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251. 収穫祭の朝には戦いがありました(本編)




美しい朝というものは幾つもある。

秋から冬にかけてのウィームなら尚更だ。



けれどもその日の朝にウィームで観測されたのは、とても珍しい麦穂の朝という現象であった。

ずしりと重たい雲が空を覆い、けれども雨上がりの澄んだ朝陽がその隙間から漏れる時にだけ見られる、祝祭の日にしか現れない特別な光景なのだとか。



「最上の豊穣の祝福を得られる前兆だ。…………漂流物としての訪れだったが、とは言え収穫祭の祝福の資質が上乗せされたことにはなっているんだろう。思いがけない幸いだな」



そう教えてくれたのは絶賛リーエンベルクお泊まり中のウィリアムで、ネアは窓の近くに立ちぴょんと跳ねる。


強制長期滞在を命じられているウィリアムは、この後夕方まで終焉の魔物としての仕事をしに行き、夕刻からはウィームに戻ってきてくれて一緒にクロウウィンの夜を過ごしてくれるらしい。


鳥籠が必要になるような事件が起きないか警戒されていたが、幸いにも鳥籠ほどの規模の事件は今のところ起きずに済んでいる。

その代わりに、やはりウィリアムが出なければいけない程度には凄惨なことになっている場所が幾つもあり、そのような場所を巡って来るのだそうだ。



「綺麗ですねぇ。本当に逆さまの麦穂に見えます!」

「可愛い。弾んでる………」

「こ、これが…………麦穂の朝なのだな」

「ほわ、エーダリア様が大興奮です…………」

「……………やれやれ。領民の生活を思ってのものであればいいのですが」

「ありゃ。もっと窓辺で見るかい?」

「そうしてもいいだろうか」



本日はあれこれと忙しい筈のウィーム領主だが、よろよろと歩み寄った窓辺から離れなくなってしまう。

そんなエーダリアの側には、美しい朝陽の解説を楽しそうに行っているノアがいる。


ネアは、こんなに美しい朝陽は椅子に座ってゆったりとメランジェなどを飲みながら拝見する派であるので、ささっと長椅子に戻った。

ふかふかの毛皮のひざ掛けという贅沢と共に、この美しい現象をゆっくりと楽しませていただこう。



(こんな風に、みんなでいつもとは違う部屋で朝食にするのも楽しいな)


ここはいつもの会食堂ではなく、ウィリアム達の部屋にほど近い外客棟の一部屋である。

麦穂の朝を皆で見るために、本日はこちらの部屋で朝食をとることになったのだ。


エーダリアは給仕妖精に手間をかけるのではと躊躇っていたが、豊穣の祝福が得られる今朝の景色は、こうして眺めているだけでも良い影響があるのだとか。

よって今回は、これもお役目の一つとして麦穂の朝を見ながらの食事となっている。



(……………なんて綺麗なのだろう)



