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クロウウィンの夜と家族の団欒




暗い暗い祝祭の夜を飛び交うのは、亡霊ではなくキャラメル林檎の包み紙の精達だ。

今朝方あんな事件があったばかりだが、壮健な人間のキャラメル林檎への熱意は失われなかったらしい。

何の躊躇いもなく、屋台でキャラメル林檎を大量購入したご主人様に、ディノは震えながらお支払いを引き受けてくれた。



そんなディノの三つ編みには、かつてのクロウウィンで購入したリボンが結ばれている。

今年の誕生日のお祝いリボンと迷ったようだが、髪の毛を梳かしてもう一度綺麗な三つ編みを編んでやると、おずおずとディノが差し出したのがこのリボンだった。 



クロウウィンの夜である。



死者の日でもあるウィームの夜にはしっとりとした霧が出ていて、漂流物の領域の中で見た霧とはその美しさが違うのだぞと、ネアはふんすと胸を張る。


街を行き交う人々の表情は決していつも通りの楽しさばかりではないが、それでも、リーエンベルクから発表された祝祭の主人の滞在情報を胸に、予定通りの夜を取り戻す者達も多い。


ゴーンと鐘の音が響いた。


ウィームの大聖堂では、今夜は漂流物の訪れで命を落とした者達のミサが行われている。

死者の日に戻ってきた死者な友人や親族も参列すると聞けば、何だかちょっぴり不謹慎に思えてもくすりと微笑めるような頼もしさでもあった。



(きっと、死者の国に旅立つ時に、そんな仲間たちが向こうにいるのだと思えば、心細さも軽減されるだろう…………)



大切な人達との別れでくしゃくしゃになった心で、そんな心細さまでを背負わずに済めば幸いだと心から思う。


死者の国ではそれなりの権威を持つ墓犬たちに付き添われて向かうのだから、実はかなりの好待遇であるらしいし、ネアが苦労した家探しも、既に大きな家を持っている知り合いがいれば、まずは一部屋貸して貰うというスタートを切る事も出来るそうだ。


ただ領外から来ていた者達は、この夜の内に家に帰れるかどうかは運次第となる。


宿主にされた女性も、ヴェルリアから続く魔術的な障りの足跡を見るとヴェルリア領民に違いないそうなのだが、残念ながら死者としても残らなかったのでまだ身元も分かっていないそうだ。


貴族や商人ではなく、喪服という身なりからすると親しい者を亡くしているのかもしれない。

探す者がいなければ不在が明らかにならない人間というのも、少なからずいるのだった。




「…………これは、夜蜜林檎にホワイトチョコレートです」

「うん。………浮気はしない……………」

「あらあら、震えてしまわなくても、キャラメル林檎をディノに投げつけたりはしませんよ?」

「棺の精が集まってこないかな………」

「ふふ。森では沢山集まっていて怖かったですよね。では、見付かる前にさっと金庫にしまってしまいましょう」

「ご主人様!」



ネアは、買ったばかりのキャラメル林檎の紙袋を、一袋選び、一緒に街を歩いてくれているウィリアムに渡した。


おやっと目を瞠った終焉の魔物は、砂色の髪に黒い細身のウールのコート姿で擬態している。

だが、すれ違う墓犬たちが丁寧に挨拶をしてしまうので、何となく正体が察せてしまうのが少し切ないところだ。



「俺にもくれるのか?」

「日持ちするお菓子なので、お仕事の合間にでも。せっかく、ウィリアムさんも一緒に過ごせるクロウウィンですから」


昨年は、それどころではなかった。

寝台の上で力なく目を閉じていたウィリアムの姿を思い出せば、今でも胸がぎゅっと締め付けられるよう。

なので、そんな終焉の魔物にも林檎のお菓子を渡しておこうと、ネアは張り切って多めに購入してしまった。



(境界の魔術が動くクロウウィンでは、やはり危ういことも多いのだろう)



昨年の事件は完全に人違いなので何とも言えない感じだが、今年の事件などは漂流物としての怖さはあれど、この日だからこその要素もあったのは間違いない。


こちらでの暮らしが長くなってくれば、これまでは上手く受け流せてきた祝祭の特性が、こうしてぶつかってくることもあるのだと思う。

きっとそれが、人ならざる者達の暮らす世界で生きてゆくということなのだ。



ひんやりとした秋の夜気に、見上げると吸い込まれそうな程に黒く高い空。

漆黒の夜空に瞬く星々は淡い金色で、しゃわんと音を立てて流れてゆく星が尾を引いていた。



「今夜は、美術館の外からもエントランスホールに飾られた絵が見えるようになっているので、この広場からも一枚だけ楽しめてしまいますね」

「ああ。墓犬達や死者達が入り易いようにと、絵が見えるように扉を開いてくれているらしいな」



今年の展示は、違う季節への憧れがある死者や墓犬達の為にと、一足先のイブメリアの絵を集めているそうだ。


とは言え、クロウウィンの夜の展覧会なので、イブメリアの魔術をより多く得られているような有名な絵は含まれていないらしい。

外から見える一枚は、よくウィームの菓子箱などにも使われる街並みと飾り木の絵であった。


決して高価希少な絵画ではないが、それでもウィーム中央に暮らす人々にとっては馴染みのあるものだ。

ネアは、美術館前広場からそんな美しい絵画をちらりと見てしまい、むふんと頬を緩める。



(………本当は、まだ心の端が、ちりちりと揺れるように落ち着かないけれど)



