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255. 儀式のお客が現れます(本編)




はらはらと降る雪の中で、ネアは何曲もダンスを踊った。



ふぁさりと揺れる互いの服裾が大きな翼や花びらのように揺れ、ネアは、いつもとは違うステップの軽さに何だか楽しくなってしまっていた。


髪飾りもしっかり固定されていて邪魔にならないし、嵩のあるドレスのスカートとは違い、ぴったりと体を合わせるとウィリアムの体温が伝わってきて、一緒にダンスを楽しんでいるという感じがする。


会場の床石に落ちる飾り木や大きなシャンデリアの影に、うっとりとするような花の香り。

そこに重なるのはイブメリアの季節には欠かせない木苺や林檎のような甘酸っぱい香りで、最後にモミの木を思わせる清しい緑の香りが全てをきりりと引き締めていた。



(いい匂い。…………頬に触れる冬の温度が気持ちいいくらいで、どこもかしこもイブメリアの一番美しいところだけを集めたように美しくて…………)



吸い込んだ空気がそのままじわりと心に染みわたるような贅沢さに、ネアは、こちらを見て微笑んだウィリアムの眼差しがいつもより遥かに酷薄でも、それを怖いとは思わなかった。



(多分、これが終焉という魔物の持つ王性で、そこには確かにどこか、冬の気配や信仰や祈りに似たものがあるのだろう)



とても怜悧でぞっとする程に美しく、だが深いところで青い炎が燃えているような熱を感じる。


くるりとターンで回されると、ふわりと体が浮くようだ。

しっかりと体に回される腕は、やはり魔物達の中で随一という安定感である。

ネアは、どちらかと言えばお相手に重力をお任せする型のパートナーなので、ウィリアムと踊るとすっかり寛いでしまうのだった。



(ディノと踊るのは楽しくて幸せで、アルテアさんは、洗練されていてわくわくするような感じ。ウィリアムさんと踊るのは、…………体をぐっと伸ばして息をするようで、とても気持ちがいいのだわ)



となるとこれはもしや、ストレッチ的な要素がどこかにあるのだろうかと目を瞬いていると、おやっと眉を持ち上げたウィリアムがにっこりと微笑む。


たまたま近くに来ていた隣のペアは、そんなウィリアムの微笑みを見てしまったらしい。


ステップを踏み違えたなという焦り方で慌てて離れていったが、水色の髪を綺麗に結い上げた女性の方は耳まで真っ赤になってしまっていた。



ゆったりと、どこか密やかにほころぶように。



とにもかくにも、ウィリアムのこのような時の微笑みは、私的な会話を盗み見てしまったような親密さなので、その親密さあってこそ近しい相手として安心して見上げていられるネアとは違い、外側から窺う時にだけ感じられる破壊力があるのかもしれない。



(ノアはよく腹黒いと言うし、アルテアさんからは情緒がないからこそお前は何も感じないんだろうなと言われるけれど、…………時々、グラストさんがあんな微笑みをゼノーシュに向けているから)



だからネアは、このウィリアムの微笑みが大好きなのだ。



「ネア?少し上の空だな」

「こんな時のウィリアムさんの微笑みが、好きだなと思って見ていました」

「……っ、…………参ったな。こちらの質でそれをやられても、…………それなりに響くのか」

「ウィリアムさん?」

「いや。気にしないでくれ。………ん?」

「……………む?」



僅かに瞳を眇め、どきりとするような男性的な微笑みを浮かべたウィリアムが、何かを言いかけたところで白金色の瞳を呆然と瞠る。

あまりの表情の変化に、何があったのだろうと振り返ったネアは、少し離れた場所でとてもいけないものを発見した。



とは言えここは人ならざる高位の者達の集まる舞踏会なので、そこで皆が騒然としてしまうことはなかった。



だが、あれは手斧かなというものを振り上げたドレス姿のご婦人がいれば、さすがに踊りながら凝視してしまうのは致し方あるまい。



「……………ウィリアムさん。あれは、新しいダンスか余興でしょうか?」

「いや。…………あの様子からすると、痴情の縺れだな」

「なぜここで始めてしまったのだ………」

「よりにもよって、今年の舞踏会でなのか。………こうした儀式的な場でとなると、不愉快極まりないな」

「そして、襲われているのはニエークさんか、氷の魔物さんだと思われます」

「おまけに、冬の運行に必要な者を標的にしているのか………」



おやっと思い見上げると、ダンスを途切れさせず続けながらではあるが、そちらを見たウィリアムの眼差しは、腕の中にいなかったら逃げた方が良さそうだと思うくらいに冷ややかなものであった。


