ダムオンと慰安旅行 3
書架を作る工房で何が起こったのかは、もはや語るまい。
選択の魔物は、ご主人様の購入引換券も使って楽しい買い物をしたようだ。
まだ最後の一枚を残してあるのだが、そちらは、明日の出立の前にキャビネとチェストの工房にもう一度行くことにしたらしい。
この最後の一枚がなかなか難しい駆け引きのようで、残しておかずとも良かったと後悔する場合もあるのだとか。
とは言え、今回はここに行けば間違いなしという工房があるので、決断し易かったようだ。
ネアは、この旅でとても幸せそうな使い魔の姿を沢山見てしまった。
分かり易く笑顔になることはないのだが、満足気に頷く際に赤紫色の瞳が強い光を帯びると、ああご機嫌だなという気配を感じる。
ディノが話していた好ましい選択を得られているのかなと思えば、もはや、損なっていた方の瞳も復調してしまったのではという力強さだったが、そちらは慢心せずに今後の経過を見ていかねばならない。
今夜のホテルに戻ったら、疲れていないかも含めて顔面を凝視してみよう。
(でも、すぐに体調の回復には繋がらなくても、せめて狐さん問題の心の傷を癒してくれればいいな)
だから、使い魔が苦心して選んだダムオン旅行をお気に召してくれたようだと思えば、ネアは誇らしい気持ちで晩餐の店に向かってしまうのだ。
(……………む)
しかし、誇らしい表情になろうとした乙女は、石畳の歩道をてててと歩いていく行列を発見し、目を瞬いた。
思わずディノの腕をぎゅっと掴んでしまい、儚い魔物がびゃんとなる。
「ディノ。あれは何でしょう………」
「工房道具の妖精達だね。ねぐらに帰るのだろう。………可愛い。掴んでくる」
「…………工房道具の妖精さんなのに、工房暮らしじゃないなんて………」
歩道を歩いていく不思議な生き物達は、古い工房に現れる妖精達だという。
ふかふか毛皮の野ネズミが小さなリュックを背負っているような姿だが、実は荷物の下に小さな羽も持っているのだそうだ。
彼等は、気に入った工房があると通いで現れて道具類をぴかぴかにしてくれる妖精で、職人達には大事にされている。
今も、歩道を歩ているちびこい鼠たちに労いの挨拶をする住人達があちこちにいるのはそういうことなのだろう。
思わず訊いてしまったものの、このような生き物のことをディノが知っているのが意外だったが、以前にグレアムに教えて貰った事があるらしい。
ウィームにも沢山住んでいるようだが、雪深い土地なので工房から自宅までの連絡通路があり、あまり地上で目撃されることはないのだとか。
空の向こうに小さな一粒石のような金色の星が瞬き、細い月がかかった。
薔薇の街の歩道沿いには、街灯の丸い光に照らされたベンチがある。
そんなベンチの前を通れば、初めて見かけた観光客がカタログを手に項垂れて座っていたり、何度か遠目に姿を見た商人達が、楽しそうに本日の買い付けの報告をし合っていたりと、街を訪れた者達がひと休憩する為に使っているようだ。
昼間よりも飲食店の店の明かりがくっきりと際立ち、対照的に、がらがらばたんと工房の扉を閉める音があちこちから聞こえてくる。
殆どの家具工房は夕刻には閉じてしまうのだが、中には夜の素材を使い夜にしかお客を入れない工房もあるので、引き続き夜にも買い物がしたいお客はそのような工房を訪ねるようだ。
だからこそ、ダムオンの宿泊施設には食事がつかないところが多い。
予約時にネアを困惑させた仕様だが、来ればわかると言われたのは、こうして買い物の配分で食事の時間が変わってくるからなのだろう。
何しろ、朝から夜まで時間を無駄にせずに工房回りをしたい者達が多いので、食事付きではない方が便利なのだ。
「アルテアさんは、夜のお買い物はしなくていいのですか?」
ネアがそう尋ねると、振り返った選択の魔物は、なぜかご主人様の頭に手を乗せてわしりと撫でてくる。
