ダムオンと慰安旅行 1
ダムオンは家具の国だ。
一級品と呼ばれる家具を作る職人達が数多く住んでいる。
仕事にのめり込むと寝食を忘れがちな住人達の為に、それぞれの街の中には飲食店も多い。
また、独特な円形の都市の外周には買い付けに訪れた者達の為の宿泊施設も充実していた。
「拘りの街造りという感じがしますね。綺麗な街並みで、あちこちに薔薇が咲いています」
「美しさを好む者が多いことから、街の手入れの為だけの担当者がいるらしい」
「ふむ。確かに物作りをする職人さん達にとって、そのような環境は大事なものなのかもしれません」
「ここは、薔薇の街というのだね」
「はい。事前にアルテアさんにご相談し、アレクシスさんのご紹介が可能な範囲から、お好きな街を選んで貰いました」
ダムオンには七つの都市がある。
作る家具の傾向ごとに街を分け、それぞれの街は固有の名称以外に、薔薇の街アルバ、鈴蘭の街ムゲテ、ブナの木の街オクッド、チューリップの街パーロットなどというように名前が付けられている。
他にも小さな村や町はあるが、そちらは材料や流通などを受け持つ集落のようだ。
家具を作る職人を有し、彼等を守り育てることで成り立つ国なのである。
そして、銀狐の実は僕塩の魔物だったんだ告白で心に大きな傷を負った、選択の魔物の慰安旅行先である。
「薔薇の街は、古典的で優美な家具が多い。鈴蘭は可憐な趣きの婦人家具が多く、オクッドは無骨だが耐久性に長け、チューリップは子供用の家具だ」
「鈴蘭の街にも興味があったのですが、カタログを見せて貰うと少し…………装飾が少女風と言いますか、華美で甘い雰囲気の家具が多かったので、薔薇の街に来られて良かったです」
「街を分けるくらいだ。そのくらいに作品傾向が偏ったものしか扱わないからな」
「他にも、商店用の家具を扱う街や、家具に合わせて使うような細かな日用品の街もあるのですよね」
ネア達が歩いているのは運河沿いの歩道で、この辺りには飲食店も多く、立派なレストランだけでなく、持ち帰り用の食べ物を売る店も多い。
職人達の好みに合わせ、好きな食べ方が出来るように充実しているのだと聞けば、何とも充実の街造りではないか。
(勿論、立派な市場もあって、自炊などが好きな方やご家族がいる方、料理人を雇えるくらいに大きな工房などではそこで買い物をする事も多いみたい)
だが、それでも自炊率は半分くらいなのだとか。
国からの補助で、国民には食事の補助金が出ているそうなのでその辺りも理由の一端だろう。
他にも病院や学院も多く、時には過酷な作業の続く職人達を支え、未来の職人を育てる為の支援も抜かりがないようだ。
既存の職人達の作品が国を潤しているからこそ成り立つ、循環の構図である。
(わ、あそこにも薔薇がたくさん。綺麗に手入れされていて、歩いているだけでも楽しいな)
薔薇の街だからか、あちこちに薔薇の花が咲いていた。
街の色合いは、灰色がかった砂色の石材の建物に深緑の瓦屋根が特徴的な建物で統一されている。
ただし、工房の建築技法は職人に任せているようで、そんな建物の間に様々な色や形の工房が作られているのだ。
運河沿いの歩道は並木道になっていて、綺麗なオレンジ色に色付いた葉の木々が赤い木の実をつけている。
葉先に僅かに紫の混じる独特な紅葉の色のこの木は、燈火の系譜の植物なのだとか。
(街灯や柵などは真鍮色か黒、街のあちこちに薔薇の花壇や公園があってそこで瑞々しい緑と薔薇の色が添えられていて、とても上品な印象の街だわ)
とは言え、この街にも住人達の生活があるので、子供達の遊ぶ声や教会の鐘の音が聞こえてきたりもする。
唯一特徴的なのは、家具などを運ぶ為なのか資材用なのか、大きな荷車を貸し出す店があちこちにある事だ。
荷車を牽くのは、もさもさした毛皮の森狼のような生き物で、この時間帯はブラッシングをしているところが多いのか、あちこちで幸せそうに尻尾をふりふりしている狼たちを見た。
「上手い表現が見付かりませんが、穏やかで整った印象の街ですね。こうして歩いていると、特に理由もなくいい街だなと感じてしまうことが多々あります」
「住まいにかける守護や祝福が強い土地だからだろう。そのようなところでは、街を歩くだけでも居心地がいいと感じてしまうそうだ。工房が多いので、妖精と精霊が多いのかな」
「魔物さんは、あまりいないのですか?」
