お城の家と誕生日のケーキ 2
しゃわんとまた音がして、魔術が動いた気がした。
魔術の煌めきが見えないネアですらこうなのだから、きっとエーダリアにはもっと素敵なものが見えているのだろう。
そう考えながらローストビーフを頬張っていると、向かいの席でちびちびとシュプリを飲んでいるノアが見えた。
あまりにも嬉しそうに飲んでいるので、アルテアが少し複雑そうな顔になってしまっているくらいだ。
余程このシュプリが飲みたかったのだろうなぁとネアまでほっこりしてしまい、またグラスを傾ける。
(味わいというよりも、付与効果のようなものなのだろうか)
グラントートは、細やかに咲きこぼれ、弾む音楽のようなシュプリだ。
勿論とても美味しいのだが、それ以上に飲んでいる時の幸福感が素晴らしい。
大好きな音楽や物語に触れて、ついつい唇の端が上がってしまう時のような楽しさがある。
そんな美味しさを堪能し、食事の時間が始まった。
「このお家は、どれくらい前からあるのですか?」
「そろそろ、五百年くらいだろうな。まだそこまで長くはないんだ」
「ごひゃくねん…………」
「お前がこっちの趣味に傾いたのは、どこぞの村暮らしの後だったからな」
「その前から、このような屋敷が欲しいと考えてはいたんですよ。ただ、切迫した欲求でもなかったので仕事を優先していましたから」
そんな話をしているウィリアムとアルテアから視線を戻し、ネアは隣で幸せそうにグヤーシュにクネドリーキを浸している魔物を見た。
気付いたディノがおやっとこちらを見てからクネドリーキを差し出そうとしたので、慌ててぶんぶんと首を横に振った。
「ディノは、こういうお屋敷を持とうと思った事はあるのですか?」
ネアがそう聞いてみると、ディノは水紺色の瞳を僅かに瞠る。
他の魔物達も気になったのか、ディノの答えを待つ気配があった。
「…………このようなものを知らなかったから、欲しいと思った事はないかな」
「ふむ。確かに知らないと、欲しいと思うのも難しいですよね」
「うん。…………今は、このくらいでいいと思うよ。でも、君は私の城も好きなのだろう?」
「あのお城には、綺麗なところが沢山あるのですよ!小さなお家は私が別宅を持っているので、そちらで楽しめますしね」
「ご主人様!」
「なぜそちらに向かったのだ………」
儀式的なお祝いだからと言って、話題が制限されることはないのだそうだ。
ただし、お祝いの工程を外れるような振舞いは禁止されており、ウィリアムとノアのそれぞれの魔物としての資質を生かすので、擬態などで魔物としての部分を閉ざすのも良くないらしい。
「ということは、今日はウィリアムさんをちびふわにして、放り投げたりは出来ないのですね……………」
「ネア。それは、出来れば普段から控えてくれた方が嬉しいんだが………」
「ノアも、狐さんになれないそうですよ」
「………何で俺に言うんだよ」
「ありゃ。なれないんだった」
「ノアベルト?」
ゆっくりとそちらを振り返ったアルテアにも動じず、お誕生日会の塩の魔物はシュプリグラスを持ち上げてお代わりを強請っている。
銀狐の正体が開示されてから、ネアの義兄はすっかりアルテアに懐いてしまった。
「やっぱり、正体を知られても受け入れてくれたのが、相当に嬉しかったのでしょうか…………」
「そうなのかな……。アルテアに、カタログを持たせておくかい?」
「今はお食事中なので、終わってからにしましょうか」
「………ネア。その、毎回カタログで収めようとするのも、どうかと思うのだが…………」
エーダリアには困惑したようにそう指摘されたが、こちらのウィーム領主は、アルバの街でご主人様のことすらストール掛けとして認識した選択の魔物の狂態を知らないのだ。
なのでネアはにっこり微笑んで、これでいいのですよと伝えておく。
