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小さな陰謀といつものお客 1




ネアはその日、貰ったばかりの紅茶のクッキーを食べようとしていたところで、きらきら光る糸のようなものを見た気がして、その直後に座っている椅子が変わったことに気付いた。


あんまりな状況説明であるが、そうとしか言いようがなく、たいへん残念なことに、これは事故といわれる類の異変であるのは間違いない。



(……………ここは、どこだろう)


空気の匂いと、窓から差し込む陽光の明度が変わる。

見上げた先には、木造建築とは思えない程に緻密に組み上げられた天井があって、大きな採光窓からは午後の光が差し込んでいる。

六角形の独特な構造は異国風であったが、周囲の壁が赤煉瓦ということに僅かな既視感があった。



「……………初めまして?」

「初対面には違いないな…………」



そして、お向かいの席に座っているのが見覚えのある軍服の男性とくればもう、ここは恐らくアルビクロムで間違いないのだろう。


正確にはネアの知る形の軍服ではないのだが、基本形が同じなのでアルビクロムの中でこれまで縁のなかった隊や部門の軍人なのだろう。

なお、ネアは軍というものの組織構成については、全く基礎知識がない。



(この人は、黒と深い青緑の軍服で、………前に見たことのある方々の装いに比べて、装飾的な軍服という感じなのだけれど………)



そんな軍人の男性は、いきなり向かいの席にどこからか投げ込まれたご令嬢が座っているにしては、冷静な対応をしてくれたのだろう。


黒髪に紅茶色の瞳の端正な面立ちで、軍服の袖口の刺繍などを見る限り、それなりに階位を得ていそうな御仁だ。

色彩で言えば使い魔風だが、髪型や雰囲気を見て一瞬ウィリアムの擬態かなと思ったが、この様子だと初めてお会いする人だとみてよさそうである。



「その、この様子から何となく察していただけるかと思うのですが、自宅でクッキーを食べようとした瞬間、もう、こちらにいました。差し支えなければ、ここがどこだか教えていただくことは出来ますでしょうか?」

「そのようにしか見えないので、恐らく問題はないだろう。とは言え、この建物は少し特殊なものなので、念の為に君の暮らしていた土地がどこだかを尋ねても?」

「という事は、私が暮らしている土地如何によっては、扱いが変わってくるのでしょうか?」

「……………かもしれない。少なくとも他国の人間であれば、こちらの機密事項を明かす訳にはいかない」



尤もな言い分なので、ネアは少しだけ迷った。


とは言え、こちらは擬態も間に合わなかった有りの侭のネアなので、身分などを隠すのは難しいだろう。

写真や映像の記録媒体が一般的ではないのですぐには身許を掴まれずとも、いずれリーエンベルクの歌乞いだと露見してしまうかもしれない。



「……………ウィームからきました」

「ウィームか………。現段階では最悪の手札だが、私としては問題ない」

「ご返答の前半がとても気になるのですが…………」


暗い目でそう問えば、男は小さく溜め息を吐いた。

ネア達がいる広い部屋の扉の方を鋭い目で見ると、指先をついっと動かしている。

無言で眉を持ち上げたネアに、防御魔術を展開したのだと教えてくれた。


「施錠と防音だ。一時的なものだが、念の為に。端的に言えば、この施設の管理者や通常の使用者はウィームに対して否定的な感情を抱いている派閥にあたる。施設内で何か隠された企みがあれば、君の身の安全を図るのは難しくなるだろう」

「ここは、アルビクロムですよね?」

「………この軍服で否定もしようがないな。ああ、アルビクロムの国境域にある軍事施設だ」

「私はなぜ、いつもボラボラの季節にこちらの領地の問題に巻き込まれるのだ……………」



そう呟いたのは尚且つ小さな声だったが、男性は拾い上げたようだ。


前にもアルビクロムで事件に巻き込まれた事があるのかと問いかけられ、ネアは澄まし顔で、その案件については政治的な事情があるようなので明かせないと言うに留める。


(アルテアさんやダリルさんから、以前のロムロ家の一件は、交渉用のカードとして使える際には情報を制限した上で切って構わないと言われているから…………)


とは言え全部を切ってしまうのではなく、きりん札のようにチラ見せくらいでいいだろう。

目の前の男性に、アルビクロムの動きに何らかの理解があると匂わせるだけでいい。


時期的なものを見ればロムロ家の一件が浮かび上がるかもしれないが、そちらに関わったということには言及していないので幾らでも立場を翻せる。


(この場所がウィームに対して含みがあるのだと教えてくれたからには、この人は領主側の軍人さんなのかもしれない。そこを見越して、ウィームの人間としてアルビクロムの何かに関わっていることは匂わせておこう………)



