誕生日と灰紫色の刺客 2
イブメリアを思わせる美しい夜の森の中。
細やかな光の煌めく木々の下で、親しい仲間とテーブルに着く。
グラスにはシャンデリアの灯りと星明りが煌めき、夜の中に切り取られた煌めきはうっとりとするような柔らかさであった。
こんな夜の森の中にいるのに屋内なので少しも寒くはないし、眠たくなったら簡単にテーブルを片して、では自室に戻らせていただきますと出来るのだからこの上ない立地である。
ネアはぷりぷりの海老を噛み締めると美味しさに爪先をぱたぱたさせ、優しい眼差しでこちらを見たディノにむふんと微笑みかけた。
とても儚い魔物は自分から微笑みかけたくせにへなへなになってしまったが、喜んではいるようなのでいいだろう。
「そろそろ、ケーキも出しておきます?ゼノは、あまり遅くまでいられませんものね」
「うん。グラストと夜の見回りがあるんだ。明日はグラストが休みだから、一緒にシュタルトのメゾンに行くんだよ」
「ゼノは、前回にシュタルトに行った時、逃げ出した子熊さんを捕まえたのですよね?」
「僕のグラストに甘えようとしたんだ………」
「お、お顔が!…………ケーキ!ケーキを切ります!!」
愛くるしいクッキーモンスターの表情がとても危うい事になったので、ネアは、慌ててケーキの準備に入った。
「では、お持ちしましょうか」
「はい!お願いします。………アルテアさん、本日のケーキはちょっぴり驚きの演出があるのですよ」
「………事故るなよ」
「ぐるる……」
すぐにヒルドが運んできてくれた夜結晶のワゴンの上には、硝子の蓋を被せたケーキが置かれている。
硝子の覆いの内側には白いクリームが見え、淡い炎が揺れているのでまるで蝋燭のようだ。
おやっと目を瞠ったアルテアに、ネアはいそいそと立ち上がり胸を張った。
どうしても得意げになってしまうので、敢えて心を落ち着けてからケーキの説明に入る。
「今年のアルテアさんのお誕生日ケーキは、ノアが教えてくれた燃えるケーキのお店の方がイブメリア用に売り出した、燃える果物クリームを使っているのです!一番人気の林檎クリームなのですよ!!」
「………あの店のクリームが、売りに出されたのか?」
「ふふ。お得意様限定で、ご自宅でも美味しい燃えるケーキをというお裾分けなのだとか」
説明するよりも見せてしまおうぞという事になり、いよいよケーキにかけられた硝子の覆いが外されることになった。
水織りの布巾をかけてヒルドがかぱりと持ち上げてくれると、ふわりと漂うのは林檎の甘酸っぱい香りだ。
今回は上が燃えてしまうのでと、白いケーキの上ではなく、側面にリースを模した薔薇の形のクリームがある。
側面なのでとても苦労したが、リーエンベルクの料理人に練習に付き合って貰い、何とか間に合わせることが出来た。
ケーキの上部ではぼうぼうと火が燃えており、林檎のクリームなので甘酸っぱいいい香りがする。
色は白一色なのだが、ケーキが燃えているという不思議さでとても贅沢なケーキに見えてしまう。
「…………花も作ったな」
「思っていたよりも、クリームの花への拘りが見えました………」
「これは、燃えているまま切り分けるのか?」
「いえ、切り分け始めると火が消えるのだそうです。上のクリームはあつあつですが溶けてはしまわずにクリームの食感をしっかり残しているそうで、…………美味しいのですよ!」
「……………僕、夢中で見ちゃった!ネアは味見したの?」
「ええ。アルテアさんの好きなお味かなと思い、ディノとノアと一緒に味見してみたところ、あつあつクリームとスポンジの組み合わせが、…………じゅるり」
がたんと音を立ててゼノーシュが立ち上がってしまったので、ケーキは急ぎ切り出されることになった。
本日の切り分け担当はヒルドで、ネアが入刀しようとしたところ、火傷しない筈のところでしかねないという大変不本意な疑いをアルテアにかけられてしまい、そちらもヒルドに任されたのだ。
ぼうぼうと燃えているケーキに、綺麗に磨かれたケーキナイフが入る。
すると、蝋燭のように燃えていた火がしゅわんと消えてしまい、ほこほことした湯気を立てるクリームのケーキという何とも不思議なものが現れた。
