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253. 収穫祭は死者を悼みます(本編)





深い深いところを揺蕩うような重苦しさの中でもがき、ぱちりと目を開いた。


誰かが暗闇の中で項垂れていて、そっと手を伸ばしてその手を掴んだような気がする。

項垂れる頭を撫でて、その腕の中で安堵の息を吐いたような気がする。

また、どこかで見たことがあるような赤い髪の男性がやってきて、ネアの大事な魔物に深々と頭を下げたような気がした。



(…………でも、この前に見た男性よりも、少しお年を召していたような)



年齢的にはザハのおじさま給仕くらいかなと思い、ネアは暗闇の中で小さく笑う。

そうするとこちらを見た男性が柔らかく微笑み、すまなかったなぁと言ってくれた。


そんな記憶がどこかに残っている。




「…………ディノ?」


目を覚ますと、ネアは寝台に寝かされてはおらず、伴侶な魔物の腕の中にいた。

ふつりと揺れた真珠色の睫毛が、滑らかな頬に青白い影を落としている。

窓の外は青い光が落ちていて、どうやら夕刻くらいの時間帯のようだ。



「目が覚めたかい?………クロウウィン……クロウリアに来て貰ったから問題はないと思うけれど、あの漂流物の領域に触れたりはしなかったね?」

「むむ、………もしかして赤い髪のおじさまが、その方なのでしょうか?」

「うん。彼はクロウウィンを司るものなんだ。あまり、明瞭な存在ではなくて我々とは関わらない祝祭だけれど、今回は前の層の祝祭を退けたことで挨拶に来たから、君の様子を見て貰ったよ」

「まぁ。あの方が、クロウウィンの方なのですね。ちょっと思っていた感じと違いますが、お会いするとそんな感じかなという雰囲気です」



ディノがあまりにも心配そうなので、ネアは敢えて朗らかに返事をした。

にっこりと微笑んで見せると、少しだけほっとしたようにゆるゆると頷く。



「君にはどのように見えるのかな。………クロウウィンは、今の世界では土地によって祝祭の捉え方が大きく変わるので、見え方が変わる事があるんだ」

「なぬ。………赤い髪の、ザハのグレアムさんみたいな素敵なおじさまでしたよ?」

「クロウウィンなんて………」

「ディノには、どのように見えるのですか?」



話を聞いてみると、ディノには、クロウウィンが年老いた女性に見えるらしい。


今代の世界は豊穣の周りの者達の入れ替わりがあった為、収穫祭やクロウウィンの捉え方に違いがあり、例えばランシーンなどでは、ディノと同じ年老いた女性の姿で認識されているのだとか。



「…………気分はどうだい?どこか、………痛みや、不快感はあるだろうか」

「ふむ。…………えい!…………このように手足も問題なく動きますし、お腹も問題なさそうです。ディノは、こんな風に私を抱えていて、少しは休めましたか?」

「ネアはずっとでも持っていられるかな………」

「少しぞくりとしましたが、ご主人様は、お守り代わりにだってなるのですよ」


手を伸ばして頭を撫でてやると、目元を染めたディノがくしゃりとなる。

こうして撫でると、やはり先程の暗闇の中で撫でたのはディノだったと確信した。

あんな風に項垂れていたのだから、この魔物は大切にせねばならない。


「私は大丈夫だよ。……………傷を負った際に、資質を奪われたり、向こうの影響を受けないようにして修復を行なったから、少しだけ疲れているけれど」

「明らかに後ろめたい感じに付け加えてくれましたが、本当にそれだけですか?」

「……………ノアベルトやグレアムと話をして、三日ほどは、練り直しや書き換えのような万象の資質を大きく動かす魔術は使わない方がいいと言われたかな」

「やっぱり、報告漏れがありましたね!ディノがどれだけ影響を受けているかによって、大事な魔物の労い方が変わるのできちんと報告して下さいね」

「……………変わるのかい?」

「ええ。今回はとても労うという回ですので、好きなだけ食べたいものを作ってあげますし、元気になったら全快記念に好きなものを買ってあげますからね」

「ご主人様!」



ぱっと微笑みを深めたディノがそっと三つ編みを差し出したので、ネアは、その三つ編みが艶をなくしていないか、ぼさぼさになっていないかを確かめながらしっかりと握り締める。