工房巡りを終えて、どこか満腹の獣のようなゆったりとした微笑みだ。
「夜の素材のものはあの椅子で充分だ。寧ろ、あれ以上の出物はないだろう」
「ふふ。ホップスの工房で先に買われた分は、あちらの工房で取り戻せてしまいました?」
「ああ。………それに、最後に見た装飾木片の工房もいい腕だったな。あの手の彫り物は家具に守護や魔術付与をつけるが、扉などにも向いた装飾のせいか用途が広い」
「綺麗な細工木だなと思って何個か買ってしまいましたが、そのような役割もあるのですね」
「後で見せてみろ。それぞれの特性を見て、使い方をまとめておいてやる」
「はい!」
書架工房の隣にあった小さな工房では、家具の角や平面に張り付けて使うような、装飾型の立体彫刻の木片を作っていた。
吸い込まれるようにアルテアが入ってしまったので、慌てて付いて入ったネアも、何だか可愛いのでと数個購入したが、守護などの効果があるのならそれを生かした使い方がいいだろう。
都度ディノにも確認して貰っていたのでまずい物はないと思うが、色を塗って使いたい木片があるので、着彩していいかどうかも確認するようにしなければ。
こつこつと靴音が響き、荷車を牽く狼たちのうおんという遠吠えが聞こえる。
からからという車輪の音に、人々の話し声。
アルバの街の夜は美しかった。
少しオレンジ色の強い街灯の光に、立ち並ぶ家々が物語のように浮かび上がる。
飲食店やカフェが多く、仕事を終えた職人達やその家族が楽しそうに歩道を歩いていた。
道沿いの花壇や公園には薔薇の花が咲き誇り、ふくよかな芳香を届ける夜風は、陽が落ちてから随分と冷たくなっただろうか。
(ああ、この街は、そこかしこから不思議な充足感が伝わってくるのだわ)
作業が上手くいかなかったのか暗い顔をしている職人もいるし、お目当ての家具を買い損ねて泣いている観光客などもいるのだが、それでも不思議と満ち足りた感じがする。
これが、昼間にディノが話していた住まいなどに関わる人外者達の祝福なのかどうかは分からないが、夜の街を歩いているだけで心が弾むような楽しさがあった。
そんな夜の街を歩きながら、ネアは隣にいるアルテアに声をかけてみる。
見上げればすぐに視線が向けられるので、昼間とは大違いだ。
「今夜の晩餐のお店は、どのようなところなのですか?」
「シチューなどの煮込み料理を得意とする店だな。ダムオンは、持ち帰って温めやすいということで、煮込み料理の文化が昔からある。郷土料理を食べるとすれば、煮込みがいいだろう」
「まぁ。大好きなお料理なので楽しみです!ディノも、煮込み料理系は好きですよね」
「うん。グヤーシュもあるのかな……」
「似たようなシチュー料理ならあるぞ。牛肉や鶏肉を煮込んだものだが、どの店も味がいい」
「じゅるり!」
「シチューがあるのだね」
夕刻前にお目当ての店を回り終えると、いつもの使い魔が戻ってきた。
市場の遅い昼食でも一瞬我に返っていたが、あの後すぐにまた心のない魔物に戻ってしまったので、そう言えばこのような魔物だったぞと思うくらいの再会感である。
とは言え本人もご主人様を蔑ろにしてしまった自覚はあるのか、時折ふっとこちらの様子を窺う野生の獣のような目をするのだから、ダムオンの国の家具の魅力は底知れない。
「ネア」
「はい。どこか、入りたい工房がありましたか?」
「そちらはもう充分だ。…………お前は、どこか気になった工房はなかったのか?」
「私は、既にマグカップを四個も買った女なのですよ………」
「花瓶代わりにも使えると、店の主人に言われていただろう」
「でも、それぞれ一度は本分を全うさせますね………」
「二人で使えば、二回で済むのではないかい?」
「まあ。では、帰ったら、一緒にお茶を飲んでくれます?」
「可愛い…………」
幸い、ネアの伴侶はマグカップを四個も買うなんてと、荒ぶる魔物ではなかったようだ。