実際に、線上に立ってしまった紳士が胸を押さえてよろよろと離れていくので、なかなかに心臓に負担のかかるお怒り具合なのだろう。



「ご不快であれば、私がべたべた玉でも投げつけて制圧しておきましょうか?」

「そうすると、ニエークがまた倒れそうだから、やめておこうな」

「むぐぅ…………」

「…………すまない、心配させたな。ネアにもしものことがあっては困るから、さすがに少し苛立ちを覚えた」

「もしかして、今年の冬告げの舞踏会が儀式的な意味合いが強いということは、いつもにはないような禁則事項があるのでしょうか?血がいけないですとか、争い事が良くないですとか………」

「…………ああ。資質にない崩壊を持ち込むのは厳禁だ。柱となる冬の系譜のものを損なう行為ともなれば、言うまでもない」



そして、ネアが次のターンでくるりと回されている間に、事態はまた変化したようだった。


もう一度現場に体が向いたネアは、掴みかかられているのが氷の魔物であることを知り、遠い目になる。

そろそろ誰かがご乱心の女性を休憩室などに隔離するべきだが、このような会場の場合は難しいのだろうか。



そんな事を考えていたら、しゃりんと音がした。



おやっと眉を持ち上げたネアは、いつの間にか音楽が終わっており、ウィリアムが立ち止まった事を知る。

そして、手斧を振り回す女性に詰め寄られている氷の魔物の表情が、困惑でも羞恥でもなく、酷く訝し気であることにも。  



その表情はしまったというようなものではなく、まるで見知らぬ人を見つめるような怪訝さで、それがなぜだか気になった。




「アルテア!」


ウィリアムがその名前を呼ぶよりも早く、ネアは誰かに抱きかかえられていた。

ぎょっとしてしがみつけば、どこからか戻ってきたアルテアではないか。


「…………ネア。どうも様子がおかしい。俺が対処にあたる間、アルテアと一緒にいてくれ」

「は、はい!」

「ウィリアム、直接は触れるなよ」

「……ええ。そうします」



ネアをアルテアに預け、真っ直ぐに氷の魔物と手斧を持った女性の方へ向かうウィリアムの手には、見慣れた大剣がある。

けれどもネアは、その向こう側に広がる不思議な夜闇の方が気になった。



(おかしいわ。……………森が暗い)



会場の外周には、ホーリーテの森がある筈なのだ。


ホーリートの光り方とはまた違うというが、それでも雪の中で赤い実をぼうっと光らせ、古く豊かな祝祭の森の美しさを湛えている。

細やかな祝福の煌めきがイルミネーションのように宿るのは勿論のこと、そこはいつだって、ウィームの森のように夜明かりが満ちていた。



だが今はどうだろう。

明かりを落としたように真っ暗ではないか。

それはまるで、不吉な何かを暗示するかのような色だった。



「……………アルテアさん、向こう側の森だけ光らなくなっていませんか?」

「………まさか、お前にはそう見えるのか?」


慌ててアルテアに異変を訴えたのだが、鮮やかな赤紫色の瞳を瞠ってこちらを見た使い魔に、ネアはとても嫌な予感がした。



「もしかして、……………アルテアさんには、これ迄と変わらないように見えています?」

「……………ああ。外周の森にいる連中の気配にも変化はない。くそ、あの精霊が何かを呼び込みかけているな………」

「あの女性は、精霊さんなのですね……」



そんな会話の折りに、ふっと隣に誰かが並んだのでネアは悲鳴を上げそうになった。


けれども、そこにいたのが長い髪を揺らした真夜中の座の精霊王であることに気付き、ほうっと息を吐く。


紫がかった水色の髪に、青い瞳が冬夜を思わせる美しい精霊は、やはりこのような舞踏会でも黒一色の装いである。

だが、その装いこそがこの上なく高貴に見えるのもまた、真夜中の座の精霊だからなのだろう。


そんなミカは、さりげなくネアの前に出てくれた。



「ミカ。………奥の森の異変が見えるか?」

「ひび割れだな。…………夜の向こう側に、誰かがいるようだ。外周の森もまた祝福が強い土地なので、そちらは却って安全なのだろう。なので、………この会場と森の間に、一枚の扉を挟むようにして薄い境界がある」

