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お城の家と誕生日のケーキ 1



その日は不思議にふわりとした雪の降る日で、ウィームの雪空は菫色がかった灰色に染まる。

ネア達は朝早くに起き出してリーエンベルクを出てあわいの列車に乗ると、特に影響のない雪原の駅を降りてから魔物達の用意した不思議な雪の門をくぐった。




案内されたのは、瀟洒な屋敷だった。



森のようになっている屋敷の周りの木々の間を抜けた先にそんな屋敷を見たネアは小さく息を呑み、こくりと喉を鳴らした。

どこかで見たような佇まいに胸の奥がざわりと脈打ったが、まさかのここで同じ屋敷である筈もないのだ。



そして、目を瞬いてもう一度見上げた先には、見た事もない美しいお屋敷があった。




「おっと。玄関回りの雪を掻いていなかったな」

「…………手入れ用の魔術を敷いておけ。石畳を損なうぞ」

「出来るだけ、自分でやるようにしているんですけれどね。………すまない、少し待っていてくれ」



初めて見るお屋敷であることにネアが密かにほっとしていると、ウィリアムとアルテアが何やらわいわいしている。

ひょいと覗けば確かに屋敷の玄関先には降り始めた雪がしっかりと積もっていて、すぐに中に入ってしまうにせよ、一度雪を掻いた方が良さそうだ。


ウィリアムからは、昨晩、屋敷の中を少し掃除をしたと聞いていたので、その後に積もった分なのだろう。

空を見上げるとウィームの雪空よりは幾分か暗いが、美しい天鵞絨のような灰色の空だった。




「ここが、ウィリアムさんの秘密のお屋敷なのですね」

「……………ああ。城の領域に敷地を重ねた、俺の城の影絵のようなものだな」



思わずそう呟いてしまえば、ネア達を玄関先で待たせて雪掻きに取り掛かろうとしているウィリアムが、背中越しにそう教えてくれた。


ヒルドは僅かに羽を広げて庭園にかかる大きな木を見上げていて、その表情からすると森と湖のシーにも心地の良い場所なのだろう。



「お城の、影絵なのです………?」

「自分の城の影絵を作って、更地にした後で他の景色を作り付ける手法だと思うよ。僕も何回か使った事があるけど、そうすると自分の領域にその時の嗜好に似合った屋敷を構えられるからね」

「という事は、影絵とは言え、一度は自分のお城を壊してしまったのですか………?」

「ありゃ。そういうことになね……。魔術で行うから、どちらかと言えば書き換えに近いけどね」

「まぁ……」



即ちここは、終焉の魔物のお城の領域を汲んだ影絵の中なのだ。



そう思うと目の前のお屋敷はあまりにも控えめ過ぎるような気がしたが、隣にいる選択の魔物の本宅もこの規模ではないか。


(………ノアもそんな家が欲しかったみたいだし、グレアムさんやギードさんもお城住まいとは違う暮らしを楽しんでいるようだから……)


高位の魔物達は皆、豪奢なお城住まいから感じのいいお屋敷住まいに移行したくなる年頃がどこかであるのかもしれない。



「………そのようにして、影絵を作り変えることが出来るのだな」


初めて訪れる特別な場所にすっかり興味津々なのが、ヒルドの隣に立っているエーダリアだ。

足元をそうっと見下ろしてから、屋敷の周囲の木々を見回して目を輝かせている。


「エーダリア様、ひとまず手帳はしまわれては?」

「い、いや、これは…………」

「ありゃ。また記録を取ろうとしているぞ………。城なら、僕のものを幾らでも見せてあげるのに」



そんなエーダリア達のやり取りを聞きながら、ネアは、隣に立っているディノの手を掴んだ。

いきなり手を掴まれた魔物がきゃっとなっているが、何だかそうしたい気分だったのだ。



本日は、ウィリアムとノアの合同お誕生日会の日である。



それがなぜウィリアムの領域での開催となったのかと言えば、今回の合同誕生会が、儀式的な側面を持つお祝いとなったからだ。



終焉を司るウィリアムと、命や魔術の根源を司るノアの慶事を同時に行い魔術の祝福を参加者全員に同時に付与することで、これからの季節の守りとするのが今年の合同誕生日会の目的である。


そして、そんなお祝いを行うのに最も適していたのが、最初に祝福付与をする終焉の魔物の領域だったらしい。



(てっきり、あの離宮などで行うのかなと思っていたけれど、このようなお屋敷もあるのだわ………)