幸い、毛艶に問題はなさそうなので、後で編み直してあげよう。

丁寧にブラシをかけて、お気に入りのリボンをつけてあげようと思えば、胸の中が少しだけほこほこしてくる。


そして、小さく息を吸うと、もう一つの質問を重ねた。



「……………アルテアさんは、どんな様子ですか?」


ディノの膝の上から部屋の中を見回すと、思いがけず、部屋に二人だけでいたようだ。


皆がここに集まれないような何かが起きているのかもしれないと考えるとネア自身も不安であったが、ディノは、ネアが眠っている間にどんな思いで一人でいたのだろうと考えるとそれも心配になる。


だが、そんな懸念に気付いたディノが、ふるふると首を横に振る。



「アルテアは、皆が集まっている部屋にいるよ。……今はもう元気だけれど、一度は体を欠いたから、ノアベルトが調整を行ってくれている。君が一滴残らず取り戻してくれなければ、………彼は、何らかの資質を失っていただろう。或いは、階位を落としていたかもしれない」

「……………えぐ」

「それだけ、危うい場面だったんだ。………時に祝祭は、我々より権限を持つ領域を得ることがある。今回現れた祝祭は、前の世界の収穫祭の主人で間違いない。前の世界層は、とても………整っていたと話したね?」

「はい。………今回現れた方に対しても、アルテアさんが規則という言葉を出していました」



そうだねと短く頷き、ディノが困ったように微笑む。


「今とはあまりにも違うものだから、私も完全に理解出来る訳ではないけれど、………以前の収穫祭は、規則正しい利益や収穫を得られる事が前提とされたものか、或いは、祝祭の賑わいや狂乱などを禁止していたのだろう。何らかの形で、規則性を強く資質として得ていた。……………選択を司るアルテアや、今の世界層の理を司る私にとっては、とても相性が悪い相手だったんだ」


その説明を聞きながら、ネアは、この前出会ったクロムという名前な漂流物の男性があのような気質だったので、後に現れた収穫祭が冷静さや規則性を重んじたのかなと考えた。


それは例えば、ディノが以前の万象が選ばなかった資質を選び取ったように。

何某かの理由を持ち終わってゆく世界を見据え、続く新しい世界の者達が相反する形を選ぶという事なのかもしれない。


「………あのまま取り込まれていたら、優位性の問題からアルテアは思っていたよりも多くを失ったかもしれない。特に彼は選択だから、その選択を紡ぐ指先などはかなりの損傷となる」

「……………もう大丈夫ですよね?」

「うん。ああして奪われてしまった以上はもう、君にしか、完全に取り戻せなかったものだ。………有難う、ネア」

「ふぇぐ………」



ネアはここで涙が溢れてしまい、ディノにしっかりと抱き締めて貰った。


ディノがこちらの部屋に一人でいたのは、眠っているネアに漂流物の影響が落ち込んでいないかどうかを丁寧に調べる為に、ネアの内側に目を向けていたからなのだそうだ。


えぐえぐしながら顔を上げて頷くと、指先で涙を拭ってくれたディノが、口付けを落としてくれる。

それを受け止め、ネアはくすんと鼻を鳴らした。



「……………私の大事な魔物や、アルテアさんが無事で良かったです。…………きっと沢山の犠牲が出てしまったのでしょうが、私はとても身勝手な人間なので、自分の手の中だけを見てそう思ってしまいました」

「それでいいのだと思うよ。……………それに君は、だとしてもと思う事もあるだろう。…………皆のところに行くかい?」

「ふぁい。………その前に、ディノは何かして欲しい事はありませんか?」


自らを盾にして守ってくれた大事な伴侶の為に、今の内に何が出来るだろう。

だが、おやっと目を瞠ってこちらを見たディノは、ひどく優しい微笑みを浮かべた。



「……………では、君が嫌でなければ、後で、四角ケーキだけ買いに行こうかな」

「……………ディノ」



目を瞬き、こちらを見ているディノの瞳を覗き込む。

澄明な瞳は深い深い湖のようで、はっとする程に美しい。


「ウィリアムも、あの菓子を気に入っていただろう?アルテアや、エーダリア達も好きなようだよ」

「ディノは、………体が辛くありませんか?」

「うん。それに今夜はもう、ウィームのクロウウィンが損なわれる事はないから安心していいよ。クロウリアは、祝祭の王の真下で祝祭を損なわれたのがとても不愉快だったらしい。今夜はこちらに留まるそうだ。今代の祝祭当人には、さすがにどんな漂流物も手を出せない。日付が変わる迄はウィーム中央程に安全な所はないだろう」

