こうこうろわんと雲の魔物
こうこう。
ろわん、こうこう。
その不思議な音がどこからか聞こえてきた時、ネアはリーエンベルクの庭園にいた。
禁足地の森の方から聞こえてきたのかなと思ったが、耳を澄まそうとしたところで音が途切れてしまう。
こうこう。
「…………また聞こえました。ディノ、………これは何の音でしょう?」
「…………私は初めて聞く音だね。エーダリアに連絡を取れるかい?」
「はい。…………む。そこにいました」
「エーダリアが………」
「けばけば狐さんを抱っこしています」
振り返ると、エーダリアは、思っていたよりもずっと近くにいた。
外回廊に立ち、庭から駆け寄ったらしい銀狐を抱き上げたところのようだ。
しかし、近くに居てくれて良かったという安堵ではなく、ネアは、鳶色の瞳を瞠ったエーダリアの浮かべた怯えにも似た表情に目を奪われる。
さっとディノの手を掴んでそちらに向かって走ると、エーダリアは漸くネア達に気付いたようにこちらを見た。
その腕の中でけばけばしていた銀狐が、ぽふんと音を立てて美麗な黒いコート姿の魔物に戻る。
翻った黒いコートの裾が、なぜかはっとする程に鮮やかに見えた。
「…………エーダリア様!」
「今の音は、………ロトワーンの鳥だ。………っ、ヒルドは?!」
「ヒルドさんですか?」
「僕が行くよ。シル、エーダリアを頼んでいい?」
「うん」
蒼白になったエーダリアがヒルドの名前を呼んだので、ノアはすぐにそちらに行くことにしたようだ。
ネアはすかさずわしりとエーダリアの片手を掴み、こちらの輪にぐっと寄せる。
ノアが転移で姿を消したのはその直後で、結んだ氷色混じりの白い髪の尻尾の残像が残った。
「ダ、ダリルにも連絡をしなければ……」
「どうすればいいですか?私もディノも知識がないので、指示をして下さい」
「……っ、…………ああ。すぐに屋内に入ろう。リーエンベルク内と、ウィーム中央に警報を出す」
「はい!では、そのお手伝いをしますね」
「…………人間と契約を交わした妖精を、災いの底に連れ去る鳥が来る。妖精達を守らなければ………」
掠れたような声でそう教えてくれたエーダリアに、ネアは、この家族がどうしてここまで動揺しているのか理解した。
「エーダリア様は、ダリルさんに連絡して下さい!私は騎士棟に連絡しますね。ディノ、おかしな鳥さんがいるようですので、何かが近付いてきたら教えてくれますか?ヒルドさんに何かがあったら一大事です!」
「うん。アレクシスにも伝えるかい?」
「むむ。ディノはアレクシスさんとのカードがありましたものね。お願いします!」
「アルテアやグレアムが近くにいれば、声をかけてみよう」
「はい!」
こうこう。
ろわん。こうこう。
どこかからまたそんな声が聞こえてきて、ネアは、郭公の音階を持つ不思議な囁き声のようだと思う。
しかし、そう考えてから、こちらに来てからも郭公の鳴き声を聞いたかなと首を傾げた。
鳥の鳴き声と言うよりは、誰かが、絵本の風の擬音の頁でも読んでいるかのような響きなのだ。
エーダリアによるとこれは、物理的に近くにいるので聞こえる鳴き声という訳ではなく、ロトワーンの鳥の出現の前兆として、どこからともなくその土地のあちこちに鳴き声が響くという現象であるらしい。
ぞっとしたネアはしかし、家族の様子の方が気になった。
(……………震えているわ)
エーダリアは今にも倒れそうな様子であるし、指先が僅かに震えている。
そんな大切な家族の手をしっかりと握り締め、ネアは他に誰に連絡すればいいのだろうと考える。
人間と契約しているような妖精が、このウィームにどれだけいるというのだろう。
連れ去られかねない者達があまりにも多いので、少しでも早く、少しでも拡散しなければいけない筈だ。
大急ぎで騎士等に連絡を取ると、応じてくれたのはなんとグラストで、ゼベルがいち早く気付いたので、既に対応に入ったと伝えつつ、最も知りたかった言葉を伝えて安心させてくれた。
「エーダリア様、ヒルドさんも騎士棟にいるそうですよ!」