「アルビクロムの政情に理解は?」

「ややあります。ウィームに対して否定的な派閥があるというくらいには」

「であれば、この場所がどれだけ危ういかは理解出来るだろう。因みに君は、私が仲間を召喚しようとしたらここにいた」

「……………まぁ。私をこちらに呼び込んだ犯人さんなのです?」


思わずネアの声が低くなったからか、目の前の軍人は眉を寄せた。

眉間の皺がとんでもないことになっているが、恐らくネアも同じ表情をしているだろう。

何しろ、おやつの途中だったのだ。

首飾りの金庫の存在を明かす訳にいかない以上、屋外に出るコートすらない有様である。


「そうではないとは言えない。……………が、私としても想定外の事態だ。対ウィームの動きを探る為に潜入している場所にウィームの人間が呼び込まれたとなると、意図的な仕掛けをされている可能性も高い」

「念の為に伺いますが、お知り合いのボラボラはいますか?」

「……………いないが、なぜだろうか」

「ボラボラの時期に似たような騒ぎに巻き込まれた事があるので、別角度から関連性を探ってみました」

「…………私がここにいることにボラボラは無関係だし、特定の関係を持ったこともない。それは、偶然だろう」


更に眉間の皺を深くした男性はそう言うが、今回もフェルディアード卿関連の事件の可能性はある。

とは言えその名前までを出すのは申し訳なく、ネアは小さく頷いた。


「ここから家に帰るのに、市販の転移門は使えるでしょうか?」

「残念だが、軍事拠点なので、専用の部屋以外での転移の使用は禁止されている。私が使ったのは特殊な召喚魔術だったのだが、こちらも一度限りの使用だった」

「どなたを呼ぼうとしたのか、お聞きする事は出来ますか?私のお知り合いの方だったのかもしれません」

「君が、反ウィーム派閥の送り込んだ者だという可能性も残る以上は、それは難しいな。これでも私の立場を明かしただけでかなり譲歩している」

「むぐぅ………」


またしても尤もなことなので、ネアは頭を抱えそうになった。


差し迫った危険はなさそうに感じるが、目の前の人物が、完全にネアに対する警戒を解いていない以上は、魔物を呼ぶだけの隙があるのかどうかも分からない。



(カードからディノに連絡を取るか、ディノを呼ぶかしたいけれど、私がリーエンベルクの歌乞いだということを隠せるのであれば隠したい。………となると、ウィームに紐付かない誰かを呼ぶ?……………でもその場合、ウィームにそれだけの伝手があると手の内を明かしてしまうことになりかねない)


何しろこちらも、目の前の男性の主張の全てを信じられるかどうかは微妙なところなのだ。

これが罠ではないと判断するまでは、誰に助力を願うのかが難しい問題であった。


この場所に呼び落とされる前に見たきらきら光る糸のようなものは、以前に、ボラボラに召喚されたときに目にしたものに非常によく似ている。

ディノから、あのような召喚は特定されたものを釣り上げる為の選択召喚なのだと教えて貰っていたのだ。



(目の前の人がこちらの名前を問わないのは、自分が名乗れないからだろう)



それはとても好都合なので、どうにか隙を見付けて助けを呼べればいいのだが。

しかし、その為にはまず、そう大きくはないテーブルを挟んで見知らぬ男性と向かい合わせという環境を、どうにかしないといけなさそうだ。



「では、アクス商会や山猫商会さんに回収をお願いするのは、ありでしょうか?」

「すまないが、それも難しいだろう。以前にそれらの商会との情報戦をめぐる摩擦があった関係で、取引業者を施設管理を任されている者の身内の商会に限定している筈だ」

「念の為に伺いますが、私をこの場から逃がす策をお持ちなのですか?…………とても横柄な言い方ですが、お話を窺っている限りは、あなたの立場的にも私を帰らせた方がいいと思うのです」

「ない。なので、……………悩んでいるところだ」



その迷いは、どのように巻き込まれた一般人を逃がすかどうかではなく、見捨てるべきかどうかなのかもしれない。

ネアは、少しだけ考えると、まずは手に持ったままの紅茶のクッキーをさくさくと食べてしまうことにした。



「………随分と、落ち着いているのだな」

「実は、このような事故は初めてではないんです。とは言えここで危険な目に遭うのをよしとはしておりませんので、脱出の手立てを探ろうと思います。少し、背中を向けさせいただいても?」

