小さな陰謀といつものお客 2
がらがらと重たいものが崩れ落ちる音がして、また、ぷんと木の匂いがした。
不思議なことだが、こんな爆破の直後はとても静かで、思い描いたような焦げ臭い匂いではなく、無残に砕け割れたばかりの木材の匂いがするらしい。
直後には強く感じた火薬の匂いはなくなり、誰かの悲鳴が聞こえてくることもない。
「……えぐ。………ディ」
大事な伴侶を呼びかけたその時、体の上に載っていた重たいものが取り除かれた。
何かが遮蔽物になっていたのか、急に、わっと周囲の音が入ってくる。
「足は動かせるか?」
「…………シモンさんです」
上に載っていたものをどかしてくれた誰かに瓦礫の下から引っ張り出され、ネアは、それが額に裂傷を作ったシモンであったことに驚いた。
何かを言おうとしたが、持ち上げられたことで開けた視界に映ったものがあまりにも酷く、ネアは茫然と目を瞠った。
(……………燃えていて、…………あちこちで、大勢の人達が死んでいる)
以前にも、ガゼットの戦場に落とされたことがある。
より危機的な状況にいたことだて、少なくはない。
攻め滅ぼされるウィームの王宮の中を、走り抜けたこともあるのだ。
(でも、…………方法が変わると、こんなにも悲劇の匂いや景色は変わるのだわ)
あちこちで建物の残骸がひび割れて砕け、捻じ曲がって奇妙な茨の檻のようになっていた。
今はまだ、ネアたちの周囲には火の手は届いていないが、そう遠くない場所が幾つも燃えているようで、濃い灰色や黒い煙がもうもうと立ち昇っている。
だが、炎に奪われないものを、爆発の衝撃が沢山殺していた。
すぐ近くの瓦礫の下には、誰かの手が見えている。
ひたひたと流れ広がってゆく真っ赤な血を見ていれば、その誰かがもう亡くなっているのは間違いなかった。
捻じれた茨のように瓦礫から突き出した鉄の棒にも、爆発で吹き飛ばされてきたと思われる軍人が突き刺さっていた。
その近くの大きな煉瓦の壁の塊の上にも、誰かの足が見えている。
それは、あまりにも新しい死であった。
苦しみよりも強い驚きを呑み込もうとしたが、文明的な暮らしをしている人間として、建物はこうあるべきという造形を超えてしまった場所に立ち、そんな様子を見ていると頭が真っ白になってしまう。
ずっと昔に、ネアハーレイが子供だった頃に歌劇場の爆破事件に巻き込まれたことがあるが、小さな子供だったネアは父親に抱きかかえられて運ばれただけだった。
あの爆発で、もう一人の父親のように慕っていた音楽家を目の前で喪ったという母も、今のネアと同じような思いで崩れた建物を見渡したのだろうか。
たまたま、遠方から駆けつけてくれた後援者が傍にいて母を避難する人々と合流させてくれたと聞いていたが、そんな話を聞いても、実際に体験するのとは違う。
(あ……………)
ふいに、すぐ近くでがしゃんと音がして、一人の軍人が立ち上がった。
投げ捨てた立派な扉は、体の上に載っていたというよりは、それを盾にして爆風を防いでいたようだ。
「くそ、どういうことだ?!」
「……………ビルラーゼ大尉、ご無事でしたか」
「お前のその様子を見る限り、今回の件と関係はないようだな。その女はなんだ」
「…………事情があって全てをお話する訳にはいきませんが、上官からの預かりものです。保護と、送迎を命じられておりましたので、まずは魔術遮蔽が完全だったベルファストに来客許可を取って保護した後、今後の対策を本人と練っていたところです」
