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小さな夜の町と祝祭のソーダ




ウィームには、自然の川を利用したスケート場がある。


昔からこの土地に暮らす人々にとっては、そんな川でスケートをするのが冬のいつものお楽しみで、お気に入りのスケート靴を手に川に出かけてゆくことこそが、この季節のウィームっ子の嗜みだとさえ言われている。


尤も、ウィームっ子の冬の楽しみについては、歌劇場に行くことだ派と、イブメリアの屋台で買い食いをすることだ派も乱立しており、各派閥が苛烈な争いを見せているのだが、それは置いておいてもいいだろう。


ネアも例に漏れず、毎年スケート客の受け入れが始まるとそわそわし始め、売店でラベンダー風味の美味しい蜂蜜ホットミルクを飲むのを楽しみにしているウィームっ子の一人だ。



「本日の任務は、真夜中に出て貰いたいのだ。………お前にとって大事な睡眠時間を削らせてしまうことになるのだが…………」

「まぁ。今はもう、何か事情があるのだろうと察せるので、あまり荒ぶりませんよ?」

「あまり………」

「何か、真夜中にしか出来ないようなお仕事なのでしょうか?」

「……ああ。真夜中に、川のスケート場でスケートをして、確かめて欲しい事があるのだ」



前述の通り、ネアは今季も川でのスケート遊びを楽しみにしてきた。


そんな中でスケート場での任務が言い渡されたのだから、目を輝かせたのは言うまでもない。

それが、真夜中のスケート場で、閉鎖された入り口から川に入りスケートを楽しんでしまうと、見た事もない小さな夜の町に迷い込むと聞けば尚更だ。



実は、その報告が上がった際には、またしても漂流物の現れかと警戒されたのだそうだ。

だが、幸いにも、祝祭の庭にかかるようなあわいであるらしい。



最初の事件は、三日前の真夜中に起きた。

この季節は凍った川を帰宅路にしている学院の魔術師が、仕事が遅くまで終わらずによれよれになり、閉鎖された一般客用の階段を使って川に下りたところ、見た事もないような夜の町に出たのだという。


事件に巻き込まれたのが魔術特異点の研究をする魔術師だったこともあり、大興奮の魔術師の呼びかけで、その現象はすぐさま何人かの者達によって検証された。



その結果判明したのが、真夜中に閉鎖されている階段から川に出てスケートを楽しむという、不思議な町に行く為の条件付けであった。


領民の生活路としても使われているので、夜間でも早朝でも川そのものは開放されているのだが、その町への道が開くのは、夜間には閉鎖されているスケート遊び用のお客の為に特設された階段を使う時だけなのだとか。


検証を行ったのは、街の騎士団や学院の魔術講師達で、つまり、既に領民の何人かはそちらの町に出かけ済なのだ。

加えて、特に危険はないということまで判明しているものの、より高い階位から観測出来る者としてディノの目を借り、最終確認をしてきて欲しいというのが任務の内容である。



現れる夜の町はどうやらイブメリア時期であるらしく、クロムフェルツとの縁も考慮してネアが選ばれたという部分もあるようだ。



「ということなので、今夜は不思議な夜の町に出掛けます!」

「何かあるといけないから、紐を結んでおこうか…………」

「ディノ、この場合は手を繋いでおけば充分だと思うのですよ?」

「縛った方がいいのかな。…………それとも、繋ぐかい?」

「しっかり手を繋いでいれば、紐より安全だと思います…………」

「ネアは、いつも大胆過ぎる……………」



仕事中なのでと恥じらう魔物の手をえいっと握ってしまい、ネアは、持ってきたスケート靴のまま不格好にざりざりと降り始めの雪の上を歩いた。


(恐らく、川の上に出てからスケート靴を履いた方がいいのだとは思うのだけど………)


とは言え、階段から川に下りてすぐに夜の町に迷い込んだ者もいる。

どこで道が開くのか分からない以上、条件を取りこぼさないように事前にスケート靴を装備して、きちんと招き入れて貰うのがいいだろう。



(ああ、冬の匂いがする………)



