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城郭都市と夜紡ぎの剣 6




滞在最終日の朝、ネアは転がり落ちてきた丸太に押し潰される夢を見て目が覚めた。

ぐぬぬと眉を寄せて体に力を入れ、丸太を蹴り転がすと、どすんと音がして目が醒める。




「…………む。丸太を倒しました」



カーテンから差し込む朝陽は、まだ青さを帯びた早朝のものだ。

夜が明けたばかりのようなので、幸せな二度寝を堪能出来るに違いない。


しかし、少し肌寒く感じる肩口に毛布をかけ直そうと視線を巡らせたネアは、ぎくりとして固まった。




「……………不法侵入者がいます」




そこには、カーテンの隙間から差し込む朝陽に鮮やかな紫の瞳を細めたリシャードがおり、許し難い事に上半身には何かを羽織っている様子がない。


庶民の感覚では大きな寝台とは言え、恐ろしい事に同じ寝台で毛布を分け合っているのだ。



「なぜお前がここにいる…………」

「不法侵入者めが開き直りました。すぐさま自分の寝室に戻って下さい」

「寝台が一つしかないだろう。ここは、私が使っている部屋だ」

「……………な、なぬ?!」


ぎょっとして体を起こそうとしたネアだが、その場合はリシャードと共有中の毛布が浮き上がることになる。

もし、見えている以上に着ていないと肌色侵略の大惨事になってしまうので、ここは慎重に体を起こす必要があった。



「…………そして、床に裸のノアが転がっています」

「……………部屋に持って帰れ」

「それを淑女に頼むのもどうかと思いますが、物量的にも難しいので、このまま二人で…………その、裸のお付き合いを楽しんで下さい」

「…………おかしな言い方をするな。そちらの嗜好はない。ノアベルトもないだろう」



そう言われてしまい、ネアはこの床の上にうつ伏せの全裸で転がっている塩の魔物が、たいそう乱れた生活をしていた頃には、人型ですらない恋人がいたことを思い出した。


何も言わずに、そっと微笑んでおいたネアを見て、リシャードはどこか遠い目をする。



「…………尚更、この部屋から出しておけ」

「ですので、重量的に難しいのですが…………」

「…………そうか、私が部屋を移ればいいんだな」



そう呟き、立ち上がろうとしたリシャードが、ふと動きを止めてこちらを見る。



「…………今朝はもう歌わないのか?」

「…………あなたのまえではにどとうたいません」

「昨晩は歌っただろう」

「……………私が、ですか?」

「おかしな擬音を重ねて延々と歌っていたぞ。歌詞がなくても音階が狂うものなのだな。おまけに、あの単調さでも声が裏返る。ずっと聞いていたかったので、この部屋に持ち帰ったが、さすがに途中で意識が落ちたな…………」



ふっと、空気が揺れ、怜悧な表情を崩してリシャードは笑ってしまった口元を押さえた。

その指先も少し震えている。



「ぐるるる!おのれ、またしても笑いましたね!!おまけに、私がお部屋を間違えたかのように言いながら、ご自身の持ち込みではないですか!!こ、ここでは滅ぼせませんが、無事に帰った後に、すかさず討ち滅ぼしてくれる!!」

「きりん、とやらでか?その類の生き物だという人面魚は、気に入ったので屋敷で飼っているくらいだが」

「戦闘靴もあります!」

「終焉の祝福のものだな。私はその系譜の第三席だ」

「ぐぬぬ、では、激辛香辛料油を……」

「残念ながら、辛いものは大好物だ」

「仕方がありませんね、やはりギードさんとお話をしなければなりませんし、場合によっては知人から分けていただいた、精霊さんが摂取すると一月くらいは楽しい気持ちになれなくなる呪いのスープを飲ませるしかありません…………」

「…………また妙なものを持っているのだな」

「他にも、体からべたべたしたキノコが生えてくる呪いや、毛だらけになる呪いもあります。ですが、趣味に生きるリシャードさんにはやはり楽しい気持ちを奪うスープがいいのかもしれませんね。………お尻が痒くて死にそうになる呪いと、足裏が死ぬまでむずむずする呪いもありますよ?」