「狐さんにとってのボールのようなもので…………むが?!鼻を摘むのはやめるのだ!」
「いい加減にしろよ………」
「ぐるる!私は、アルテアさんにクリーム入りの珈琲を飲み干された事を忘れてはいませんよ!」
「…………は?」
「し、しかも、忘れています………!!」
「あの時は、カタログを読んでいたからなのかな………」
スープ用のカップに、コンソメスープを注ぐこぽこぽという音。
お皿にグラタンを取り分けて貰い、鶏の香草焼きにはウィリアムが切ってくれた甘い果実を添える。
飲み物は、シュプリに続いて葡萄酒や蒸留酒なども出され、話題はなぜかエーダリアのグラタン作りの話になった。
「先日、休みの日に挑戦してみたのだが、なかなか難しいものだった。均等に火が入らないのだな」
「オーブンは温めていおいたのか?」
「ああ。だが、まだ料理用の魔術の管理が不得手なのかもしれない。他の分野に比べ、ここまで緻密な調整が必要になるとは思わなかったのだ」
「料理の場合は、素材の状態によっては手順が狂う事があるからな」
苦笑したウィリアムにエーダリアが深く頷き、ネアは、終焉の魔物のお手製グラタンなどにも興味を引かれる。
ちょうどはふはふしながら食べていた選択の魔物作のグラタンは、上のチーズに均等に色が入り、如何にも完璧なお手本ですという仕上がりであった。
「ウィリアムさんも、グラタンを作ったりするのですか?」
「うーん。年に二回くらいだな。…………仕事のない日に、急に料理をしたくなることがあるんだ」
「おや。ウィリアム様にもそのような嗜好があったのですね」
「アルテア程じゃないけどな。…………ノアベルトはしないのか?」
「……………え。……………ええと、肉は焼けるよ」
「ノアの場合は、その場を楽しむことを優先した結果の食事や料理で、本来の食事そのものはそこまで興味がなかったような気がします」
ネアの言葉に小さく微笑み、今日は、ヒルドに梳かして貰ったそうで、くしゃくしゃの髪型ではない塩の魔物がにっこり微笑む。
淡い灰色の陽光に煌めく青紫色の瞳に、シンプルな白いシャツにストールを羽織っているのが、ノアらしい。
ここでセーターなどを小粋に着こなさないのがノアで、お洒落な着こなしを見せるのがアルテアだ。
なお、衣服の可動域が低いのがネアの伴侶な魔物で、ウィリアムはそこそこお洒落なのに、なぜか休日のお父さん仕様か、お休みの日の騎士仕様になってしまう。
「確かに、一人きりでいる日に食事をしたいとは思わないなぁ」
「………これからは、必ず食事をするようにするのだぞ。必ず、誰かが側にいるだろう」
「わーお。エーダリアが突然泣かせにきた………」
「ええ。お食事は魔物さんにとっては嗜好品なのかもしれませんが、それでも、きっと何かの蓄えや助けになっている筈です。ディノも、これからはしっかり食べていきましょうね」
「……………ずるい」
「ウィリアムさんの場合は、食事を抜くのは絶対に駄目なのです。……………睡眠もなのですよ………」
何かとそちらの時間を削ってしまう終焉の魔物は、低い声でそう告げたネアにくすりと微笑む。
グラタンをバケットに載せる男性らしい食べ方をしているが、高位の魔物らしく優雅な所作のせいかそれが却って粋に見えるのが不思議だった。
「それなら、眠れない日はネアに添い寝して貰おうかな」
「わーお。腹黒いぞ………」
「ウィリアムなんて……………」
「ふむ。その場合は、最近アレクシスさんから昏倒スープを貰ったので、そちらを分けてあげた方が心地よい眠りになるのかもしれません?」
「……………ん?」
「え、何それ…………」
初めての紹介になる昏倒スープに、ウィリアムが眉を寄せている。
怯えた様子のノアがこちらを見たのは、ディノの反応を見たのだろう。