「まぁ。それなら安心ですね!」



(きっとディノは、私が四角ケーキを楽しみにしていたから、せめてそれだけでもと思ったのではないだろうか)



美術館に行くのは難しいかもしれないが、四角ケーキの屋台は美術館前の広場にもある。

その辺りに出かけたなら、きっと墓犬達を見かけられることもあるだろう。


そうして得られるものを残してくれることで、楽しみにしていた祝祭が悲しく恐ろしいばかりのものにならないようにと考えてくれているのだ。



「……………君が、漂流物の領域の中で出会った春の祝祭を気に入っていたようで、少しだけ心配だったんだ」


手を取って貰い立ち上がっていると、ディノが、ぽそりとそんなことを言った。


「そうなのですか?」

「うん。祝祭というものは、それぞれに魅了にも長けているものだ。………君の履歴を思えば、クロムフェルツの守護はとても相性がいいのだけれど、………他の祝祭については、君自身の領域でないものだからこそ、近付けば手元から失われるものもあるかもしれない」

「むむぅ。そういう怖さもあるのですね………」

「うん。でも同時に、何の由縁もない者であっても、相応しい扱いをすれば祝福を授けることもある。今回は、…………その者が君に授けた経験が、祝福として結ばれたということなのだと思うよ」

「まぁ………」

「きっと、君がその祝祭に向けた思いは、祝祭の主人が望むような形に近かったのではないかな」



(ああ、そうか。祝祭を生かすのも殺すのもやはり、人間の思いが大きいのだわ………)



収穫祭に賑わう街の中で微笑んだ金色の瞳の青年は、厳密にはもうこの世界には残らない祝祭だ。

けれどもこうして結び、ネア達の前に現れた先代の収穫祭を追い出す為の知恵をくれた。


とは言え、その切っ掛けとて全てではないのだ。

今の代のクロウウィンがしっかりとこの地に根付いていたからこそ、投げつけられた南瓜が、あれだけの力も得ていたのだと思う。



(それに、あの南瓜は南瓜聖人さんがくれた南瓜なのだ)


結果として、ウィームに根付いた祝祭の作法があったことで、恐ろしい漂流物を追い出す為の力となった。

そう思えばせめて、喪われた人達への手向けになるだろうか。



ディノに持ち上げて貰い、リーエンベルクの廊下を歩き、ネアは、きらきらと光る庭園や夜の森を眺めた。


禁足地の森の方でさざめく不思議な光は、いつものクロウウィンの夜の光景だと心を緩めてしまいがちだが、それも、近付けば身を滅ぼすものなのである。

今年はまだ見かけていないが、この夜のどこかを葬列の魔物が歩いているのかもしれない。



そんな、不思議で仄暗く、美しい祝祭の夜。



「不本意ながら、二年続けてクロウウィンに怖い事が起ってしまいましたね……………」

「うん。今回は、土地の守護を得やすいようにと、漂流物の訪れを後ろ倒しにしていた影響でもあるのだろう。当初の予定では、クロウウィンを終えた後に最初のものが観測される運びだったようだ。…………まさか、水路から最初の漂流物がやって来るとは誰も思っていなかったのだろう」

「今日やって来たものは、どなたかを宿主にしていたのですよね?」

「ヴェルリアの領民だったようだ。今回の漂流物は、海から来たものだった」



(……………もしかすると、漂流物を退けた事があると漂流物に耐性を持つというのは、その正しい姿を見て対話を図れるからなのかもしれない)



ディノの言葉に頷き、ネアは、自分が見ていたのは赤い髪の美しい女性だったと告げた。

ゆっくりと頷いたディノが、ネアの南瓜を投げてくれた屋台の主人も、同じような姿を見ていたのだと教えてくれる。


「あの漂流物を抑え込もうと前に出て、命を落とした領民もいた。…………二年前まで、街の騎士をしていた人間なのだそうだ。………この土地の人間で、腕に自信があった筈の者でもそのようになっている。かと思えば君の南瓜を受け取った者のように助かった者もいる。………人間については、明暗を分けたのは、漂流物の正しい姿を見ていたかどうかという要素も大きいのではないかな」