「くそ。………俺にはさっぱりだ。土地そのものへの侵食なら、クロムフェルツを呼んだ方がいいだろうな。………ネア?」



こちらを見たアルテアに怪訝そうな声で名前を呼ばれたが、ネアは、ただ真っ暗な森を見ていた。



ウィリアムとダンスを踊っていた時に、ここではないところで一人で踊っているような不思議な感覚があって、クロムフェルツの声が聞こえた気がする。


けれどもそこは、見知らぬ暗闇であるのと同時によく知っているどこかで、ネアは、いつだって同じ夜の湖や深い森の中にはらはらと降る白い花びらを見ているものだ。



(………でも、あの向こう側の暗さは、…………違うものだわ)



一瞬、どこかで見た事のある暗さにひやりとして、自分があんなものを見たせいで何かが揺らいだのかと思ってしまった。


だからネアは、その暗闇をじっと見ていたのだ。



「ネア」


もう一度、アルテアに低い声で名前を呼ばれた。

そちらを見れば、僅かに安堵したような瞳がある。


「……………私の知っているものかと思いましたが、どうやら違うようです。けれど、知っているものに似ていると感じるのは良くない事なのでしょうか?」

「浸食や介入はないな?」

「はい。恐らくそのようなものではないと思います。……ただ、森が暗く見えるくらいでしょうか……」

「アルテア、彼女が見定める要素は?」

「夏至祭か、イブメリアに相当する祝祭だけだな」

「………となると、この場所に現れ得るのは祝祭か。漂流物の可能性が高い」

「境界やあわいからのひび割れとなると、現段階では漂流物だと決まった訳ではないが、………ウィームのクロウウィンに現れた祝祭は、同じ祝祭を追いかけてきた。何か、そうするだけの理由を持つのかもしれないな」



しゃりん。



風に揺れるのは見事な飾り木のオーナメントではなく、煤けてしまった小さな金色のベルだった。

赤くも見える木肌の枝を組み合わせた不思議な飾りには、羊毛を編んだ不思議なベル飾りがぶら下がっている。



(……………ああ、これはどこだろう。誰が、こちら側を見ているのだろう)




しゃりん。



ネアはふと、何か、とても悲しくてそして恐ろしい言葉を聞いたことを思い出しかけた。

ついさっき、あの暗い湖面を踏んで踊っていたネアに、クロムフェルツは何と言ったのだったか。



(今もう、ここにはないもの)



その言葉を取り上げ、心の中で繰り返す。

すると、やはりここではないどこか遠くで、精緻な彫刻のある石の椅子に座った誰かが呆れたように笑う。



それはそうだろう。

何しろ私はここにいて、そこは、ここではないのだから。



道を違え、分岐で別れ、違う層に落ち着いた。

多分、ここはもうそこではなく、そこはもうここには戻らない。

とは言え、古いものだと言われるといささか癪でもある。

こちらの祝祭の庭に暮らす聖なるものは、唯一人。



だからこそ、私の手元から切り取られて祀り上げられた哀れな子供は怪物になり、静謐と死を司る彷徨える祝祭の庭に閉じ込められた。




「信仰心を失えば恩寵を失うのは、当然のことだろう。そのような不実さを恐れずとも、ずっと昔からこの庭で音楽を捧げ暮らす、無垢な子供達だったではないか」


「…………っ」



最後の声だけは、まるですぐ近くにいるように聞こえ、ネアは鋭く息を呑む。

抱え込んでくれているアルテアが気付いてぎゅっと抱き寄せてくれたが、その手は、ネアが見据えている場所とは違う部分に触れているような気がした。


よく分からないが、アルテアはこちら側には届かないと、そう思ったのだ。



ひたりと、冷たい汗が背中に滲む。


ウィリアムが向かった先で何が起きているのかが気になるのに、吸い込まれるような暗い森から目が離せなくなりつつある。

そちら側のものに見付かりたくはないのに、どうしても目が離せない。




その時だった。


また誰かが隣に立った。

舞踏会の煌めきの中でそこだけが薄く滲むような影を帯び、けれども少しも嫌な感じはしない。

それどころか、暖かな毛布で包まれるようなぬくぬくとした安堵に包まれる。


こちらを見た優しい目が微笑み、髪に複雑に編み込まれた飾りがきらきらと光ったように見えたが、目を瞬けばやはり誰もいないのだ。


でも、ネアには誰がいるのかが分かったし、アルテア達がやれやれと息を吐いているので、もしかするとそちらの魔物や精霊にはクロムフェルツの姿が見えているのかもしれない。