ネアは、スケート靴を履いて雪の上を歩いていても少しもよろめかない魔物の体幹を羨みつつ、ディノと手を繋いで川へと出る階段を下りた。


なお、最初の魔術師がこの階段を使ってしまったのは、スケート遊びに来た小さな子供やお年寄りたちが転げ落ちないよう、階段そのものに滑り止め防止魔術がかけられているからだ。

スケート靴のまま使っていい階段になっていて、しっかりとした手摺もあるので、生活利用者向けの階段よりも安心して川に下りる事が出来る。


雪金石という青みがかった真鍮のような手摺を掴んで川に下りると、ふわりと夜風と雪の匂いがした。


どんなに雪が降っていても夜だけは晴れることも多いウィームの冬らしく、夜空には細やかな銀色の星々が瞬いている。



綺麗な夜だった。



それが嬉しくて何だかネアがにっこりしてしまうと、心配そうにこちらを見ていたディノが、星明かりだけの夜闇の中で瞳を瞠るのが見えた。


しっかり繋いだ手は、こういう時ばかりはなぜか温かいのだ。

夏場などはひんやり感じるので、外気に影響されない体温があるのだろう。


「大事な伴侶と二人で真夜中のスケートに出掛けるなんて、何だか秘密めいていてわくわくしますね」

「君は、夜に出掛けるのが好きだよね」

「ええ。………これはもう刷り込みのようなものなのですが、物語の中で魔法が動いたり、何か素敵で特別な事が起る秘密の時間は、いつだって夜でした。そのせいか、ずっとそのようなものに憧れていた私は、どうしても夜のお出掛けにわくわくしてしまうのです」

「では、君の好きなイブメリアの季節だから、また夜の予定を作ろうか」

「はい!」



微笑んで素敵な提案をくれたディノに、ネアは任務のことは少し忘れかけてしまった。

祝祭に向かうこの時期特有の美しい街並みを見ながらここまで来たので、既に心の一部は弾んでしまっている。

その上でイブメリアの季節だからという素敵なお誘いを貰えば、嬉しくない筈もないのだった。




その時だ。


ついっと滑りながら川の真ん中に向かっていたネア達の耳に、ちりんとベルの音が届いた。

白くけぶるような雪と星明りの夜の色相が変わり、ぐっと濃密な紫紺の色に包まれる。



そしてそこはもう、見た事もない小さな夜の町だった。



「…………ふぁ」


ネアが目を丸くして絶句してしまったのは、目の前に広がる小さな町のそこかしこが、あまりにもきらきらしていたからだ。


家々の軒先や窓辺には、モミの木に似た枝をみっしり飾り、そこには細やかな星屑のような光が煌めく。

いつの間にか、町の真ん中の広場の一部を凍らせて作ったらしい小さなスケート場にディノと立っている。



「………ああ。これは祝祭の庭の、飛び地のようなものだね」

「飛び地、なのですか?」

「うん。今年のイブメリアの祝福が、とても豊かだということだよ。今年は、漂流物への警戒もあって、冬告げの舞踏会をイブメリアと絡めて行っただろう?その際にあった事件も踏まえ、多くの者達が祝祭の地盤をしっかり固めようとしたのだろう。その結果、祝福がこぼれ落ちる程の潤沢になったことで、このように祝祭の庭の一部が見えるようになっているんだ」

「という事は、………ここは祝祭の庭なのですね」



ネアは、となるとクロムフェルツの私有地のようなものかと思ったが、違うようだ。

祝祭の庭には二通りあり、祝祭の主人の私有地と、同時にその祝福の守護を受ける土地のことをも示す。


今回は、後者の意味での祝祭の庭であるらしい。



「イブメリアの祝福や守護を受ける土地なのだろう。…………あわいや影絵のような気配は感じられないから、どこかに実在している町と見ていい。祝祭の道に迷い込み、どこかにある町を訪れていると言えばいいのかな」

「ここは、実在する町なのですね……!」



きらきらと、あちこちが光っている。

星屑に似た明かりをこれでもかと飾るのが、この町の作法のようだった。


冬夜の中にきらきらと煌めく明かりを好むウィームの祝祭飾りは、それでも、光と影の谷間をつける。

対するこの町は、家や教会がぴかーっと光り輝くくらいに明るいのが好ましいようだ。



(小さな町だからこそ家々の向こうに深い夜闇の森や平原が見えることで、その町だけがくっきりと浮かび上がるような賑やかさに見えるのだわ)