価値観の違いによっては本気で戦争になり兼ねない問題なので、ネアはほっと胸を撫で下ろした。
(……………おや)
ふと、そんなディノの瞳がふっと揺らぐ。
どうしたのだろうと首を傾げたネアは、小さな工房の窓辺にかかっている木製のオーナメントを見付けておやっと眉を持ち上げた。
縦長楕円形の小さなオーナメントは、柊のリースの中にリボンを咥えた鳩がいる可愛らしいものだ。
ネアの印章のデザインによく似ているので、ディノも気になったのだろう。
(よく似たモチーフのオーナメントは、もう持っているのだけれど………)
それでもと、この魔物は思ってくれるのだろう。
「アルテアさん、あのお店に少し寄ってもいいですか?」
「ああ。………成る程な」
「私の大事な魔物に、贈り物を買おうと思うのです」
「…………ネア?」
こちらを見て不思議そうな顔をしたディノは、ネアが綺麗な檸檬色に塗られた扉を開けて店に入り、窓辺に飾ってあるオーナメントの事を尋ねると、俄かにそわそわし始める。
白髪混じりの女性の店主は、にっこり微笑んで展示品の他にも同じ形のものが二つあると教えてくれた。
「飾ってあるのは白木のままのものなの。他にも、水色に塗ったものと、白色のものもあるわ。ただし、白色のオーナメントは少し階位が上がってしまったから、飾る場所を選びそうね。……………でも、きっとあなた達なら大丈夫でしょう」
「ディノは、どの色が好きですか?」
「…………飾ってあるものか、白かな…………」
「ふむ。絞り切りませんでしたね。では、お揃いにしてどちらも買いましょうか」
「ご主人様!」
ここは、慰安旅行に頑張って付き合ってくれた魔物の為に、ネアがカワセミ貯金からお支払いしたのだが、こちらのオーナメントは、丁寧な細工にちょうどいいというくらいのお値段であった。
同じ形の水色のものは誰が買うのかなと思っていたが、何とそちらはアルテアが買い上げるらしい。
「という事は、アルテアさんのお宅にも飾り木があるのですか?」
「祝祭のものだからな。お前が知っている屋敷の方には一応飾るぞ」
「み、見たいです!」
「…………どこかで時間を作ってやる。それと、これか?」
「む………」
そう言ってアルテアが指差したのは、ネアがちらちらと見ていた木彫りの飾り木だった。
厳密には、針葉樹なのは間違いないかなくらいのものだが、この季節に見ると飾り木だという気がする。
自分の会計の際にアルテアがひょいと取り上げると、あらあらと微笑みを深めた店主が木の置物を入れた紙箱に納めて渡してくれる。
「まぁ。いいのですか?」
「このくらいでいちいち聞くな。いつもの料理の強請り具合は何なんだよ」
「あれとは、やはり違うのですよ。……………アルテアさん、有難うございます」
「………ああ。今日は無理もさせたからな」
「アルテアなんて…………」
「ディノ。実は、この素敵な木の置物をいつもの飾り木の置物の横に並べたいのですが、ここにある、リボン結びの可愛い小箱の木彫りを買ってくれませんか?一緒に並べて置いたら、きっと素敵だと思うのです」
すかさずネアは、伴侶の魔物に、自分で買い上げる筈だった置物を強請ってしまった。
はっとした魔物が嬉しそうに目元を染めて頷いているので、これで正解だったようだ。
「はい。……………ではこれは、私からディノへの贈り物です。どちらか一つは私用ですので、お部屋に飾る時に好きな方を担当して下さいね。今年は白木で、来年は白でという感じでもいいのかもしれません」
「どちらかに決まってしまう訳ではないのだね」
「ええ。同じお部屋に住んでいる特権なのですよ!」
「ずるい…………」
「むぅ。今回は、完全にどこからその評価になったのかが分かりませんでした………」
買い物を済ませて店を出ると、ちりりんと扉に飾られたリースの鈴が鳴る。
