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ハーミア



星屑の蝋燭に照らされた雪道を歩き、ハーミアは小さくすすり泣いた。


今日は多くの人々の願いが叶う星祭りの日なのに、ハーミアの願い事だけは叶わない。

きらきらと輝く星屑を手に取り何度お願いしても、その全てが粉々に砕けてしまった。


ハーミアは、小さな蜜蝋工房に勤めている。


工房主は妖精で、気のいい緑の髪の美しい女性で、両親を亡くしたハーミアにとっては育ての親に近い。

おばさまと呼んでいたし、妹もとても懐いている。

とは言え蜜蝋の妖精というだけあって仕事には厳しく、工房から生み出される品物には厳しく目を光らせていた。



(だから、私の願い事は叶わない)



願っても、願っても、どれだけ苦しくて悲しくても。

失意のあまりに、のたうち回りたいほどでも。



ハーミアはもうすぐ工房の仕事を辞めることになっており、今回作ったクリームが最後の仕事であった。

工房で働き始めた幼い頃からずっと、ハーミアが憧れていたのはリノアールでの取り扱いだ。


リノアールの商品ラベルはいつだって美しかったし、思いがけない水晶の小瓶や小さな結晶石の箱に入れて売りに出したりと、とにかく商品の仕立てが素晴らしい。


いつか、あんな風に素敵な品物の隣に、自分の作り上げたクリームも同じ装いで並ぶのだ。

そう願い、努力を続けたのがこれ迄の日々であった。


(どんな時も仕事の事を考えていたけれど、それは苦ではなかった。だって私はクリーム作りが大好きだったし、水辺の祝福とバーベナの祝福を持って生まれたのだから、この仕事は天職だったのだと思う)



工房での仕事を辞めて家族と共にザルツに移り住んでも、きっと自分だけで趣味のクリーム作りを続けるような気がして、高価な祝福付与の為の道具類も揃えたばかり。


それくらいにクリーム作りの仕事は大好きだったし、最後の仕事では、ずっと温存していたバーベナのクリームを作り、ウィーム中央での仕事の集大成になると信じていた。



でも、ハーミアの最後の仕事は、評価を受けはしたものの、どういう訳かヴェルリアの商店に卸されることが決まってしまった。


麦酒を持って踊る飾り木と酔っ払いの船乗り達のラベルが貼られ、リノアールで可愛らしいリボンをかけて売って貰う夢は潰えた。


今からどうにかならないかと星屑に祈っても、それはもう叶いはしないだろう。

星屑にだって、どうしようもない現実というのはあるのだから。



(ザルツにだって、行きたくない…………)



でもそれはハーミアの我が儘で、ザルツの音楽院に入る事が決まった妹の事は愛している。


二人だけの家族だから当然付いて行くし、妹を一人にするという選択肢はそもそも最初からないのだ。

だからただ、妹を愛することと、自分の夢を諦めることがどうして同じ天秤にかけられてしまったのかが納得できないだけで。



でもきっと、そんなことは幾らでもあるのだろう。



愛するものを守ることと、その為に犠牲にすることと。


ハーミアの涙や憤りは、きっと、ここで暮らしてゆく大勢の人々の苦悩の端にもかからない。

ハーミア自身だって、家族や親族を失った大きな事件の事の方が、余程、許し難い悲劇だとも思う。



(でも、あのクリームは私の宝物だったの。ずっとずっと、いつかバーベナのクリームで勝負をして、リノアールではなくても、綺麗な色のリボンをかけて貰えるような店に出して貰うのだと、そう思ってきた)