でも、こうして美しいものを取り込んでゆき、あの、ついさっきまで歩道を歩いていただけの人達が無残に打ち倒されて動かなくなっている光景を忘れてしまおう。

少なくとも、故人を尊ぶのであればあんな姿を覚えておく必要はない。



あんな、悲しい光景なんて。



「……………ネア。四角ケーキの屋台があったよ」

「ディノ……………」

「怖かったら、無理をしなくていい。…………まだ、半日も経っていないだろう?」

「でも、こうしてディノが一緒にクロウウィンの夜を過ごしてくれて、とても嬉しいのです。あのまま終わってしまえば、…………惨い光景だけが今日の思い出になってしまうかもしれませんから」

「うん。君の好きな絵が、ここから見れて良かったね」

「はい!……………まぁ。あの入り口の墓犬さんは、楽しくて仕方がないようですね」

「うーん。あれははしゃぎ過ぎだな」



そう呟いたウィリアムを苦笑させた墓犬は、余程美術館に入れるのが嬉しいのだろう。


びょいんと弾んでは、びゃっと走り回りながら、仲間たちの最後尾で順番を待っている。

今年はネアの良く知る墓犬がこちらに上がってくる事はないが、同じ区画を任されている墓犬はいるのだという。


(……………道に落ちていた、小さな生き物達はどうなったのだろう)



美術館の入り口を眺め、そんな事を思った。


死んでしまっていたあの小さな生き物達も、きっとウィームであれば、誰かが丁寧に弔ってやっただろう。

この広場で、四角ケーキが欲しくて走り回っているちびこいもふもふ達のように、祝祭の夜のおこぼれを楽しみにしていたかもしれないのに。



「ネア」

「……………悲しいですね。悲しくて、この夜がとても綺麗で、美味しい匂いがします。見知らぬ人達の悲劇であれば簡単にぽい出来ますが、私の大事な魔物や使い魔さんが怪我をして、いつものこの街で見かけたりすれ違ったりしていたかもしれない人達や、小さな生き物達が死んでしまったのだと思うと、やっぱり、やるせない気持ちなのです」

「うん。……………林檎の飲み物も買うかい?」



そう尋ねてくれたディノの声が泣きたくなるくらいに優しかったので、狡猾な人間は、本当はホットワインが飲みたかったのだとは言わずにいた。


薦められるままに頷き、記念のカップに入った林檎の飲み物を買ってみる。


一口飲んでみればこの屋台のものは、煮林檎の入った香辛料入りの温かな牛乳という感じだろうか。

体がほこほこしてくるので、少しお酒も入っているかもしれない。



(………記念カップを買ったのは、この街が大好きだからだわ)



あんな悲しい事件のせいで、皆が大切に準備をしてきた祝祭をぞんざいに扱いたくない。


沢山売れ残ってしまった記念カップを屋台主が持ち帰ることを考えると、胸がぎゅっとなってしまう。

だが、そう思うのはネアだけではないのか、多くのお客達が記念のカップを購入しているような気がして、少し嬉しくなった。



「……………いい鎮魂歌だ。ウィームは、死者の送りが上手いな」

「む。どこかで聴こえているものなのですか?」

「この距離だと、俺にしか聞こえないだろう。大聖堂のミサで歌われる鎮魂歌なんだ。この規模のミサにならないと、大聖堂では執り行われないのかもしれない。バーレイが来ているのもそういう訳なんだろうな」



ネアは、それは誰の名前だろうと首を傾げたが、こちらを見て微笑んだウィリアムがしまったというような顔をして唇に指先を当てる仕草を見せたので、追及せずにおいた。



耳を澄ませば、ネアに聞こえてくるのはクロウウィンの夜らしい音楽や歌声だ。

びゃんと飛び交うキャラメル林檎の袋の精達に、四角ケーキのおこぼれが貰えずに荒ぶる栗鼠妖精が体当たりをしている。


柔らかいオレンジ色の光の灯る四角ケーキの屋台には、家族連れなどの領民達が並んでいて、焼き立てのスポンジケーキのいい匂いが漂っていた。



まるで、ただの安らかな夜だとでも言うように。



「もう少ししたら、この辺りにも雪が積もり始めるのでしょうね」

「まだ、森で団栗の結晶石が拾えるのではないかな。週末にでも探しに行こうか」

「はい!今年の綺麗なものも、きっと見付けてみます。…………むむ、屋台の軒先に、リノアールで売っている墓犬さんのクロウウィン飾りがぶら下がっていますよ」

「…………あれは、いいのかい?」

「ええ。今年の春先に、商品確認が入って許可を出してあります。代わりに墓犬達が屋上庭園に入れて貰えるそうなので許可していますが、あの手の商品は随分と前に作り始めるんですね」