「悪いが、それは許可出来ない。何かを取り出すのであれば、見えるところで行ってくれ」

「………ふむ」


そう言われてしまうと、我が身が可愛いばかりの人間は、目の前の軍人をまずは無力化するべきかどうか悩んでしまう。

しかし、相手は軍人であった。

殺気か何かが伝わってしまうものなのか、そう考え始めた途端に表情が険しくなる。


「強硬策を取るようであれば、こちらも対処せざるを得なくなる」

「その場合、私は確実にあなたを殺してしまうので、出来れば避けたいですね…………」

「君が、………私を?」

「はい。これでも、防衛には長けております。それと、………もしかして人外者さんですか?」



次の問いかけは、率直過ぎたのかもしれない。

向かいに座っている男性は、鋭く息を吸った。



「………成る程。可動域が片手程に思えるのを訝しんでいたが、やはり擬態なんだな」

「まぁ。そんなに低くありませんよ!両手に少し足りないくらいです!」

「となると、擬態もしていないなし、十以下ということになるが………?」

「現実は常に残酷なものです。ただ、狩りの女王であることは変わりませんので、それはあくまでも一つの側面だと主張させて下さい」

「十以下で狩りが出来るとなると、簡単に狩れるのは蟻くらいになるぞ…………」

「……………反論したくて堪りませんが、さすがにこのような状況となると、手札を明かさないのも淑女としての振る舞いだと学びました」



悔しさを噛み締めながらじっと見つめると、男性はふうっとため息を吐く。

冷静にも思えるが、どこかで少しだけ困惑しているような溜め息だった。


部屋の中は静かであった。

小規模な講堂のような空間は机と椅子の並び方が独特で、成程、このような施設だからこそある部屋なのだろうなと思えるところだ。


手前に幾つかの会議用にも使えそうなテーブルスペースがあり、その後ろは野外劇場のような造りになっている。

ネアたちが座っているのは手前にある四人席の普通の机なので、残念ながら、誰かが部屋の扉を開けると真っ先に目に入ってしまう位置だった。


(少人数の打ち合わせにも、大人数の説明会にも使えるようになっているのかな。……………ということは、この座席を埋めるだけの人数はいると思っておいた方がいい…………)


ざっと周囲を見ただけでも、六十席あまり。

思わず小さく溜め息を吐いてしまったが、特に不自然ではないので向かいの男性も気にした様子はない。



「確かに、俺は生粋の人間ではない。………魔物か精霊のあたりだろうと言われているが、単一派生で特に目立った資質もないから、種族はとしては未分類だ。これでいいか?」

「………まぁ。ご本人にすら分からないようなことがあるのは、初めて知りました」

「少なくはないらしい。識別名称はあるが、種族名は明らかではないものもいるだろう」

「む。言われてみると確かに、よく分からない生き物は沢山いますね……」


ここでネアは、思い浮かべた殆どの生き物達が、選択の系譜のものであったことに気付き愕然とした。

思わず、目の前の男性を見てしまったが、人型なので違うかもしれない。


「何だろうか」

「………念の為に伺いますが、選択の系譜の方ですか?」

「…………」



眉を寄せてぐっと黙り込んだ男性を見て、ネアは無言で震えた。



「ボ、ボラボラと、無関係ではないではありませんか!」

「い、いや、………系譜の区分ではボラボラとは無関係ではないが、………もう少し小さな区分でも関連はあるが、………今回の件にボラボラは無関係だ」

「小さな区分でも関連があるというのは、何事なのだ………」

「……………私の一族は、ボラボラと祖を同じくしているらしい。とは言え、私自身は一般的な人間と同じ適度にしかボラボラと関わったことはないし、寧ろ、ボラボラには忌避される傾向が強い。…………というか、ボラボラの話は今必要なのか?」


男性もかなり動揺している様子だが、ボラボラが完全に無関係ではないと判明してしまい、尚且つ思ってもみなかったボラボラの歴史に触れてしまったネアはもっと動揺していた。


あのきらきら光る糸を久し振りに見たのは、この男性がボラボラとルーツを同じくする存在で、そんな人が召喚をかけたからなのだろうか。


(そして確かに、無関係だというのなら、今はボラボラの議論をする必要はない!)