吹き抜ける風を目で追いかけると、どうやらここは山と森に囲まれた小さな土地のようだ。


自然の要塞にも似た景観を眺めながら、きっと、あの深い森を越えてこの町に来た旅人は、あまりの明るさに驚いてしまうだろうと考える。


小さな町だがどこからかお客が来るようで、スケート場の外には祝祭の屋台が数多く出ていた。


ネアは、ソーセージを焼くいい匂いや、甘いお菓子の匂いにすっかり魅せられてしまい、忙しくあちこちに視線を配る。



「……………君と以前に出掛けたサンクレイドルブルクより、少し西方のあたりのようだ。ネビアの統括地の端のあたりだろう」

「ディノは、周りの地形を見ただけで、ここがどこか分かってしまうのですね」

「でも、この町のことまでは知らなかったかな。………周辺の集落などには認識されているようだけれど、更に遠くからの旅人が来るほどの中継地ではないのだろう」

「ふむふむ。あくまでも、そう遠くない程度の土地からお客が来るくらいの賑やかさなのかもしれません」

「クロムフェルツ自身の守護の気配もあるね。…………向こうに見える、大きな飾り木のあたりかな。どうやらこの土地の人間達は、イブメリアにかける信仰や愛着が随分と深いようだ」



そう言われるとなぜか、負けないぞと思ってしまうネアである。


ウィームだってという思いで胸を張ると、もう一度だけ、骨付きソーセージを焼いているお店をじっと見つめる。



「…………このスケート場からは、やはり出ない方がいいのでしょうか?」

「うん。私達は、このスケート場にいる客達の中に紛れた、雑踏の影のようなものなのだろう。外に出て、この土地にしっかり足を下ろすと、帰るまでの時間が随分変わりそうだ」

「もしかして、…………現実のこの町から、ウィームに戻らなければいけなくなります?」

「そうなるだろうね。スケート場を区切る柵が、一種の境界になっている」



だから事前に、迷い込んだ場所からあまり動かない方がいいと言われたのだろうか。

検証を行った者達は、謂わば、ウィームに古くから住まう若干規格外の領民達ばかりだったので、ディノが気付いたようなことを無意識に察していたのかもしれない。



「祝祭のソーダはいかがですか?」



ウィームの川でも見かけるような、首から大きな木箱を下げた売り子がこちらについーっと滑ってきた。

刺繍を施した布を頭に巻いており、ふんわりしたスカートの下には厚手のズボンのようなものを穿いている独特の装いだ。


聞こえてきた売り子の声にはっとしたネアは、木箱の中で町の明かりに輝いているソーダの瓶を見つめ、ディノの手をぐいっと引っ張った。



「可愛い…………」

「あのソーダは、買ってもいいのでしょうか?お味も気になりますし、参考品としてエーダリア様達も喜んでくれそうです」

「うん。問題ないだろう。…………このあたりの通貨は、グルモン硬貨かな。………少し待っておいで」

「むむ!」



ディノ曰く、ウィームなどとは違い、そこまで多くの国々の人々の交流がない土地なので、決められた通貨での支払いがいいだろうという事だった。


こちらの魔物でも通貨などの種類は割と把握しているのだなと不思議に思っていると、魔術的な対価ともなるので、魔物達は比較的認識していることが多いらしい。


「このように、他の価値を受け入れ難い土地のものに限られるけれどね。他国の金貨や宝石や薬草などでの換金が出来る土地とは違い、私達も土地の決まりに従わなければならないことがある。……………これでいいかな」

「まぁ。銀貨です!」



ここでもう少し価値の低い硬貨を出せないのがディノなのだが、金貨でないだけ頑張ってくれたのだろう。

ネアは、売り子の少女に声をかけ、ここのソーダは大好きなのでと言い訳をしてから、銀貨で買えるだけを購入することにした。


もしかするととんでもない量になるのではと予測していたものの、購入出来たソーダは十三本となる。

思っていたよりも、物価の高い土地であるようだ。


ネアは、受け取ったソーダ瓶を腕輪の金庫に押し込み、一本だけ手に取って、美しい祝祭の町並みを透かしてみた。


「……………気に入ったかい?」

「ええ。きらきらの町の明かりが映ると、ソーダの中の綺麗な泡が煌めいてなんて綺麗なんでしょう。飾り木の絵のあるラベルも素敵なので、後でこの瓶は綺麗に洗ってディノとのお仕事記念に取っておきましょうか」

