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267. 記念日はにゃわりません(本編)




「にゃわ………」



それは、はらはらと花びらのような雪が降る、美しい冬の日のこと。


ネアとディノにとっては伴侶になった記念の日だが、ウィーム中央に暮らす魔術師達にとっては、外に机を出して魔術書を広げて祝福を貰う日なのだとか。

そしてネアは、リーエンベルクからウィーム中央の街に向かう並木道の歩道で、思わぬ事件に巻き込まれてしまい、とても困惑していた。


大切な伴侶との記念日になぜこんな悲劇が起きてしまったのか確かめるべく、必死に記憶を辿る。




今朝は、朝食の時間から、エーダリアがとてもそわそわしており、落ち着いて執務に入るようにとヒルドに何度も叱られていた。


それもそうだろう。

前述の通り、ウィーム中央はとても祝福豊かな朝を迎えていた。


国内筆頭魔術師であるウィーム領主も例に漏れず、あちこちに魔術書を広げて置いたり、庭園で結晶化した薔薇や花枝の一部を回収したりと、一年に一度の祝福回収に余念がない。

一年を通してということであればディノの誕生日もあるのだが、この記念日は落とされる祝福の質が違うのだとか。



「シル達の記念日は今日中続くからさ、他に広げ忘れている魔術書があるかどうかは、会談の後で確認しようか」

「ああ。そうだな………。すまない、つい心配になってしまった」

「僕も持っている魔術書を広げちゃうくらいだから、エーダリアが落ち着かないのも分かるけどね」


微笑んだノアが本日は騎士姿でいたのは、イブメリア後にちょっとした失態を犯した、ザルツ近郊の土地を治める子爵の訪問があるからだ。


年内最後の会談を控え、同じ領内の貴族の受け入れとは思えない緊張感が見えるのは、これからやって来る子爵は、かつては王家よりも近しかったザルツ領の貴族達の気質に大きく影響を受けた一族だからだった。


戦後になってウィームが一つの国ではなくなり、王家に参じる義務を果たすこともなくなれば、そちらの一族はザルツ派である事を隠しもしなくなった。

ヴェルリアやガーウィンなどの影響を更に強く受けるようになり、ウィーム中央の政策や思想から離れ、年々ちょっとずつ目障りになってきていたというのがノアやダリルの見立ててある。



そして、イブメリアが幕を引いたばかりの夜に、そんな一族が大きく転んだ。

橇遊びで古くからの風習を軽んじる過ちを犯し、祝祭の外側にいたものの障りを受けたのだ。



いつもと同じように過ごしたのにと騒いだ子爵家に、エーダリアは毎年祝祭の作法を軽んじていたのかと暗い目をしていたが、今年ばかりはいつものようにはいかなかったのだろう。

何しろ今年のイブメリアは、ウィームにクロムフェルツが滞在していて、だからこそ、祝祭の外側の者達も集まりやすくなっていたのだから。



「土地に大きな被害が出たのでと、調伏儀式への支援依頼に来たようですが、無事に終わるでしょうか……」

「復興の支援を得られても、祝祭の外周の者達に触れたという履歴は暫く影響を残すだろう。愚かな事をしたものだ」

「子爵家のご子息達も、もっと取り返しのつかないことになる前に反省出来たと、そう思えればいいですが………」



会談に関わる訳ではないネア達は予定通りの時刻にリーエンベルクを出ると、街への道を歩きながらそんな話をしていた。


今回のように、他国や他領の影響を受けることで古くからの風習を軽んじる事件は、そもそも、ウィームとそれ以外の場所では、土地の魔術的な条件が違うという前提を失念しているだという。