「ウィームからの客人だな」
「……………ええ。ですので、部屋に遮蔽をかけました。コートを脱いだところで、私も驚きましたので、厄介なものを押し付けられている可能性はあるでしょう。ただ、とはいえ上官の命令となれば、保護の任務を遂行せざるをえません」
幸いにも、シモンはネアを庇ってくれているようだ。
だが、二人の会話を聞いて、ネアは頭を抱えそうになった。
よりにもよって今日は、如何にもウィームの住人ですというウィーム風のドレスを着ていたのだ。
様々な服飾文化があるので他国の人間であれば識別が難しくとも、相手が、同じ国内の、それぞれの領地の特徴なども把握していそうな軍人ともなれば、そのくらいの判別は出来るのだろう。
(シモンさんが、私がどこから来たのかを訊いたから、服装のことをすっかり失念していたんだ。…………そうして、素性に気付いていないと思い込ませるのも、この人の策だったのかもしれない)
あの時、何も気付かずに他の領から来たことにしていたらと思うと、ぞっとする。
シモンがある程度譲歩してくれたのは、ネアが素直にウィームから来たと答えたからでもあるのだろう。
(そして、この施設にいる軍人さんは、反ウィームの方が多いのでは……………)
真っ赤な髪の毛をくしゃくしゃにして、頬に擦り傷を作り肩にも裂傷を負ったビルラーゼ大尉は、それでも生き生きとした生命力と、鈍りもしない鋭い思考を感じさせる女性だった。
どこか炎を思わせる色彩を持つ人だが、それよりももっと荒々しく強いものを思わせる。
これが物語の中の登場人物であれば、ネアは、この女軍人が好きだっただろう。
だが、現実ではこちらに好意を抱いているかで一万点くらいの差が出てくるので、そうも言っていられないのだった。
「…………お前にそうのような嫌がらせをするとすれば、フェルディアートあたりか」
「それもご存じでしたか…………」
(むむ…………!!)
ネアは、ここで更なる失策を知ることとなった。
シモンがフェルディアート卿とやらの部下だったのなら、もっと早くそちらのカードを切れば良かったではないか。
(でも、その問題が解決して早めにあの部屋を出ていたら、アルテアさんが迎えに来てくれていた可能性があった反面、より爆発の影響を強く受けた部屋の外に出ていた可能性があったのだわ)
ネアたちがいた部屋は、かなり頑強そうな造りであった。
恐らくは、使用の際に防音や魔術遮蔽のようなことを予め想定して造られた部屋なのだろう。
部屋の扉を盾にしたビルラーゼ大尉が軽傷で済んだのも、あの部屋だったからだと言えなくもない。
これでも、巻き込まれただけのか弱い乙女は、部屋の造りを見てどんな環境なのかを想像するのが得意になっている。
決して、事故率が高いからではない。
「であれば、卿には私から詫びておこう」
「ビルラーゼ大尉?!」
その直後、シモンは力いっぱいネアを突き飛ばした。
庇われたのだとわかっていたので、ネアは崩れた瓦礫が転がる地面に倒されても、そのまますぐに起き上がって逃走にかかる。
だが、ここで誤算があったとすれば、それは爆発事故の直後という、環境の悪さだったのだろう。
(…………しまった!)
ネアが向かった先には、大きな瓦礫が転がっていて、迂回して逃げようとしてもそちらの方向には火の手が回っている。
距離を取ってから金庫を使おうと思っていたネアは、ここでまた仕損じたのだ。
(どうして今日は、こんなに何回も仕損じるのだろう…………!)