「招待状のないお客のようだ。………この庭に来るのであれば、同じ王の座を持つ彼かとも思ったけれど、最近こちらに触れている層は、既に橋が落ちた場所のようだね」

「橋が、既に落ちているのですか……?」

「そうして重なる場所は、並んで運行するものではないので、どの面に触れるかは運次第なのだろう。対岸から流れ着く者達が多い時期に重なったのが、その時代の彼で良かった」


(そう言えばディノも、前の世界層に触れる時などに、世界の重なりは蛇行する川のように曲がりくねっているのだと教えて貰ったことがある)



「誰かがこちらを見ているようなのですが、これは問題のないことなのでしょうか?」

「それは、君の血に連なる者達が君を勝ち取ってからの時代のものだ。もしこちらを訪れるのであれば、それ程に厄介なものはないだろう。だが、君がどうして自分に属さないのかを知り、こちらに手を伸ばす程には酔狂ではなかったらしい。……………それでも、啓示や顕現を司るものである限り、こうして対話が叶う時もあるのだろう。いつかの夏至祭の日のようにね」

「あ………!」



男性でもあり女性でもあり、青年の声のようにも老女の声のようにも聞こえる不思議な声。

けれどもクロムフェルツの声音は、得も言われぬ程に美しく魅力的なのだ。


ネアは、こんな風に祝祭の王様と会話が叶うのは、とっておきの時だけだったのにと思いながら、それでも恐らくはあの暗い森を見ているに違いないイブメリアの主人の横で、同じように暗い森を見据えた。



多分のそこに何かがいて、そして、こちらにやって来ようとしている。



「向こう側にいるのは、何なのでしょう?」

「…………かつては、私やあの者と同じように、冬の祝祭を司った何かだろう。祝祭が失われてからも彷徨うものか、或いは、本来の主人がいなくなった後も残された祝祭の眷属かもしれない」

「失われた祝祭に関わるものなのですね………」

「廃れた祝祭は、残っている自分と同じものを見付けると、ああして追いかけてきたり、近寄ってきたりする事がある。何かのきっかけで入れ替わる事が出来れば、新しい祝祭の主人になれるからね」

「…………それは、……………悍ましいですね」



思わずそう言えば、クロムフェルツが気遣わしげにこちらを見たような気がした。


「君がそう思うのは、どこかがかつての祝祭に根付いているからだろうね。私の愛し子として、或いは、…………古い別の祝祭の庭の記憶や、君をそこから切り取った茨の輪の中の祝祭の形として」

「クロムフェルツ、……………大丈夫なのだろうか」


そう問いかけたのは、ミカだった。

初めて見るような厳しい眼差しでネアと同じ方向を見ていて、慌てたようにこちらに来た誰かと短く会話を交わしている。


こうして気付く人もいれば、アルテア程の魔物でも、その気配に気付かないのだと思うと、少しだけ怖くなってしまう。


(そんなものが近付いてきていて、本当に、大丈夫なのかしら……)



「ホーリーテの森との境界にいるものは、こちらには来られないだろう。まだ生きている祝祭ではない限り、彼等にとっては終焉程に抗えないものもない。今代の世界では、死よりも多く終焉そのものを司る者であるからいっそうに」



その声はどこか悲しげで、ネアは、先程のクロムフェルツの言葉を恐ろしく感じたのは、自分の中の祝祭に根差した部分なのだろうと考える。



(祝祭にとって最も悍ましいのは、廃れて失わてしまうこと)



収穫祭の訪れの日に、ネアが少しだけ好感を抱いた春の祝祭の主人が、そんなことを言っていたではないか。


(あの人の言葉は、この世界のものではないからこそ、私が知り得ない祝祭そのものの思いだったのだろう。クロムフェルツさんが色々な事を教えてくれたとしても、…………きっと、この世界のイブメリアは変わらずにずっとそこにあるからこそ、あの人の思いのようなこと迄は教えてくれない)



ネアがそんなことを考えてなぜか自分ではっとしていると、どこか、先程よりもずっと遠くで誰かが夢見るように微笑んだ。



石造りの聖堂は、恐ろしい程に広く天井も高い。

天使の彫像に聖典の場面を連ねた壁画に囲まれたその人は、豪奢な椅子の肘置きに頬杖を突くようにして目を閉じると、もう会えない遠い友人を思うような微笑みを浮かべる。



(もしかしてあなたは………)