加えて、エーダリアが珍しく呆れ顔であったのは、子爵家の子供達が、近隣に暮らす者達の橇遊びを邪魔するという悪さを毎年行っていたことが判明したからだろう。


幸いにも、ウィーム中央から離れていたその土地では、本物の送り火の魔物の火ではなく、魔術の火をランタンに入れる擬似的な橇遊びが行われていた。

お陰で橇遊びを邪魔された側に大きな支障は出なかったが、邪魔をしていた者達の方は、たまたま近くを通りかかったイブメリアの系譜の者達の目に触れたらしい。


結果としてイブメリアの祝福を取り上げられたその一族の土地には、祝祭の行列の祝福の穴を見付けた外周の障りが流れ込み、子爵家の屋敷周りは枯れ枝や茨で覆われてしまったのだという。



(そして、その失態を隠す為に自分達でどうにかしようとしたけれど、障りを祓うのに資金的な問題が出てきたらしい…………)



魔術的な撤去費用が嵩むからとリーエンベルクに泣きつかれても、情状酌量の余地のない過失による私有地や個人の財産上の被害に於ける行政の介入は、ウィーム領の法律で禁じられている。

自己責任なので自分達でどうにかし給えと、お帰りいただくしかない。


寧ろ、被害者達にしっかりと謝罪をするべきだとエーダリアは怒っていたが、果たしてここでリーエンベルクに泣きつけるような者達が、大人しく帰るだろうか。


つまりは、厄介なお客が来るのでノアは騎士姿だったのだ。




そして、場面は冒頭に戻る。


リーエンベルクにやって来る厄介なお客達には、交渉を成立させる為の策略があったらしい。

自分達の訴えが退けられるだろうと思い至れたのは幸いだが、であれば、リーエンベルクにも同じ障りを齎し一蓮托生の運命としようと考えたのは、どうしようもない身勝手さであった。



そして、ネア達がその企みに巻き込まれたのだ。



がらがらと通りを走ってゆく馬車から、ぽいと放り投げられたのは枯れ木の障りだったらしい。

歩道側に投げ落とされた瞬間にディノがはっとしたのと、並木道に暮らす小さな生き物達が一斉に威嚇を始めたので、ネアは、もごもごと動く枯れ木の束をどうにかしなければいけないと思った。


まるで薪の束のようにがさっと投げ捨てられた枯れ木は、自らの意思で散開しようとしていたので、住処を荒らされたくない乙女は、すぐさまそれを阻止したのだ。



「ご主人様……………」

「む、…………むむぅ!…………形状的な問題と、状況が状況でしたので、逃げ出して悪さをしないように、……………にゃわわってしまいました。ですが、枯れ枝の束が、まさかの人型になるとは思わなかったのですよ………」

