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お土産の葡萄酒と旅行風の乾杯




リーエンベルクの会食堂には、ネアのお土産がででんと並んでいた。

思いがけず沢山買えたので、各自一セットずつという大盤振る舞いなのだ。



「…………ひとまずは、このあたりだろうか」



そう呟いたエーダリアの言葉で、スノーの訪問における様々な報告会が終わり、時刻はすっかり夕方だ。


途中でばたばたと出入りがあったのは、ノアとこの場にはいない精霊の方のリシャードの推理における、今回の事件が何かの陰謀や暗躍の予行練習であったという可能性を踏まえてであった。



エーダリアとヒルドはヴェンツェルに一報を入れ、ダリルがリーベルを介してガーウィンの方面を探る事で落ち着いたが、今のところ、あの菓子折りはノア達の推理通りに四箱だったと考えられている。



(国王様が手に入れたものがヴェルクレアのもので、ガーウィンの領主様のところにも一つ、そしてリシャードさんの所に持ち込まれたものが、アルビクロムの領主様と懇意にしている司教様から、領外に出されたものだった…………)



ウィームのものを足せばやはり、どの菓子箱もその土地を治める場所に届くように指定されていた。


幸いにも、アルテア経由でリシャードの手元の箱が未開封だと判明し、そちらの魔術を慎重に紐解いてゆく事になったそうだ。

なお、リシャードは無事に帰宅していてくれたものの、とても心が傷付きやすくなっており、ここから事後処理を終えた後に一週間程休暇を取るらしい。


夜紡ぎの剣も無事に回収された。



「今回は、使われたのが婚姻に纏わる調印の呪いだったからさ、ナインの手元に入った箱は、獲物になるような人間の手を経由していなかったんだ」



そう教えてくれたのはノアで、男女一対で箱が開く調印の呪いとなれば、それしかないと最初から睨んでいたらしい。



調印の呪いは、各種の調印に必要な配役に相当する者を飲み込み、その呪いの中で調印に導く古の魔術なのだそうだ。


勿論、婚姻となれば新郎と新婦がまず必要になり、婚姻の儀を司る聖職者も必要となる。

だからこそあの時にノアは、聖職者が必要だと口にしたのだろう。



(………でも、人外者の方の婚姻はその限りではないので、やはりこれは、細工されたものと言うよりは、最初から人間用に作られた呪いなのだわ…………)



婚姻だけでなく、その他の様々な調印の場を内包した調印の呪いは、必ず箱型の魔術の場を設けてそれを展開させなければならない。


ただし、そのように規則が敷かれた呪いであるからこそ、調印の呪いには本来の目的を外れる使い方があり、そちらを目的として展開させる者達も多いのだとか。



「その場合は、罠や誘導路のようなものですね。条件を満たしておらず調印の魔術の祭壇に呼び込めない場合、箱の中に囚われた者は術者の下に吐き出される。…………つまり、それを悪用すれば目当ての者を攫う事も出来ますからね」

「だからノアは、急いで聖職者さんを加えてくれようとしたのですね?」

「うん。中に落とされるより、弾かれる方が厄介なことになりかねないからね」



考え込む表情を見せたのはヒルドで、僅かに顰めた眉が瑠璃色の瞳を悩ましく見せる。

今回の旅先で見かけたのが人間ばかりであったからか、清廉な妖精の美貌にネアはこっそりその眺めを堪能した。



「………古く精緻な魔術ですが、魔術の理においての有効性が高いので、よく秘密裏に売買されているそうです。私の所へも幾つか届いた事がありますから、王都では珍しいものではありませんね」

「ヒルドさんにも、送りつけられたのですね………」

「わ、私は聞いていなかった…………!」

「おや、その頃のあなたは、まだ小さな子供でしたよ?そのような話をしてもいたずらに動揺させてしまうだけでしょう」



ヒルドがにべもなく手を振れば、エーダリアは、ヒルドがそんな呪いを受けていたことに気付いていなかった自分を恥じるように顔を歪めてしまう。


しかし、にっこり微笑んだノアが、そういうものを一掃したのが、エーダリアの使った禁術だったのではないかと指摘すれば、ほっとしたように安堵の息を吐き、ヒルドを苦笑させていた。



