4. 傘選びは難航します(本編)
ネア達はその日、傘祭りに散歩させる傘を選ぶ為に封印庫を訪れていた。
ウィームにある封印庫は、円柱の立ち並ぶ神殿めいた壮麗な建物で、とは言え宗教的な施設らしい気配はなかったので、ネアは偉い王様か誰かの霊廟のような施設だと思っていた。
収められる品物的には廟と言えなくもないらしいが、ここは魔術的な封印を施された品物達が封印される封印庫なのだ。
(思えば、封印強化の為の詠唱をする姿を、鎮魂の儀式のようなものだと思っての勘違いだったのだけど、…………)
ふと、その時の記憶を辿れば、あのような儀式を行っていたくらいなのだから、ネアが見た時は何か困ったことが起きていたのかもしれない。
今ならすぐに力になれたのにと、ネアは少しだけ遠いその日のことを、僅かに悔やんで息を吐いた。
すると、こちらを見た魔物が心配そうに水紺色の瞳を翳らせる。
本日の擬態では、真珠色の髪の毛はネアと同じ青灰色にしてあり、ネアの大好きな少しだけ軍服のような雰囲気のある濃紺のコートを着ていた。
「緊張しているのかい?」
「いいえ。ごめんなさい、紛らわしかったですね。こちらに来たばかりの頃に見たものを思い出して、その頃には、私のお手伝い出来なかった大変な事も色々あったのだろうなと考えていました…………」
そう言って魔物を安心させたネアに、ちらりと振り返ったエーダリアが小さく目を瞠り、瞳の色だけで、そんな事を考えていたのかと言わんばかりに柔らかく苦笑した。
(そう言えば、その頃はそもそも、エーダリア様とも緊張感のある関係だったな…………)
そう考えると、何だか感慨深い。
初めて一緒に封印庫に来た時には、エーダリアはまだ、銀狐の正体がノアであることも知らなかったのだ。
なお、現在この場にはその事実を未だに知らないアルテアがおり、ノアとは先日悲しい事件があってぎくしゃくしているので、これを機にまた以前の関係に戻って欲しい。
濃灰色のスリーピース姿に帽子をかぶったアルテアは、白いシャツに濃紺のクラヴァットを巻いている。
今回は目的の封印室に保管されているものが、このアルテアの手による呪具だった可能性が高く、万が一に備えての同行となった。
白い髪は黒髪に擬態しており、薄闇で光を放つような鮮やかな赤紫色の瞳はそのままだ。
人間が出会うには不穏さしか感じない凄艶な美貌の魔物を同伴するのは申し訳なかったものの、こちらは使い魔でしてと説明すると、封印庫の魔術師達は若干唖然としたまま頷いてくれた。
その際、アルテアからは鼻を摘まれてしまったので、怒ったご主人様は帰ったら美味しい氷杏のパイを献上するように言いつけてある。
(それにしても、何度来ても壮麗で美しいところだわ………………)
かつこつと白大理石の床石を踏み進むと、屋根のあるところからは、白大理石が見事なモザイク床に切り替わる。
装飾としても充分に美しいこの床は、封印庫の術式を司る重要なものだ。
見上げた立派な円柱は、ウィームの雪景色の中で清廉というには硬質な神々しさを纏い、ここが特別な場所だとその威容から知らしめている。
白大理石の建物は明らかにウィームの他の建物とは建築様式が違うことでも目を引くのだが、この建物の構造などは全て、封印庫としての役目を最大限に引き出す為のものなのだとか。
「本日は傘選びにお越しいただき、誠に有難うございます。今回は少々気難しい傘がおりますので、封印庫の内部も魔術が騒めいております故、足元にはご注意下さい」
柱廊に並んだネア達に、まずは諸注意を伝えてくれたのは、封印庫を守る有名な三人の魔術師の一人だった。
三人お揃いの羽根つきのベレー帽をかぶり、銀鼠色のローブからは、下に着た真紅の長衣が覗いてその鮮やな色合わせにはっとする。
真ん中に立つ一番背の低いこのご老人が、難攻不落とも言われる封印庫の責任者になるのだが、いつもにこにこしている優しいご老人にしか見えない。
「ビーズの腕輪はお持ちですね。…………ええ、それがあれば、大概のものは退けられるでしょう」
魔術師達は、エーダリアが示した今年もまたもや白いリボンのビーズの腕輪に、今はもう驚くことはなくにっこり笑って頷いた。
