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銀狐と薔薇の木のブラシ




リーエンベルクで行われていた快気祝いが終わると、ウィリアムはやっと自室に戻る事が出来た。 


勿論、アルテアの選択の回帰が無事に終わってほっとしているし、ここでシルハーンやネア達と共に食事を摂れるのは、喜びといってもいい。



(……………だが、さすがに昨晩がきつかったな)



そう考えてがくりと肩を落とすと、深い深い溜め息を吐いた。



選択ごと幾つもの記憶を失っているアルテアと、その部屋で過ごした時間の危うさは言葉に出来ない程だ。

あまりにもあまりな品物が多い部屋の中で、場合によってはこの状況にうんざりしたアルテアが立ち去りかねないという危険をどうにか回避させつつ、朝まで諸調整に付き合った。


戦場に出る方が余程ましだというような緊張感の中で、何度ノアベルトを連れ戻そうと呼びかけたことか。

しかし、どうやら誰かの部屋に避難していたらしい彼は、終ぞ捕捉出来なかった。




「……………それなのになぜ、この部屋に来たんだ」



思わずそう話しかけてしまったのは、足元に立って尻尾を振っている銀狐である。

なぜこの部屋に来たのか分からないし、アルテアの部屋に行こうとして間違えたのではないかと思えば、それもそれで心を削る。


昨晩の滞在で、アルテアがどれだけ無意識にこの狐の面倒を見てしまっているのかが、嫌という程に理解出来たからだ。



「…………ノア………ベルト。俺は、アルテアみたいに面倒は見ないからな。…………ブラシを押し付けないでくれ」


なぜか目を輝かせて尻尾を振っている銀狐姿のノアベルトは、木製のブラシを咥えている。

それをぐいぐいと押し付けてくるのはまさか、ブラッシングをしろということなのだろうか。


手荒く追い払いたいのだが、シルハーンやネアが可愛がっている以上はどこまでの耐性があるのか分からずに途方に暮れていると、なぜか飛び上がって体当たりをされ始めた。


「っ、……………どれだけ訴えても、ブラッシングはしないからな。いいか、少し休ませてくれ。誰のせいで俺は昨晩一睡も出来なかったと思っているんだ」



そう言えば、動きを止めた銀狐が尻尾の毛を逆立てている。

そして涙目のまま頷き、だからこそだと言うように足元にブラシを置いた。



「……………もしかして、その詫びにブラッシングをしていいということじゃないだろうな?」


まさかと思い問いかけると、頷くではないか。

意図が伝わったのが嬉しかったのか、足踏みをしてからまた尻尾を振った。



「勘弁してくれ………!!」


思わず頭を抱えてしまい、そのまま座り込みそうになる。

よろよろと長椅子に向かって腰を下ろし、もう一度深い溜め息を吐いた。


銀狐はブラシを咥え直すと当たり前のようについて来たが、なぜ、長椅子の上に飛び乗って隣に座るのだろう。



「いいか、ノアベルト。俺はこれから、簡単に入浴して少なくとも夕刻までは寝る予定だ。邪魔をしないでくれ。…………膝に前足をかけるな。…………ブラシは受け取らないからな」



だが、頑なに押し戻していると、ムギャワーと声が上がってしまった。


思い通りにならなかったのが腹立たしいのか、銀狐は、涙目で暴れ出してしまう。

もはやどうしようもなくその隣で頭を抱えていると、ノックもなく部屋の扉が開いた。



「……………何をやっているんだ」

「……………アルテア。どうやら、あなたの部屋と間違えたようですよ」

「部屋は間違えていないようだぞ?」

「何で首を横に振るんだ!俺よりも、アルテアの方がいいだろう!」

「言っておくが、扉を閉め忘れていたからな。廊下まで騒ぎが聞こえていたぞ」

「だとすれば、開けたのはノアベルトでしょうね。……………首を横に振らないでくれ。アルテア、これを連れ帰ってくれませんか?」

「何で俺が連れて帰るんだよ。お前の部屋に来たんだろうが」



その返答に、もしや不機嫌なのだろうかと思わずアルテアの表情を見たが、幸いにも、言葉の通りの意味を持たせてあったようだ。

一瞬、アルテアが、銀狐が自分の部屋ではなく、こちらの部屋に来た事を不快に思っているのかと勘繰ってしまったウィリアムは、ほっと胸を撫で下ろす。



「だとしても、俺の手には負えません。…………というか、銀狐の声が聞こえたので来てくれたんですよね?」

「お前は、妙な障りは受けてないな?」

「……………ん?……………俺ですか?」



想像もしていなかった問いかけに、手のひらで銀狐を押し戻していた姿勢のまま動きを止める。

アルテアを見返してから、トトルリアでの一件を指しているのだと分かった。



(確かに、前線で戦っていたのは俺だが…………)



