271. いきなりの呪いです(本編)
ウィームに大雪が降った日の夜、ネアは、灯りを落としたリーエンベルクの廊下を歩いていた。
こつこつと床を鳴らして歩けば、まるで閉ざされた世界を一人で歩いているような気持ちになる。
窓の向こうの夜には今もなお雪が降り続けていたが、吹雪というよりは花びらが舞い散るような美しさだ。
雪灯りの夜は明るく、雪の日の夜は薔薇色がかった不思議な灰色にぼうっと染まる。
魔物の付き添いもなく、こんな風に真夜中に部屋を出るのは、悪いことかもしれない。
けれども乙女には、確かめなければならない事を放置してはおかない神聖なる瞬間があって、今夜こそはその瞬間であった。
「…………ネア?」
廊下をゆっくりと歩いて行った先には、一人の魔物が立っていた。
部屋を出ているとは思わなかったのか怪訝そうに瞳を瞠り、こちらを見る。
こんな夜中にどうして廊下の窓から外を見ていたのかは分からないが、何か気になることでもあったのだろうか。
それとも、何か厄介な事が密かに水面下で進行していて、その動揺を逃す為に部屋を出たのだろうか。
「…………ディノは、アルテアさんのお部屋でしょうか?」
「シルハーンを探して来たのか?」
「それもありますが、こんな夜中にディノが部屋を出て行くからには、きっと普段にはない事が起きていると思って探していました。アルテアさんは、大丈夫なのでしょうか?」
その言葉に、ウィリアムは静かに頷いた。
頷いてから淡く微笑み、まるでそうする事が当然かのようにネアの手を取る。
おやっと眉を持ち上げると、騎士としての役目を果たさないとと悪戯っぽく微笑んだ。
「俺はきっと、…………自分だったら我慢のならない事を、アルテアにしたんだろうな」
「まぁ。その告白自体が有罪ですよ!何が困った事があったら、隠さずに教えて下さい。往々にしてそのようなことは、ご自身では手がないように感じていも、他の誰かが解決方法を知っていたりするものです」
「ああ。………そうかもしれない」
その時のウィリアムがあまりにも優しく微笑んだから、ネアは、どこかで起きている異変がとても深刻なものなのだと理解してしまった。
そしてそれは恐らく、アルテアに関わる事なのだろう。
(………今日、リーエンベルクに来たアルテアさんは、雪まみれだった)
この雪はニエークが降らせてしまっているようなので、そのせいかとも思ったが、グラストと見回りを終えて戻ってきたゼノーシュが魔術で雪を払っていたので違和感を覚えたのだ。
雪まみれの使い魔はタオルでくるんで、わしゃわしゃと拭いてしまう銀狐拭きにしてしまったものの、高位の魔物が雪除けも出来ずにやって来たという状態は、もしかすると何か異変が起きているということを示唆していたのではないだろうか。
ネアがなぜそんな事を考えたのかと言えば、新年早々駆り出された戦場で、ウィリアムが昨年の内に流れ着いていたと思われる漂流物と交戦してきたと聞いたからだ。
(それはもう、元はこちらの人間だったものが漂流物に取り込まれたのか、こちらの人間を漂流物が取り込んだものなのかは分からなかったらしい)
流れ込み、ひっそりと根を下ろして芽吹いた災いは、一つの国を滅ぼしかけただけではなく、あのリシャードすら負傷させ、ウィリアムもアルテアの補助がなければかなり身を削る羽目になるところだったと言う。
そして、そんな戦場でウィリアムに手を貸してくれた選択の魔物に、何か問題が生じたらしい。
となればもう、考えられる理由など一つしかなかった。
(何の確証もなく、ウィリアムさんがアルテアさんの言動を見て感じただけだと聞いたけれど、それに気付ける程に近しい相手といえば、ウィリアムさんくらいだという気がする………)
その親密さは単純に仲がいいというものではなくて、油断のならない厄介な相手を監視するという意味合いでの理解も加えての者に違いない。
だとしてもウィリアムは、その漂流物を排除した後のアルテアの様子に違和感を覚え、懸念をこちらにも共有してくれた。
(とは言え、漂流物の中でも特異な個体に触れたことで、こちらには言えないような悪さを企んでいる可能性もあるらしいけれど………)
だが、感じたものがもし、何らかの事情で引き受けた障りや不調によるものであった場合には取り返しのつかないことになるといけないからと、ウィリアムはその微かな違和感について話してくれたのだ。
(………森に帰りたい、という感じではなかったかな)
