ストーブ列車とぼろぼろスコーン
帰り道では、再び列車に乗る事になった。
ラヴェルエ鉄道は、名前の通り鉄道である。
鉄製の線路を敷き、黒薪石を燃やして走る列車なのだ。
たいへん生まれ育った場所の鉄道に近いので、憂いを晴らしたばかりのネアはわくわくと乗り込んだ。
(もう、野宿じゃない!!)
こちらにおわす乙女は、見知らぬ人達のお墓での野宿を乗り切った精鋭である。
どれだけテーブルと椅子があっても、可愛い食器や寝台があっても、野宿は野宿だ。
案外普通に過ごしてしまう魔物達の隣で、ネアはずっと野宿を呪い続けていた。
何だか素敵な星空の下のテントというような過ごし方と違い、今回はどれだけ天蓋を付けて貰っても野宿感の否めない夜だったのだから、致し方ない反応と言えよう。
「まぁ。壁があって屋根があります!床もあるのですよ!」
「ご主人様……」
「…………経由のどこかで、好きなものを食わせてやる」
「アルテアさんは被害者であって、悪いのはあの墓地でぽいされた何者かなのですよ?」
「…………ったく」
ネアが隣の使い魔を見上げてそう言えば、アルテアは小さく息を吐いた。
これは、少し不安に思っていてからの安堵の反応なので、慈悲深いご主人様はにっこり微笑む。
「列車の中で、売り子さんから食べ物を買う予定なのです!」
「……………この路線はどうだろうな」
「………なぜ目を逸らしたのでしょう」
「記念品はあるのかな……」
そして、何はともあれ、列車の旅が始まった。
深緑の座面は相変わらずで、個室の扉は重い真鍮の留め金を回しかける手法だ。
覗き窓にはカーテンあり、外側の通路から個室の中は見えない。
しゅんしゅんと音を立てる足元の暖房は、動力となる黒薪石を使ったストーブなのだそうだ。
どこかに大きなストーブがあり、暖かな空気を循環させる方式であるらしい。
(まだ、吐き出す息が白い)
しかし、始発列車ともなるとまだ車内は冷え込んでいる。
「……………ネア、周囲の温度を調整するかい?」
「始発なのでまだ車内も冷えていますが、一駅くらいで暖かくなると信じてちょっとだけ待ってみますね。こうして、足元の暖かさと鼻先や指先の冷たさを感じるのも、旅気分なのかもしれません」
「うん。では、何かかけるものを使って暖かくしておいで」
「はい。……………むぐ?!素敵な手触りの毛織の膝掛けが!」
「インヘルの類にはなるなよ。…………飲み物の準備は既にある筈だ。売り子を呼ぶか?」
「はい!」
この区間の切符を持ち歩いているだけあり、アルテアは手慣れた様子で車内の売り子を呼んでくれた。
始発とはいえ、最寄りの駅から乗り入れた列車で発車準備を整えているところだ。
まだ列車が動き始めてもいないのだが、さすが一等車両なだけありすぐに制服姿の売り子が来てくれる。
からからと押してきたのは木製のワゴンで、ダムオンに行ってきたばかりのネアの目にも、なかなか素敵な作りに見えるものだ。
銀色のポットが六個置かれており、籠にはステッチを施した布巾がかかっている。
陶器のトレイに入っているのは、サンドイッチ類だろうか。
そちらも気になってしまい、ネアは椅子の上で伸び上がった。
「紅茶を三人分だ」
「か…………かしこまりました。苦みの強い黒紅茶と、牛乳を入れた紅茶、生姜と胡椒入りの紅茶がありますが如何いたしますか?」
「どうする?」
「牛乳を入れた紅茶にします。ディノはどれがいいですか?」
「同じものかな…………」
「それを三杯だ」
「はい」
生姜と胡椒の紅茶も気になったが、真っ先に出されたのがアルビクロムにもあった黒紅茶なので、土地で好まれるお茶の嗜好が合わない可能性も高い。
既にストーブだけで旅気分を味わう時間を過ごしているネアは、ここでは大きな冒険はしないことにした。
「何か、食べ物はありますか?」