「……………うん」


大事な魔物の嗜好を見込んでそう言えば、ディノは嬉しそうに目元を染めた。

体を寄せて、嬉しそうにソーダの瓶を覗き込んでいる。



(そしてこの土地にも、ソーダという名称があるのだわ。…………しゅわしゅわしているし、きっと炭酸水のようなものなのだろう)


ソーダという名称を持たない土地もあるので、そんなことを思って美しい星空を見上げた。


スケート場の外の屋台では、小さなオーナメントなども売っているようだ。

レース編みのお店も見えて興味津々なので、いつか、本当にこの町を訪れてみるのもいいかもしれない。



「そして、ソーセージの匂いが…………」

「うん。気になるのだね………」

「ふぁい。帰ったら、まだ開いている食料品店でソーセージを買ってみせます…………」

「ザハの通りの店は、まだやっているのではないかな。この時期は、近くの野外公演が遅い時間までやっているだろう?」

「は!で、では、そちらを経由して、屋台のソーセージを入手してから帰りましょうね」

「うん。そうしよう」


他にも持ち帰れる情報はないだろうかと周囲を見回していると、大きな屋敷の軒下に、車輪を模したような不思議な祝祭飾りが見えた。


何やらやたらと菓子包みをぶら下げてあるので目を瞠っていると、近くで滑っていた老婦人が声をかけてくれた。



「あら、隣町の方かしら。…………あれはね、モンモンの車輪飾りと言って、この土地の古い冬の祝祭の象徴だったのよ。祭司だった一族がいなくなって冬の祝祭がイブメリアに統一されてからは、古い祝祭の系譜の方達がお腹を空かせないように、ああしてモンモンの車輪飾りにはお菓子や乾燥肉をぶら下げておくのが習わしなの。イブメリアの日には、ご馳走の祭壇も飾るのよ」

「……………まぁ。それは素敵な習わしですね。きっとその方達も、安心してご馳走を食べているに違いありません」



ネアに車輪の意味を教えてくれた老婦人は、にっこり笑ってまた反対側に滑っていってしまった。

廃れる筈の祝祭がこうして共存している様を知り、ネアは何だか心の中が温かくなる。



(もしかすると、これを見せて貰う機会だったのかもしれない)



偶然引き受けた任務だったのだけれど、そんな事を考えてしまう。

何だか幸せな思いでディノと手を繋いで滑っていると、また、ふつりと目の前の色相が変わった。



ひゅおんと吹き抜けるのは、真夜中の川沿いの冬の風だ。



「……………むむ。戻ってきました!」

「ウィームに戻ったようだね。エーダリアには、スケート場の外に出ないようにということと、土地の様子を伝えておこう。決して悪いものではないから安心していい」

「はい!今日は、お仕事ではありましたが、ディノと二人で少しだけ異国に行けてしまえた日でしたね」

「可愛い…………」

「屋台のソーセージを買って、しゅばっと帰りましょうか」

「うん。そうしよう」



階段を上がって川岸に作られた遊歩道に戻り、スケート靴からいつもの靴に履き替えると、ディノはすぐさま繋いでいた手を三つ編みに入れ替えてきた。


気付かれてしまったかと少し残念だったが、これがいつものネア達なのでまぁいいだろうか。



ネアが、串に刺した焼きソーセージを頬張りながらではあるが、危険な場所ではなかったと報告に戻ると、エーダリアは予期せぬ祝祭のソーダのお土産に目を輝かせてくれた。


聞けばあの町は、ヴェルクレアでは名前だけは知られているが、どのような民族が治めているのかも知られていなかったほどの小国であるらしい。



その日の夜は、みんなで異国気分で祝祭のソーダを飲んでみた。

僅かに生姜の風味のある美味しいソーダには、明るく輝く遠い国の祝祭の町の光がまだ残っているかもしれない。








本日の更新は、書籍作業の為に短めとなります!

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