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264. 雪白の舞踏会で貰います(本編)




イブメリアの朝食を終えると、エーダリア達は祝祭のミサに出かけて行った。

ネアはそんな家族の後ろ姿を見送り、もう丸一日も残っていない大好きな祝祭の日を惜しんだ。



(終わる前から惜しむだなんて、却って勿体ないことをしているのかもしれない)


でも、ディノとリーエンベルクの中を歩いて美しい飾り木の見える部屋に出かけたり、庭にある道具小屋の扉に飾られた小さなイブメリアの飾りを眺めたり、正門前の大きなリースを見に行ったりする日々が終わってしまうのだと思うと、強欲過ぎる人間はどうしても寂しくなってしまう。


ましてや今年は、漂流物のせいで祝祭前の季節をじっくり楽しめなかったではないかと思えば、今なら漂流物とて素手で捻り潰せる気分であった。



「おや。どうしたんだい?」

「……………にゃむ」


ふっと微笑んだディノが、体を屈めて宥めるような口付けを落とす。

いきなりのことに驚いてしまい、ネアは目を丸くしたまま美しい魔物を見上げた。


(……………綺麗)



澄明な水紺色の瞳は、光を孕むよう。

内側からゆらゆらと揺れているのではないかと思うくらいに美しくて、吸い込まれるように見つめてしまい、ネアは慌てて負けじと背筋を伸ばした。



「………イブメリアが、もう少しだけしか残っていません。大好きな日なので、そわそわしてしまいます」

「うん。………舞踏会の前に、また街に出てみるかい?随分と雪がふったようだから、転移の方がいいかもしれないね」

「………ディノと出かける舞踏会には万全の状態で挑みたいので、夜のミサの前にお出かけしてもいいかもしれません。イブメリアの焼き菓子を買って、もし素敵なものがあればオーナメント………かいものはもうしません」

「財布を買ってしまったからかな?」

「…………ぐぬぅ」

「オーナメントが欲しいのなら、買ってあげるよ」


伴侶の魔物がそんなことを言うので、ネアはまた少しだけそわそわした。

もう何度目かのイブメリアなのに、この時間になるといつも、何か取りこぼしがないだろうかと慌ててしまうのだ。


一つも取り忘れたくないだなんて、あまりにも我が儘なのも分かっているのだけれど。

それでもなぜか、とても強欲になってしまう。


「それに、ディノがくれた贈り物を色々な角度から見たりする時間も必要なので、残り時間は忙しくなりそうです。もし、………時間が空きそうだったら、ちょっとだけお出かけしてもいいですか?」

「では、そうしようか。…………もしかすると、帰ってくる頃には落ち着いているかもしれないけれどね」

「ディノ………?」


不思議な言葉に首を傾げて名前を呼べば、こちらを見て微笑んだディノは、魔物らしい酷薄さであった。

とは言えそれは冷淡さではなくて、魔物と人間の思考が異なることで感じ取れる回答の欠落のようなものなのだろう。


実は伴侶のそんな姿も好きなネアは静かに頷き、真珠色の三つ編みにそっと触れる。

ふわりと抱き締めてくれたディノが、もう一度柔らかな口付けを落とした。


「着替えるのなら手伝ってあげようか」

「あら。後ろを留めてくれるのですか?」

「………それは、………難しいものだったら、家事妖精を呼ぼうかな」

「ふふ。ディノが用意してくれた、今年のイズメリアのドレス次第ですね」


男性的なしたたかさや色香を感じさせたのはほんの一瞬で、隣にいる魔物の王様は、複雑な構造の女性もののドレスを思いしゅんとしてしまったようだ。

ネアはくすりと微笑み、ディノの両手を取った。

ぐいっと引っ張ってくるりと回ると、ディノの瞳が嬉しそうにきらきらと光る。


「………元気になったかい?」

「優しい伴侶が隣にいたので、すっかり楽しくなってきてしまいました。ドレスに着替えた後は、ウィリアムさんが髪の毛を素敵にしてくれるのだとか」

「ウィリアムなんて………」

「では、ディノには、今度パンケーキを焼く時に、一つ結びにして貰ってもいいですか?大切な行事なので責任重大なのですが、私の伴侶ならきっと素敵な一本結びにしてくれる筈です!」