「ディノ達には、どのように見えていたのですか?」

「枯れ木と大鷲、それに巨大な………ごめんね、…………蜈蚣を合わせたような、奇妙な生き物だった。……………合成獣のようなものだ」

「……………それが見えていたら、私は少しも冷静になれませんでした」



ディノは事前に気遣ってくれたが、ネアはすっかりくしゃくしゃになってしまい、大切な家族や仲間たちのいる部屋に辿り着いた時には、ヒルドが具合が悪いのではないかと心配してしまったくらいだった。


そうではないのだと事情を説明し、何とか安心して貰う。



「……………アルテアさん」


部屋には、アルテアもいた。

長椅子に深く腰掛けた選択の魔物は、珍しく襟元を寛げており、隙なく整っている事も多い髪の毛は僅かに乱れている。

鮮やかな赤紫色の瞳は途方に暮れる程に力を失ってはいなかったが、とは言え疲労の影は色濃く映っていた。



「お前は、……………もう一度魔術洗浄だな。………どこも損なっていないな?」


静かな声だった。

そのせいで余計に胸がいっぱいになってしまい、ネアは無言でしっかりと頷く。

こちらを見てどこか安堵したように頷いたアルテアが、ふうっと深い息を吐いた。



「ええと、………ネア、もう一度アルテアにリンデルを買ってあげてくれるかい?」

「……………ノア?………もしかして、リンデルの守護が役に立ったのですか?」

「しまうのを忘れたまま、交戦したみたいだよ。……それにほら、一度食べられそうになった方の手みたいだからね」

「むぐ…………」


こちらを見て、そんな事を教えてくれたのはノアだ。

優しく微笑んでいるが、やはりこちらの家族にも目元に僅かな疲労の翳りがある。


アルテアの治療を引き受けてくれていたようだが、塩の魔物をそんな風に磨耗させるだけの問題があったりしたのだろうか。



(そうか。リンデルをつけている方の手だったのだわ………)


場面に応じて付け替えているようだが、今日はそちらだったのかと大事な使い魔の手が持ち去られた時の事を思い、ネアは小さく身震いした。


そんな伴侶の様子に気付いたのか、一度、しっかりと抱き締めてくれたディノがネアを下ろしたのは、アルテアの隣の席だった。


とは言え、ディノを椅子にしているので、隣り合って座るのはディノという事にもなる。



「……………壊しはしなかったが、一度向こうの手に渡った事で、守護類がごっそり抜け落ちてはいる」

「ほら、こんな風にすっかりご機嫌斜めだからさ。色もくすんじゃったみたいだし」

「ノアベルト……………」

「それと、漂流物の影響が出て現れたものや、余分な終焉の予兆は、全部ウィリアムが潰し終えたみたいだよ。まぁ、トルチャがかなり腹を立てていたし、クロウリアがいればもう大丈夫だと思うけどね」

「ああ。トルチャはかなり機嫌が悪かったな。……………あの漂流物を焼いた炎もかなりの威力だったな」


ノアの言葉に応じたのは、少し離れた窓際の椅子に座っていたウィリアムで、誰かが用意してくれたのかローストビーフかコンビーフかというサンドイッチを食べている。


一人だけ食事をしているところを見ると、こちらの魔物も随分と消耗しているのだろう。

何しろ、色々な国を見回っている最中に、ネア達の事件で呼び戻されてしまっているのだ。


「トルチャはさ、さすがに今夜は残業間違いなしだからなぁ。………場合によっては、騒ぎを起こしただけでも燃やされかねないのかな。……………ネア、犠牲者は、十一人だったよ」

「……………はい」



ネアが思っていたよりも、犠牲者は少なかった。

けれども、そんな風に言っていい人数でもなかった。



「……………観光客が二人、残りはウィーム中央に暮らす者達だ。最初の段階で抵抗する間もなく命を落としたのが五人、残りの四人は漂流物を何とか抑え込もうとして戦ってくれたと聞く」

「エーダリア様」


立っていた窓辺からこちらに戻ってきたエーダリアは、静かな目をしていた。

ノアの言葉の続きを引き取りながらも、悲しそうだがどこか凛としていて、けれども、堪らない悔しさを必死に隠しているようにも見えた。



「お前達がいなければ、……………そして、抑えに入れる者達が現れなければ、最悪の場合はこの土地の半分近くを損なわれる覚悟も必要なものだったらしい。……………ウィーム領主として、礼を言わせてくれ。お前が、有効なものを見付けてくれなければ、あの状況が長引き被害者も増えただろう。……………助かった者の中には、もう少し治療が遅れたら間に合わなかったという者達が、少なくとも七名はいた」

