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寒い朝と冷めた紅茶




寒い朝だったのだと思う。



何しろ左側の足がとても冷えてならず、窓の側に向いた体をそっとさすらなければならない程だ。

この部屋は魔術遮蔽があって魔術による室温対策が取り難いので、そろそろ窓そのものの手入れを行うべきなのだろうか。


だが、そんな部屋は何もここばかりでもない。

リーエンベルクのそこかしこに、未だに手入れが済んでいない部屋がある。


これ迄に比べると格段に手入れが進んでいるが、それでもこの先までをしっかりと見ていくのは自分の仕事なのだとエーダリアは思っていた。


だからきっと、こうして手入れの終わっていない部屋で感じる寒さもまた、これからのリーエンベルクの為に必要なものなのだろう。



(ストーブを置いてはいるのだが、あまり効果がないように思える。となると、熱を留める魔術効果を持つ火鉢などの方がいいのだろうか)



昨晩から風が強く、ウィームの気温はぐっと下がっている。

これで雪まで降ると大変なことになるのだが、幸いにも夜空は晴れているようだ。

昨晩、窓辺の木戸の確認をした際に、星の瞬く空を見た。


かりかりと音を立ててペンを動かす音に、カップに注いで保温魔術をかけ損ねた紅茶はすっかり冷めてしまっている、

時刻は夜明け前から朝に変わり始めた頃で、周囲は静まり返っていた。



(あと少しだな。………朝食までには終わるといいのだが………)



エーダリアは今、この部屋に収められた生地台帳の番号と名前の書き起こしをしていた。

これを完成させてからダリルに引き渡し、そこから文書管理や専門家達の研究に役立てて貰うのだ。


この部屋に置いてある生地台帳は、恐らく統一戦争時にヴェルリアの騎士達の手を逃れたものに違いない。

レースの一覧や生地を貼り付けた台帳がどれだけ貴重な物なのかは、このような品物を取り扱う者達と、ウィームの住人にしか分からないものだったのだろう。


(だが、ここにあるのは、ウィームの産業の成果なのだ。繊細な編みレースではなくスカラップレースが多く作られているのは、こちらのレースの方が魔術付与に長けているからで、この小さなレースにどれだけの魔術がかけられているだろう)


繊細で透けるようなレースもあるにはあるが、雪深いウィームではそちらのレースだと魔術遮蔽や守護の隙間を作ってしまうので、ある程度透過性が少ないものが好まれる。

風や雪の遮蔽としての意味合いだけでなく、手首や首元、女性の衣服では服裾に、魔術的な防御の役割を果たさせるのがこの装飾であった。


布に刺繍を施して作られるレースは、王都などからは散々地味だと言われているが、魔術階位としては格段にこちらが上位なのだ。


なお、繊細なレース編みのレースは、外出着ではない衣服や、テーブルや飾り棚の敷物としての重用が多い。

ウィームではドレスの飾りにするべきレースを花瓶の下に敷いてしまうと揶揄されるのは、そのあたりだろう。



(だが、そのような文化的な価値観の違いがあったお陰で、今はもう作り手が失われてしまった伝統的なレース模様や付与魔術の見本台帳が残っていてくれた。………ウィームの四大産業の内の一つをこのような形で引き継げるのは、とても幸運なことだ)



だからこそ、エーダリアは自分で記録を付けている。



一つずつレースの名前とそのレースを作り出した工房の名前を書き写してゆくと、簡単にではあるが見本として貼られているレースの模様を絵でも描いておく。

手間のかかる作業だが、これはエーダリアにとっても領主として必要な学びであった。


ここから先は、ダリルの手元で書架妖精の弟子達が別の資料から工房情報などを付け加え、専門家の手で最終的な資料として仕上げられる。


もし、歴史的に貴重なものがあればリーエンベルクに調査員が派遣され、そのレースを現代の工房でも作れるかどうかなどの技術の取り戻りの議論が行われるのだが、エーダリアはそんな時間が何よりも好きだった。



(魔術師としてではなく、ウィームの血を持つ者として、失われたものを取り戻す為の仕事をするのは、この上ない誇りだ………)



そんな事を考えると、体の半分が凍えるようでも、なんとやり甲斐のある仕事なのだろう。

場合によっては、この窓周りの調整も保管されている物に必要な調整なのかもしれないので、全てを慎重に進めなければならない。



「…………ふぅ」



一つのレースの書き取りを終え、カップを取り上げて冷えた紅茶を飲んだ。


温かいものを淹れ直す事も出来るのだが、エーダリアは飲み物のを残すのがあまり得意ではない。

実はこの感覚については、ネアと似ていたのが密かに嬉しかった部分だ。

ネアからはよく、食べ物の嗜好が似ているので良かったと言われ、互いにそのよう感覚が近しいことでの安心感もあるのだと思う。



(グラストは、辛い物が好きだったからな………)