「…………あまりにも想定外の答えが出て来てしまいとても混乱しているので、ここでやめておきましょう………因みに、私もボラボラめには嫌がられます」

「可動域が低いからだろう。成熟を嫌うのに永遠の子供も厭うのは、関わると死んでしまうからだろうな」

「可動域にも上品なものがあるのだと、ボラボラめは知らないのでしょう」

「それは、上品という言い方でいいのだろうか……………」



その言葉に、ネアが答えようとした時のことだった。

男性が、すっと片手を持ち上げ、沈黙を促す仕草をする。


ネアはぴたりと口を噤み、こっそりと片手をポケットに入れた。



(ハンマーならある…………)


おやつの後でディノとリーエンベルクの周囲の見回りに行く予定だったので、そのような装備はある。

その代わりに手が届くところにないのは、大事な伴侶や家族への連絡手段ばかりだ。


なお、見回りを引き受けたのは、うっかり木の上に潜んでいたボラボラにアレルギー反応が出てしまったリーナに、少しでも休んで貰う為の交代要員だったからだ。


大事なリーエンベルクの警備に穴を開けたくないので、出来れば見回りの時間までに戻りたいと思っていたが、緊張した面持ちで部屋の外の気配を窺う男性の横顔を見ながら、これは少し難しそうだぞと考える。



「………部屋の前の廊下に誰かがいたようだ。今回は通り過ぎたが、そろそろ部屋を移った方が良さそうだな。これから、私の後ろをゆっくりと歩いてついてきてくれ」

「この通りの服装ですので、すぐさま不審者として発見されそうですが」

「目晦ましの術式を限定的にかける。事前に共有しておくが、その部分に誰かが触れれば露見するものだ。もし、誰かが近付いてきたり、ぶつかりそうになったら避けてくれ」

「あなたに呼び掛ける際には、どう呼べばいいでしょう?」


ネアは少しだけ迷っていた。


選択の系譜であれば系譜の王様の話をしてもいいのか、それとも偶々揃っただけなのかが未知数なのだ。


アルビクロムの軍部は、アルテアやウィリアムも恒例的に擬態で潜入している場所である。

となれば、高位の魔物の目線で見ても、それだけ監視や管理が必要な組織なのだろう。

そして、その安寧は決して大事なウィームとも無関係ではないのだ。


政治的な駆け引きなどで応援が出来ないネアとしては、現在の運用を可能な限り荒らしたくない。


おまけに、この男性はボラボラと祖を同じくするというではないか。

意図的なものでも、巻き込まれただけでも、ボラボラによる陰謀の脅威もあるという初めての状況のせいで、ネアはとても混乱していた。



(本当は、ここで、アルテアさんの話が出来ればより安全なのかもしれない。…………だけど、私自身が使い魔さんを招き入れる為の餌にされているということもあるのだとしたら………)



ボラボラ達が主犯であれば、深刻な危険とは言い難いような気もしてしまうのだが、こうして人型の関連生物がいると判明した以上は、警戒を緩めない方がいいだろう。

例えば、こちらの男性がボラボラの資質を利用して、系譜の王様を引きずり出そうとしている可能性もある。

その疑念が残るだけで、目の前の人物が選択の系譜であるという利点は、なくなってしまうのだった。



「…………シモンと」

「分かりました。ではそのように。何かあれば、私の事は灰色とお呼び下さい」


ネアがそう言えば、眉を持ち上げたシモンが、通り名はずるいという表情になったが、今回はレイノという偽名を使うのも危ういだろう。

擬態をしていない以上、レイノがウィームの歌乞い用の偽名だと知られるのは、避けておきたい。


とは言え、安易に偽名を考えて力のある人外者の名前の響きを勝手に使った場合は、それもそれで事案となるので、こんなところでのうっかり事故は絶対に避けなくてはいけない。



(偽名まで八方塞がりだなんて、物凄く厄介なことになっている気がする……………)



「なお、この手首にあるブレスレットが魔術金庫になっています。中から擬態符を取り出して、髪色と目の色を変化させてもいいですか?」

「擬態が出来るのであれば、擬態しておいた方がいいだろう。だが、金庫に手を入れている間だけ、こちらでも念の為に対抗術式待機に入らせて貰う」

「わかりました」



(良かった!その条件を飲めば許してくれただけでも、大きな進展だわ。……………でも、いざというときはもう、こちらの金庫は諦めるしかなくなったのだわ。中に入っているのは、擬態符とパンの魔物符、カワセミ一匹だけだけど、…………気に入っていたのにな)



こんな場面でも自分の愛用の品は手放したくない強欲な人間は、一瞬だけ目の前の男性をパンの魔物にしてしまう可能性も思案したが、恐らく向けられているのは攻撃術式なので諦めた。