商品としては何の問題もなく、素晴らしいとさえ言われたのだから、願いは叶っていると言う者もいるだろう。

星屑を握り締めて何度も無駄な願いをかけるハーミアは、自分でもその悲しみが贅沢なものだと分かっていた。



「ああ、いた!ハーミア!!」


そしてそこに、まだハーミアが泣いたばかりの目を冷やしていないというのに、ロドウスが来てしまった。

同じ工房で働く彼は、何度もリノアールの商品枠を勝ち取っている憎むべき同僚である。


でもハーミアは、綺麗な水色の瞳に団栗色の髪を持つこの妖精が、なぜだか大好きだった。


だからこそ、今は会いたくなかったのに。



「…………さようなら」

「ああ、やっぱり。こんな風に泣くくらいなら、あの時、工房長の依頼を断れば良かったんだよ。ほら、雪織りのハンカチ。これで目を冷やして」

「だって、………ヴェルリアのあの商店は、滅多に国内の工房の品を採用しなくて、今回の話はとても光栄なものだったのよ」

「………でも、赤ら顔の船乗りのラベルは、どうしても嫌だったんだろう?」

「例え、あの時に大喜びをしているみんなの姿を見て断れなくなってしまったのだとしても、その結果とても後悔していても、自分の願いや理想とは離れてしまっても、どうにもならないこともあるわ。………誰かと一緒に仕事をしたり、生きていくことってそういうものでしょう?」


ハーミアがそう言えば、なぜかロドウスは目元を染めてそわそわし始める。

不思議な反応の理由が分からず、ハーミアは眉を顰めた。



(………もう、何なの?!)


こっそり泣いていたのを知られたくなくて裏道にいたので、何か用があるのなら早く済ませて欲しい。


これからハーミアは、もう一度自分の心を整理して、泣いていた目を魔術で冷やして、大好きな妹の待つ家に帰って、あなたとザルツに行くのが楽しみよと微笑まなければいけないのだ。


ロドウスのことは大好きだけれど、今はまだ、どうしようもなく羨ましくなってしまうから。

最後の仕事で仕損じた上に、この同僚にだって来週にはもう会えなくなるのに。


そう思ったハーミアが星屑に何を願ったのかは、秘密だったし、星が砕けてしまった以上は、もう二度と口にも出したくない。



(あなたが、…………ザルツに沢山遊びに来ればいいなんて、願ってしまうなんて)



「ロドウス、………私、もう行かなきゃ」

「……………そ、そうだね。……………ねぇ、ハーミア。僕のお嫁さんにならない?」

「そうね。……………んっ?!……………今、何て?!」

「僕の、お嫁さんにならないかなって。…………やっぱり、いつか妖精になってしまうのは嫌かな」

「………私に、求婚しているの?」

「……………あれ、もしかして、怒る?」

「……………怒っていないわ。でも私、ザルツに移り住むのよ?」



困り果ててそう言えば、なぜかロドウスはにっこり微笑んだ。


ハーミアよりよほど長く生きている妖精なので、何かの答えを得たのかもしれない。

あまりにも嬉しそうにされてしまって、ハーミアはたじろいだ。


「うん。僕もこの地を離れられないからね。そちらに付いていくのは難しい。でも、妹さんが学院を卒業するまでにかかる時間は、六年だろう?そのくらいの時間を待つことは、妖精だからこそ問題ないんだ」

「待っていて、くれるの………?」

「君は、そのたった六年を悲観し過ぎだよ。またこの街に戻っておいで。結婚の約束をしたら、妖精の道を使えるようになるから、休日にはこちらに戻ってきて時には工房で新しいクリームを作ってもいい。……………大好きな仕事も、このまま諦めてしまうのかい?今の君はもう、一度ザルツに移住したくらいで、今の工房に戻れなくなる訳じゃないと思うけど」

「でも、……………うちの工房はとても人気で」



そうなのだ。


だからこそ、自分の意思で工房を出た者が、再び工房に戻るのは難しい。

ハーミア程の才能を持つ者は他にもいるし、工房の建物の広さは変えられない。

また、若い世代に技術を残すのも工房の役割である。

そして、ハーミアの理想とするクリームは、今の工房の蜜蝋がなければ作れないのだった。



「だからこそ、工房主は、ヴェルリアの商店が君のクリームのレシピを欲しがった時に、あちらに渡したんだろうね」

「…………え?」

「君は、この工房で初めてあの魔物の店との繋がりを作った、僕達の誇りだよ。相手がウィームの住人ではない分、僕達がリノアールの仕事を得るよりも難しいことだ。そんな君が工房に戻りたいと言えば、皆が賛成するだろう。それに、工房には夫である僕もいるし、バーベナのクリームをリノアールに卸すまでは、きっと君の仕事への熱意も消えないだろう」