ヒルドは手際よくケーキを切り分けてくれたばかりか、側面のクリームの花が一番盛り沢山のところをちゃんとアルテアに渡してくれた。
二番目の部分はディノに渡され、目元を染めた魔物が嬉しそうにお皿を受け取っていた。
「…………これは、初めて食べるな」
「うん。あの店を紹介した僕も、このケーキは初めてだったんだよ。でもちょっと癖になる美味しさだったから、みんな好きじゃないかな」
「側面のクリームのお花の部分や、温かなクリームの下の部分はひんやりクリームという二重構造になっています。火傷する程ではないですが、あつあつですので気を付けて食べて下さいね」
ネアの注意喚起に、ディノがきりりと頷いてくれる。
アルテアは、初めてのケーキへの物珍しさが勝っているのかお皿の上を観察中で、ゼノーシュはもはやスプーンを構え終わっていた。
まずは一口、本日がお誕生日の魔物から。
アイスクリームやシャーベット用のスプーンで先程まで燃えていた部分を食べ、選択の魔物は赤紫色の瞳を瞠った。
無言で食べてから短く頷くと、さっとゼノーシュが次なる挑戦者になる。
「……………わぁ!……………クリームがあつあつだ。でも、ゆるくならないんだね。林檎とスポンジ部分との相性が良くて、凄く美味しい!」
「今回は市販のクリームなので、本職の方の力を大いに借りていますが、喜んで貰えて良かったです!」
「……………美味しい」
「ふふ。ディノは既にお気に入りでしたものね」
「うん。…………ネアが作ってくれた」
奥では、エーダリアが恐る恐る一口食べ、鳶色の瞳を瞠っている。
思ったより大きくいったので少し熱かったようだが、それでもふにゅりと緩めた頬の様子からかなり気に入ってくれたようだ。
ウィリアムもまずはゆっくりと口に入れてから、美味しかったのか二口目は少し手が早くなる。
ノアはヒルドが食べるのをわくわくと見守っていたようで、ヒルドが瑠璃色の瞳をふっと見開き、これは美味しいですねと言うととても誇らしげであった。
「…………あぐ!」
みんな反応を見てから、ネアも最初の一口を頬張った。
恐らくこのクリームには、相性があるのだろう。
林檎のような焼いても美味しい果物だと、あつあつのアップルパイを食べるような安心感のある美味しさとなる。
加えて、クリームの温度が、火傷はしないがあつあつだと感じられる絶妙な温度で、それが出来たてのケーキですという美味しさを嵩増ししてくれるのだ。
(………やっぱり凄く美味しい!クリームを温めると溶けて水っぽくなってしまうから、この食感のままあつあつでいただけるのが、とても新鮮なのだわ)
焦げてかりかりになることもなく、なめらかなクリームが舌の上であつあつのまま溶けてゆく。
寒い冬の日に、温かなスープを飲んだような満足感であった。
「ありゃ。ケーキを食べるのに夢中で、愛情たっぷりのところの比較をするのを忘れていた………」
「いちいち気にする事か?」
「わーお。自分は一番のところを貰ったからって、余裕だぞ…………」
「……………ケーキなくなっちゃった。僕、これなら丸々一個食べられると思う」
「ふふ。ゼノから言われる、最高の褒め言葉ですね」
「このクリーム、まだ売っているかなぁ…………」
形のいい眉をきゅっと寄せて、そう呟いたのはゼノーシュだ。
あまりの可愛さにネアはお代わりのケーキを捧げたくなったが、残念ながら、燃えるクリームのケーキは、人数分で切り分けて全員で食べきってしまった後だ。
切り分け担当がネアではなく、巧みに人数分に切り分ける技術を持っていたヒルドの功績故とも言える。
「三祝祭の前の日までという販売期間で、一日二十組限定販売でしたから、舎弟が脱走した今はまた売り始めている可能性もあるのではないでしょうか」
「……………僕も買ってきて、グラストの屋敷の料理人に作って貰う!ノアベルト、お店紹介してくれる?」
「いいよ。僕も一緒に行って、買ってこようかな。…………ネア、お兄ちゃんにまた作ってくれる?」
「むむ。クリームが手に入るなら、吝かではありません!」
