囁く卵と銀のペン先
星祭りが終わればウィームが次に控えるのは、リーエンベルクからの新年の振る舞いだ。
今年の開催は調整され、星祭りの後にも五日ほど調整期間を置くことになっている。
開催日迄の間、ウィーム中央では騎士達の見回りが強化され、雪道や街路樹、森や水路と言った場所の見回りを引き受けてくれる者達が募集されていた。
銀水晶や蜂蜜、果実の酒や貴重なインクなどの報酬に惹かれた者達が次々に名乗りを上げている様子を見れば、今のリーエンベルクの関係者は実によくこの土地の生き物達の気質を分かっている。
エーダリアの前に領主を務めた者は、報酬の支払いを躊躇ったばかりか、支払いの内容も実になっていなかったので、周囲の者達に説得されて声がけをしても、誰かが名乗り出ることは殆どなかった。
それぞれの生き物達が見あった場所を見回るのであれば、種族や氏族の数だけの価値観がある。
相応しい報酬を用意してこそ、声をかけられた者達からの信頼も篤くなるという訳だ。
「……………何だこれは」
そして、念の為にと思い今回の見回り参加者の名簿に目を通していたアルテアは、おかしな項目に気付き眉を寄せた。
公表されていた報酬の一番上に追記された形で、カワセミの尻尾と書いてある。
参加者の中から、リーエンベルクとの連携を図り丁寧な見回りを行うという魔術誓約をすることを条件に、参加した者の中から先着で五尾分の特別報酬が約束されていた。
顔を上げると、ヒルドの代理で人型の参加者との報酬確認をしてきた帰り道だというネアはなぜか、得意げに微笑んだ。
「今回は漂流物などが残っていないかという少し怖い見回りですので、特別報酬を用意しました!狩りの際に、力加減を誤ってばらばらにしてしまったカワセミの尻尾部分です」
「………アクスに卸しても、それなりの金額にはなるだろう」
「エーダリア様にもそう言われましたが、今回はダリルさんからのご提案だったのですよ。私達が新年のお祝いを楽しみにしているように、ウィームに暮らす多種多様な皆さんにも、わくわくと胸を弾ませる何かご褒美的な楽しみがあってもいいのではないかと」
そうして用意されたものの中から、一部は森や川沿いなどに出されるふるまいの料理の卓に。
残りのものの中から、見回りに参加する者達への特別報酬が追加されることになったらしい。
(…………あの書架妖精らしい一手間だな。当初の報酬でも満足して参加した連中だ。多少の魔術の繋ぎを取られてもこれだけの物を追加されれば、心象はかなりいいだろう。……その上で、抜け目なくこのような時に手を借りられるようなもの達との間に繋ぎをつけたか)
「苺の酒とあるが、これは普通のものなんだろうな?」
「こちらはゼノの持ち込みなのですよ。私が放出したのは、カワセミの尻尾と、銀色に水色の混ざった雪鉱石です」
「………そちらもかなりの値がつくぞ。後で後悔するなよ」
だが、表情を見れば、そのくらいのことは理解した上で提出する品物を選んでいるに違いなかったが、念の為にそう伝えておいた。
雪の祝福鉱石を手に入れるのがどんな生き物になるのかは分からないが、人間であっても、その石があるだけで数十年は冬の暮らしが健やかになるだろう。
カワセミの尾は、言うまでもなく高値で取引されるものであるし、尾だけであっても加工前のものであれば、本来はアクスも山猫商会も動く品物である。
そんな品々を無償で提出したこの人間は、よく見せる強欲さの割にはこのような場面での出費も躊躇わない。
すぐに何かを狩るのも貧困に苦しんだというかつての暮らしの影響だろうが、手放せる自由にも拘りがあるらしい。
この手の気質は心構え如何によっては良し悪しだが、ネアの選び方について言えば、悪くない選択であった。
「ですが、その名簿に記されているのは、あくまでも報酬を支払って雇い入れる方々です。その他にも、報酬はいらないので手伝わせて欲しいという方が沢山来て下さったそうで、エーダリア様が驚いていました」
「……………ある程度、出所の想像がつく連中だな」
