260. バベルクレアは突然です(本編)
朝からの雪は昼前には降り止み、花火日和の冬の日となった。
ウィームは今日、バベルクレアの日を迎える。
そしてなんと、既にバベルクレアの午後も回っているのだった。
「ばたばたしている内に、あっという間にこんな時間です…………」
「ああ。………今夜は花火があるのだと思うと、ひやりとするな」
「せめて、この時間に開放されて幸いだと思うようにいたしましょう」
困惑するばかりの唐突さなのは、先日駄目押しのように剥離手でひと悶着あったのと、今年は、グレイシアの捜索を任せられなかったからだろう。
そして、本日のバベルクレアのミサの途中で、トマトの何某かを怒らせた聖職者がトマトソースをかぶって現れるというとても恐ろしい事件があったからだ。
魔物達が震え上がってしまって戦力にならなかったのと、それ以外にもトマト事案では心をやられている者達がいたようで、エーダリア達は、対処に思ったより時間を取られてしまったらしい。
今年はうっかりネアも会場にいた為、少し離れた位置からではあるがトマトソース事件を目撃することになってしまった。
「今回は、…………王の祝福の気配を感じたトマトの系譜の、トマトソースの精が、たまたまバベルクレアのミサを覗きに来たようですね。その際に、トマトソースを鍋ごと捨てた者を発見してしまったようで、呪いをかけたという経緯だったのだとか」
ヒルドは、さすがの冷静さでそんなとんでもない報告を淡々と済ませたが、会食堂に集まっていたネア達は、全員がそれぞれに暗い眼差しになった。
ディノとノアは震えているし、今年はまだ全ての危険が去った訳ではないからとうっかり同席してしまっていたアルテアは、さり気なく口元を押さえている。
大聖堂の中で貧血かなという倒れ方をした人物がいたが、後からグレアムだと聞いたので、ネアは慌ててお見舞いのお菓子の手配をしなければいけなかった。
「ずっと考えてしまっていたのですが、トマトソースには、大蒜やバジルなどのその他の素材も含まれていますが、やはりソースの名前となっているトマトの系譜に属するのですね……」
「え、そこで悩んじゃうの?!」
「いいか、今回はお前を見に来ての惨事だからな?」
「…………わるいのは、おなべごとソースを捨てた方なのですよ。確かに、ごく稀に冒険的なソースに挑み、味が迷子になる事もありますが、トマトソースに於いて捨てる程の事件はそうそう起こらない筈です。多少想像とは違ったり、美味しいと言える程ではないものであっても、そこは敬意を払って最後までいただくのが作り手の責任でしょう」
「……………今、何か光らなかっただろうか」
「おや。ネア様の持つ祝福が、階位を上げたようですね」
「まぁ。何かがより良いものになったのですか?」
首を傾げているネアに、ディノは震えながら、例のトマトの祝福がより安定したのだと教えてくれた。
今の発言も、トマト界では好まれるものだったようだ。
「ご主人様……」
「あらあら、怖くなってしまいましたか?色々な食べ物を美味しくいただいていれば、そうそうあんな事件には巻き込まれませんからね」
「そうなのかな…………」
そのトマトソース事件を経て、やっとリーエンベルクに帰還してのお茶の時間である。
いつもならケーキをいただくところだが、小さな一口焼き菓子で済ませているのは、もはや晩餐に響く時間になってしまっているからだ。
ネアも、本日はローストビーフの日であるのでそちらに重きを置き、小さな焼き菓子を齧っていた。
「こうして揃えてみますと、………あくまでも私の所感ですが、漂流物から剥離手周り迄の事件の統括として、トマトで落ち着きそうですね」
「わーお。ヒルドがとんでもない事を言い出したぞ…………」
「途中で、南瓜の聖人さんも助けてくれたのですよl
「ご主人様…………」
「あらあら、三つ編みを持っていて欲しいのですか?」
ネアは、再び怯え始めた伴侶が差し出した三つ編みを持ってやり、ディノは少しだけ落ち着いたようだ。
対処が危ぶまれるような事件の解決の鍵となったのが、南瓜とトマトであった事を考えると、ディノはとても不安になってしまうらしい。
「でもまぁ、そこでだいぶ救われたのは事実なんだよなぁ。……………凄く複雑だけど」
