誕生日と灰紫色の刺客 1
はらはらしゅわんと、雪が降る。
祝福豊かな雪が降っているのは、選択の魔物のお誕生日会だからだろうかと考えていたら、ノアとヒルドの会話の内容からどこかの会の会報が出た日である為だと判明したので、恐らくエーダリアの会だろう。
という事は、昨日の狼頭の騎士の持っている会報は一号古いものになってしまったのだなと思うと、何やら寂しい気持ちになってしまい、ネアは眉を下げた。
ふっと落ちた人影に振り返り、目を丸くしたのはその後だ。
「…………いいか、こいつを、廊下に野放しにするな」
「まぁ。狐さんは何があったのでしょう?」
こつこつと音がしてアルテアが会食堂に入ってきたので、誕生日会の開会が待ちきれないのかなと思えば、なぜか涙目でむぎゃむぎゃしている銀狐を小脇に抱えているではないか。
そしてもう片方の手には、房飾りのある紺色のボールを持っていた。
何かがあったに違いないので、ネアは慌てて隣に座っているディノと頷き合った。
「ノアベルト、………どうしたんだい?」
「アルテアさんが持っているのは、私とディノで買ってあげたボールですね………」
「廊下に置かれた飾り棚の下にボールを入れて、取れなくなっていたぞ。いい加減そこをどうにかしろ」
「となると、全ての棚の下に狐さんがボールを押し込まないような魔術をかけて貰うとか……」
「ご主人様………」
思いつきで口にしただけなのだが、ディノが困惑の眼差しでこちらを見たので、難しいのかもしれない。
となるともう、魔術に長けている塩の魔物本人に頑張って貰うのがいいのだろうか。
だが、因果関係的には、それもどうだろうという気がする。
「っ!!ノアベルト、………今日はボールの話はいけないと約束しただろう?!」
ここで、焦ってしまったのはエーダリアで、慌てて椅子から立ち上がった。
途端に銀狐がけばけばになっているが、今回は、話題に上げてしまった訳ではないのだ。
とは言えそれなら心に優しいかと言えば、そうでもないのがとても悲しい。
「…………ボールの話というより、よりにもよって今日、アルテア様が通りかかる可能性のある場所でボールを追いかけていたのが良くなかったのでしょうね」
額に片手を当ててそう呟いたヒルドに、ネアはこくりと頷いた。
「まぁ。狐さんがいっそうけばけばになりました…………」
「すまない。こちら側の誰かが側にいるべきだったな。………その、……………ノアベルトを助けてくれて助かった。………ノアベルトを?」
「エーダリア様。このような場合は何も仰らない方がいいと思われますよ。アルテア様、お手数をおかけしました」
「……ああ」
暗い目をしている選択の魔物は、どうやら、何とか表現を柔らかくしようとしたエーダリアの困惑にとどめを刺されてしまったようだ。
ネアは、そんな使い魔に歩み寄り、そっと背中に手を当ててみる。
こちらを見たアルテアの瞳は、とてもではないがお誕生日会を控えて喜びに弾む魔物のものではない。
強いて言うならば、この世の不条理に打ち負かされまいとする戦士の目だ。
「狐さんを保護してくれて、有難うございます」
「おい…………」
「家族ですので、お礼はしておかなければですからね。…………狐さん。さては、廊下でボールが取れなくてむぎゃわーだったのですね?」
「通り過ぎようとしたら、仰向けになって騒ぎ出したからな………」
「さっと目を逸らしましたので、まずいことをしたなという自覚はあるようです」
「…………このボールは、お前が用意したのか」
銀狐は手を伸ばしたディノに回収され、涙目で尻尾をけばけばにしたまま腕に収まる。
それもそれで複雑だという目をしていたアルテアは、ボールの贈り主も気になるようだ。
「はい。房飾りを上にして、ごろごろぶんぶんするボールなのですよ」
「…………確かに、下部に接面固定の魔術がかけられているな。……………それを、勢いよく飾り棚の下なんぞに押し込んだから、取れなくなったんだろう」