くすりと微笑み、当時のことを思う。

共にいて大変だったことが殆どない頼もしい騎士なのだが、唯一そこが、自分との相性という意味での難点だと言えるだろうか。


グラストが好む料理は辛いものが多く、彼の味覚にも近付けてやらねばと何度か辛い料理を敢えて食卓に上げたことも何度かあった。


気付いたグラストからは気を遣わずにと言われたが、それでも彼が嬉しそうに食べていたので何度かは。

だが、微笑んで食事をしながら、エーダリアは、グラストが気を揉まないように咽せずに食べきらねばならないとばかり考えていた。


(今は、ネアがアルテアに作らせて持ち込む料理なども、好きなものばかりだ。グラストも、同じように辛いものが好きなロジとの食事を楽しんでいると聞いている。………ゼノーシュは辛いものは苦手なようだが………)



そして、あれだけ誠実な男だが、グラストは貴族の家の生まれだった。


小さな家事妖精が多く雇われている貴族の屋敷では、冷めた紅茶の淹れ直しが珍しくない土地がある。

大切に飲み干すことが作法だとされる土地と同様に、冷えた紅茶を飲んで体を冷やすよりも、温かな紅茶を淹れ直してしっかりと体を温めるようにと言い含められる土地もあるのだ。

当初のグラストは後者の文化を踏襲していたらしく、ウィーム中央での着任になってから、前者のこちらの土地の作法に合わせたらしい。


その話を聞き、成る程、時々貴族の中に惜しげもなく飲み残した紅茶を捨てるものがいるのはそのせいなのかと目を開かされる思いであった。

飲み残した紅茶を下げさせ、その紅茶を庭に撒いて土地を豊かにするという作法もあるのだから、土地それぞれの楽しみ方があるのだろう。


どのような文化や作法にも間違いはないが、自分の価値観に近いものと暮らすのがやはり楽だ。

ヒルドは妖精だしノアベルトも魔物である上で、こんなことを言うのもおかしな話だとは思う。

だが、今の家族との暮らしの居心地の良さには、皆が互いの価値観のちょうどいいところが重ねているからだと思っている。



(ヒルドもノアベルトも、私にこのような作業を無駄だとは言わない。ネアもディノも、私がこの作業を進めているという話をした際に、理解を示してくれた)



だからこそ多分、こんな早朝に部屋を訪れた魔物は、当たり前のように向かいの席に座るのだろう。



「あ、いいよ。部屋に戻る前に立ち寄っただけだから、作業をしててよ。きっと、エーダリアなら、どこまで進められたらいいかって目安を付けている筈だもんね」

「すまない。区切りのいいところまで、作業をしてしまう。……………だが、何か話したい事があったのなら、先に聞きたいのだが………」

「ううん。幾つか持っている魔術の手入れをして帰ってきて、家族がいる部屋にいたかっただけだよ。……………って、この部屋、随分窓際が寒いなぁ。…………あ、でも土地の祝福を入れて部屋に保管しているものを守っているのか。その調整が経年劣化で少し傾き過ぎているんだね」

「部屋の為に、必要なものでもあったのだな。どのように手入れをするべきなのか、悩んでいたのだ」

「もう少し、冷気が入り込まないように出来ると思うよ。わざと緩めていた部分がさ、緩み過ぎているって感じかな。さてと、僕はこれを読んじゃわなきゃだ」

「……………新しい魔術書だな」

「うん。何日か前にガーウィンで写本が発売され始めたものなんだけどさ、酷い中身だよ。…………でも、あまりにも酷い場合って逆に何かが誤って派生している場合もあるから、確認の為にね」


恐らく、その作業は今ではなくて良かったのだろう。

だが、ノアベルトは向かいの席で一冊の魔術書を読み始めてくれ、エーダリアは残りの作業を集中力を切らせることなく続ける事が出来た。


かりかりとペンを走らせる音に、僅かなインクの匂い。

真っ白な紙が大切な記録で埋まっていく喜びと、見た事のないような魔術付与のレースを見付ける喜びと。

そして、内容を確認している魔術書が余程酷いのか、時々向かいの席から呆れたような呻き声が聞こえてくる。



「おや。あなたもこちらにおりましたか」


暫くすると、ヒルドがやって来た。

ノアベルトの姿を見て、少し驚いたようだ。


「ありゃ。ヒルドだ。……………ふぁ。もう朝食だっけ?」

「いえ、今朝は少し遅めにしておりますから、まだ時間はありますよ。…………エーダリア様、いつもの朝食の時間を区切りにされていたのであれば、その時間で一度切り上げて少しだけ仮眠を取られて下さい」

