雪の夜と雪ボラボラ
その夜、ネアはリーエンベルクの外周にあたる禁足地の森沿いに、不思議な雪の塊を見付けていた。
ぼこりと盛り上がった小さなドーム型の雪を凝視し、すぐさま頼もしい魔物の三つ編みを引っ張る。
「可愛い………」
「ディノ、真夜中のお散歩で明らかに不審な建造物を発見しました。ボウルに詰めた雪を盛ったような形です!」
「特定の魔術の気配はないようだけれど、何だろう………。戻ってから、騎士棟に連絡をしてみるかい?起きている者はいるだろう」
「そうしましょうか。いつもはないものですものね」
ディノが、現状では魔術の動きがないことを確認してくれたのと、一周ぐるりと観察してみたが特に見慣れない雪の塊というだけで他に不審な様子はなかったので、ネア達は、ひとまず戻ることにした。
良くないものではないといいなと思いながらリーエンベルクの敷地内に戻ると、こんな時間でも外に出ていたらしいグラストと話をしている、背の高い魔物の後ろ姿が目に入る。
(おや………)
「まぁ。こんな時間にウィリアムさんです?」
「おや。何かあったのかな………」
遊びに来る予定はなかった筈だと二人で首を傾げていると、こちらに気付いて振り返ったウィリアムが微笑む。
雪混じりの風に、ひらりと白いケープが揺れた。
「シルハーン。通りがかりで気になることがあったので、騎士棟経由で入れて貰いました」
「うん。通りがかりだったのだね………」
「ええ。真夜中ですが、雪ボラボラが出ているのを見かけたので、リーエンベルクの近くの様子を見てみようと思ったんですが……」
ここでウィリアムが一度こちらを見てくすりと微笑んだので、ネアはピンと来た。
ふすんと息を吐き、凛々しく頷いてみせる。
「ウィリアムさんは、ボラボラ関連の事故が起きていないかどうか、様子を見に来てくれたのですね」
「ああ。ネアが、どこかに迷い込んでいるといけないからな」
「なぬ。アルテアさんではなく………?」
「ん?アルテアは、系譜の王だから大丈夫だろう」
ウィリアムは事もなげにそう言ったが、実は、その系譜の王様は、ボラボラが苦手なのであまり大丈夫ではない。
それはウィリアムも知っていた筈なので、王様には我慢して貰う方針のようだ。
「雪ボラボラというものがいるのかい?」
「ええ。凍死したボラボラの幼体の祟りものなんですが、雪のドームを作りながら移動するので、比較的見付けやすいんです。ここに来るまでに見付けたものは扉が開いてなかったので、俺が排除しておきました。後は、純然たる雪の系譜のボラボラもいるようですが、それとは別の種ですね」
そう告げたウィリアムに、ネア達は顔を見合わせた。
とてもそれらしいものを、発見したばかりではないか。
「それは、ボウルに詰めた雪を盛ったような形状のものでしょうか………?」
「…………おっと。さては見たんだな?」
「ネア殿、場所を教えていただいても?」
少し慌てた様子のグラストに、ネアはすぐさま場所の共有を行った。
とは言え、目印などが曖昧な雪の森の中で尚且つ少し分かり難い場所なので、案内したほうが早いだろう。
「シルハーン、リーエンベルクの敷地内でしたか?」
「いや。けれど、障りなどが出るようであればあまり離れてもいないかな」
「だとすれば、アルテアも呼んだ方がいいでしょうね。もし扉が開いていても、障りを落とさないように出来ますから」
「ほわ、アルテアさんを………。パジャマかもしれません?」
ネアは、ボラボラに対峙する時の使い魔の光の入らない暗い瞳を思って不憫になったが、とは言え、リーエンベルクは大事なお家である。
優先順位を考えると、この土地に障りが落ちないようにということであれば、系譜の王様には頑張って貰うしかない。
「ただの雪の固まりだったのなら、まだ猶予がありますね」
そう呟き安堵の息を吐いたグラストが、エーダリアに連絡を入れてくれた。
さすがに寝ている時間だが、起きて貰うしかないと溜め息を吐いている。