あわいの列車で転移を踏むのに相応しい土地を経由して向かうと聞き、ネアは、すっかり花の咲き乱れる美しい離宮だとばかり思っていたし、そうではなくても、これまでに見た事のあるようなウィリアムの持ち家のどこかなのだとばかり考えていた。



けれども、到着したのは深い森に囲まれた瀟洒なお屋敷なので、また一つ終焉の魔物の秘密を見付けてしまった気分ではないか。

ウィームでも、慎ましく暮らしている貴族や少し裕福な商人が暮らしているくらいの落ち着いた雰囲気の造りで、白壁に銀鼠色の屋根が美しい。


冬らしい彩りの花々が咲き誇る庭園の中には石畳の道が敷かれており、庭の奥には、小さな丸屋根のガゼボが見えた。

天候は出てきたばかりのウィームとさして変わらないのか、空からはらはらと雪が舞い落ちる。


庭園に目立つのはカップ咲きの美しい冬薔薇で、雪の中でほんわりと色付くように花を咲かせていた。

白から水色に、淡い白灰色に薄紫色の薔薇が多いようで、生まれ育った屋敷の庭で薔薇が咲いていた頃の事を思い出したネアはまた小さく息を詰める。



(アルテアさんのお屋敷も、この規模のものだけれど………)



選択の魔物の屋敷はいつも玄関ホールに連れて行かれてしまうので、こうして外から訪れて全体像を見た事はあまりないとは言え、こんな風に生まれ育った屋敷を彷彿とさせられたことはなかった。


ネアが持っている別宅だって、生家に近い規模のものであるし建物の形まで若干似ているものの、どこかにその面影を見たことはない。


それなのになぜ、この屋敷の佇まいを見ていると、懐かしさに胸が苦しくなるのだろう。



「……………ネア?」

「不思議だなと思って、見ていました。…………ディノは知っているかもしれませんが、形も何も同じではないのに、ウィリアムさんのこのお屋敷を見ていると、なぜか私の暮らしていた家を思い出してしまいます」

「この土地の在り方と、君があの土地で結んだものが近しいのだろう。目には見えないような魔術の色に相当する部分が重なっているのではないかな」

「まぁ。そんな事があるのですか?」

「うん。全く違う土地でも、不思議と印象が重なることがある。そのような場合は、土地を構成する魔術の織り方が同じであることが多いんだ。…………君の暮らしていた屋敷には、ここによく似た円環があったからね」

「円環………」

「それと、この屋敷を縁取る材料は、郷愁や感傷の領域のものが多いのではないかな。そちらの領域には美しい物が多いそうだからかもしれないね」



理由が分かってからもう一度目の前のお屋敷を見ていると、除雪を終えたウィリアムが振り返る。

さすがに今日は魔術で片付けてしまったと苦笑しているが、アルテアがその隣で何かを熱心に観察しているのはなぜだろう。


じんわりと心が震えるような感傷的な気持ちになりかけていたネアだったが、それが気になって視線を向けると、選択の魔物がじっと見ているのは玄関横で咲いている小ぶりな薔薇の花のようだ。



「すみません、お待たせしました」

「もういいのかい?」

「ええ。まさか一晩でここまで積もるとは思っていませんでした。…………ネア、もう中に入れるぞ」

「はい!……そして、使い魔さんが薔薇に夢中なのはなぜでしょう?」

「わーお。これって、ウィリアムの系譜の薔薇?」

「ああ。古い時代にとある町で芽吹いたものだが、あまり外には出しておけないものだからな。この庭に残してある」

「地上には、もう残っていないものなのだろうか」

「うん。終焉の祝福を持つ植物は珍しいんだよ。手向けられたら死にかねないっていう特殊な薔薇だから、なかなか刺激的かな」

「そ、そうなのだな…………」

「元は、疫病に見舞われた町に恩寵として咲いたものだ。安楽死用だがな」



屈みこんで薔薇を調べていたアルテアが、立ち上がって戻ってくるとそう教えてくれる。


そのまま使うには終焉の系譜の祝福が強過ぎるが、抽出した精油を希釈して使えば良い薬にもなるそうだ。

とは言え、あらためてじっくりと見てみても、本来の使い方を封じてその精製方法だけを普及させるというのも現実的ではないと判断したらしい。

となると、やはり表に出すのは難しいと言う。



終焉の魔術は、それだけ外部からの影響を受け難いものでもあるらしい。



(どのような経緯で、疫病の町にこの薔薇が咲いたのだろう…………)