「浸食の類だ。雑な対処であれば、魔術洗浄をかけておけよ」

「念の為に、腕は入れ替えてありますよ。排他結界をかけていましたが、指先に小さな傷などを貰っていると面倒ですからね」

「……………頭が痛くなるような雑さだな」

「俺は、体のどこかを損なっても寧ろ損ない続ける方が難しい方ですから。一度落としてから治癒で再構築した方が、後々問題がないでしょう。…………それと、ノアベルトはなぜこの体勢になったんだと思いますか?」

「知らん。……撫でさせようとしているんだろ」

「俺の膝の上で、仰向けになって………?」

「……………わざわざ、説明するな」



あんまりな状況なのでそのまま伝えると、さすがのアルテアも顔色が悪くなった。


今やノアベルトだった筈の銀狐は、押し戻す手の下から膝の上に滑り込み、なぜか腹部を出して仰向けになっている。


どうしようもなくなり、両手を持ち上げ触らないようにするしかなかったが、普段のネアやシルハーンはどう対処しているのだろう。



「そう言えば、ネアの魔術洗浄は今日の内に済ませるつもりですか?」

「…………アレクシスのスープを飲んだ以上は問題ないだろうが、念の為にな。特に呪いに関わる証跡類は、丁寧に消しておく必要がある。苦痛や傷を掘り起こすような障りは少なくない」

「以前に起こしていた発作に比べれば、大したことがないと話していましたね……………」



アルテアは何も言わずにいたが、あまり愉快な話ではないのは確かだろう。

あのような場面で受ける魔術的な苦痛は、酷いものだと聞く。

その苦痛を、自分の中ではさしたる価値もないのだと押し下げる人間は稀有なものだ。



勿論、それこそを利点としたり、苦痛に慣れざるを得なかった履歴の人間も少なくはない。

だが、穏やかに暮らしてゆくことこそを望みとしいているネアのような人間にとっては、苦痛は苦痛のままであってもいいのではないだろうか。



「それと、シルハーンから話は聞きましたか?」

「ダムオンでの記憶の再編だな」

「ええ。記憶として戻すことは出来なくても、どのように過ごして何が起きたのかは、共有しておいた方が安全なのは間違いないでしょう。追憶関連の魔術効果を使って、記憶から追体験の場を作る方がいいだろうと」

「ノアベルトあたりの構築だろう。シルハーンに向いた魔術ではないからな」

「ええ。ノアベルトにも、……………そう言えば、ここにいるのか」

「……………それをノアベルトだと思うのは、もう時間の無駄だぞ」

「そう簡単に割り切らないで下さい。どうあっても、ノアベルトには違いないんですよ?」

「お前の膝の上で、眠ったようだが?」

「何でこの体勢で眠れるんだ。……………この種の獣の背骨はおかしいだろう…………」



仰向けになって四つ足を上に向け、尚且つ、頭を右側に反らすようなとんでもない体勢だ。


この姿で寝ているのを見かけない訳ではなかったが、リーエンベルクの廊下の上ではなく自分の膝の上でやられてしまうと、なかなかに厳しいものがある。



「そう言えば、先程のトトルリアの漂流物ですが、……………あの時なぜか、清涼な水に浸かりたいと思いました。俺だけじゃなかったようなので、試してみると、何かが残っていた場合には効果があるかもしれませんよ」

「似たようなことを、シルハーンも話してある。ネアが、昨晩は氷河や雪解けの水などを随分と飲みたがったらしい」

「元となった鉱石との相性なのかもしれませんが、こちらとは魔術の構成が違うので何とも言えませんね。まぁ、参考までに。……………あの時、あなたもプールに呼んでいれば、緩和になったのかもしれないんですが」