ここで無駄に抵抗するよりは、機を窺った方が安全に違いない。

そう思いながら、さりげなく手を重ねて隠していた左手に注意しながら角度を変え、魔物の指輪が見られないように手首の金庫だけを見せた。

ゆっくりと、お目当てのものを取り出す。



「これです!」

「………取り出した術符をこちらに向けないようにして使ってくれ」

「はい。……………この通り、金髪に青い瞳になりました」


短く頷き、シモンはネアに向けていた魔術を解いた。

こっそり安堵の息を吐き、ネアはしゅわりと消えた術符のなくなった指先を握り締める。



「部屋を出た後は、右手に進む。君の腕一本分程度は、距離を空けても問題ない」

「はい。それ以上は離れないようにしますね」


思っていたより範囲が狭いと思ったが、そう言及するだけであれば時間の無駄だろう。

そう考えて頷くだけに留めるとシモンは微かに驚いたようだが、短く頷き、すぐに背を向けた。


がちゃんと、重たい金属錠を外す音が響く。

魔術的な施錠だけではなく、物理的にも扉を閉めていたのだなと思いながら、ネアは呼吸を整えた。

軍用の施設なのだから、これから向かう先には軍人達が大勢いるのだろう。

シモンの言葉が真実で、本当に見付からずに移動出来るのかも、まだ確かではない。



(せめて、アルテアさん達が潜入している中央の軍事施設であれば、まだこちらの味方になってくれそうな人がいたかもしれないのに!一般来客を受け入れているような場所であれば、ただの迷子として誤魔化すことも出来たのに…………)



だが、そんなことを嘆いていると、状況の変化はすぐに訪れた。

扉を開けた直後に、シモンが誰かに吹き飛ばされたのだ。



「……っ?!」

「ぎゃ?!」



そしてそれはつまり、すぐ後ろに立っていたネアも巻き込まれるということだった。


見慣れた魔物達程に長身ではないが、それなりに長身の男性の質量を直接にぶつけられ、ネアは木製材を複雑に組み合わせた床に嫌というほどに体を強打する羽目になる。


大きな衝撃の後に、勢いを殺しきれずに体が床を転がる感覚は、これまでに巻き込まれた事件の中でも嫌な者に分類される現場でばかりお馴染みのものだ。

床に叩きつけられた直後は気が遠くなったが、更にぐっと床に押し付けられて奥歯を噛み締めた。


どうやら、か弱い乙女を緩衝材代わりにして体勢を整えたシモンが、何某かの武器で襲撃に抵抗しているようだ。


上に重なっていた人が立ち上がったのだから当然だが、ネアは、容赦なくぎゅっと押し潰されて悲鳴を上げそうになった。

だが、シモンだって、見ず知らずの身許も不確かな人間を自分の身を危うくしてまで守るつもりはないだろう。



「………ビルラーゼ大尉」

「やぁ、中尉。魔術遮蔽を行って何をしているのかと思えば、見慣れないお嬢さんと逢引きかね」



(……………女性の声だ!)



これでもかとネアをぐしゃっとやりつつシモンが立ち上がったので、ネアは、聞こえてきた声に驚いて思わず顔を上げてしまう。

すると、シモンではなく、こちらを見ていた背の高い女性が、鮮やかな緑色の瞳を細めてにやりと笑った。


赤毛に緑の瞳の印象の強さよりも、華やかな美貌よりも、軍人としての鍛え抜かれた肢体や冷酷そうな微笑みの方が鮮やかに浮かび上がる人だ。



これは容易に見逃してくれなさそうだぞと震え、ネアは、今後の騒動は考えずに呼ぶ名前を決めるしかなかった。

器用さという意味や、この地に既に潜入先を持っているという意味ではアルテアやウィリアムがいいのだろうが、この瞬間にすぐに動けるかどうかの確証がない。

ここはやはり、目の前に座っていた伴侶が失踪したばかりの、ディノを呼ぶのがいいだろう。



(穏便に解決出来ないのなら、もっと早くディノに助けを求めておけばよかった!!)



こういう展開も策に溺れるというのだろうかと思いながら、ネアが大事な魔物の助けを呼ぼうとしたその時、更なる異変が起こった。



まずは、凄まじい衝撃に体が吹き飛ばされる。

その直後に爆風の熱を体に感じ、最後に、むわっと火薬の濃密な匂いと、崩れ落ちた建物の粉塵や崩れて燃える木や煉瓦の匂いが鼻孔に届いた。



「…………えぐ」


もうもうと立ち込める黒い煙の中で、ネアは、何とか体を起こそうとして何かに挟まったまま、ぱたりと地面に崩れる。

何か深刻な損傷を受けているような痛みは感じないが、どこかに挟まっていて体を起こせない。



先程までいた部屋か、あの施設そのものが爆破されたのだと分かったのは、どこかでごうっと火の手が上がるのが見えてからだった。

人間はどうやら、いきなり爆破に巻き込まれると、恐怖や不安よりも、ただひたすらに呆然とするらしい。













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