「ふむ。房飾りが引っかかる角度で押し込んでしまったようですね。同じような悲しい事故が起こらないよう、対策を練ってみたいと思います」
「……………俺はやらんぞ」
「ノアに相談してみますね!」
そう言ってから、ネアは密かにしまったと思った。
アルテアは、ボールを飾り棚の下に押し込む本人であり、だが、そのような悲しい事故が起こらないように対策を取る塩の魔物という二面性をまた思い知らされてしまったらしい。
無言でボールを握らせてきたので、ネアは神妙な面持ちで問題のボールを受け取り、頷いておく。
「せっかくアルテア様もいらっしゃいましたので、少し早いですが誕生日会を始めてもいいのでは?」
「そ、そうです!アルテアさん、そろそろお祝いを始めませんか?」
「ほお。そいつをそのまま参加させるつもりじゃないだろうな?」
「………私の義兄には、お着替えに行って貰おうと思います………」
かくして銀狐は人型の魔物に戻る為に一度隣室に下がり、ネアは、寄る辺ない孤独さを滲ませている使い魔の手を取ると、お誕生日会の会場まで案内することにした。
道中で、ゼノーシュが案内してきてくれたウィリアムにも出会い、終焉の魔物は、ご主人様に手を引かれて歩いているアルテアの姿に何かを感じたのだろう。
すぐさま、当たりのカードを引き当ててみせた。
「ネア。ノアベルトはどうしたんだ?」
「今、狐さんからもう少し落ち着いた装いにお着替え中です………」
「……そうか。…………アルテア、大丈夫ですか?」
「お前は黙っていろ」
「うーん。心配したつもりなんですが」
それでもわいわいと話しながら皆で向かったのは、リーエンベルクの外客棟にある中広間だ。
比較的、お祝いや酒席などで使われる事が多い場所なのだが、リーエンベルクの側の事情で内装が勝手に変わっていたりもするので、毎回同じ部屋で開催されるという感じはない。
「…………この広間は、何通りの内装があるんだ」
本日の主賓がそう言って眉を寄せているので、新鮮な驚きを提供するのには成功しているのだろう。
広間の中には深い深い森が広がっていて、針葉樹の木々の枝の上には星空が見える。
床石はまるで雪が降り積もったように白くとろりとした素晴らしい艶を帯びていて、針葉樹の木々に宿った魔術の細やかな煌めきが映っていた。
まるで、イブメリアの飾り木の森のようだ。
木々に宿るのは魔術の煌めきだけなのだが、それが細やかなイルミネーションに似た光を灯す。
木々の枝にはふかふかの雪が積もっているが、その表面の結晶には、部屋の中央に吊るされている大きなシャンデリアの輝きが映り、きらきらと光っていた。
開始を早めることを提案してくれたヒルドが何か合図を出していたのか、既に飲み物のテーブルにはシュプリの用意がしてある。
着替えが済んだのか、何食わぬ顔でそこに立っているのは人型の塩の魔物で、シュプリのコルクを抜きながらにっこりと微笑んだ。
食べ物や歓談用の椅子などがあるテーブルの横にだけ、これは間違いなく飾り木だろうという木があって、ふっくらとした艶のある金色のリボンが飾られているのがまた素敵だった。
きらきらぎらぎらではなく、しっとり艶めいたゴールドベージュ系のものなので、青みの強い針葉樹の緑と雪の白さにもよく似合うではないか。
「……………朝にも拝見して暫く見入ってしまいましたが、やはり綺麗なお部屋ですねぇ」
「イブメリアの祝福を受けた建材で基礎を造り、祝福を育てていったんだろう。………ここまで育つのは、ウィームの王宮だったからだろうな」
「これは、…………冬告げの舞踏会の控室だと言ってもいいくらいの、凄い祝福だな………」
「これ迄の経緯を踏んで、この部屋を開けるといいとリーエンベルクが判断したのだろう」
「僕、この広間を見るのは初めてかも……」
檸檬色の目を輝かせて広間を見回したクッキーモンスターの愛くるしさに、ネアは、今日もとても素晴らしい日であると確信した。