「客では多いのかもしれないね。私達が泊っているホテルにも、何人かいたようだ」
「ふむ。今回は敵になる方々ですね。…………まずは、申請所で購入申請を出しに行かねばなりませんが、負けません………!!」
「君も何か買うかい?」
「買いたいものがあった場合に備えて、可能なだけの枠を申請しておきます。アルテアさんにも譲れますし」
「うん。ではそうしよう」
ダムオンへの訪問は、紹介制だ。
まずそこで信頼のおける顧客に限定され、ダムオンの家具の希少価値を高めている。
更に、商品の数が無制限ではないので、お客となる観光客には購入制限を設けていた。
その数は、商人が一度に十個まで、観光客は五個までとなっている。
ただし、商店用の家具などを取り扱う街では、もう少し購入数を増やす事も出来るらしい。
買い上げ数の上限管理は、申請所と呼ばれる場所で配布する引換券で行っていて、事前に複製されないように毎日発行される券が変わるらしく、それがなければ買い物は出来ないそうだ。
高貴なお客は魔術金庫があるので、追跡調査でもしない限りは幾つの家具を買ったのかの把握が難しい。
その結果、引換券の仕組みが生まれたのだとか。
(顧客の循環を維持する為にも、一人のお客の大量購入はお断りしているみたいだけれど、職人さんへの負担なども考えてのことなのだろう)
大量生産を目指すものではないので、いい仕組みではないか。
ウィームの磁器工房でも、販売時期を決めて受注生産のみとしているところも少なくないので、販売と制作の環境を安定させるというのは職人達にとって重要な事なのだと思う。
「……………そしてアルテアさんは、先程から一言も喋りません」
「カタログを見ているのかな……………」
慰安旅行の主役である選択の魔物は、現在、歩きながらカタログを熟読していた。
これもまた、昨日の販売状況や仕上がり報告を反映して、毎朝配られるものだ。
ダムオンを訪れている商人や観光客たちは、各街で配られるカタログを参考にして、宿泊予定を変更して別の都市に買い付け拠点を変更したりする。
たまたま、欲しい家具ばかりが売れてしまっているということもあるのだろう。
(印刷物としてお金をかけているようだけれど、…………これは採算は取れているのかしら)
なかなかに庶民派の乙女はそう考えてしまうのだが、さすがに赤字ということもないので上手く帳尻を合わせているに違いない。
毎朝配られるにしては立派な小冊子なので、お土産にして誰かに見せてあげることも出来そうだ。
ダムオンの家具のカタログだけを専門に扱う古書店もあると聞けば、収集家などがいるのだろうか。
「……………チェストからだな。その後に椅子、机の順で回るぞ」
「やっと喋ってくれましたが、さては、工房の訪問順を決めていたのですね……………」
「朝の様子を見ている限り、今日が初日の訪問客は五組程度だ。商人が三組いるとなると、連中が先に回るのは、一脚単位でも売り易い椅子からだろう」
「むむむ………。その場合、こちらも負けじと椅子を狙わなくてもいいのです?」
「購入用途によるな。今回は私用だ。部屋に置く家具は大きなものから決めた方がいい。とは言え椅子類も、あまり後からにすると見る余地もなくなりかねない。……………この頁にあるクシの工房の椅子は、比較的量産型だがどれもいい品物ばかりだ。この工房の椅子が残っていれば問題ない」
「ほわ……………」
ネアは、ここまで真剣なお買い物モードの使い魔を初めて見たので、少しだけ圧倒されてしまいこくりと頷いた。
とても楽しそうなので慰安旅行としては大正解なのだが、少しだけ呆然としてしまう熱量である。
家具類に興味のあるネアですらたじろぐ意気込みだったので伴侶の魔物は大丈夫かなとディノの方を見ると、真面目に聞いていたらしくきりりと頷いていた。
(……………でも良かった。元気になってくれたかしら)
ウィームとは気候が違いダムオンは温暖な気候だ。
さすがにこの時期は風も冷たくなるが、薄い毛織のコートや毛糸の上着を羽織っていても、前を閉めなくてもいいくらいの気温である。
風に歩道の端に降り積もった落ち葉がからからと音を立て、立ち飲み式の珈琲や紅茶の売店では職人達がお茶を飲みに来ている姿も見えた。
ふいに、旅行なのだという実感が湧いてきて嬉しくなったネアは、唇の端を持ち上げる。
