松明かりの町と救いの列車
がたんごとんと列車が揺れる。
ネア達はその日、アルバン近くの小さな町に向かっていた。
先日の収穫祭後の漂流物事件が片付き、ウィームではその後、漂流物絡みの事件はなかったのだが、その町で出現報告があったのだ。
とは言え件の漂流物は既に排除されてしまった後らしく、今回の仕事は事後の現場確認である。
「転移が使えないのも、漂流物さんの影響なのですか?」
「うん。フィアンがそのような犠牲魔術を敷いたらしい。少し不便ではあるけれど、彼の機転のお陰で一つの災いを退けられたのだから、この程度で済んで良かったのだろう」
「傘祭りの時の印象ばかりでしたが、私の天敵と同じくらいの階位だと伺っているので、かなり器用な方でもあるのですよね」
今回の事件で大活躍したらしいフィアンは、昨年にウィームに転入してきた死の精霊である。
あまりにも完璧な転入書類をしたため、エーダリア達を感心させたばかりか、転入書類などを書いていなかったネアの義兄を震え上がらせた人物だ。
終焉の系譜の中では選択に近いので、瞳はやや赤紫寄りの紫色。
銀色の髪はオールバックにして、現在はこの町の教会で神父をしている。
そして、暦などの資質をも持つフィアンは、漂流物などの定められた周期を持つ災いに対して優位性を持っているのだった。
(ビアントムの町に現れた漂流物は、茶葉の妖精だったらしい)
名前だけを聞けば可愛らしくも思えるその妖精だが、茶葉というものは人々の生活に根差している事で、後天的に階位を上げかねないものの一つである。
ウィームのような土地であれば、元々希少な材料を使っている茶類も多い。
また、茶葉などが稀少な土地では、特別な飲み物として階位を上げるのだとか。
そしてその中でも今回の茶葉の妖精は、薬としての役割を持つ者だった。
漂流物でさえなければ善き隣人だったかもしれないのだが、漂流物として現れると厄介この上ない。
浸食を図れる対象があまりにも人々の生活に近いので、対処を誤れば大きな被害が出るところであった。
そんな相手を巧みに退け、この地で滅ぼしたのがフィアンである。
(それでも、五人の方が亡くなったのだわ)
だが、そうして危険が去り、尚且つクロウウィンの日の悲劇に比べれば少ないとは言え、元々がウィーム中央よりは小さな町である。
その中でも腕に自信のあるような町の騎士から亡くなったとあれば、住人達は大きな心の支えを失ったと言っても過言ではない。
気象性の悪夢や蝕などとは違い、武器狩りや漂流物はその対処にかかる者達こそが命を落とし易い災厄なのだ。
窓の向こうに墓地が見え、ネアはふっと睫毛を揺らした。
糸杉の木の立ち並ぶ並木道に隠れて、すぐに見えなくなる。
こうして定刻通りに動く列車などの交通網の充実や、決められた物が決められた日時に届く流通の管理などが徹底しているウィームでは、大きな都市に移り住む必要性が低い為、生まれてから死ぬまで生まれた土地を出ない者達も多い。
ビアントムはまさにそういう者達の多い中規模の都市で、亡くなった者達は故郷を守る為に戦い、その家族や仲間達はずっと一緒にいた人を喪ったのだ。
(ある日突然、それは起こる。………クロウウィンの日の襲撃を防ぎきれなかったら、私もその一人になっていたかもしれない)
がたごとと音を立てて走る列車に乗りながら、ネアは記憶の中にある鎮魂の鐘の音や葬列の事を少しだけ考えた。
フィアンが取り仕切り、葬儀などは既に恙なく終わったらしい。
忌避される役割を担う者ではないからと、これを機にフィアンは死の精霊であることを明かしたそうなので、大事な家族や仲間を見知った相手に託せるという意味では、残された人々の救いになっただろう。
りぃんと、列車内の停車ベルが鳴った。
「そろそろ到着するかな」
「むむ。さすが、定刻通りですね。ディノ、忘れ物はありませんか?」
「うん。君がいれば大丈夫かな。………ノアベルト達を起こすかい?」
「ええ。そうしましょう。エーダリア様、ノア、もうビアントムに到着しますよ!」