「今思えば、漂流物関連の怖いことは、上手に分散してくれたのですね。蝕の時のように、どすんと大きく怖い事が起こると心臓に悪いので、小分けにして呑み込めるようになっていたのは幸いだったのかもしれません」
「そっか。よく考えたら、僕の妹は結構何回も漂流物と遭遇してるんだ」
「ウィームは比較的安全という前評判からすると、想定外の件数でした………」
誰かを失うような、ネア自身が傷だらけで挑むような大きな事件はなかったのだろう。
だが、案件数はなかなかのものであったし、罠として扱われた漂流物からとは言え、エーダリアとヴェンツェルにカルウィの王子までを巻き込んだ事件から始まり、最終的には、ディノやアルテアが負傷する事態にもなった。
最後の剥離手の事件はこちら側の人間が起こしたものだが、漂流物の年だからこその影響が大きく関わっているので、これも漂流物周りの事件として含めてもいいだろう。
(ウィーム中央でも多くの方が亡くなって、今年のイブメリアを一緒に過ごす筈だった人がもう隣にいないという方もいるのだろう)
そう思えば、ウィームが漂流物によって失ったものは少なくはない。
他のどんな領地よりも高位の魔物の薬を使える土地だが、それでも、怪我や魔術汚染の回復が間に合っていない者達もいるという。
「………よく、頑張ってくれた。今回は、お前がいてくれたお陰で守れたものも多い」
しみじみとそう言ってくれたエーダリアに、ネアはくすりと微笑むと、焼き菓子の最後のひと欠片を、ごくんと嚥下する。
「それはきっと、ここで私が生きてゆくことを助けてくれた、これまでの色々な方々のお陰なのですよ。でも、大変なことも沢山あった年なので、こうして無事にバベルクレアが始まったのがとても嬉しいです。今年の花火も、きっと大勢の方々が楽しみにしているのでしょうね」
「…………ああ。良い花火を打ち上げられるよう、最終調整をしてこなければだな」
「なぬ。なぜ、エーダリア様の顔色が悪くなってしまったのでしょう……………」
「花火の最終調整で迷われているようですよ。その扱いによって効果が少し変わるようですからね」
苦笑してそう教えてくれたヒルドに、エーダリアがいっそうに厳しい面持ちになる。
紅茶を飲み終えるとよろよろしながら花火作りに戻っていったエーダリアには、ノアとヒルドが同行し、ネア達は引き続き会食堂に残る事にした。
「どこかに、出掛けたりはしなくていいのかい?」
僅かに太陽が覗いたのか、窓からの淡い光には透き通った白い光が混ざる。
降り積もった雪を輝かせ、木々の上に暮らす小さな妖精達が、枝に飾ったオーナメントをここぞとその煌めきに当てていた。
栗鼠妖精のもふもふのお尻が枝の上に見え、その奥をぶーんと飛んでいったのはムグリスだろうか。
禁足地の森の方には細やかな光が揺れていて、その一つ一つに様々な生き物の喜びがあるのだろう。
「いえ。今日は、花火までリーエンベルクでゆっくり過ごそうかなと思います。折角なので、飾り木が見えるお部屋に行きませんか?」
「うん。ではそうしようか。アルテアも来るかい?」
「……………いや。運送中の荷物が星食いで被害を出した。…………暫くはそちらにかかりきりだ」
ただでさえトマト事件で弱ったところでの、追い打ちだったのだろう。
アルテアは暗い眼差しがいっそ魔物らしく見える表情で部屋に戻ってゆき、ネア達は顔を見合わせた。
「では、二人でのんびり晩餐を待ちましょうか」
「……………うん。………ずるい」
「雪雷のムグリスさんがまた来ているかもしれないので、飾り木の影にならないところがいいのかもしれませんね」
そちらの部屋に移動し、リーエンベルクの飾り木を見に来た人達を窓から眺めたり、今年のイブメリア限定品の買い逃しがないかどうかの最終確認などをしていると、午後から夕刻までの残り時間は、あっという間に過ぎていった。
やがて、雪明りを青く青く染める夕闇の時刻になり、空には星が瞬き始める。
庭園や森の奥にはぼうっと淡い光があちこちに灯り、教会の鐘の音もどこか楽しげだ。
ネアは、僅かにひんやりとする廊下を弾むような足取りで歩き、もう一度会食堂に戻ってきた。
勿論、ローストビーフのいい匂いに入り口で小さく弾んでの入場である。
そして、会食堂のテーブルには既に、檸檬色の目を輝かせたゼノーシュの姿があった。
