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256. そのダンスは心を明かします(本編)



会場の端にある料理のテーブルにはホーリーテの枝影がかかり、テーブルの周囲には可憐な冬薔薇が満開になっていた。


テーブルは淡い水灰色の結晶石で出来ていて、縁の部分の彫刻が美しい角の丸い長方形だ。

このような舞踏会では皆で囲めるように円形のテーブルが多いのだが、今年は、参加者が少ない事も考慮されているのだろうか。

人数が程々なら、こちらの形の方が料理が取りやすい。



はらはらと降る雪が、細やかに光っては消えていく。



ネアは、鋭い目でテーブル全域を見渡し、幾つかの料理の位置関係を把握した。

小さなタルト生地に入った白いムースのようなものから始めるといいだろうと判断し、手に持っていたグラスをテーブルの端に置こうとする。



「む………?」


すると、ウィリアムが片手を差し出すではないか。


「俺が持っていよう。…………今日は、念の為に口を付けるものをどこかに置かないようにしてくれ」

「もしかして、…………まだ漂流物の懸念が残っているのですか?」

「いや。先程の件で話をしていたアルミエが、食べかけていた料理を誰かに盗まれたと話していたんだ。あの精霊が何かの魔術を繋ごうとしたのかもしれないが、貪食や悪食のものが紛れていてもいけないからな」

「そう言えば、先程、走る白いお鍋を見たのですよ」

「……ん?……………鍋?」

「はい。ウィリアムさんに、奥で踊っていた竜さんの足元を見ませんでしたかと聞いた時です!」

「……………冬の系譜に、鍋姿のものはいたかな」



困惑の眼差しでこちらを見た終焉の魔物に、ネアは、ああ見間違いを疑われているなと察してしまった。

時として、真実をそのまま口にしない事がいい場合があり、今回はそのような場面だったのだろう。



「………そ、そうですよね。さすがに私も、足の生えた片手鍋はいないだろうと思ったので、……………む?またどこかで戦争が起きています?」


ウィリアムにグラスを預け、取り皿を給仕から受け取ったネアは、背後から聞こえたぎゃーという声に慌てて振り返った。


いつもなら騒ぎを見るにあたり少しの心構えをしてから振り返るのだが、今回は、義兄な魔物の狐姿の大騒ぎに似ていたので勢いよく振り返ってしまった。


ウィリアムや、少し離れた位置で、諦めて捕捉され美しい水色の巻き髪の女性と話していたアルテアも同じ視線の向け方をしていたので、その瞬間、皆の心の中にあったのはリーエンベルクの銀狐だったのだと思う。



「……………ジゼルの連れか」

「まぁ。あのふわふわは、子狐さんでしょうか」

「………狐姿の生き物は、みんなああなるんだな…………」



皆の視線を集めた先で、白いふわふわした生き物が床の上に仰向けになり、手足をばたばたさせてぎゃわーと鳴き叫んでいた。


一体何が起きたのだろうと目を細めると、そんなふわふわを一生懸命抱き上げようとしているジゼルの手を、美しい銀髪の女性がぐいぐいと引っ張っている。

どうやら、雪竜の王をダンスに誘ったご婦人がおり、ジゼルが連れてきた子狐を狂乱させたらしい。



「あらあら、ジゼル様が声をかけられたのがお気に召さなかったのねぇ」

「…………ジゼルも、ああして見ると丸くなったな。相手が妹達よりも幼い個体だからやもしれぬな」


呆然と騒ぎの方を見ているネア達の隣に、そんな会話をしながらやって来たのは、ダイヤモンドダストのシーであるハザーナと、彼女をエスコートしているディートリンデだ。


大好きな二人の姿に笑顔になりつつも、ネアは、再びギャワーと声を張り上げた子狐の方を見てしまう。

既にジゼルが抱き上げているのだが、まだ癇癪が収まらないようだ。


思わず目を丸くしてしまえば、ハザーナがくすりと笑った。



「今年は、漂流物の警戒の為に一人での参加が許されているでしょう?普段は舞踏会の相手に誘うだけの伝手がないお相手にも声をかけられる、滅多にない機会ですからね。ふふ、みんな可愛らしいわねぇ」

