飾り木の影と賑やかな夜
その日の夕刻、ネア達は、たまたまリーエンベルクの大きな飾り木の見える部屋にいた。
ディノは、訪ねてきたグレアムと剥離手の話をする為に外客棟の一室にいて、その際にウィーム中央にあるという何かの治安組織の話もあるというので、ネアはお留守番となったのだ。
とは言えそのお留守番はすぐ近くの部屋で、エーダリアとヒルドと共にお茶をしながらリーエンベルクに飾られた大きな飾り木を楽しむという何とも贅沢なものだった。
三人は、栗のパウンドケーキを食べて雪香りとイブメリアの毛布という紅茶を飲み、何でもないお喋りを楽しんでいる。
場所は違えど、リーエンベルクのいつもの光景だ。
「お前のお陰で、久し振りにこんな休憩時間を過ごしたな。…………これから暫くは、飾り木が見える部屋で休憩をするのもいいかもしれない」
「ええ。部屋を変えるだけで気分も変わりますね。季節の祝福に触れるものですから、これからも取り入れていった方がいいかもしれません」
家族からそんな風に言って貰い、ネアはふんすと胸を張る。
休憩中の二人がネアの側に居てくれようとしただけの構図なのだが、窓から見える飾り木が思いの外綺麗で、何だかみんなでほっこりしてしまったという経緯であった。
なお、ノアは銀狐になって、ゼベルに散歩に連れて行って貰っている。
「そう言えば最近、ウィーム中央ではあまり見かけられていなかったムグリスの一団が、街へと続く並木道で目撃されているらしい。恐らく、並木道のどこかの木を拠点にしているのだろう」
「まぁ。これ迄は他の場所で過ごしていた子達が、行き先を変えたのでしょうか」
「今迄の越冬先に異変があったかもしれないので、一応調査はしているのだがな。アメリアの独自の調査によれば、たまたま風を避けて飛んでいたところで、ウィーム中央の煌めきを見て気に入ったらしい」
なんて綺麗なのだろうと思い下りてみて、土地の魔術の豊かさや食べ物の多さも気に入ったようだ。
本来ならもう少し早く渡りをする種の妖精であるが、この時期に移動していたということは、それまでにいた土地も過ごし易かったのだろう。
「そのように、状況に応じて季節の過ごし方を変えられる群れは、いいムグリスの長がいることが多いそうですよ。並木道では特に大きな混乱も起きていないそうですので、他の生き物達の住み家を奪う事なく、空いている枝などに上手く落ち着いたのでしょう」
「では、もしかするとそのムグリスさん達も、リーエンベルクの飾り木を見に来ているのかもしれませんね」
「ああ。それで、注意喚起も兼ねて伝えておいたのだ。慣れていない小さなお客は、あの飾り木を見て大騒ぎする事もあるからな」
「あまりにも綺麗で大興奮ということであれば、私もそうだったような気がします」
「そ、そうだったな………」
初めてリーエンベルクの飾り木を見た時、ネア自身も飛んだり跳ねたりの大騒ぎであった。
こんなに大きな飾り木が居住している建物の敷地内にあるのだと思えば、興奮のあまり夜にも外客棟にやって来ては、うっとりと美しい飾り木を眺めていたものだ。
「ただ、今回こちらに来ているムグリスは、ムグリス種の中でも少し違う系譜にあたるかもしれないとアメリアが話しててな、なので、もし…………」
エーダリアの言葉が途中で途切れたのは、窓の外で何かがぴかっと光ったからだ。
驚いたネアも立ち上がりかけ、あまりにも強い光に部屋の中には窓の向こうにある飾り木の影が落ちる。
ネア達が座っていたのがちょうど、その影の中だった。
「……………ここはどこでしょう」
目を瞬いたネアがそう呟いたのは、見た事もない賑やかな夜の中。
祝祭当日の日の街中のような、楽し気な賑わいであった。
いつの間にか外に出ているので、三人はまず、慌ててそれぞれの金庫から取り出したコートを羽織った。
「失礼、抱き上げますよ」
「ヒルドさん!」
防寒してしまうと、目を丸くして周囲を見回していたネアを、ひょいとヒルドが抱き上げてくれる。
いつも乗り物になってくれる魔物に比べると華奢なので心配になってしまうが、エーダリアとノアを同時に軽々と運んでいたりもするので力があることも知っていた。