「出来るかな………」

「その前に練習してみます?」

「うん………」



今年の雪白の香炉の舞踏会の為に用意されたドレスは、はっとするような上品なものであった。


帯状の幅広の襟は、肩の下に落としてゆったりと胸元を覗かせている。

片方の肩だけが僅かに覗く、ややアシンメトリーなデザインだ。


装飾類は一切なく、グッと細くなっている腰回りからふわりと広がるスカートはくるりと回ると大きく広がる、布地をたっぷりと使ったもの。

ドレスの背面には、両肩の後ろからふわりと広がるケープのような布が落ち、ドレスと同じ布だが格段に薄いそちらの部分に、イブメリアを象徴する飾り木やオーナメンの精緻な刺繍がある。


ディノはウィリアムの作ってくれた髪飾りを合わせた方がいいかどうか悩んでいたが、ネアは、ディノに綺麗な真珠を幾つか作って貰い、その真珠を髪飾りに加工する方法を提案した。


(だって、雪白の舞踏会のドレスは、ディノが仕立ててくれるのだもの)


折角であれば、ディノに貰ったもので揃えたいのだと告げると、儚い伴侶はぱたりと倒れてしまったので、頑張って生き返らせ、ドレスを作ってくれた仕立て妖精の女王に真珠の髪飾りを足したいのだが、ドレスとの兼ね合いなどはあるだろうかという話をしなければならなかった。


そんな経緯を経て出来上がって来たのは、すっと髪に差し込むだけでしっかりと留まる魔術仕掛けの櫛である。


仕立て妖精の女王が、有名な髪飾り職人と話をして作ってくれたものだ。

本体部分はネアの髪色によく似た夜結晶になっていて、なんとも上品で美しい。

あまりにも素敵なものが出来上がってしまったので、図らずも宝物が増えてしまったネアは、慌てて、計画的な略奪ではないとディノに釈明してしまったくらいだった。



「昨晩も使ったばかりですが、今日も真珠の首飾りをつけて行きますね」

「うん。………気に入ってくれたんだね」

「ええ。宝物は沢山ありますが、この首飾りのようにずっと欲しかったものの形をした品物はやはり、特別なのでしょう。でも、品物としては貰った時に初めましてでしたが、私に私の家族という憧れのものをくれたディノの指輪は、更にもうちょっと特別なのです」


繋いでいた手を片方だけ離してから、ぴしりと指を立ててそう説明すれば、ディノは、目元を染めて微笑みを深くする。


「これは、ずっとなくてはならないものなのだよね」

「ええ。取り戻されたり、失くしたらくしゃくしゃになって怒り狂う、私の特別な宝物なんです。………ただ、それはあくまでも品物の話ですので、一番の宝物は伴侶だったりします」

「可愛い………」


窓の向こうではまだ雪が降っていて、ネアはもう、うっとりとするような白灰色に染まる景色のない土地になんて、もう二度と行けないような気がした。


ウィームでも冬以外の季節はあるのだが、毎年この季節がやって来ると思えばこその彩りなのではないだろうか。


しゃしゃりとした硬質な木々の祝福の煌めきに、もう少し柔らかな雪薔薇や冬ライラックに宿る魔術の光。

飾り木やリースに使われるモミの木のような枝葉と、真っ赤なインスの実の宝石のような艶やかさ。


そんなイブメリアの日の全てを大事に胸の中に収め、ネアは隣室でアルテアと話をしていたウィリアムに声をかけ、髪の毛をふんわりと結い上げて貰った。

さくりと真珠の櫛を差し、今回はなんと色の擬態ではなく小さな真珠がたっぷりと連なる意匠に擬態させたヒルド耳飾りを付ける。


「………いいドレスだな。ネアによく似合う」

「仕立て妖精の女王様が持って来てくれたデザイン画の中から、ディノに選んで貰ったドレスなんです」


ウィリアムに褒めて貰いながら、ネアは鏡の中で髪の毛の上で柔らかく清浄な輝きを添えてくれる真珠の髪飾りを確認すると、思った通りのドレスや首飾りとの親和性に唇の端を持ち上げる。