本来ならここで個包装のクッキーなどを進呈するべきなのだが、これからのお祝いで食べ物が沢山出てくるので食事の邪魔にならないよう今は控えておこう。
きゅぽんと音がして、シュプリの瓶が開いた。
「今夜は、イブメリアのリースと木苺のシュプリだよ。これは、ネアがミカから貰ったものだね」
「……………ラベルを見せろ」
「うんうん。そうなるよね。僕も驚いたけど、真夜中の座のメゾンの印が入っているから、新しい銘柄なんだと思う」
「…………初耳だぞ」
「ラベルがさ、ホーリートのリースに鳩とリボンなんだよね。もしかすると、贈答用に作られたシュプリの可能性もあるんじゃないかな」
何やらこそこそと話し合っている義兄と使い魔に、ネアは、先程の事故の影響は残っていなさそうだぞと胸を撫で下ろした。
銀狐の着替えに同行するという大役を終えたばかりのエーダリアも同じ表情なので、せっかくの誕生日会の日に蟠りが生まれないかどうか心配でならなかったのだろう。
ノアが細長いシュプリグラスに注いでくれたお酒は淡いピンク色で、細やかな泡が美しい。
この広間の夜の森を透かすとシュプリの色が赤紫色に見え、選択の魔物の瞳の色を思わせる深みに、ぱちりと泡が弾けた。
「グラスは行き渡りましたね。料理も揃ったようです。始めましょうか」
「はい!ヒルドさん、有難うございました」
「わぁ。雪斑鴨だ!ゼベルが沢山持ってきたんだよね」
「ええ。祝いの席での料理にいいからと、こちらにも届けられましたので」
「鴨さま……」
「よーし。じゃあ僕からお祝いを言うね!」
「……………ん?ノアベルトからなんだな?」
「そうそう。今年は、僕も色々と心配をかけたからさ。ネアに挨拶を代わって貰ったんだよ」
「……………いや、こいつでいいだろう。何でお前なんだよ」
「え、僕のお祝い聞きたくない?」
割と本気で不思議そうにしたノアのせいで、アルテアは目を瞠ったままぴしりと固まってしまった。
とは言え、魔術的な付与の生まれる高位の魔物による祝辞である。
ノアもそれを承知の上で、日頃の感謝を込めて切り出してくれたのだ。
「アルテア。僕を大事にしてくれて有難う。これからも宜しくね。…………ええと、…………誕生日おめでとう」
アルテアが言葉を失っている間に挨拶を済ませてしまうことにしたのか、ノアはちょっぴり照れながらそんなお祝いの言葉で、選択の魔物の誕生日会を始めた。
「アルテアさん、おめでとうございます!」
ネアも慌てて言葉を重ねたし、エーダリアやヒルドからもお祝いを言われている。
だが、最初の挨拶をまだ処理しきれていないらしいアルテアの様子に、ウィリアムとゼノーシュがそっと顔を覗き込んでいた。
「お労しい…………」
「……アルテア、シュプリは飲めますか?」
「……………お前は、本気で不安そうにするのはやめろ」
「アルテア。カタログを持っているかい?」
「いらん………」
本日の選択の魔物は、白いシャツに黒のジレという優美だが寛いだ装いだ。
クラヴァットは崩したリボン結びのようなお洒落な形になっていて、指にはいつものリンデルも見える。
雪の森の中にいるような広間ではあるが、室内は程よい暖かさなので上着がなくても大丈夫なようだ。
(ウィリアムさんは、お仕事を終えてすぐに来てくれたのかな…………)
対するウィリアムは、先日の装いとは違い、いつもの軍服である。
どこかの国でブルーベリータルトを巡る戦争が起きたと話していたが、それは一体何事なのだろうとネアは気になって仕方なかった。
後で、さりげなく聞いてみよう。
「わぁ。このシュプリ美味しいね!売り出してくれたら、僕いっぱい買うのに」
「…………ぷは!甘酸っぱくてけれども飲みやすい辛口の味わいも残っていて、何て美味しいシュプリでしょう!」
一口飲んだシュプリには、木苺とハーブの紅茶のような独特な風味がある。