「まぁ。それで、この騒ぎにもめげずに、更にもう一人の女性がジゼルさんに話しかけに行ったのですね」

「そうだと思いますよ。ほら、あちらにも、人気のある男性がいるようね」

「………む。………アルテアさんと、グレアムさんですね」


ころころと笑うハザーナに教えられて、ネアは、先程の水色の髪の女性に引き続き、その前に声をかけていた冬星の妖精にも囲まれてしまっているアルテアの方を見た。


こちらを見ているようなのでごゆっくりどうぞと微笑みかけておき、続けてグレアム方を見れば、犠牲の魔物も二人の女性に左右から話しかけられている。


美しい女性達の交わす視線には、たまたま一緒にお喋りを始めたようには見えない戦争の気配があるので、一緒に踊って貰おうというお誘い程度ではないのかもしれない。



「参加基準を満たせる系譜のお相手を得られるのに、わざと一人で来た者達も多いと聞くわ。だからこそなのでしょうね」

「はは、それは恐ろしいな。俺にはハザーナがいてくれて幸いだ」

「ディートリンデ、女性達の頑張りをそのように言ってはいけませんよ?」


男性として何かを感じたのか、苦笑したディートリンデが肩を竦めると、すかさずハザーナが窘めている。

それでも顔を見合わせて微笑むこの二人は、如何にも古くからの知り合いという会話の温度がとても素敵なのだ。


この二人のところには、他の誰かが割って入るだけの隙はないのだろうなという気がして、ネアもつられて微笑んでしまう。



(恋人同士というよりは、もう少し家族的な親しさを感じるけれど……)



とは言え、こちらの人間は、そんな二人と会いたかったのだ。

こうして二人が一緒にいてくれた幸運に感謝しつつ、こちらを見て微笑んだ雪のシーに微笑みを返した。



ディートリンデは、ウィーム中央にある隔離地の森に住んでいる最後の雪のシーだ。

淡い水色に金色の虹彩模様のある瞳はまさに冬の系譜という美しさで、その中でもどこか儚げにも思える繊細さを持つ、ネアの大好きな妖精の一人である。


本日は忘れな草色の盛装姿が長いミルクブルーの髪を引き立て、隣に立つハザーナとは絵に描いたような似合いの二人である。



「ご無沙汰しております、ディートリンデさん。今年もお会い出来て良かったです」

「ああ。俺も、ウィームの愛し子に出会えるのを楽しみにしていた。………先程はこの冬告げの舞踏会にまで浸食があったくらいだが、ウィームでも様々な被害が出たと聞いている。そなたの無事な姿を見られてほっとしているのだ」

「漂流物めは、隔離地の森の方には入り込まなかったのでしょうか?何か困っておられたりはしません?」

「ああ。土地の特性もあって、気象性の悪夢が運ぶもののような落とし物でもない限りは入り込まれる事はないので安心するといい。加えて、今回ウィームに現れたのは、秋の系譜の者達だったようだからな」

「私の友人の秋明かりのシーは、大事な友人を亡くしたと悲しみに暮れていたわ。あのような悲しい事が続かないよう、今日はしっかりと冬告げの舞踏会の祝福を持ち帰らなくてはね。冬と言えばウィームですから、何人たりともそれを損なわせはしませんよ」


美しい青い瞳悲しみを湛えたハザーナは、強い口調でそう言うと、ディートリンデの腕にそっと手をかけていた。


白銀の髪を結い上げた美しい老婦人姿の妖精は、穏やかな微笑みを浮かべている事が多い。


そんなハザーナがまでもが深い溜め息を吐いている姿に、ネアは、あのクロウウィンの日を思った。



「ああ、勿論だとも。舞踏会が終わったら、ニエークとジゼルと共に、祝福の潤沢な雪をウィームに降らせる予定だ。俺一人では心許ないが、あの二人が呼びかければ一晩でウィーム全域に雪を降らせることも出来るだろう」