残念ながら、ネアの隣の魔物はそんなスープの効能を直接アレクシスから聞いてしまい、その日はなぜかずっとよれよれだった。
「高位の魔物さんの何かをちょっぴり煮込んでしまい、飲んだ方がぱたりと動かなくなるスープです」
「おい。おかしいだろ」
「む?因みに、濃厚なトマトクリーム味で、トマトな感じの偉い方が制作に協力して下さったのだとか」
「………ネア、俺はそのスープがなくても大丈夫だからな。貰った枕があるから、眠る時はすぐに眠れるんだ」
「むぅ。そうなのですね…………」
こっそり被験者を探していた人間はがっかりしたが、ふと、周囲を見ると誰とも目が合わないではないか。
どうしたのかなと首を傾げ、次なる獲物はと、蛸揚げをお皿に取り分けた。
骨付きハム炙りも入手し、小鉢からマスタードも貰ってくる。
ケーキの後に、アルテアが、ウィリアムがグレアムから貰ったという林檎で、簡単なデザートを作ってくれるらしい。
砂糖と果実酒を使ってパラチンケンと合わせると聞けば、美味しそうな予感しかない。
ネアは、その為の空きを確保しておかねばと考えてながら、ご馳走を噛み締める。
「今思ったけど、……………高位の魔物の何が煮込まれているんだろう」
「おい、その話題を掘り下げるな!」
「アレクシスは、そのようなものも、煮込めてしまうのだな……」
「もしかすると、アレクシスさんとお会いしている時などに、こっそり材料を採られている可能性もあるのでしょうか。……………ほわ、ディノ?」
ネアの言った事がとても怖かったらしいディノがびゃっとへばりついてきてしまい、ネアは一度お皿を置いて、そんな魔物を撫でてやらなければいけなかった。
気付いたのだが、アレクシスからスープの説明を聞いた後にこの魔物がとても弱っていたからには、知り合いの魔物の欠片も入っていたのだろうか。
「そう言えば、先日、オーブリー様から手紙をいただきました」
「というと、以前のお仕事で遭遇した、死の精霊さんでしょうか?」
「ええ」
「彼が、君に?」
「というより、私を介してエーダリア様宛ですね。庇護を与えている人間の為に注文してあった靴の受け取りで、ウィームに訪れる日があると丁寧にご連絡いただきました」
「……………ほお。アレクセイの工房だろうな」
「むむ。凄腕の靴職人がいるのですか?」
「アレクシスの親族だ。暫くはカルウィにいたが、戻ってきたらしいぞ」
「カルウィに……………」
「あ、会の仕事らしいから、別に含みはないみたいだよ。前にバンルが話していたよね?」
「ええ。彼がこちらにいると何かと手堅いと話していましたので、私も頼りにしております」
「……………そうか。会の者なのだな」
「む。なぜエーダリア様は、こちらを見るのでしょう?会違いですよ!」
「ありゃ。今度はこっちを見たぞ…………」
たっぷりの食事をいただき、お酒がいい具合にお腹の中を温めた頃。
ネアは、今年も渾身の出来栄えである誕生日祝いのケーキのお披露目にかかった。
崩さないようにアルテアに手伝って貰って取り出したケーキは、真っ白なケーキに、よく登場する青紫色のブルーベリークリームと、淡い白金色の雪菓子の欠片を落としたものだ。
「ウィリアムさんとノアの、お誕生日のケーキです!」
「……………うん。いいね。……………ありゃ。目がしゅわしゅわするぞ……………」
「やれやれ。ハンカチは持っていますか?」
「綺麗なケーキだな。…………その、…………新しいグラスを取ってこよう」
「まぁ。ウィリアムさんも恥じらってしまいました……」
「ほお。雪菓子を星の系譜で加工したのか。誰が思いついたんだ?」
「リーエンベルクの料理人さんなのですよ。ウィリアムさんの色を無理なく美味しく添えたいと相談したところ、このような雪菓子の欠片を振りまいたケーキを食べた事があると教えてくれたのです」
