263. イブメリアの朝は本音も口にします(本編)
昨晩からの雪がしっかりと降り積り、輝くようなイブメリアの祝福を帯びていた。
残念ながら少しばかり窓からの景色を損なってはいるが、大雪による閉塞感もまた、家族で過ごすイブメリアの朝の特別な包み紙なのかもしれない。
テーブルに生けた白薔薇の香りがする会食堂で、ネアは、食事の前に出して貰ったイブメリアの紅茶を飲んでいた。
ジュースや香辛料を使った紅茶もあるのだが、今朝の気分ではシュプリと苺の紅茶である。
ちょっぴり贅沢に雪菓子入りの砂糖をいれ、一口飲むだけでイブメリアな贅沢気分を堪能していた。
「とは言え、イブメリアのミサに出掛けるエーダリア様達は、少し大変ですよね」
「ああ。リーエンベルク前広場の雪掻きなど含め、騎士達にも負担を強いている」
「その件でしたら、ネア様もご存知の方が先程訪ねて来られて、リーエンベルク前広場から街にかけての並木道の歩道は雪掻きを済ませていってくれたそうですよ」
「…………ネア。話を聞いているか?」
「ぞんじあげません…………」
困惑の目でこちらを見たエーダリアに、ネアも、目を瞬き首を横に振る。
恐らく大変だろうと思い手伝いに来てくれたのだろうが、イブメリアの朝に雪掻きをしてくれたとなると、知り合いであれば後でお礼をしておいた方が良さそうだ。
「ワイアートが来ていたね。よく分からないけれど、とても楽しいので謝礼などはいらないそうだ」
「まぁ。ワイアートさんだったのですね。…………雪竜さんは、雪掻きなども楽しんでしまうのでしょうか?」
「僕さ、それって会の活動としての喜びだと思うんだよね。助かるからいいけど」
ノアが何かを呟いていたが、ネアは、会食堂に入ってくるなりこちらをじっと見て困ったように微笑んだウィリアムを見ていたので、聞き逃してしまった。
今日のウィリアムは、休日の騎士のような寛いだ服装だ。
幸いにも大きな戦乱や疫病の気配はないようで、今朝はゆっくり眠れただろうか。
そう思って微笑んだネアに、白金色の瞳に途方に暮れたような表情を浮かべ、ウィリアムがゆっくりとこちらに歩いてくる。
「おはようございます。ウィリアムさん」
「おはよう。ネア。……………気付いていたんだな」
前置きのない慎重な問いかけに、エーダリア達がおやっと目を瞠るのが見えた。
ウィリアムの声音には、僅かな苛立ちと狼狽、そしてやはり、困惑と不安が見えるだろうか。
(苛立ちは、…………気付かれたくなかったことに、気付いて勝手に手を出してしまったからかな)
その僅かな鋭さにひやりとし、これが、出会ったばかりの頃の関係性であれば、些細な事から致命的な決別にさえなったかもしれないのだと考えた。
予測はしていたが、このようなことが起こるのが今で良かったと、あらためて思う。
「ええ。…………ディノにも相談して、以前に贈り物にした火織りの毛布は、もしかすると戦場などの記憶の何かに触れてしまうのかもしれないと話していたのです。きっとウィリアムさんは話してくれないので、ご不在にしている間に、こっそり手入れをしてしまいました」
「……………お陰で、火織りの毛布も使い易くなった。ネア、………」
「使ってくれることよりも、ウィリアムさんがしっかりと休めるようにと選んだ贈り物なので、そんなウィリアムさんが、無理なく過ごせる方が嬉しいです。なお、ちょっぴり手を加えた事で火の魔術の気配は、ぐっと和らぎましたからね」
「……………ああ。有難う」
ネア達が、ウィリアムが洗濯に出した隙にこっそり再加工してしまったのは、昨年贈った火織りの毛布だ。
願った通りの役割を果たさなかった贈り物をこっそり回収して手入れする為、銀狐の遊びに来ました陽動作戦なども発動し、ネアの義兄は、贈り物の毛布に抜け毛をつけたとウィリアムに叱られてくれてまでいる。
