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雲影とメランジェ





こうこうと、不思議な音が響いた。

その囀りを聞いた途端、不穏な気配がじわりと染み入る様に落ちこぼれてくる。


真っ白なクロスに落ちた黒い染みが広がるような悍ましさに顔を歪め、隣に座っているイーザに視線を向けた。

振り返ってもこちらに気付かないイーザは、近くにいる精霊と何かを話していて、とても忙しいようだ。


幸いにもこの囀りは聞こえなかったようだと胸を撫で下ろしかけたところで、顔を上げたイーザが妙な音が聞こえますねと呟いた。



(……………聞こえていたんだ)



そう思うと、じわじわと広がってゆく染みを見つめるような不愉快さを覚える。


鳴き声の主がどのようなもので、どのような資質を帯びるのかくらいは系譜の王には掴めてしまうもの。

だからヨシュアは、先程の囀りを齎したものが、妖精に障るのだと既に知っていた。



「雲孔雀だね。…………祟りものだと思うけれど、もう少し壊れているかな」

「系譜の祟りものがいるのであれば、すぐにでも排除するべきでしょう」

「僕は関係ないよ。壊れたものは、壊れたものの責任なんだ。邪魔なら誰かが片付けるよ」

「ここは、ご主人様の暮らすウィームですが?」

「ほぇ………」



目を瞬き、じっと見つめた先でイーザが短く重く一つ頷く。

その表情を見て、ヨシュアもそうなのかと頷いた。


これまでのイーザはあまり、ヨシュアにこうするべきだと言わない相談役だった。

王らしくいなさいだとか、予定がある日に遊びに行くのはやめなさいというようなことは言うけれど、このような決定を出すべきだとか、このような事をするべきだとは言わなかった。


ルイザ曰くそれは、イーザが決めることではないからなのだとか。


やるべき事として定められたものを蔑ろにすれば相談役の立場から注意するが、そうではないところまでをイーザが決める事はない。

その線引きを実感した時に本人とも話をしたが、王はあなただし、あなたはいざという時には間違えませんからねと言う。


至極当然という様子でそう言い切ったイーザに、そうでもないのだと言いかけてヨシュアはやめておいた。


そうではないのだとしても、それは自分が背負う事なのだろう。


王の決断がどうだったのかを評価する者達に、王の決断の曖昧さを投げかける必要はない。

イーザは大事な友達だし、ずっとずっと側に居て欲しいけれど、それはきっと、イーザが霧雨の妖精達の内情やその資質故の弊害などまでは言わないのと同じことだろう。



(でも、最近のイーザはこれをしなければいけないだとか、あれをして欲しいだとか言うんだ)



それは、ヨシュアの領域のことではなく、イーザの要求として伝えられることである。

だからこれは、雲の魔物への言葉ではなく、ヨシュアという一人の魔物に向けて古い友人のイーザから伝えられる言葉。

ヨシュアにとっては、少しだけ嬉しいお願いだった。



(だって、イーザは何でも出来たから、これ迄は僕にそんな風に頼むようなことなんて殆どなかった。いつだって、僕が何かをお願いするばかりで、でもそうするとイーザが近くにいてくれたんだ)



たくさんたくさん泣いた孤独ばかりに溺れていたあの日、イーザとルイザが駆け付けてくれたあの日。

そして、イーザが側に居てくれると言ってくれたあの日。

そこからずっとヨシュアは、イーザに手を伸ばしてイーザがその手を掴んでくれていたから。


だから、家族の誰かが危険に瀕しているからではなく、単純なイーザの喜びや安堵の為だけのお願いであれば、ヨシュアはいつだって叶えるだろう。

ポコがいなくなった今、ヨシュアにとってイーザとルイザの頼み事は特別なのだから。



「ふぇ。でも、最近のイーザは、もっと僕を大事にしてもいいと思うよ」

「しておりますよ。こうして、会合にも入れているでしょうに。一人で留守番させるとあなたは騒ぐので、仕方なく特別許可を取っているのですからね」

「……………ほぇ。この会の仕事に僕を連れて行くのが、イーザが僕を大事にすることなのかい?」

「ええ。本来であれば、ここにはご主人様の良さを正しく理解した者だけが集うべきです」

「ふ、ふぇ……」

「私的な理由で会の規則外である部外者を招き入れるのは、副会長としては苦渋の決断ですよ。加えて私は、個人の活動に際して、同じ熱量を持たない者を無理に参加させるのは好みません」