「丁度良かった。その話を、ニエークとするつもりだったんだ。少しでも早く季節を冬に傾けてくれると、ウィーム中央の守りも頑強になる」


ウィリアムの言葉に、ディートリンデがなぜか悪戯っぽく微笑んだ。

ネアはハザーナのドレスを見せて貰いながら、今年もウィリアムと揃いの布地である装いを誉めて貰っていたところだ。



「あの魔物は、ネアが声をかければ寝る間も惜しんで働くだろうて」

「私でしょうか?………では、ニエークさんに、しっかり雪を降らせてくれるように、お願いしてみますか?」

「いや、命令した方が効果的かもしれないぞ」

「ディートリンデ。面白がってはいけませんよ」

「はは、いやすまない。あの雪の魔物がと思うと、どうしても愉快でな」

「……………かいなどありません」




そして、テーブルの上に並ぶ料理は、やはり素晴らしいものばかり。

これを堪能せずして、冬告げの舞踏会とは言えないだろう。



今年は真夜中の座の精霊王からの持ち込み料理などもあり、ネアはさっそく、小さなものだが生地と具材と配分が素晴らしいシチューのパイ包みなどをいただき、幸せに頬を緩めた。


鶏レバーと無花果のテリーヌに、焼いた雪葱とごろりとしたチーズの入ったキッシュなど、いつもの冬告げの舞踏会の料理とは少し家庭的に雰囲気を変え、しかしながら味は抜群というような料理がミカの持ち込みだろうか。


ネアが最初に取った白いムースのようなものを使った料理は、ケッパーとサワークリームを使った燻製鮭の小さなタルトであった。


栗とマッシュルームを使った棘豚の白葡萄酒煮込みに、どんなところでも美味しいローストビーフなども外せない。

それどころか、まさかの棘牛タルタルに出会い、ネアは思わず小さく弾んでしまった。



「まぁ、タルタルもあります!」

「ネア。俺も一口貰っていいか?」

「はい。どうぞ」

「………美味しいな。ネアと一緒だから格別なのかもしれないが」


体を屈めた大事な騎士にタルタルを一口食べさせてみると、ウィリアムは、くすりと微笑んでそう言ってくれた。

穏やかな温もりを湛えた白金色の瞳は、それなのにどこか危うい美しさもある。



「こちらのタルタルは、胡椒と檸檬の味わいでさっぱりしていて、他のお料理と一緒に沢山食べられてしまいますね」

「次のシュプリはどうだった?」

「こちらもとても美味しいですよ。からりとした辛口で、葡萄の香りがくっきりしているシュプリでしょうか。ウィリアムさんが飲んでいる葡萄酒は、香辛料の香りがするものなのですよね」