ああ、もうこの季節になったのだなと思えば、ネアは、雪降るウィームのイブメリアを思った。
(その前には冬告げの舞踏会があるのだけれど、漂流物が完全に引いたらと聞いていたのは、大丈夫だったのかな…………)
楽しみにしている舞踏会であるし、今年ばかりは冬告げの為にだけという訳ではなく汎用性を持たせてのものになってしまったが、既にドレスも作ってある。
仕立て妖精の女王のドレスに袖を通すのを楽しみにしているので、漂流物などは全て押し流されて帰ってしまうのがいいだろう。
「……………ネア?」
ふと、あのクロウウィンの日のことが思い出され、ネアはディノの手を取った。
そして、あの日の事を思い出すと少しだけ躊躇いながら、アルテアの手も取る。
「何か怖いものが来ても、こうしておけば私が守れますから」
「君が守ってしまうのかい?」
「ふふ。私はとても強いので、よくないものなど一撃ですよ」
「ほお。この状態だと両手が塞がっているが、これでいいんだな?」
「……………その場合は、歌えばいいのでは」
「絶対にやめろ。職人達を殺すつもりか………!」
「ほわ。もの凄く大事にしています…………」
お喋りをしながらアルテアが前にも来た事があるという店にやって来ると、そこは、石造りの小さなリストランテであった。
白灰色のざらりとした石材を切り出して煉瓦のように積み上げ、小さな礼拝堂のような佇まいだ。
店の前には見事な薔薇の茂みがあり、淡いローズピンクの色合いに扉の斜め上にある玄関灯が複雑な影を落としていた。
(ポストカードの絵のようなお店だわ)
あまりにも素敵なのですっかり嬉しくなってしまい、手を掴んだままのアルテアを見上げる。
すると、ふっと赤紫色の瞳を瞠った魔物が、どこか呆れたような優しい微笑みを浮かべた。
(いつもと同じで、でも少し違うアルテアさんだ)
きっとそれも、選択の一つなのだろう。
この魔物を、凄艶で残忍な隣人ではなく、良い顧客に変えてしまう不思議な家具の国。
こんな穏やかで気持ちのいい夜だからこそ、ともすれば国一つを容易く滅ぼす魔物がこんな風に穏やかに微笑むのだ。
「しかし、このままでは中に入れないので、ぽいです」
「ご主人様…………」
「ディノ。こちらのお店の扉は、お一人様仕様です。一人ずつ通りましょうね」
「こんな扉なんて…………」
「では、これからは暫くお食事に専念し、ホテル迄の帰り道も手を繋いでくれますか?」
「それは少し大胆過ぎるかな。三つ編みを持っていようか」
「解せぬ」
小さなお店の扉は、ディノがぎりぎりというくらいの高さだった。
ウィリアムだったら体を屈めなければいけない筈なので店内は大丈夫かなと心配もあったが、中に入るとぐっと天井が高くなる。
「おや。ご無沙汰しております」
「三人だ。空いているか?」
「ええ。この時間はまだ大丈夫ですよ。庭の見える奥の個室にしましょうか」
「ああ」
店主は金髪に隻眼の青年で、アルテアを見付けるなり親し気に微笑んだ。
知り合いなのかなと思えば、以前、アルテアの持つ商会の家具部門で働いていたらしい。
だが、このダムオンで仕入れをしている内にすっかり離れ難くなってしまい、そのまま移住してしまったそうだ。
「幸い、私は料理が出来ましたので、こうして店を開きました。ここは元々、妖精の測量技師が住んでいた礼拝堂だったのですよ」
「まぁ。妖精さんの礼拝堂だったのですね」
「その妖精が別の街に越す際に買い取りまして、もう二百年ほどでしょうか」
せいぜい数十年という話を、とんでもない年数で打ち出してくるのがこの世界だ。
ネアはもう慣れましたという感じに頷きはしたが、心の中の物語設定を慌てて書き換えざるを得ない。
「シルハーン。初めてお目にかかります。まさか、私の店にお越しいただけるとは」
「君はこの国に暮らしていたのだね。何年か前に、ヨシュアが探していたようだよ」