「元の姿に戻ったのは、君がイブメリアの愛し子だからだろう。……………祝祭の障りを解いてしまったのはいいことなのだろうけれど…………」



その結果として、縛り上げられた蠢く枯れ木の束は、縛り上げられたセージの妖精と椎の木の精霊に戻ってしまったのだ。


ディノの推測では、こちらの二人は子爵家の障りの巻き添えになっただけのようなので、元に戻すこと自体は問題ないという。


だが、とても専門的な縛り方で雪の歩道に転がされた被害者たちと、まさかこんなことになるとは思わずに彼等を専門的に縛り上げてしまった乙女が対面する羽目になった。




「にゃわ………」

「……………も、申し訳ありません。障りを祓って下さったお礼を申し上げたいので、縄を解いて貰っても宜しいでしょうか?」


愕然とするネアよりも先に我に返ったのは、セージの妖精だった。

柔らかな青みの緑の髪に綺麗な紫の瞳を持つ、美しい青年だ。

そんな青年と背中合わせに縛られている椎の木の精霊は、まだ呆然自失の体に見える。



「えぐ…………。私としても、早く解きたいでふ。今日は大切な記念日なのですよ…………」

「うん。……………切ってしまってもいいかい?」

「ふぁい。そして、こちらのお二人を保護したことをエーダリア様達に報告しますが、こちらのお二人には、ここであったことを全て忘れて欲しいです…………」

「ご主人様…………」



大事な記念日なので、これから予定も入っている。

そんな作業をしていて、果たして間に合うだろうか。

何よりもまず、見知らぬ人をにゃわったという事実をどうにかして揉み消したい。


そう思うとネアは、悲しみのあまり気が遠くなった。



「……………あー、そいつらはこちらで引き取ろう。お宅の側の会と連携して、片付けておく」



その時だった。

誰かが、歩道の側から悲しみに打ちひしがれていたネアに声をかける。

慌てて振り返ったネアは、綺麗なチョコレート色の毛織のコートを羽織ったバンルの姿に目を丸くした。



「バンルさん…………」

「どのような事情でその二人が馬車から投げ落とされたのかは、こちらでも確認済でな。すぐに、リーエンベルク側とも連携する。証人としても必要なので、こちらで引き取らせてくれ」

「で、では、お任せしますね。…………にゃわは薪用の縛り方だったのですよ。それ以外の意図はありません」

「……………そうだな。薪用の縛り方だ。こちらでも共有しておく」



ディノが縄を切ってくれていたところだったので、バンルは少しだけ遠い目をしたものの、すぐにそう約束してくれた。

エーダリアの会に預けておけば、ダリルも含めてすぐに共有がなされそうであるので一安心だ。


(とは言え、私の責任い於いて、エーダリア様達に報告だけはしておかなければ)


さすがに預けるだけで立ち去る訳にはいかないのでと、気を取り直したネアはすぐさまピンブローチの連絡端末からエーダリアに一報を入れ、ヒルドの指示でバンル達に被害者を預ける事になった。


既に馬車からの不法投棄を見ていたというバンル達がリーエンベルクに警戒を促しており、問題の子爵たちの関係者がリーエンベルク内でも落とし物をしないように魔術隔離を行った後、グラストとゼノーシュがこちらに駆けつけてくれるらしい。


ヒルドからは、後はこちらで対処するので安心して記念日を楽しんできて欲しいと言って貰い、ネアは、恐縮しながらであるが、集まってきたエーダリアの会の会員達に被害者を預けることにした。




「………優しい方。助けていただき、有難うございました」

「礼を言わせてくれ。…………祝祭の王の系譜の障りだ。呑み込まれただけとは言え助かる見込みはないと思っていたが、元の姿に戻してくれて感謝している」



縄から解放された二人は、ネア達が立ち去る前にお礼を言ってくれた。

縛り方問題をどうにか闇に葬りたいネアは、微笑んで頷き、通りすがりなのでどうか気にしないでくれるようにと伝えておく。


寧ろ、障りを払った乙女のことは、すっかり忘れてもらって構わない。



「では、証人としてリーエンベルクに向かう前に、我々からも一つ。まずは、こちらの注意事項をお読み下さい。今後、ひと月以内に縄で縛られる事への欲求が生じたり、特定の人物に傅きたくなるなどの症状が現れた場合の相談窓口ですが………」



慌てて立ち去る背後で、ふと、何やらとんでもない会話が聞こえたような気がしたが、ネアが振り返ると被害者たちに冊子のようなものを渡していた男性は、こちらを見てにっこりと微笑み深々とお辞儀をしてくれた。



「どうぞ、良い記念日をお過ごし下さい。こちらは、野良などにならぬようしっかりと経過観察させていただきますので」

「……………けいかかんさつ」

「ほら、もうグラスト達が来たようだぞ。安心して、食事に行って来い」



経過観察とは何だろうと慄くネアに、何とも言えない顔をしたバンルがそう言ってくれる。


あと少しならと、グラストとゼノーシュがその場に来る迄は留まり、安心出来る二人への引継ぎを終えたところで、ネア達はあららためて街に向かう事になった。



「何か不思議な言葉を聞いたような気がするのですが、あのお二人に冊子を渡していたのは、心のお医者様だったのでしょうか。あのような事件に巻き込まれた方には、色々な後遺症が現れるかもしれないのですねぇ………」