そして、それを理由にお洗濯が入り、贈り物のリメイク作戦は、昨晩無事に完了した次第であった。
「あ、火織りの毛布戻ってきたんだ。良かったね」
「……………ノアベルトも知っていたのか?……………あの時は、わざとだったんだな」
また困惑したような目したウィリアムに、ノアはにっこりと微笑む。
ノアの方が末っ子のように見えることも多いが、こうして老獪に微笑む塩の魔物は、ひどく老成して見える時もある。
「僕もさ、似たような経験があるからね。僕の場合はもう大丈夫になったんだけど、ウィリアムの場合は日によってどんな仕事をするか分からないから、そこに触れるのかもねって話したかな」
「お前は妙な所で繊細だからな」
「やれやれ。アルテアもですか…………」
ネアが、ウィリアムが贈った火織りの毛布を使いあぐねている事に気付いたのは偶然だった。
リーエンベルクの部屋で休む事も増えたウィリアムを訪ねた際に、そんな訪問を見越して使ったものの、寝ている内に剥ぎ取ってしまったのかなという毛布を何回か目撃し、何かが気になったのだ。
そして、おろおろするディノに手伝って貰って真夜中の見回りなどを行った。
どうやら火織りの毛布に使われている火の系譜の魔術の気配が、戦場での仕事を終えたばかりで帰ってきたウィリアムには、酷なことがあるのだと知ったのはそれからのことだ。
(望んだものが、望んだように好意的に働くとは限らない)
贈り物には、そんな一面もある。
これまでのネアはまだまだ新参者だったが、こちらで過ごす日々を積み重ねてゆく中で、こうした想定外の事態というのも起こるのだろう。
どうしても、生活に即した品物には使用感という大きな壁がある。
ドレスなどとは違い、採寸などがないので使用感の確証を取るのは難しい部分でもあった。
「こちらで引き取って新しい毛布にこっそり交換しても良かったのですが、私もディノも、自分宛ての贈り物はしっかり抱え込んで絶対に返さないぞ派だったので、手入れをして使いやすいようにしてみました」
ネアがそう言えば、ウィリアムが少しだけ怖い顔をしてみせる。
「そうしないでくれて助かった。……………確かに、…………そうだな、戦火に晒されたような戦場を見た後にあの毛布を使うと少し夢見が悪い事があったが、……………それでも、俺にとっては宝物だったんだ」
「ええ。ですので、素敵な氷の祝福の紡ぎ糸と、アーヘムさんのお知り合いの道具縫いの妖精さんの工房の力を借りて、アルテアさんに贈った夜織り毛布に近い魔術特性を後付けで付与しました!」
ふんすと胸を張って火織りの毛布の転生事情を説明したネアに、ウィリアムは無言で隣に立つと、ネアの頭の上にそっと大きな手のひらを載せる。
暫く無言でそうしていてから、頭の上に額を載せるようにして体を寄せ、また離した。
雪の日の朝陽は鈍いが、白金色の瞳は宝石のように美しい。
もう、その瞳にあるのは穏やかだけだ。
「……………情けない話だが、昨晩は気付かなかった。朝起きて、…………毛布にこれまでにはなかった魔術特性が付与されていることに気付いたんだ」
(あ…………)
こちらを見た終焉の魔物の微笑みは冷ややかな程であったが、ネアは、この魔物が怖がっていたことに気付いてしまった。
心地良く過ごして欲しいと願って選んだ贈り物で、そんな思いをさせていたのだとすれば悔しい限りである。
(でも、大事な人からの贈り物だからこそ、…………自分に合わなかった時に、罪悪感を覚えてしまうのは分かるような気がする)
そして、ウィリアムは、そのことを誰にも言わないだろう。
呑み込み、何でもない顔をして不快さを齎すものでも耐え忍んでしまいそうだ。
だからネアは、一度贈った品物に勝手に手を付けるという無作法をあえて犯し、毛布に新しい魔術特性を付与して貰った。