これは素晴らしい組み合わせだぞとふんすと胸を張っていると、目が合ったアルテアが、まぁまぁだなと消極的に褒めてくれた。



そうこうしている内に、ミサを終えたエーダリア達が帰ってきたので会食堂で落ち合えば、大聖堂の入り口前の石段が凍結して滑り易くなっており、あわやという事故が起きそうだったと教えてくれる。


羽を広げて虚空に足場を持てるヒルドがいなければ、エーダリアは、イブメリアの儀式に大興奮の栗鼠妖精に足元を駆け抜けられ危うく階段から転がり落ちるところだったのだとか。


思わぬところで家族に妖精がいる頼もしさを知ってしまい、ネアはふと、高位の貴族や王族達が代理妖精を好んで得るのは、そんな単純な肉体的特性の違いもあるのだろうかと考えてしまう。


たったそれだけのことだけれど、その僅かな差でこうしてエーダリアが守られたりするのが、何だか不思議で嬉しかったのだ。



「これはこれは。素晴らしくお似合いですよ」

「ふふ。有難うございます!ヒルドさんにそう言って貰えたら、すっかりご機嫌になってしまいます」

「よーし。僕と結婚しよう!」

「ノアベルトなんて………」

「ノアは大事な家族なので、やめておきましょうね」

「ありゃ………」

「………とてもよく似合っている。お前はやはり、真珠が似合うのだな」

「まぁ!」


そんな事を言ってくれたエーダリアに、ネアは、ぱっと笑顔になる。

ディノも嬉しかったようで口元をもぞもぞさせていたので、すかさずネアは、素敵な装飾品とそれを贈ってくれた優しい伴侶のどちらも自慢してしまった。


「虐待する………」

「なぬ……」

「ネア。それ以上はシルが弱るから、帰って来てからにした方がいいかもね」

「解せない気持ちもありますが、二人で空の上に向かう階段から落ちてしまうといけませんので、ここまでにしましょう。ディノ、弱ってはいけませんよ?」

「うん。………そろそろ出かけようか」

「はい!」




いよいよ、雪白の香炉の舞踏会に向かう時間だ。



上着を脱いで休憩に入るエーダリア達に手を振り、外客棟の窓を開くと、はらはらと降る雪は白い薔薇の花びらのようで、空を覆う雪雲の向こうより高く高く落ちてくる。


こうして見上げるとどこにもあの会場はないのに、ディノが手にした、鎖付きでぶら下げる香炉から立ち上る煙が作り上げた階段を登ってゆけば、息を飲むほどに美しい広間が広がっているのだ。


それが不思議で堪らないのだが、こんな時にネアは、そういうものなのだなと納得してしまえる事勿れ主義の淑女でもあった。



(でも………)



開いた窓の向こうに空に続く階段があって、その先には雪白の香炉の舞踏会の会場があるのだと思えば、どうしようもなくわくわくするのも当然だろう。


そこにあるものをただ受け入れる事とはまた別の問題として、特別な場所に向かう弾むような高揚感があった。



ふわりと揺れた空気が、雪混じりの風を纏う。

ディノと一緒に階段を登ると、舞い落ちてゆく雪の中をくぐり抜けるよう。


雪の中を歩く時には、ヴェールを潜るようだとか、舞い散る雪を通り抜けるようだとか様々な事を思うが、今回はなぜか、花盛りの薔薇のアーチを潜るようだと思った。



「不思議です。私自身の気持ちが反映されているのかもしれませんが、雪によって景色が違うのですね」

「もしかすると、雪がどれだけの祝福を宿しているかの違いなのかもしれないね。今年はクロムフェルツの影響で、特に祝福が潤沢なようだ。ほら、………こうして手に取ると花が咲くように見えるだろう?」