後悔しても、もう遅かった。
ネアは、ひゅっと空気が鳴る音に咄嗟に体を横に逃がしたが、剣で叩き切られずに済んだ代わりに、力強く振り出された足でこれでもかと蹴り転がされる。
なにしろこちらは、ドレス姿なのだ。
対するビルラーゼ大尉は、動きやすそうな軍服である。
またしても強い衝撃を感じ、ネアは咄嗟に目を瞑ってしまった。
守護がある以上は受ける苦痛には上限がある。
だからこそ、こんな時に目を閉じずに耐え凌ぎ、冷静に周囲を見回せればいいのだが、やはり、このような状況にはいつになっても慣れない。
「っ…………」
髪の毛を掴まれて頭を持ち上げられ、鮮やかな緑の瞳に正面から覗き込まれる。
にやりと笑ったビルラーゼ大尉は、こんな時ではあったが、その獰猛さこそが何よりも美しかった。
「悪いがお嬢さん、私はウィームの人間が一番嫌いでね。その中でも、ウィームの女はもっと嫌いだ。あんた達はこの醜い顔の火傷の痕を嘲笑うだろうと言おうとしたが、………なんだ、ウィームの女にしちゃ珍しいね。美しくもないのかい」
「…………火傷?」
苦痛を制限しているからこそ、髪の毛を引っ張って持ち上げられるような仕打ちは最大限に苦痛を拾ってしまうので堪えた。
だが、告げられた言葉に思わず眉を潜めてしまったのは、ネアを見据えている大尉の顔が、滑らかな白い皮膚に覆われていたからだ。
一般的なアルビクロム領民よりは肌の色が白く、確かに頬に擦り傷はあった。
だが、火傷の痕などはどこにもないので、暗喩か暗号かと思い反応してしまったのだ。
そして、ネアの反応になぜか、ビルラーゼが目を丸くした。
「……………私の火傷が、見えないのかい?」
「ほ、頬であれば、擦り傷を負っていらっしゃいますが…………」
「あんた、…………可動域は幾つだい?」
「…………九です」
「九十?」
「い、いえ。……………ただの九です」
「永遠の子供か!」
「何を、…………ぎゃ?!」
いきなり髪の毛を離され、ほっとするよりもまず、ネアは瓦礫の上にべしゃっと落ちた。
したたかに鼻を打ったが、慌てて体を起こして顔を上げると、なぜかビルラーゼはこちらを複雑そうな目で見ている。
足音も荒く駆け寄ってきたシモンが間に入りすぐに半分見えなくなったが、先程までの生き生きとした力強さは鳴りを潜め、どこか冷めたような冷静な表情であった。
「ビルラーゼ大尉、何をお考えか!!あなたは、中立派…」
「不用意なことを大きな声で言うんじゃないよ、小僧」
「…………失礼いたしました。ですが、このようなところで、ウィーム領民が殺されれば、どんな問題になるかぐらいは想像がつくでしょう!」
「この有様だ。爆発に巻き込まれたように見せかけて死体を処理する方法なんざ、いくらでもあるだろう。私の軍人としての立場はそうではなくても、私はウィームの女が大嫌いなんだよ」
ただ、とビルラーゼは続けた。
ネアを見る眼差しに先程のような獰猛さは窺えず、それどころか、今度は冷淡な無関心さに近い。
「永遠の子供は別だ。…………好きでも何でもないが、永遠の子供に限っては、ウィームの女だろうが何だろうが、殺さずにいると息子に誓ったからね」
「…………だから、その魔術浸食の傷を、残しておられたのですか」
「まさか、こんなところに迷い込むことはあるまいと思ったが、妙に可動域が低そうなんで、念の為に確認したのが良かったようだ。…………紛らわしい真似をするんじゃないよ」
「…………この場合、責められるのは私なのですか?」
息子さんへの誓いなど知ったことではないと、ポケットの中のハンマーの持ち手を握り締めてわなわなしていると、瞳を細めたビルラーゼが目敏くその動きに気付いたようだ。
「へぇ、武器か何か隠し持っているのかい。その可動域で、私をどうこう出来るとでも?」
「…………腹は立てていますが、危害を加えないのであれば襲い掛かったりはしません。ですが、いきなり殺されそうになったのであれば、私も我慢がならないので自衛はするつもりです」
「何を持っているのか、見せてみな。ああ、取り上げたりはしないよ。取り上げずとも、何かが出来るとも思えない可動域だからね。…………シモン、お前が紛らわしい。お前が手を掴んでいたせいで、この娘の可動域を見誤った」
とんでもない言いがかりをつけられたシモンも遠い目をしていたが、頭を下げて謝罪しているのは軍という組織が階級社会だからだろう。