「何度か仕事を手伝ったので、それででしょう。ですが、イーザが相談役に戻ったと聞いていますので、もう大丈夫かと」
「うん。彼とはいい組み合わせのようだね」
ここで、席に案内されながらの紹介があり、ネアは、こちらの隻眼の青年が測量の魔物の一人だと知った。
成る程前の住人とは同じ系譜であったかと得心していると、だが、料理の際の調味料類は全て目分量と聞き、何だか複雑な気持ちになる。
もう少し司るものに忠実に生きて欲しいが、料理には素材の状態などを見極めてその場で対応する自由さも必要なのかもしれない。
「まぁ。何て素敵なお席なのでしょう!」
そんな店主が通してくれたのは、薔薇の庭に面した大きな窓のある部屋で、ネアを一目で虜にした。
アーチ形の窓は少し作りが凝っていて、二重硝子になっているので窓辺の席でも少しも寒くない。
庭園の奥に見える歩道の街灯と、お店の明かりに照らされた夜の庭園の美しさは言うまでもないだろう。
こちらの庭に咲いている薔薇は深紅が多いようで、その鮮やかさがまた、素晴らしい一枚の絵のようではないか。
テーブルは角の丸い長方形で、少し硬めのクッション張りの三人掛けの椅子は、こっくりとした深緑色の座面である。
「本日のお勧めは、月草牛と冬人参の茶色いシチューです。白いシチューは鶏肉と雪ジャガイモで、鶏肉は、バターとボラボラ葱の胡椒煮込みもありますよ。トマトと豆の煮込みは少し辛めですね。こちらは自家製のサルシッチャが入っております」
「茶色いシチューがいいです」
「……シチューかな」
「……………ボラボラ葱?」
「ええ。最近、チューリップの街でボラボラ工芸の仕入れが始まりまして。その関係で、ボラボラが作った甘い冬葱なども入って来るようになったんです」
一応はそのボラボラの系譜の王様なのだが、アルテアは顔を顰めると短く首を横に振った。
どんなものか気になったが、アルテアには確かに厳しいかもしれない。
ネアは茶色いシチュー、魔物達が白いシチューになり、パイ包みのパテと、たっぷり冬野菜のサラダ、鳥レバーのクネルの入った野菜コンソメのスープなどが注文される。
焼き立ての三つ編みパンは外がかりりとしていて中がふわふわの、生地にジャガイモを練り込んだパンなのだそうだ。
そんなローズマリーの香りの美味しいパンをネアはすっかり気に入ってしまい、こちらの店の自家製のパンの再現を求めるべく、使い魔を凝視しながら食べた。
「ダムオンの食器は、この色鮮やかな絵付けのものが多いのですか?」
「アルバはこの食器が多いな。木の食器を使う土地もあるが、そちらも人気がある」
「この食器の雰囲気で、テーブルの上の印象がぐっと変わるのです。これだけで、旅先に来ているという感じがしてとても素敵ですね。そして、シチューが美味しくてパンが止まりません………」
「うん。美味しいね……」
近所の職人達は、このシチューを小さな鍋で買っていったりするらしい。
ダムオンはパンが美味しい国らしく、お気に入りのパン屋で買ってきたパンと合わせて食べればあっという間に御馳走だ。
冷たく冷やした葡萄酒は、少し甘めだろうか。
パテの組み合わせで幾らでも進んでしまう美味しさなので、飲み過ぎないように気を付けようとネアは自分を戒めた。
「………ふぁ。いい夜ですねぇ」
「いいか。さすがに、シチューは二杯迄だぞ。帰りに、持ち帰りも出来る焼き立てのパウンドケーキの店に連れていってやる。食べ過ぎるなよ」
「パウンドケーキ!」
「良かったね、ネア」
「はい!」
ディノも白いシチューがすっかり気に入ってしまったようで、また今度お家で食べようではないかと、旅先でのお鍋でシチュー買いをすることにした。
そうそう聞かないお土産だが、高位の魔物を伴侶に持つとこんなことも出来るのだ。
「………アルテアさん。目の具合はどうですか?」