あの春の主人のことを知っていたのだろうかと思いはしたが、ぱたりと向こう側が断ち落とされたように何も見えなくなった。

こちらを見ていた橋の向こう側のものは、もういないようだ。



そして、その気配の喪失と共に、森の方でも変化があった。



しっかり見えはしないものの近くに立っている筈のクロムフェルツがすいと手を持ち上げ、その手を横に振ると、また結晶細工のオーナメントがしゃりんと音を立てる。


ネアが慌てて視線を戻せば、先程まで真っ暗だった森は再びきらきらと光っていて、ウィリアムの前に倒れた誰かがざあっと灰になってゆくのが見えた。

剣をしまうウィリアムに、氷の魔物が何かを話しかけ、ニエークが誰かの亡骸があった場所を雪で覆ってしまっている。


どうやらそちらでも、荒ぶる参加者の対処が終わったらしい。



「終わったな。…………ネア。何も不調はないか?」


頬に手を添えられ、アルテアの瞳を見上げて頷いた。

おやっと思って周囲を見回したが、いつの間にかクロムフェルツの気配が消えている。


「クロムフェルツさんも………もういません?」

「………戻ったようだな。とは言え、ここを見てはいるだろうが」

「元々、彼はこちら側と深く関わりを持つようなものではないからね。…………ご……………ネア、もう終わったようだから、安心するといい」

「はい。ミカさんも、こうして近くに来て下さって有難うございます。アルテアさんが一緒にいたので充分に心強かったのですが、更にミカさんまでもが近くに来てくれたので、すっかり安心してしまいました」



どこでだって対処が出来たのにこちらに来てくれたのは、知り合いのか弱い人間を案じてくれたのだろう。

なのでとネアがお礼を言えば、真夜中の座の精霊王は青い瞳を細めて微笑んでくれた。


大きな黒い鳥の翼のような長衣の裾は、精緻な刺繍の他に細やかな夜の色の結晶石の縫い込みがあるようだ。

ミカの動きに合わせてきらきらと光るのだが、それが実に美しい。

踊ったらどうなるのかなと気になったが、真夜中の座の舞踏会とは違い、こちらの王様と踊る機会はなさそうだ。



「ネア。クロムフェルツが来ていたようだが、大丈夫だったか?」

「ウィリアムさん!」

「祝祭のものだったらしいぞ。…………あの女は?」

「やはり祝祭か。………向こうでも、グレアムやディートリンデたちと話していたんですが、障りに近いものに触れたので助けて欲しいと、アルミエに相談を持ち掛けようとしたらしいですね。………以前からアルミエに近付こうとしていたようなので、接点を作る為にわざと障りを受けた可能性も高いようです」

「…………あいつも、妙な縁ばかり引き寄せるな」

「なぜ相談を持ちかける段階から、手斧を持って来てしまったのでしょう………」

「いや。あの冬霜の精霊の目当ては、アルミエの娘だったみたいだぞ」

「ほわ。…………お嬢さん狙いです」



そうなると、少々問題のありそうなお相手を父親として断固近付けさせないという判断は当然のものなので、ネアは、こんなことで迷惑を被ってしまったアルミエの背中をそっと叩いてあげたくなった。


伴侶を喪った魔物にとって、残された娘はどれだけ大切な宝物だろう。

気軽に手斧を持ち歩くようなお付き合いは、間違いなくお断りしたほうがいい。



「障りを自ら取り込んだはいいが、アルミエが見過ごせないだけのものをと選んだのが、よりにもよって漂流物だったというところか。………やれやれだな」

「接触を図る為にと敢えて今回の冬告げの舞踏会を選んだのも、普段であれば、アルミエの系譜の部下達に追い返されて会う事が叶わないからだったようですね。………ただ、あの状態だと、どこまでが本人の意思だったのかも怪しいところですが」

「滅ぼしてしまったことで、冬告げの舞踏会に影響はあるのでしょうか?」



大好きな季節なのでと眉をへにゃりと下げて問いかけると、ウィリアムがにっこり微笑んだ。



「そうならないように俺が出たんだ。俺は、元々冬告げの舞踏会の中にある終焉の要素だから、季節の運行やこの舞踏会への影響はないからな」

「…………ふぁ。ほっとしました!ウィリアムさんがいてくれたお陰ですね」

「今年は、珍しくグラフィーツもいたから、彼の手を借りられたのも大きい。今は、………砂糖を食べに行っている」

「まぁ。先生も来ているのですか?」

「ああ。今年の特別枠の一人だな。彼の資質的に、祝祭を有する季節の舞踏会には元々参加の資格があるんだが、普段は滅多に現れない。…………グレアムは、仮とは言え、同伴者を作りたくないからだろうと言っていたな」