この腕輪は傘祭り用に作られて装着するもので、繋いだビーズの両端にリボンを通し、手首にリボンをきゅっと結ぶことで腕輪とする。
ビーズは祝福や守護のあるものを特別な糸に通して繋ぐのだが、あまり凝ったビーズ編みにすると魔術が混線するので、シンプルなものが推奨されていた。
この時期はあちこちで美しいビーズが売られており、ネアは、リノアールで買ったものとアクス商会に注文しておいたものを合わせ、氷の断面のような水色と澄んだ菫色、透明度の高い夜紺色やよく光る雪白などを合わせて冬の色彩の腕輪をたくさん作った。
ディノの指輪を持つネアにしか扱えない色もあり、やはり白色はその階位で持ち手を守ることも多い。
ネアの作るビーズの腕輪は好評なのだ。
「ここのビーズってさ、僕の色っぽくない?」
「ふふ、確かにノアの髪の毛の色合いのようですよね」
こそこそっとネアに話しかけてきたノアは、人型での参加なのでビーズの腕輪をしている。
ちょっぴり得意げなのは、初回参加の時は銀狐姿が求められた為、ビーズの腕輪ならぬ、ビーズの首輪だったからだろうか。
「ふむふむ。そうなりますと、そちらの防具も使い終えたら、封印庫でお預かりした方が宜しいかもしれませんね」
「ああ。調伏を終えてからまた相談させて貰うが、睡蓮の系譜は、前の歌乞いの問題から気を付けるようにしている。使い終えた防具についても、あらためて状態を調べて考えようと思う」
「それが宜しいですね」
前を歩くエーダリアと、封印庫の魔術師達は何やら仕事の打ち合わせのようだ。
小柄な老人達の後ろ姿を見ていると、歩幅に合わせてローブの裾から覗く長衣のふくよかな真紅が、彼等が身に纏う聖職者のような気配を縁取り、見ているこちらも気持ちが引き締まる。
赤にも色々な効果があるものの、封印庫の魔術師達の長衣は、厳かな色として認識させられるのだ。
彼等はウィームの領主が訪れているので直々に歓待しているという訳ではなく、勿論エーダリアもそのような特別扱いを好まない。
なのにこの傘選びの度に三人が揃うのは、様々な管理権限を持ち、魔術の大家でもあるエーダリアの訪問時に、歩きながらあれこれと打ち合わせを済ませてしまう為の時間節約なのだとか。
今度は、封印庫に新たに運び込まれた兎絵という呪物の話をしているようで、ネアは意識を研ぎ澄ませた。
どうやら、兎の絵柄を織り込んだ絨毯が村一つを滅ぼしかけたという恐ろしい事件が起きていたそうで、その絨毯は回収された後、封印庫に持ち込まれることになったようだ。
ネアはもふもふ兎に会えるのかなと興味津々で聞き耳を立てていたのだが、危険を察したらしいエーダリアがはっとしたように振り向き、その後は音の魔術を展開されてしまった。
「むぐぅ…………」
「ネア、絨毯に浮気をしないようにね」
「人間には誰しも、えいっと身を投げ出しても潰れてしまわない、丈夫な絨毯兎さんに身を委ねてみたい憧れがあるものなのです…………」
「絨毯兎なんて……………」
「お前は話を聞いていなかったのか。そいつは、村人を食ってたんだろうが…………」
領内に困ったものや恐ろしいものが現れた際、それを滅ぼすのか封印するのかが問われることになる。
ネア達が任される事件は滅ぼす系のものが多いが、単純に力足らずではなく、魔術的な理由で滅ぼしてはならないからこそ封印するしかないものも多くあった。
つまりここは、その封印に回された品物が集まる最後の砦なのだ。
そして、これからネア達が訪れる部屋には、そんな封印庫の魔術師達が三人で管理しなければならないくらいに厄介なものが封印されているという。
(呪いの傘…………。どんなものなのだろう………)
ウィームではこの季節、封印庫に集められた傘達を昇華させる為の儀式、傘祭りが行われる。
街中に色とりどりの傘が溢れ、空を飛んだりくるくると舞い踊ったりするし、最後に上昇気流に乗って空に舞い上がる様は壮観だ。
その美しい光景を見る為に観光客も大勢来るそうだが、決して穏やかな祭りではないので注意が必要になる。
当初、傘祭りというものがあると知ったネアは、散歩させるという行程は謎に包まれているものの、さぞかしおとぎ話的な光景かなと思っていたのだが、強いて例えるなら牛追い祭りに近しい。