ディノやノアを共犯者にしてしまうのはしのびなかったが、一人で出来る事ではなかったので、相談して力を貸して貰っている。
「刺繍と、タグ部分を付け替えて氷の祝福織りのあるリボンタグにし、そちらにも素敵な魔術式を刺繍してあるのだとか。…………ただ、後付けのものでもありますので、まだまだ調整は出来るそうです。気になるところがあれば、……………我慢せずに相談して下さいね?」
「ああ。……………そうするよ。……………シルハーン、ご心配をおかけしました」
「うん。毛布は、体に合うものを使った方がいいからね」
「ありゃ。僕は?」
「……………ノアベルト、叱ってすまなかった」
やれやれとアルテアが肩を竦め、会話の内容から事情を察したらしいエーダリアが、鳶色の瞳を瞠って静かにこちらのやり取りを聞いている。
さては、ここにもウィリアムと同じことをしそうな家族がいるなと、ネアは同じくそちらの気質に違いないという疑いをかけているヒルドにも届くように、贈り物はあくまでも贈った相手に喜んで貰う為のものなのだと主張した。
「私だって、アルテアさんのからいただいたお城を使いこなせずにいて、アルテアさんご本人に相談して、砂糖菫を育てるお部屋を作って貰ったりもしているのですよ。ディノも、髪の毛用にと買ったものの少しかさかさするリボンは、他の用途に変更していますものね」
「うん………」
「ありゃ。シルもなんだ。僕の場合はさ、回収マットなんかも未だに有用だからなぁ…………」
「……………おい。お前はその話をするな」
「ありゃ。アルテアも繊細だったぞ………」
「ネイ。本人が言っていい事ではありませんよ。配慮なさい」
「ごめんなさい……」
そんな話をしながらウィリアムも席に着き、イブメリアの朝食が始まった。
いつの間にか会食堂のテーブルの上にホーリートの小枝が増えていたのでどうしたのだろうと首を傾げていると、今朝ここに来ると、会食堂の窓辺に紙に包んで置いてあったのだそうだ。
どうやらイブメリアの系譜からの贈り物のようで、今日一番、エーダリアを喜ばせた事件だったらしい。
「僕はさ、大聖堂に現れたあいつだと思っているんだよね…………」
「さては私の義兄は、あの素敵な狼さんを警戒していますね?」
「赤い実も結晶化していて、素晴らしい枝だろう?このようなものを届けてくれたのが誰なのかは分からないが、どこかで礼を言えるといいのだが………」
「ありゃ。大喜びだぞ…………」
イブメリアの朝食は、この祝祭の季節で食べられてきた様々な料理を一口ずつ並べたお皿が用意される。
ネアは、今年も目の前に運ばれてきた美しい盛り付けの料理にぱっと笑顔になり、思わず椅子の上で小さく弾んでしまった。
いつもであればアルテアの注意が飛ぶところだが、幸いにもこちらを見ていなかったようだ。
「あのグラタンや、ローストビーフに鶏肉の香草焼き。こっそり出ていた乾燥トマトと山羊のチーズの和え物もありますね。そして、今年の牛コンソメのスープは、ディノの大好きなお野菜のものです!」
「うん」
ディノが目元を染めて嬉しそうに見ているスープカップには、お祝いの刺繍糸のように細切りになった野菜がたっぷり入っている牛コンソメのスープがある。
スープは湯気を立てており、くたくたになった野菜を染み込んだスープと共にじゅわっといただくのが、寒い冬の朝に堪らない贅沢なのだ。
ゼリー寄せは彩りの綺麗な海老と冬野菜を使って。
焼き立てのパンには、お馴染みのバターセットがつく。
ホイップバターがあるのは勿論のこと、香辛料入りの赤いバターと燻製バターも捨て難い。
貧しかった頃の暮らしの余波で、ホイップバターを使い倒す日々が長らく続いていたネアだったが、最近は燻製バターの美味しさにも目覚めつつあった。