すぐにそう伝えると、エーダリアが静かに目を瞠る。
綺麗な瞳だなと場違いな事を考えながら、ネアはエーダリアが吉報を理解するのを待った。
「……………無事なのだな」
囁くような声があまりにも頼りなくて、何だかネアまで泣いてしまいそうだ。
ずっとずっと昔に、あの無慈悲な電話をベルを聞いた日のことを思い出し、胸がぎゅっと締め付けられるようになる。
「ええ。グラストさんが、こちらに戻ると言ったヒルドさんを拘束しているそうです。ノアが行くまでは、一人で行動させないようにしてくれているのだとか」
「そうか。…………グラストが」
「っ?!エーダリア様!」
膝に力が入らなくなったのか、エーダリアは、そのまま崩れ落ちるようにして床に座り込んでしまった。
だが、くしゃりとした微笑みには安堵があったので、ほっと胸を撫で下ろす。
「……………ダリルも無事だった。ロトワーンの鳴き声に気付いた弟子の一人が、すぐに建物の閉鎖を行なったそうだ。今は、ダリルダレンの中から、ウィーム中央の各地と連携を取ってくれている」
「ふぁ。………よ、良かったです。………いえ、まだまだ心配な方が多いのですが、ひとまず知り合いの方は…………イーザさんは、ウィームにいませんよね?!」
「ネア。彼は人間との契約はしていない筈だよ」
「ふぁ、良かったです!」
「家事妖精達にも、遮蔽室へ移動するようにという合図を出している。…………不思議な事に、ロトワーンの鳥が攫うのは、人型の妖精だけなのだ。とは言え、家事妖精達も念の為にな」
例えばそれが御者妖精の場合、妖精ギルドの所属であれば対象外になる。
どんなに人間と仲良しでも、契約に至っていなければ問題ない。
となると、ウィーム中央の歩道の雪かきをしてくれる小さな生き物達の心配はないし、屋敷や建物、庭園などに派生することによって、結果として人間と関わるような妖精は大丈夫なのだとか。
ゴーンゴーンと、聞き馴染みのない鐘の音が鳴った。
ネアはぎくりとしてしまったが、これは警報的な扱いの鐘の音であるらしい。
大聖堂だけでなく、個人の持つ礼拝堂やその他の工房の鐘の類も含め一斉に鳴らしてくれるようで、すぐさま呼応するようにあちこちから鐘の音が聞こえてくる。
そして、その頃になるとエーダリアの連絡端末に、ヒルドからノアと一緒にいるという連絡が入り、ウィーム領主は深い深い安堵の息を吐いた。
「バンルが動いてくれているだろうが、最も危ういのは商人なのだ。遮蔽物のない場所にいることも多く、移動中の者達の把握が難しい。…………だからこそウィームでは、彼等を取りまとめるギルドの長を、バンルに任せているという事情がある。他にも理由があるが、ギルド所属を先に行うことで、大元の契約が人間とのものではなくなるからな」
「……………という事は、以前に大きな被害が出たのですか?」
「有名な話では、かつて、ウィーム王家の者の代理妖精と、有名な商家の契約妖精が連れ去られたそうだ。……………ロトワーンの鳥に連れ去られた妖精の末路は、……………あまり良いものではない。標的になった妖精の階位に関わらず、因果で結ぶので退けることも出来ない。……………その時に犠牲となった妖精と契約をしていた者は、連れ去られた者の伴侶であったり、親代わりであったりしたらしい。……………その後、愛する者を守れなかったと自ら命を絶ったそうだ」
だからエーダリアは、魔術記録で再現されたロトワーンの鳥の鳴き声を、ウィームに来てすぐにしっかりと聞かせて貰ったという。
これは有名な災いの一つで、ガレンに在籍している頃から知っていたので、しっかりとした備えをと思っていたらしい。
「……………ウィームに暮らす者達は、妖精が身近にいるので、必ずこの鳥の声を学ぶようになっている。そう言えば、お前には聞かせていなかったな。……………私の手落ちだ。すまなかった」
「むぅ。私のディノは魔物なので、そんな風にしょんぼりしないでも、大丈夫なのですからね?ムグリスの時も種族性に縛られないように、妖精さんにはなっていませんから」