しかし、うっかりディノの手をぎゅっと握ってしまい、きゃっとなった魔物は何とか三つ編みと交換しようとしているようだ。
「アルテアさん、目の具合はどうですか?」
「日常生活には何の支障もない。………未だに不調に気付くのは、お前くらいだぞ」
「こうして見ていると、やはり虹彩への光の入り方や色の揃えが、右目とは少し違うのです」
「通常時では、機能的な影響はない。…………まぁ、魔術的な解析や調整を行うと、疲れるのが早いだろうがな」
「ふむ。それらの行為は良くなるまで禁止です!」
「ダムオンで使う予定はない。…………何だ?」
「手を引いてあげましょうか?」
「やめろ…………」
本日のアルテアは、紺色のセーターに白いシャツの休日仕様な服装である。
カシミヤのような柔らかなストールを首にかけており、上着は着ていない。
髪色は黒に擬態し、その代わりストールを白一色としてある程度の階位を匂わせる高等手段だ。
(そして、今日はディノもお洒落なのだ!)
ネアがふんすと胸を張りたくなる本日の万象の魔物は、菫色がかったくすんだ紺色のコート姿だ。
スウェードのようなしっとりとした手触りのコートはトレンチコート型の形状で、前を開け、同色のジレと白いシャツを見せている。
いつもよりも細めに編んだ三つ編みのせいか、少しだけ硬派な印象に変わっていた。
なお、この三つ編みの操作はアレクシスの助言によるものだった。
昔気質の職人たちは気難しいので、おっとりふんわりよりは少しきりっとしているように見えた方が顧客として高く見られるらしい。
アレクシス曰く、本気の家具好きなのか目利きの商人なのか、はたまたお金持ちの道楽なのかで職人達の気構えも変わるということだった。
(なので、少し研究してディノの印象操作をしてきたのだけれど、アルテアさんが一緒だから気にする必要はなかったのかも…………)
そう思ってくすりと微笑み、ネアは隣の魔物を見上げた。
「可愛い。……………いつもと違う」
「ええ。今日は家具を沢山見るので、動きやすい乗馬服仕様です!これなら、ドレスの裾を気にせずに家具を見られますものね」
「可愛い…………」
「ディノもいつもとは少し印象が違って見えて、とても素敵なのですよ。……………そしてアルテアさんも、……………なぬ」
アルテアの方を振り向いたネアは、こちらの魔物がとうとう眼鏡をかけてしまったことに気付き慄いた。
カタログに書かれている情報は増えたりはしない筈なのだが、なぜかもう一度目を通しているようだ。
ざっと頁を捲って見たい工房を決めてしまった人間は、本物の好事家の熱量に震えるしかない。
(こ、これは、……………安易にお茶をしたいだとか、雰囲気のいいお店を探してお昼を取りたいとは言えない雰囲気になっているような…………)
ともあれ、まずは引換券の発券である。
街中に五か所あるという申請所はすぐに見付かり、ネア達は魔術仕掛けの無人申請所で無事に引換券を入手した。
有人の申請所もあるが、書類の記入が完璧であれば無人のところでも引き換えが可能なのだ。
こちらには書類作成にも長けた使い魔がいるので、最初に向かう工房への最短ルート上にある申請所を選ばせて貰った。
「まぁ。細長い切手のような綺麗な引き換え券ですね」
「思っていたよりも緻密な魔術式が刻まれているのだね」
「これも、偽造防止目的だろうな。腕のいい職人の多い国なら、この手の魔術刻印の水準も高いんだろう。以前に来た時よりも、遥かに質がいいものになっている」
「アルテアさんは、どれくらいぶりなのですか?」
「六十年ぶりだ。贔屓にしていた職人の入れ替わりがあったせいで、最近は招待もなかったからな」
「そう言えば、職人さんからの招待券もいただけるのですよね」
ダムオンへの入国許可は顧客からの紹介で発行されるのだが、修理依頼などを除けば、三年に一度しか入国許可が下りない。
だが、職人からの招待を受けての入国も許可されており、そちらは年に一度の入国が許可されるのだとか。
(紹介で入国が許されるのは、一回限りとなるみたいだから………)
同じ人物からの継続紹介は可能でも、都度の紹介で訪問権利を勝ち取らねばならないので、実質招待客の方が有利な仕組みのようだ。
このあたりは、うっかり一度は入国権利を得てしまったものの、あまりいいお客じゃなかったという相手を排除したい場合に有効な仕組みなのかもしれない。