「ああ。シナモンの香りがするらしい。美味しいが、どちらかと言えば味の濃い料理向けだな」

「むむ。では、ローストビーフ様と一緒に……」



飲み慣れたシュプリばかりではなく、今年の冬告げでは、林檎のお酒や香辛料入りの葡萄酒などの、冬の祝祭に好まれるお酒も多く出されているようだ。

そうして冬の祝福を潤沢にし、冬告げの舞踏会の場をしっかりと結ぼうとしているのだろう。



少しお喋りした後、ディートリンデとハザーナは別の知り合いに挨拶に行き、ネアは、グレアム達は空いたかなと周囲を見回した。

そして、相変わらず囲まれている犠牲の魔物を見て、ウィリアムと顔を見合わせる。



「まぁ。逃がして貰えないようです?」

「うーん。珍しいな」

「……………終焉の狙いの女達も、あちらに行ったようだな」

「先生です!」



こつこつと床を踏む音がしてそこにやって来たのは、これまで見かけていなかったグラフィーツだ。


漆黒の盛装姿は歌劇を観に行く高貴なお客のようで、極彩色の装いの時の砂糖の魔物を知る者達からするとあまりの変貌ぶりと言えるくらいに落ち着いた服装に見えるだろう。


白紫の髪は濃紺の幅広のリボンで一本に縛っていて、雪を積もらせたホーリーテの森を外周とした冬告げの舞踏会の会場に何とも映える。


よく見れば、漆黒の服は天鵞絨のような手触りのいい生地のようだ。

普通のものよりも艶感があるので、ネアは、しっかりと厚手のサテンだと思っていた。



グラフィーツは、ネアのお皿の上をちらりと見ると、僅かに眉を寄せるので、何が食べたいものがあったのかなと首を傾げれば、呆れたような顔をされた。



「………それを食べ終えたら、一曲踊るぞ」

「……………まぁ」

「いいのか?君が踊ることは、滅多にないと思っていたが……」

「祝福の固着を取るには、俺が踊るのが一番だろう。………弟子のようなものだと思えば特例だ」



ウィリアムも驚いていたが、ネアも思わず目を丸くしてしまう。


ネアは知ったばかりだが、砂糖の魔物は、誰かを伴うことを避けるためにか季節の舞踏会にあまり現れないと言われているようなので、そもそも、ダンス自体にもあまり興味がないのだと思っていた。

だが、こちらの魔物は、砂糖を食べる時にも踊っていたではないか。



「もし、何かの為に踊っていただくのであれば、ご負担はありませんか?」

「天秤がそちらに傾くなら、最初から誘わんぞ」

「ふむ。それもそうですね。………ウィリアムさん、ご一緒してきてもいいですか?」

「ああ。グラフィーツとのダンスは、ここで得られる祝福を良いものとして持ち帰るのにかなり助けになる。……君は問題なさそうか?」

「ふふ。グラフィーツさんは、なぜだかいつからか私の先生なのですよ」


ネアのことも気遣ってくれたウィリアムにそう言えば、ほっとしたように頷いてくれた。

ネアは慌ててお皿の上の小さなタルトや、白身魚を使った美味しいオリーブソースのパイなども食べてしまい、シュプリで喉を潤しておく。



そして、差し出されたグラフィーツの手を取った。



(……………ひんやりとしている)



白い手袋を嵌めたその手は、義手の方だ。


特別な白薔薇の祝福石などで作られたという魔物の義手は、普通の人肌と変わらないようにも感じられるが、時折硬質な光を帯びる。


ピアノを教えて貰う時などに触れても硬いとは思わないのだが、戦闘時などにはがしゃんと音を立てているので、何らかの仕様変化が可能なのか、義手によって素材が違うのかもしれない。



けれども、触れていると温かくなるのだ。



流れ始めたワルツに合わせて、最初のお辞儀をする。

ウィリアムのように本来は手を離すべき場面でも繋いでいてくれるので、グラフィーツも事故や事件を警戒していてくれるのだろう。


今回の音楽は繊細で柔らかなもので、はらはらと降る雪を思わせる旋律だ。

細やかな音がこぼれては弾み、どこまでも広がる雪原のように弾けてゆく。



ネアは、思いがけないくらいに巧みなグラフィーツとのダンスに驚きながら、何かを考えているような青藍の瞳を見上げた。

すると、グラフィーツは僅かに眉を寄せ、漸く切り出すべき言葉を探したものか短く息を吸う。




「そろそろ、入れ替えの守護を渡しておいてやる」

「………グラフィーツさん?」



一つのステップの間だけ待ち、続いたのはそんな言葉であった。


目を瞬いたネアをじっと見つめ、砂糖の魔物はきらきらと落ちているオーナメントの色影を踏み、上着の裾を翻した。


そしてまた、ターンが入る。



「もしも、橋の向こう側に引き摺り落とされそうになったらそれを使え」

「………それは、………私の代わりに、あなたをどこかに落とせということでしょうか?」

「かもしれないな。時と場合によって扱い方は変わるだろう。だが、持っておいても損はない」



(それは、もう一緒に舞踏会に行きたい人が、ここにはいないからだろうか)



ネアは何も言えず、ディノやヒルドとは違う不思議な青さの瞳を見ていて、そんな眼差しからこちらの疑問を感じ取ったのだろう。


ふっと口元を歪めると、グラフィーツは、そうではないと付け加える。



「だが、俺の方があちらにも適応出来るだろう。お前が戻……迷い込むよりはよほどいい。これは、………守護を担うような他の連中に強いるのも面倒なことだからな」



そんなことはない。

だが、そうは思わなかったからこそ、グラフィーツはこの提案をしたのだ。

恐らく、漂流物が現れ、向こう側から伸ばされる手があるのだと考えたから。



だからネアは、淡く微笑んだ。



「…………先生。私はきっと、あなたが思うよりも善良ではなく、それどころか冷酷で残忍な人間なのだと思うのです。……何一つ強いられたことではないとも言いませんが、少なくとも最後の最後には、自分で怪物になることを選んだ人間が私なのですから」