屋内ではあるのだが、部屋の中の空気はまだ少しだけひんやりとしている。

季節や時間帯に応じてそれぞれの気温を楽しみ、けれども不快感を覚えない程度の絶妙な室温である。

先程ヒルドが部屋の保温魔術を動かしてくれたので、これから徐々に適温になってゆくのだろう。


こんな朝の内だけの肌寒さに触れると、ネアはなぜか旅先の朝を思い出してしまう。

そろそろ使い魔の慰安旅行かなと行程表を脳内でおさらいしながら、また窓の外を眺めた。



「ディノ。街の左側の方が、祝福の光がきらきらするのは、何か差があるのでしょうか?」

「あちら側に魔術的な施設が多いからだろう。土地によって見え方が違うものだと思うよ。……例えば、アルビクロムなどではあまりはっきりと見えないのではないかな」

「まぁ。それはちょっと寂しいですよね………」



暗灰色の雲間から、細長い朝陽の筋が地上に投げかけられる。


そこに、雨上がりの澄んだ空気と祝祭の日の潤沢な魔術の揺らぎが重なり、細い金色のテープのような朝陽が地表近くでだけぱらぱらと乱反射するのだ。

すると、差し込んでいる朝陽が、灰色の空から逆さまに生えた麦穂のように見える。


美しい光景を豊かな実りに重ねて麦穂の朝と呼ばれるのか、実際に豊穣の祝福が得られるのでそう呼ばれるようになったのかの起源は定かではない。


ただ、ネアが以前に出会った、古い時代の豊穣の妖精達がいた頃から見られる現象なのだそうだ。



ゆっくりと、ゆっくりと、霧がかった街が朝陽に煌めき始める。


けれども今日は死者の日でもあるので、それ以外の部分はぞくりとするような暗さが残っていた。

深い海の中に差し込む光の筋のように、あちこちに明暗のコントラストが生まれ何とも言えない美しさではないか。


ネアは大満足でむふぅと溜め息を吐き、隣の椅子に座ってメランジェを飲んでいるウィリアムを見上げた。



「ウィリアムさん、ちび林檎タルトを食べませんか?」

「……………もう貰えるんだな」


ネアが取り出したのは、朝食前のメランジェの時間に合わせてしまおうとした、使い魔から持たされているちびタルトだ。

これは、ネアが諸事情からどうしても食べたくなり、今日の為に簡易版の林檎のケーキも作ろうとしたところ、呆れ顔をしたアルテアが用意してくれたものになる。


「はい。もし、困ったお仕事が入ってしまうといけないので、今の内から食べておこうと考えた邪悪な人間なのですよ」

「はは、それなら俺もそこに便乗しようかな」

「ヒルドさんも如何ですか?」

「おや。では、私も今の内に一ついただきましょうか」

「ディノも食べます?それとも、朝食の後にしますか?」

「食べようかな………」



嬉しそうに目元を染めた伴侶の魔物が小さなタルトを食べていると、窓の方から戻ってきたノアがおやっと目を瞠っている。

勿論、ちびタルトは家族の数だけあるので、いただけるならどうぞの運用だ。



「朝からこの風習を楽しむのも、家族っぽくていいねぇ。………よいしょ。僕も一個貰おうかな」

「ふふ。アルテアさんお手製のちびタルトなのですよ」

「私もいただこう。………アルテアは、今日はこちらには来ないのか?」

「アルテアさんは、午後までは王都で漂流物対策の続きだそうです。それを終えて、お昼からこちらに来てくれるのだとか」

「そうか。最近はあまりゆっくりと出来ていないようだから、労ってやるのだぞ」

「夜のお出かけでは四角ケーキを買いに行く予定なので、再現して貰います?」

「それは違うのではないのだろうか…………」


エーダリアは困惑しているようだが、ご主人様からの使い魔の労わり方は、第一に作って貰ったものを美味しくいただくという手法である。

その次の方法だとちびふわにしてくたくたになるまで撫でるばかりなので、本日の運用としては前者がいいのではないだろうか。



そんな事を考えていると、窓の向こうに見えていた美しい金色の筋が徐々に弱まってきた。

陽が高くなることで、光の落ち方が変わってきたのだろう。


流れてきた分厚い雲に隠されて、ウィームの街がしっとりと暗くなる。

ひゅおんと並木道を横切っていった黒い影は、クロウウィン独自の生き物だろうか。

柔らかな金色の朝日が薄れてゆくと、この日に相応しい、どこか仄暗い美しさがしっかりと戻ってきた。



(でも、死者の日は、出来るだけ陽光が差さない方がいいのだわ)


日中でも曇天であれば、陽の光に弱い死者達が早めに帰って来る事が出来る。

再会を楽しみにしていた者達は、少しでも長く共にいたいと考える者達も多いだろう。

魂が丸くなるまでの数年間だけしか、再会は叶わないのだから、そうして死者達の戻りが早まるのはいいことなのだ。


「さて、そろそろ朝食にしようか」


窓の向こうの麦穂の朝日がすっかり消えてしまうと、名残惜しそうにそう言ったエーダリアの言葉に頷いた。


漂流物の訪れがあったばかりなので、本日の禁足地の森の見回りはネア達の仕事となる。

その後は、祝祭の当日になるとうっとりとするような美しさを感じさせる麦穂のリースも見に行かなければいけないし、夕刻からは街の見回りをしながら祝祭を楽しませて貰う予定だった。