「……………ここは、どこなのだろう」
そう呟いたのはエーダリアで、ヒルドに言われ、ネアを持ち上げているせいで片手が塞がってしまうヒルドの為に、自分の手でしっかりとヒルドの服を掴んでいる。
コート下に手を入れる形で、剣を通すベルトに手をかけているのは、万が一にでも離れ離れにならないようにということだろう。
周囲を見回して、ヒルドがふうっと息を吐く。
その表情は、幸いにも落ち着いていた。
「どうやら、先程の光で飾り木の影に入ってしまったようですね。……………三年前にゼベルとエドモンから報告が上がっている異変と同じものでしょう」
「ここが、飾り木の影の中なのか………」
「悪いものがいたら滅ぼせるように、ハンマーを取り出しておきますね」
「ハンマーはやめないか…………」
辺りは、いつの間にか夜になっていた。
とは言え、ヒルド曰くそこは飾り木の陰の中なので、いつでも夜であるらしい。
ネア達がいるのは、リーエンベルクの飾り木を取り囲む円形の広場だったが、そこには沢山の屋台が出ていて買い物に来ている人々で溢れている。
それだけを見れば影絵にでも落ちたのだろうかと思ってしまうところだが、実際のリーエンベルクの正門中の広場にはここまでの広さはない。
また、元王宮で現在の領主館となる建物が、さすがにここを解放したこともない筈だ。
なのでここはきっと、あわいのようなものなのだろう。
きらきらと落ちる飾り木の煌めきは、細やかに息づくように光っている。
リーエンベルクで保管されているものと変わりないオーナメントにもその光が落ち、結晶石のオーナメントや、天鵞絨にビーズ刺繍のあるオーナメントの影が足元の雪に映る。
唯一、飾り木に使われているリボンの色だけが違っていて、今年は綺麗なオリーブ色であったのに対し、この場所にある飾り木のリボンは深い青色であった。
ネアは、体を安定させる為とは言え少しだけ緊張しながらヒルドの肩に掴まると、大きな飾り木を見上げ、その上で輝いている星飾りを発見した。
こちらもいつものリーエンベルクの飾り木に使われているものと同じに見えるが、まるでプリズムに光を当てたような眩いきらめきを周囲に散らばらせている。
ふくよかな花の香りにおやっと思えば、広場の外周には美しい雪薔薇が咲き乱れていた。
真っ白なその花がリースのように広場を縁取り、訪れた人々の向こうに切れ切れと見える。
(……………ここにいる人達は、どのようなものなのだろう)
明らかにウィームの住人という特徴を持つ人々も多いのだが、誰一人として見覚えのない者達だった。
それでいて、異邦人ではなくこの土地の住人に違いないと言う、不思議な親しみも覚えてしまう。
妖精や竜も混ざっているが、一人として見知った者はなく、誰もが特筆するべきものもない冬の装いで、楽し気に屋台を見て回っている。
時折、得体の知れない奇妙な装いの人外者も混ざっているが、夢中で屋台料理を食べていたりするので、怖いとは思わなかった。
ホットワインの香りに、甘い祝祭の焼き菓子の香り。
ソーセージがじゅわっと焼ける匂いに、串に刺し、くるくると回されながら炙られるハムの塊から落ちる脂の香り。
「じゅるり……………。ハム」
「言うまでもないが、ここがどのような場所だか分かるまでは、何も食べてはならないぞ」
「はい。そしてエーダリア様も目をきらきらさせていますが、絶対にヒルドさんから手を離さないで下さいね」
「……………あ、ああ。あれは何だろう」
「まったく。言われている側からあなたは…………。飾り木の置物のようですね。金属の置物で、中に蝋燭を置いて熱で動く仕掛けになっているようです」
「ふむ。蝋燭の熱で、上の飾りがくるくると回るのですね。似たような物をどこかで見た事がある気がします…………」
一瞬、それは生まれ育った世界での事だったような気がしてぎくりとしたが、幸いにも、こちらでも見かけたことのある祝祭飾りであった。
ほっと胸を撫で下ろしていると、こちらを心配そうに見ているヒルドがいる。
いつもとは違う親密なまでの近さに、ネアは深い瑠璃色の瞳の美しさにはっとしてしまった。