ネアは、ポケットから取り出して見せたハンマーでビルラーゼを大笑いさせた後、やっと周囲に殺しにかかってくる相手がいなくなり、もう一度、爆発現場を見回した。
(…………不用意に軍事施設に入り込んだのだし、ここでこの人をどうこうするのはやめておこう)
とても邪悪な人間は、なにも、慈悲深さのあまりに報復を諦めたのではない。
それまでにも考えていた、この国の中でも何かと紛争の起こりやすい境域を守る組織と、そのような場所で中立派に籍を置き、尚且つそこそこに有能そうな大尉という立場の人間が失われるのを惜しんだのだ。
漂流物の問題で、アルビクロムでは中立派の上級軍人が一人命を落としている。
人手不足が深刻だとアルテアがぼやいていたことがあり、ご主人様は、使い魔の心労と、暮らしている国の平安を慮ったのであった。
「…………立てるか?」
「ぼろぼろですが、これでも体は丈夫な方ですので。…………それと、可能であれば、あなたがお名前を出しておられたフェルディアート卿とやらに連絡を取って下さい」
「…………何の為に?」
「お二人の会話を聞いていて、すぐにウィームに帰して貰えないのならせめて、その方に身柄を押し付け直すのが正解だと感じました。これでも私は、暮らしている土地を大事にしています。これ以上まずい状況に巻き込まれ、二領間の紛争の種にはなりたくありません。…………誰かが、それを望んで私をここに連れてきたのだとしても」
そう言えば、シモンは複雑そうな表情になり、ビルラーゼは顔を顰めた。
この二人とて、その可能性を考えなくはないだろう。
目の前のか弱そうな少女が、どれだけ迷い込んだり呼び落とされたりしないような備えをしているのか知らないので、人間の仕業だと思えるからだ。
だからこそ、その言葉には二重の意味があった。
(私を被害者として認識させつつ、同時にシモンさんが敵だった場合にも備えて、私の身柄をより安全なところに移しておく必要がある)
この場ではビルラーゼが上官で、シモンは余程のことがなければその命令に従うだろう。
ネアをフェルディアート卿に預けるというような流れであれば、反対することもあるまい。
「悪いが、君をフェルディアート卿に預ける訳にはいかない」
「よりにもよって、反対しましたね?!」
「この状況では、君が、フェルディアート卿を狙っている派閥の工作員ではないという保証もないからだ。…………この爆発の原因が判明するまでは、私と一緒に行動を共にして貰おう」
「では、ボラボラを呼んで下さい!そちらに預けられた方がまだましです!!」
「呼べる訳がないだろう?!」
あんまりな要求に切り替えたネアに、シモンはぎょっとしたように声を上げる。
だが、安全な保護者を得られないのならいっそ、系譜の王様のご主人様ですと伝えた上でボラボラ集落を経由した方がまだ安全ではないか。
(ここに誰かを招いてしまうと、どうしても現れるのが高位の魔物であるだけに…………多分、ビルラーゼ大尉のウィームへの反感は、強くなるような気がする。だから、避けたかったんだけれどな…………)
壮健なまま残すのであれば、中立派に留まって欲しい。
そう考えてのことだったが、手がないのであれば諦めるしかないだろう。
この爆発が今後アルビクロムにどんな事態を引き起こすのかと思うと憂鬱だったが、自分の身の安全が確保出来ないのであれば、自分の為であるのは勿論のこと、大切な人達の為にもその要素を脅かすことは出来ない。
「ディ……」
シモンに何かを言う体でその名前を呼び掛け、ネアはひゅっと息を呑んだ。
次は何を言うのだろうとこちらを見ていたシモンが、訝し気に眉を寄せる。
「う、嘘つきでした!!やはり、仲間の一味ではないですか!!」
「…………何を言って…………っ?!」
震える指で背後を指したネアに、振り返ったシモンが顔色を変える。
剣を腰に戻していたところだったビルラーゼも振り返り、そのまま眉を寄せた。
「………………シモン。お前は、あの生き物と知り合いか?」
「彼女には誤解を与えたようですが、初対面です」
「というか、ありゃなんだ。怪物か?」
「…………色は黒ですが、ボラボラの一種なのですよ。なお、あのように謎めいた形状なのは、手が伸びるからです」
「ボラボラ……………?」
燃え盛る炎の向こうに、にゅいんと足を伸ばして遥か高みからこちらを見下ろす、黒ボラボラがいた。