(………でも、品物としても流通している呪いであるなら、足取りを追うのは難しいに違いない…………)



てっきり、珍しく恐ろしい呪いなのだろうと考えていたネアは、あれだけの事を可能とするものが珍しくもないと知り驚いてしまった。


でも、そうかと思う。

ここは、そのような世界で、だからこそネアはこの世界だと息がしやすいのだと。




「リーエンベルクにも何度か届いたことがあるぞ。騎士達を目当てにした婚姻のものが多いが、財産の贈与の箱が届いたこともある」

「………このリーエンベルクを、勝手に相続しようとした不届き者がいるのですね?」

「…………安心するといいと言うべきかどうか分からないが、その箱を届けたザルツ近くの町に住む男爵は、ダリルに捕らえられた。……………その後の顛末は聞いていない………」

「ありゃ、聞かない方がいいやつだね………」

「ダリルさんが持ち帰られると、とてつもない安心感があるのはなぜなのでしょうね…………」



精緻だが清貧な魔術は、それ故に強い力を宿すことがある。


それなのに、使われる系譜の魔術を編み上げることの可能な者であれば、調印の呪いはいとも簡単に作れるものなのだそうだ。



「聖職者役の方は主役格ではないので、呼び込まれるにせよ、帰るにせよ、同じ組の主役格が動かなければ帰れなかったのですね………」

「だから、一つの箱は開いていないのだな。未開封で残る魔術があるのは有難いし、その精霊が自らの手で犯人を調べ上げると話しているのも心強い」

「リシャードさんは、何度も犯人に報復するとお話しされていましたからね…………。そう言えばアルテアさんは、ご自身が聖職者の役割である事はご存知だったのですよね。お仲間を探さなければ帰れない事はご存知だったのですか?」

「と言うより、アルテアは一人で帰れたんだろうね。だから、どこかにいるであろう自分の仲間を探さなかったんだろう?」

「俺の系譜の古い魔術の一種だ。俺が抜け出せなくなる筈もないだろう」

「なぬ。アルテアさんの系譜の魔術………」



そんな話をしながら、残っていた各所との連携や確認も終わったと連絡が入ったので、ネア達はそろそろ晩餐の時間かなという気分である。



「…………あの騎士さんは、大丈夫でしょうか?」

「ああ。なぜ初対面で求婚されてしまったのだろうと、彼が、問題の女性の特徴や魔術の証跡を調べておいてくれて助かった。本人も、ただの求婚による事故というよりは、理由があってほっとしたようだ」

「確かに、理由があれば、あの騎士さんに手落ちがなくとも、無理やり菓子折りを送り付けてきますものね」

「……………だが、それにしても父上がいたとはな……………」



晩餐の準備が始まった会食堂で、エーダリアが何とも言えない顔をしてしまうのも致し方ない。


ネアは、昨晩はこちらに陽気に手を振ってくれたようだと告白したばかりである。

一緒にいた者達から、あの人物がこの国の王だと教えられた時には、ネアも同じような顔になったものだ。



「……………考えてみれば、あの菓子箱を送り付けた者達の意図さえ理解していれば、この時代の者がいない筈のその中程に、あの方にとって安全な場所もないのだろう。親しい者達を連れてあえて中に入り、羽を伸ばして酔っておられたのかもしれない」

「擬態をされていたことと、そもそもご本人を絵姿でしか存じ上げていないので、私は王様だとは思いませんでしたが、回収していかれたのはニコラウスさんでした。もしかすると、私ではなくノアに手を振っていたのかもしれません……………」