「何日か埋まっている日がある。その日は避けろよ」
「食べる前提で注意される程、気に入ってくれたようです………」
「ずるい…………」
結局、ウィリアムも仕事が入らなければ来るということであったし、エーダリアが、さり気なく祝祭儀式などのない日がいいと言うので、またみんなで燃えるケーキを食べる日をやることになりそうだ。
ケーキの切り分けだけでなく、隠しておいた燃えるケーキの搬入を手伝ってくれたヒルドの方を見れば、小さく微笑んで頷いてくれた。
「ヒルドさん、有難うございました。ケーキのお皿選びから覆いとなる硝子の蓋まで、全部ヒルドさんが相談に乗ってくれたお陰で、みんなに美味しいケーキを食べて貰う事が出来ました」
「折角の祝いの席ですからね。こうして、お手伝い出来て何よりですよ」
「お兄ちゃんも手伝ったよね!」
「ノアは、味見をしてくれただけです?」
「…………あれ、そうだったっけ?」
「ご主人様…………」
「ディノは、味見の他に、洗った調理器具を拭くのを手伝ってくれましたよね」
「僕は食べた後、……あ、二度寝に戻ってたんだっけ」
ノアが僅かに情けなさそうな顔をしたので、くすりと微笑んだネアは、そんな義兄の魔物のとっておきの役割を挙げておいた。
「ノアが燃えるケーキのお店を紹介してくれなければ、この特別なクリームには出会えませんでした。なので、仲介的な助力をいただいたことにはなると思います」
「あ!それだ。……………うん。僕もケーキ作りに貢献していたぞ」
「先手を打って伝えておきますが、エーダリア様はその日はダリルさんと会議だったのですからね?」
「……………ああ。あの日だったか…………」
はらはらしていた様子のエーダリアは、不在にしていた日のことだと知って安堵したようだ。
ここで心配になってしまうのが家族という感じなので、ネアはやはり誕生日会とはいいものだなと思う。
(……………もしかしたら)
何回もお祝いをしている内に誕生日会にも飽きてしまい、一人、また一人と参加者が減るかもしれない。
身内の食事会というくらいの飾らないものだが、それでも本来は忙しい者達が多いのだ。
いつか、こんな日もあったのだと懐かしく思い出すのだろうか。
そう思うと少しだけ寂しくなったが、あまり会えなくなっても元気でさえいてくれればそれでいいのだ。
もう二度と、会えなくなりさえしなければ。
「……………ネア?」
そんな事を考えていたせいか、ディノに心配そうに顔を覗き込まれてしまった。
慌てて首を横に振り、お祝いの席に相応しい表情を作り直す。
とは言え、不安を言葉にしないで誤解されると拗れるので、思った事は素直に伝えておこう。
「ずっと、こんな風にみんなでお祝いが出来るといいなと思ってました。ですが、人間の家族のお祝いなども、年数が経つと集まりが悪くなったりするので、そうなった頃にはきっと、今日のことを思い出すのかなと………ディノ?」
「…………ずっと集まるのではないかな」
なぜか酷く怯えた表情でそう言ったディノに、ウィリアムやアルテア、ノアもこくりと頷いている。
だがここで、他の魔物達よりも多くの事例を耳にしていると思われるゼノーシュが、悲し気に項垂れた。
「……………人間はそうみたい。いつもの集まりやお祝いに飽きちゃって、他のことに興味を移すんだって。だから僕も、グラストにはずっと一緒にいろんなお祝いをするんだよって約束して貰った」
「……………そういうものなのだな」
「人間は、年代や環境の変化に応じて生活様式を変えていく種族ですからね。………ネイ?」
人間ではあるが毎年誠実に集まってくれそうなエーダリアも驚いていたが、ヒルドも頷いてしまったので慌てたのは魔物達だ。
ノアがいきなり腕を掴んだので、ヒルドは驚いたように羽を僅かに開いてしまっている。
「僕も、ずっと一緒にやりたいんだけど」
「……………私は別に構いませんが……………約定事は、障りにならないような結び方をして下さい。事情があって参加出来ない事も想定されますからね」
「…………じゃあ、体調不良と仕事で手が離せないって場合は外そうかな」
「ノアベルト。仕事でという表現だけで魔術を結ぶと、断りの建前の場合もあるぞ」