ただ、アルテアのように、毎年の招待状を送ってくれていた職人が亡くなってしまったりして、訪問の伝手を失う者もいるのだろう。
「その工房は、お弟子さんが継がれたりはしなかったのですね」
「弟子は取っていなかったからな。守護を与えていた妖精も、他の工房に移らずに職人に殉じたらしい」
「まぁ。……………きっと、その方の事が大好きだったのでしょう」
そんな話をしながら暫く歩くと、綿屋が見えた。
ウィームにも綿屋はあるが、手芸店などの並びにある素材屋さんという印象が強かったのだが、ダムオンの綿屋は、ネアを困惑の渦に叩き込むような奇妙なお店であるらしい。
きゃわきゃわという不思議な賑やかさに目を瞠ると、店の前で謎のもふもふが飛び跳ねていて、ネアは途方に暮れた。
脱脂綿妖精大の小さな生き物だが、形状としてはヨシュアの綿犬が近い。
だが、耳や尻尾などはなく、雲状のものに短い四つ足が生え、ちびちびてけてけ動き回っている感じだ。
「……………なにやつ」
「綿花の精霊だね。妖精種もいるのだけれど、あの店が取り扱っているのは精霊の綿なのだろう」
「歩道に逃げ出していますが、…………あれは構わないのでしょうか?」
「商品に宿ったものではなく、店そのものの守護をする精霊だ。天気のいい日はああして陽光にあててやらないと黴るぞ」
「なぬ…………」
綿花の精霊を黴させるとその店は傾くそうで、基本的に綿屋の主人達は精霊には好きにさせているらしい。
だが、そんな綿花の精霊が飛び跳ねてはしゃいでいる歩道を歩くと、こちらに飛び出している個体を踏まないように注意しておかなければならないので、とても緊張してしまう。
ネアは、ディノとアルテアというあんまりな高位の魔物達のお通りに、ぴたりと動きを止めてじーっとこちらを見ている様子の綿花の精霊達の横を緊張して通り抜け、少し離れてからふうっと息を吐いた。
「怖かったのかい?」
「いえ、……………目がどこにあるのか分からないので、得体が知れない感じでした。ディノは、綿花の精霊さんはあまり怖くないのですね」
「舞踏会などで見かけることも多いからね」
「ちょっと想像が及ばなくなりました…………」
そんな試練を一つ越えれば、アルテアが最初の訪問先と決めたチェストの専門工房に到着した。
キャビネやチェストの中でも、七段までの所謂一般住居向きのものを作っている工房で、棚だけしかない書架のような物は取り扱っていない。
抽斗付きのキャビネとチェストの専門工房であるらしい。
併設された住居はこの街の一般的な建物の仕様で、家の前には見事な薔薇の生垣があった。
ふっくらとした薔薇は淡いアプリコットカラーで、風で落ちたのか歩道に降り積もった花びらも美しい。
工房は赤茶色の煉瓦作りの建物で、ネアに少しだけ祖国の事を思い出させた。
ただ、蔦が絡んでいるだけでなく、建物の周りには見事な水仙が咲いていて、気付いたネアはびゃんと飛び上がってしまう。
「ほお、珍しいな。水仙の守護を受けているのか」
「おや。余程、清廉なのだろうね」
「ああ。これだけの守護を受け継げる程に、暮らしぶりや気質が安定しているということだろう。職人としては悪くない」
「…………そのような基準にもなるのですね」
何かと恐ろしい逸話ばかりが聞こえてくる水仙だが、それだけ強い力を持つ花の系譜でもある。
正しい付き合いを維持して水仙の乙女達の守護を得ると、悪意を持った者達からしっかり守ってくれるらしい。
工房の入り口は両開きの大きな扉になっていて、アーチ型の扉の上の部分は細工硝子のはめ込み窓だ。
ネア達の背後は生垣の木々が生い茂っているので、きっと工房の中からは滲むような緑が鮮やかに見えるのだろう。
扉の横にある陶器のベルを鳴らすと、すぐにかちりと扉の鍵を開ける音がした。
顔を出したのは黒髪に青い瞳の背の高い壮年の男性で、アルテアを一目見て、次にネアの方を見るとなぜか満足気に頷いた。
「いらっしゃい。七段の横三列の抽斗付きが欲しいなら、明日以降だ。一昨日出ちまったからな」
「横五列はまだ残っているか?」
「幾つかある。……………ほお。こりゃお嬢さんも真剣だな。……………いい客だ」
目当ての品があるのか工房主と会話に入っているアルテアの横で、ネアは、入ってすぐのところに置かれたキャビネに一目惚れしてしまい、すぐさましゃがみ込んでいた。