「いや。それは把握しているつもりだ。お前は必要とあれば、誰であれ、線の外側のものを切り捨てられる人間なんだろう」

「であれば、もしそれでもと守護を与えて下さるのなら、……どなたか、上手くそのように誘導出来る人を探して、私が危険な目に遭った際に犠牲に出来るようにして下さい。…………それが、先生にとって必要だと感じることであれば、私はそのようなものも必要なのだなと理解して、見知らぬ誰かを犠牲にする残忍さを自分の中で正当化します」



こちらを見ている瞳が、僅かに揺れた。

だからネアは、微笑みを崩さずにそんな魔物とのターンをふわりと踏み刻む。



「先生、私にはそれが出来ます」

「……………ああ」

「けれども、可能であれば、悪いやつをこの手で滅ぼすことの方が得意でしょうか」

「…………そうだな」

「なので、これからもピアノを教えて欲しいですし、私の推測が間違いでなければ、今の提案は、先生のここではないどこかへ行かなければという願いでもないと思うのですが……」

「…………早々に獲物を探すことにしよう。或いは、もう誰かが用意しているかもしれないが。………ただし、そちらを選ぶのなら絶対に躊躇うなよ」

「むぅ。先生と入れ替えになる方が、遥かに躊躇い案件ではないですか!」



ネアがその憤りを込めてえいっと最後のターンを回れば、グラフィーツが小さく笑う。



「…………ずっと昔に、いるべき場所に間に合わなかったことがあった。その時の代替えのようなものだ。お前がどうこう思うことではない」

「それなら、尚更先生はやめておきましょう」

「そうだな。…………最後まで代わりを務めるつもりなら、お前が巻き込まれる事件が一度で済む筈もなかったか」

「なぬ………」



(…………先生は、私という額縁の向こうに誰を見ているのだろう)



けれども、それを問うのは粋ではない。



曲が終わり、お辞儀をすると、微かな鈴蘭のコロンの香りがしたが、グラフィーツはもう何かを考え込む様子はなかった。


ただ、魔物らしい酷薄さと冷淡さで、意思までを取り込んだ身代わりの獲物が必要だなと呟くばかり。

そうして取り返したいつかの機会がこの魔物のどこかを救うのなら、ネアは、その代役も吝かではないと思う。



(その先で、私の身代わりになる見知らぬ無実の人がいたとて)