ネアはそう思ったが、高位の魔物の気分を完全に理解出来るとも思わない。
さすがに伴侶については些細な変化も感じ取れるようになったが、義兄を含めたその他の魔物達は、自身の領域をしっかりと持っている魔物である。
ウィリアムが、不調や異変を勝手に共有される行為を我慢がならないと表現したように、魔物というのはやはり、どこかに野生の鋭さ持ち続ける生き物だ。
どれだけ近しくなっても、だからといって全てを許してくれる訳ではない。
そしてウィリアムは、まさにそんな感じの事をネアに言うではないか。
「だが、今夜は部屋に戻ってくれるか?………こちらで何かを掴まない限り、今はまだネアが触れるのは危ういからな」
「ええ。私としても素人判断で首を突っ込んで足手纏いにはなりたくないのですが、何かを共有しておいて貰えると、こちらでも持ち物を探ってみたりは出来るような気がします」
ネアとしてはとても譲歩してわきまえたつもりだったが、ウィリアムはにっこり微笑んだ。
この微笑みは問題の核心に近付けたくない時のものだなと考え、ネアは僅かに眉を寄せる。
「有体に言うと、アルテアが何を抱えているのかすらも分からない状態だ。シルハーンが話を聞いてくれているようだから、少しだけ待っていてくれ。もし、何か…………ネア、今はまだ敵がいる訳じゃないから、ハンマーを取り出さなくていんだぞ?」
「何か不都合なことが発覚しても、私だけ議論から追い出したりしません?」
「……………もしかしてそのハンマーは、脅迫用なのか?」
「ぐるる…………」
困ったなと小さく呟き、ウィリアムにひょいと持ち上げられた。
こんな風に触れられると、なぜだか今ほどには近くなかった、みんなの調整役の近所のお兄さん的な終焉の魔物の時代を思い出す。
今でもその要素もあるのだが、いざという時に手を離すかどうかの区切りは、もう変わったような気がする。
(それなのにあの頃の事を思い出したということは、今回は、早い段階で私を追い出すつもりなのかしら)
「あーあ。これだからウィリアムは」
不意にそんな声が聞こえ、ネアはウィリアムに持ち上げられたまま振り返った。
そこには、髪の毛を少しくしゃくしゃにしたノアが立っていて、いつもより近くにあるウィリアムの気配が僅かに強張ったのが分かる。
ノアのいる場所からすると、アルテアの部屋から出て来たのかもしれない。
「…………ノアベルト」
「僕は、こういう時は包み隠さず話す派。魔術の定義は総力戦だし、僕は家族思いの魔物だからね」
「だが、いざという時に……」
「僕の妹は、いざという時には覚悟をするよ。それが出来るのが僕の特別な女の子でね」
「そうは言っても、これ迄とはさすがに違うだろう。以前にも懸念される状況に近い事はあったが、その頃はまだ、アルテアとも今のような関りではなかった筈だ」
「ふーん。じゃあさ、ネアに訊いてみようか」
「ノアベルト!」
慌てたようなウィリアムの制止の声に、ノアはにんまり微笑んだ。
とても悪い魔物だという微笑みであったが、ネアは、こちらの魔物がアルテアを大事に思っているのを知っているし、そんな義兄は物事の捉え方がネアに一番近い魔物であった。
なので、聞かせるのだという思いを込めて、片手でぎゅむっとウィリアムの口を押さえてしまう。
ウィリアムが目を丸くしたのを幸いと、ノアに頷いた。
「えーと、ウィリアムは大丈夫?………それと、もしアルテアがさ、森に帰るって言ったらどうする?」
「……………さようならです?」
「……………え。もしかして、僕が思っているより遥かにあっさり?!」
「お元気であれば、森に帰るのもご本人の自由です。私がこうして欲しいと思う事を伝えて遺留はしてみますが、こればかりはどうしようもなく違う生き物同士ですので、どこまでを許容範囲としているのか私には理解出来ない部分もあるでしょう。留まることが健やかさに繋がらないのであれば、さようならでしょうか」
そんな問いかけにすぐさま答えが出るのは、既に考え抜いていることだからだ。
とは言え、このあたりはネアとしての持論でもある。
各々が司るものの王だという魔物達は、魔物独自の習性の他にも各自の個体差があって、遠くにいても元気でいるのなら致し方あるまいという気質の魔物がいるのだと思う。
もう二度と会えないと言われたらさすがに落ち込むが、無理をして留まらせて破綻するよりは、森に帰らせておき、どこかでまた楽しく会える余地を残しておいた方が、脆弱な人間の心には優しいのだ。