「ゼノ、グラストさん。西門の近くに家を建て始めた妖精さんの立ち退き、お疲れ様でした」
「おお、ご存知でしたか。今回は少し手こずりましたが、ゼノーシュのお陰で解決しました」
「うん。僕がここに住んでいるんだよって言ったら、禁足地の森の方にするって。あの場所だと馬車に轢かれちゃうのに、どうして家を建てようと思ったんだろう………」
「困った毛玉妖精さん達ですねぇ……」
にっこり微笑んだグラストに、ネアは、初めて出会った頃の姿を重ねてみることがある。
面立ちはさして変わらないのだが、ゼノーシュが契約で命を削らないように試行錯誤した結果、目元の皴が消え今の方が若々しく見えるようになった。
この、優しい微笑みが似合うウィームの筆頭騎士は、昨日、どこかの伯爵家のご令嬢に求婚されてしまい契約の魔物を荒ぶらせていたが、再婚の意思はないときっぱりと断っていたそうだ。
(どうしても忙しい仕事であるので、残りの時間の全ては今の家族の為に使おうと考えていると、グラストさんはそう言ってくれたらしい…………)
その言葉が誰を指すものか、どれだけゼノーシュを喜ばせたのかは、騎士棟の窓の一部が結晶化してしまったことを見れば一目瞭然だろう。
そう言って貰えたゼノーシュがご機嫌なのも勿論であるし、再び家族と呼べる相手を得られたグラストの安堵や喜びも窺える回答であった。
ネアは、引っ越しの説得に行ったグラストを気に入ってしまったという毛玉妖精達が、その場で滅ぼされずに移動勧告だけで済んだのは、昨日のことが幸いしているに違いないと思っている。
似たようなことはこれまでにも告げられていたにせよ、そうして、何度でもこれからの約束を貰うのが、魔物達はとても嬉しいのだ。
「ディノ。仲良しのグラストさんとゼノを見ていたら、何だか私まで幸せな気持ちになりました。…………私達も、こんな風に、これからもずっとバベルクレアの日に一緒にローストビーフを食べましょうね」
「…………うん」
澄明な水紺色の瞳を輝かせてから恥じらうように目元を染め、ディノがこくりと頷く。
椅子周りに結晶石の花をぽこんと咲かせてしまったところで、エーダリア達も会食堂にやって来た。
最後になったのはアルテアで、袖を捲っての登場を見れば、直前まで仕事をしていたのがよく分かる。
ディノ曰く、一度出かけていたらしいので、星食い騒動の後始末がよほど大変だったのだろう。
そして、いよいよの、バベルクレアの晩餐である。
「今年は、野菜たっぷりソースのお魚料理もあるのですね」
「わぁ、このサラダのベーコン、この前作っていたやつだ」
「むむ。リーエンベルクの自家製ベーコンなのですか?」
「ほお、いい燻香だな………」
テーブルの上に運ばれてきたのは、自家製ベーコンを細長く切って炒めたものをたっぷりかけた葉野菜とブロッコリー、雪インゲンのサラダである。
シンプルなサラダだが、細かく砕いた蒸し栗が入っていたり、野菜を合えているドレッシングには甘酸っぱい果実の香りがあったりと、見えないところでも手がかけられているのだろう。
ネアが注目しているのは、皮目までぱりっと焼いてアンチョビ的なもののソースを回しかけた白身魚の料理で、焼いた蕪や茄子などもふんだんに添えられている。
こちらは、たっぷり散らされたケッパーが味の決め手になると思われた。
ディノが嬉しそうに見ているグヤーシュには、お好みでサワークリームも添えて。
以前にゼノーシュとネアが大喜びしたグラタンは、鮭とジャガイモを薄く重ねたミルフィーユ仕立てで、イクラのような赤い魚卵とフェンネルを飾って彩りと香りも良く。
揚げ物では、細やかなパン粉が繊細で美味しい真ん丸コロッケのようなものがあり、チーズとトマトクリームのソースをたっぷりかけてはふはふといただく。
焼き立てのパンにはデニッシュもあり、本日の主賓となるローストビーフは堂々たる姿でテーブルの上に現れた。
「今日はさ、氷の音楽と夜のクロスっていうシュプリがあったから、これを持ってきたんだ」
「今年、アルミエのところで作らせた慶事用のものか」
「そうそう。慶事の記念品って、祝福の質がいいからね。この季節のものだし、せっかっくの祝福を借りておこうと思って」
氷の系譜では、今年になって、真夜中の座の伴侶を得た魔物が出たらしい。