向かいの座席に座っていた二人に声をかけると、はっと飛び起きたエーダリアとは対照的に、ノアはむにゃむにゃと眠たそうにしている。
本日の任務には、ビアントムの住人を見舞うウィーム領主もお忍びで同行しているのだ。
居眠りしていたエーダリアは、誰かがコートをかけてくれていたことに気付き目元を染めていたが、それがノアのコートだと分かると申し訳なさそうに眉を下げている。
なお、こちらの二人がすっかり眠ってしまっていたのは、王都での新たな漂流物事件の対応や確認に追われていたからだ。
海から離れている筈のウィームで大きな事件が起きてしまったが、やはり漂流物の訪れが一番懸念されていた王都にはその後立て続けに襲来があった。
その内の一件の対処が続いており、何とか今朝には解決したものの、一昨日からそちらの事件の情報を追っていたエーダリア達はすっかり寝不足なのだ。
「す、すまない。すっかり眠ってしまっていた…………」
「ふふ。こんな時にゆっくり寝かせて差し上げられるのが、家族の特権なのですよ」
「ありゃ。もう到着かぁ。アルテアが青いボールを直してくれた話、しようと思ったんだけどなぁ」
「…………そのアルテアも、今回の王都での事件でだいぶ消耗しているのだろう。迷惑をかけないようにするのだぞ」
「うん。まぁね。でもボールもちょっとした保険だからさ」
「まぁ。何か意味のあるお願いだったのですか?」
「僕、あのボールにはこれでもかと守護かけてるから。僕にしか損なえないようになっているんだよね」
ノアが誇らしげにそう言えば、ネアは思わずエーダリアと顔を見合わせてしまったが、そのようなものもまた、運命の繋ぎや、小さな運命の傷にも似た仕掛けなのだそうだ。
ノアが守護をかけたボールをアルテアに託すことで、祝福付与されたボールが、持ち主に戻るまでの間の命綱になる。
また、依頼を受けて仕事をすることで付与される授受の祝福も得られるらしい。
ノアが託し、それをアルテアが了承して受け取った事で発生する魔術の結びなのだと聞けば、ネアの義兄はなかなかに狡猾なのである。
「そのようなことが出来るのだな…………」
「まぁ、特殊だけどね。……………普通は、子供が親に、弟子が師に、使い魔や獣が主人にかけるものだし」
「ほわ……………」
「そのようなものなのだね…………」
「そのような理由で動いているものだと、アルテアに言わないようにするのだぞ………」
「ありゃ」
エーダリアに重ねて注意を促されてしまい、ノアはぎくりとしたように頷いた。
銀狐目線で渡されたと思えばとても由々しき事態だが、とは言えそれは選択の魔物の身を守ってくれたかもしれないのだ。
ネアは、そんな風にノアがアルテアを守ろうとしてくれていたことを知り、少しだけ上機嫌になってしまった。
がらがらと音を立てて、魔術仕掛けの扉が開く。
駅に着いた列車からホームに降り立つと、二人の男性が待っていてくれた。
一人は町長であるらしく、もう一人は町付きの騎士だろうか。
ウィーム領主のお忍び訪問が知らされていた二人なので、深々と頭を下げている。
灰色の毛織のコートはお揃いのようなので、どこかの支給品なのだろう。
襟元にある松葉の刺繍が美しく、淡麗な印象の装いだ。
「中央の件でもお忙しいでしょうに、ご足労いただき申し訳ありません」
「いや、私の方こそ来るのが遅くなってすまない。鎮魂の儀式を行う日に来られたら良かったのだが」
「こうしてお越しいただけただけで充分ですよ。お忙しい時期に、気を遣わせてしまいましたね」
「領主としては当然のことだ。…………お前は、大丈夫だったのか?」
「…………ええ。現場に出ておりましたが、以前に教えていただいた、災い除けの魔術が魔術汚染を防いでくれました。あれがなければ、指くらいはなくしたかもしれませんが」
エーダリアの言葉に微笑んだ町長は、よく見ればまだ若いのかもしれない。
目元には深い皴がくっきりと刻まれているが、それが魅力だと思える面立ちである。
「歌乞い殿も、本日はお手数をおかけしますが何卒宜しくお願いいたします」