そう話している途中で、リシャードは静かに寝台から立ち上がった。

部屋を変えるようだと察し、ネアは悪い精霊を撃退した事に安堵する。


しかし、慌ててそちらから視線を逸らしたので、どこまで肌色だったか問題は謎のまま終わりそうだ。

とは言え、そもそも既に一人は全裸なのだから、今更もう一人がどうだったのかはさして大きな問題ではないのかもしれない。



(…………あ、)



ここでネアはふと、リシャードへの対抗策の中でももっとも相応しいものがある事に今更気付いてしまった。



「………ふと思ったのですが、私の暮らしている土地の美術館には、絵の才能の祝福のある花が売られているのです。あの花の祝福を百万倍くらいにして、ギードさんに…」



これは、ギード本人に対しても失礼となるので、実行不可能な作戦である。

だが、昨日の反応を見ている限りでは、ネアの歌声も気に入っている様子のリシャードにとってのよりお気に入りな才能は、ギードの絵の方なのだろうと思ったのだ。



「土産物の支払いは私がしよう。何なら、店ごと全ての商品を買い与えてやる。それと、君の歌を笑ってすまなかった」

「ふむ。その謝罪を受け入れましょう」



良い取引が出来たと上機嫌になったネアは、丸太こと全裸のノアが転がる部屋で幸せな二度寝を済ませ、目を覚ますとノアを叩き起こして、入浴出来ない体を魔術ですっきりさせて貰った。



今朝の朝食は、鮭のような魚のソテーに葡萄酢のソースをかけたものと、トマトと卵の彩りの綺麗なスープにあつあつのちびポテトグラタンで、デザートは、粉砂糖と甘く煮た果物のコンフィチュールがたっぷりとかかったパンケーキだ。



和やかな朝食の時間にふと、窓の向こうの動きが慌ただしいような気はしたと思う。



けれども、窓から外を見に行ったノアが何でもなかったよと微笑んで帰って来たので、ネアは特に気にしないまま、食事を終えて着替えも済ませた。




「後はもう、お土産をたんまり買って、お家に帰るだけですね?」

「うん。一応、バーンディア達が帰れなくなると困るから、夜を紡ぐのは指定した区画だけにしておこう。国境域の街らしく、ここには境界の魔術のしかけがあちこちにあるからね」

「一部分だけを夜にしてしまえるのですね……………」



全てを夜にしてしまうよりも、紡ぐ夜の量が少ないので簡単なのだそうだ。


夜紡ぎの剣が齎す夜は、ネア達だけではなくそれ以外の人々にも強制的に適用されてしまう。

つまり、一気に夜にしてしまうと、祭りが終わってしまうので、まだ帰還の条件を満たしていない他の参加者を危険に晒す可能性があるのだ。



もし、国王が帰れないとなると、その影響はヴァルクレア国の全域のみならず、エーダリア個人にも大きな影響を与えかねないので、ノアはその可能性も考慮したのだろう。



「まぁ、あの顔揃えでまだ条件を満たしていないってことはないだろうけど」

「気になるのは、ガーウィンの参加者だな。あちらでは、聖職者役を見ていない」

「うーん、こちらに来てるってことは、調印の呪いの条件は満たしている筈なんだよね。知り合いなら聞いてみたらどうだい?」

「ガーウィンには、領主一族と教え子、そして異端審問局の三勢力がある。正直なところ、彼等とは出会えばお互いの足をすくい、少しでもその力を削ぐような関係だ。表面的にはな」

「表面的にという事は、裏では仲良しなのですか?」

「それはない。枢機卿であり異端審問局の局長としては彼等を疎ましく思っているように振る舞うが、私個人としては、本来は何の興味もないというくらいだ」



結局、リシャードはそちらに接触するつもりはないようなので、ガーウィンからの参加者が無事に帰れるかどうかは運任せとなった。



「さて、忘れ物はないかい?」

「ノアは、昨晩脱ぎ散らかした服を全部回収しましたか?」

「ありゃ、…………全部着ている筈だよ」

「………なぜこちらを見る。自分で確かめればいいだろう」

「いやほら、裸が仕様の君も、服を忘れてないかなと思ってさ…………」

「…………いい加減に、そのおかしな勘違いをやめろ」



荷物といっても、既に購入済みのお土産が金庫にしまわれているかを確認するくらいだが、最後に部屋に忘れ物がないかどうかと、髪の毛などでも大問題になるこの世界で、その種の落し物がないかどうかを入念に調べ、ネア達は二泊したホテルを後にした。