祝祭行事などに参加しないネア達にとっても、今日は忙しい日になる。

しっかり食べておこうと、運ばれてきたスープのいい香りに唇の端を持ち上げ、ネアは収穫祭の日の朝食を迎え入れた。




「……………そんな朝食の時間までは、穏やかで素敵なクロウウィンでした」



しかしネアは、一刻後には、そんな穏やかな時間を既に遠くに感じていた。


見回りに出た禁足地の森の入り口近くに青い毛玉に四本の猫尻尾な棺の精が大量発生していたら、そんな思いにもなるだろう。


因みにこの生き物は、棺を閉じる音で吠える。

ばたんばたんと吠える棺の精の群れに、ごくごく一般的な暮らしを楽しんでいる乙女は遠い目になるばかりであった。


一緒にいたディノもすっかり怯えてしまい、先程からネアの羽織りものになっている。



「…………この辺りで、何かがあったのだろうね。ゼベルと話せたかい?」

「この状況の原因だと思われる粉々南瓜とキャラメル林檎の残骸は、リーエンベルク前広場より先から転々と続いているようです」

「誰かが、会いたくない死者に出会ってしまったのかもしれないね………」

「ふぁい…………。正門前にいたゼベルさん曰く、原因となったのはよく見かける黒い南瓜のご婦人で、リーエンベルクの騎士さんでも目を瞠るような凄まじい戦闘だったそうです。…………今年は、なぜこちらに来ていたのかは調査中なのだとか」



ネア達が禁足地の森の見回りに出る前に、リーエンベルク前では既に騒ぎが起きていたらしい。

ネア達が何度か見かけた事のある、黒い南瓜のご婦人が、死者の国から戻ってきたご夫君と壮絶な戦いを繰り広げていたというのだ。


いつもなら街中で見かけられる光景なのだが、今年はなぜか街から続く並木道を抜け、リーエンベルク前広場で暫し戦い、そのまま禁足地の森の入り口辺りまで戦場を広げたようだ。


なぜそんな事になったのかはご婦人に聞かなければ分からないのだが、生前の思い出を巡るような形で、リーエンベルク前広場で領主館を眺めてから家路に就く死者達は意外に多いと言う。

となれば、たまたまリーエンベルク近くで遭遇してしまったのかもしれない。


領主館周辺には立派な並木道があるので、死者達が陽光を避けやすくなっている。

排他結界の運用上生者よりも遠くから見ることになるが、それでもとリーエンベルクを観に来る者達は多いのだ。


そんな事を考えると守護をこれでもかと剥された弓兵の事件を思い出しかけてしまいひやりとしたが、今日は黒い南瓜のご婦人の事件のお陰で並木道が騒然としているので、却って不審者は潜みようがないそうだ。



「……………これは、どうすればいいのかな。街の方へ移しておくかい?」

「むぅ。どのような経緯で、キャラメル林檎がばら撒かれたのかが謎めいていますので、騎士さん達の調査が終わるまでは現場に触れない方が良さそうです。よって、棺の精さんもそのままにしておいてあげましょうか………」

「うん…………」


ばたんばたんと大騒ぎの棺の精は、戦いの中で何らかの事故があり、周囲にばら撒かれたキャラメル林檎目当てで集まってきてしまったらしい。

そこに、こちらもキャラメル林檎を手に入れてみせるのだと参戦した小さな生き物達も沢山いて、禁足地の森の入り口は俄かに大賑わいとなっていた。


確かにキャラメル林檎ともなれば、森で暮らす生き物達にとってはご馳走だろう。


噂の二人の戦いは相当に激しかったのか、ばらばらになったキャラメル林檎があちこちに落ちている。

収穫にやって来たのは小さな生き物達なので、茂みや木々の根元を探しているもの達も多く、お目当てのものを見付ける度にきゃあっと歓声が上がっている。



「……………ネア」

「まぁ。私の魔物を虐めてはいけませんよ!」


がしゃんと音がしてディノが震え始めたので何だろうと思って振り返ると、集まった棺の精が、邪魔なものをどかそうと思ったのか、ディノの足に体当たりをしているではないか。


もさもさ毛皮尻尾にいきなり体当たりをされ、しょんぼりした伴侶の代わりにネアが威嚇すると、目を真ん丸にした棺の精達はさあっと逃げて行ってしまった。



「ディノ。私が追い払ったので、もう大丈夫ですからね」

「……………うん。…………食べ終わったらいなくなるのかな」

「恐らく、もう少しすると棺の精さん達はいなくなるような気がします。元々、街中で屋台などから美味しい物を貰っていた子達ですので、目ぼしい収穫がなければそちらに移動するでしょう」