「時間の調整をさせてしまったのだな。ネア達は大丈夫だっただろうか………?」



正直、この時間調整は有難かった。

もう少しで区切りのいいところなので終えてしまいたいのだが、朝食の前に少しでも眠れた方が、食事の時間に眠気に襲われることを防げるような気がする。

どれもこれも、丁寧に作ってくれている料理ばかりだ。

どれだけ眠くても、早く食事を終えて寝室に向いたいと思いながら食べたくはない。


だが、食事の時間を楽しみにしているネアは、朝食の開始が遅れてがっかりしなかたただろうか。

そう思って尋ねてみると、思いがけない返答が齎された。



「ネア様も、夜明け前に西門の入り口で祟りものを狩られていましたので、寝直せることを喜んでおられました」

「…………祟りもの?」

「………わーお。とんでもない情報が出てきたぞ」


自分が知らない間に何が行われていたのだろうと驚き、エーダリアは思わずペンを置いてしまった。

向かいの席のノアベルトも、美しい青紫色の目を丸くしている。


「今回は、ディノ様が気付いて対処して下さろうとしたところ、ネア様も同行されたようです。ディノ様があまりお得意な形状ではなかったので、結果としてはネア様が駆除したようですね」

「…………仮にも祟りものだ。怪我などをしていないといいのだが………」

「この季節に時々現れる、リボン騙しだったようです。簡単に灰になったと話しておられました」

「リボン騙しだったのか。小さな子供などに被害が出なくて良かった。…………とは言えあれも、騎士の討伐対象だった筈だが……………」

「カワセミに比べれば、砂の城よりも儚かったとお聞きしています。ただ今回は、ディノ様が形状的に排除し難かったのでしょう」

「あ、そうか。リボンだもんなぁ…………」

「砂の城よりも…………」



思わず呆然としてしまってから、エーダリアは慌てて首を振り、ペンを取る。


確かに、普段からカワセミを狩っているネアにとっては、リボン騙しの祟りものくらい、簡単に討伐出来てしまえるものなのだろう。

だが、排除方法が討伐の区分にあたることからも分かるように、必ずしもリーエンベルクの騎士である必要はないが、騎士達が対峙するような祟りものであるのは間違いない。



「新年のふるまいの邪魔をするものだ。ネアには、後で礼を言っておかねばいけないな」

「僕さ、未だにリボン騙しの、新年のリボン飾りのリボンに紛れ込めなかったからっていう派生理由が分からないんだよね。飾りのリボンに選ばれなかったってだけで良くない?!」

「そう言えば、なぜなのだろうな…………」



リボンに騙しは、ウィーム中央で新年になると見かけられる祟りものである。


あちこちに飾られる新年の祝い飾りの中に入り込めなかったという怨嗟から派生した祟りものだが、なぜ、完成したリボン飾りに紛れ込もうとするのか、それを成功させている何かがいるのか迄は明らかになっていない。


ただ、新年のふるまいの席に紛れ込まれると、あちこちでリボン飾りを汚してゆく厄介な祟りものなので、料理の皿が落ちたり、料理そのものを損なわれる懸念があった。

また、小さな子供などは襲うので、気を付けなくてはならない。


(門の周囲の植え込みの中などに潜み、当日を待つつもりだったのだろう)


以前にも一度、そのような位置に隠れていたリボン騙しを、ゼベルとリーナが討伐してくれたことがある。

あの時は料理のふるまいの開始直前に現れたので、冷や汗をかくようなぎりぎりの調整となった。

もし取り逃がして会場に入り込まれたら、とんでもない騒ぎになっていたかもしれない。



「さて。カップも空になったようですので、温かい紅茶をお淹れしましょう。飲みながら、残りの部分を終えてしまって下さい。私は騎士棟との連絡に戻りますが、こちらから厨房に運んだ方がいいので、部屋に戻る際にはカップはこのままで」

「ああ。ではそうさせて貰う。私が部屋に戻る前だと、厨房も、まだ朝食の準備をしている頃合いだろうからな」



こぽこぽと音がして、白磁のカップに紅茶が注がれる。

甘い果実の香りが立ち、湯気の向こうには、窓辺から差し込む鈍い朝陽に煌めくヒルドの羽が見えた。

魔術書に視線を戻したノアベルトは何とも言えない顔をしていて、ヒルドに、ボラボラを使った魔術式はやめさせた方がいいのでないかと相談している。



(ボラボラを、……………魔術式に使う?)



どのような使い方なのかがさっぱり分からないが、今はあまり深く考えるのはやめておこう。

温かな紅茶を一口飲み、じんわりと染み込む美味しさにほうっと息を吐く。


手元の作業には今暫く時間がかかりそうだが、大切な資料になるのだと思えば嬉しいばかり。



寒い朝だった筈だ。


だが、部屋の中はいつの間にか暖かくなっていて、エーダリアはその贅沢さに微笑んだ。





書籍作業のため、本日も少なめ更新となりました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 寒い部屋が暖かく感じられるようになるのが良いですね…。 紅茶の飲み方という些細な習慣についてですが、相手も当たり前のように自分の嗜好に寄り添ってくれて、大切な人達の前で我慢せずに居られるの…
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