「いつの間にか、夫という前提になっているわ…………」


呆然と呟くと、ロドウスは微笑んだ。

陽だまりのような温かな微笑みは、椎の木の妖精らしい優しさで、ハーミアの大好きな微笑みである。

その微笑みを見ていたら、胸が苦しく成る程に。


「僕は木の妖精だから、ザルツには移住出来ないんだ。君が、沢山通ってくれないと枯れてしまうよ」

「……………そんなに離れていても、あなたはいいの?妹をザルツに置いて来いって言わない?」

「言わないさ。ハーミアは、自分の願い事を放り出してしまうくらいに、妹が大好きなんだろう?…………僕が祝祭の度に食事に誘っても、いつも妹を優先された…………」

「そ、それは、…………ごめんなさい。まさか、そういうつもりだとは思わなくて…………」

「でも、お嫁さんになってくれたら、離れていても、蔑ろにされてもハーミアは僕の奥さんだからね」

「前提がおかしいわよ?!」

「……………諦めないで、ハーミア。工房長は、君があのクリームを最後にするだなんて言うから、今回の決断を下したんだ。リノアールもそうだけど、君はこの仕事が大好きなんだろう?僕と結婚すれば、工房へも戻りやすいっていう条件も付いてくるよ?」

「それでいいの…………?」

「何でもいいさ。大好きな君と、これからも沢山会えるなら」



ハーミアはその言葉に打ちのめされてしまい、気付けば求婚を受け入れていた。


家に帰ってから妹にその話をすると、いつも愛くるしい妹は、あの妖精は呆れるくらいに行動が遅かったと、傘祭りの後の騎士達のような暗い目で言うではないか。


だが、工房での仕事への復帰の道筋を残すことも、ロドウスとの結婚も、とても喜んでくれた。



「一緒に来ないでもいいって言えば、お姉ちゃんはきっと後悔する。家族がみんないなくなって、二人だけの家族で、もし離れ離れで暮らしている時にまだ子供の私が事故にでも遭えば、きっとお姉ちゃんは今度こそ立ち直れなくなる。…………だからね、お姉ちゃんをそんな目に遭わせないために、ザルツには一緒に来て欲しかったの。その代わりに、私は卒業したら絶対にウィーム中央楽団に入ってみせるから。だから、少しだけお姉ちゃんの時間を私にちょうだい」



そう微笑んだ妹は、とある楽器の祝福を持って生まれた。


その祝福があまりにも強く、大きな音楽院での学びの機会は必要なものだった。

当初はウィーム中央の音楽院に通うつもりだったのだが、そちらに一足先に通っていた男性の持つ祝福を、妹に祝福を与えた楽器が嫌ったのだ。

そして、ザルツの音楽院への入学が決まった。



「あ。忘れていたわ。……………これ、大きな星屑を拾ったから、お土産に持ってきたの」

「わぁ。有難う!………よーし。見ていてね。…………ザルツではお姉ちゃんと楽しく暮らして、六年後は二人でウィームに戻ってきて幸せになれますように!!」


その願いは幾ら何でも欲張り過ぎだと思ったが、妹の手の中で、お土産代わりに拾ってきたとびきり大きな星屑は明るく光った。


願い事の成就の証で妹と一緒に飛び上がって喜び合ったハーミアは、きっと、六年後のこの街で、またリノアールに卸す為のクリームを作り始めるだろう。

そしていつか、リノアールの商品棚に、バーベナのクリームを置かせて貰うつもりだ。




書籍作業の為、本日は短めの更新となります。

明日も、少し短めかもしれません。

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