「はい。私の魔物と一緒に、何も問題が残っていないかどうか見させていただきますね」
ネアの言葉にちらりとディノの方を見れば、エーダリアとは顔見知りだという町長も恐縮していたが、まだ年若い騎士は更に固まっていた。
ネアが連れている魔物もそうだが、エーダリアの隣に立っている護衛騎士風のノアも気になるのだろう。
目が合うと、慌てたように深々とお辞儀をしたので、あまりの緊張ぶりにこちらまでそわそわしてしまうではないか。
ビアントムは、交易の中継点であるのと同時に、松明かりという特別な魔術道具を生産している土地だ。
この土地の松の木から採れる魔術結晶は、特別なカットをすると松明かりと呼ばれる魔術鉱石になり、ランタンなどに入れて火を灯すと災い除けにもなる。
質のいい松明かりは、深い森に向かう者達には欠かせない資源なので、その採掘に関わる住人も多い。
なお、松の木の根元から掘り出されるので、採掘なのだそうだ。
(……………ああ、いい匂いだわ)
駅のホームに立っただけでも清しい松の香りがして、ネアは深呼吸してしまった。
しかし、ディノは少し苦手なのか僅かに眉が下がっている。
町長に案内されて駅を出ると、屋根の開いた馬車が待っていた。
人数的にどういう乗り合わせになるのかなと思えば、まさかの町長が御者台である。
騎士の青年は馬を連れてきており、魔物達はいっそうに擬態を深くした。
ここで高位の人外者に怯えて馬が飛び上がったりしたら、馬車の上の人間達は跳ね飛ばされてしまう。
ビアントムは、美しい町だった。
白い漆喰塗りの家々に深緑の屋根、そして、仕事や買い物で使うのか、どの家も小さな荷車を家の横に置いている。
その荷車が家ごとに違う色に塗り分けられていて、目に楽しい町並みであった。
「この辺りになると、深い赤色の紅葉が多いのですね」
「ええ。山楓の精霊がいますからね。今は、散歩に連れていかれている時間で不在にしておりますが」
「……………散歩につれていかれている?」
それは一体どういう意味だろうと眉を寄せたネアがエーダリアの方を見ると、その事情までは知らないのか、エーダリアも困惑したように首を横に振っている。
勇気を出したネアが御者台にいる町長に何をどういう形でお散歩の時間になったのかを尋ねてみたところ、山楓の精霊は美しい毛並みの楓色の小型犬のような生き物で、今は大好きな町長の娘にお散歩に連れて行って貰っている事が判明した。
なお、本来は美しい青年姿の精霊であるらしい。
「……………え、何で僕の方見るの?」
「………ふむ。どこにでもそのような方はいるのですね」
「ああ。…………そういうこともあるのだな」
「……………散歩に、連れていかれてしまうのだね」
馬車の上のそんなやり取りに何かを感じたのか、以後、町長と馬に乗って並走していた町の騎士はぴたりと黙り込んでしまった。
騎士の青年に至っては、ノアの方をちらちらと見ているので、こちらの人物もお散歩に連れて行かれる側なのだと知り多分とても動揺しているのだろう。
「この辺りになります。……………おや、いらっしゃっておりましたか」
町長が馬車を止めたのは、山間の街道に面した町の東側にある広場であった。
円形の広場は石畳になっており、真ん中には噴水ではなく見事な花壇がある。
そして、その前には背の高い銀髪の男性が立っていて、こちらを見ると僅かに頭を下げる。
「……………てっきり、ウィリアムを連れて来ると思いましたが、領内の人員に固定されましたか」
「そりゃ、まぁね。…………あ、僕が代わりに話すから」
「ノアベルト?………その、領主として話を訊きたいのだが………?」
「大丈夫だよ。僕が全部訊いておくよ」
「やれやれ、魔物は相変わらずか。…………ご無沙汰しております、シルハーン」
「うん。君もここで働いているのだね」
「ええ。いい町ですよ。……………漂流物ごときに大事な者達が奪われたのが、口惜しいばかりです」
静かで少しだけ堅苦しい口調で話す、美しい男性だった。
(……………フィアンさんじゃない?)