「そう言えば、今年はグラストさんのイブメリアケーキ会なのですよね」
思い出してそう言えば、エーダリアがふわりと微笑む。
イブメリア朝のミサが控えているので、上着は脱いではいるものの既に正装服に着替えている。
今年は珍しい濃紺の装いだが、白いシャツやクラヴァットが艶やかに映えるのでこれもまた美しい。
肩に通してあるストラのような刺繍帯は、いざという時には魔術具のようにも使える大事なものだ。
年に何回か魔術式が見直されていたが、今は殆どノアが管理しているのでとんでもないものになっているのだとか。
「ああ。昨晩は難しい顔をしていた。…………だが、きっとどのようなケーキでも、ゼノーシュは喜ぶのだろうな」
「ふふ。ゼノは、今日が楽しみ過ぎてクラヴィスの夜の屋台での買い食いは、いつもの半分くらいになってしまうかもしれないと話していたんですよ」
「ええ。私にも何度か報告に来ていましたので、よほど楽しみにしていたのでしょう」
どうやら、ヒルドにも何回も報告してしまったらしいゼノーシュに、ネアはこの場にいないのに可愛いなんてと頬を緩めた。
何の飾り気もない白いケーキは、今でも、ゼノーシュにとっては特別なケーキなのだろう。
そんなケーキを使ったイブメリアケーキをグラストが作ってくれるとなれば、大喜びしてしまうのも不思議はない。
(ケーキを食べるゼノが見られないのは残念だけど、大切な友達が幸せなのが一番だわ)
ほくほくしたジャガイモのグラタンを頬張り、ネアは、雪の朝の景色を眺める。
外はかなり寒そうだが、部屋の中は温かく美味しいご馳走が沢山あって、並べるだけで美しいイブメリアケーキもケーキ台に鎮座していた。
今年のイブメリアのケーキは、蝋燭の炎を模した可愛いクリームでぐるりと上を囲み、真っ赤な苺や木苺などがつやつやになって載せられていた。
上部を飾るクリームの模様には飾り木があり、ネアはケーキの中央にある可愛いクリームの飾り木を見た瞬間、椅子から腰を浮かせてしまった。
飾り木に降りかけられた細やかな色とりどりの飴の欠片のようなものは、様々な蜜を氷の魔術で固めたもので、口の中でとろりと蕩けてクリームの味を変えるらしい。
「じゅるり…………」
「おや、そろそろ切り分けまょうか」
「……………むぐ。お願いしまふ」
「俺が代わる。……………どうせお前は、あの林檎蜜のところが食べたいんだろうが」
「な、なぜばれているのだ………」
ご主人様が飾り木クリームのどの部分を食べたいのかを見抜いていた使い魔がカットを引き受け、程なくして、イブメリアケーキも皆に行き渡った。
よく見れば、側面には白い薔薇のクリーム飾りがあり、今年のケーキもとても美しい。
「ディノ。この赤い蜜のところは、林檎蜜なのですよ!」
「こちらの、淡い緑のものは何かな………」
「そちらは、この事前にいただいた説明書きによれば、湖水梨だそうです!」
「可愛い…………。見せてくる…………」
「ほお。薔薇蜜と星檸檬もあるのか」
「小さな氷蜜を作る為に、試行錯誤していたようですよ。その日は、騎士棟に蜜菓子が配られていましたので、騎士達は喜んでおりましたね」
「ああ。それで、あの配布だったのか」
「……………みつがし」
それは初耳だったネアは呆然としたが、ぱくりと頬張ったケーキが素晴らしい美味しさだったので、この為の研鑽であれば致し方あるまいと納得してしまった。
ディノも一口食べて幸せそうにしているし、アルテアも静かに頷いている。
ウィリアムとノアは、紅茶が揃ってから食べ始め、エーダリアは檸檬蜜が気に入ったようだ。
そして、こんな風にイブメリアのケーキを食べ始めると、そろそろ持ち上がる話題がある。
今年は、ネアが先陣を切った。
「エーダリア様は、ヒルドさんとノアから、どんな贈り物を貰ったのですか?」
