捉えたが、見える限りは特に変わった様子はない。



ネアは、先に退席の動きを取ったデルフィッツ子爵を意外に思いつつ、こちらも壇上のエーダリア達と、貴賓席のヴェンツェル達、そして後方の席の他の参加者達にお辞儀をして席を離れた。




(……………何も起こらずに終わったみたい………?)




ほっとしてしまったネアが、気を緩めたその時だったからなのだろうか。


雪降る星空のような漆黒の絨毯を歩き、会場との仕切りの内扉に相当する美しい天幕のドレープをくぐり抜けたその直後に、ネアは見ず知らずの青年に手を掴まれた。


外に繋がる出口までのその小さな空間は、薄暗く閉ざされている。


そして不幸なことに、ネアは最前列からの最後尾での退出者だった為、後ろから来る者はもういないのだ。



「………………………っ、」



咄嗟の時、人間は思わず声が出せなくなるものらしい。

ネアは鋭く息を吸い、自分の手を掴んだ青年を見上げた。



(こんな人は、会場にいただろうか……………)



そう考えかけてぎくりとしたのは、顔も見えない程の大きな傘のような三角帽子の参加者を見た記憶がないからだ。




(でも、……………よく似た雰囲気の人をどこかで見たことがある気がする……………)



なぜかアルテアは、その手を引き剥がすこともなく静かにこちらを見ただけで、うんざりしたような冷ややかな気配を纏っている。

表面的には面白がるような酷薄な微笑みを浮かべてはいるものの、その微笑みは美しいばかりで仮面のようだ。



「……………言った筈だろう。今日は取り込んでいる。積み上げたものを無駄にしたくなければ、今度にしろ」



その声音は静かで、ネアは、アルテアにそう言われた青年が、ネアの手首を掴む指にぎりりと力を込めたのを感じ眉を顰める。



(…………あ、)



そこでやっと、ネアは気付いた。

三角帽子の青年が着ているお仕着せは、デルフィッツ子爵の従者のものではないか。



「何か御用でしょうか?お話があるのだとしても、このようにいきなり女性の腕を掴むのは、失礼だとは思いませんか?……………あなたは、デルフィッツ子爵の従者の方ですよね?」

「いやなに、あなたが身に纏うおかしな魔術を見過ごせなくなりましてね」

「……………私が、でしょうか?」

「古い友人に声をかけようとしたのですが、あなたはどこか妙だ。……………ほら、やはり、今日の事件の首謀者は…」



デルフィッツ子爵の従者の服をそのままにしていた青年は、続けて何かを言おうとしたのだろう。

けれどもその瞬間、ネアは思いがけない力で後ろに引っ張られ、続けざまにだしんという鈍い音がした。



「……………まぁ」



思わずそう呟くしかなかったのも致し方あるまい。



目を瞬けば、先程までネアの腕を掴んでいた青年が、いつの間にか床に引き倒されており、うつ伏せになったその背中をアルテアは容赦なく踏みつけている。


これはもう退治してくれたのだろうかと考えかけたネアは、不吉なぱちぱちという音を耳元で聞いた。




「…………そうか、このような体でその人間から手を離したか。あなたはつくづく残酷な人だ。そうやって守っているふりをして殺してしまう」




笑いを滲ませた声で青年が言い終えるや否や、ネアは、ぼうっと燃え上がった炎に包まれた。






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