ネアが、あのボウル型のものが雪の塊の場合は何が違うのだろうと首を傾げていると、通信を切ったグラストが、禁足地の森の方に視線を投げる。
「雪ボラボラは、雪で作った廟から出てくると、一列に並んで憎しみの歌を歌うので、その前に鎮められればいいのですが」
「にくしみのうた…………」
「ええ。なので、エーダリア様に来ていただくしかなかったんです。もしもの時は、唱歌詠唱などの手立てが必要になるので、俺だけでは鎮める事が出来ませんから」
グラストの説明を聞いたネアは、あの雪の塊がボラボラ廟だということにも驚いたが、あんまりにあんまりなその生態にも半眼になってしまった。
幼体ということは、時折見かけるちびボラボラのようなものがあの雪の塊の中に入っているのだろうか。
踏み滅ぼしておけば良かったのかなと思ったが、それも障りを重ねるので良くないと言う。
未だに具体的にどんな障りが出るのかはよく分からなかったが、とは言え、残しておくのも宜しくないのだろう。
(でも、ウィリアムさんが見かけて対処してくれる程となると、良くないものなのは間違いないのかな………)
まずは、すぐさま選択の魔物が招聘され、加えてボラボラ廟を見たことがなかったウィーム領主が、慌てて着替えて建物から出てきてしまった。
「緊急事態というよりは、興味津々のお顔です………」
「文献では見たことがあるのだが、実際に廟を見るのは初めてだ。まだ廟が開いていないとは言え、障りになりかねないものであることは理解しているのだが、後学の為にこの目で見ておきたくてな」
「いいですか。あくまでも離れた場所からの観察に留め、くれぐれも触れたりしないように」
「ヒルド………」
「………ありゃ。僕も寝起きだけどさ、………アルテアは大丈夫?」
勿論エーダリアに同行するヒルドと、こちらもそんな二人を守る為に叩き起こされて一緒に来てくれたノアは、呼ばれたので来てはくれたものの一言も喋らずにいたアルテアの表情を心配そうに覗き込む。
「……………これだけ揃えておいて、俺がいる必要があるのか?」
「君でなければ、障りを落とさずに移動させることが出来ないようだよ」
「………その、終わったら、ちびふわにしてお腹を撫でてあげましょうか?」
「………やめろ」
しかし、グラストをリーエンベルクに残し、ネア達が現場に戻ると、ボラボラ廟は開いていた。
「ぎゃ!開いてます!!」
先程までは雪のかたまりだったものの一部に穴が開き、ちびこい白ボラボラが並んでぞろぞろと出てきているではないか。
真夜中の雪の森の中で見るとやや幻想的にも見えるのが、なんだか悔しい光景である。
人差し指くらいの大きさの幼体なのであまり危機感を覚え難いが、そう言えば、こうなった場合はどうするのだろうと周囲を見ると、青ざめたエーダリアがこちらを見た。
「う、歌ってくれ!」
「……………わ、私がなのです?!」
「ああ。説明は後でするが、この状態だと、お前の歌が一番効果的なのだ!」
「うん。時間を稼ぐにはそれしかないね。周辺に被害が出ないように、僕が場を閉じるよ!」
「とても心を抉る依頼方法ですが、皆さんの様子的に、それで済むのであれば私が犠牲になるしかありません……」
「ご主人様………」
そしてネアは、ボラボラ廟の前で、中からぞろぞろと出てくるちびボラボラを見ながら短い歌を歌った。
少しだけ歌ったところで、ふわりと抱き締めてくれたディノにすぐに静止されて続きの歌詞を呑み込むと、廟から出てきたばかりの雪ボラボラ達がドミノ倒しのように次々と倒れ、ばたばたもがいている。
「ぎゅわ………」
「………これは、………凄いな。……………アルテア、ネアが時間を稼いでくれたので、説得をお願いします」
「……………は?」
「…………エーダリア、帰りは狐になっていい?倒れそう………」
「ノアベルト?…………具合が悪いのだな」