やはりボラボラ絡みだったかと思って半眼になりかけ、ネアはふと、ボラボラはあんな目をしていただろうかと首を傾げる。
(こんな現場で、あの位置からであれば大勢の人達が死んでいるのが見える。…………だからだろうか)
でもあれではまるで。
「まるで、誰かを憎んでいるみたいだわ」
「まさか?!」
ここで初めて、シモンが酷く取り乱した。
その様子に気付いたネアは、すぐさま魔物を呼んでしまうことにする。
ビルラーゼが鞘に戻したばかりの剣を再び抜いたのも、軍人らしい勘の良さで何かを察したからだろう。
「ディノ!」
しかし、ネアがその名前を呼んでも、何の反応もなかった。
目を瞬いたネアは背筋が冷えたが、すぐに、うっかり、怯えて誰かの名前を呼んでしまった風を装う。
だが、ビルラーゼはその声の響きを聞き逃しはしなかった。
「……あんた、誰かこのような時に呼べた筈の相手がいるね」
「…………伴侶です。いつも、呼べばすぐに助けに来てくれると話していたので、思わず呼んでしまいました」
可動域に触れておいたせいで、ビルラーゼはその説明で納得したようだ。
炎の向こうからこちらの様子を見ている黒ボラボラの様子は変わらず、それでも言葉に出来ないような不穏さがひたひたと押し寄せてくる。
ふと、どこか遠くで誰かが歌っているような気がした。
ボラボラの歌声なのかもしれなかったが、これ迄に聴いてきた歌声とは何かが違う。
(よく聞く聖歌と、水路に流れてきたものから聞こえた音楽の間くらい………)
「怨嗟の歌声だ。…………恐らくこの周囲は、現在ボラボラの隔離地になっている」
「最近、憎しみの歌というものを知りましたが、同じようなものでしょうか…………」
「そ、それは知らないが、…………あれは、…………怨嗟の顛末から派生するボラボラだからな」
もしかしたら、シモンがそう呟いてしまったのは、無意識だったのかもしれない。
ふうっと溜め息を吐いたビルラーゼが、刃物のような眼差しで黒髪の軍人を一瞥する。
「この爆発も、あれのせいかい?」
「…………かもしれません。最近、ナッジスが見慣れない侍従を連れておりましたが、あの少年がどこから連れてこられたのかを、大尉はご存じですか?」
「知らん。貴族であることを鼻にかけたつまらん男だ。醜いしな。…………なぜそんなことを?お前は、あの男とは相当に相性が悪かった筈だが?」
「細やかな気遣いが出来、驚く程に仕事が出来ると言われていました。…………心根が優しく、献身的だとも。ナッジスの思わせぶりな態度と、一度見かけてもしやと思い気になったのですが、ストーフェンから連れてきたのか………」
シモンのどこか疲れたような声音には、これまでの関係も滲むのだろう。
「…………お前の故郷だな」
「ええ。恐らくあの男は、私に対するカードとして、彼を召し上げたのでしょう。小さな田舎の村ですので、能力を見込んで採用するということであれば、断れないかもしれません。或いは、予め目を付けていて、村を出た時に声をかけたのか。私が村にいた頃に見かけた子供に似ていると思っていたのですが、こちらに気付く様子もないので確信が持てませんでした」
軍人二人がそんな話をしている間、ネアは、もはや何の躊躇いもなく首飾りの金庫に手を突っ込み、カードを取り出していた。
案の定、カードにはディノからのメッセージが届いていて、どこにいるのかを探している。
あまりにも不安そうな様子に胸が苦しくなりながら、ネアはすぐさまカードにメッセージを書き込んだ。
“アルビクロムの軍事施設にいます。私を呼び落とした方は、ボラボラと祖を同じくしており、こちらでは爆発事故が起こりました。そして、初めて見るような悍ましい気配の黒ボラボラが現れました。ディノを呼んでも届かないのは、ここが隔離地にされたからかもしれないそうです。…………あと、私の様子が何だか変です。いつもように聡明な判断が下せません”
最後の一言は、悩んでから付け加えた。
いつもの自分よりも、今回は不手際が多いような気がする。
判断というものが選択に属し、その系譜の生き物が近くに多いことが気になったのだ。
“…………ボラボラに対してそのように感じたのであれば、怨嗟の発現から派生した原種の一つかもしれないね。ノアベルトとアルテアがすぐにそちらに行くそうだ”
“はい!”