そう思えば薔薇の履歴が気になったが、本日はお誕生日会なのだから、きっと、話題に上げるのはもっと素敵な事がいいだろう。

そう考えたネアは、お料理の話などがいいに違いないとふんすと胸を張り、扉を開けてくれたウィリアムに続いて屋敷の中に入った。




「わーお。ウィリアムって感じだね」

「……………そう見えるか?」


玄関ホールは、柔らかな色調だった。


家具類のマホガニー色と水灰色がかった壁紙の対比が美しく、どこか温もりのある配色だ。

壁紙はよく見れば細やかな植物模様があって、青みの灰色に白い模様が重なることで水灰色に見えるらしい。


ノアの感想が意外だったのかウィリアムは目を瞠っていたが、ディノもアルテアも頷いている。

ネアも、このお屋敷にはウィリアムらしさを感じた。



「しっかりとした堅実な造りですが、温かな感じがしてどこか繊細で、とても素敵なお屋敷ですね。そして、どこからか甘酸っぱい匂いがします!」

「グレアムから貰った林檎が、木箱で積んであるからだろうな。後で食べるか?」

「まさか、お誕生日の………」

「はは、さすがに違うと思うぞ。昔暮らしていたことのある土地で、よく食べていた林檎があったんだが、最近またその土地で林檎作りが始まったようで、そのお裾分けだな」

「食べます!」



吹き抜けの天井には、きらきらと光る泉結晶のシャンデリアがかかっている。

あまり華美になり過ぎない上品な造りで、二階に向かう木製の階段がその奥に見えた。


そんな玄関ホールを抜けてウィリアムが案内してくれるのは、庭に面した一階の部屋なのだそうだ。

広間というには控えめな広さだが、リーエンベルクの会食堂くらいの大きさだと聞けば、この人数でお祝いをするには充分だろう。


途中の廊下には木の色を添える家具類がないので、柔らかなシェルホワイトのカーテンと壁色の組み合わせで白を基調とした印象が強くなる。


青白い雪の日の光が窓から差し込み、窓の向こうには、しんしんと降り積もる雪の庭が見えた。



「…………不思議な感じだな。このような屋敷で過ごしたことはないのだが、幼い頃を過ごした屋敷に戻ってきたような感じがする」

「まぁ。エーダリア様もなのですか?実は、私もずっとそう思っていたのです。外観を見てそう思いました」

「私の場合は、この廊下に来てからなのだ。………特に見覚えのあるような物がある訳でもないのだが……」

「ここも感傷の系譜の揃えだからじゃないかな。……うん。ウィリアムの趣味って感じ。こういうのが好きだろうなって感じがするよね」

「………ノアベルト。その笑い方をやめてくれ」



らしいと言われると照れ臭いのか、ウィリアムは口元を片手で覆っている。


感傷の系譜のものだと聞けば、ノアと出会ったラベンダー畑を思い出してしまうネアが、何となく義兄な魔物の方を見てしまうと、視線に気付いたノアがこちらを見て微笑む。


こんな時のノアは、何も言わなくても全てを承知しているような気がする。

もしかするとそれが、家族であるということなのかもしれない。



「そうか。オークルのテーブルはお前が持っていたんだな……」

「ああ、いいテーブルですよね。百五十年程前に、ロクマリアの家具市で見付けたんです」

「くそ。あの管財人が売り払ったのはそっちだったか………」

「アルテアが………」

「その、…………カタログを読みます?」

「やめろ………」



通された部屋には美しい楕円形の木のテーブルが置かれていて、アルテアはそのテーブルに何やら覚えがあるようだ。


どうやらウィリアムは家具市などにも出かけて行く魔物のようで、こうなってくるとアルテアとはかなりの部分で趣味が重なっているのかもしれない。

やはり仲良しであると思ったネアがディノを見上げれば、伴侶な魔物は、なぜかそっと三つ編みを差し出してくるではないか。


「君は、三つ編みを持っているかい?」

「なぜなのだ……………」



(でも、本当に素敵なテーブルだわ。あのテーブルが置かれているだけで、小さな物語が一つ生まれてきてしまいそう………)