「ノアベルト、何というか、……………すまない……………」



そう謝ったエーダリアに、ノアは、君が謝ることじゃないよと首を振っている。

既にお土産の葡萄酒を開けているので、晩餐の席では飲む気満々なのだろう。


長く生きる者らしく、失われて久しいスノーの葡萄酒を飲める事が嬉しいのだという。



「そう言えば、あの場では聞くのが躊躇われたのですが、ノアは、アルテアさんではない方のリシャードさんと仲良しなのですか?」

「別にそこまで親しくないけれど、以前に、同じ目的で同意したことはあるかな。お互いにバーンチュアが大嫌いだったからね」

「そう言えばあいつは、国としてのガーウィンの在り様を気に入っていたな…………」

「そうそう。居心地のいい巣を荒らされた訳だし、彼の目線からはあの統一戦争は必要のないものだった。そのあたりの考えが一致したことで、バーンチュアの右腕だったヴェルリアの枢機卿の排除を、彼が引き受けてくれたんだよね。あいつは、その枢機卿と火竜の王の持つ槍の持つ魔術で呪い避けしてたからさ」



バーンチュア王はエーダリアにとっては祖父にあたるのだが、ウィームをこよなく愛するエーダリアは、ノアの言葉に神妙に頷いただけだった。

エーダリアにとっては、自分の母方のウィーム王家の親族達を滅ぼした相手としての印象が強いのだろう。



コポコポと音がして、いつの間にか出現しているグラスによく冷えた白葡萄酒が注がれる。


もう失われてしまった葡萄畑のものなので、エーダリアや、珍しくヒルドまでもが興味津々であった。



「今回は僕とナインの心が削られただけだったし、………ほら、この葡萄酒は、あの土壌が育む祝福ごと失われているから、同じものは二度と作れないんだ。そう考えると、この収穫だけでもかなり大きいかな………」

「あの熟成肉様が失われた叡智であることが、悔しくてなりません」

「場合によっては、再現してやらないこともないぞ」

「使い魔様!!」



一日目の夜に熟成肉の店を訪れたアルテアは、当時からあの店を気に入っていたのだそうだ。


スフィアの呪いの期間はスノーに近付かなかったので、当時の自分と遭遇することもないと安心して店を訪れ、ネアも気に入ったあの夏雨とピアノの白葡萄酒の在庫をお買い上げしたらしい。


ネア達が店にある在庫のボトルを買い上げた時に、やけに店側が手馴れているなと思っていたのだが、あまり流通のない個人のメゾンで作られていたあの葡萄酒を気に入って買い上げるお客が多いので、店には常にお持ち帰り用の在庫があったのだとか。



「という事は、あの夜に私の願い通りに熟成肉のお店に寄れば、そこにアルテアさんもいたのですね……………」

「ありゃ、そういう事になるね」

「しかしながら、翌日でも熟成肉は美味しく堪能出来たので良しとします」

「ナインとは、問題を起こしていないんだろうな?」

「気体になれる精霊さんが、普段は全裸だと発覚したくらいでしょうか?」

「は……………?」

「ネア、彼の名誉の為にも、アルテアには秘密にしておいた方が良かったんじゃないかな」

「まぁ、アルテアさんには秘密だったのですね…………………」



ネアがここで口をぐむっと噤んで黙秘の状態に入ったからか、アルテアはどこか遠い目をしていた。


一緒に仕事をしている部下に全裸の習性があったのだと知ったばかりなので、色々と心の整理をしたいのだろう。



「そのような精霊もいるでしょうが、そういう嗜好だと知る機会があったのですか?」



その話題を流してしまわず、尋ねたのはヒルドだ。


優しく微笑んでそう問いかけられたネアはぎくりとしてしまい、はっとしたように、ディノとアルテアがこちらを見た。


肌色汚染問題は、ディノが荒ぶりそうなのであえて言及せずにいたのだが、この表情のヒルドの質問を躱すだけの力がネアにある筈もない。



「向こうでのお宿が、三人一室だったのですが、お風呂上りのリシャードさんがあまりにも肌色なので、そのようなお話になりまして……………」

「おや、女性がいる部屋の中で、その程度の礼儀もわきまえない精霊でしたか」

「ヒルド………………………」

「ナインなんて……………」



小さく荒ぶった魔物に膝の上に三つ編みを乗せられつつ、報告会から続く晩餐は無事に終わった。



お土産話の中で振舞われたスノーの白葡萄酒はとても好評で、エーダリアは、失われた筈の味が嬉しかったのか、葡萄酒の中に残っている土地の祝福魔術などをメモしていたくらいだ。


