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チョコレートとサルシッチャ




ネアはその日、ウィームの運河沿いにある商店に自家製サルシッチャを買いに出かけていた。

夜林檎豚とローズマリーのサルシッチャを入手し、ご機嫌で唇の端を持ち上げる。



そして、唐突に思い出した。



(……………今日は、バレンタインなあれの日!)



突然の啓示にわなわなと震えるネアはしかし、この日のことを以前より失念していた訳ではない。

なぜか、ここ二日ほどでぽこんと記憶から消えてしまったのだ。


そんな経緯を記憶の中で必死に手繰り寄せ、ネアは、もう一度わなわなした。

今のところ、何かの呪いの可能性とただの忘却の可能性は五分五分である。

多分、何かの呪いのせいだろう。



(今から材料を買い揃えて作れる、チョコレートのお菓子………!)



頭の中で必死に活路を探るのは、材料を買い揃えていないからではなく、揃えておいた材料だとあつあつの焼きたてパウンドケーキに対してコンフィチュールを冷やしたいので、前日からの仕込みが必須であったからだった。

かくしてネアは、さり気なさを装って伴侶の三つ編みを引っ張り、ウィーム中央市場に出掛けることになったのである。



「何だその顔は……………」



そして、そろそろ市場で使い魔に出会うのも慣れてきたところだ。


本日の選択の魔物は、ステッチのあるダブルのウールコートを着ていて、何だか少しカジュアルな装いではないか。

エポレットや襟の形などを見ていると少し学生めいたデザインだが、腰の低めの位置で結ぶ同素材のベルトでぐっと大人の男性らしい色気も加わる。



「いちばに、おかいものにきました」

「ほお。何か隠しているな」

「なにもかくしていません……………」

「アルテアは、キノコを買いに来たのだね…………」


キノコ屋のおかみさんに怖いキノコで脅かされた記憶が新しいのか、少しだけしょんぼりしているディノを見上げ、ネアはにっこりと微笑んだ。


魔物を慰めるふりをして時間を稼ぎ必死に考えているのは、ここでアルテアに見付かってしまった以上余儀なくされる、当日の市場への立ち寄りが必須な理由付けである。


後から考えると、実は別の理由で来ていただけと言える状況だったのだが、この時のネアは必死で気付かなかった。

どうにかして、この場を乗り切らなければと思ったのだ。



「で、お前は何の用だ?」

「私は、果物を買いに来たのですよ!」

「……………それだけか?」

「なぜ疑われているのだ。今日はチョコレートな何かを振舞う日なので、当日購入の新鮮な果物が必要なのです!」

「ほお?」

「ぐぬ。なぜ疑わし気な目をするのだ………!」

「今から果物を揃えるとなると、加熱素材じゃないな」

「…………な、なぬ」



こんな時、最大の敵となるのは、タルトやパイまでを美味しく焼けるお料理上手な魔物なのだろう。


ネアは、思っていた以上にこの話題から撤退しない使い魔を呆然と見上げ、そろそろ自分のお買い物にお戻りくださいと心の中で念じてみる。

しかしなぜか、アルテアは未だに何かの回答を待つように目の前に立っていた。


ネアは仕方なく、そろりと離脱を試みると、果物の専門店に向かうことにした。

しかし、三つ編みを引っ張られているディノが振り返るので、使い魔は付いてきてしまったようだ。



(監視されている…………!)


この場合、罪状は伴侶のバレンタインを忘れて、サルシッチャに夢中だった罪だろうか。

内心冷や汗をだらだらかきながら、ネアは急遽お目当てになったお店の前に立つ。



「まぁ。小さめですが、甘そうな苺が沢山出ています!」

「今日は、その苺の特売日だからな」

「……………特売日を知っている魔物さん」

「アルテアが………」

「やめろ……」



ネアは、艶々の赤い苺を見ながら考えた。

苺とチョコレートの組み合わせが悪くないので、何か、非加熱素材で運用出来ないだろうか。


(……………フォンデュ)