それは、イーザが霧雨のシーだからだろう。

霧雨の妖精の城には様々な者達がやって来るが、誰かを伴って訪ねてきた者の多くは共に居た者と決別するのだと以前に聞いた事がある。


あなたの願いが私の願いだと共に歩いてきた者が、最後まで隣を歩くには互いの努力が必要だ。


霧雨の妖精の国を訪れた者は、そこで伸ばせる才を伸ばしてゆっくりと変わっていくことが多い。

そうして多くを得て瑞々しく変化する者の隣で、その喜びを知らない者の孤独はどれ程だろう。


そのような決別なく上手く共に渡り切る者達もいるそうだが、それは単に幸運なだけなのだと話していたのは、霧雨の妖精王であった。

ヨシュアもその意見には賛成で、同じ行く先を見据えていない者と常に同じ道を歩く事は出来ないと考えている。



(それが友達でも、そうではなくても)



どれだけ相手を大切に思っていても。



実際に、イーザやルイザともそのような形で疎遠になった事がある。

その時に側に居たのはポコで、彼女は伴侶だからこそ同じ行き先を見据えて、隣にいてくれた。



(でも、ポコはもういないから。それに、ルイザはもう伴侶を得たから、僕はこれからもずっとイーザと一緒にいたいんだ)



「そうでもないと思うよ。僕は、イーザ達とは違うけれど、イーザがいるからここにいるのは好きなんだ」

「…………動機が違うあなたには、理解出来ない事も多いでしょう」

「うん。ネアが使った縄を祭壇に上げるのはどうしてだか分からないし、変な事をしているこの集まりは怖いけど、イーザが楽しそうだからいんだよ。ネアは怖いけど、アヒルを教えてくれたから、守ってあげてもいいしね」

「やれやれ…………」



呆れたように肩を竦めたイーザだって、きっとヨシュアがここにいて退屈しているようであれば、容赦なく追い返すだろう。


ヨシュアが、このおかしな集まりの仲間達と過ごすイーザが楽しそうにしているのを見るのが好きなので、渋々、いつもではないが一緒に連れて行ってくれるのだ。

それくらいは、ヨシュアにだって分かっているのである。



「……………だから、あの囀りは不愉快なんだ」

「先程の音ですか?」

「うん。とても古いものだね。雲孔雀は我儘だから面倒を起こさないように全て管理しているけれど、この誓約はずっと昔のものだと思うよ」

「災いを為すようなものがそれだけの月日を重ねたのであれば、尚更にここで排除したいですね」

「イーザは外に出ない方がいいよ。………雪雲の下に出てくるかもしれないからね」



その時、誰かがロトワーンの鳥だと声を上げた。

その名称には聞き覚えがあり、ずっと昔にウィーム王族が捕まえて滅ぼしてしまった孔雀だと思い至る。



(ああ。あの時の孔雀だったんだ…………)



雲孔雀を一番怒らせるのは、愛情や待遇での優劣で序列を下げる事だ。


美貌を糧に他の生き物の賛辞を食べる孔雀たちは、どの系譜の孔雀であれども同じようにその不遇を嫌う。

それなのに、ずっと昔の誰かが、手にした雪孔雀の執着を見誤って身を滅ぼし、この地に災いを残してしまった。



(あの時は、ウィームの王族の誰かが僕の城に来て、絵付けの入った茶器と引き換えに、雲孔雀の捕まえ方を聞いていった)



ヨシュアは対価に相応しいだけのことは教えたし、それだけでは足りずに調伏が不完全で災いが残っても、ウィームの人間達を助けには行かなかった。

系譜の者に相応しいだけの管理はするが、その責任と自らの管理下にない人間達の安全は別のものである。

献上された品は手にしたけれど、彼等がそこで望んだだけで足りなかったのなら、それはもうあの孔雀の勝利に他ならない。


系譜の者を蔑ろにされたという側面も持つその事件で、ヨシュアがそれ以上の介入を行う必要はなかった。


そう思っていたのだけれど。



(イーザに何かがあると嫌だから、ここで壊しておこう)



イーザに何かが及ぶとなれば、話が変わってくる。

そして、今のウィームはもう、あの頃のウィームとも違うのだった。



「面倒だけれど、追い払ってあげるよ。あの頃のウィームはただのウィームだったけれど、今はイーザが気に入っているし、ネアとエーダリアもいて、シルハーンがいるからね」

「…………頼みます」

「うん。イーザがここで楽しく過ごすのに、あんなものはいない方がいいからね」



立ち上がって店の外に出ると、ウィームのあちこちで鐘の音が聞こえていた。

これだけしつこく鳴らせば、最初の警告を聞き逃した者にも届くだろうと思ったが、なぜかいつも運命はそんな簡単なものではないのだ。



(…………それでも、いつも何かが零れ落ちていく)