「うわ。ウィリアムが言うなら、そういうこともあるね。っていうか、そう言って断ってるでしょ?!」
「どんなときもでいいんじゃないかな…………」
「ぞくりとしました……。ディノ、体調不良と事件や事故中などは除いてあげましょうね……?」
「……………うん」
「幾つか、細かい分岐で条件付けをしておけばいいだろう。事例はゼノーシュが知っているなら、聞いておいた方が良さそうだな」
(……………これはまさか………)
とてもとても真剣な魔物達に圧倒され、ネアは、思っていた以上にお誕生日会を大事にしているのだと気付いた。
それが何だか嬉しくなってしまい、唇の端を持ち上げる。
ノアにぎゅうぎゅう縋りつかれているエーダリアと目が合えば、エーダリアも何だか笑ってしまっていた。
(ああ、嬉しいな)
それでもいつかは何かが変わるかもしれないけれど、どうやらここにいる生き物達が相手だと、物語本の完結の後の散会のような寂しい未来は来ないような気がする。
それが嬉しくて、ネアはもう一度、ピザ的なお料理を取りに行こうかなと思ってしまった。
「……………は!」
そしてここで、そろそろ贈り物を取り出す頃合いではないかと気付いたのだ。
「なんだ。…………言っておくが、ある程度しっかりと条件付けるぞ」
「そちらの約束については、私としても嬉しいばかりなのでいいのですが、そろそろ、アルテアさんへの贈り物を準備しようと思います!」
「妙なものにしていないだろうな…………」
「ふふ。今年は素敵な夜を過ごせる贈り物なのですよ!」
ネアは誇らしく宣言したつもりだったが、なぜか使い魔は疑わし気な眼差しになった。
慌てて、ディノに頼んで持っていて貰った贈り物の大包みを取り出し、どさりと現れた贈り物をこちらも用意して貰っていた台の上に置く。
「……………ネア。俺から訊くのもあれだが、…………なんで寝台を用意したんだ?」
「ここで広げて貰うのが最適な贈り物なのですよ。アルテアさん、あらためまして、お誕生日おめでとうございます!」
「…………その嵩からすると、寝具だな」
「ええ。開けてみて下さい!」
椅子から立ち上がると、贈り物を広げる台として用意された寝台の端に腰かけ、アルテアが贈り物の袋を開いてくれる。
しっかりとした布袋には二重リボンできゅっと巾着閉じが出来るようになっており、淡いセージ色に菫色のリボンが美しい。
しゅるりとリボンを解いて袋を開けると、中から取り出されたのは灰紫色の美しい毛布であった。
灰紫色といってもベースとなるのが白灰色に近いので、とても落ち着いた印象のものだ。
「差し色になるような色でもいいかなと思ったのですが、アルテアさんのお宅ではシーツが全て清純な白で意外に寝具の冒険はしていませんでしたので、合わせやすい色にしました」
「……………その表現の仕方をどうにかしろ。…………火織り、……いや、他の要素も入っているな」
「火織りの職人さんが、水織り風織りなどの世界中の様々な織り方を学び、夜織りという新しい織り方を作り上げたのだそうです。リノアールの寝具売り場の責任者の方に個人的なお付き合いがあり、お知らせをいただいて初期発注に加えて貰いました!」
「…………寝具を贈る意味は分かっているんだろうな?」
「たっぷりと一日の疲れを癒して貰うことでしょうか?……………むぐ?!」
なぜか鼻を摘ままれネアは怒り狂ったが、アルテアが小さく笑ったので問題はなさそうだ。
ただしその場合、罪なき乙女の鼻先を悪戯に犠牲にしてはならない筈だった。
「……………わーお。凄く良さそうだね」
「肌には触れない程度に、僅かな風の魔術の動きを感じるのだな」
「使っている方の、欲しい効果を動かしてくれる毛布なのですよ。冷え切って包まれば火織り効果でほこほこにしてくれますし、少し寝苦しい時には風でふんわりと、熱が出ている時やそろそろ毛布ではなくてもいいかなという時期になってくると水織りで爽やかにひんやりします!ありったけの効果を取り入れて極上の眠りを授けるというのが、夜織りの毛布の商品説明でした」