「薄切りパンに具材を挟んだものが三種類ございます。こちらは、ハムとチーズ、マスタードと塩蜂蜜胡瓜、酢漬けキャベツと煮込んだ豚肉を挟んだものですね。他には、ブルーベリーのスコーンとチーズのスコーンがあります」
「…………まぁ。思っていたよりも沢山あるのですね」
「この時刻は、遠方への仕事に出掛ける商人の方が多く乗車されるんですよ。皆さまは、聖女様の縁者の方ですか?」
ワゴンを押してきた売り子の少女は、最初にアルテアに話しかけられてしまい緊張していたようだが、ネアが話しかけたことでほっとしたようだ。
朗らかだが賑やか過ぎる事もなく、感じのいいお喋りである。
だが、聖女関連はやや難しい問いかけだったので、アルテアが横から会話を攫った。
「似たようなものだな。………お前の嗜好だと、マスタードはやめておけ。スコーンならブルーベリーの方だろうな」
「むむ。では、胡瓜のものと、チーズスコーン以外のものをどれも一つずつ貰ってみますね」
「…………それを分けるくらいでいいだろう。支払いだ」
「丁度お預かりしますね。飲み物は陶器のカップになさいますか?」
「いや、紙カップでいい」
「はい。ではそちらで準備いたしますね」
(一つずつでいいということは、あまり美味しくないのかしら…………)
そんな予感を胸に、ネアはアルテアが手際よく座席の折り畳みテーブルを広げるのを見て目を丸くした。
売り子の少女がそこに紙のカップを置き、ポットから紅茶を注いでくれる。
小さな角砂糖とマドラーであろう薄い木の棒は、紙ナプキンに包んで置いてくれた。
ワゴンの下の段には受け皿付きの陶器のカップもあったが、選択の魔物的には使い捨てのコップの方がお勧めなのだろう。
ネアは、サンドイッチとスコーンが置かれるのを目を輝かせて見つめ、売り子の少女がお辞儀をして扉を閉めた途端に椅子の上で小さく弾んだ。
「朝の冷気と、窓の外のまだ薄暗い森を見ながら走る列車の中で、こんな風に紅茶を飲むのが夢でした」
「…………紅茶は、黒紅茶でなければまだましだろうよ」
「黒紅茶で何が起こるのでしょう…………」
「黒紅茶はいいかな……………」
「さては、ディノも知っていますね?」
悲しい目をしたディノによれば、一度、ギードと出掛けた先でこの地方の黒紅茶を飲んだ事があるらしい。
真っ先に勧められたのでそれが美味しいと思ったようだが、実体は、黒くなるまでに出された濃すぎる紅茶である。
濃く煮出しても美味しい紅茶もあるが、渋いだけで美味しくなかったと呟くので避けておいて良かったようだ。
「ふむ。アルビクロムの黒紅茶と同じようなものですね」
「……………そうなのかい?」
「勉強会の帰りに飲んだ事があるのですが、濃い紅茶に慣れている筈の私ですら、間違えて出したのかなと思う濃さでした……」
アルテア曰く、ラヴェルエ鉄道で出される黒紅茶も、似たようなものであるらしい。
濃ければ濃い程いいという謎の文化があり、それを好む人達がいるのだそうだ。
生姜と胡椒の紅茶は体を温める為のものだというが、生姜の風味が強いので好き好きだという。
ぷしゅんと音を立てて走り出した列車が、がたごとと動き出した。
もう何にも追われていないので、安心して窓の外を見ていると、森を抜けて見えてきた早朝の街並みはまだ薄暗い。
街灯がオレンジ色の光の輪を残している通りには、時折何かを配達している人影が見えるくらいだ。
空は既に白み始めているが、ほんの少しだけ夜を残したこの時間の色が何だか秘密めいていて素敵ではないか。
ネアはカップの紅茶を一口飲み、とても美味しいというものではないがこのくらいでいいだろうと唇の端を持ち上げる。
しっかりとした紅茶の味に牛乳と砂糖の甘さが加わり、じんわりとお腹から体を温めてくれる。
(もしこれが、仕事に出掛ける朝だったら眠かったかもしれないけれど………)
まだ旅の途中であるネアは、すっかり楽しんでしまうばかりだ。