“ごめんね、ネア。私が行くと、歌乞いとしての君が瑕疵を取られる可能性があるらしいんだ”
“あら。でもディノは、こうやって救助手配をしてくれるのでしょう?なんて頼もしい伴侶なのでしょう”
“ご主人様!”
(原種の一つ…………)
やはり怖がっていた伴侶に居場所を伝えられてほうっと安堵の息を吐きながら、ネアは、ボラボラという生き物が派生元を固定されていない生き物だったことを思い出した。
ボラボラは、森に纏わる概念のようなものや、森で亡くなった生き物が転じる生き物だとされている。
つまり、元々何であったのかということよりも、ボラボラが終着点だということなのだろう。
(それなのに、祖というものがあるのだとしたら………)
だからこそそれこそが、ディノが言うように原種なのだろう。
最初に現れたボラボラと、その後ボラボラになり始めたもの達とでも、素材が違うのかもしれない。
(そう言えば、地上に出ると同族を認識出来なくなる筈なのだけれど、カルウィの方には地上でも同族を認識して群れで動くボラボラが現れたらしいという報告があったと聞いたばかりだわ)
それもまた素材の違いなのだとすれば、成り立ちの多様さも証明済み。
素人理解だが、ボラボラに成ること自体は、多くの生き物にに許されているのかもしれない。
顛末の一つがボラボラという名を得るのであって、そこに至る経緯すらばらばらなのだろう。
(そして多分、話の流れからするとあのボラボラは………)
カードをしまっている姿を、軍人達はそれぞれ視界の端に収めていたようだが、ネアは大真面目な表情で、しれっと、カード型の連絡道具を使ったが、やはり応答がないと言ってみた。
「当然だ。ボラボラの遮蔽は、隠れ住みたいもの達であるだけにとても強い」
「まぁ。それでなのですね。そしてやはり、ボラボラについて知り過ぎているので、何らかの事情をご存じなのでしょう」
「それは……」
「…………シモン。吐け」
「私の家族が、…………あの生き物の生態に詳しかったのです。元々、自然に近い生き物達の中で一部の系譜のもの達は、祟りものが生まれるような経緯でボラボラになることがありました」
それは選択の系譜かなと思いながら、ネアもシモンの話を聞いている。
黒ボラボラの視線はネア達を外れ、爆発現場の広域を確認しているようだ。
この隙に逃げようとは、誰も言わない。
ネアは避難したかったが、シモンやビルラーゼは残って事態の収拾にあたるのも、責務の内なのだろう。
「その中で、現代で最も一般的な大型ボラボラの起源となったのは人型の種族で、怨嗟の顛末として現在の姿になったと言われております。その種族は今でも僅かにではありますがボラボラ化を免れ、或いは望まずに残った者達がおり、そして、より深い怨嗟を糧にボラボラに成ったものは、…………あのように黒い色をしているのだとか」
「成る程。その、僅かに残った者達を、お前は知っているのだな。そして、お前がナッジスの従僕に目を留めたような資質を、その者達は持っているのか」
冷静にそこまで看破したビルラーゼにシモンは瞳を揺らし、ふんと鼻を鳴らしたビルラーゼが、呆れたようにそんなシモンを笑った。
「私はこれでも、ウィーム育ちだぞ。その程度の想像はつく。…………あの領地では、さして珍しくもないような話だ」
(…………ウィーム育ちなのだわ)
思わず目を丸くしてしまったネアには冷ややかな目を向けたが、何かを言おうとしたビルラーゼは、すぐに視線を黒ボラボラに戻した。
「歌声のようなものが聞こえるな。………ふむ。魔術を纏っているようだ」
「この季節なので、同じ怨嗟を持つボラボラを呼んでいるのでしょう」
「ってことは、あいつみたいなボラボラが他にもいるんだね」
「以前、黒ボラボラの居住区に迷い込んだことがありますが、概ね友好的な方々でしたよ?」
「……黒ボラボラの集落に?!」
茫然としたシモンが振り返り、ビルラーゼに対象から目を逸らすなと蹴られている。