てっきりフィアンがいるのだとばかり思っていたネアは、こちらは誰でしょうという思いで目を瞬く。
すると気付いたディノが、フィアンの系譜の部下の一人だと教えてくれた。
「初めてお目にかかります。…………私の主人は、……………入れ違いでウィーム中央に、限定の林檎酒クリームのパンを買いに行ってしまいまして」
「…………まぁ。さては、ジッタさんのお店ですね?」
「今朝までは、皆さまへの対応は自分ですると仰っていたのですが…………」
なお、こちらの系譜の精霊は進行の系譜の中でも、事務方を務めることに向いた人物なのだそうだ。
教会の仕事の上でもフィアンの手助けをしており、同じく神父としてこの地に移り住んできた。
堅実な仕事ぶりと、生真面目な気質から住人達とも仲が良いようで、塩の魔物は、ご新規だからではなくそんな評価の高さから契約の人間に近付けるのを懸念しているようだ。
「それなら、後は僕達だけで充分だよ。フィスタは、教会の仕事に戻る頃合いじゃないかな」
「威嚇をせずとも、仕事で来ているので領主様には何もしませんよ。……………シルハーン、あちら側の石畳が新しくなっている場所が、漂流物の接触箇所です。この地まで入り込むにあたり通ってきた街道は、ガレンの協力も得て全て浄化魔術を敷き終えました」
「……………うん。私が見える範囲でも問題なさそうだね。……………ただ、あの石畳の下にある既存の魔術が崩れかけている気配が見えるので、………これは、疫病対策の術式かな。…………組み直した方がいいだろう」
「……………町長、何か心当たりは?」
「この広場があった土地は元々は窪地で、赤靴下の呪いを退ける為の盛り土があると、記録にあった筈です。恐らくはそれかと」
「…………そうか。では、もう一度浄化をかけてから石畳を外し、盛り土部分に術式を入れ込んだ方がいいのではないだろうか」
そう提案したのは、ガレンの長でもあるエーダリアだ。
頷いた町長が、慌てた様子で騎士と話をしている。
フィスタは小さく頷き、やはり司るものの違いや階位が違うと、見える範囲が違いますねと呟いていた。
「その浄化は、こちらの町で可能なものでしょうか?何か、お手伝いしますか?」
「いえ、それについては……」
ネアがそう声をかけ、フィスタが返事をしようとした時だった。
「ムイ!」
この声はまさかという声が足元から聞こえ、直後、件の石畳の辺りがごうっと燃え上がるではないか。
あまりの火柱具合に、何だ何だと扉を開けて近くの住人達が出てきてしまい、もしゃもしゃした羊のぬいぐるみのような焚き上げの魔物の姿を見付けると安心したように家の中に戻ってゆく。
だが、殆どの者達が閉めようとした扉や窓をもう一度開け、町長の横に立っているウィーム領主を見付けて瞠目していた。
「おや、ここにいたのだね」
「ムイ!……………ムーイ、ムイッ」
「物凄い火柱ですが、…………火の粉で近隣のお宅が燃えてしまったりはしませんか…………?」
「ムイ!」
「それはないそうだよ。余計な仕事は増やさない主義のようだ」
「…………え、何でここにいるのさ」
「ムイ。ムイ…………」
唖然とした様子のノアにトルチャが語った事によると、どうやらビアントムには、フィアンに会いに来たらしい。
とは言え、友人の暮らす町にも漂流物が出たと聞き、何か手伝おうかなというぐらいの気持ちで立ち寄ったくらいなのだとか。
「すみません。主人は、ジッタ様の店に…」
「……………ムイ」
「またか、だってさ」
「…………そのような事が、度々あるのだな」
「あの方は、ジッタ様の店に通うのも好きですが、同時に定刻通りの運行の列車に乗るのも好きですからね」
「そうなってくると、教会のお仕事そのものはちゃんと果たされているのでしょうか…………」
ネアの素朴な疑問に対し、町長が少しだけ遠い目をしたので、仕事は時々滞るようだ。
あれだけ完璧な転入書類を書いた人物にも、そのような欠点があったことになる。