「今年は、雪霧織りのシャツを貰ったのだ。以前にアルテアが着ているのを見て、美しいものだと思って褒めてしまったのだが、……………こんなに高価なものだとは知らなかった」
僅かに恥じ入ったようにそう言ったエーダリアに、ヒルドとノアが視線を交わして微笑んでいる。
それもまたなんて素敵な贈り物なのだろうと頷いたネアに、アルテアが、雪霧糸はただの雪の部分が混ざってしまわないように糸を紡ぐのが難しいので高価なのだと教えてくれる。
よく似合うなと思っていた今着ているシャツがその贈り物だと知り、ぼうっと光を孕むような、けれども優しくけぶるような美しい白色は、ジレの紺色に引き立てられただけではなかったのだとネアは驚いた。
「たまたま、素敵だなと思って見ていたシャツだったのですよ。これが、雪霧織りなのですね。男性の方はシャツを多く持たれるでしょうから、こんな風に、生地のさり気ない拘りが見えてもとても素敵ですね」
「ああ。儀式などで公の場に出る際に、着させて貰おうと思っている。着心地も素晴らしいのだ。お前とディノから貰ったインクも、…………もう使わせて貰った」
今年は分かれての贈り物となり、ネア達がエーダリアに贈ったのはイブメリアの祝福インクであった。
エーダリアは個人的に執務記録を付けているのだが、どうしてもイブメリア周りの記載が多くなるウィームの記録に於いて、このイブメリアの祝福インクは素敵な効果を齎す。
イブメリアに纏わることを書いた際には、その時に思い浮かべたイブメリアの記憶を宿すというインクなので、エーダリアはずっと前から欲しかったらしい。
イブメリアの素敵な素材があれば作れるインクなので、ネアは冬告げの舞踏会で貰ってきたクロムフェルツの大きな飾り木の影が映っていた雪から、エーダリアに贈るインクを作って貰った。
執務記録を記すのに適した深い青色のインクは、昨晩に渡した後、早速使われているという。
「僕はさ、家族からこの靴を貰ったんだよね。バンルが知っているいい靴職人ってことで注文してくれたみたいなんだけど、まさかのアレクシスの親族だっていうあの職人の靴で驚いたなぁ……」
「ほお。アレクセイの靴か。………相変わらずいい腕だな」
「以前に同行してくれた先で、靴を傷付けてしまっていたからな」
「私は、こちらの宝石油を。髪色に合わせた宝石から抽出されたものなのだとか。……………ネア様、タジクーシャに注文を届けて下さったのだとお聞きしました。有難うございます」
「文通をしている、サフィールさんにお願いしたんです。ヒルドさんは、宝石の資質もあるのでぴったりなのですよね。…………義兄がご迷惑をおかけしています」
「……………ありゃ。もしかして、ヒルドに髪用の手入れ油が必要になったのって僕が原因?!」
ネアは、どうやら自覚のなかったらしい塩の魔物に、穏やかな声でいることを心掛けながら、銀狐が結んだ髪先にじゃれついて噛むからだと説明してやった。
それを聞いたノアは頭を抱えてしまい、ウィリアムとアルテアも呆然としている。
「……気を付けよう。友達を損なうのは本意じゃないからね」
「髪は手入れくらいでどうにかなりますが、履き物を隠す事の方を止めて欲しいですね」
「……………おい。お前は少し自制しろ!」
「うん。………でも、履き物とかハンカチって、持って行きたくなるんだよね。…………なんでだろうね」
「ノアベルト……………。その話題は、別の機会に二人でやってくれ」
ウィリアムとアルテアが少し弱ってしまったので、ネアは、慌てて話題を切り替えた。
「私がディノから貰う今年のイブメリアの贈り物は、この後で、雪白の香炉の舞踏会で渡して貰えるのだそうです」
「うん。あの場所での魔術付与が必要なものだからね。ネアは、…………ハンカチをくれた」
「おや、あの刺繍のものでしょうか?」