「………ああ」
「それと、他にも連絡をしたいところや、何かお手伝いした方がいいことはありますか?」
鐘の音が鳴り響いている今、領民への連絡はひとまず完了したのだろう。
恐らくこれからは、実際の襲来と被害に備える時間なのだろう。
「……………鳴き声の報せが聞こえてきてから、半刻以内にはロトワーンの鳥が現れる。……………空の災いの一つで、防ぎようのないものだとされているので、この先は、領民とその契約の妖精達に継続的に避難を促しつつ、……………情報を待つしかないのだろう」
ネアは、立ち上がろうとしたエーダリアに手を貸し、おろおろしているディノにも手伝って貰った。
よりにもよって、ヒルドと離れている時にあの鳴き声を聞いたせいか、エーダリアにはまだ動揺が残っているようだ。
(ヒルドさんもヒルドさんで、恐らく今は、やらなければならないことがあって忙しいのではないかしら)
ノアが一緒なのだから、先程のエーダリアの様子も伝えた筈だ。
ヒルドの気質であれば、本来、すぐにこちらに来てエーダリアを安心させてあげたいだろう。
と言う事は、それが出来ないだけ、様々な事が慌ただしく動いているに違いない。
なのでネアは、まずはエーダリアを執務室に送り届けることにして、温かいお茶でも淹れて、次の連絡に備えさせようと考える。
(……………多分、必ず犠牲者は出る筈だわ)
どれだけ備えをしても、全ての者達の動向を掴むのは難しいだろう。
警報代わりの鐘の音がどんなに大きく鳴り響いても、運悪くその瞬間にだけ起き出してきて外に出るというような者だっていないとは限らないのだ。
だからきっと、犠牲は出ると考えていた方がいい。
エーダリアも、やり過ごせるとは言わなかった。
「先程の鳴き声は、もう聞こえなくなりましたね…………」
「次に聞こえるのは、鳥影が落ちる時に近くにいる者達だけなのだ。大きな鳥の影が落ちると、その影の中に入ってしまった者が、突然攫われるという」
「どのような系譜のものか、履歴なとはわかるのかい?グレアムがいれば良かったのだけれど、どうやら今日は、ウィームにはいないようだ」
「…………文献では、妖精孔雀だったと言われている。その美貌を買われ主人に仕えたが、やがて主人は伴侶を得てその妖精を蔑ろにするようになった。それを恨んだ妖精が、伴侶の夫君を食い殺して災いとなり、そのまま、他の主人と良い関係を築いているような近隣の妖精達を食い殺し続けたそうだ…………」
古い古い時代の、災いなのだそうだ。
その頃のウィームはまだ小さな国で、たまたまその時期は直前にあった気象性の悪夢の復興があり、人々は忙しくしていた。
あちこちで橋が落ちたり、崖が崩れたりもしていたので国内の片隅の小さな領地で起こった惨事が王都に届くまでに時間がかかり、その災いは大きく育ってしまった。
「不幸な偶然で、その妖精の住まいのあった領地が、気象性の悪夢の落ち方のせいで、円状に損傷していたそうだ。枯れ木や瓦礫などで作られた偶然の円環が、災いの何かを底上げしたとも言われている」
「…………そのようなことは、ごく稀にだけれどあることだね。だから、人間が好む円形の城壁などは、あまり作らない方がいいのだけれど」
「………まぁ。そのようなものも、偶然の円環になってしまったりするのですね」
これまで、円環と聞けばどちらかと言えば意図的に作るものだと考えていたネアは、偶然の形成でも大きな意味を持ってしまうのだと初めて知った。
ゆっくりと頷いたディノが、特に城壁などの、その前後が戦乱で損なわれることが想像出来るような施設は、円形を避けた方がいいのだと教えてくれる。
「とは言えそれは、そこに暮らす人間達にとっては自分達の滅びた後の問題で、あまり気にはならないのだろう。…………統一戦争でウィーム王族が国民を戦乱から隔離したのも、ヴェルリアが王都の侵略を慎重に行ったのも、この王都の造りが円環を模しているからだ。土地ごと滅ぼされた場合に生まれる災いは、恐らくそれ以外のどことも比べ物にならないだろう」