上品で優雅なウィームの民の荒ぶる祝祭の一つで、可憐なご婦人もドレスの裾を持ち上げて荒ぶる傘と勇ましく戦う。
たいそう過激なお祭りなのだ。
祭りの前に領民達は、領内から昇華の必要な傘が集められた封印庫の傘部屋を訪問し、それぞれが気に入った傘を選ぶ。
選んだ傘はラベルを付けてもらい、当日に受け取って街を散歩させるのだが、公的な儀式参加が決まっている者達から優先的に傘を選ぶので、ネア達は毎年エーダリアの傘選びの際に一緒に封印庫を訪れていた。
ネアやディノは、領民達には任せられない危ない傘を引き受けることが多く、今年はまず間違いなく、その呪いの傘とやらを扱うことになりそうだ。
「それにしても、確かに内部の魔術が騒ついているな…………」
「まぁ、今年はあの呪いの傘がございますからね…………」
「いやはや、あの傘は我が儘でして。一昨年にネア様と契約の魔物様にお任せした傘も手こずりましたが、広範囲の魔術に影響を及ぼすという意味では、今年の傘はなかなかのものです」
「他の品物でもそのようなことがありますが、あの傘は、到着早々に職員が二人ほど食われてしまいましたね………」
「持ち込まれるまでに力を削いであると聞いていたが、一手間かけても、それだけの力を残しているのか…………」
「巨大な北海の竜が、小柄ではあるもののどう猛な東洋の竜になったくらいでしょうか。本来の状態では、封印庫に収めるのも難しい品物ですよ」
「掃除担当のダロリーは良い青年だったのですが、絶望的に足が遅かったので、逃げ遅れてしまいました。惜しい青年を亡くして、皆悲しんでおります」
「………もう一人の犠牲者は…………」
「ああ、あれは予算管理部署が送り込んだ監査官ですので、我々は何とも。封印魔術に予算を使い過ぎだと言われましても、術式を薄めてみたところ自身が食われてしまっては元も子もない」
「大方、前職のザルツの郵便局と同じようになるものだと、勘違いしておられたのではないでしょうかね」
けろりとした表情でそう微笑んで見せた魔術師に、ネアはこの世界にも現場と経理部署との戦いがあるのだと驚いた。
そして、ウィーム領の第二の都とされるザルツとこのウィーム中央では、時折このような不仲さが目につくことがある。
同じ領内でも力を持つ土地である為に、ライバル心のようなものが生まれるのだろうか。
(それにしても、やっぱりこの魔術師さん達は凄いのだわ………………)
かつてウィームが統一戦争に巻き込まれた際には、ダリルの守護するダリルダレンの書庫と同じように、この封印庫も中立の立場を取ることで戦火を避けた施設の一つである。
断腸の思いでその選択を取らざるをえなかったのは、ここに収められる品々の中には、ウィームという土地そのものを滅ぼしかねない悍ましいものが含まれているからだと言われている。
それが真実だからか、何らかの密約があったのか、統一戦争を主導したヴェルリアも封印庫の管理権限を寄越せとは言わず、戦後は自治権を得ていたくらいであるらしい。
(つまり、この魔術師さん達は、そのような品物の管理を許され、それを可能にする人達なのだ…………)
それだけの施設を長い間守り、そして今も現役で管理している。
ましてや、この封印庫にはシカトラームというウィームの魔術銀行への入り口が隠されており、そこの管理についてはもう、人知を超えた不思議さだと言ってもいい。
(多分、この人達はシカトラームのことは知っているのだと思うけれど……………)
この国一番の魔術師と言えば魔術師の塔の長であるエーダリアだが、そんなエーダリアですら青ざめるような世界的な最高位の魔術師達が隠れているウィームは、奥深く謎が多い。
ネアは、目の前の羽根つきのベレー帽の封印庫の魔術師なご老体達にも、きっととんでもない秘密がある筈だと、何だか誇らしい気持ちでその背中を見つめてふんすと胸を張った。
隣を歩く使い魔が、何を企んでいるのだろうとたいそう訝しげにこちらを見ているが、いい気分なので邪魔しないで欲しい。
そこでふと、前を歩くエーダリアが足を止めた。
「…………床石の魔術を少し書き変えたか?」
「ええ。土地の資質が少し変わりましたからの。ここに星の魔術を取り入れ、蔓草の術式で夜と雪を結びました。この術紋は霧の扉、調整の魔術はこちらの文言と、この辺りで敢えて星を象ったモザイクを崩し、混沌をほんのひと匙」