「ふふ。エーダリア様はさすがの大人気ですよね!」
そう微笑んだネアは、まさかその中の半数が、自分の領域からの申し出だとは思わないのだろう。
年末から会の中でも理性的な連中だけに何かの募集がかかっていたが、この為だったのかと溜め息を吐いた。
とは言えそちらが加われば異変を察知する目としては充分であるし、そこで何か問題があればグレアムが対処するだろうと考えてペンを手に取る。
(ここで仕上げて気分を変えるつもりだったが、まさかこんなところで行き合うとはな………)
手元にあるのはどこでも出来る作業だったが、今日は敢えてリーエンベルクに行かずに仕事をしていた。
それなのにという、この偶然の邂逅である。
用がなければ共にいる必要もないのだが、ネアもこちらに用事があり、尚且つシルハーンの調子が芳しくないので仕方なく面倒を見ている。
大きなアーチ型の窓の外を行き交うのは、ウィーム中央の領民達で、大通りの歩道に面したこの場所は、郵便社の中にある喫茶室であった。
出先で急ぎの手紙をしたためる者や、不備があった送り状や書類を書き直す者の為に設けられた喫茶室では、一般的なカフェよりは少し割高な金額になるが、郵便社で揃えたペンやインクなどを自由に使いながらメランジェなどを飲む事が出来る。
ウィーム王朝時代後期の建築様式に、メランジェの味もそこそことなれば、当初見込まれた目的の為だけにではなく、カフェが混んでいるような日にも何かと理由をつけてここを使う者も多い。
郵便社としても、利用の為に必要なものを購入して貰えば収益になるばかりなので、時折季節限定のメニューなどを作って積極的に地元住民にも呼び掛けていた。
「…………貼れました!これで大丈夫でしょうか?」
「見せてみろ。…………ああ。帰りに窓口に預けておいてやる」
「ディノ。トトラさんへのお手紙も、無事に梱包し直せました。まさか、ブナの木の森の方で雨の祟りものが出たせいで、一時的に防水魔術符がないと小包が送れなくなっているのは知りませんでしたね」
「……………あんな卵なんて」
「まぁ。……………まだ、しょんぼりなのですね。郵便社の前でアルテアさんに会えて、こちらで休めることを教えて貰えて良かったです」
シルハーンは、市場から脱走した卵に追いかけられたせいで弱っているらしい。
補充籠を間違えたせいで店頭に並ぶのが遅れたその卵は、祟りものになった上で、無差別に近くにいた客達を襲っていたようだ。
最終的にはネアが捕まえ、市場の紅茶屋の女主人が持っていた封印箱に力いっぱい投げ入れて終わったというが、そんな騒ぎを起こせば会の方がどうなるかは想像に難くない。
最初はまたかと思うくらいだったが、腐敗の質を得ていたと聞いてひやりとした。
食品の界隈で腐敗の質を得ると、怨嗟や呪いの成果として毒の魔術も備えることが多い。
慌てて調べたが、幸い、指先や皮膚は無事だったようで、ネアは不思議そうにしていた。
「あんな卵なんて…………」
「今回の卵さんは、言葉を話すのでちょっぴり怖い雰囲気でしたね。元々の事情を思えば可哀想な卵さんなのですが、さすがの私もあの卵には親身になれず、用意された封印箱の中で粉々になるように力いっぱい投げざるを得ませんでした………」
こちらの作業に戻ろうとしたところで、どうしてこの人間は、そんな聞き捨てのならないことをさらりとこぼすのか。
仕事用の発送書類を整えていたアルテアは、思わず手を止めてペンを置いた。
ゆっくりとネアの方を見ると、郵便社で作っているこの建物の絵付けの入った白いカップを持ち、困惑したように首を傾げている。
「……………喋った?人語をか?」
静かな声でそう訊けば、何かがまずかったのだと気付いたようで、ネアは眉を顰める。
だがここで、怯えるどころか、煩わしげに状況の説明を優先するのがこの人間であった。
「ええ。ディノの爪先にこつんとぶつかってきて、囁くような女性の声で食べる?と尋ねてきたようです。そのせいで、私の大事な魔物はすっかり怯えてしまいましたので、あの卵めは粉々の刑ですね」