部屋の主賓と言ってもいいそのテーブルは、アルテアが探していたのも納得の、優美だがどこか素朴な造りが素晴らしかった。


白木に薄く溶いた藍色の染料をさっと塗ったような色合いで、僅かに菫色や青のまだらが入っている。

木そのものの木目や色調も残っているので、水彩絵の具で色付けしたような風合いこそが素敵なのだろう。


そっと触れたくなるような滑らかな木肌で、テーブルの真ん中には横長の白磁の花瓶にたっぷりと水色の薔薇が生けてあった。



「あの薔薇にも、何か効能があるのでしょうか?」


思わずネアがそう尋ねてしまうと、振り返ったウィリアムがくすりと笑う。

今日はお祝いだが、身内で行うものなので、軍服ではなく寛いだ服装だ。


白いシャツにゆったりとしたケーブル編みの紺色のセーターを着ているウィリアムは、休日の軍人や騎士という感じがする。

ネアは、何気ない服装だが鍛え上げられた肉体を感じさせる系の組み合わせの素晴らしさに、小さく頷いた。


こちらにいる魔物はネアの騎士でもあるので、とても素晴らしい装いであると言わざるを得ない。



「食事をする席だからな、普通の雪薔薇にしてある。ただ、ジャムにもなる薔薇だから、そういう意味では食べられる薔薇だと言えるな」

「ばらじゃむ……………」

「おい。これから料理の準備をするんだぞ。後にしろ…………」

「は!そうでした。……ディノ、お料理の準備をするので手伝って下さいね」

「ご主人様!」



そして、お祝いの準備が始まった。



テーブルの上には、ヒルドがリーエンベルクから魔術金庫で持ち込んだ料理が並べられ、ネアも胸を張ってケーキの準備をする。

アルテアからも持ち込み料理があり、ネアは、ダムオンで買った可愛い四角形のグラタン皿にかっと目を見開いてしまった。


小さく足踏みしてしまえば、使い魔は、ふっと息を吐くように微笑みを深めただろうか。

しかし、ノアが銀狐が冬場に雪遊びをする際の話を始めてしまうと、酷く遠い目になってしまう。



用意されているのはどれもお祝い料理だが、決して豪華なものばかりではなかった。



お鍋にたっぷり入ったビーフコンソメのスープには、鶏肉と冬野菜のクネルが入っているが、これはどちらかといえばウィームの冬の家庭料理に近いものだろう。

それでも、これは誰かのお気に入りで、その他の料理も似たようなものなのだ。


イブメリアが近いのでと用意された丸鶏の香草焼きは、中に詰め物をして美味しそうな焼き色が付いている。

白葡萄酒を使った魚介のスープ煮込みは、味を変える為にタプナードソースと香辛料の効いたクリームソースが付いていて、ディノ用だと思われるグヤーシュもあった。

パンだけではなくクネドリーキも用意されているのがお祝い仕様かもしれず、となると勿論、黒スグリのジャムも添えてある。



「ふぁ。ローストビーフもあります!海老と冬野菜のゼリー寄せと、…………むむ!蛸揚げまで!」

「海老と蛸は、王都から祝祭警備の研修に来ていたエルゼの手土産ですね」

「まぁ。エルゼさんが持って来て下さったのですね」



今年より、ウィーム中央で使われるイブメリアの祝祭期間の警備魔術が、より精度を上げたものに更新されたのだそうだ。


エルゼはその運用の視察も兼ねてウィームを訪れており、思っていたよりも騎士達の負担が減らせそうだと、第一王子派が取り仕切る儀式会場での運用も決まったらしい。

このあたりの情報や技術の共有は完全にウィーム側の善意なので、第一王子の代理妖精は、お返しに沢山の美味しい海産物を持ってきてくれたという。



(政治的なカードなどを真っ先に出さずに、まずはと海産物のお土産から渡してくれるのが、エーダリア様とヴェンツェル様が仲良しという感じでいいのだわ)