「…………もう一度説明してくれ」
「…………エーダリア様、その……」
一人の魔術師の説明にエーダリアが鳶色の瞳を爛々と輝かせてしまい、本日はヒルドに場の進行を任されているものか、慌てて止めようとしたグラストを遮ったのは、なぜかアルテアだった。
「……………蔓草で結んだだと?相性は良くない筈だぞ」
「……………むぅ。アルテアさんも捕まりましたね」
「アルテア殿…………」
そうなると、高位の魔物の行動には手を出せないグラストは困惑してしまい、グラストと仲良く手を繋いだゼノーシュも、相手がアルテアとなると物申せず厄介なのか、しゅんとして眉を下げた。
ゼノーシュは、白混じりの水色のくるくるとした髪の毛の下の檸檬色の瞳を悲しげにこちらに向けるので、ネアは胸が苦しくなってしまう。
こんなに愛くるしいゼノーシュを困らせるものは、決して見過ごせないではないか。
「ネア、僕もエーダリアを叱ろうと思ったけど、アルテアを説得するのは難しいな…………」
「任せて下さい、ゼノ。ゼノを困らせるものなど私が打ち滅ぼします!」
「わーお、僕の契約者は滅ぼさないで」
「アルテア、早めに切り上げるんだよ」
「………………おい、お前はいつから俺の保護者になったんだ」
ネアの意向を受けたディノが、穏やかにアルテアを叱ってくれたが、選択の魔物は窘めるような言い方がお気に召さなかったらしい。
そもそもディノは魔物の王にあたるのだが、魔物というものは各自が司るものの王であるという存在なので、高位の魔物達は皆が王に忠実な訳ではないのだ。
「ふむ。ここは私の出番ですね!右ポケットにはきりんさんが、そして左のポケットにはちびふわ符が入っていることをお伝えしておきます!」
「………………やめろ」
「はは、ネア様は怖い怖い。すぐに説明してしまいますので、ネア様、グラスト様しばしお待ちあれ」
「封印庫長、お気を遣わせてしまい申し訳ありません」
すかさず使い魔の躾を始めようとしたネアにからからと笑い、小柄なご老体がそう取り成してくれた。
丁寧に頭を下げたグラストは、いかにも騎士という雰囲気で、ここにご婦人方がいたらきゃあっと歓声を上げそうだ。
なお、エーダリアは先程からずっと、床のモザイクの術式を書き換えた魔術師からの説明を夢中で聞いているので、こちらのやり取りは全く耳に入っていないに違いない。
封印庫長と呼ばれた魔術師は、恐れも怯えも見せずにアルテアの方に向き直ると、あらためて選択の魔物にも、蔓草の術式の説明をしてくれた。
エーダリアでさえ、最初はディノを見て倒れたのだ。
擬態で髪色を変えているとはいえ、アルテアが高位の魔物であることも、御し易い相手ではないことも分かるだろうに、何とも穏やかで落ち着いた声だ。
(……………アルテアさんであれば、シカトラームにも来ているようだし、そのような意味でもここの人達は高位の人外者に耐性があるのかもしれない…………)
そんな封印庫長の説明を聞けば、蔓草の術式は本来、夜とも雪とも相性が悪いのだが、円環状にして魔術を輪にしてしまうと、夜と雪の魔術はどちらが蔓草の術式と手を組んでも腹立たしいと、我慢して蔓草と魔術を繋ぐらしい。
「星を崩しておくことで、場が安定もしませんからな。術式達の不安感を煽ることでいっそうに、結びが硬くなります」
「…………成る程な」
「人間は面白いことをするものだね…………」
「ありゃ。僕の系譜の魔術で、夜と星をそれぞれ動かしてるのかぁ…………」
うっかりディノもノアもその説明に捕まってしまい、ネアは珍しく暗い目をしたゼノーシュと顔を見合わせて悲しく首を横に振った。
魔物達やエーダリアだけの脱線なら兎も角、こうして説明してくれているのは封印庫側の厚意でもあるので、無下にも出来ない。
とは言え、心配するほどの時間はかからず、足止めは十分程の質疑応答で事なきを得た。
やがてネア達は、大きな仕掛け扉の前に立つ。
見上げる程の石扉を基盤にしてあるものの、その上に巨大な歯車が嵌め込まれ、更にはその歯車には菩提樹が生え、団栗や苺など様々な造形が彫り込まれており、三度目の対面でもやはり、この封印扉は圧巻だった。