「……………夜からは仕事があるが、その前にリーエンベルクに立ち寄ってやる。念の為に魔術洗浄をかけておくぞ」
「にゅま?!」
「言っておくが、素手で掴んだのはお前だからな?」
「そ、それは、うっかり潰れてしまったりして、手袋が汚れるのが嫌だったのですよ………」
「おかしいだろうが。自分の可動域を考えてみろ」
「やくとうは、すうじつまえにのんだばかりでふ!」
「そうだな。俺も作ってやったばかりだな」
「ぐぬぅ………」
手袋を守る為に祟りものを素手で掴むなと言いたかったが、それを言うのも馬鹿馬鹿しいくらいに、この人間は様々なものを素手で滅ぼしてきた。
そんな説明だけで既に様子がおかしいのだが、真実なので如何ともし難い。
「……………承認型の障りを持っていたようだ。あの魔術の織りを見るに、宥めようとして肯定してしまったり、その余地があるような発言をすると、伴侶にされてしまうのだろう」
「……………は?」
夜椋のテーブルに顔を伏せるようにして項垂れていたシルハーンがまたとんでもない情報を重ね、アルテアは、今度こそ頭を抱えたくなった。
婚姻などの強制魔術を持つものは、階位で言えばかなり高い。
恐らく、元々普通の卵とは違ったか、それだけの怨嗟を貯め込むだけの扱いを受けていたのか。
(だが、あの店の主人は、商品の管理はまともだった筈だぞ………?)
どれだけ単純な事件でも、理由がしっくりこない場合は何かの思惑を含んでいることも多いので、理由が分からなければ、この一件は今後も慎重に経過を見た方がいいのかもしれない。
「そいつが経緯の割に階位を上げていた理由は、分かっているのか?」
「まだ調査結果は出ていないようだけれど、自分よりも質が劣ると思っていた卵が先に売れていくのが、どうしても我慢ならなかったようだよ」
「ええ。ディノを助けてくれて、卵さんの移動経路を調べてくれたジッタさんが、そう仰っていましたね。羨望はとても強い恨みになるのだそうです!」
「………いや、卵だろ」
「普段は美味しくいただくものがそのようになるのは、色々と複雑な思いを抱いてしまうので、出来ればやめていただきたいですね……。リーエンベルクに戻ったら、鎮魂の為に半熟茹で卵でも食べておくべきでしょうか」
「ご主人様………」
「お前は、よくもこの経緯でそう言えたな………」
怨嗟が階位を上げた理由は判明したが、卵からの求婚を思い出したのか、シルハーンがまたテーブルに顔を伏せてしまった。
「まぁ。ディノがくしゃくしゃに………」
「どうしてだろうな」
「茹で卵だと原型が怖いかもしれないので、キッシュあたりにしておきます?前にお店でいただいた、トマトとジャガイモのキッシュを作ってもいいかもしれませんね」
「トマトなのだね………」
「む?」
「やめろ。この会話の流れでは、最悪の組み合わせだぞ?」
「むむ?」
溜め息を吐き、置いていたペンを取り上げると、付け替えたばかりの銀のペン先の収まりを見る。
五本売りだが、思っていたよりも感触がいいので、予備も含めて注文しておいてもいいかもしれない。
しかし、そう思っていたところで、こちらの手元をじっと見ているネアに気付き、やれやれともう一度溜め息を吐いた。
「貸してみろ。一本だけだぞ」
「………たまたま、買ったばかりのペンがあるのですよ!」
「ったく。………それと、今度からはもう少し軽いものを買え。このペンは軽減魔術をかけておいてやる」
リーエンベルクに着いてからの魔術洗浄の手順を考えながら、栗の木の箱から取り出したペン先を付けてやり、窓にぼんやりと映った自分の輪郭を見る。
(……………もし)
もしもあの時、ここにある選択が全て失われていたら。
その自分は、何を考えながらこの席についたのだろう。
けれどもそう考えるのはあまり愉快ではなかったので、アルテアは、また別の卵料理を考えようとする人間を黙らせにかかることにした。
引き続き、本日も少なめ更新となります。