ご主人様の推理を聞き少しほっとしたのか、ディノはこくりと頷いている。


しかし、現状では多くの棺の精が集まってしまっているのは確かなので、祝祭の系譜の生き物がこんな風になっていていいのだろうかという思いもあった。


「…………広場の方にもいたようだから、かなりの数がこちらに集まっているのかな」

「この時間はまだ、街に出る方々も少ないのでと開いていない屋台もある筈です。たまたまそんな時間にこの事件が起こってしまったのかもしれませんね。………というより、キャラメル林檎をまき散らしたのは奥様の方だと思うのですが、なぜこんなことになったのだ」



ネアはその経緯が不思議でならなかったのだが、幸い目撃者がいたようで、その謎もすぐに解けた。


証言をしてくれたのは、禁足地の森に住む雨降らしのミカエルである。

この雨降らしは純白とも戦えるくらいに強いのでそうそう怯えてしまう事はないのだが、今回ばかりは、あまりにも苛烈な男女の不毛な大喧嘩を目の前で見てしまい、たいそう怯えていたという。



「……………まぁ。キャラメル林檎は、ご主人の浮気相手のご婦人が作ったものだったのですね」

「ええ。一向に自宅に帰れないので、今年は浮気相手の女性のところへ向かおうとしたようです。……ですが、そちらの女性にも、もう別の相手がいたようでして…………」

「僕、食べ物をこんな風にする人間は嫌い………。死者だけど、やっぱり嫌い……………」



アメリアが今年のクロウウィンは午後まで休暇を取っているということもあり、ミカエルに話を聞きに行ってくれたのは、グラストとゼノーシュだった。

エーダリアを始めとした者達が収穫祭の儀式に向かう中、本来なら護衛で同行するべき二人だが、こちらの騒ぎがあまりにも大きくなっていたので、急遽リーエンベルクに残ってくれたのである。


因みに、エーダリアと共に出掛けていったノアがこの事件の報告を聞いてとても震えていたそうなので、ネアの義兄としては、他人事ではないという思いもあったのだろうか。



「ゼノがそう思うのも当然です。私も、結果としては棺の精さんや森の方々のお腹に入るのだとしても、美味しいキャラメル林檎をまき散らした事に対しては遺憾だと言わざるを得ません」

「ウィームでは、死者も買い物が出来るのかい?」

「いえ。本来は禁じられておりますが、今回は贈答品という扱いになるのでしょう。いきなり押しかけてきた過去の恋人を追い返そうとして、その女性が箱いっぱいに持たせたそうですから」



箱一杯のキャラメル林檎を貰った男性は、さぞかし困惑しただろう。

何しろ死者なので、生者の食べ物は味が濃すぎて食べられないのだ。


すっかり困り果てた男性は、リーエンベルク前広場に続く並木道の入り口で、まだ開いていない屋台の前で跳ねている棺の精達を見付け、大量に押し付けられたばかりのキャラメル林檎を分けてあげることにしたようだ。



そして、ちょうど棺の精達が集まってきたところで、うっかり元奥様なご婦人に見付かってしまったのである。




「その結果、………投げつけられる南瓜に対抗するべく持っていたキャラメル林檎を投げ返してしまい、……………いっそうに御夫人を激昂させたようでして」

「浮気相手とお金を持ち逃げしたことが発端となって毎年追い返されていたのに、なぜ、浮気相手の女性が作っているそちらの二人の出会いの思い出なキャラメル林檎を投げ返してしまったのだ……………」



ご婦人はどうやら、浮気を知った際にそんな馴れ初めも調べ上げていたようだ。

そんなものを投げつけるなんてと、怒り狂いながらご主人を黒南瓜で攻撃している現場に、何事だろうと出てきたミカエルが立ち会ってしまったというのが、不憫な目撃者の説明である。