(……………そうか。だからだったのかもしれない)
ネアは、こんな時に気付いてしまった。
ウィームを気に入っている選択の魔物や、この地に本社を置くアイザック。
更には多くの人外者達に、当時はヴェルクレア側に付いたディノまで。
こんなに素敵な土地なのに、その時の世界の流れに従うように、皆がウィームという国の滅亡を防がなかった。
回避には尽力したのかもしれないが、開戦後に積極的に加勢するような事はあまり聞かないではないか。
(今のディノが話した事を人外者達が懸念するのであれば、…………開戦後は、このウィーム中央の円環を災いにしないこともまた、優先されたのかもしれない)
土地の祝福や守りも潤沢だが、だからこそ取り扱いには細心の注意も必要になる。
ましてやこの地は境界になることが多く、いっそ四国統一という防壁を設けてしまった方が、カルウィなどの、より危険な国からも守る事が出来る。
(……………いけない。今はそれどころではなかった)
新しい視点を得て、ついつい考え込みかけてしまい、ネアは慌てて意識をこちらに引き戻した。
きっとここでちっぽけな乙女が考えるようなことくらいは、他の優秀な人達は承知の上なのだろう。
ただ、もしかすると、シュタルトの宰相家の守りを崩したディノにだって、暇潰し以外の理由が実はあったのかもしれない。
「エーダリア様は、先に座っていて下さいね。紅茶を淹れますから、今後の作業がしやすいように机の周りを動かしていて下さい」
「いや、自分で………」
「いえ。ヒルドさん達が来るまでは、私がお手伝いします。何か異変があったら、すぐにディノに言って下さいね。私の伴侶は頼もしいのですよ!」
「……………ずるい」
「そして、もしうっかり近くに鳥の影が落ちたら、効果があるかどうかはさて置き、きりん箱を投げてみます」
「やめないか!」
「ご主人様………」
「もう、形のあるようなものではないのだ。だからこそ、こんなに長くウィームに残り続けているのだろう」
ネアがじっと見つめていたからか、大人しく椅子には座ってくれたエーダリアがそう教えてくれた。
手元に並べてゆくのは、有事の際に使う魔術の連絡道具だ。
閣領地や各組合の情報の取りまとめはダリルとその弟子たちが行い、各騎士団や騎士隊の情報の集約は騎士棟で行う。
そうしてある程度絞り込まれた情報がこの執務室に届き、ここで、各代表者たちとエーダリアが話し合って様々なことを決めてゆく。
「まぁ。本体はないのですか?」
「本体は、その事件の数ヶ月後に騎士団に調伏されているのだ。残っているのが災いの影のようなものなので、もはや捕縛や調伏の手立てがない」
「そのような残り方をしてしまうと、確かに排除は難しくなるね」
ふうっと息を吐き、目を閉じて呼吸を整えながら領主の顔になっていくエーダリアはしかし、途中で、ウィーム中央に鳴り響いていた鐘の音が止まると、驚いたように立ち上がった。
突然窓の方に駆け寄るので、ネアはポットをがしゃんと置いて慌てて追いかけ、万が一にも家族が窓から攫われないようにする。
「ネアが逃げた…………」
「私が急に動いても、ディノならついて来てくれると信じての行動なのですよ」
「ずるい…………」
エーダリアは蒼白な面持ちで、窓の外を見ているようだ。
ネアも同じように窓の外を見たが、ある程度守りを固める位置にある執務室からでは、外客棟のように街を望むことは出来ない。
「エーダリア様?」
「……………影が落ちるまでは、警報は鳴り止まない筈なのだ。すぐにダリルの連絡を……」
「その必要はありませんよ」
扉の開く音を聞き逃していたので、その声は突然聞こえた。
はっと振り返ったエーダリアが、部屋に立っているヒルドを見てくしゃりと顔を歪める。
ヒルドは、まさか無事だと連絡をした後でもこんな反応があるとは思わなかったのか、美しい瑠璃色の瞳を丸くして固まってしまう。
そんな二人を見て、ヒルドの隣にいたノアが優しく笑った。