「ゼベル達の時と同じであれば、すぐに戻れる筈かと。私がおりますので、ご安心を」
「ええ。ヒルドさんがいてくれるので、すっかり安心してしまっていました。ただ、何かあるといけないので、ディノを呼んだ方がいいでしょうか?」
「念の為にお願いしても?…………ただ、騎士達の通信端末や、ゼベルのエアリエルへの呼びかけも届かなかったと聞いていますので、ディノ様に来ていただくのも難しいかもしれませんね」
「まぁ。ディノが心配していないといいのですが…………」
ネアは、すぐにディノを呼んでみたが、やはり声は届かないようだ。
とは言え、同じ目に遭った騎士達の話を聞かずとも、何となくだが、ここは悪いところではないのだろう。
だが、好意的な場所が望ましいかどうかという話にもなってくるので、ネアは警戒は怠らないようにしておいた。
「エーダリア様、もし何か危険を感じたら、すぐに言って下さいね。ハンマーで滅ぼします!」
「なぜ、お前が真っ先に戦う前提なのだ。私とて、魔術師なのだからな……………」
「なんとなくですが、いざという時に敵を滅ぼす早さは、私の方が早いような気がします……?」
ネアがそう言うと、エーダリアは確かにという顔になってしまったが、慌てて首を横に振っている。
羽織った上着は金庫などに入れて普段から持ち歩いているものらしく、刺繍などの装飾は控えめだがしっかりとした守護も縫い込まれていることを示していた。
オーナメントの店に、小さなリースの店。
色鮮やかな蝋燭を売る店に、祝祭の模様の綺麗なリボンやレターセット。
祝祭の日から紡いだという毛糸や刺繍糸の専門店に、その奥にあるのはレースのお店だろうか。
小さな敷物に祝祭模様を刺繍して売る店や、ウィームらしい硝子のカップに繊細な彫りものを入れて売っているお店。
木彫りの飾り木は素朴な風合いで、ネアが持っているものにそっくりである。
何だか分からない細やかな物を売る店に、エーダリアが凝視している魔術書のような本を売る店まで。
賑やかな祝祭の夜だった。
その夜の中心には大きなリーエンベルクの飾り木があって、円形の広場には、スノードームの中のように細やかな雪も降っている。
人々は皆楽しそうで、そんな人波に紛れていると、こちらも少しばかり笑顔になってきてしまうのだから困ったものだ。
「……………何だか、幸せな場所ですねぇ」
「ああ。………皆が楽しそうだ。このような場所が、飾り木の影の中にあるのだな」
「影絵に近いものですね。古くより、人々の往来のある場所に建つ著名な建物や、この飾り木のような祝祭を象徴するものの足元には、こうした場所が出来ると聞いております」
「そう言えば、古木の根元で昼寝をすると、その木が最も美しかった頃の木漏れ日の中にいることがあると聞いたが、そのようなものなのだろうか」
「むむ。それにも興味津々です…………」
エーダリアとヒルドの考えでは、先程窓の向こうで何かがぴかっと光ったせいで飾り木の影が部屋の中にまで延び、ここに迷い込んだのだろうという事だった。
この季節のウィームは雪曇りが多いので、飾り木の影が濃く落ちることはあまりない。
だからこそ、体験例が少ないのかもしれないそうだ。
「それにしても、何が光ったのでしょう」
「恐らくは、話していたムグリスだな」
「なぬ……………」
「アメリアから、興奮すると光ると聞いたので、雪雷のムグリスではないかと推測されているのだが」
「ゆきかみなり…………」
何だか分からないが、二重属性となると強いムグリスなのだろうか。
そう考えて頷けば、単純に食べ物の違いで分岐する亜種らしい。
餌となる麦や植物の違いから体が変わり、結果として属性を違えているのだ。
「という事は、そのムグリスさんが飾り木を見て大興奮で光ったのですね…………」
「おや。そのようなことになりそうですね。観光客もおりますので、あまり光らないよう早々に慣れさせておきたいところですが…………」
「そうだな。祝祭当日に、周囲の者達がここに迷い込んで慌てないように、観光協会などを通して注意喚起をしておいた方がいいかもしれない」
「戻ったら、早速ダリルに連絡しておきましょう」