「え、……………わーお。ウィリアム、聞いた?」
「……………そう、……………なんだな」
「ウィリアムさん?……………む。喋らなくなりました」
「……………安心するかなと思って聞いたけど、僕もまとめて不安になった。……………ネア。お兄ちゃんがどこかに行くって言ったら、引き留めてくれない?」
「ノアの場合は、お家から出しません」
「やった!……………ウィリアムは?」
「場合によっては、適切な距離を置きます。分かりやすい言い方に変えますが、どれだけ懐いていても仲良しでも、野生が体質に合う生き物と屋内飼いが体質に合う生き物とでは違うのでしょう」
「あ、そっか。アルテアは、僕の大事な女の子の中では基本野生動物だったっけ……………」
なぜか怯えたようにこちらを見るノアに、ネアはゆっくりと首を傾げた。
はっとしたようにウィリアムに、しっかり抱え直され、体が傾いてしまったと勘違いされたのかなと眉を寄せる。
とても不安そうだが、うっかり乗り物から落ちてしまいそうになったのではない。
「ただ、何かを一人で抱えて立ち去るというような場合は、さすがの私もお部屋に閉じ込めますよ?」
「ありゃ。そこでハンマー持ったままだと、ほら……」
「む。ついつい、振り上げてしまいました…………」
「…………うーん。これは、言った方がいいのか、言うと寧ろ森に返されそうなのか、微妙なところだな」
ややあって、ウィリアムがそんな事を言った。
「それはつまり、アルテアさんは森に帰ろうとしているということなのでしょうか?」
「……………何の話だよ」
「なぬ。背後から本人が現れて聞いてしまう、一番ありがちな展開になりました」
よりにもよってというところで扉が開くのは、もはや世の常である。
ネアはその程度で気まずくなったりしないし、部屋から顔を出したアルテアが比較的元気そうなので、寧ろほっとしてしまった。
「ネア。こちらに来てしまったのかい?」
「ディノ!お部屋にいなかったので、探しに来てしまいました」
「……………ごめん。君に言ってから部屋を出れば良かったね」
「まぁ。私を置いていくということに、変わりはないのですか?」
「ご主人様…………」
途方に暮れたように眉を下げたディノに、ネアはふすんと息を吐いた。
何が何でもどこにでも付いて回りたい訳ではないのだが、患者の言うことを信用して解き放ってはいけない時もある。
だからネアはここで曖昧に会話を終わらせずに、躊躇わずに訊いてしまうことにした。
「アルテアさんは、本日の訪問先で何か困った事に見舞われているのですか?」
そう尋ねると、アルテアが静かな目でこちらを見る。
「……………さあな」
「では、何か愉快なものを見付けてしまい、これ幸いと森に帰ろうと決意したのでしょうか?」
「お前な…………」
「ふむ。今の反応から、後者ではなさそうですね。となると、前者が濃厚です」
「わーお。推理し始めたぞ……」
「ネア。この問題はまだ、どのように扱うべきか答えが出ていないんだ」
そう言って宥めにかかったのは、珍しくディノだった。
いつもであればもう少し違う角度から意見をくれる筈の魔物が、問題を保留しようとしているらしい。
そう気付いた人間は、狡猾な生き物らしく思案を巡らせる。
(……………多分、分かっていない部分があるのも事実なのだと思う。でも、ウィリアムさんが気付いた異変には、もう間違いなく何かの理由がついていて、アルテアさんはそれを切っ掛けに変化を強いられようとしているのかもしれない。興味を持ってそちらに走っていってしまうのではなく、それでも森に帰らざるを得なくなるのだとしたら…………)
「アルテアさん。もし脱走したら、再捕縛してもいいですか?」
ここでまたネアが躊躇いもせずに真っ直ぐに問いかけてしまったのは、浸食や障りの影響を受けている場合は、今以上に明瞭な時期がないだろうと考えたからだった。
こちらを見るアルテアの赤紫色の瞳がゆっくりと見開かれ、ネアは、灯りを落として雪明りだけの差し込む廊下で、その瞳はなんて綺麗なのだろうと考える。
だが、一拍の間を空け、ふっと微笑んだ魔物はぞっとする程に暗い瞳をしていた。
「質問で返すが、お前はそれでいいのか?手放すということは、こちらの在り方が以前とは違うということだ。不要としないものを望まないのは、お前の得意技だろう」
「技かどうかは若干議論の余地がありますが、確かに、望んでもいないものであればぽいします」