木苺だけの風味だと、美味しいが甘いシュプリになりそうなところを、その香草茶を思わせる後味と辛口な仕立てできりっとまとめてあった。
ラベルの、赤い実をつけた緑のモミの木のような枝葉のリースを見ると、リースの素材は食べられるものではないのだが、まさしくこんなイメージの味だと感じてしまう、美味しいシュプリだ。
「……………いい味だな」
「ええ。これは美味しいですね。さすが真夜中の座ということか…………」
「美味しいね…………」
「まぁ。ディノも気に入ったのなら、ミカさんに伝えておきますね。気に入ってくれたらひと箱くれるそうですから、……………むぐ。そんなに一斉に振り返らなくても、皆さんにも配りますね!」
「やったぁ。僕、このシュプリを貰ったら、グラストにも飲ませてあげよう」
「……………アルテア、これ商品化は無理でも定期仕入れを持ちかけておく?」
「ああ。ミカだったら、交渉の余地はありそうだな」
お酒の趣味が合うらしいノアとアルテアが、そんな打ち合わせをしているのが聞こえてくる。
ディノとウィリアムが視線を交わして安堵している気配があり、ネアは、前菜の素晴らしきパテを取りに行くことにした。
「アルテアさん、今年のお祝い料理のパテは、水棲棘牛なのですよ!」
「…………パテにしたのか?」
「市場の仕入れなのだそうですが、香草畑を荒らしている時に捕獲されたものだったらしく、パテなどの風味も楽しめるお料理に向いているだろうということで、パテになったようです。氷上がりの実の入ったマスタードが添えてあるのですよ!」
「ったく。引っ張るな…………」
「わーお。ご機嫌だぞ…………」
「アルテアなんて…………」
ネアは、本日の主賓なので腕を引いて料理の説明をしたのだが、ディノがしょんぼりしていたので、こちらの魔物の三つ編みもそっと引っ張っておく。
嬉しそうに目元を染めてこちらにやって来たので、同じようにパテの説明をしておいた。
「……………これは、作り置きしておくと良さそうだな」
「騎士棟では、時々出るんだよ。グラストも大好きなの」
「私も、リーエンベルクに来たばかりの頃、夜食で出された事がある。気に入ってすぐに食べきってしまったら、翌日も作ってくれて驚いた」
パテを頬張り幸せに頬を緩めているネア達の隣で、ウィリアムやゼノーシュ、エーダリアが話題にしているのは、雪豚のリエットだ。
黄金色になるまで炒めた玉葱と干し葡萄も入っており、パンに載せて食べるものだ。
「ジッタさんが素敵なパンを届けてくれたので、急遽それも並べた結果ですが、あのリエットも間違いのない美味しさですよね」
「このパンは、どんな効能があるんだ?」
「もはや何かを諦めた穏やかさですが、ジッタさんの夜麦の黒パンは、イブメリアの時期だけの発売なのだそうです。皮が薄いのでがりがり齧るパンではなく、むっちりした美味しさなのですよ!そして、このパンを食べると眼精疲労が消え失せます!」
「……………消え失せるのかよ」
「大事な祝祭の時期ですが、年末にかけて忙しい方達も多いだろうと作られた、祝祭料理に添えるとお仕事の疲れを癒してくれるパンなのですよ。なお、ディノにはこちらに薔薇蜂蜜入りの素晴らしい睡眠を保証する祝福付きのパンも届いたのですよね」
「うん…………」
少しだけもじもじした真珠色の三つ編みの魔物は、まだ、ジッタからこんな風にパンを貰うと恥じらってしまう。
どうしたらいいのかも分からないようだが、大事にして貰えていることは嬉しいようだ。
そんなディノの姿を見て、ウィリアムも小さく微笑んでいる。
「ハイフク海老とアルバンの雪牛バターと大蒜のお料理は、祝福結晶化したローズマリーの風味がついているようです。ほわ、なまがき……………」
「待て。何でこの品質のハイフク海老が、この時期にこんなにあるんだ?!」
「あ、これね。ロマックの友達になった竜が、リーエンベルクに沢山届けたんだよ。……………グラストに近付いたら許さないけど、海老は食べてあげる」