「ああ。………ん?」
ここでネア達は、ハムの串焼き屋台の近くで動かずにいたせいか、仕方がないなと苦笑した店主に、味見用のハムの切れ端を木の串に刺して貰ってしまった。
最初に渡されたエーダリアを含め、いきなりのご好意にみんなでびっくりしてしまったが、果たしてこれを食べていいのだろうか。
「ふぁ。いい匂いです………。ハム様………」
「そう警戒せずに、食ってみな。林檎だけを食べた棘豚の肉のハムだ。仄かな甘みがあって脂まで美味いぞ」
「じゅるり……………」
ヒルドも困惑しているし、エーダリアもどうすればいいのか分からずにおろおろしている。
折角のものなので食べたいのだが、果たして口に入れて支障はないのかどうか。
そう思った時のことだった。
「……………ほわ」
「戻ったな……………」
「戻ったようですね。……………おや、ハムはそのままですか」
「ネアが浮気した……………」
「まぁ。ディノ!」
ネア達は、いつの間にか先程の客間に戻っていた。
戸口にはしょんぼりしたディノが立っていて、隣には苦笑しているグレアムがいる。
「飾り木の影に入っていたんだな。先程、ムグリスが光っていたから、もしかするとと思ってこちらに来て正解だった。因みに、向こうでの飲食は問題ない。買ってきたものは食べて大丈夫だぞ」
「グレアムさん!……こちらは試食としての貰い物なのですが、では、いただきますね。……………むぐ」
微笑んだグレアムがそう教えてくれたので、ネアは我慢出来ずに串に刺さったハムをぱくりといってしまった。
(……………美味しい!)
まだあつあつでいただけたハムは、香草塩と思われるものと、甘みのある脂の味わいが絶妙な旨味を引き出しており、ネアは目を輝かせてむぐむぐする。
もうひと塊くらいはいただけるのだが、残念ながらもう戻ってきてしまった。
「…………また、行けるでしょうか」
「おや。では今度、連れて行ってあげようか。魔術的な条件を満たせば、下りられるところだった筈だよ」
「まぁ。では、約束ですよ?!」
「可愛い……………。引っ張ってくる……………」
またあの広場に行けるのだと知ったネアは、抱き上げてくれていたヒルドに下ろして貰い、串を握っていない方の手で慌ててディノの袖を引っ張った。
伴侶な魔物はへなへなになってしまい、グレアムは、そんなディノを見てにっこり微笑んでいる。
「俺も時々、仕事が立て込んで食事を食べ逃した時などに、あちらに下りて屋台の料理を食べていたんだ」
「そのような使い方も出来るのだな……」
「……エーダリア様。あの魔術書の店に行かれる際には、必ず私かノアベルトを同行しますように」
「ヒルド……………」
「影に下りるまでにいた場所に誰かが近付くと、すぐに戻ってこられる。そうではなくても、こちらで誰かが名前を呼んでもいいそうだ。何もなくても半刻も経てば元の場所にいるそうだぞ」
「そのようなことを知っている者がいて助かった。礼を言う」
「いや。俺も、久し振りに懐かしい気配に触れた。また今度、屋台を見に行ってもいいかもしれないな」
食べ終えたハムの串をじっと見ていたエーダリアに、グレアムが、普通の木の串なので保存しても意味がないぞと教えてくれている。
広場での話をディノやグレアムにしていると、ゆっくりと陽が翳り始め窓の外のリーエンベルクの飾り木は、あの広場でみたようにきらきらと輝き始めた。
ネアは、そんな窓の向こうの飾り木を見て、にっこりと微笑んでおく。
何はともあれ、やはりイブメリアの季節は大好きだ。
なお、大興奮で光り輝いてしまったムグリスは、リーエンベルクの飾り木がすっかり気に入ってしまい、その後も夜半過ぎまで正門近くの木の上から飾り木をじっと見ていたと、アメリアが笑顔で報告してくれたようだ。
あまりにも夢中なのでと、枝の元々の住人が件のムグリスに枝への一晩の滞在を許可してくれたそうなので、リーエンベルク前の並木道の住人達も、新しい住人を快く受け入れているのかもしれない。
ネアは、次に飾り木の影に下りた時には、必ずあのハムをたっぷり食べるつもりだ。
本日は少なめ更新です!