「……………私が南瓜を取り出すなり、ホットワインの屋台のご主人が素早く受け取ってくれて、投げに行って下さったのですよ。南瓜を投げつける為には、またあの漂流物めの近くに行かなければなりません。それでも、一瞬の躊躇いもなくそうして下さいました」



今でも、少しだけ不思議に思う。


あの時のネアが発した言葉は正解を告げるにはあまりにも足りなかったが、その場にいた皆がすぐに理解し、全力で戦ってくれた。


その手助けが僅かに遅ければ、誰かの命が間に合わず失われたかもしれないし、場合によってはネアの大事な伴侶や使い魔が、何かを失っていたかもしれない。


そう思えば、あの瞬間は災厄の中の幸いであったのだ。



「ああ。………彼は、勇敢な男なのだ。以前にも、運河沿いに現れた祟りものの討伐に参加してくれたことがある。額の裂傷と、片手の小指と中指の骨を折っていたが、傷薬ですぐに治せる範囲だったそうだ」

「私がこちらに来たばかりの時に、ディノと、グラストさんやゼノと一緒に野外劇場に行った事がありました。その時に、ゼノがお勧めの屋台だと教えてくれたお店のご主人なのです」

「古くから、晩秋から新年にかけてあの店を出しているらしい。私も、何度かあの店のホットワインを飲んだ事がある」



(……………エーダリア様が、そんな風に覚えているのは、生き残った人達だけではないのかもしれない)



だからネアは、彼等のことを尋ねてみた。

何しろ今夜は、死者を悼む為の死者の日でもあるのだ。



「どのような方達だったのですか?」

「……………一人は、市場の生花店で働く若者だ。兄弟が六人もいるらしい。…………魔術学院の教師もいた。トレトレ祭りについての会議で一緒になった事がある。寡黙な人物だったが、生徒達に慕われる人格者だったらしい」


そんな風に、エーダリアは全員の事を教えてくれた。

ネアは、ゆっくりと頷き、ヒルドにお礼を言って紅茶のカップを受け取ると、お茶を飲みながらまた別の犠牲者の話を聞いた。


「その、………皆さんは死者の国には、行ける状態なのですよね?」

「ああ。それは俺が確認している。今夜は死者のままウィームに留まらせて、家族や親しい者達との別れの時間を設けることにした。全員、比較的落ち着いていたが、帰り際に墓犬達が迎えに行くそうだ」

「まぁ。墓犬さん達が一緒に連れて行ってくれるのですね。それならばきっと、安心して旅立てるかもしれません」


街の騎士団の調べでは、亡くなった者の周囲で、一人で取り残される家族や恋人、使い魔やペットもいないそうだ。


少なくとも、残された家族や親しい者達は、誰かとその悲しみを分かち合う事が出来るという。



「……………帰って来る筈の大切な人を喪い、突然一人ぼっちになる人がいなくて良かったです……………」

「ウィリアム様の配慮のお陰で、別れを言う時間も得られたのが幸いでした。今は皆が家族や親しい者達のところへ戻っています」

「………私達は、一度街に出て領民の様子を見てくる予定なのだ。お前は、もう少し休んでいるか?」

「いえ。ディノが四角ケーキを食べたいと言ってくれたので、差し支えがなければ、皆さんの分も合わせてささっと買ってこようと思います」


ネアが微笑んでそう言えば、エーダリアは鳶色の瞳を瞠り、小さく微笑んだ。


「……………そうだな。折角のクロウウィンなのだ」

「はい。ただ、もう体は大丈夫そうなので、私でお手伝い出来る事があれば、遠慮なく言って下さいね」

「いや、祝祭の系譜の者がこちらに滞在しているのであれば、出来ればそうして祝祭を少しでも楽しんでくれると助かる。……………だが、無理はしないでくれ」

「ええ。ディノが無理をしないようにしっかり見張っていますし、アルテアさんはこちらで休んでいるように、しっかり言い含めておきますね」

「……………おい」

「もう少ししたら、ディノと四角ケーキを買ってきますので、食べられたら少しだけ食べませんか?リンデルは、皆さんの分の予備をお店に預けてあるので、すぐに交換しましょう」