また十二の扉をくぐり抜けて、他の宿泊客達の姿がぼんやりとした影のようにしか見えないロビーを抜けると、なぜかホテルの前の道が騒然としている。



(何かあったのかな…………)



騎士達や街の自警団らしき男達が深刻な面持ちで話している様子を見て、ネアは、大きな事件のようなものがあったのだろうかと眉を顰めた。

この辺りであれば、ちょうどネア達の部屋の窓から見下ろせる位置ではないか。

昨晩は気持ちよく眠ってしまい気付けなかっただけで、もしかすると事件や事故のようなものがあったのかもしれない。


ノアがしっかりと手を繋いでくれているので怖くはないが、お祭りの賑わいに乗じるような事件が起きているのなら心配だ。

勿論街の人々も案じられるが、ネア達が帰れなくなる可能性もある。



「……………先程、騎士さんの前を通った時に、このあたりに住んでいた妖精さん達や、小さな魔物達は全滅だったと聞こえてきました。何か怖いものが出たのでしょうか?」



そう尋ねると、ノアは困ったような淡い微笑みを浮かべる。

ネアを宥めるようにして頭の上にぽさりと手を乗せて撫でてくれるのだが、なぜだかその原因については言及しようとしない。



「まぁ、僕たちはもうここを出る訳だからね」

「正直に伝えたらどうだ。昨晩、街角のバイオリンの音色が聴きたいと部屋の窓を開けた者がいたせいで、彼女の歌声が外にも漏れたのだと」

「………………む?」



一瞬、言われている事が理解出来ずに、ネアは目を丸くして立ち止まった。

わななきながら、おかしなことを言い出したリシャードを見つめると、奇妙な事に紫の瞳の精霊はゆっくりと頷くではないか。



「だが、私としてもここまでの殺戮になるとは思ってもいなかった。終焉と死の訪れの要素を強く持つ歌声とは、類を見ない才能だな。……………幸い、肉体や魂の構築に魔術を使わない人間は無事だったようだがな」

「……………なんのおはなしをしているのでしょう。いっこくもはやく、おみやげをかわなければなりませんね」

「大丈夫、大丈夫。ほら、深呼吸出来るかい?………うん。いい子だ。ここは早く通り過ぎてしまって、君の為のお土産をいっぱい買おうね?」

「…………ふぁい」




そこからは、少し足早にホテルのあった地区を離れた。



大きな鐘楼の影になった道を歩くと、陽光が遮られて空気がひやりとする。

薄暗い影の中を歩きながら、また一晩目に見た夢のことを思い出した。



振りまかれた花びらに、楽しげな歌声。

石畳に落ちる輪になって踊る人達の影。



(あれは多分、ノアが言うようにスフィアの嫁取りの呪いをかけた妖精さんが出てくる夢だったのだろう…………)



なぜそんなものを見たのだろうと思わないでもないが、ネアには収穫や財産の祝福がある。

よく、そこで起きている問題の一片が飛び込んでくるのは、その効果によるものだろうと今迄言われてきた。



(多分、それが理由なのだと思うけれど…………)



でも、一つだけ不可解な言葉を聞いたばかりなのだ。




“あなたは、私と同じようなまじないを授かり生まれた子供のようだ。ですので、勝手に親しみを覚えてしまいました”



そう微笑んだハーフィードの言葉を、ネアは自分の身の上にあるディノの指輪のような魔物達の守護の事だと思っていた。

けれど彼は、持って生まれたものだと言ってはいなかっただろうか。



ノアが、ネアがスフィアの嫁取りの呪いの夢を見たのは、かつて受けた呪いとそれを防いだ守護からだと教えてくれたばかりなので、時折眠りの中に飛び込んでくる気付きや予兆の夢ではないのだろう。



では他に何かあるのだろうかと考えたところだったので、リシャードがネアの歌声について述べた事は聞き流せなかった。



(歌声……………、)



そこに意識を向けてしまうのは、音楽というものがネアのルーツに繋がる大きな要素の一つだからである。




“お母さんの一族はね、みんな音楽家だったんだ。お父さんの一族は、官僚や学者が多かった。だから我が家のお姫様は、両方の才能を受け継いで音楽史の研究を生業にしたいのかな”