あまり階位が高い者ではないが、系譜の王であるアルミエと親しくしているという。
そんな友人への祝いの酒として、アルミエがこのシュプリを真夜中の座に注文したのだそうだ。
きゅぽんといい音がしてコルクを抜き、ノアが、みんなグラスにシュプリを注いでくれる。
ネアは、ウィリアムも間に合えばいいのにと思ったが、今日はまだどこかの国で鳥籠の中にいるらしい。
「…………これは、飲みやすいシュプリだな」
「ええ。後味もすっきりとしていますし、このような祝祭料理にもよく合いそうです」
「……………ぷは!…………これは、料理と一緒にごくごく飲める危険なシュプリですね」
「わーお。……………さすが氷の系譜のシュプリだなぁ。これ、特別に何かが際立っている訳じゃないけど、かなり出来のいいものだね」
「……………市場に出ないのであれば、どこからかもう二、三本入手しておくか」
「むむ。アルテアさんが気に入ってしまったみたいですね」
「グヤーシュにも、とても合うシュプリだね」
「さては、ディノも気に入りましたね?」
氷の魔物のシュプリは、特別に香りがいいだとか、何か目新しい後味がある訳ではない。
ただ、堪らなく喉が渇いている時に飲む、きりりと冷えた水程に美味しいものがないように、食べ物と共にいただくとなんて美味しいのだろうと感じてしまう、食卓向けのシュプリなのだ。
水の質がいいウィームにはこの手のシュプリは他にもあるのだが、氷の魔物のシュプリだけあって、加えて、何とも言えない絶妙な冷え方が素晴らしい。
瓶に施された氷の魔術で決められた温度を保つそうなので、どんな時も一番美味しいところで飲めるシュプリとも言えよう。
「む。……………全部お腹に入れてしまったのか、お魚が消えうせましたので、ローストビーフ様に入りますね!」
「ネア、今年のローストビーフは柔らかいよ。ソースととっても合うの」
「まぁ。ゼノのお顔を見ただけで、絶対に美味しいローストビーフに違いありません!」
「可愛い、弾んでる…………」
「……いいか。お前は、それ以上弾むなよ」
「ローストビーフ様の前には、誰もが無力なのですよ…………」
「うわ。今年のローストビーフも美味しいね。ソースが一種類なのって珍しいなと思ったけど、このソースが一番なんだろうなぁ…………」
今年は、ヒルドがアーヘムとの外出で水棲棘子牛を釣ってきてくれたので、水棲棘子牛のローストビーフである。
柔らかな肉質の部位を生かし、蕩けるようなローストビーフにはグレービーソースをたっぷりと回しかけ、ホースラディッシュのようなぴりりとした辛さが美味しい、幸福の実と合わせていただく。
幸福の実はお祝い料理などでよく見かけられる食材で、可愛らしい緑の葉っぱのついた黄色い実だ。
そのどちらもローストビーフと一緒にぱくりと頬張ると、素晴らしい調和が口の中に生まれるのだった。
「そう言えば、今年の花火では妙な魔術構築の痕跡が見えるな」
「以前に、小さな陶器の人形を降らせた事があるのだが、今年もそのように配布物を付けようと思っているのだ。それを限定的な条件付けをして二種類降らせる為に、ノアベルトから教えて貰った魔術構築を使っている」
「条件付けでの付与は星の系譜の魔術だろうが、扱い方次第で、色味が大きく変わるぞ」
「……………ああ。それで、今でもまだ決めかねていてな」
「ありゃ。まだ悩んでいるんだ。僕は、どっちでも綺麗だと思うなぁ」
「一般的にだが夜空に映える色と、少し輝きとしては暗くなるが私が好きな色とで悩んでいてな………」
「うむ。エーダリア様の好きな色にしましょう」
「……………ネア?」
こんな時は自分の嗜好をあっさり最優先するネアが決めてしまえば、エーダリアが、鳶色の瞳を瞠ってこちらを見る。
お皿の上にはグラタンが多めに盛られているので、エーダリアも気に入っているのだろう。
「その他の花火であれば、大衆受けというものも大事ですが、リーエンベルクから上げる花火はエーダリア様が作ったものだと皆さんがご存知なのでしょう?であれば、エーダリアが好きな色の花火を打ち上げた方が、領民の皆さんも喜んでくれるような気がします!」
「そう、だろうか…………」
「私も、ネア様の意見に賛成ですよ。………いささか、そう言うのも気恥ずかしくはありますけどね」
(おや………?)