「……………だったら、答えは出たな」
静かに息を吐く音。
ネアは引き続き、ウィリアムな乗り物の上でその音を聞いていた。
雪の日の夜はとても静かなので、そんな音までがここまで届くのだろう。
静かな夜だった。
「ですが、私の使い魔なアルテアさんは今ここにいるアルテアさんなので、事前の要望を叶えるのも吝かではありません。私に寄り添わないものを尊重するつもりはさらさらないので、場合によっては未来のアルテアさんのご意向は反映不可としてもいいのかなと」
「……………それもそれでおかしいだろ」
「何か、変化などを強いるような影響を受けたのでしょうか?」
「…………恐らくは、その逆だな」
(やっと…………)
やっと、起こっている何かに触れられる。
ネアは小さく息を詰め、アルテアの瞳を真っ直ぐに見つめる。
本当はディノの手もしっかり握っていてやりたいのだが、今はこちらから目を離してはいけないと思った。
だから無言で頷き、続きを待つ。
「植物に近い形状で成長を遂げる、鉱物の一種だ。対象が人間であれば精神を喰らったんだろうが、魔物の場合は、恐らく宿主の持つ魔術を糧とする。俺の場合は、選択だな。………嵩を減らすのか事象で減らすのかの議論をしていたが、事象を司るからにはその括りで喰われる可能性が高い」
(それは………)
冷静に聞いているつもりだったが、血の気が引いた。
ぐらりと体の奥が揺れるような気分の悪さに、目を閉じて眠って、こんな不都合なことは起っていなかったことにしてしまいたくなる。
「……………何かが入り込んでいるのであれば、それを引き剥がせないのでしょうか?」
「本体や、その攻撃による負傷であればそれが出来ただろうな。現に、ナインは既に回復している」
「それなのに、アルテアさんだけ、違う形だったのですか?」
「俺の場合は、……………障りだ。呪いや、怨嗟に近い。俺があいつの力を削いだ際に、怨嗟の言葉でも残していったんだろうよ。………本質は鉱物だが、植物の気質があるものだった。こちらで言う水仙でも踏んだのだと思っておけ」
「呪い……………」
「よし。ここは僕が説明するよ。浸食や負傷は、相手方の実体があるものだ。でも、呪いはね、最後の顛末として現れるものなんだ。そこまでの経緯が約束された上で、結末を合わせてくるって感じかな」
「だから、今は手の打ちようがないのですね?」
ぞっとしてしまって、思わず声が強張った。
すると、ディノが短く、けれどもきっぱりと首を振った。
「いや。どうにかはするつもりだよ。ただ、現段階では、何も起こらない内に対処を終えられるかどうかが分からない。……………そして、アルテアがここ最近で選択した一番の事と言えば、君の使い魔になったことだ」
「という事だ。捕食の基本は、実りのいいところからになる。真っ先に喰われるのがその部分であることは、…………想定の上の方だな」
「な、何か他に、その呪いめの喜ぶような、とっておきの選択はないのですか?!」
「そうなんだよね。僕とシルでも、他の餌を用意することも考えたんだ。でも、選択の質の上で一番上質なのはきっと、アルテア自身に纏わる選択なのは間違いないんだよね」
困ったように教えてくれたノアに、ネアは、小さくわなわなする。
先程から困惑したように無言でいたウィリアムがこちらを見たが、怒りのあまりに震えてしまうのはどうしようもない。
(だってそれは、…………アルテアさんが選んで立ち去る事でも、何かをせざるを得なくて立ち去る訳でもなくて、……………私の大切なものが、得体の知れない呪いに食べられてしまうということなのだ)
使い魔の人生なので本人の意思であれば尊重する所存であったご主人様でも、こればかりは許し難い。
選択と略奪では話が違うではないか。
「………呪いの部分は、食べるものまでは細かく指定していないのですよね?」
「うん。…………だが、他のものを探すにしても、かなり限られたものになるだろう。呪いの核となった漂流物の好むものを探ろうにも、もう情報が残っていないからね」
「ウィリアムに頼んで、死者から話は聞いているんだけど、あんまり芳しくないかな。そもそも、アルテアの選択の上のものっていう条件は変えられないんだ。……………あと、一番厄介なのが、漂流物の持つ独自の要素の分解が面倒ってことかな」
「む、…………むむ?」
難しい話になってしまい途端に弱気になったネアに、ノアはくすりと笑うと、また丁寧に説明してくれる。
こんな時はやはり、塩の魔物が一番頼もしい。