「既存の夜織りの製品と同じ区分になっているのか?この触感、…………織り手は、複数属性の魔術師か」
「元々は、ウィームの織物職人さんだったそうです。火織りの毛布の魅力に取りつかれてそちらに修行に出た後、今の織り方に辿り着いたのだとか。複数属性の織物は時間の座などに結ぶのがいいそうで、今回は寝具が主力商品だったので、夜織りになったそうです。………なお、織り手さんは、ジッタさんの遠縁にあたる方なのだそうですよ」
ネアが最後の説明を付け加えると、なぜかみんなが納得したようだ。
ここでそろそろ退出となるゼノーシュが、後で感想を教えてねと言い残して部屋を出る。
使用感が良ければグラストへの贈り物にすることも検討するようだが、確かに、体を酷使する騎士には向いた贈り物かもしれない。
「……………で、この寝台は?」
「ちょっぴり横になってみますか?」
「何でだよ」
「むむぅ!この毛布は、一度使ってみるとその素晴らしさに慄くものなのです。ディノも、試用品をリノアールで試してから、ずっと毛布の端を握っていたくらいなのです!」
「うん…………。他の毛布も好きだけど、これも好きかな」
「だからと言って、宴席の横で寝るのはおかしいだろうが。…………っ、おい!やめろ!」
アルテアの主張は当然であったが、送り主は身勝手で獰猛な人間であった。
ぐいぐいと体を押されて横倒しにされてしまい、その上からえいっと毛布をかけられる。
ネアが上からさっと押さえてしまうと、慌てたように伴侶の魔物が回収に現れた。
「浮気…………」
「むぅ。今のは、使い魔さんが逃げないようにする為の重しなのですよ?」
「……………アルテア?」
ディノに名前を呼ばれてはっとしたが、直前まで選択の魔物は目を丸くしていた。
どうやらこの夜織りの毛布の素晴らしさを知ってしまったようなので、ネアはにんまりと微笑みを深める。
「アルテアの様子を見ていると、かなり寝心地は良さそうですね……………」
「……………使い心地は、まずまずだな。……で、何でこれにしたんだ?」
「アルテアさんは、どうしてもよく事故ってしまうので、短い時間ですっきり疲れを取れるようにしました。今まで、ついつい疲労回復の効果があるものや生活の手助けをするものはウィリアムさんにと思いがちでしたが、よく考えるとアルテアさんもかなり忙しい方なのです…………」
「事故だけ外しておけ。……………品物としては悪くはない」
「ありゃ。今の言い方だと、結構気に入っている感じかな」
「……………お前が話していた刺繍は、足元の部分のものだったのだな」
ここで、エーダリアがそう言い、皆の視線が毛布裾の刺繍装飾に集まった。
風織りの魔術の風向きがあるのでと、毛布の上下を分かり易くする為に施された装飾なのだが、この刺繍は発注時にモチーフが選べる。
「この部分の刺繍柄は、アルテアさんのリンデルの模様になりましたが、当初は海老柄と迷ったのですよ」
ネアは、我慢しきれずにそこも明かしてしまった。
もしかしたらアルテアは海老柄の方が欲しくて、そう考えたネアに、さすが素晴らしいご主人様だと感服するかもしれないではないか。
「……………海老?」
「剥き海老です!頭があると、少し生き物感が出て怖いですものね」
「……………絶対にやめろ」
「むぐぅ……………」
「ネアに、海老はやめた方がいいのではないかなと言ってしまったのだけど、海老でなくて良かったのかい?」
「当然だろうが。これが正解だ。二度と、海老柄なんぞ考えるなよ?!」
「ぎゅむ。……………結果として正解に辿り着きましたので、その過程の試行錯誤はぽいしましょう」
「……………待て。他にも候補の柄があったのか?」
「ちびふわと、フルーツケーキと……」
「却下だ」
「ぐぬぅ…………!」
この時のアルテアは、寝台に腰かける形で毛布をまだ膝にかけたまま座っていた。
ネアは、なぜ剥き海老を最有力候補で残してしまったのかを、ノアやエーダリア達と話していたところで、くすりと笑ったウィリアムに気付いた。
おやっと目を瞠ると、唇に人差し指を当てたウィリアムが、視線で寝台の方を指し示す。