「ゼノのお顔が…………。オレンジとコンソメのジュレと、フォアグフの素敵なタルトもありますからね」
「うん!今日のローストビーフは、赤葡萄酒と玉葱とコルトゥーラのソースも美味しかったよ!」
「まぁ。初めましてのソースです!」
アルテアは、パテを食べて優美にシュプリグラスを傾けると、満足気に頷いていた。
魔物達の食事の様子は、女性的ではないのだがひたすらに優美だ。
そんな中でも、一度に大きめにいただくウィリアムやゼノーシュと、標準仕様のディノやノアに分かれている。
そして、料理をするアルテアのみ、何かを確かめるような味わい方をすることもあった。
「さては、ご自身でも再現してしまう美味しさでしたね?」
「いい味だ。棘牛の状態もあるんだろうが、下拵えが丁寧なんだろう」
「…………む。そして、すぐさま海老を取りに行きました」
「アルテアは、やはり海老が好きなんだね……」
「ちびふわ姿でも、海老が止まりませんでしたものね……」
「ちびふわの時は、あまり沢山与えてはいけないのではなかったかな」
「そう聞きましたので、今後は控えさせなければいけないのだと思います。…………ウィリアムさん?」
「…………もしかすると俺は、ノアベルトの銀狐よりも、そっちの方が落ち着かない気持ちになるのかもしれないな…………」
「心を落ち着かせる為に、背中を撫でましょうか?」
「そうだな。頼んでもいいか?」
「ウィリアムなんて…………」
初めての食べ物もあった。
薄いパイ生地のようなものの中に、細かく刻んだ乾燥させたナツメヤシの実と、塩味の強めの味の濃いチーズがたっぷり入っている。
具材を内側に入れたピザのような感じで、食べるとチーズがとろりとしていて、ナツメヤシの実の僅かな甘みがいいアクセントになっていた。
スープは雪アスパラのポタージュで、料理の合間に小さなスープカップで飲むとほわりとお腹が温まる。
先日のウィリアムとノアの誕生日会に引き続き、料理などでも微妙な魔術の並びを整えているので、今回はネアの手料理はなしだ。
「ナツメヤシで、足りない部分の魔術付与を補ったのか…………。素朴だがいい料理だな」
「むぐ!これも美味しいでふ………」
「……………なつめやし」
「時々、市場にも乾燥させた果物のお店で売っているものですよ」
「この味はかなり好きだな。サナアークなどでも出そうだが、あちらは山羊のチーズが多いから難しいか………」
雪鴨の美味しさは、言うまでもなかった。
シンプルな調理方法で、ローズマリーの香りを付けて塩胡椒をしっかりとしてローストしただけなのだが、酸味が尖り過ぎない絶妙な美味しさのオレンジのソースを添えていただくと、足踏みしてしまう美味しさである。
火の通り具合も絶妙で、ネアの大好きな味だ。
「鴨さんは、時々口の中でほろりと崩れるような肉質のものにも当たりますが、こちらの、お肉っぽい食感の鴨の方が好きなのですよ。……………ふぁふ。美味しいです……………」
「良かったね。これは、何だろう………」
「そちらは、先日食べさせてくれたダムオンのシチューの話を聞いた料理人が、冬牛と雪草ジャガイモの茶色いシチューをパイに詰めて焼いたものなのだ」
「パイ様!」
エーダリアが話したシチューを、リーエンベルクの料理人はパイ入りにして再現してくれたらしい。
思い出の料理にもなるので、そんな心遣いが嬉しいではないか。
パイとあらばとネアも一個食べてみたが、齧って食べられるパイの中に、とろりとした茶色いシチューが入っているので美味しくない筈もないだろう。
ディノはこの料理がすっかり気に入ってしまったようで、嬉しそうにはふはふと食べている。
「そう言えば、アルテアさんのお持ちのちびふわ靴下は、へたってしまってはいませんか?付与魔術が薄れてきているようであれば、編み直すので言って下さいね」
「そうだな。次のものは、あの生き物を模して作るなよ」
「まぁ。ちびふわ靴下だからこその可愛さなのですよ?」