コートの裾を膝の上にたくし上げてしゃがみ込む乙女にディノはおろおろしていたが、工房主はにっこりと微笑んでくれる。
気難しそうな面立ちだったが、微笑むだけでがらりと雰囲気が変わった。
「抽斗を開けてみてもいいですか?」
「ああ。それを確認する客なのもいい。壁沿いに置かれている家具は見本だ。好きに触って構わないぞ」
「はい!……………ふぁ!曲線付けた抽斗なのに、滑らかに動きました!…………こ、これは………」
「気に入ったのかい?」
「青みがかった綺麗な灰色ですが、べったり塗った感じではなく木の色も残っている素敵な風合いです。下三段が抽斗で、上が開いているのも使い勝手が良さそうですし、この通り、抽斗の取っ手が雪結晶のような素敵な乳白色なのですよ!」
大興奮でディノにそのキャビネの説明をしていると、遠くから、アルテアに何か品物を見せているらしい工房主が、雪結晶で合っているぞと教えてくれる。
ネアは小さく弾んでしまい、ここに来るなら一つだけ探してみようと思っていたお手紙キャビネへの採用を真剣に考えた。
(こちらに来てから貰ったお手紙や、お店からの季節の葉書の中で取っておきたいもの、後は買い揃えた便箋や封筒に、シールやインクなどを収納する棚が欲しかったのだけれど………)
とは言え、まだ初日で一つ目の工房である。
後から見る工房でもっといいものが見付かるかもしれない。
「ぐぬぬ。……………ですが、この街の家具は、どれもが一点ものです。アルテアさんが気にしていた商人さん達に買われてしまったら、私は絶望のあまり大暴れするでしょう…………」
「買っておく、ではいけないのだね?」
「大事に使うものを、一つだけなのですよ。…………ディノの伴侶になった後で、リノアールのお店から貰ったお祝いの葉書などもしまいたいですし、トトラさんの葉っぱの葉書もしまいたいですから」
とは言えネアは、ここで少しだけ冷静になった。
まだ、工房に入って五歩程度のところである。
せめて、この工房の家具だけでも全部見てから決めるべきだろう。
アルテアが工房主を連れて行ってしまったので、こちらの様子を見に来てくれたのはお弟子さんだろうか。
そちらになさいますかと微笑んだ青年に、この中を見て回る間だけお取り置き出来るかを尋ねてみると快く許可してくれたのでそうさせて貰うことにした。
「ふぅ!」
「良かったね。他の物も見てみようか」
「はい。ディノと私は家族なので、二人で五点までですから慎重に行動しなければならないようです…………」
あまりの素晴らしい出会いに、薄情な人間は自分達の引換券もアルテアに譲ってあげられるだろうと考えていたことを、すっかり忘れてしまった。
家具も一つだけ買う予定であったのに、いつの間にか五点では少ないと思い始めているくらいだ。
そして、そんなネアに更に追い打ちをかける事態が待っていた。
たった五歩圏内で、運命のキャビネに出会えるような工房なのだ。
他にも素晴らしいキャビネがあるのは、考えるまでもないことだった。
「……………にゃぐ」
「ネア、落ち着いて。深呼吸してごらん」
「ほ、欲しいものが、ざっと中を見ただけでも購入可能数を超えて存在します。……………おまけに、使うのは絶対に一つきりなので、ここから絞り込まねばならないのです…………?」
「アルテアの意見も聞いてみるかい?」
「……………ディノ。アルテアさんは、更なる苦悩に苛まれているようなので、恐らく私達を助ける余裕はないでしょう」
「アルテアが……………」
奥では、既にキャビネの一台を購入したものの、もう二台の商品を前に暗い目をしている選択の魔物がいた。
ネア達とは違い商人枠で入国したアルテアは購入制限が十枠あるが、とは言え、これからまだ椅子もテーブルも見に行くのだ。
とは言え、部屋の印象を大きく変える大型家具はいい品物に出会ってしまうと見逃せないのだろう。
「……………ぐぬぬ」
ネアは悩み悩んで、最初のキャビネに加え、綺麗なオリーブ色のキャビネと淡い水色のチェストに絞り込み、心をしわくちゃにしてまた悩み、最初に見付けたキャビネを購入することにした。
決して安価な家具ではないのだが、この街に来るための貯金は済ませてある。
王様カワセミや謎のけばけば石などをアクス商会に売り、しっかりと楽しめるようにしてあった。
(で、でも、ダムオンお買い物用貯金の半分が吹き飛んだ…………!!)