「日常生活には支障がない範囲だと言っただろう。朝よりはだいぶいいぐらいだ」
「む。健康になっています………」
「家具が良かったのかな…………」
室内の照明を落としてあるので、赤紫色の瞳にはテーブルに置かれた蝋燭の炎の色がちらちらと揺れていた。
この国で以前に買った家具の話をしてくれるアルテアに、ネアは陶器のお皿の中の最後のシチューをパンでこそげ取りながら、チェストの抽斗の中から舞踏会に行けるとは何事だろうと目を瞠る。
何が特別という訳ではないのだが、やはり旅先での食事の時間は格別で、薔薇の街の夜は溜め息がこぼれそうな程に美しかった。
「焼き立てパウンドケーキも美味しかったですし、マグカップのお店の本店を見付けて、狐さん用のお水の入れ物も買うことが出来ました!」
「ノアベルトは、あの皿でいいのかな……」
「おかしいだろ。ペット用だろうが…………」
「あら、今の獣さん用のお皿は形は素敵なのですが、水を飲んでいる時に動いてしまうので、もう少しどっしりとした陶器の器があればとノアが話していたのですよ?」
「料理はこちらと同じものを食べるくせに、水はそっちなのかよ……………」
アルテアは、充実した夜の終わりにネアが銀狐用の水飲み皿を買ってしまったので少し弱ってしまったようだ。
ネアは、同室なのをいいことに、入浴後の使い魔のところに押しかけ、パジャマに着替える前のアルテアの体をあちこち調べ上げてしまった。
さすが家具の国のホテルという素晴らしい浴室で髪を拭いていた選択の魔物は、浴室に侵入してきた人間に顔を顰めていたが、途中からは気にせずに調べさせておくことにしたらしい。
ネアは、アルテアが何やら魔術仕掛けで指先の手入れをしているのちらちら見ながら、背中の方も目視確認して一息吐く。
「服を着ていない時を狙っていたのですが、こっそり怪我などもしていませんでしたね」
「お前の情緒の問題は、そろそろないということを受け入れて、育てる頃合いなんだろうな」
「指先のお手入れには、どんな意味があるのですか?」
「…………特定の動きにだけ反応する損傷がないとも限らないからな。損なった方の手の動きを、魔術式で記録に起こしているだけだ。ひと月程様子を見て問題がなければ、これまで通りの扱いでもいいだろう」
「…………まだ、そのような確認も行っている状態なのですね」
未だに万全の保証がないということなので少し落ち込んだが、大きな魔術を編み上げる為ではなく、日常の小さな魔術の扱いにこそ、怪我や摩耗の影響が出るらしい。
アルテアは、その小さな差分が何かに響くといけないので、念の為に経過観察しているようだ。
喪った方の手の爪先に検出用の魔術式を付与し、それを毎日記録回収するのだとか。
「そんなに心配なら、添い寝でもするか?」
「もし、どこかに不調があるようなら、今夜は三人で並んで寝ます?」
「……………やめろ」
「傷薬はいつでも取り出せるので、必要な時は言って下さいね」
「そうだな。お前は早く寝ろ。…………今日は、だいぶ歩かせたからな」
おやっと思い顔を上げると、こちらを見ているアルテアはどこか探るような目をしている。
なのでネアは、にっこり微笑んでそんな魔物を見上げた。
「また、ダムオンに来ましょうね」
「……………ああ」
「今日のアルテアさんを見ていたら、誰かが傍で面倒を見ていないといけない気がしてきました……」
「いや、お前に言われたくないからな?」
「このようなことは、本人の方が気付かないものなのですよ?」
「………は?」
次回以降の買い付けも同行させて欲しい理由を伝えるとアルテアは呆れ顔になったが、使い魔の健康観察を終えて寝室に戻り、ディノにもその話をすると、伴侶の魔物も同じ意見であったので、今後も同行者がいた方が良さそうだ。
そうして、薔薇の街の忙しい一日はゆっくりと更けていった。