その時のヒルドが少し困ったように優しく微笑んだので、ネアは、どのような理由なのかを是非に確かめるべく、晩餐の後にはいつものリーエンベルクの屋根の上の特等席に移動した。
びゅおんと冬の風が吹き抜けるが、ディノが魔術で覆いをかけてくれているので寒くはない。
ラムネルのコートを着ればぬくぬくであるし、いつもの通りに厨房で作ってくれたホットワインを水筒に詰めて持ち込めば、贅沢なリーエンベルクのロージェの完成だ。
ネアは、ディノとアルテアの間に座り、わくわくと夜空を見上げていた。
空には雲一つなく、細やかな星が輝いている。
街の灯りが何とも美しいランプのようで、決して夜を損なう明るさではないのがいい。
リーエンベルクからそちらに向かう並木道の木々にも、住人達が集めてきて吊るしたオーナメントや魔術結晶や星屑などの煌めき揺れる。
これこそがまさに、ネアの大好きなバベルクレアの夜だった。
「……………おっと、間に合ったかな」
「まぁ。ウィリアムさんです!」
そこに、真っ白なケープを翻して、ウィリアムが到着する。
慌てて長椅子を詰めて席を空けると、ウィリアムは帽子を取りながら、ディノの隣に座り、ふうっと息を吐いるではないか。
(これは、疲れていそう…………!)
その様子を見てはっとしたネアは、用意しておいた小さめローストビーフサンドを慌てて取り出し、まずは、ホットワインと合わせて簡単な食事をして貰う。
しっかりした食事は下に戻ってからだが、何かお腹に入れておくだけでも違うだろう。
案の定、何も食べていなかったらしく、やっと人心地ついたと微笑んでくれた。
どおんと音がして、まずは最初のお知らせの花火が打ち上る。
「ふぁ…………!」
お知らせ花火とは言え、細やかな金色の雨が降るような美しい花火だ。
ネアは、食事中のウィリアムの為に椅子の上で弾まないようにしたものの、ぎゅっと拳を握ってしまった。
「……………綺麗だね」
「ええ。とっても綺麗ですね。やっぱり、バベルクレアの花火は大好きです」
「……………浮気」
「ディノ、悩んでしまうときは、まず浮気ではない時ですからね?」
「そうなのかい?」
ご主人様の大好きには少し敏感なディノだったが、今年は、誰よりも早くに花火の感想を言ってくれた。
それが何だかどうしようもなく嬉しくて、ネアはにっこりしてしまう。
どおん。
続けて上がった花火は、ウィームの商工会のものだ。
淡い緑色が深い青色に変わる色合いは、もはや誰に向けてのものであるかを言うまでもないだろう。
続けて上がると、夜空になんとも言えない美しい光の影が重なって、ネアは、それをうっとりと見ていた。
薔薇花火は、淡い薔薇色でふくよかな薔薇の香りがする。
今年はオレンジリースという花火が新作で、綺麗なオレンジ色にオレンジの香りがするものだ。
これは、オレンジを使ったイブメリアの飲み物を作っている屋台主が、宣伝も兼ねて打ち上げたものなのだとか。
色とりどりの紙吹雪のような花火に、今年も現れた、銀狐の顔を模した可愛い花火。
ネアはその直後、さっとアルテアの表情を確認してしまったが、ディノとウィリアムも同じことをしていた。
続けてボール花火も打ち上ったので、使い魔の心を案じたのである。
更にその後にも美しい花火が次々と上がり、アルテアがようやくいつもの表情に戻った頃、いよいよ最後のリーエンベルクの花火となった。
ネアは、打ち上げをする塔の方へ激励の意味を込めて大きく手を振り、待ちに待った家族の花火の時間がやって来る。