ついつい、そんなことを言ってしまった。

こちらを見たアルテアは、やはり顔を顰める。


「俺には、そういう欲求がなかった。触れて壊したことで受ける損傷や障りと、漂流物界隈の対抗策を打った俺に向けた呪いとは、資質が違うんだろうよ」

「……………かもしれませんね。……………アルテア。ちなみにこの場合は、そのまま立ち上がってもいいと思いますか?」

「……………知らん。好きにしろ」

「うーん。このまま立ち上がると、絨毯のないところに落ちそうなんですが、…………まぁ、中身はノアベルトですしね……………」

「……………ったく」



落ちるとなると見ていられなくなったのか、こちらに歩いてきたアルテアが銀狐を抱き上げ、そのまま長椅子の上に置いた。


出来ればこの部屋から連れ出して欲しかったのだが、膝から下ろして貰えただけでも良しとしよう。

掴み方を間違えて傷を付けた場合、ノアベルト自身は兎も角、ネア達やエーダリア達にまで気を揉ませてしまいそうではないか。


だが、ほっとしたところで、なぜかアルテアが眉を寄せた。

怪訝そうな表情におやっと首を傾げ、その視線を辿る。



そこには、銀狐が咥えていた木製のブラシが置かれていた。



「薔薇の木のブラシだな。……………獣用のものじゃないぞ」

「ん?……ノアベルトが持ってきたものですか?獣用じゃないとなると、本来のノアベルトが使っているブラシなのかな………」

「……………それを、お前の部屋に?」

「確かに変ですね。間違えて持ってきたという事もあり得ますが、まさか、とうとう二つの姿の境界の見極めがつかなくなったんじゃ」



顔を見合わせ、呆然と眠っている銀狐を見つめた。


塩の魔物と言えば、派生時には同じ王族位の魔物だった。


そして恐らく、その後の階位を下げた状態を見るに、ウィリアムより階位の高い魔物だった筈なのだが。



「シルハーンにも、伝えておきましょうか」

「対応出来る訳がないだろうが。この場合は、ネアにしておけ。……………ヒルドでもいいかもしれないが」

「となると、俺が話し易いのはネアの方ですかね。…………なんでこのブラシだったんだ」



その後、アルテアは何とも言えない表情のまま部屋に戻ってしまい、ウィリアムは、眠っている銀狐を部屋に残されてしまったので、入浴している際も、その後に仮眠を取る為に寝台に入ってからも、どうして人型用のブラシをわざわざ持ってきたのかが気になってしまい落ち着かなかった。




「まぁ。…ウィリアムさん、顔色が…………」


当然だが、晩餐の席でネアに顔色を案じられる羽目になる。


今日も何件かの小さな戦乱はあったが、アルテアと仕事をしているナインから、こちらで引き受けると連絡が入った。

本来の領域での作業よりも、アルテアの回復を優先させろということらしい。

その身を案じているといよりは、仕事に影響が出るので確実に元に戻せということだろう。



なので、今夜もリーエンベルクで過ごせる事になる。

ウィリアムはエーダリア達もいる晩餐の席なのでと少し悩んだが、銀狐が持ってきたブラシの話を、ここでしてしまうことにした。



「…………自分がされて嬉しいことを、勧めようとしたのではないか?」


特に驚きもせず、当たり前のように答えを出したのは、エーダリアであった。

そして、ネアも頷いている。


「ええ。私もそう思います。狐さんにとって一番気持ちが良くて素敵なことがブラッシングなので、ウィリアムさんにも髪を梳かして元気になって欲しかったのでしょう」

「そういう意味だったのか……………」

「若干、してあげたいことが狐さん基準ですが、……………まぁ。ディノは、震えてしまうのです?」

「ノアベルトが……………」

「そんな狐さんは、ウィリアムさんに運んで貰ってこちらに来てもまだ眠っているので、食事は後からになってしまいそうですね」

「私が起こそう。…………以前に、食事を一人で摂るのは苦手だと話していたのでな」

「ふむ。では、エーダリア様にお任せしますね!」

「私がやりますよ。……………ネイ?」



一声で熟睡していた銀狐を起こしてみせたヒルドと、その後、本来の姿に戻って食事をしているノアベルトを見ながら、ウィリアムは複雑な気持ちで食事を終えた。



こうして見ているとただのノアベルトだが、出来ればどうにか、狐としての思考時間を減らしてくれればと思うばかりだ。






本日は、少なめ更新となります!

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