大型の家具だけあり、そこそこの支出である。
ネアは、自分の意思で買うくせに少しだけわなわなしつつ支払いを終えると、ディノに品物を収納して貰った。
「ほお。固有の魔術空間を持っているのか。いい旦那だな」
そう声をかけてくれたのは、こちらに戻ってきた工房主である。
「ふふ。お陰で、こうして大きな家具も安心して買えてしまいます。少しずつ家具を揃えているお家があるので、大事に使わせていただきますね」
「ああ。修理が必要なら、いつでも声をかけてくれ。……………この葉書を持って行くといい」
「まぁ。いいのですか?」
「お嬢さんと、……………あっちの魔物もな。俺は、使う者を見ておきたい方でな。転売用に買い上げていく商人は好かないが、あの魔物は自分用だろ」
「ああ見えて、お家作りと家具が大好きな魔物さんなのですよ。そして、まだ迷っています…………」
「やれやれ。一台は受注生産で来年に回してやるか。その葉書を渡してやってくれ」
「はい。そうしますね」
珍しく買い物で苦労している使い魔に、ネアは、さっそく貰った招待葉書を届けに行った。
慌てて付いてきたディノは、何を説明しても素直に驚くので、やはり工房主の弟子だという青年に気に入られたようだ。
曲線の抽斗の加工の仕方を教えて貰ったと、目をきらきらさせている。
「アルテアさん、奥のチェストは、受注生産でもいいそうですよ。招待用の葉書を貰いました!」
「よくやった」
「ほわ。とても褒められています…………」
余程悩んでいたのだろう。
葉書を見せた途端に頭を撫でて貰い、ネアはとても楽しんでいるようだが何かを激しく消耗している様子の使い魔が心配になった。
(これはまさか、……………どこかでちゃんと水分を摂らせて休憩もさせた方がいいのでは…………)
結局アルテアは、二台のキャビネとチェストを買い上げ、一台のチェストは訪問の半年前までに注文が原則の、受注買い上げに回すことになった。
しかし、受注用の注文票を貰い、その場合は形状のオーダーが可能だと知るとまた新たな戦いも始まっているようだ。
「こちらの工房は、初めて訪れたのですね」
「ああ。四十年前から工房を得たらしい。俺が来なくなってからだな。………いい工房だ」
「ほわ。アルテアさんが、すっかり収集家の眼差しに…………」
「アルテアが……………」
「次は椅子だな。……………何だ?」
「ぐぬ!熟考に入って、ご主人様をストール置きにするのはやめるのだ!」
もはやストールもいらないくらいに夢中になってしまったらしい選択の魔物は、手に持っていたストールを魔物らしくどこかにしまうのではなく、隣にいた人間にかけておくことにしたらしい。
とは言えこちらは既に自前のストールを持っているので、顔が埋もれてしまうではないか。
だが、それを指摘してもあまり真剣に聞いている様子もない。
(もしかすると私は、……………たいへんな蓋を開いてしまったのかもしれない………!!)
ネアは、思っていた以上にお買い物に夢中なアルテアの様子に、この先に続く買い物への不安を募らせていた。