「雪片が、お花になりました!」



ディノが、はらりと落ちて来た雪片を手のひらに取った。


すると、指先近くに載せられた雪片が、蕾がほころぶようにふつりと花開き、小さな小さな薔薇の花のようになる。



「こんな風に、今年の雪は祝祭の祝福が潤沢なんだ」

「綺麗ですねぇ。大好きな伴侶と舞踏会に行く日に、こんな雪が降っているなんて素敵ですね」

「……………ずるい」



恥じらう魔物の指先で、花開いた雪の結晶が本物の結晶石になる。

はっとしたネアはすかさずその指先から素敵な結晶の薔薇を奪い、ご機嫌で我が物とした。


(これは………)


少しだけ考えてもう一つディノの指先で雪を咲かせて貰うと、取り上げた三つ編みに口付けを落とす方法でこちらも結晶化すれば、素敵な耳飾りが作れそうな気がする。



「……………ネアが虐待した」

「むむ。二回目は意図的でしたので、その誹りを跳ね除けられません…………!」



今年の雪白の舞踏会には、壮麗な切り絵のカードのようなアーチ型の門があり、そこを潜って会場に入れば、ふわりと雪の香りがした。



「ふぁ………!」



息を呑むというのは、こういうことだろう。

言葉を発しようとしてもそれが叶わず、溜め息だけがこぼれる。


いつもの雪白の香炉の舞踏会と同じ空の上の広間なのだが、今年はそこに、きらきらと滲むように輝く不思議な淡い虹色の光が入っている。


はっとして見上げた、ディノの髪色のよう。

ディノの持つ色彩よりは、やや薔薇色と淡い緑色が強いが、それでも見た事のないような美しさだ。



「こちらも祝福の階位を上げているようだね」

「……………綺麗で、素敵で、……………うっとりです」

「では、踊る前に君へのイブメリアの贈り物を仕上げてしまおうか」

「……………ディノ?」



微笑んだディノが、ネアの手を腕にかけさせると、両手で何かを掬い上げるような仕草をする。

そうすると、手のひらの中にきらきらと光る虹色の水が現れ、そのまましゃりしゃりと結晶化してゆくではないか。


あまりの美しさと不思議さにネアは息も止めて見守ってしまい、そこに生まれたのが角の丸い可愛い長方形のフィンベリアそっくりの置物だと気付いてから、あっと声を上げた。



「……………雪白の香炉の舞踏の会場の、………フィンベリア風の置物です」

「うん。眼下の景色を見てご覧。リーエンベルクも、大聖堂の飾り木も見えるよ」

「イブメリアの、…………ウィームの街の景色のいいところが、全部見えています」

「うん。…………今年のイブメリアの贈り物は、この土地で君が得たイブメリアの喜びを確認出来るようなものにしたかったんだ。丁度ここは、ウィーム中央の上空にある。綺麗に収められるからね」