いつだったか、将来の進路について相談した父が、そう教えてくれた。


勿論、歴史の上での音楽や音楽家を紐解く研究職など、門戸も狭くすぐに飛び込める分野ではない事は承知しており、最初は楽団の経営や演出の把握などを深め、事務方の仕事を学びそちらの世界に根を下ろしてから、始めようと思っていたことを懐かしく思い出す。



“何て可愛い歌声なんでしょう。あなたは、その歌声に、家族を幸せにする祝福を持って生まれて来てくれたのだわ”



そう微笑んだ母親の事を久し振りに思い出し、ネアは隣を歩くノアをそっと見上げた。




(……………このような世界に来たからだろうか)



ここには縁や因果も魔術として息づいていて、だからなのか、ふと、この歌声はいつかこんな不思議な世界に呼び落とされる娘の為に両親が残してくれた、優しいギフトだったのではないかという気がした。



(例えば、ただこの娘が幸せになれますようにと願うだけの、そんな事でもこちらの世界では力になるのだから…………)



ハーフィードが、妹達の為に明らかに人間ではないと気付きながらもノア達を利用しようとしたのだと理解した時に、ネアは、久し振りに人間の家族のそのような形を見たのだなと考えた。



とても懐かしいその風景に、遠い日々の事を思い出したのだ。




「僕の大事な女の子は、考えごとかい?」

「…………この街の領主様のことを、思い出していました。あの方は、ノア達に対しては失礼もありましたし、その守り方は間違いなのかもしれませんが、…………それでもとても愛情深い方なのでしょうね」

「…………よし、あいつは殺そうか」

「あの方が妹さん達の為にしたことを見て、ふと、両親を思い出したのです。…………そして、ハーフィードさんに言われた言葉について、考えていました」

「…………ああ、まじないのことかい?」



その事だったのかとこちらを見たノアは、通りの向こう側にある歩道に女性が歩いていると気付いてしまい、会話の流れのままに、完全にネアの方を向いて彼女達に背中を向けてしまう。


はっとしたリシャードも、慌ててフードを被り直していた。

不自然な動きをしてしまうと視線を引きかねないので、ネアも、そのまま会話を続けることにする。



「ええ。こちらに来てからいただいたものを指したのでしょうが、リシャードさんの言うように私の素晴らしい歌声が何某かの力を持つのなら、それが、両親が私に残してくれた贈り物のようなものであればいいなと思ってしまったのです。家族について考えたのも、あの領主さんにお会いしたからでしょうね」



そう言ってみたネアに、ノアは、優しく微笑んでくれた。


握った手をぎゅむっとされ、ネアはいつの間にか家族になった魔物の美しい瞳を見上げる。


伴侶になったディノとは違い、ノアは義兄だ。


それは、ネアにとってはいっそうに、失われた家族というものをもう一度取り戻したような愛おしさで、かけがえのない存在であると言えよう。



「僕だって負けないくらいに贈り物をするから、昔の事も大事にしていて構わないけれど、僕の事も沢山考えてくれないとだよ?」

「あら、もうノアからは沢山のものを貰っているのに、まだ貰えてしまうのですか?」



ここで、ネアの歌声はネアの両親が残したギフトだとは言わないのが、狭量な魔物らしい慈しみ方なのだろう。



当然のことだが、ハーフィードが触れたおまじないとやらはこちらの世界に来てから得たものに違いなく、であれば、ネアが持つその恩恵は、見ず知らずの向こう側のものなどではないと明らかなのだから。



(繋がらないものを、繋げるような会話は好まないのが、魔物という生き物だから………)



それは、精霊の冷ややかさには、どこか人間のものに似た温度が宿るのだと今回初めて知ったように、各種族の特性の一つであった。



だからネアは、大好きだった可愛いユーリが、ノアと同じ配色を持つ子供だったことを、ノアにはあまり言わないようにしている。


生まれながらにして体が弱く、その顕現としてアルビノの要素が体に出てしまったネアの弟は、殆ど白に近い髪に、辛うじて色素の残った瞳が、母から引き継いだ青い瞳とアルビノの赤の重なりで青みの紫の瞳をしていた。