ネアがそう考えてにっこりするのは、なにも海老や蛸が食べられるからではない。

とは言え海老も蛸も美味しくいただく所存なので、今後ともどうぞよろしくお願いしますなのだった。



「成る程ね。今朝の騎士棟が賑やかだったのは、ヴェルリアの食材が入っていたからかぁ」

「ふぁ………。海老みっしりのゼリー寄せは、このソースでいただくのですか?」

「ええ。こちらのソースを使っても、そのままでもいいそうですよ」

「じゅるり…………」

「おい。フォークを置け。シュプリを開けてからにしろ」

「ぐぬぅ………」

「え、そのシュプリってもしかして、グラントートじゃない?」

「グラントートの夜の部だ」

「うわ。僕が買えなかったやつだ…………」



ネアは、相変わらずお酒の話ではぴたりと嗜好の会う義兄と使い魔の会話を聞いてくすりと微笑み、主賓ながらこちらもエルゼが持ち込んでくれた南の島から持ち込まれた果物を手際よく切り分けてくれたウィリアムから、一欠片をお口に入れて貰う。


甘酸っぱくとろりとした果実はマンゴーに似ていたが、キャスワというその国の王様の名前のついたソースに使える果実なのだそうだ。

肉料理に合わせる為に品種改良されたと聞けば、きっと王様はお肉好きだったに違いない。


「おいしふです!」

「はは、言えてないぞ?」

「むぐ」

「おい。棘牛用に取っておけよ」


呆れ顔のアルテアに注意され、ネアは、本来の食べ合わせを楽しむという重要な任務の為にきりりと頷く。

きゅぽんと音がして結晶化しかけたコルクが綺麗に抜ければ、いよいよ乾杯の時間だ。



用意された細長いグラスに注がれたシュプリは、きらきらとした細やかな星屑のような泡が立ち、覗き込んだネアをぴょんと弾ませてしまう。

エーダリアも目を瞠っているので、初めて見たものなのだろう。



「グラントートは、ディアニムスにある星の音楽祭の為に作られるシュプリだ。その年の演奏の出来を反映してからコルクを詰め、演奏の最後に配られる。星歌いの葡萄と沈黙の泉の水、書き損じの楽譜で焚いた砂糖を一つまみで作られているようだが、正確なレシピは演奏会の統括後継者にしか明かされないと言われているな」

「という事は、演奏の出来がいまいちだと、このシュプリも美味しくなくなってしまうのです?」

「ああ。そうなる。予約制で大抵は五年待ちだからな。どの楽団や演奏家が呼ばれるのかも未知数だ」

「そうそう。だから毎年予約しておくのがいいんだけど、そのれもまた抽選なんだよねぇ」



唇の端をきゅっと持ち上げてグラスを受け取ったノアは、青紫色の瞳をきらきらさせていて、銀狐なら尻尾がぶんぶん振られているところだろう。

ネアもグラスを受け取り、グラスの中でもしゅわしゅわと立ち昇る細やかな星屑めいた泡に期待を高めた。



「では、始めようか。乾杯からかな…………」


今年のお祝いの挨拶はディノからなので、とても緊張している魔物の王様は、なぜか少しだけネアの背中の後ろに隠れながら挨拶を始めた。


今年のお祝いは特別なものなので、残念ながらグレアムとギードは参加出来ず、後日のお祝いとなっている。


みんなでお祝いが出来なかったのは寂しいが、祝福を行き渡らせたい家族の中にこの誕生日会で付与される祝福と相性が悪い者がいなかったのが、せめてもの幸いだろう。



「ウィリアム、ノアベルト、誕生日おめでとう」



全員がグラスを取り上げ、ディノがお祝いの言葉を言う。


二人の魔物の名前の順番も大事なようで、今日ばかりはそこを間違えてはならないのだとか。



お祝いの言葉と共に、しやわんとテーブルの上の薔薇に僅かな結晶化が起こった。

ネアも、温度のない風が体の中を通り抜けたような不思議な感覚を味わい、おおっと眉を持ち上げる。



「しゃわんとなりました!」

「うん。始まったね。後はもう………お祝いを楽しむ感じ?」

「はい。では、ウィリアムさんとノアをたっぷりお祝いしてしまいますね!」

「可愛い。弾んでる………」



グラスの中のシュプリを一口飲むと、胸の中できらきらと光る音楽がさざめくような、得も言われぬ美味しさだった。


美味しさに満ち足りて、同じテーブルに着いた大切な人達が笑顔であることに、心をほこほこにする。


今年もまた家族のお祝いが出来たことに感謝しながら、ネアは、海老と冬野菜のゼリー寄せに素早く手を伸ばしたのだった。













書籍作業の繁忙期につき、本日の更新は少なめとなります。

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