「それなのかな。随分と長い間、作ってくれていたようだ…………」
「刺繍糸を紡ぐのは、ヒルドさんに手伝って貰ったのですよ。ハンカチそのものはノアが手配してくれて、きっとディノは飾ったり、大事に保存しておいたりもしてくれるだろうと考え、額縁型と木箱型の保存箱をエーダリア様に手配いただきました」
「ああ。今回使えそうなものが、魔術師もよく使うからな」
「……………ネア。……………有難う」
「はい。どういたしまして!また作ってあげますから、使ってしまっても構わないのですよ?」
「保存魔術をしっかりかけてあるよ。ノアベルトにも手伝って貰ったんだ。………その、有難う」
「なぬ。家族へのお礼の前に、またしても厳重に保護されたことが明かされました………」
ネアがハンカチに施したのは、リボンモチーフとその中に収めた小さな図案だった。
ホーリートやリース、ディノから貰った真珠の首飾りにリーエンベルクの外観まで。
そして一番の拘りが、そんな図案の中にムグリスディノを入れる事だ。
細かい刺繍は収集力と時間を要したが、布が引き攣れることもなく思った通りの仕上がりになり、ネアにとっても自慢の作品である。
昨晩、そのハンカチを貰ったディノは、手に持ったまま少し泣いてしまい、その後にウィーム中央の夜空にはオーロラが出たのだという。
刺繍を入れたハンカチをあげるのは初めてではないのだが、そうして喜んでくれるので、ネアは何度だって刺繍をするし、編み物だってしてしまうのだった。
剣帯の刺繍の話を騎士達がしているのを聞き、ディノが羨ましそうにしていることに気付いたのが、この贈り物を選んだ切っ掛けになっている。
魔物に剣帯は必要ない筈なので、汎用性の高いハンカチにした。
「何枚でもハンカチに刺繍をしますし、編み物だってまた贈りますからね」
「ネア…………」
「ただ、ディノは、手作り系の品物や料理を喜んでくれるので、ついつい自分で頑張ってしまいますが、そろそろ市販品が欲しいぞという時には、そんな要望も伝えて欲しいです」
「…………うん。そうしよう」
先程の会話の流れがあるので、ディノはしっかりと頷いてくれた。
なお、贈り物のハンカチは食事を終えた今、膝の上に置かれていて、どこか誇らしげである。
「僕達からネアには、……………ええと、これでいいのかなって思うんだけど、夜霧紡ぎのマフラーだね」
「はい!ずっと欲しかったマフラーがあったのですが、お値段が可愛くなく………。その憤りをノアに伝えたところ、イブメリアの贈り物にしてくれました!」
「チェック柄は、ウィームでは珍しいのだ。アルビクロムの古い織り模様に紐付かないよう、ウィーム独自の模様を生み出すのに苦労したと聞いている。その辺りの、魔術開発料としての値段でもあるのだろう」
「むむ。それらしいことが、一緒に入っていた織物工房のカードに記載されていました。紫紺色に、綺麗な水色と菫色の入った素敵なマフラーなのです。……………欲しかったものの一つなので、宝物にしますね」
ずっと昔に、同じような別の名前の祝祭の日に、目を奪われたカシミヤのマフラーがあった。
だが、値札を見て気が遠くなってしまったので勿論持ち帰る事は出来ず、そんな贈り物を貰う人がいるのだろうかと、ずっと小さな憧れの棘が心の中にあったのだ。
今回貰ったマフラーは、その時のマフラーによく似ていて、もう一度値札を見て絶望したものである。
(………真珠の首飾りと同じような、私の欲しかったものの一つ)
こうして宝物が増えていくことに感謝しながら、ネアは、最後のケーキの欠片を頬張りむふんと頬を緩めた。
するとなぜか、ノアが不安そうな目をしてこちらを見る。
「で、……………その二人からは何を貰ったのさ」
「むむ。アルテアさんからは、森を貰いました!」