ブルーベリークリームはエーダリアとヒルドが作ってくれたので、この雪菓子の加工はネア達が行った。
さらさらになるまで砕いた雪菓子をバットに並べておき、バットの端に星達の好むような甘い蜜や美味しいお酒を入れた小さなグラスを置いて、星の明るい夜に外に出しておくのだ。
すると、蜜やお酒を貰いに来た星々の光を浴びて、雪菓子の粉末が小さな小さな星屑のように結晶化する。
「ノアには、ここの、エーダリア様が作ったボールクリームのところをあげましょうね」
「た、ただ丸く絞っただけなのだが………」
ネアが忘れずに切り出す角度を決めると、エーダリアは落ち着かない様子を見せる。
今回初めてクリームを絞る作業にも参加したのだが、まだそれを自分の作品として誇るのが恥ずかしいようだ。
けれども、契約の魔物でもある義兄は、きっとそんな部分は確保したいに違いない。
そう考えたネアがにんまりしていると、めそめそしてヒルドからハンカチを借りていたノアが、慌ててケーキを凝視し始める。
「え、どこどこ?そこは、僕が食べるから取っておいて」
「ここです!私の作ったお花のクリームの隣の、まるいクリームがエーダリア様製ですよ」
「アルテア。僕、ここね」
「……………何で俺に言うんだよ」
「ケーキを切るのって、やっぱりアルテアかなって」
「ノアベルトがそちらなら、俺はチョコレートのプレートを貰おうかな」
「わーお。僕もそこは譲れないぞ………」
次なる争点は、ケーキの真ん中に掲げられたチョコレートのプレートに移った。
何しろそこには、こればかりはリーエンベルクの料理人に発注し、本職の手による優美な文字で、大切なあなたへという文字入れがなされている。
ウィリアムとノアの双方にかかる言葉を探し、それぞれが、自分はちょっと違うと感じないように、敢えて無駄を削ぎ落したメッセージだ。
「ネア…………」
「はい!そんなお二人の戦いを予測しまして、こちらのチョコレートプレートは、二枚用意していますからね」
「……………ありゃ。僕の妹が準備万端だった…………」
「最初に気付いてくれたのは、エーダリア様なのですよ。私は、一枚を真っ二つにして分ければいいと考えていましたが、それは何だかやるせないと仰って…………」
そう言うと、魔物達はさっとエーダリアの方を見てしみじみ頷いているので、ネアは、とは言えチョコレートプレートはそこそこ量があるので半分で充分ではないかと、わなわなした。
荒々しい解決方法に見えても、お口の中でのケーキとの配分をしっかり考えてのことなのだ。
ケーキは皆が当然のように見守る中で溜め息を吐いたアルテアが切り分けてくれ、繊細なオリーブの葉の円環のあるお皿に載せられた。
生命力や豊かさを示すこのお皿の絵付けも、今日の祝福付与には有効なのだという。
ヒルドが紅茶を淹れてくれ、エーダリアとネアはそちらを貰う事にした。
まだお酒を飲む様子の魔物達は、引き続きグラスを傾けている。
「ウィリアムさん、ノア、あらためてお誕生日おめでとうございます」
「……………ああ。こうして毎年祝って貰えると、ますます贅沢になりそうだな」
「あら。このような贅沢さなら、どんどん増やしていってもいいのではないでしょうか?」
「はぁ。シュプリはやっぱり美味しかったし、食べ物も美味しいし、エーダリアが僕のケーキにボールを作ってくれてたし、いい日だなぁ………」
「………ボール?」
「ノアベルト。アルテアのことも考えてやれ………」
「ありゃ。またウィリアムに叱られたぞ………」
ふんわりとしたクリームにフォークを入れ、ケーキを一口頬張る。
今年の二人の魔物のお誕生日用のケーキは、甘さと甘酸っぱさが素晴らしい配分になっている中に、しゃりりと小さな星型になった雪菓子の歯触りが何とも楽しい。