早速サンドイッチの紙箱を取り上げ、二個入りなのだと目を瞬く。
とは言え、ウィーム風の具材豊かなサンドイッチではなくなかなか薄いぞという仕様なので一人用としては充分なのだろう。
アルテアがどこからともなく取り出した銀色のナイフで半分にしてくれたので、ネアは、列車の中で食べるサンドイッチに不似合いな優美さに何だかおかしくなってしまった。
「いただいてみますね」
「何かがあったら、すぐに言うようにね」
「とても警戒しています…………。あぐ!」
(……………む)
まずは、ハムとチーズのサンドイッチだ。
一口齧り、思っていたよりもサンドイッチを上から押し潰したなというチーズとパンの癒着具合にネアは眉を寄せる。
だが、それが美味しくなかったという訳ではなく、予想よりも当たりに近い安価チーズだったのですぐに美味しくむぐむぐと噛み締めた。
「ネア、紅茶を飲むかい………?」
「ふむ。このくらいであれば、以前の暮らしを鑑みて、普通よりはチーズの種類が良いと言えるものでしょうか。とは言え、庶民の味なのでディノも美味しくいただけるかどうかは少し心配です…………」
「……………食べてみようかな」
「はい。旅先の経験として、一口だけどうぞ。問題なければもっと食べてもいいですし、お口に合わなければ私はこのサンドイッチは対処出来そうです」
「………お前がそう思ったのは、チーズの種類だろうな。ハムはなしだ」
ネアの反応を見て、半分に切ったサンドイッチを口にしたアルテアがそう呟く。
だが、美味しいというよりは食べ物としての認可が下りたという様子なので、やはり美食に慣れた高位の魔物には物足りないのだろう。
「…………パンが少しかさかさしているね」
「たくさん作って列車に積み込む際に、空気に触れないようにするだけの包装が難しいのかもしれません。これで、さっぱりとした玄人好みのチーズが挟まれると全てが淡白になりますが、味付けしっかりの濃厚な黄色のチーズでしたので、私の中では及第点でした」
「……………うん」
ディノがしょんぼりしてしまったので、ネアは残りのサンドイッチはこちらで引き取る事にした。
何しろ薄いので、全て自分で食べてもウィーム風のサンドイッチの半分かなという量だ。
だが、アルテアの方のハムとチーズの半分を残したのは、次に控える酢漬けキャベツと豚肉のサンドイッチを警戒してのことである。
スコーンはそこまでの特異点とはならない筈だが、次なるサンドイッチには少々の冒険の余地があるのだ。
「これもいただいてみますね。……………あぐ!」
「…………ネア?」
「……………ありだと思いますし、このようなものが好まれるのだなという土地の味覚を得る機会ですが、何かがどこかで残念なことになっているという印象が拭えません」
「…………残念なのだね」
「同じ料理名でも、美味しいと純粋に言えるものが作れる筈なのですよ?」
「うん…………」
だが、その直後に思いがけない事が起った。
何とディノが、こちらの酢漬けキャベツと豚肉のサンドイッチは、美味しくはないが不味くもないということで、二口以上いただけるサンドイッチに認定したのである。
アルテアもこちらを選び、魔物達の味覚での最低限ぎりぎりのサンドイッチ戦争は、酢漬けキャベツと豚肉の煮込みのサンドイッチに軍配が上がった。
「ふ、不思議です。ディノとアルテアさんは、必ずしも食の好みが同じではない筈なのですが。……………む、このスコーンはもしや……………」
最後は、ブルーベリーのスコーンだ。
ふんわり柔らかめのお菓子スコーンに見えたが、包み紙を剥して割ってみようとしたネアは、もろもろと崩れる系のスコーンであることに気付き眉を寄せた。
ネアは、ふかふかしっとりスコーンを推奨する派閥に属している。
こちらのスコーンは、あまり得意ではない。
(見た目でふかふか系だと思ったのに、意外にぱさぱさしてる…………!)