それはネアにとっては大切な色だけれど、でもそれはノアとは関係のないものだ。

ネアが大切に思うのはノアそのものなのだから、そんな色の相似性ではしゃいでノアを寂しくさせてなるものか。


常々そう考えているネアが、ノアとこのような会話を持つ事は珍しかった。




鐘楼の影や、そこに隣接する他の建物の影を歩き抜けると、穏やかな秋の陽の差し込む通りに出た。



物思いから覚め、ネアは目を瞬く。

久し振りに、ネアハーレイだった頃の家族の事を沢山考えたなと小さく息を吐いた。



でもそれもまた、得難い時間なのだろう。


仕方がないからと諦めるでもなく、そういうものなのだろうと両親から貰った名前も変えてしまったこちらのネアにとっても、やはりあの世界で過ごした日々は失い得ないものだ。



(………これは事故だったのだし、もしかすると、よからぬ陰謀の為の下準備の一環なのかもしれない。……………でも私は、ここに来られて良かったような気がする…………)




何だか胸の中がほかほかしたまま、ネアは約束通りにリシャードに上等な年代物の葡萄酢をたくさん買って貰った。


葡萄酒も、狙っていた新酒だけではなく、試飲して美味しかった無花果と新月の葡萄酒も購入出来たので、今回の事故を事故だけにせずに済みそうだ。




澄んだ秋の空の下を、柔らかな風が吹いてゆく。



後はもう、夜紡ぎの剣で昼を削ぐだけとなったところでノアが選んだのは、スノーを囲む城壁に近い町の外れの緑地だった。


美しいところだが閑散としており、祭りの日にこんな場所に来る者はあまりいない。




「この美しい場所も、もう残ってないのですね…………」



スノーという領地どころか、この国そのものが、ネア達の暮らしている時代には残っていない。


隣国との戦に破れたこの国の中でも、特にこの辺りの土地は河口部からの侵略などが相次ぎ戦が続いたせいで、美しい石畳の街はなくなり、見事な葡萄畑や城郭都市の面影すら残らずに荒地になってしまったのだそうだ。


ネアが飲んだ美味しい葡萄酒や、大絶賛の熟成肉も、きっと受け継ぐ人達もなく失われてゆくものなのだろう。



「…………ここから百年後くらいのこの国の最後にね、ウィリアムのお気に入りの人間達が、この国の王都に住んでいたみたいだよ。昨日会った領主の一族だったと思うけれど、直接の血縁関係があるかどうかは分からないかな」

「まぁ、ウィリアムさんの、お知り合いの方がこの国に暮らしていたのですね………?」

「最終的に国は戦乱に飲み込まれて、ウィリアムはいつもみたいに、気に入った人間達を死なせてしまった。終焉の魔物にとっては珍しくない話の中でも、彼にとっては、心の深くにまで刺さった棘の一つだった筈だよ」



ノアがその事を教えておいてくれて良かったと、ネアは安堵した。

魔物達の中でもより多くの国の盛衰について知っているのはウィリアムで、ネアは、知らずにスノーの事を尋ねてしまいかねなかった。



今も視界の端に見えているスノーの城壁が落ち、この国はそこから侵略されてしまったのだという。


隣国は大きな軍船で海から回り込み、対岸の街とスノーを同時に蹂躙することでこの国を崩したのだ。



ノアが、周囲に巻き込まれるとまずいような人がいないかを調べている間に、その日の事を覚えていると頷いたリシャードが、スノー王家の家名についてより詳しい事を教えてくれた。


リシャードは、この国が滅びるその日に、内陸寄りの苛烈な戦場に居たのだという。



「だからこそ、スノーの領主は王としての役割を担い続け、土地の名前を家名に持つ。このように国の防衛の要所となる土地の守り手達は、数多くの呪いや侵食に晒されるものだ。スノーの王族達が信仰の固有魔術を使うのは、その呪いや侵食を退ける為に古くから信仰の魔術を極めてきたからだろう」

「呪いなどに対抗するのは、信仰の魔術が良いのですか?」

「この時代は、まだ他の分野の術式が確立されていなかったからな。力のある精霊や魔物達を信仰し、その名前を借りて子供に名付ける事で呪いを退けてきた。…………だが、力を借りる名前を誤れば、何の効果も得られなかったり、障りを受ける事もある。我々が持つ魔術が、人間と相性がいいとは限らないので、そのまじないは後世では邪道なものとして失われている」



それはこの土地の歴史に触れるばかりの言葉であったが、ネアには違う意味を持って響いた。



(ああ、……………あの領主様が話していた“まじない”は、親が子供に残す愛情の願いなどではなく、そちらの事を指していたんだわ…………)