雪菓子自体の甘酸っぱさがケーキの味を変化させ、食感だけでなく味の変化も楽しめてしまう。
どちらかと言えば素朴なケーキだが、バターやクリーム類などの材料に拘り、ブルーベリーはリーエンベルクの庭でネアとヒルドが育てているものを使っていたりと、最後まで美味しく食べられるケーキ感を重視した。
ノアはまだいいが、ウィリアムは甘いものが特別に好きという魔物ではないので、甘酸っぱい味に傾けているのもその為である。
「……………むぅ」
しかし、その食べ易さがここでネアに災いした。
思いがけず美味しいケーキを夢中でもくもく食べてしまってから、お皿の上が空っぽになっていると気付いたのである。
人数的にもぴったりに切り分けてしまった為、もう一切れという願いは叶わない。
喜ばしい事なのだが、皆のお皿の上のケーキも順調に減っていて、残すのであれば引き受けて差し上げようと言う場面もなさそうだ。
「ネア」
「……………むぐ!」
そんなネアの様子に気付いたのだろう。
名前を呼ばれて振り返ると、ウィリアムがフォークでケーキの一欠片を口に押し込んでくれるではないか。
目をきらきらさせてむぐむぐしていると、こちらを見てゆったりとした穏やかな微笑みを浮かべる。
「今年のケーキは、今までで一番美味しかった。………とは言え、毎年そう思うんだけどな」
「ふふ。私も、今年のケーキは大成功だと思っていたところでした。酸味が際立ち過ぎず、けれどもぱくぱく食べてしまえるような爽やかな美味しさで、このケーキにして良かったです」
「食べ過ぎると、イブメリアまでに腰がなくなるぞ」
「ぐぐる!」
ざっくりとした所作だが、それでも見惚れてしまう優雅さで最後のひと欠片までのケーキを食べ終えたウィリアムの横で、ノアはめそめそしながらケーキを食べていた。
食べている内に感極まって泣けてきたようで、エーダリアがわおろおろしながら面倒を見ていてくれた。
「ケーキを食べようとすると、このチョコレートプレートが目に入るんだけど…………。これ、食べたら勿体なくない?…………まさかとは思うけど、ウィリアムはもう食べたの?!」
「食べるだろう?」
「こいつは、すぐさま割って食べていたからな…………」
「わーお。やっぱりそういう感じなんだなぁ…………」
「今年のケーキのプレートを食べてしまっても、また来年もありますからね」
「今度は、僕の妹が泣かせてきた…………」
「あらあら、ノアはもっと泣いてしまうのです?」
「……………僕はさ、ずっと欲しいものが沢山あって、それをずっと手に入れようとしていたんだけど、どこかで、……………そういうものが手に入るとは思っていなかったんだよね」
最後のケーキを口に入れ、幸せそうにくしゃりと微笑んだノアがそんな事を言う。
「そうだったのかい?」
「…………うん。本気で幸せになれるぞって思っていたのは、シルが浜辺に迎えに来てくれた、あの時のやり取りくらいかな。でも、…………何かが欲しいから色々手に取って、……………何でだか最後は大抵刺されるし…………」
「それは、あなたに何か別れる際の不手際があるからなのでしょう」
「ありゃ………」
「…………狐さんが、袋いっぱいのリズモを持って来てくれなければ、今日はなかったのでしょう。ノアが、諦めずにいてくれたお陰で、こんなに素敵なお屋敷で美味しいケーキが食べられてしまいましたね」
「…………義妹に虐待された」
ここでちょぴりノアが本気泣きしてしまい、もう一人の主賓であるウィリアムは苦笑している。
ネアは、そんな騎士な魔物の指元をさっと目視で辿り、今日もリンデルを使ってくれていることを確認した。
同じようなものがアルテアの指やノアの指にもあり、エーダリアも愛用している。
「ああ、やっぱりここでの誕生日はいいものだな」