ゆっくりとそちらを見てみれば、アルテアが目を閉じていた。
「……………まぁ」
「え、この毛布、寧ろどんなえげつない効果が入っているんだろう…………。ジッタの遠縁ってことは、ウィームの旧王家側だよね……………」
「もしかすると、フォントレかもしれないな。子供の頃に織り上げた布が、走って逃げだしたという逸話を持つ職人がいたと聞いた事がある」
「そ、その方です!フォントレさんでした!」
「やはりそうか…………」
皆が席を立って贈り物を見にきていたので、周囲でそんな会話をしていても、アルテアは眠っているようだ。
すやすやと眠っている使い魔に、ネアは微笑みを深めると、そっとその場を離れた。
「さてと。アルテアは寝ちゃったから、僕達はもうひと飲みしようか。エーダリア、これ開けていい?」
「リーエンベルクの貯蔵庫から出してきた、雪花とプラムの酒なのだが、………主賓が眠っているのに開けてもいいのだろうか」
「うん。開けちゃおう!」
「アルテアは、起こさなくていいのかい…………?」
「少しだけ寝かして差し上げてから、お誕生日会の酒席にもう一度戻れるくらいのところでまた起こしてあげましょうか。この毛布は、休養を必要としていない方までは眠らせないということでしたから」
「うん。ではそうしようか。…………もう一度、ローストビーフを食べるのかな?」
「はい!ついでに、海老がちょっとだけ残っているのでいただこうと思うのですが、…………アルテアさんもまだ食べるでしょうか?」
「いいんじゃないか?さっき、随分と食べていただろう」
ウィリアムが、そう言ってくれたので、ネアは残っている海老を食べてしまった。
暫くして起こされたアルテアが、顔を顰めて席に戻り、雪花とプラムのお酒をグラスに注がれている。
だが、そんな使い魔は仮眠を取った事でお腹が空いたのか、再び海老を取りに行ってしまい、空っぽのお皿を見て静かに呆然としていた。
ネアは慌てて視線を逸らし、お皿の上にあるのはローストビーフだけですよというふりをしておく。
海老の尻尾はピザ的なとろとろチーズパイの下に隠れているので、このまま上手く隠し通そう。
きゅぽんと、またノアが新しいお酒のコルクを抜いている。
とろふわ手触りの灰紫の刺客に最後の海老を食べる機会を奪われたアルテアは、やや憮然とした面持ちで牡蠣を手に戻ってきた。
「よーし。今日は沢山飲むぞ!」
「ネイ。くれぐれも脱がないようにして下さいね」
「ありゃ…………」
「アルテアさん、牡蠣は美味しいですよね!」
「そうか。お前だな…………」
「ぎゃ!ばれてる!!」
「大人げないですよ、アルテア。また自分で買えばいいのでは?」
「言っておくが、あのハイフク海老は、冬季は本来出回らないものだからな」
「とてもねにもっているようすなので、おなかをなでておきますね…………」
「やめろ。……………お前の情緒は、あれだけ海老を食っても戻らなかったのか」
「海老との因果関係がおかしいのですよ…………」
「カタログを見るかい?これは、グレアムが持って来てくれたものなのだけれど、先に渡したものと同じ日に配られた増刊号なのだそうだ」
「……………増刊号?」
幸い、家具のカタログでアルテアのご機嫌は直ったようだ。
しかし、いい具合にお酒が入ってきたノアが、寝台の上に袋に戻されて置かれている毛布の方を見ているので、全裸や狐姿であの寝台に飛び込んでしまわないように、注意しておいた方が良いだろう。
毛布まで使ってしまうと、さすがにアルテアが怒りかねない。
広間の中の森の向こうの窓を見れば、はらはらと雪が降り始めていた。
開始頃までは夕暮れの青さを映していた窓が、すっかり夜の色に変わっている。
柔らかな光の中で、歓談の時間はまだまだ続くようだ。
この先に必要なのは酔い覚ましの薬だと思われるので、こっそり首飾りの金庫から取り出し、ノアの近くに置いておこうと思う。
すっかりみんなでいい気分になってしまい、リーエンベルク勢からの贈り物があったことをエーダリアが思い出したのは、夜がだいぶ更けてからであった。
書籍作業の為、明日の更新は〜5000文字程度の短めとなります。