「え、待って。……………待って、ちょっとおかしいかな!」
「私の別宅の周囲に、いい感じに配置してくれるのですよ。落葉樹の森なので、秋になると素敵な色の落ち葉が沢山楽しめるのです。木々の配置も、アルテアさんが選んでくれたのだとか!」
「……………森は、そのようにして贈り物に出来てしまうものなのだな」
「アルテアなんて……………」
「私からは、ダムオンの家具職人さんも順番待ちで買う、とても希少な家具の保護剤を贈りしました!」
「……………ん?家具の保護剤?」
「綺麗な瓶に入っていて、特製の泉結晶の刷毛で塗るものなのですよ。この保護剤の塗り方次第で、家具の経年変化を自由自在に変えられるのだとか」
ネアは自慢のつもりだったが、皆は、イブメリアの贈り物がそれでいいのか心配になったようだ。
しかしここで、贈られたアルテアの側から三種類の保護剤のそれぞれの特性などが細かに語られる時間がやや長めに取られ、間違いのない贈り物だと納得して貰えたようだった。
エーダリアがちょっとびっくりしていたくらいなので、家具に向ける選択の魔物の熱意が伝わっただろうか。
「……………成る程。それでアルテアはご機嫌なんですね。……………俺は、雪陶器の保温カップを」
「はい!アクス商会に残っていた特別な品物のようで、指定の飲み物を三種類、あつあつのまま出してくれる素敵な陶器のカップなのです!冬場限定となりますが、牛コンソメのスープも使えると判明したので、お仕事で忙しい時にいいかなと思いました」
「ああ。以前のランチョンマットといい、贈り物のお陰で劇的に仕事中の食環境が改善されているよ。飲み物は、時々不自由していたんで正直に助かった」
「……………無理していません?」
ネアがそっと尋ねると、ウィリアムがにっこり微笑んでくれる。
「いいや。今回のものは、寧ろ欲しかった物だ。有難うな、ネア。シルハーン、有難うございます」
「うん。ネアにあの贈り物でいいかどうかを相談されて、ウィリアムは、仕事を終えた後によく飲み物を飲んでいるよと話したから、気に入ってくれたようで良かった」
ディノの言葉を聞いたウィリアムは、思っていたよりも自分を知っていてくれたことに驚いてしまったようだ。
無防備に目を瞠ってから、ふっと微笑みを深めて頷いている。
「で、ウィリアムは、ネアに何をあげたのさ」
「ああ。俺は、音楽の小箱だな。ネアが俺の演奏を気に入ってくれて、何度も聴きたい音楽があると言ってくれたから、予め曲を選んで貰って贈ることにしたんだ」
「……………おい。その意味を考えたのか?」
「あれ。シルハーンにも許可は取ってありますよ」
「わーお。腹黒いぞ……」
「好きな曲が、五曲も入っているのですよ!!ウィリアムさんの演奏を収められる箱が少なかったので、箱も手作りしてくれました!!」
「ウィリアムなんて…………」
「ありゃ。それはシルも始めて聞いたみたいだけど?!」
なお、アルテアからは、おまけで可愛い赤紫色のエプソンも貰った。
特別な魔術付与で使い勝手のいいもので、自分用を注文した際に一緒に頼んでくれたようだ。
深みのあるベリーカラーのような色は、普段のドレスなどではあまり使わないので、楽しく使えそうだと思っている。
だが、それはおまけなので発表せずともいいと事前に言われており、ネアは敢えて言わなかった。
ディノがそのエプロンをじっと見ていたので、ネアは、伴侶の魔物用にも新しいエプロンを注文しておき、ディノはカレンダーに印をつけた到着の日を、楽しみに待っていてくれるようだった。
音楽の小箱問題で何やら賑やかになったイブメリアの朝食の席で、ネアは、幸せな溜め息を吐き、テーブルの上のホーリートの小枝を見つめる。
なんて綺麗なのだろうと唇の端を持ち上げると、しゃりんと、水晶のベルを鳴らすような綺麗な音がした。