「…………えぐ」

「ネア………」



縁の部分が凍ったように白くなった、水晶製のような置物だ。

だが、この会場やウィームの街の色は忠実に反映されていてきらきら光る。

雪白の香炉の舞踏も反映されているが、お客達の姿はなく、あくまでも風景だけだ。


見ている内にあまりにも素敵で感極まってしまい、涙ぐんだネアにディノが目を丸くした。

慌てて、嬉しくて感動してしまったのだと伝えると、深く艶やかに微笑んだ魔物の王様は、もう一度口付けを落としてくれる。



「これを君に」

「……………有難うございます、ディノ。こんなに素敵な贈り物なので、イブメリアの日が過ぎても暫く飾っておいてもいいですか?」

「うん。…………きっと、今年の君が感じていた飢餓感のようなものは、これで落ち着くだろう」

「飢餓感…………。言われてみれば確かに、今日は少しだけそんな感じでした。……………むむ。それが、綺麗に収まっています」



ずっと見ていたい素晴らしい贈り物は、とは言えこれからダンスもあるので、落としてしまったりしないようにディノにどこかに持っていて貰うことにした。

いつも思うのだが、魔術金庫とは違う魔物なりの収納棚を、高位の魔物達はどこかに持っているらしい。


伸ばされた手を取り会場の中央に向かえば、参加者達が深々とお辞儀をしてくれる。

ふぁさりと揺れるご婦人達のドレスに、妖精達の羽の煌めきがまた違う色を添えるのだから、こちらも圧巻であった。



「今年は、漂流物の中に祝祭がいただろう?」

「ええ。それが何か関係しているのでしょうか」



足元のイブメリアのウィームを透かす美しい床石を踏み、ダイヤモンドダストのような煌めきが舞い落ちる会場の中央で、ダンスの始まりのお辞儀をする。


頭上には素晴らしいシャンデリアがあるが、白灰色の優しい光は風景の美しさや祝祭の明かりを邪魔せず、雪明りのような光を投げかけていた。


けれども、祝福の強い今年ばかりは、足元に落ちたシャンデリアの光がきらきらしゃわりとプリズムのような虹色の小さな小さな光を広げるのだ。



音楽が始まり、ネアは、ドレスの裾を広げて最初のステップを踏んだ。



「そうして訪れる者は皆、あるべき場所からはぐれた祝祭や、廃れた祝祭だ。…………君には、本来の資質を落ち着かせる為に授けられた名前に紐づく夏至祭の要素や、恐らく、本来得ていたイブメリアに相当する祝祭の庇護がある。後者のものは、君個人が継承せずとも資格をえているということは、血筋や一族、或いはその血統の子供達の魂として受け継がれるものなのだろうね」

「……………それを得られなかったからきっと、私はイブメリアへの思い入れが強いのかもしれません」

「うん。……………あまりこのような言い方はしたくないけれど、……………君や君の一族が、本来であれば向かうべきだった運命の庭だ。そのようなものは、例え災いに見えたとしても、失う事で損なわれるものがある。信仰や善性などに紐づく庭であれば尚更に、そこからはぐれたものは、異端だとされてしまうからね」



頷いてから、ダンスのターンでくるりと回った。


ディノは何も言わないけれど、多分ここは、ネアの本来属するべき場所や生まれ育った世界からすれば、どちらかと言えば禁忌や災いとされる側なのかもしれない。


ただ、ネアにとっては、これ以上にない幸せを授けてくれるというだけで。



(それとも、私の生まれ育った場所こそが、神様の顔をしたこちらから零れ落ちたもの達の住み家だったのかしら…………)



「君には、…………こちらに現れた祝祭の漂流物たちに近しい要素がある。けれども、今の君はもう、こちらでイブメリアの愛し子として得るべき祝祭の恩恵を受けている。…………だからこそ、かつてのように……………正しい形ではない祝祭たちに触れてから、君の中には、再び得たものを失うのではないかというような、…………君自身も気付いていない飢餓感や不安があったのだろう」



ディノの声は静かだった。

低くて甘い美しい声に耳を傾け、ネアは言われた言葉をゆっくりと噛み砕いていった。



「けれども、もう君は大丈夫だよ。……………君は私の伴侶で、ここに暮らしている。かつてのように取り残される事はないし、あの頃のように祝福を得られずに枯渇する事はない。ネア、……………どうか怖がらないでおくれ」