(先生は、このような場では、もう踊らないのだろうか………)



グラフィーツは、歌乞いを喪った魔物である。

喪った歌乞いへの思いが、もう二度と、他の誰かと踊る必要はないと思うくらいのものなのかと思えば、ネアは、少しだけ胸の奥がぎゅっとなってしまった。


何もかもを自分事にするのは間違っているのだが、こうしてネアの大事な魔物を重ねてしまうのもどうしようもない。



(だとすれば、…………私はよく分からないものに損なわれたりはしないようにしよう。いつだって、必ずディノのところへ帰れるように)




そんな決意を新たにしていると、再び、柔らかな音楽が奏でられ始めた。

ダンスの輪に人が戻り始め、ネアはちらりとウィリアムを見る。


視線に気付いたウィリアムが、ふっと悪戯っぽく唇の端を持ち上げた。



「先にダンスを踊ったせいで、まだ何も飲んでいないだろう。飲み物を貰って、何か食べるか」

「はい!」



伸ばされたウィリアムの手を取って小さく弾んだネアは、楽しみにしていた料理のテーブルに向かうことになった。


まずは飲み物だろうと、給仕を呼んでくれたミカが、今年は送り火と雪砂糖のシュプリが美味しいと教えてくれる。



「まぁ。そんな素敵なシュプリがあるのなら、是非に飲みたいです!」



すっかりお勧めシュプリのお口になったネアだったが、幸いにもミカのお勧めのシュプリはまだ残っていたようだ。


持ち込まれた本数が少ないので残り二本ほどと聞けば、誰かが気に入って沢山飲んでいる気配がある。

負けじとさっそく、細長い優美なグラスを受け取り、しゅわしゅわと綺麗な泡の立つ琥珀色のシュプリを一口飲んでみた。



(わ………!こんな味のシュプリもあるのだわ)



「………美味しいです!ざっくり焼いたビスケットのような、独特な風味ですね」

「ほお。…………シュプリでこの香りは珍しいな」

「祝祭の日に聖堂の送り火で焼いた藁を畑に敷いて、葡萄園の養分にするそうだ。その畑で、イブメリアの朝に収穫した葡萄で作るシュプリを熟成させると、この琥珀色になる」

「独特な風味だが、…………飲み口はさっぱりしているんだな」



想像外な味わいだったのか、ウィリアムは無言で二口目を飲んでからそんな感想を言い、ミカをにっこり微笑ませていた。



(香ばしいというか、甘さ控えめのライ麦のビスケットを齧ったような不思議な風味があるのに、ウィリアムさんの言うように飲み終えると寧ろ辛口の後味なのだわ。どこかお茶を思わせる風味なだけに、しっかりとした味付けのものが多いイブメリアのお料理とは、とても合いそう…………!)



本来の瑞々しさや香りとは少し傾向が違う為、一番に気に入るシュプリというものではないが、飲みやすいシュプリとして重宝しそうな味わいではないか。

しかし、飲みやすさのくせ希少なシュプリなのだから、話題性には事欠かない。


特別な舞踏会にこんなシュプリを飲んだのだという土産話を持ち帰るにはぴったりの、美味しいシュプリであった。



そうしてネア達に美味しいシュプリを教えてくれたミカは、これから、グレアム達と合流するようだ。

それなら一緒に行こうかなと思ったが、グレアムはニエーク達と話しているので、そちらから離れてから、あらためて挨拶をしようということになる。



「さて。どのテーブルに向かうか決まったか?」

「左側からでいいですか?一口で食べやすい華やかなお料理が多いので、他のテーブルよりお料理の減りが早そうなのです!」

「よし。じゃあ左からにしよう。丁度ディートリンデ達もダンスを終えたようだから、食事をしながら少し話せそうだな」



ウィリアムに教えて貰って大好きな二人の妖精の姿を見付け、ネアは目を輝かせた。

今年はだいぶ行事の順番を変えたが、この二人とのお喋りの時間は是非とも確保したい。




「……………む?」


さて、これからは楽しむばかりでいいだろうと微笑んだネアは、しゅばっと会場を横切った白い足つき片手鍋の姿に呆然とした。

しかし、慌てて袖を引いてウィリアムに訴えたものの、ウィリアムだけではなくアルテアも見ていないというので、見間違いだったのかもしれない。






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