すかさず、私がおりますよとフォローしているフィスタに、成る程こちらの御仁はこんな対応で隣人達の信頼を勝ち取ったのだなと知れた。
「……………でも、少しだけ意外でした。傘祭りの時はシャーロックさんと口喧嘩もされていましたが、お仕事はきっちり済まされる方かなと思っていましたから」
「私もだ。教会側から何の報告もなかったのは、仕事そのものは回っているからなのだろう」
「まぁ、度々パンを買いに行かれてはしまいますが、重要な仕事を落とすような方ではありませんからね。それに、今回、ビアントムの被害がこの程度で済んだのはフィアン様のお陰でした」
「ああ。その礼も言いたかったのだが…………」
町長と話しながら、そんなフィアンがまさかの不在と知り、エーダリアは苦笑している。
そして、巨大な火柱の周りで踊っているトルチャを、少し心配そうに見ていた。
「……………ディノ。いつもより長く焼いていません?」
「漂流物なだけではなく、薬効や日用品の資質を持つ者だったからだろう。トルチャは同じ仕事のやり直しを嫌うから、このような場合は丁寧に仕事をするのだそうだ」
「何と言うか、…………素晴らしいお仕事理念ですね」
「トルチャなんて……」
やがて火柱が消えると、炭化せずに綺麗に残っていた石畳を外し、魔術の再調整が行われた。
それは、ノアの手助けでエーダリアが行い、再び恐縮してしまった町長がさかんに頭を下げている。
ウィーム領主の極秘訪問に気付いた住人達も出てきて、浪々としたエーダリアの詠唱の声に涙ぐんでいたり、じっと聞き入っていたりした。
「……………儀式というものにはね、人々の心を鎮める効果もあるんだ」
帰り道でそう教えてくれたディノに、ネアはこくりと頷いた。
思いがけず行われた術式の再構築は、鎮魂の儀式や葬送の作業ではない。
だが、エーダリアの詠唱を聞いた住人達は、皆が酷く穏やかな目をしていたし、涙を浮かべてエーダリアにお礼を言っていたのだ。
晴れ渡った空だが、ここは少し標高が高い土地なので空はただ青いばかりではなく、けぶるような淡い灰色がかかっている。
陽光も白がかっていて、松の森のあちこちにくっきりとした木漏れ日の影を描いていた。
ネアは足元に落ちていた松ぼっくりを拾い、最後にとエーダリアの希望で立ち寄ったこの町の産業を支える森を眺める。
常緑の森の奥には美しい湖があり、夏になると住人達は湖畔で休日を過ごすのだそうだ。
(……………うん。どこにも曇りはなくて、良くないものもいない気がする。……………何というか、災い除けになる松明かりを作るだけあって、とても清廉な雰囲気だわ)
まだ午後を少し回ったあたりだが、山から吹き下ろしてくる風は少し冷たくなったようだ。
森の方をじっと見ているエーダリアの横顔を見ると、気付いて振り返り小さく微笑む。
「……………良かったという言葉を、ここに住む者達の前では言いたくなかったのだが、…………愛する者達を失った人々の中にも何らかの救いがあるようで、ほっとした」
「ええ。私もそう思いました。………このような時でも気持ちを少しずつ前に向けていけそうな気配がある、穏やかで勤勉な方達が多い土地という印象です。……………とは言え、大事な方を失った悲しみを呑み込むのは、これからなのかもしれませんね」
「ああ。だが、そのようなものを助けるのは、きっと私達ではないのだろう。その前の段階の手助けをしたかったのだが、………私が手を出す必要もなかったようだ。…………なので今度は、松明かり作りの作業工程を見に来ようと思う」
役割を果たしてそれでおしまいではなく、エーダリアにとってはこの地も大事なウィームの一部分なのだろう。
そうして忘れられずに立ち寄り思いを寄せる領主がいる限り、きっとこの土地も大丈夫だろう。
「………ビアントムの者達は、災いや悲しみを払拭する為に正体を失くす程に飲み明かすと聞いて案じていたのだが、皆素面であったしな」