その言葉に、アルテアは赤紫色の瞳をぱちりと揺らした。


どこか無防備な眼差しに頷きかけ、ネアは有事にはきちんと備えてあるのだとふんすと胸を張る。



「ありゃ。もうあるんだ…………」

「何かと、守護を消耗し易い皆さんだと思ってのことです。ノアの分も、恋人さんに何かされてしまった時の為にきちんと予備を作ってありますからね。……………だとしても、身に馴染んだ最初の贈り物とは違うかもしれません。ですが、リンデルは最初にも言ったように消耗品なのですよ?」



それは、僅かに瞳を細め、魔物らしい思案げな眼差しになったアルテアに向けた言葉だった。


どんなに同じ形のものでも、使い込んだ物とは違うという思いはあるだろう。

だとしても、その守護が少しでも何かの足しになっていたのであれば、それ以上に素敵な使い方はないと思っている。


(例えばあの時、あの女性がアルテアさんの手を食べようとした際の、僅かな遅れでもいい)


なくなっているという守護は、奪われた物を守り、そのまま失わせない為に何かを結んでいてくれたかもしれないではないか。



そんな事を考えていると、ゴーンゴーンと鐘の音が聞こえた。

聞き覚えのある大聖堂の鎮魂の鐘の音に、ネア達は暫し耳を澄ます。


ネアは手を伸ばして、一度は持ち去られてしまったアルテアの手に、自分の手をそっと重ねてみた。

一瞬ひんやりと感じられたが、重ねておけばゆっくりと体温が沁み込んでくる。



(……………ああ。無事だった)



こちらの世界に来てから、この形の魔物しか知らないのだ。

それを目の前で失うような事がなくて、本当に良かった。


指を絡めるようにしてしっかり握り直してくれた手をぎゅっとし、ネアは、お腹の底から息を吐く。



「もしかすると、君が今朝まで王都で対応していたのが、今回の漂流物だったのかい?」


少しだけ落ち着いた様子のアルテアに、ディノが尋ねている。


「ああ。前のものの名残りだろうという話になっていたが、被害が思ったより大きい事で疑問が残っていた部分が、これで漸く説明がついたな。…………最初に現場の調査にあたった騎士団からの報告で、証跡が奇妙だという話になり議論を重ねていたが、まさか、宿主を得てこちらに移動してきていたとはな…………」

「祝祭の主人そのものが二度も現れる事自体が異例だろう。……………或いは、最初のものが現れた事で、呼び寄せられたという形かもしれないけれどね。今回のことでクロウリアと話をしたところ、…………層の違う同じ祝祭が悪変した気配は、魔術の棘のように感じられてとても不愉快なのだそうだ。そうなると、最初に現れた漂流物は、今回現れたものを惹き付ける、或いは不快感を与えるような要素があったのかもしれない」

「へぇ。そんな風に思うものなんだね。祝祭の方も、色々とあるなぁ…………」

「確かに、王都まで水路を辿って繋がっていった可能性は最初から上がっていましたからね。やれやれ、こんなことが起るなら、ディアニムスの疫病はローンに任せておけば良かったな…………」



現れた漂流物が焚き上げられた場所は、トルチャがこれでもかと焼いたので、ウィリアムの目から見ても問題ないそうだ。


だが、ひと月は封鎖区画として経過観察をし、必要であれば再度トルチャが焼いてくれるらしい。

ネアがファンシー界のウィリアムだと信じている小さな魔物は、とにかく強火でがんがん焼くという手法で見事に漂流物の証跡を消し去ってくれていた。



「……………まぁ」

「おや、眠ってしまったようだね」


ふと、隣が静かだなと見てみると、アルテアが目を閉じて眠っていた。


「ありゃ。アルテアがこんな風に眠るのって、珍しいよね。とは言え、さすがに今回は指先だし、……………ほら、大事にしていたリンデルも損なったから、結構堪えたみたいだよ。……………漂流物自体が視覚的にもあれだしね」

「………起こしたくないので、ノア達が出掛けている時間によっては、戻ってくるまではこの部屋にいてもいいかもしれません」


そう提案したネアの言葉にノアが視線を巡らせると、顔を見合わせたエーダリアとヒルドが頷いている。



「……………であれば、半刻程、お待ちいただけますか?グラスト達がその頃にはリーエンベルクに戻りますから、入れ替わりの方が、街の様子などの情報も入っていいでしょう」