「漂流物に緑書水晶が有効なのはさ、その名前の通り、水晶が書物みたいに層を重ねて結晶化するからなんだ。前に含有魔術の分解をしたことがあるけど、属性や系譜は三から四程度でも、その魔術層は七百から、最大で千にはなるんだよね。つまり、漂流物が持つ魔術要素は、こちらで対応が可能なものに置き換えると、それだけの数に分解される。替えの餌を用意するなら、それだけの種類を揃えた上でそちらに誘導しなきゃいけない」
「七百から千…………」
「その点、個人の選択は喰いでがあるだろうよ。結論に至るまでの思考も食えるからな」
「そうなんだよね。おまけに、実体がないものだからトマトで殺すわけにもいかないし、アルテアの選択っていう行為に紐付いたもので、こちら側の要素に割り当てた際に対応出来るくらいに種類があってとなるとなかなかね………」
「選ぶものの資質によっては、不利な属性になる可能性もあるからね。今回の一件では同じ資質で競り負けたとしても、ウィリアム達の到着まで浸食の完了を防げていたのは確かだから、緑書水晶がある程度有効だったことを考えると、鉱石の質のものが安全なのかな」
「……………ますますないだろうな」
苦々しくアルテアが呟き、ネアは、鉱石な何かで千種類以上と心の中で呟いた。
「その、タジクーシャの方に協力を仰いで、宝石をそれだけの数用意して貰い、その中からアルテアさんが宝石を選ぶのはどうでしょう?」
「そこまでになると、宝石そのものの属性や系譜が影響する。種類を揃えることは出来るだろうが、問題のない状態、汎用性の高い状態に揃えるのが間に合わないだろう。緑書水晶は、全ての結晶層が均一に育つ。それを基準にして対策を練るのであれば、同一規格に整えられたものが必要だ」
「同一規格の、千種類以上、…………鉱石なやつ……………」
ふむふむと頷くネアに、ディノが困ったような優しい微笑みを浮かべる。
そっと伸ばされた手に頭を撫でて貰い、ネアは、こちらが撫でてあげる筈だったのにと眉を下げた。
「他にも色々な条件が必要になりそうなんだ。必ず解決はするから、少しだけ待っていてくれるかい?……………もし、アルテアが得た選択の何かが失われてしまっても、失せ物探しの結晶などで取り返せる可能性もある」
とは言え、魔物達はあまり期待していないようだった。
奪われるのと、食べられるのは違う。
おまけに、植物の気質を持つ呪いが成就すれば、恐らく何かが芽吹くような気がする。
そうなればもう、漂流物の領域の要素を帯び、こちらにあるものでは対処が難しくなるのかもしれない。
「後は、……………アルテアにとって重要な選択であるということも、恐らくは糧として重要なのでしょう。生き残った者達と接触した者に聞きましたが、トトルリアの人間達は、真っ先に家族のことから忘れていったようですから」
「そうなんだよねぇ。…………乗っ取りでも、それが基本だしなぁ」
「…………アルテアさんにとって、重要な選択」
条件を並べながら必死に解決策を探るネアはふと、目の前のアルテアの表情が整い過ぎているような気がした。
(……………こちらに戻ってきてから、……………呪いを受けてから、もうそれなりに時間が経っている)
そう考え、またぞっとした。
「一応、アレクシスにも相談してあるよ。漂流物の対処であれば、あわいの素材などがいいそうだけれど、そうなると、却って選択肢は狭まりそうだね」
「あわいのものがいいのですね……………。は!」
ここで、ウィリアムに持ち上げられたまま、ネアはびゃんと飛び上がった。
一つだけ、今迄の条件の殆どを満たしているようなものに、思い当たる節があったのだ。
(で、でも、まだ鉱石質かどうかが、ちょっと怪しい………!)
「ネア…………?」
不思議そうに名前を呼んだディノを、じっと見つめる。
よく見れば僅かな疲弊や不安を感じさせる水紺の瞳に、ネアは、絶対にどうにかしてみせるのだと指先を握り締めた。
(そう思っても、こんなものでは駄目かもしれない。何の役にも立たないかもしれない。でも、調べるだけ、調べて貰おう)
「私の生まれ育った世界では、一部のものはそちらの材料も使っていたような気がするのですが、皆さんに、鉱石質のものかどうか確かめて欲しいものがあるのです」
そしてネアは、何の役にも立たないと判明して、希望が潰えてくしゃくしゃになる覚悟も決めた。
呼吸を落ち着けて、首飾りの金庫の中に手を入れると、目当てのものを取り出した。