ネアは、リシャード負担のお土産な葡萄酒と葡萄酢セットを各自に配布し、加えてエーダリアには、土産物屋で売っていたスノーのお祭り地図や街の歴史の本なども渡しておいた。

エーダリア達は、これから執務室に帰って、調印の呪いが何を目的としたものなのかについての情報の擦り合わせを、現時点で再度行って情報を更新しておくようだが、スノーの歴史読本を読みたくて堪らないエーダリアは、若干そわそわしている。



さりげなく晩餐にも参加していたアルテアは、リシャードと話したいことがあると、もう一度ガーウィンに向かうのだそうだ。




「ディノ、手を繋ぎませんか?」

「…………ずるい」

「スノーではノア達と街歩きをしたので、お部屋への帰り道はディノと手を繋ぎたいんです」

「……………うん」



部屋に戻る途中で、窓から春の花が咲き乱れているリーエンベルクの中庭を見ると、この二日間で目に馴染んだ色との違いに微かな驚きを覚えた。



(昨晩までは、晩秋で紅葉の街並みだったのにここは春なのだもの。何だか不思議な感じがする……………)



まだ肌の上にあの晩秋の空気が残っているような気がするので、何だかとても不思議な気がしてしまう。

街並みが少しだけ似ていたので、季節の違いだけが顕著に思えてしまうのだろうか。



「ネア…………?」

「向こうは秋でしたので、こちらが正しい筈のまだ柔らかな色の景色に、違和感を覚えてしまうようです………」

「スノーが気に入ったのかい?」

「ご婦人方が荒ぶっていましたが、城壁とお城のある、素敵な街だと思いました。大きな聖堂もあったのですが、帰り道に必要な最低限を達成するまでしか滞在していませんでしたので、そちらは見られませんでしたね………」

「あの土地の聖堂は、妖精の気配が強いからね。ノアベルトも敢えて避けたのかもしれないよ」



そんなことを話しながら、ネアは二日ぶりの自室への廊下を、中庭を眺めながら伴侶とのんびり歩いた。


隣を歩くディノは、数秒の間ネアを見失っただけで済んだようなのだが、それでも怖い思いはしてしまったものか、ちらちらとネアを見ている。


立ち止まりおやっと首を傾げれば、さっと持ち上げられたので、どうやらこの機会を狙っていたようだ。



「私が不在にしていた数秒の間で、ディノは何をしていたのですか?」

「君が、消えていた間かい………?」

「はい。私の大事な伴侶ですので、たった数秒ぽっちでも、怖い思いをしていたり、虐められていたりしたら大変ですから」

「ご主人様!」



感激してしまった魔物に再びぎゅうぎゅうやられつつ、ネアは、不思議な懐かしさを胸に自分の部屋に入った。



「また明日、エーダリア様達とあちらのお話をしますが、今夜は二人でのんびりしましょうね。せっかくスノーで美味しい葡萄酒を買ってきたので、二人だけの乾杯をしませんか?」

「……………うん」



報告会で、ネアが、旅先のような呪いの底でノアやリシャードと見知らぬ土地の食事処に入ってしまったと知ると、お留守番だったディノは、項垂れてぽそぽそになってしまった。


ましてやスノーはネアが初めて訪れる土地であり、そんなネアが気に入った土地にもなってしまったので尚更なのだろう。



そんなディノを見ていたら、ネアは、部屋で二人だけの特別なスノー追体験会をしたくなってしまったのだ。



特別な事は何もないが、二人でスノーの話をしながらスノーのお酒や葡萄酢を使ったちょっとしたおつまみをいただき、気分だけスノーな夜を過ごすという会である。


気休めと言われてしまえばそれまでなのだが、この寂しがり屋な伴侶の取り分も作っておかなければと、ネアは使命感に燃えていた。



「まずは何をするんだい?」

「先程とは違う、私のお気に入りのスノーの葡萄酒を開けますので、グラス一杯分でちょっぴりな乾杯をしましょう。厨房の保冷庫に冷やした揚げ茄子の作り置き料理があるので、そこに葡萄酢を少しかけていただくと、即席スノーのおつまみの出来上がりです。そんなスノー気分満載の中で、私があちらでのことをお喋りしますので、ディノもご存知のスノーの思い出などを教えてくれると嬉しいです」