そしてネアは、窓から異国の景色を楽しみたいといのだが、もろもろと崩れるスコーンを何とか少しでも優雅に口に運びたいという、願いが叶わないという苦難に見舞われることになった。
魔物達はそんなネアの様子を見てすっかり戦意喪失してしまい、スコーンはいらないそうだ。
なのでと齧りついてみたのだが、それでも一口ごとにスコーンが大幅に崩壊する。
何とか何とかと頑張っても、崩落部分の方が多くなる始末で、ネアは最後に、暗い目で包み紙の中のスコーンの残骸をぎゅっと押し固め、再形成して口に押し込むという庶民的な裏技で戦いを終わらせねばならなかった。
おまけに、そこまでして食べきったスコーンは、何とも淡白な味わいだったのだ。
「…………総じて、お食事の評価は低めです。ただ、アルテアさんの助言で無難なところで踏み留まりましたので、アルビクロムの食堂での事件程のことは起りませんでした……………」
「可哀想に。ギモーブを食べるかい?」
「た、食べます!」
「その前にこちらだ。…………火傷するなよ」
「ほわ……………」
ことんと、薄い陶器のティーカップのようなものがテーブルに置かれた。
アルテアの屋敷でも見た事のある、選択の魔物ご愛用のスープカップである。
そしてそこには、ほこほこと湯気を立てる、美味しそうなウィーム風の牛コンソメのスープが入っていた。
「すぷ!」
「これで、少し整えておけ」
「はい!」
「……………美味しい」
「まぁ。ディノが、いつもより早く飲み始めました…………」
「ご主人様………」
旅先での経験とは言え、あまり好ましくはないサンドイッチは辛かったのだろう。
万象を司る魔物の王様は、美味しいスープの素晴らしさを実感したようだ。
容易して貰ったスープを飲み、幸せそうに目元を染めている。
ネアも、土地のものを試してみる時間は終わったので、ここからはもう旅の恰好をつけるよりも好きなものがいいだろうと、人間らしい冷酷な結論を出した。
がたごとと揺れる列車に乗っている内に、窓から見える街並みは少しずつ明るくなっていった。
薄暗い夜明けの光に包まれていた時程のわくわく感はなくなるなと考えていると、短いトンネルを抜けたあたりでまた天気が変わる。
「このあたりは、雨の日なのですね」
「…………羊が多いのだね」
「昨日列車に乗った大きな駅を通らないということは、このまま郊外に向かうのでしょうか」
「いや。三駅先は、それなりに大きな商業都市だ。その後は湿地帯を抜け、国境域に向かう」
「まぁ。大きな駅もあるのですね。ちょっぴり楽しみです」
「……………お前の好みかと言えば、そうでもなさそうだが」
「なぬ」
アルテアの予想通り、三駅先の商業都市は、やはりここもアルビクロムかという雰囲気であった。
駅からもう歓楽街などの看板が見えるので、労働者たちが羽目を外す系の場所なのかもしれない。
強い蒸留酒を出す店が多く、独特な、煙の香りのするお酒は異国からの買い付もあるのだとか。
「アルビクロムもだが、銃器の製造業者も多い土地だな。以外に使えるのが、燃料系の鉱石や結晶石の仕入れだ。労働者が多いせいか、安価で質のいいものが多い」
「アルテアさんは、この駅で降りた事があるのですね」
「紙葉巻の職人を調べに来た際にな。だが、そちらは無駄足だったが」
紙葉巻は、薬草葉巻やアルテア達が嗜むもっと危険な煙草類とは一線を画し、労働者階級の人間が好む葉巻の代用品である。
専用の紙に薬草インクで魔術式を書き込み、火を点けずに咥えて葉巻風味を楽しむ嗜好品なのだそうだ。
アルテアは、仕組みとしては目新しい発想だったので、案外見どころがあるのではないかと思ったという。
しかし、職人の作業工程などを見学してみたが、今後の改良などは難しいと手を引いたそうだ。