「…………最後に、あまり聞きたくない情報が入ってきました」
「え、もしかして、トルチャが今日は基本休日だからってどっかに向かったの、それ?!」
「そ、そう言えば、…………トルチャさんは仕事終わりにお酒をいただくのが大好きな魔物さんですよね?」
こんな時、ウィームに移り住んでそこそこ馴染んできた人間には、この後の展開が読めてしまうことがある。
まだ午後になったばかりの時間ではあるが、ウィーム郊外では基本的に、週末や休日とされる日の最初の一日の午前中までを労働に充てることが多い。
古い時代の名残なのだが、安息日や祝日にしか動かせない魔術や資質もあるので、その日だけの作業というのも少なくはないのだそうだ。
そして今、そんな労働時間が終わり、時刻は人々が昼食を終えた頃合いにならんとしていた。
突然、どぉんと激しい音がした。
「ぎゃ?!」
「……………え、何あれ」
不穏な気配を感じたのはネアだけではなかったようで、そろそろ駅に向かおうかなと森から駅までの道を歩き始めたところで、異変は起きた。
一件の食堂の扉が吹き飛び、数人の男性が転がり出てくると皆で通りに寝そべり大声で笑っている。
明らかな泥酔状態に気付き、ネアはさっとディノの背中の後ろに隠れた。
伴侶な魔物もとても怯えているが、相手が酔っ払いの場合は乙女こそ守られるべきである。
「そうか。…………森を見てから我々だけで歩いて駅まで向かうと言った際に、町長が不安そうにしていたのは、この辺りには食堂が多いからなのだな」
「えーと。早めに駅に向かおうかな。……駅の職員は、さすがにまだ働いているよね?」
「ご主人様………」
「……………気のせいでなければ、あそこで上機嫌にハムを炙っているのはトルチャさんでしょうか」
「え…………」
最初の大きな音を皮切りに、通りには酔っ払いが進出し始めていた。
その中で、数人の男女と一緒に串に刺したハムの塊を焼いているのは、明らかにもしゃもしゃ羊のぬいぐるみ仕様なトルチャである。
ちびこいなりに足元がおぼつかないので、ネア達が森を眺めてしんみりしている僅かな間に、一体どれだけのお酒を飲んでしまったのだろう。
「て、転移は………」
「まだ出来ないから、駅までは………歩くのかな」
「馬車を降りなければ良かったのだな。……………ノアベルト、走れるか?」
「ありゃ。走るの?……………って、ええ?!」
そして、酔っ払いには、一つだけ悪癖があった。
素面の者達を見付けると、善意でお酒を勧めてくるのだ。
そんな脅威が今まさに、ネア達にも迫りつつあった。
お忍びで町を慰問してくれたウィーム領主がいるのを見付けた誰かが、いいお酒を持ってきて飲ませてさしあげようと声を張っている。
たいへんに危険な状況なので、一刻も早く離脱した方が良さそうだ。
「ディノ、走りますよ!!」
「ご主人様…………」
ネアは、怖さのあまりに涙目の魔物の三つ編みを掴んで、だっと駅に向けて走り出した。
お忍び道中とは言え、あんなに歓迎してくれていた人達からこんな風に逃げる羽目になるとは思わなかったが、一本道とはいえそこそこ距離のあった駅までの道を死ぬ気で駆け抜ける。
なお、勿論、進行方向の先にも店や住居があり、退路の環境はとても厳しいものであった。
切符を往復で買っていたことに感謝しながら転がるように駅の改札を抜け、来た時の静謐さが嘘のようなビアントムの町から何とか逃れたのは、午後の光の中でのことだった。
この時程、ウィームの列車が基本定刻運行、運行間隔も少なくはなかったことに感謝した日はなかっただろう。
ネア達がほうほうの体でウィーム中央に戻れば、フィアンはまだ限定パンの焼き上がり待ちで行列に並んでいるようだ。
四人は顔を見合わせ、遅い昼食を摂る為にリーエンベルクに帰ることにした。
明日の更新は、書籍作業の為にお休みとなります。