かくして二人は、スノー気分を味わうお疲れ様会を兼ねた部屋飲みを始めた。

秋らしいものをテーブルに飾ると聞いた魔物が持ってきたのは、ふくよかな焦げ茶色の森の結晶石である。



「秋なら、団栗なのかな………」

「まぁ!これは、昨年に拾った宝石化した団栗の結晶ですね。あの時は、森のあちこちにきらきらの木の実が落ちていて、とても楽しかったです」

「これはどれも君が拾ったものだよ。君は集めた中から一つしか持ち帰らなかったから、残りのものは私が保存していたんだ」

「ぞくりとしました………」



ディノはこのような試みは初めてのようで、ご主人様から教えて貰える新しい遊びに目をきらきらさせている。



(その潤沢な魔術を使えば、どれだけのことが出来るだろう…………)



どこかに行った気分を楽しむ為の雰囲気づくりなどしなくても、ディノは、どこにだって行けたのだ。

でも、だからこそ知らないのが、足りないことを補う為のこんな時間なのだと思う。



まずは、この部屋にスノーの雰囲気を出すのだと聞き、ディノは不思議そうに目を瞬いている。



「これも秋のものだね………?」

「はい。私が訪れたスノーは晩秋でしたので、そんな俄か気分を楽しむべく、秋感を出す為に飾られた秋結晶の置物です。ホテルの前には、ちょうどこんな風に綺麗な黄色に色付いた紅葉の並木道があって、そのずっと奥にお城の尖塔が少しだけ見えたんですよ。ディノは、秋にスノーに行ったことはありますか?」

「……………グレアムが私が好きそうな蒸留酒を見付けたからと、スノーの店での食事に誘ってくれた事があるんだ。葡萄畑の上に夜の虹がかかっていて、……………そうだね、並木道の木々は鮮やかな黄色や赤だったと思うよ」

「夜の虹はその辺りでは見られるものなのでしょうか。それとも、グレアムさんにお食事に誘われたディノが、夜空に虹をかけてしまったのでしょうか?」



ネアがそう尋ねると、ディノは水紺色の瞳を瞠った。


本人は、なぜ夜空に虹がかかっているのかさして気にかけていなかったようだが、大事な友人と過ごした夜の思い出として、グレアムの背後に広がっていたその光景を覚えていたようだ。



「では、その日のことをグレアムさんに尋ねてみてはどうでしょう?覚えていてくれたのだと、きっと喜んでくれますよ」

「うん………」



二人はあれこれとお喋りをし、飲み過ぎないように一杯だけにしておいたグラスはあっという間に空になった。

就寝に向けてお茶に切り替えていると、カップに夜告げの花茶を注いでいるネアに、ディノが問いかける。



「君は、向こうで怖いことや、悲しい事はなかったかい?………ノアベルトが一緒にいたのだから問題はないと思うけれど、ナインもいたからね………」

「アルテアさんから、人間はあの方を恐れる事が多いのだと聞きました。私がお会いするときは、いつも人間に擬態してくれていたので、怖くなかったのかもしれませんね……………」

「……………仲良くなったのかな?」

「いいえ。一度ならずとも二度までも、私の歌声を笑ったあやつめは、今度出会った時にはぎゃふんと言わせてみせます!」

「ぎゃふんと…………」

「わたしのうたごえは、すてきですよね…………?」

「うん。君の歌声はとても可愛いよ。その事でまたナインに何か言われてしまったのだね?」

「……………大量虐殺を行った私を、ディノは軽蔑しますか?」

「君を怖がらせた者達がいたのかい?」



大量虐殺という言葉の響きよりも、それを行った状況が気になったのだろう。

伸ばした手でネアの頬を撫でてくれた優しい魔物に、ネアは酔っ払って鼻歌を歌ってみたところ、誰かが窓を開けていたのだという悲しい事件のあらましを伝えなければならなかった。