「ふむ。途中下車はしなくて済みそうです」
ネアがそう呟いたのは、ここで後ろの車両の切り離しが行われる為、列車が暫く停まるからだ。
楽しそうな駅なら少しだけ降りるのもありだと思っていたが、このまま席に居てもいいだろう。
停車時間も、降りることも出来るがこのままでもいいというくらいのものである。
だが、ネアが下車という言葉を出した途端、アルテアが顔を顰めるではないか。
「いいか。興味を引かれるものがあっても、ここでは降りるな」
「列車の本数が少なかったりします?」
「いや。……………来たか。運が悪かったな」
「む?」
「シルハーン、排他結界を挟んでおくといいだろう」
「ではそうしよう。君はいいのかい?」
「扉を壊される方が面倒だからな。それと、こちらで降ろしておいた方が発車が早くなる。素材にでもしておくか」
「…………むむ?」
その直後、がこんと個室の扉が揺れた。
きゃあっとどこかで女性の悲鳴が上がり、ずどんという体に響くような重たい音が聞こえる。
(ええ………?!)
明らかな発砲音に、一体何事だろうと椅子の上で飛び上がったネアは、すぐさま伴侶の魔物の膝の上に移設された。
立ち上がったアルテアがおもむろに個室の扉を開けたことにも驚いたが、そこには、銃器を構えた男性が何人か立っているではないか。
まさかこちらから扉を開けるとは思っていなかったのか、男達は唖然としている。
サスペンダー付きのパンツに白いシャツ、ジャケットの袖は折り返し裏地を見せているのが襲撃者たちなりの正装であるらしい。
その姿にふと、ずっと昔に遠くから見ていたバレット家の使用人達の姿を思い出した。
不思議な懐かしさと、心の縁が冷えるような感覚がある。
ゆっくりと瞬きをしたネアは、いつの間にか持っていた杖を静かに床に下ろしてかつんと音を立てたアルテアの後姿を見ていた。
(もし、この人達が私の大切なものに触れるのなら…………)
そんな思いの鋭さは、あの日の地続きなのだろう。
だが、ネアが何かをするまでもなく、杖先が床に打ち付けられた直後、男達は忽然と消え失せてしまった。
がしゃんと音を立てて通路に落ちた銃を、アルテアがふっと酷薄な微笑みを浮かべて拾い上げる。
「………これは、武器部門への土産にするか。……………安価な流行りものにも、それなりの見本としての価値がある」
「まぁ。……………消えてしまいました」
「質の悪い仮面にも、それなりに利用価値がある。とは言え今の連中は、俺が処理をするにも至らないがな」
「という事は、アルテアさん以外にも、人間を畳んでしまう方がいるのです?」
「用途と加工方法が変わる。…………まだ一人残っているな」
どこかを見て、薄く微笑んだ魔物はぞくりとするような邪悪さであった。
ダムオンでの家具選びの無防備さを思い出し、ネアは、このような姿も選択を司る魔物のもう一つの側面なのだなと思う。
そしてきっと、多くの人間達が見るのがこちら側なのだろう。
「この土地は、何か深刻な問題を抱えているようだね」
「私もそう思います。…………街中の様子は普通に見えますが、列車が武装した方々に襲われていても、ホームの様子を見るととんでもない事ではあるが、初めてではないという雰囲気ですものね」
「軍事政権下への政権移動が行われて、今は二年目だ。王政からの変化が最も歪んだ形で出る時期だな」
「まぁ。それで治安が悪化しているのですか?」
「日の当たる場所には仮の人材を置いておき、裏ではあの手の連中が街を治めているんだろう。このまま国の変化に繋がるかもしれないが、どこかで大きな反発が起ると、もう二年程度でウィリアムの仕事になるな」