それもまた常なのだと考えかけ少し憂鬱になったから、ヨシュアはふっと瞳を揺らした。

足下の雪の上にはまだ何の影も落ちていなかったけれど、どこかで大きな羽ばたきが聞こえたような気がする。



そして、ヨシュアは大事な事を一つ思い出したのだ。




(……………さっきの店には、天窓があった)



はっとして振り返った先で、どこからともなく雲に影が落ちていた。


その真下には先程までいた店の天窓があり、イーザが座っていた席が近くだったと思い出せば、すっと体温が下がるような感覚があった。



すぐさま虚空から取り出した煙管から雲を吐き、唇から吸い口を離した煙管をくるりと回す。

頭上で大きなものが暴れる気配が伝わってきたが、構わずに作り上げた雲で掴み上げるとそのままぐっと握り潰した。



ぎゃあ!と、どこかで悲鳴が上がった。

先程まで聞こえていた囀りとは似ても似つかない、普通の生き物のような悲鳴だった。



(本来は、ここまで壊れているとこんな風に掴めないんだけど………)



だが、ヨシュアは系譜の王だったし、雲孔雀達は生来の我が儘さのせいで、ヨシュアのものに害を及ぼそうとした場合には制裁を受けるという魔術誓約をを交わしてある。

体を失おうとも緩まないその手綱は、気性が激しく自死する事も少なくない雲孔雀だからこそ、死後にまで作用するものを選び抜いておいた契約であった。



暴れる獲物を強く捻り上げれば、今や、ウィームの空の上に現れた怨嗟の影は、雲の中で弱々しくもがくばかりだった。


喘鳴に震えた雲孔雀の成れ果て砕き壊すと、崩れていく残骸が完全になくなるまではそのままでいた。

何かの気配を汲み取ったものか、店からイーザが出てくる。



「………イーザ、まだ危ないよ」

「随分と早い捕縛でしたね」

「この雲孔雀の成れ果ては、イーザを狙ったみたいだからね。すぐ近くに現れたんだ」


そう言うと、こちらを見たイーザが怪訝そうな顔になる。

ウィーム在住の会員から、狙うのは人間と契約している妖精ばかりだと聞いたのに、なぜだろうと呟いている。



「霧雨の城で受け入れている人間達との関係を、契約のようなものだと認識したのでしょうか」

「羨ましくて、妬ましいという怨嗟が強過ぎて、どこまでが因果で許された範囲なのか分からなくなったんじゃないかな。雲孔雀達は、ずっと僕の侍従をやりたがっていたけど、何一つまともに出来ないからみんな追い払ってしまったからね」

「それは、………当然でしょう。どう考えても彼等に務まるとは思えませんからね」

「そうなんだよ。僕の相談役は、イーザが一番なんだ。それにイーザは友達だしね」

「……………ヨシュア。もしかして、怒っていますか?」



そう問いかけられて、当然ではないかと頷いた。


雲の煙管をしまうと、もう何も残っていないいつものウィームの空を見上げる。



「契約をしていた人間に冷遇されて障りを残したのであれば、そこまでは僕も仕方ないかなって思うことはあるけど、イーザを襲うべきじゃないんだよ。僕は、僕の大切にしているものを狙われるのは大嫌いだからね。だから、雲孔雀は羨望や憎しみを育てやすい生き物だと思って、僕の大事なものを狙わないように魔術誓約をかけておいたんだ」



きっぱりと宣言してイーザを見ると、イーザは少しだけ困ったように微笑んだ。

でもこれは友達のときの微笑みなので、何だかいい気分になる。



「まずは、ロトワーンの鳥がいなくなったことを、報告しましょうか」

「うん。そうするといいよ。僕が偉大だから、すぐに滅ぼせたんだよ」

「そうかもしれませんね、今回は」

「ほぇ。僕はいつも偉大なんだよ…………」

「今日は、会合の後で久し振りにルイザに会いに行きますか。あなたも、暫く会っていなかったでしょう?」

「うん。何か買っていってあげるかい?」

「では、何かウィームらしいものでも」

「その前に、メランジェを飲もうかな」

「ええ。ではそのように」



そんな会話が、何だか幸せだなと思った。

雲孔雀がイーザを狙ったのは不愉快だったけれど、だからこそルイザに会えることになったのであれば、それなりにいい日なのかもしれない。



三人で会うのは久し振りなので、沢山土産を持って行こうと思う。

でもその前に、イーザとメランジェを飲むのだ。







家族に不幸がありまして、現在、通常更新のお休みをいただいております。

お休みに入る前の話が書きかけになっておりましたので、上げさせていただきました。

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