あの復讐の道行きで多くを犠牲にした怪物が、今更その犠牲を躊躇うことなどあるだろうか。




付与してくれた祝福は、特別なものなのだそうだ。

なぜか機嫌の良くなったグラフィーツに連れられてウィリアムの元に戻ると、すらりと立った終焉の魔物は豪奢なまだら髪のご令嬢に周囲をぐるぐると回られていた。


うんざりしたような眼差しでそのご婦人を見ていたウィリアムが、こちらに気付いてふわりと微笑む。



「……………まぁ。逃げました?」



しかし、その途端、まだら髪のご令嬢はうっと声を上げて逃げていってしまった。

真っ赤になっているので、終焉の魔物の微笑みは刺激が強かったようだ。




「祝福は貰えたか?」

「はい。とびきりのものだそうです!」

「グラフィーツが………?」

「妙な目で見るな。そうでもしておかないと、あいつが煩いからだ」


グラフィーツはうんざりとしたような顔でグレアムの方を示し、先程までのどこか真摯な眼差しはもう見せなかった。



「…………ところで、グレアムさんを囲むご婦人が、増えていませんか?」

「ネアが踊っている間にもう一度ミカと話をしていたんだが、最近のグレアムは、知り合いも増えて表情が柔らかくなったと人気があるらしいな」

「ウィリアムさんは、お話をしたい方などはいません?」

「ネア?」

「むぐ」



気を利かせたつもりが少し怖い顔をしてみせられたのでネアは沈黙を守り、もう一度差し出されたウィリアムの手を取る。


グラフィーツはどこへともなく離れていき、そんな砂糖の魔物に慌てて駆け寄るニエークが見えた。

辟易とした様子のグラフィーツは、ディートリンデ達と話をしているミカのところに合流するようだ。




「ネア、もう一度踊ってくれるか?」


そちらを見ていると、後ろから抱き込まれるようにしてウィリアムにそう問いかけられる。


ネアは、今年はこんな体勢でも動けるパンツドレスなのだとウィリアムの腕の中でくるりと振り返り、微笑んだ終焉の魔物の腕に手をかけた。



「はい。ウィリアムさんともまた踊りたいです。因みに、こうしてダンスやお食事を楽しんでしまう以外にも、何か特別なことをする必要はありますか?」

「今年は、特定の者に祝福をかけるというよりは、皆で冬告げの舞台を踏み固める舞踏会なんだ。強いて言えば、ダンスを踊ることくらいか」

「まぁ。では、沢山踊ってしまいますね!」



手を引かれてダンスの輪に戻れば、王族相当の魔物の訪れに、音楽を待っていた参加者達がお辞儀をする。

楽器を構えた楽団員達の向こうで、イブメリアの装いの森がちかちかと光っていた。



ふと思い出し、ネアは人々の足元に目を凝らしてみたが、白い片手鍋はいないようだ。

その代わりに、うんざりしたような目をして女性達に囲まれている使い魔が見えたので、ネアは、お気に召すご婦人はいなかったのかなと眉を下げた。




「………グラフィーツとは、どんな話をしていたんだ?」

「今回の漂流物のこともあり、心配して下さったようです。………グラフィーツさんがどこかで喪ってしまったものの代わりに、有効な手立てを考えてくれるのだとか。………その為にご自身を損なわれるのであれば、私は、見知らぬ誰かを犠牲にして欲しいとお伝えしてしまいました」

「その方がいいだろうな。災いと祝福の役割で、今の関係を失うのは惜しいだろう」



ネアが少しの緊張を持って告白すると、ウィリアムはあっさりとそう言うではないか。

そういえばこの人達は魔物だったのだと思い出し、ネアは、小さな安堵を噛み締める。




「…………私が綺麗事を言わなくても、酷いことをしたり、残忍なふるまいをしても、今の私の大事な人達は当たり前のように受け入れてくれるのですね………」



しゃりんと、どこかで澄んだ音がした。


後で見に行こうと思っている中二階の大きな飾り木の影に入ると、清しい冬夜の香りがする。


こちらを見ているウィリアムの表情が影になり、白金色の瞳が光を孕むよう。

そして、例えようもなく美しかった。



「ネア。俺にはその心配は必要ない。…………この世界で、俺程に多くを殺すものはいないだろう。理不尽に奪い壊し、怨嗟に縛られる事も慣れている。………だから、どうかつまらない綺麗事の為に、俺から君を取り上げないようにしてくれ」

「…………はい」

「俺が厭うことがあるとすれば、シルハーンやネアが損なわれることだ。…………その為に何かが必要なのであれば、それが例え贄のようなものなのだとしても、俺に言えばいい」

「……むぅ。私だって、自分で狩れるのですよ?」

「おっと。確かにそうだな」



狩りの女王であるのだと主張したネアに、ウィリアムが小さく笑う。


その次のターンの前に体を屈めてネアに口付けを一つ落とすと、ダンスの終わりに向けて、さり気なくケーキの置かれたテーブルの方へ向かってくれることになった。




(そう言えば、まだヨシュアさん達にも会えていないし、ワイアートさんの姿も見ていないような………)




開始から盛りだくさんであったので今更そう思えば、デザートテーブルの近くに見えるのが、ワイアートだろうか。


せっかくの特別なドレスなので帰る前には挨拶をしておこうと考えたネアは、やはりもう一曲と囁いた魔物に頷き、白い花びらのような雪の降る冬告げの舞踏会の会場の中央に立つ。



ただし、踊り始めたところで、やはり片手鍋だなという生き物が飲み物のテーブルの前を走っていったので、帰る前にそちらの謎も突き止めておけるといいなと思っている。









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