自分の手指をしげしげと見つめ、ウィリアムが淡く微笑んだ。
手元に置いたグラスには蒸留酒が入っているそうで、からりと氷が鳴る。
「そうやって得られたものを思えば、今年の漂流物は少し危うかったな。当初から、ヴェルリア沿岸への警戒は強めていたんだが、俺も、まさかウィームの側に向くとは思ってもいなかった」
「今年は、祝祭に纏わるものの漂着が多かったようだね」
「ええ。最初にやって来た収穫祭が、…………生きていましたからね。残骸に成り果てていないものの訪れは、色々な意味でこの世界層を揺らします。あの時に、何らかの道が作られてしまったんでしょう」
「それもあって、最大級の警戒をこの冬の祝祭に充てていたのだけれど、クロムフェルツ曰く、ネアが知っているものはこちらに来ないようだね。それを聞いてとても安心した」
ネアは、こっそりローストビーフのソースをこちらに寄せているところであったが、ディノの言葉にこくりと頷く。
冬告げの舞踏会で貰ってきたオーナメントは、ディノに相談して、部屋には飾らずに首飾りの金庫の中にしまってある。
もし、この冬の祝祭に関わるような何かがあった時、あのオーナメントを持っていれば、クロムフェルツを招き入れることが出来る媒介になるかもしれないということだった。
大事なお守りなのだ。
「そして、今日のお誕生日会で、更に心強い祝福が得られてしまうのですよね?」
「うん。出会ってきたものから付与された流れや因果をもう一度断ち直して、そこから、この世界に属する祝福や守護をしっかりと芽吹かせる。だから、ウィリアムとノアベルトの順番なんだ。そして、アルテアの誕生日や、イブメリアの日に結ぶものでよりしっかりとした防壁になる」
「まぁ。アルテアさんのお誕生日も、この流れで必要なものなのですか?」
「…………うん。アルテアの場合は、魔術的な経過観察も兼ねてかな。今回のことで、一番良くない縁が出来かけていたのがアルテアなのだろう。君とエーダリアにも何かの引きがあったようだけれど、そちらは君達が得た要素が上手く退けていたようだ」
ディノ曰く、お祝いで結ぶ守護や祝福を使った防壁は、常に循環させて更新してゆくことで、程度や資質を変えたものが触れても、こちらに入れないようになっていくのだという。
今日のお祝いの席で作り上げられたものが、今後は、アルテアの誕生日やイブメリアの日などで重ねての手入れをされていく。
ただし、あまりにも間隔が狭くなるので、ノアの誕生日は来年に繰り越しになるそうだ。
だが、今年の最後にはネアの誕生日があるので、そこでもまたひと手間かけて守りを強固にする。
「……………一年の最後にもう一度だけ、境界が揺らぐ日がある」
「大晦日です…………!」
「うん。だから、その日に向けて、しっかりと結んでおこう」
しゃわんと、またどこかで魔術がさざめく美しい音が聞こえた。
その音の中で目を瞠り、ネアは胸の奥や指先に満ちてゆくような不思議な魔術の祝福を感じている。
「……………私の誕生日でも、このような素敵なものを補填出来るといいのですが」
「シルが大喜びしてるから、それだけでもいいんじゃないかな」
「では、その日はディノを沢山大事にしますね!」
「ネアが虐待しようとする……」
エーダリアによると、このお祝いの間中、ネア達を取り囲むように、部屋の中で美しい白薔薇が咲いては崩れてゆく光景が見えているらしい。
白薔薇のリースの中にいるようで見惚れてしまうと言われたネアは、何も見えない壁際をじっと見つめ、悲しみに暮れてローストビーフを貪った。
この口の中のお肉を食べ終えたら、そろそろプレゼントを取り出してもいいだろうか。
今年の贈り物も自慢の一品なので、喜んでくれるといいなと思ったが、ネアは、ついついローストビーフをもう一枚口の中に押し込んでしまった。