「……………はい」



胸がいっぱいになって何も言えなくなってしまい、ネアは、じわりと滲んだ涙を堪え、見上げたディノに微笑んだ。



(ああ、そうか)



ばらばらになって、ぼろぼろになってこちらに漂着する漂流物たち。

正しい姿で迷い込み、在るべき場所に戻ってゆくものですら、こちらの世界では非ざるものである。

お守りとして授けられた祝祭の輪は、けれどもたった一人だけで怪物として残されるものであって、剥離手のような者達の欠落は、かつてのネアハーレイによく似ている。


その全てはもう、対岸の者としての対峙ではあったけれど、ずっとずっとどこかが、ネアに対してあなたもそうでしょうと手を引くようなもの達ばかりであった。



(でも、私はもう、……………大丈夫なのだわ)



ネアハーレイがネアになって、怪物のままでも、ここはそんな生き物でも幸せになれる場所だ。

こうしてダンスを踊る伴侶がいて、ネアにはもう新しい家族がいる。


そんな宝物を取られそうだと感じて怯えていたせいで、すっかりこの怪物はお腹を空かせてしまっていたらしいけれど、ディノはそれに気付き、これまでも一緒にイブメリアの屋台に出掛けてくれたりしていたのだろう。



「……………私の伴侶が、ディノで良かったです」

「…………うん。……………ネア」



何だか嬉しくて堪らなくてディノを見上げて微笑むと、ゆったりとした微笑みを浮かべていた魔物が僅かに目元を染めておろおろしている。


こんな風にすぐに弱ってしまう部分もあるけれど、でも、もう少しだけ。



「折角の舞踏会ですので、沢山踊りましょうね」

「……………ずるい」

「それと、何曲か踊ったら向こうのテーブルにあるケーキをいただきます!」

「飲み物もまだだったね。先に、何か頼むかい?」

「…………むぅ。ディノの喉が渇いていなければ、最初に、三曲くらい踊ってもいいですか?ディノと踊る方を優先してしまいたいのです」

「凄く沢山虐待した…………」

「なぜなのだ…………」



くるりくるりと、ダンスを踊る。

軽やかな足捌きは、弾むような心と下に広がるイブメリアの街の楽しさを受けてだろうか。


雪の森に囲まれた経典の楽園には、その会場を縁取るとうに花々が咲き乱れている。

そして、そんな美しい会場を包み込むように雪が降り、心地よい喧噪と優雅なワルツの旋律を、たっぷりとした祝福の煌めきで彩っていた。



目を閉じてダンスのリードに体を預け、目を開いてにっこりと微笑む。


舞踏会だから、ディノの装いもいつもより華やかで、けれども白に様々な色を淡い煌めきで添えたようなネアの大好きな魔物の姿は変わらないまま。



ただひたすらに美しいイブメリア空の上で、ネアは何曲もディノと踊った。



「ふふ。ディノの言う通り、帰り際になるとすっかり心が落ち着いてしまいました。もう、このまま夜のミサを待って橇遊びに備えても問題なさそうです」

「では、オーナメントはここで揃えてしまおうか」

「……………まぁ!」



すいと伸ばした指先で、ディノがシャンデリアの煌めきと落ちてきた雪片の中から、虹色の輝きを僅かに残した雪の結晶の形のオーナメントを取り出してくれる。


ネアは、あまりの素敵さにぴょいと弾んでしまい、そんな追加の贈り物を両手で受け取った。



「ディノ。有難うございます。…………大好きです!」

「……………虐待」

「そして、どうかそろそろ慣れて下さいね」

「……………くっついてきた」

「ふふ。素敵な贈り物をくれた伴侶に、ぎゅっとしますね」

「ずるい…………」




すっかりへなへなになってしまった伴侶とリーエンベルクに帰るには、どうやらもう少し時間が必要なようだ。


ネアは、会場に用意された、クリームチーズと雪苺のケーキの二個目をいただくことにして、安堵と幸せの溜め息を吐いたのだった。















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