そこで一つ思い浮かんだのが、チョコレートフォンデュである。


厨房にある材料で作れるが、食べる直前にフォンデュ用のチョコレートの準備をするばかりなので、準備をしていなかった言い訳も通る。


手の込んだお菓子ではなくなってしまうが、みんなで食べるという楽しさも新しいのではないだろうか。

そして、そう考えた狡猾な人間は、さり気なく隣に立っている魔物を見上げた。



「……………何だ」

「今年のバレンタインは、ディノとチョコレートフォンデュをする予定なのですが、アルテアさんもご一緒しませんか?」

「ふぉんでゅ、なのだね」

「……………ったく。仕方ないな」

「みんなでわいわいすると楽しいのですが、個人的に美味しくいただけるのは最高四名程度だと考えています。それ以上になると、遠くの席の方が食べ難くなってしまいますものね」

「専用の鍋はあるのか?」

「チーズ用の小鍋をお夜食用に買ってあるので…………や、やしょくようではありません!」

「ほお?それだけの分量を、夜食でだと?」

「お母さんです……………」

「アルテアが…………」



最大人数を四名に設定したネアは、リーエンベルクの家族とは第二回大会で楽しむことにして、ウィリアムを誘ってみることにした。


カードにはたまたま近くに来ていたのでと了解の返事があったが、高位の魔物でもない限り、隣国で仕事を終えたばかりのことを近くとは言わないのではないだろうか。



「アルテアさんが、詰めてくるので計画がばれてしまいましたが、今日はチョコレートフォンデュしましょうね!」

「ずるい…………」

「苺を沢山と、他にも合いそうな果物と、じゅわりとチョコレートが染みると美味しいハード系のパンも買います!こちらは、パンの少しの塩分が丁度良い組み合わせになるのですよ。……じゅるり」

「ウィリアムも来るのかよ…………」

「そして、アルテアさんはお買い物の袋を、一度お屋敷に置いてきます?」



ここでアルテアが一度帰宅したので、その後、ネア達は市場で美味しそうな物探しをした。


チョコレートフォンデュを食べると絶対に欲しくなる筈の塩味は、買ったばかりのサルシッチャを使えばいいだろう。

ごろんとした塊サルシッチャは、茹でてマスタードを添えるだけで美味しいと評判なのだ。



「マシュマロなども定番のようですが、こちらの会にはあまり甘みが強いと苦手そうな方が多いので、甘酸っぱい果物などを合わせていきましょうね」

「苺を沢山買うのだね」

「ええ。後はバナナなどもあるといいなと思ったので、市場には見当たらないので、アルテアさんに連絡しておきます」

「アルテアなら、持っているのかな…………」

「ウィームでは手に入り難いですものね…………」



かくして、その後リーエンベルクのネア達の部屋に併設された厨房のテーブルでは、ことことと温められているチョコレートの小鍋を囲んで、チョコレートフォンデュの会が開かれた。


ネアは、あくまでも今回は新鮮な苺の美味しい食べ方の提案の一環であるという主張を貫いていたが、幸いにも、甘酸っぱい苺とお酒の風味のある甘さ控えめのチョコレートの組み合わせは、本来は甘いものがあまり得意ではないウィリアムにも美味しくいただけたようだ。



「……………美味しいね」

「ふふ。良かったです。手の込んだものではありませんが、こうしてみんなで囲んで食べるのも、なかなか楽しいですよね。そして、大きめの苺より、この小粒苺が、チョコレートとの配分がいいのですよ!」

「ニャクカの塩漬けの実が合うな………」

「ふむ。色物枠で用意したのですが、思っていた以上の相性の良さでした」

「ああ。続けて食べたくなる味だな」

「妙なものを組み合わせやがって………。…………まずまずだな」

「意外に合うでしょう?俺も、最初はニャクカだと思わずに食べたんですが………」



ウィリアムが気に入った食材は、パンと、ニャクカの実だったようだ。


ニャクカの実は、李のような小さな果実だが、これを種を抜いて塩漬けにして乾燥させる食品がある。

酸味と塩味の効いた乾燥果実は、細かく刻んで料理などにも使える本来はサナアークなどによく見られる食品なのだが、植物の系譜の魔術浸食の際に解毒剤代わりになるので魔術師などは好んで食べている。