「ネイ?もしかして、音の壁の外にいたのですか?」
「うん。危ないかなと思ったけど、僕も、排他結界の限界を見極めなきゃだからね」
青ざめた顔で悲しげに微笑んだノアに、エーダリアがくしゃりと顔を歪める。
倒れた雪ボラボラの説得を任されたアルテアも、それを促したウィリアムも、酷く顔色が悪い。
そんな仲間達の様子を見て、ネアはわなわなと震えた。
「…………いっそ、壮大な虐めのような気がしてきました」
「ネアの歌は、可愛いと思うよ。………クッキーを食べるかい?」
「食べまふ………」
じっとりとした目でクッキーをさくさく食べている間に、選択の魔物は終焉の魔物に言われるがまま、倒れてもがいている雪ボラボラ達に、憎しみの歌は森の奥深くで歌うようにと話しかけたらしい。
しかし、幼くして亡くなったボラボラ達は、苦しみにもがく中で突然の系譜の王様からの声がけに歓喜したようで、その場でしゅわんと光の粒になって消えてしまった。
ノアの分析によると、ネアの歌声で滅びかけていたところで王様に出会えたのが、雪ボラボラ達の心を鎮めるのに良い順番だったのかもしれないという。
しかし、雪ボラボラを鎮める為に尽力したネアも、説得を行ったアルテアも双方が心を損なったので、今後は違う対処法を見付けて貰った方がいいのかもしれない。
「……………なぜ、私の歌だったのですか?」
「廟が開いてしまった後は、唱歌などの歌として認識される魔術でしか雪ボラボラを鎮められないと言われている。お前の歌は……………その、独特だが、歌乞いという肩書きを持つのであればその任に相応しいと考えたのだ。私の詠唱がもし唱歌として認識されないと、猶予を無駄にしてしまうからな」
「むぐぅ………」
「あとは、大人のボラボラ達が迎えに来ると大人しくなるそうだが、さすがにそれはこちらで手配するのは難しいからな」
「アルテアさんが呼べば、ボラボラはすぐに集まるのでは……」
「やめろ。絶対にやらないぞ」
ウィリアムが対処法を知っていたのは、以前、雪ボラボラに関わったグレアムの話を聞いていたからなのだそうだ。
純然たる雪ボラボラ種は別にいるのになぜこんな名前なのかと言えば、雪の廟からボラボラが現れるので雪ボラボラと呼ばれているらしい。
憎しみの歌が歌われると、周辺に暮らす者達はほぼ強制的にパッチワークをする羽目になるので、ウィーム領民にすら、とても恐れられているのだそうだ。
道具を持たない者も、気付くと必要なものを買い揃えてパッチワークを始めているらしく、我に返るのは腕が動かなくなる程に酷使されてからなのだとか。
騎士などの身体能力に長けている者達は拘束時間が長くなるばかりか、本来の役目に大きな影響が出るのでリーエンベルクで警戒されるのも当然の障りであった。
「アルテアさんの系譜らしい障りですねぇ」
「そんな訳あるか。何でだよ」
「ふと気付いたんだが、ボラボラが集まってきていないか?」
「ぎゃ!いつの間にかボラボラが!」
目を凝らすと、雪の森のあちこちにボラボラの影がある。
アルテアは静かに立ち竦み、そっとネアの腕を掴んだ。
ウィリアムと、エーダリアの腕に抱えられた銀狐もアルテアが心配になったのか、その顔を覗き込んでいる。
「ちびふわにして、抱っこします?」
「…………やめろ。その状態でお前が事故ると、取り返しがつかないことになるだろうが」
「ネア。今はやめておこうか」
「わたしは、そんなにじこらないのですよ……」
けれども、雪ボラボラの脅威を免れた筈のウィーム中央は、その直後から大雪となった。
真偽の程は定かではないが、外の様子を見に行ってきたウィリアム曰く、障りを齎すちびボラボラ達が系譜の王様に声をかけて貰ったと知った本来の雪ボラボラ達が、王様に褒めてもらおうと頑張って雪呼びをしていたらしい。
夜明けまでにどれだけ雪が積もっているのかは、雪ボラボラ達の熱意次第だろう。
雪の夜のSSです。
少しばかりですが……!