「はい。ではそうしますね」

「俺は、少し街に出てみて、ネア達が出掛けるまでにもう一度戻ってこよう。墓犬たちにも話をしてあるから、そちらでも異変があれば知らせてくれると思うが、念の為にな」

「ウィリアムさんが一緒にいれば、ますます頼もしいです!………そう言えば、私が眠ってしまう前にグレアムさんがいらっしゃるような話を聞いた覚えがあるのですが、もうお仕事に戻られたのでしょうか?」

「ああ。ひとまずは仕事に戻り、次の休憩時間にはウィームの水路の結界や守護の手入れをするそうだ。今回はアクスも近いので、そちらでも、商売の邪魔にならないように監視体制を強めるらしい」



そこまで聞いてしまえば、やっと心から安心出来た。


とは言え、これから街に出て来るエーダリア達は、今回の事件の悲しみにまた触れるだろう。

戻ってきてからみんなで晩餐や四角ケーキを食べる時間が穏やかなものであればいいなと思い、ネアは、隣ですやすやと眠っているアルテアの横顔を眺める。



「……………むむ」

「ネア?どうしたんだい?」

「今日はまだアルテアさんだけ林檎のケーキを一緒にいただいていないので、残りのちびタルトをお口の中に押し込んでおきますね」

「押し込んでしまうのかい……?」

「ね、寝ているではないか。喉に詰まらせたら危ないだろう。それに、そうまでして食べさせずともいいのではないか?」

「林檎のケーキを一緒に食べておくと、ずっと一緒なのですよ?」


ネアがそう訴えると、エーダリアは小さく息を呑む。


「…………このような事件の後だ。お前の気持ちも分からないではないが、その作法は厳密には夏至祭のものなので、今日でなくてもいいのではないか?」

「だとしても、クロウウィンもたいそう林檎付いているので、こんな風に願い事をかけておくのもいいのですよ。指でこじ開けて押し込めばいいのです。……………むぅ。片手がアルテアさんに拘束されているので、ディノに任せてもいいですか?」

「……………え」



ここで、とんでもない任務を申し付けられたディノはおろおろしてしまい、見かねたウィリアムが一度アルテアを揺さぶって起こしてくれた。


乱暴な起こし方に文句を言おうとしたところで口の中に林檎のタルトを押し込まれ、アルテアは珍しく困惑した様子である。


ネアは、一緒に食べるのがいいのだろうという思いの下に、クロウウィン後のおやつにも有用だと残しておいた林檎のちびタルトを皆にも配ってしまった。


祝祭の作法として結ばれるものではないが、ネアが今年のクロウウィンに林檎のケーキを一緒にと思い願ったのは、昨年のようなもしもの事件があって大事な家族が失われないようにという思いからであった。


だからきっと、これもまた一つの小さな結び目になるだろうと信じて。



「……………あながち間違いじゃないがな」

「むぐ。……………そうなのですか?」

「似たような風習は幾つもある。だからこそ、丁度いいと考えて、俺もお前にタルトを持たせておいたんだ。………夏至祭のものは約定の領域だが、収穫祭で林檎を食べる風習は、収穫や財産を失わずに蓄えるという意味がある。そのような意味を持たせて、家族で林檎酒を飲む風習を持つ土地も幾つかあった筈だ」

「そうなのだな…………」

「あら、エーダリア様が、ちょっぴり興味を示し始めましたよ」

「……………祝祭そのもの障害にならないのであれば、付与効果を強める意味で、林檎の菓子類の販売を領を上げて強化してもいいのかもしれないと思ったのだ。何か、…………今夜の悲劇を前向きな形で残せれば、残った者達にとっても救いになるかもしれないだろう」



だが、優しい微笑みでそう呟いたエーダリアの思いは報われず、ウィーム中央ではその後、何か悪い物が現れたらとにかく黒南瓜で叩きのめせという少し危険な思想が残ってしまった。


黒南瓜の消費量が増えた結果、ツダリの一部の畑では、今後、黒南瓜の栽培に切り替えてゆくらしい。

いつかまた南瓜聖人がそこを訪れ、一人の人間に授けた南瓜が大勢の人達を救ったのだと知るのだろう。





繁忙期につき、明日11/2の更新は短めとなります。

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― 新着の感想 ―
[一言] 二個目のリンデル! 最初から宣言されていたウィリアムと違って二個目をくれるかわからないとか、貰って早々に壊したらネアが気にするとか気にしていたアルテアにとっては結構な衝撃展開でしょうか。思わ…
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