(酸っぱいのと塩気とで、合うか合わないかの賭けだったのだけれど、凄く美味しい…………)



他にも、パンケーキを一口大に切ったもの、アルテアが持って来てくれたバナナなどがある。

予想通り、生まれ育った世界ではチョコレートフォンデュとマシュマロの組み合わせもあるのだと言えば、そこまで甘さに強くない魔物達は少しだけふるふるしたので、適切な甘さの線引きがあるらしい。



しかし、何よりも一番喜ばれたのは、大人気の夜林檎豚のサルシッチャであった。


ネアも驚いてしまうくらいにジューシーで美味しいサルシッチャは、料理に使うばかりでなく、おつまみ運用でも素晴らしい力を見せた。


若干、バレンタインにサルシッチャが一番人気でどうするのだという思いもあったが、そもそもネアは、フォンデュと言えばチーズと主張する世界の住人である。

今迄はあまり縁のなかったチョコレートフォンデュに挑戦したということで、後半戦はサルシッチャでもいいではないか。



その後、無事にバレンタイン儀式を終えてウィリアムとアルテアが帰っていくと、ディノが困ったような優しい微笑みを浮かべて、椅子になってくる。



「椅子になってしまうのです?」

「今日は、準備していたものからメニューを変えたのだね。大変だっただろう」

「ぎゃ!気付かれていました!」

「アルテアにも振舞う為に、予定を変えたのかな。彼は、君からの振舞いがないのかと心配だったようだね」

「それで、付いてきてしまっていたのですね…………」

「昨晩も何かを考えているようだったから、どうしたのかなと思っていたんだ」

「……………急遽、みんなで食べられる複数人用のフォンデュになりました」

「うん。ネアが沢山動いていて可愛かった」

「ディノには、また別に用意していた材料でケーキを作りますね。なおこれは、アルテアさんとウィリアムさんには内緒ですよ?」

「うん。…………可愛い」

「実はディノには、チョコチップ入りのパウンドケーキの、オレンジのコンフィチュール添えを予定していたのです」



ディノは、アルテアのようにお菓子作りが得意な魔物ではないので、ご主人様の挙動不審な様子も、用意していた材料を使わなかった理由も、配布人数を増やす為の措置だと解釈してくれたようだ。

当初の予定のお菓子が、四人だと分け合えないこともないと気付かずにいてくれる、とても伴侶の心に優しい魔物である。



狡賢い人間は、忘れていたのは使い魔や騎士のお菓子だけで、伴侶用のものは忘れておりませんという顔で微笑み、昨晩頭を悩ませていたのは、人気のサルシッチャを必ず購入する為の店内での導線確認だったとは言わずにおいた。



(……………サルシッチャがあって良かった!!)



もし、サルシッチャを買いに行かずにバレンタインを思い出すこともないまま当日が過ぎていったらと思うと、ネアは、この運命の偶然の優しさに感謝するしかなかった。

これからは堅実清貧に生きようと心に誓い、大袋で買ったサルシッチャの残りの量を、翌日の家族とのチョコレートフォンデュ用に確認するばかりだ。



とある魔物が仕事で、板チョコに刻んだニャクカの実の入ったお菓子を売り出したのは、その年の秋になってからだったが、思いがけない人気商品になったようだ。

強欲な人間は、使用料としてパイなどのお返しがあるのかなととても期待している。

 

後日行った家族のとのチョコレートフォンデュの噂を聞きつけたゼノーシュは、グラストと苺のチョコレートフォンデュ会を行ったようで、とても楽しかったと報告をしてくれた。

ほこりともやろうとしたが、ほこりはすぐにお鍋ごと食べてしまうので大変なことになるらしい。





バレンタイン用のSSとなります!

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