氷をグラスに入れる、からからという音。
ウィリアムが持って来てくれた蒸留酒が開けられ、アルテアがさりげなく牡蠣を足しにいく。
一緒に牡蠣を取りに行ったゼノーシュが、アルテアが来るようになってからリーエンベルクのご馳走の中に生牡蠣が入るようになったと嬉しそうに伝えていた。
(そろそろ、誕生日の贈り物を出してもいいのかな…………)
今年の贈り物は少し嵩張るので、出し時が難しい。
ネアは慎重に時期を見極めながら、分厚いのに柔らかく千切れるローストビーフの美味しさを噛み締めた。
ソースをかけずに食べても、充分に美味しいローストビーフである。
まずはそのまま食べるのが、ローストビーフにはなみなみならぬ執着のあるネアの作法であった。
「ところで、アルテア。ドゥムージュの回廊に辻毒を仕込んだのは、あなたですか?」
「それは俺だな。クライメルのものと間違えて掘り出さないようにしろよ」
「近日中に近くで戦になりそうなので、出来れば回収して欲しいんですが」
「術式の階位上げには、絶好の機会だろうが。そのままにしておけ」
「……………あまり戦乱が長引くようであれば、俺が壊しますよ」
「……………その場合は連絡を寄越せ」
そんな魔物らしい会話が流れてきたと思えば、ウィームらしい話題もある。
「エーダリア、リーエンベルクの正門前広場の術式はノアベルトだろうが、飾り木の見物客除けか?」
「いや、あれは誰かが善意で置いていってくれたものなのだ。ノアベルトとディノにも見て貰い、あの広場で祝祭の祝福を損なうような事が出来ないようにしたものだと判明した」
「…………誰の術式なのか、分かっていないのか?」
「そちらでしたら、騎士棟の外客受付に手紙とイブメリアカードが届いておりまして、ウィーム中央への寄付金代わりだということでしたよ。我々には名前を明かせないものの、バンルの知り合いということなので、問題もないでしょう」
「……………あの組織かよ」
「む。まるで秘密結社のような表現です…………」
白持ちでなければ構築が難しい術式なので、アルテアはノアベルトがやった事だと思っていたようだ。
遠い目でグラスを傾けている選択の魔物に、エーダリアは不思議そうな顔をしている。
ネアは、こちらの家族は決して一般人ではないという確信を胸に、深く頷いておいた。
「今年は漂流物の懸念などもあるので、守護を損なわないようにという配慮からのようだよ」
「だとしても、それで、アルテアの興味を引くくらいの術式を置いていけるのが、滅多にない事ですけれどね…………」
「………む。アルテアさんが、海老のお代わりに行ってしまったので、贈り物の授与はもう少し後にしますね」
「…………やっぱり、海老の模様が良かったのかな」
「むぅ。当初の予定通り、海老にしておいても良かったのかもしれません」
「え、それ何の話?贈り物だったら、海老はやめてあげて」
「あのね、僕も、海老じゃない方がいいと思う………」
「ネア、どんな贈り物だったとしても、海老の模様はやめておこうな……」
魔物達が一斉に首を横に振ったので、海老模様の贈り物に反対したディノはほっとしたようだ。
エーダリアとヒルドは顔を見合わせており、こくりと頷いたエーダリアからも、海老はやめた方がいいだろうと伝えられる。
「…………大好きなものに囲まれて、眠って欲しかったのですよ」
「どんな贈り物なのかの幅は狭まったが、ますますやめておいた方がいいのだからな?」
「ディノが海老はどうだろうと言ってくれましたので、アルテアさんのリンデルの模様にしました。今回はちょっと素敵なものなので、後でお披露目しますね!」
主賓がまだ食べるならと、ネアも海老を取りに席を立てば、後ろで皆が頷き合っているのが見えた。
内心焦りながらさり気なく会話を終わらせた人間は、どうやら、贈り物に入れた装飾刺繍は、海老にしなくて良かったようだぞと密かな安堵の息を吐いたのだった。