「黒いボラボラは、ボラボラの中でも特に怨嗟が深く、交流を遮断した隠者達だ。そうそう出会えるようなものではない。君の方こそ、ボラボラと何か関わりがあるのではないか?」
そう問いかけられ、使い魔がボラボラの系譜の王様なのだとは言えず、ネアは遠い目になった。
そう言えばこちらも、ボラボラと無関係かといえば、完全にはそうではないのだったと気付いてしまったのだ。
そこに大事な契約が絡んでいる以上、魔術に明るくないネアはこの問いかけを安易に否定出来ない。
「…………ボラボラにたいへん愛されている知人がいます。毎年、その方の巻き添えで、ボラボラに関わることが多いのですが、今年はなぜか別行動でした」
「ボラボラに…………?」
「…………あんた達、お喋りはそこまでにしておきな。そろそろあの化け物が動きそうだね。…………シモン、ナッジスの従僕があの化け物に成ったのは、どんな理由なのか知っているね?」
「…………善意と献身を利用されたからでしょう。それが、種族的な禁忌だと聞いています。さほど階位が高くない割には非常に器用で有能な一族ですが、利用されて使い潰されると障りが出る。召し抱えたのであれば、契約の際にそのような説明もされた筈なのですが…………」
(二人の話しぶりのような人物であれば、雇用時の話し合いに本人が参加しなかったのかもしれない)
そう考えながら、ネアは慎重に周囲を見回した。
(先程からずっと、おかしいと思っていた…………)
これだけの爆発だ。
死者が多いのは頷けるのだが、それにしても周囲に動く人影がなさ過ぎる。
仮にもここは軍の施設なのだから、他にもネア達のようにあの爆発をやり過ごす者もいてもおかしくはない。
それなのに、あまりにも死に過ぎている。
(なぜか私がここに召喚されて、…………こんな事件に巻き込まれていて…………)
次に何かが動くまでの猶予の中、握り締めたハンマーの柄にじわりと滲むのは冷や汗だろうか。
偶然というにはあまりにも奇妙で、ネアは視界の端にシモンを収めた。
分かっているのは二つだけ。
ネアを呼び落としたのが、この男性だということ。
そしてここで、そんなシモンの素性に関わる事件が起き、ネアが巻き込まれたということ。
(…………だとすれば)
「申し訳ありませんが、そのハンマーで部下を殺さないでいただきたい」
その声は、ふいに聞こえた。
驚いて振り返った先に、これまた黒髪の、ただしこちらは痩せぎすの男が立っている。
印象の薄い顔立ちだったが異様な気配の暗さがあり、シモンが小さく息を呑んだ。
「蛇の紋章かい。…………ってことは、その坊やは諜報部員か」
「ご無沙汰しております、ビルラーゼ大尉。こちらのお嬢さんが、私の部下をハンマーで殴り殺しかねなかったので、見過ごせずに出てまいりました」
「この娘がかい?」
「こう見えて、非常に優秀なお嬢さんですよ。そして、このような表現になりますが、私の上得意でして。あまりにも目がいいので、嵐の目になっているシモンを起点と捉えて、ひとまず潰そうとされたのでしょう」
「言いたいことは幾つもあるが、よりにもよって、諜報部員をフェルディアートの部下に偽装させていたのかい。あの派閥に貸しを作ると、厄介なことになるだろうに」
「そこは、持ちつ持たれつですよ。…………さて、ハンマーはしまっていただけますか?また珍しい障りが現れておりますが、ここは私がどうにかいたしますので、穏便に済ませていただけますと助かります」
こちらを見て微笑んだ瘦せぎすの男は、ただの人間にしか見えなかった。
だが、会話から欲望の魔物だと判明したので、ネアはそっと首を横に振る。
「残念ながら既に、私の知り合いが、救援に向かっているそうです」
「おや。それは困りましたね。…………あなたの保護者達は、いささか過激ですから。外から来るとなると、そろそろ到着する頃合いでしょうか」
そんな言葉から、さてはずっと中にいたし、こちらの騒ぎにも気付いていたなと知って暗い目になったネアに、アルビクロム軍人に擬態したアイザックはにっこり微笑む。