この花火が最後なので少し寂しくもあるのだが、それでも毎年楽しみで堪らない大好きな花火だ。
どおん。
少し置いて打ち上った花火は、これまでのどんな花火よりも大輪の花を夜空に咲かせた。
深く煌めくような、けれども鮮やかで強い光を放つ孔雀色の花火で、ネアは、ヒルドが気恥ずかしいと言っていた理由を知ってにんまりする。
孔雀色の花火は、後半からきらきらしゅわりと強い金色の光の粒に転じてゆき、夜空が一気に明るくなった。
「わ…………。なんて綺麗なのでしょう!」
「魔術の使い方で、主になる色が入れ替わる。今回は最初の色の方を選んだんだろうよ」
「むむ!本当です!また、あの綺麗な孔雀色に戻りました!!」
「他の土地で見てもそこまで気にした事はないんだが、ウィームの花火はやはり綺麗だな」
「こうして、みんなで楽しむからかもしれませんね」
「おや。何か落ちてきたようだよ」
「……………こ、これは!!」
きらきらと細やかな何かが、雪のように降ってくる。
目を瞠ったネアが手を差し出すと、それは小指の爪先程の小さな煌めく欠片になった。
手のひらの上に着地すると、しゃりんと音を立てて複雑な光を放つ。
「ほ、星屑です!!」
「……………成る程な。蝋燭にするには惜しい、小さな願いが叶う程度のものを貯め込んでおいて、ここで放出したか」
「ネア、こちらにも落ちてきたよ」
「むが!ほしくず!!」
「…………エーダリアはいい領主だな。漂流物のような領民に被害を出した年にこそ、このような花火は喜ばれるだろう。……………ん?…………星屑じゃないものも混ざっているみたいだな……………これは、ボール?」
「……………は?」
ここでまさかの、エーダリアがボールも降らせている疑惑が持ち上がり、アルテアが再び顔を顰めてしまう。
しかし、ネアがウィリアムの受け取った小さな円形の物体を検証したところ、房飾りと輪っか状になったリボンの下げ紐があったので、オーナメントとして飾り木に飾れるものだと判明した。
「ですが、この場合もボール状の飾りという区分ですので、ボールという事には変わりなく……」
「アルテアが………」
「ただの円形のオーナメントだろうが。古くからある意匠だぞ」
「……すみません。うっかりボールに見えてしまって………ん?この配色、どこかで見なかったか?」
「ノアベルトが、アルテアから貰ったと話していたボールに似ているね」
「ま、まさかノアが………」
「……………このくらいの色の重なり、珍しくもないだろうが」
(確かに、素材が違うから似ているだけかしら。灰色の綺麗な薄い硝子のようなボールオーナメントに、赤紫色の房飾りとリボンループがついているせいかな………)
ネアもそう思おうとしたのだが、屋内に戻ると、ヒルドに叱られている義兄がいた。
手のひらに収まるくらいの小さな硝子のオーナメントは、とても疲れている人の手元でだけ、降らせた星屑の一つがそちらに変わる仕掛けなのだそうだ。
全部で三種類だった筈なのだが、ノアが勝手に、お気に入りのボールの配色に変えたものも混ぜてしまったらしい。
犯人は、大好きなボールをみんなにも自慢したかったと供述しており、うっかり条件に該当してまさかのオーナメントを引き当ててしまったウィリアムも、やや遠い目になっている。
ネアは、手のひらの中の小さな星屑に、今夜は使い魔がゆっくりと眠れますようにと願いをかけておいた。