「……………うん。アルテアのクッキーを食べるかい?」

「……………ふぇぐ。いただきます」



美味しい堅焼きクッキーをいただきながら、無事に並木道を抜けてウィームの街に入った。


雪は相変わらずはらはらと降るくらいで、空の灰色を見る限りは強く降る事はなさそうだ。

昨年はザハからの帰り道が吹雪であったので、この程度の雪模様でほっとする。



「ディノ、手を繋ぎませんか?」

「……………虐待」

「折角の記念日ですし、今日は花雪のトンネルをくぐるので、大事な伴侶と手を繋いでいたいです」

「………大胆過ぎる」



それでもえいっと手を繋いでしまうとディノは恥じらっていたが、記念日なのでと儚くならずに頑張ってくれるようだ。

目元を染めてもじもじしながら、一緒に、イブメリアの飾りがなくなった街を歩いてくれた。



(…………祝祭の飾りつけはなくなってしまったけれど、今年も、お祝いをしてくれているお店やお宅があるのだわ)



明日は怪物が現れる大晦日で、もうすぐ新年を迎える。


その谷間ともなると今迄は中休みのような日だったらしいが、近年では、ネア達のお祝いをしてくれる領民が増え、イブメリアのリースの飾られていた扉に鳩とリボンのモチーフの飾りがかけられていたり、ディノをの思わせるラベンダー色とミントグリーンのリボン飾りが店頭に置かれていたりした。


そんな飾りを見ながら街を歩くのも楽しく、ディノは小さな鳩飾りや、お気に入りのリボンと同じ色の飾りを見る度に水紺の瞳をきらきらさせている。

歩道ですれ違った市場の蜂蜜クリームチーズのお店の店主など、顔見知りの領民はお祝いを言ってくれたりもした。



「ちょっぴり予想外の始まり方でしたが、今年も、ディノとお祝いに出掛けられてとても嬉しいです」

「…………うん。……………ネア、……………」

「大好きですよ、ディノ」

「……………虐待した」

「あらあら。先に言ってしまうと、弱ってしまうのです?」

「……………大好きだよ、ネア」


意地悪な人間に先を越されてしまった魔物は、息も絶え絶えにそう言い、途端に歩道の花壇にあった薔薇の茂みは薔薇の花が満開になってしまった。


茂みの中に暮らしていたらしい毛玉栗鼠のような妖精ががさっと顔を出し、慌てて小瓶を取り出すと祝福豊かな薔薇蜜の回収に向かう。

近くの商店からはご婦人が飛び出してきて、結晶化した薔薇の蕾を、別の毛玉栗鼠と奪い合っていた。



「ふふ。ちょっぴり賑やかですが、こんな風に歩いていると、ディノの伴侶になった記念日だなという感じがします」

「…………歩道の上に、仰向けになってしまうのだね」

「……………まぁ。先程のご婦人は、毛玉栗鼠さんに蕾を取られてしまったのですね」



とは言え、上品そうなご婦人が、無念さのあまり歩道に仰向けになって暴れている姿は少し刺激が強かったのか、ディノは怯えたように体を寄せてきた。

ネアも、ご婦人の名誉の為にも何も見なかったことにしようと考え、きりりと前を向く。



「花雪のトンネルは、この先の路地のところでしたよね」

「うん。グレアムの部屋の窓からも見える通りなのだそうだ。高位の者達が歩く事も多いので、土地の魔術が豊かになってきているのだろう」

「酔っ払って高価なお酒の瓶を割ってしまった方は悲しかったかもしれませんが、結果として、私達は、記念日の日に素敵なトンネルを楽しめてしまうのですよ!」

「可愛い。弾んでる…………」



花雪のトンネルは、昨日の夜に、お祝い用の高価なお酒を持っていた男性が、この通りで足を滑らせて転んだ際にお酒の瓶を割ってしまい、歩道に流れたお酒の影響で生まれた臨時の観光スポットである。