そして、そんな言葉を聞き逃さなかったのは、ネアばかりではなかった。
「ほお。この騒ぎはお前のせいか」
ひたりと落ちたのは、美しく暗い声。
艶やかで清艶で、ぞっとするような不愉快さを滲ませた声だ。
「これはこれは、…………随分と高位の方の訪れですね」
「アルテアさんです!むぐ?!」
使い魔の登場にぱっと笑顔になったネアは、すぐさま抱え上げられて体ががくんと揺れた。
話している最中の持ち上げは、舌を噛みそうになるので今後は配慮いただきたい次第だ。
だが、こつんと合わされたおでこに、心配をかけたのだとわかってネアはそんな苦情を呑み込んだ。
鮮やかな赤紫色の瞳には、どきりとするような揺らぎがある。
「………………守護をどれだけ揺らすつもりだ。どこも損なっていないだろうな?」
「はい。守護がしっかり機能していたので、怪我はせずに済んだようです。………まぁ。ビルラーゼ大尉は、気を失ってしまっています」
「優秀な軍人みたいだけど、さすがに擬態もなしにアルテアが現れるとね。…………そっちの事後処理は、アクスに任せられるんだよね?」
また頼もしい家族の声が聞こえて、ネアは、そちらを振り返った。
目が合うとにっこり微笑んだのは、こちらは擬態して灰色の髪にしている塩の魔物だ。
銀狐姿ではないので、守り給えなけばけばではなく、守ってくれる魔物である。
「ええ。それはお任せいただければと」
「ノア!」
「もう、お兄ちゃんが来たから大丈夫だよ」
「はい!」
怪我はしていないが、打身などはあるかもしれない。
使い魔の乗り物の上で安堵にくたりとしていると、囁くようなシモンの声が聞こえた。
「………………王」
アルテアは、今にも倒れそうな顔色のシモンを一瞥し、すぐに視線を炎の向こうに戻してしまう。
ノアと視線を交わし、何らかの意思疎通をしたようだ。
「やれやれ。…………面倒だな」
「ここを吹き飛ばしたのは、やはり、あのボラボラなのです?」
「ここまで完全な仕事ぶりとくれば、爆発の手配と準備は
あれにさせたんだろうよ。命じられたことを完遂し、その成果を捧げることを好む生き物だ」
「む…………」
「大方、仕事だけさせて口封じでもしようとしたんだろうなぁ。よくある事だしまたかって思うけど、僕の妹を巻き込んだのはさすがに許せないよね」
ここで、こほんと咳払いをしたのは擬態姿のアイザックだ。
「私の部下が召喚を仕損じ彼女を巻き込んだのは、偶然という名の必然だったのかもしれないと考えております。………シモン、この状況を収集する為の人材をそろそろ送るようにと、そのような定型の文言で召喚を行いましたね?」
「…………ええ」
「となれば、あなたも願いの糸を使えますので、敢えて濁したその召喚条件が、偶然にも同時に進行していた事件のせいで、彼女を呼び落としてしまう結びとなったのでしょう。この通り、彼女は系譜の王を動かせる方ですので」
ということは事件ではなく事故だったのだなと考えながら、ネアは、アルテアにもう一度しっかりと抱え直された。
系譜の王様が現れた以上、このまま帰れるのかなと思っていたのだが、思いがけないことを聞かされることになる。
「…………面倒ごとに巻き込まれやがって。ここからが厄介だぞ」
「なぬ………………」
「ありゃ。今回は、どっちかというと成り損ないだね。ボラボラというよりも、ボラボラになれなかった祟りものってところかな」
「…………この事件が終わったら、誰か、ボラボラについて詳細な説明をして下さい」
どうやら、これだけの魔物たちが揃っても、すぐには家に帰れないようだ。
ネアは、大事な魔物があまり怖がっていませんようにと願いながら、ゆっくりと狂っていくような静謐さを湛え、こちらをじっと見下ろしている黒ボラボラに視線を戻した。
暫くは不定期更新となります。
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