「君の歌声を聴いてしまったのだね…………」

「ふ、ふりょのじこなのです!」

「窓の外の者達の事ではないから、そちらの事は気にしなくていいよ。ただ、ノアベルトは構わないけれど、ナインは………二度目だからね」



そう悲しげに呟く伴侶に、おまけにその精霊は、歌っているネアの隣で寝たのだと説明するのは骨が折れた。



(一応、部屋に持ち帰られたというよりは、リシャードさんの部屋に迷い込んだ裸のノアを追いかけてあの部屋に入って、そのまま寝てしまったという感じだったみたいだけれど……)



相手はネアのことをオルゴール程度にしか考えていない精霊なので、こちらも異性としての認識の必要はないとは言え、ネアは一応既婚者である。


伴侶への報告は、言わない事で悲しませてしまう事などないよう、出来る限り早く済ませておかねばならない。


ネアの歌声で起きた大量殺戮については、その時代の小さな生き物達にはまだ脆弱なものも多かったのだと教えて貰い、ウィームではそんなことは起こらないと知ったネアはほっとした。



「そのようなものは、確か……人間の罪にも問われない筈だよ。私達がその行いや気紛れで容易く人間を滅ぼしてしまうように、人間がそれを成す事もまたあるだろう。当事者同士で復讐をする場合はあるにせよ、階位の高いものに敗れることまでは珍しくないんだ」

「………ええ。前に蝶さんを滅ぼした時に、エーダリア様からも教えて貰いました。……………とは言え、私が育った土地では非難されるような振る舞いですし、無差別で広域なのは初めてでしたので動揺してしまいましたが、ディノにそう言って貰えたので気持ちが落ち着きました」



高位の人外者だからこその価値観に許されることにほっとしつつ、ネアは慎重に線引きを見極めた。


このような話題には、赦すからには赦さなければならないという側面があり、これ以上は魔物達の前でめそめそするまいと気持ちを切り替えることにする。


ネアはとても冷酷な人間なので、倫理観や良心などというものの為にディノを悩ませたくはない。

沢山のものを分け合うこれからでも、自分だけで心に背負うべきものもあるのだと考えていた。



「あの土地だからでもあるのだろう。君が気にかける事ではないんだよ」

「………土地によっても違うのですか?」


あの時代は土地の魔術にむらがあり、中でもスノーは独自の魔術が育った土地であるので、国境域にありながらも元々終焉の要素などが薄い場所であったのだそうだ。

だからこそウィリアムは、戦場で疲弊すると擬態で終焉の要素を覆ってしまった上で、その国で疲れを癒していたのだと聞き、ネアはそんな国が戦乱で失われてしまったことを悲しく思った。



「ナインとは話をしておこう。……………ネア、ナインのように嗜好品としての執着を示す者達は、そのように君を望む事もあるかもしれない。今回は私が側にいてあげられなかったけれど、困った事があったら必ず私に言うんだよ」

「…………困った事と言えば、ディノが今、とても悲しそうな目をしている事が気になるので、私の伴侶を大事にします!」

「ネア…………!」



その夜ネアは、ディノの要望を聞き入れ、魔物の毛布の巣の中で眠る事になった。

どう見ても一人用の大きさなのに二人で入れることに驚いてしまったし、目で見えているより何だか広く感じたのだが、そこは魔物らしく不思議な魔術が働いているのかもしれない。



明日は、ディノにフレンチトーストを焼いて、フレンチトーストの歌を歌ってあげることになったので、早起きをしようと思う。


毛布の洞窟のような不思議な空間は暖かく、隣で安心したようにすやすや眠るディノに寄り添い目を閉じると、瞼の裏側にスノーの祭りの夜の光景が少しだけ浮かんだような気がした。






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