期待のあまりに弾むような足取りでお目当ての通りに向かえば、そこは既に観光客や領民達で賑わっていた。



「……………ふぁ!」

「おや。これは見事だね」

「あの、リノアールのかじゃりぎの、しゃりんとなる星の色です!!」

「可愛い…………」



しゃりしゃりんと、風のない雪の日にも結晶化した枝葉が澄んだ音を立てる。

ネアは、見えてきた花雪のトンネルのあまりの美しさに、感動を抑えきれず飛び上がってしまった。


小さな裏通りの街路樹が、雪白の舞踏会に向かう階段で見たような雪の花で覆われて結晶化しているのだ。

こんなに素敵なものを見て、驚かずにいられるだろうか。


(それぞれの色が重なって、…………なんて綺麗なのかしら)



白い雪には、花雪が木枝で結晶化した際に取り込んだ周辺の要素が色として取り込まれている。

この花雪のトンネルがあるのは、有名な刺繍糸の専門店と絵の具の専門店のある通りで、それぞれの店からこぼれ出た魔術要素が、花雪に美しい色影を与えているのだ。



薔薇色に水色。

セージグリーンに青緑に、深い青色の輝き。

そのどれもが雪の白に宿り、ステンドグラスの色影を落とすよう。



多色性の白ではなく、様々な色味を持つ花雪が並んで結晶化しているというものなのだが、小さな雪の花の結晶がみっしり咲いているので、オーロラや虹を映したようにも見える。


ネアは、お気に入りのリノアールの飾り木の星に似ていると感じたが、見る角度を変えるとまた色合いが変わり、その素晴らしさに圧倒されるばかりだ。



「…………枝葉の重なりの部分が繋がって、花雪のトンネルのようになっているのですね。これは、ずっと残せるものなのでしょうか?」

「結晶化はしているけれど、雪が緩むと溶けてなくなってしまうものだね。雪の祝福なので、それでいいのだと思うよ」

「まぁ。では、記念日にこんな素敵なトンネルを歩けることには、感謝しなければですね。もう少し色鮮やかですが、ディノの髪色のようで嬉しくなってしまいます!」

「ずるい。ぶつかってくる…………」

「内側に入って、陽光を透かして見るといっそうにきらきらしていますよ!」

「ネアが可愛い……………」

「ディノ。ザハからの帰りもここを通ってもいいですか?また、手を繋いで花雪のトンネルをくぐりたいです!」

「うん。ではそうしようか」

「見て下さい。ディノから貰った真珠の指輪にも、綺麗な花影が落ちています」



色々な装いが出来るのでと迷ったが、ネアは、今年もやはり真珠の指輪に真珠の首飾りを選んだ。


ディノが今日の為に仕立てを依頼してくれた深みのある青紺のドレスに、白灰色の美しいコートを羽織っている。


深い青に青紫の色味も入るような紺色のドレスは、張りのあるタフタに見えるが内側はニットのような素材でふんわり温かいという、昨年の冬に作られたばかりの織布を使っている。