「まぁ。春先には、もうクロウウィンの商品の確認が入るのですね」



南瓜と墓犬の小さな飾りは、どうやら南瓜の部分がベルになっているらしい。

夜風が吹き抜けると、ちりりと優しい音を立てた。


気紛れに響くその音を楽しみながら順番を待ち、ネアは、何だかいつもより沢山の四角ケーキを買ってしまった。




「……………ザハには寄ってこなかったのか?」


リーエンベルクに戻ると、まだ先程の部屋で休んでいたアルテアが、怪訝そうに目を瞠るではないか。

てっきり、もっとゆっくりしてくるものだとばかり思っていたと聞き、ネアはぎりりと眉を寄せる。


「まぁ!アルテアさんが怪我をしたばかりでこちらで休んでいるのに、そんなに長時間のお出掛けはしませんよ?…………ですが、この通り四角ケーキを買ってきましたので、皆で食べようと思います。焼き立てでふかふかなので、きっと負担なく食べられる筈ですからね」

「……………言っておくが、食事に制限がかかるような損傷じゃない。………何だこれは」

「ディノとウィリアムさんに付き添って貰い、一刻も早い方がいいのかなと思い引き取ってきました。アルテアさんの、二代目のリンデルです!」



ネアが、そう言って小箱を差し出せば、まだ本調子ではなく休んでいるのに、仕事の資料を読んでいたらしいアルテアが目を丸くする。


上着を脱ぎ黒いジレに白いシャツ姿になっており、確かにこの部屋の中は、晩秋の夜の気温に比べるとぐっと温かかった。


ネア達が先にリーエンベルクの中に入り、ウィリアムは、ゼノーシュと話をしに行きがてら、騎士棟の騎士達に会ってきてくれている。

もし異変などがあれば一緒に対処してくれるそうだが、ディノ曰く、大きな問題はもうないだろうということであった。



「……………クロウウィンの街を見に行ったんだろう」

「ええ。ですが、この手の物はお守りでもあるので、不在の期間はない方がいいのでしょう。ちょっとしたことで何かが欠けてしまうこともあるこの世界ですから。………なので、まだ開いていたお店に立ち寄ってきました」



ふうっと息を吐く音。

アルテアは目を閉じ、深く深く息を吐いた。


伸ばされた手が小さなリンデルの箱を受け取り、開いた箱の中に収まっている美しい指貫にそっと触れる。

鮮やかな赤紫色の瞳が僅かに揺れ、美しい指先が新しいリンデルに触れるのを見て、ネアは言葉に出来ないような安堵を覚えた。



「……………そうだな」

「今回は予備のものなので同じ彫りですが、もしデザインを変えたい場合などは、三代目を注文する前に言って下さいね。猶予は、来月半ばまでです!」

「そうそう入れ替えて堪るか」

「むぅ。消耗品だと言っているのに、困った使い魔さんですねぇ」


なぜかまたしてもリンデルを守る姿勢に入った使い魔に、ネアはディノと顔を見合わせてしまう。

するとなぜか、伴侶な魔物は自分の指輪を押さえてびゃっと飛び上がった。


「ディノ?」

「ご主人様……………」

「まぁ。なぜディノが涙目になってしまうのです?」

「……………ただいま。ってあれ、何でシルを泣かせてるんだい?」

「おのれ。たいへんな誤解を受けたではないですか……………!」

「この指輪は消耗しない……………」

「ネア、今日はディノの事も労わってやらねば駄目ではないか……」

「ぐぬぅ…………」

「おやおや。……………揃ったようですので、ウィリアム様が戻られましたら、晩餐の準備に入りましょうか」


そんなやり取りをしていると、ウィリアムも部屋に戻ってくる。

おやっと目を瞠り、微笑んだ。


「……………エーダリア達も戻ってきたみたいだな。騎士棟の方は問題なさそうだったぞ。……………シルハーン?」

「ほわ、これはまさか、私が完全に悪者になる流れなのでは……」

「僕の妹は、すぐにシルを泣かせちゃうからなぁ……………。ってあれ、アルテアがもう新しいリンデルを貰ってるんだけど」

「おい、触るな!」



少しだけ賑やかになった部屋の中で、ネアは、見て来たばかりの美しい祝祭の夜を思う。


遠い場所への旅立ちを決めてしまったばかりの者達も、ウィームのどこかで家族との晩餐を囲むのだろうか。

そのテーブルに並ぶのが予定とは違う料理でも、そこには残された団欒があるのかもしれない。




なお、トルチャはその日、祝祭の主人の要望で夜明け近くまで巡回を余儀なくされ、たいそう不機嫌であったそうだ。


同行していたグラストや途中で交代したリーナによると、出会い頭に焼き尽くされた何かが三点あり、エーダリアは、せめて何だったのかを知りたいと頭を抱えていた。





繁忙期により、本日の更新は少なめになります。

なお、明日から暫くは新作の更新となります。


「刺繍の魔女と王様のタルト」0話を12時、1話と2話をいつもの時間に更新予定としております!

期間中は、途中で薬の魔物の更新も挟むかもしれません。

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