「よーし。じゃあ、僕から説明しようかな。エーダリアが警戒していたロトワーンの鳥なんだけど、もういなくなったからね」
「……………ほわ。いなくなったのです?」
「うん。元が孔雀っていうか、雲孔雀だったみたいなんだよね。色々取り込んでかなり厄介なものになっていたけどさ、元々厄介な気質の種族だっただけに、系譜の王がちゃんと事前に縛りの誓約をかけていたみたいなんだ」
「系譜の王というと、……………まさかヨシュアさんなのです?」
「うん。たまたまウィームに居て、警報に驚いて店から出たところでロトワーンの鳥の話を聞いて、尚且つそんなヨシュアの近くに影が落ちたみたいだよ。因みにそこにはさ。イーザがいたみたいなんだよね」
そう聞けば、攫われた妖精達の顛末を知っているだけに、ネアはひやりとした。
イーザは人間と契約をしていないと聞いているが、とは言えそれは、今も必ずというものではないかもしれない。
「……………イーザは無事だったのか?」
こちらも驚いてしまって慌ててそう尋ねたエーダリアに、ヒルドが微笑んで頷く。
僅かに開いた羽はきらきらしていて、淡い冬の陽を映してなんとも美しい。
「どうやら、イーザに影が落ちた事が、雲の魔物を激昂させたようですよ。…………イーザ曰く、人間との契約云々という部分の線引きがよく分からなかったようで、イーザが獲物として選定されたと勘違いしたようだと」
「……………そうだったのだな」
「まぁ。結果として元々の雲孔雀だった頃に、しょっちゅう面倒を起こす種族だからってヨシュアと何か誓約を結ばれていたみたいで、それを手綱に引き摺り落とされて壊されたから、もう完全になくなったよ。ヨシュアがあっという間に壊しちゃったからさ、僕にも、結局何がどうなってこんなものになっていたのかが分からないままだけれどね…………」
「ヨシュアさん達は、どうされたのでしょうか?」
「街でもてなされているみたい?ヨシュアのいた店の辺りは、お祝い騒ぎだってさ」
「ふむ。長らくウィームにいた悪いものとなれば、確かにそうなりますね。……………エーダリア様、もうロトワーンの鳥めはいなくなったそうです!」
ネアがそう言うと、こちらを見たエーダリアは呆然としたまま頷いた。
くすりと微笑んだヒルドが、そんなエーダリアに歩み寄るとひょいと片手で抱き上げてしまう。
「ヒルド?!」
「一番ご不安にさせたであろう時に、側にいられませんでしたからね」
「だ、だからと言って………!」
「いいのでは?今は、家族しかおりませんから」
「うん。エーダリアは少しだけ甘やかされておくといいよ。…………はぁ。僕もこれはさすがにどうしようかなって思っていたんだけど、今回はヨシュアのお陰だね」
「少しだけ感じた気配では、怨嗟というよりは羨望の方が強かったような気がするね。もしかすると、本体を調伏した者達が、鎮めの要素を見誤って何かを残してしまったのかもしれない」
ディノの言葉に、エーダリアはこくりと頷いたが、ヒルドに抱え上げられたままなので落ち着かないようだ。
おろおろしているエーダリアは少しだけ幼く見えて、ネアはにっこり微笑むと、家族の分の紅茶を淹れる作業に戻ることにする。
なお、イーザを狙われたと思ってお怒りだった雲の魔物は、直後に皆に感謝されてしまい、大事に大事にもてなされてお酒や料理を沢山振舞われ、幸せそうにくたくたになっていたそうだ。
色々な商品や食べ物なども貰い、得意げに雲のお城にイーザと帰って行ったという。
ネアは後日、なぜか騎士達から深々と頭を下げてお礼を言われたが、ヨシュアがウィームにいたのは私用なので、見当違いの感謝なのである。
ずっと昔からの被害がどれだけのものだったのか、連れ去られた妖精達がどうなってしまったのかは、その妖精達と暮らしていた者にしか伝わらないことなのだそうだ。
何百年もと聞けば、たった一つのボタンの掛け違えが生んだ災厄にしては大き過ぎるが、得てして災いの始まりに転がるのは小さな小石なのかもしれない。
ネアは、それを良く知る人間であった。