よそ行きのドレスに見えて着心地は室内着という組み合わせが人気を呼び、しっかりと雪の降るウィーム領では特に生産が追い付かない程に売れているらしい。


ネアのドレスは、その中でも真夜中の座の祝福を込めた糸を使った織布で作られているそうだ。

真珠の首飾りや指輪を合わせたいというネアの要望をディノがシシィに伝えてくれたので、僅かにセーラーカラーを思わせる上品な丸襟のついたシンプルなドレスになっている。


ネアは、ここでまた、特別なお気に入りのドレスが増えた事で、今後の運用を再検討する必要性を感じていた。



二人でゆっくりと花雪のトンネルを抜け、小さな公園を通り抜ければすぐにザハが見えてくる。


ネア達がお祝いのケーキを食べに来たことを知っている赤いお仕着せのザハのドアマンが、にっこり微笑んで扉を開いてくれた。



「お待ちしておりました」



入ってすぐに迎えてくれたのは、おじさま給仕ことグレアムである。

統括の魔物としての仕事もある筈なのだが、毎年、こうして記念日の給仕をしてくれるのだ。



「今年も、宜しくお願いします」

「ええ。とっておきのケーキを用意してございます。お席は、いつもの場所で宜しいでしょうか?」

「そこでいいかい?」

「はい。あの席はゆっくり過ごせてとても素敵ですよね」



コートを預けて、大きな花瓶にたっぷりの花を生けたエントランスホールから、レストランの中に入る。

ふくよかな花の香りと水の匂いに、優美な音楽がふっと心を揺らすくらいの音量で聴こえてくるのだから、席に着く前にもううっとりしてしまうではないか。



グレアムの案内で向かったのは、扉を閉じれば個室になるが、開いたままであれば店内の喧噪が心地よいくらいに聞こえてくる、ネア達のお気に入りの座席だ。

二人きりのような密やかさでもあるが、ザハに来てお祝いしているという気分も味わえてしまう贅沢さに、昨年もここでお祝いしたのだ。



椅子を引いて貰って座ると、テーブルの上にはころりとした白薔薇が生けてある。

小さめの花をぽこぽこと付けているその薔薇は、リーエンベルクでも育てているウィームの固有種であった。



「大好きなリーエンベルクの白い薔薇に、雪ライラックの花枝がなんて綺麗なのでしょう」

「花の中央に滲むような青みの入るライラックでしたので、本日のお祝いには相応しいと思いまして」

「……………ディノの色に似ていますね」

「雪陶器の亜種となりますが、良い花瓶がありましたのでそちらと合わせて飾らせていただきました」

「……………ネアの色だね」

「まぁ。今日にぴったりの組み合わせです!」


良く見れば卓上に花を生けるのにぴったりの背の低めの花器は、綺麗な青灰色の艶消しの陶器製だった。

白がかったミントグリーンのリボンをかけ、今日の為にぴったりの色合わせをしてくれたのが見て取れる。

そんな気遣いが嬉しくて微笑みを深めたままメニューを受け取ると、ネアは、記念日のケーキにぴったりな飲み物を探す旅に出た。



「本日のケーキは、夜蜜の葡萄のクリームを使っております。花枝の飾りを模した付け添えの小さなケーキは、ピスタチオのクリームと木苺のコンフィチュールを使っておりますので、飲み物選びのご参考になれば」

「ケーキが二つあるのです…………?」

「良かったね、ネア」

「はい!」



ネアは、シュプリと薔薇の香りのある紅茶を選んだ。

普段は、どちらかと言えば果実味のある味わいのものが好きだが、今日は何だか華やいだ気持ちである。

ディノはネアより少し迷い、お気に入りのものを手堅く頼む魔物らしくメランジェを注文していた。


そちらも羨ましくなってしまったネアに気付いたのか、おじさま給仕姿のグレアムは淡く微笑むと、ケーキの後に一口焼き菓子も出るので、その際に飲み物を変えてもいいですねと小さなヒントをくれる。