「綺麗で不思議で、面白くて凄いです…………」
「ネアはこの扉が好きだね」
「はい。絡繰り時計のようで、素敵なんですよ!」
美しくて不思議な封印扉は、封印庫の魔術師達の詠唱やちょっとした操作で、がっこんと音を立てて、巨大な歯車が動き出す。
ネアは魔法の仕掛けのような緻密さと美しさに見惚れてしまい、ディノの三つ編みを持たされたまま、扉が開くまでの沢山の工程を息を殺して見守った。
最後に歯車が動きを止める、がこんという音がして、重たい扉がぎぎぎっと開いてゆく。
ふわりと香ったのは、水の匂いだろうか。
「…………ほわ」
その扉の向こうは、前回見た時とは大きく様相を変えていた。
呆然と目を瞠って固まってしまっていたネアを、ディノが慌てたように持ち上げる。
扉の向こうはなぜか、密林のようになっていたのだ。
大きな木々が生い茂り、蔓性植物が絡み合う。
ブーゲンビリアのような鮮やかな花を咲かせる植物に、木の幹に根を張って花開くのは蘭だろうか。
「わーお、こりゃ特殊な魔術だね」
「………………誰かが、傘にかけた術式にヒビを入れやがったな」
「驚いたな。…………これは、植物の系譜の魔術ではないのだな…………」
「うん。記憶と選択、………ありゃ、竜の魔術も混ざってるかな…………」
「…………ディノ、あの木に実っている林檎は食べられるのでしょうか?」
「ネア、これは記憶の魔術の一部なんだ。決して食べてはいけないよ?」
「…………お前は、よくこの状況でその質問をしようと思ったな?」
「む?」
ネアは、美味しそうに艶々と輝く赤い林檎から残念な思いで目を逸らし、この密林の奥に見える傘用の封印室の扉を眺めた。
何となく、熱帯雨林の中に現れた迷宮の奥に待ち受ける宝物庫の扉のようにも見えてきてしまうが、ここは雪深いウィームの街にある建物の中の筈なのだ。
おまけにネア達は、お祭りに使う傘を選びに来ただけである。
「その、…………この状態で、ささっと通れるものなのでしょうか?」
「術式から生まれた魔術の森だね。記憶とは言え、その領域に踏み込む以上は、実際の森を歩くのと同じだけの労力が必要になる。私から離れないようにするんだよ」
「……………うわ、沼地の魔術まで再現するって、その傘の核は何なのさ……………」
「誰かが、呪物そのものに妙な魔術を上書きしてあるんだ。核の問題じゃない…………」
「アレクシスが仕損じたとは考え難いが、ここに持ち込む為の措置が、悪影響を与えたのだろうか?」
「…………いや、呪物として使われていた時の改造だな。…………精霊の魔術に近しいが、誰が手を加えたのかは調べておくか…………」
赤紫色の瞳を眇め、アルテアは不愉快そうに呟く。
自分が作ったものを改造されたことに対する苛立ちだろうかと見上げると、なぜかその眼差しをこちらに向けるではないか。
「…………お前は後から来い。シルハーンから絶対に降りるなよ?離れた途端に事故ると思っておけ」
「……………アルテアさんもかなりの事故率保有者なので、ちびふわになって肩に乗りますか?」
「…………やめろ。何でだよ」
ネア達のやり取りを聞いていたグラストが、すらりと剣を引き抜いた。
「…………エーダリア様、私の後ろをお歩き下さい」
「あ、ああ。…………だが、この場では自分のことに集中してくれ。私も一応はガレンの長だからな」
「グラストは僕が守るから大丈夫!」
「グラスト、エーダリアは僕が見ているから問題ないよ。と言うか、エーダリアを守りながら渡るには、いささか難易度が高い冒険になりそうかな」
「…………そこまでですか………」
「まぁね。ほら、あの沼地の魔術は、引き摺り込んで殺す為のものだ」
「おやおや、これは我々も頑張りませんとな」
「これは、明日は腰痛で起き上がれなくなっているかもしれんなぁ…………。有給は残っていたかな…………」
「久し振りに戦闘魔術を使うとなると、わくわくしますな」
傘の封印室までの距離は、競技用のプールの一個分くらいだろうか。
戦いに備える男達の様子を眺めながら、ネアはぎりぎりと眉を寄せて渋面になる。
「…………………なぜに大冒険になるのだ」
今年の傘祭りは、まずお散歩させる傘を選ぶ封印室に辿り着くまでが、なかなかに険しい道のりになるらしい。