「……………とは言え、ではこのままでという感じでもないのでしょう。………ただ、あのような方々がいた方が、楽に生きられる方達も集まるのかもしれません」
そんなネアの評価に、ディノとアルテアが困惑したように押し黙る。
「……………珍しくはないと思いますが、あからさま過ぎますか?」
「………そうか。君にとっては意味のないことだったね」
「はい。私は通りすがりの旅人ですので、そういうこともあるかなと思うばかりなのです」
「ほお。この手の悪徳もさしたる議論の余地はないか」
「ここで暮らせと言われたら怒り狂いますが、そうでなければ構いません。産業などの面からすれば、このような感じでは暮らし難いと思う人達が増える一方で、栄える部分もあるような気がしますしね。…………ただ、私の大事なものに触れようものなら、べたべた玉か激辛香辛料油で滅ぼします」
「ご主人様…………」
「まぁ、お前はそうするだろうな…………」
ただ、先程の売り子の少女が無事だろうかと心配ではあった。
顔も見ていない列車の他のお客よりも、一度言葉を交わした相手の方が比重は重い。
「奴等も、列車の乗務員や職員は襲わない。運行の妨げになれば、人の動きや流通が止まるからな。あくまでも、他所の土地から来た裕福な乗客狙いだ。…………案外、あれも情報くらいは売っているかもしれないぞ」
「ふむ。そのような逞しさもあるのかもしれませんね。怪我などをしていなければ、そちらも後はぽいでいいでしょう。この後は、湿地帯に入るのですよね?」
「…………興味すら失ったか」
「それでいいのではないかな。何か食べるかい?」
「発車が遅れるようであれば、金庫の中にある焼き菓子を出しましょうか」
「おい。少しは口の中を空けておけ!」
「ぐぬぅ。スープを飲んでから、もう二駅も空いているのですよ…………」
そんなやり取りをしている内に、発車のベルが鳴った。
アルテアの言うように鉄道会社側ともある程度の協定があるのか、思っていたよりも発車が早い。
先程の悲鳴が聞こえた車両の後方にも特に大きな騒ぎはないので、アルテアが、この個室を襲おうとした者達と一緒に襲撃者に何か手を打ったのだろうか。
なお、列車が次に差し掛かった湿地帯で、ネアは湿地お化けという恐ろしい生き物を見ることになった。
湿地お化けは、毛だらけの細長い生き物がびしょ濡れで立っているというとても嫌な存在だ。
ただし、湿地の手入れをしてその土地でしか採取出来ない薬草を集めてくれる、大人しい家畜のようなものなのだとか。
本来は湿地を彷徨うばかりだった生き物を、土地の人間達が仕事終わりのスコーンを餌に飼い慣らしたらしい。
ネアは、あのぼろぼろスコーンもずぶ濡れのお化けの手にかかれば食べ易くなるのだろうかと慄きつつ、長い湿地帯を超えた列車が、国境域に入るとほっとした。
「そう言えば、すっかり狐さんなノアの話などはしませんでしたが、そちらはもう大丈夫そうでしょうか?狐さん用の素敵な足拭きマットを買ってくれたので、きっとノアは、アルテアさんがいっそう大好きになってしまうと思いますよ」
「いいか。お前は黙っていろ。もう何も言うな」
「解せぬ」
「ノアベルトに、マットを買ってくれたのかい?」
「…………こいつの買い物の支払いを、俺がしただけだ」
「そうなのだね……………」
そろそろ、列車を降りる予定の駅だ。
ウィームに戻ったら、まずは買ってきた家具を家族に自慢しようとネアは小さく微笑む。
思いがけず墓地での野宿を挟んでしまったが、アルテアの目も良くなったようなので慰安旅行としてはまずまずといったところだろうか。
ただし、目を閉じて旅を振り返ろうとすると、最後に見た湿地お化けの映像ばかり出てくるので、早急に薔薇の街の美しい夜の記憶を呼び覚まさねばならない。