そんな提案を採用することにして、ネアはむふんと期待に頬を緩めた。



「今年も、ザハでお祝いが出来て良かったです。ザハの前に劇場に行くかどうかも考えていましたが、今年は、花雪のトンネルで大満足でした!」

「あれだけで、良かったのかい?」

「ええ。偶然出来た自然のものだからこそ、今年だけのお祝いの思い出になりますから。それに、夜はディノのお城に行くので、まだまだ楽しみが控えているのですよ!」

「…………うん。明日はエシュカルを呑む日だから、あまり疲れないようにしたいのだよね」

「……………にゃむ」


こちらを見て微笑んだ魔物の美しさに、ネアの心は少しばかりどたばたしてしまう。

すっかり馴染んで柔らかく寄り添うだけの部分も多いのに、どうしてか、まだこんなにも揺さぶられるのだ。



「……………来年は、ディノが怪我をしませんように。これからもずっと、大切なディノと一緒にいられますように」

「…………ネア」


負けじと大切さを伝えるべく、テーブルの上の手に指先を重ねてそう言えば、ディノは水紺色の瞳を瞠って揺らすと、ほろりと幸せそうな微笑みをこぼした。


持ち上げた手でネアの手をしっかり握ってくれると、まるで始めてディノの名前を呼んだ日のような嬉しそうな微笑みを浮かべる。



「うん。………これからもずっと一緒にいよう。伴侶になってくれて有難う、ネア」

「まぁ。ディノは、毎年同じように言ってくれるのですね。いつだって、そう言われてしまうと嬉しくて堪らなくなるので、私の伴侶をこれからもずっと大事にしますね」

「可愛い…………」



ディノはここでまた涙ぐんでしまい、飲み物の準備を終えたテーブルにケーキを運んできたグレアムは、無言でハンカチを取り出している。

しゃりんと音を立てて結晶化した薔薇の花が、明かりを映してきらきらと光の輪を広げていた。



「今年のケーキは、誕生日の贈り物のリボンを模したものになりました。いつものように絵を用意しておりますので、そちらを記念にお持ち帰り下さい」

「……………リボン」



テーブルの上に置かれたのは、白いクリームの上に、ブルーベリークリームのような色合いのリボンが表現されているものだ。


小さくカットされた果実や繊細なレースのような飴細工、クリームの模様や花などで、リボンの中に様々なモチーフを刺繍したかのような、ディノの誕生日のリボンを模した素晴らしいケーキである。


お気に入りのリボンを表現したケーキに対面した魔物はぴゃっとなってしまい、悲しげな眼でグレアムを見つめてカットを阻むという攻防戦が起きてしまったが、絵で残るので食べてこそのお祝いであるという、伴侶からの賢明な説得に応じてくれた。


つまりは、それだけ今年のケーキを気に入ったのだろう。



「……………切ってしまうのだね」

「折角ですので、食べてお祝いしましょうね。お皿の上に元々用意されていた、ホーリートを模した小さなケーキもあって、こちらのお皿の上でも絵のような配置になるのですね」

「切られた……………」

「あらあら。しょんぼりなのですか?」



ディノを悲しませたくないが美味しいケーキを食べて欲しいという思いに引き裂かれ、グレアムことおじさま給仕はかなり気を揉んだようだ。


だが、震えながらではあるが心を決めてケーキをぱくりと食べたディノが、美味しいと小さく呟いて唇の端を持ち上げたので、テーブルの陰でこっそり拳を握っていた。




二人は美味しいお祝いのケーキをたっぷりいただきながら、沢山の話をした。



出会ったばかりの頃の事や、ザハで二人で初めてお茶をした日のこと。

アルテアに、ザハでたっぷりの謝罪のケーキを買って貰った日や、グレアムが気持ちの落ち込んだネアにサービスで出してくれた小さなチョコレートケーキの話まで。


中には毎年話すようなこともあるのだが、それでも、二人でこんな風に過ごす時間はなんて素敵なのだろう。

代わり映えのしないいつものお祝いにだけ癒せるような孤独や寄る辺なさがあって、ネアもディノも、それがまだ嬉しくて堪らない二人なのだった。



ネアは、最初に頼んだ紅茶のポットを空けてからの、メランジェと小さな焼き菓子の組み合わせまでを美味しくいただいた。

ディノは悩んでからまたメランジェをお代わりし、リボンのケーキの絵が挟んである紙挟みを大事そうに撫でている。



大事な魔物が微笑むと、ネアだって、薔薇の一輪くらいは結晶化させてしまえそうなくらいに幸せな日。

けれどもそれはディノに譲ることにして、お揃いのメランジェをまた一口飲む。


窓の向こうでは雪雲の下に虹が出ているらしく、魔術書を掲げて走っている人達が見えた。

街並みに綺麗な影を落とす雪化粧の落葉樹を見ると、何かを縛ったような記憶がぼんやりと思い出されかけたが、ネアはそちらの記憶の扉はぱたんと閉じてしまった。



リーエンベルクに帰ると、事件の事後報告を兼ねてもう一度見知らぬ妖精と精霊をにゃわった話を持ち出されてしまうのだが、今はまだもう少しだけ。



幸せな記念日の時間を、大切な伴侶と共にお気に入りのザハで過ごしていよう。























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