であれば、それに気付かなかった筈もないノアは、ネアを悩ませないようにと、触れずにいてくれたのだろう。


ばたばたと服裾を揺らして渡る風の向こうに、昨晩の舞踏会の行われた城館の尖塔が見えた。

こんなに美しいものが失われてしまうのは悲しいが、それもまた、時代の流れという無慈悲なものの定めなのだろうか。




「では、夜紡ぎの剣を。昼を切り削ぎ、夜を紡ごう」



首飾りの金庫から腕輪の金庫に移動させておいた剣をそっと渡せば、頷いたリシャードが、美しい剣を鞘からすらりと抜く。



ふくよかな冬の夜より暗く、紫の艶のある漆黒の刃は、魔術を潤沢に宿した宝石のように鈍く輝いていた。



ゆっくりと振りかぶるその動きも優美で、ネアは、どんな事が起こるのだろうと、リシャードの動きをしっかりと見つめる。




ざんっ、と小気味の良い音がした。





「……………ほわ、」

「ネア!」



ぱしんと視界が弾け、次の瞬間にネアが見たのは、飛び込んで来てネアをぎゅうぎゅうと抱き締める真珠色の髪の魔物だ。

二日ぶりの筈だが、戻ればそうではないディノの背中をよしよしと撫でてやりながから、ほっとしたように微笑んだノアと視線を交わす。



例の菓子折りを受け取った青年騎士は少し離れた場所で腰を抜かしたように地面に座り込んでいたし、離れたリーエンベルクの中央棟からこちらに走って来るヒルドとグラスト達の姿も見える。



しかし、ネアにとってはそれよりも早急に確認しなければならない、予期せぬものが目の前にあった。




「…………おい」

「なぜここに、使い魔さんが…………」



どういう訳か、直前まではリーエンベルクにいなかった筈のアルテアが、黒髪に青い瞳の男性の擬態で目の前に立っている。



「……………わーお、もしかして…………」

「そうか。どこかの愚かな人間が引っかかった調印の呪いに巻き込まれたと思っていたが、お前のせいか」

「……………そして、リシャードさんがいません」

「……………は?」

「ええとつまりね、僕達が向こうで一緒に行動していた聖職者は、ナインだったって事かな……………」

「……………ナインだと?」

「でも、この帰還方法を見ると、僕達に紐付いた聖職者役はアルテアだったんだね。たまたまリシャードと先に遭遇して、そっちだと思い込んでいただけで、ネアが思い浮かべたのはこっちのリシャードだったみたいだよ?」

「……………という事は、リシャードさんが感じたアルテアさんの気配とは、野生のアルテアさんではなく、使い魔さんだったという事になりますね。………むが?!なぜに頬っぺたを摘むのだ、乙女を不細工にする行いなど許しませんよ…………!」



怒り狂ったネアを冷たい目で見下ろすアルテアがいることもあり、こちらに駆けつけたヒルド達とも情報を共有するべく、急ぎ報告会を開いた方が良さそうだ。


ノアは、リーエンベルクの家族らしい手際の良さで素早くその指示を回してしまい、座り込んだ青年騎士からの事情聴取をグラストとゼノーシュに頼んでいる。



「ディノ、無事に戻って来ましたからね?」

「うん。…………ノアベルトが君を守ってくれたのだね」

「ノアはとても頼もしかったのですよ!なお、リシャードさんとも一時的な協力関係にありましたが、こちらに戻った以上は、この夜紡ぎの剣を必ず至急返却するべしの誓約書を元に、私の武器を取り返しに行くまでです…………」

「あ、それについて補足すると、ナインは正式な組み合わせの相手が帰還条件を満たすまでは、あっちから帰れないからね。………恐らく、ガーウィンの連中が正しい組み合わせだったんじゃないかなぁ」

「という事は、今暫く荒ぶるご婦人方のいるあの土地にお一人で…………」

「わーお、一人だね…………」



取り敢えず、街外れにいた事は間違いないのだが、残されたリシャードはそのままスノー全域が祭りの終わる夜になるのを待つか、正しい仲間達をあの場所に引き摺ってくるかの選択肢しか残されていないのだそうだ。



夜紡ぎの剣については、アルテアがしっかり取り返しておいてくれるそうなので、ネアはその時に無事にリシャードがこちらに戻って来ている事を祈ったのだった。








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