「二人の会話を聞いていた者がいたお陰で、…………今回の事件の原因が分かったのは幸いですけれどね」



グラストとしては、もうそう言うしかないのだろう。

困ったように微笑むと、頬を膨らませてキャラメル林檎の処遇への不満を示しているゼノーシュをひょいっと抱き上げている。


グラストに持ち上げられたゼノーシュは目元を染めて嬉しそうにしていて、そんな様子をじっと見ていたディノがこちらを見る。



「……………持ち上げるかい?」

「私を持ち上げた方が、心が落ち着きます?」

「……………持ち上げようかな」

「では、棺の精さんは自然解散待ちとなりましたので、残りの見回りの間はディノを乗り物にしますね」

「ご主人様!」


街中の見回りではないので、ディノの持ち上げでも見回りは出来るだろう。

恐ろしい人間の行いにすっかり怯えてしまっている伴侶を慰めるのは、その歌乞いとしても当然の務めである。



なお、あまり前例がないので、ダリルにまで問い合わせがいってしまい、棺の精達はそのまま放置される事になった。


滅多にないくだらない事件だと呆れていたらしい書架妖精曰く、六十年前にも一度だけ似たような事件があったのだとか。

その際も、棺の精が一か所に集まり大騒ぎになったが、集まった棺の精に危害を加えたりしなければ特に問題はないそうだ。


ただし、このままずっと禁足地の森に残り、いつものように屋台の食べ物が貰えずに悪変するといけないので、午後になっても移動しないようであれば、騎士達がお菓子などで街中に誘導するらしい。


なかなか大がかりな事件になってしまったので、さすがに、街の騎士からご婦人への聴取も入るそうだ。



「とは言え、厳重注意くらいが限界でしょう。…………ご夫君の浮気を、数人の仲間が知っていたという経緯があり、あのご婦人には頭が上がらないそうですから」

「ほわ……………」

「加えてあの方は、ダリル殿とも親交がありますからね」


となるとさすがにダリルから注意が行くのかなとも思ったが、あの妖精が男女の問題に口を出すとは思えないなと、ネアはそっと首を横に振った。


こうしてグラスト達と話している間も、禁足地の森の方からはばたんばたんという声が聞こえてくる。

棺の精の吠える声だと聞いていなければ、どこかにある建て付けの悪い扉が風で開閉しているのだろうかと思ってしまいそうな激しさだ。



「………むぅ。そろそろ、残りの半周の見回りに戻りましょうか」

「……………うん。……………また沢山いるのかな」

「もしまた体当たりされるようであれば、私を一度下ろして下さいね。大事な魔物に悪さをしないよう、あやつらを威嚇して追い払いますから」



こちらにも事情を共有してくれたグラスト達が正門前の持ち場に戻ると、ネア達は再び禁足地の森の見回りに戻ることになる。


棺の精が集まって大変なことになっている禁足地の森だが、少なくとも、同じような有り様である上に、そちらは集まった棺の精を何とか移動させなければいけないリーエンベルク前広場班よりはましだろう。

自然解散を待って構わないとは言え、さすがに領主館前だけは事態を収拾しておかねばならないのだ。


幸い、祝祭の固有種たちは祝祭を損なわれるのを嫌がるので、その騒ぎに乗じて領主館へ悪さをするようなことは出来ないと聞きほっとしているが、仕事を終えて戻ってきたエーダリア達が正門を開けないだけでも大問題である。

従って、何とか移動させねばならない。



(…………やはりそちらも、お菓子で誘導しているのだろうか)



しかし、皆が忙しい日なので、せめてこちらは任せ給えな気持ちで見回りに戻ったネア達だったが、すぐに、周辺にあったキャラメル林檎を食べ尽くし、僅かな欠片を求めて荒れ狂う棺の精に囲まれてしまった。


がしゃんがしゃんと足に体当たりされたディノは、早くも震え始めている。

このままでは伴侶が泣いてしまうのでと、ネアが慌てて下ろして貰おうとしていると、どこからともなくぱしゃんと甘い香りのする水が弾け、なぜか棺の精達がさあっと離れていった。



「……………おい。何だこの騒ぎは」

「まぁ。アルテアさんです!もうこちらにお戻りになったのですね」

「まさかとは思うが、あの連中を集めたのはお前じゃないだろうな?」



そこに現れたのは、王都での仕事を終えてきたらしい選択の魔物だ。


鮮やかな赤紫色の瞳に漆黒のスリーピース姿が、仄暗いクロウウィンの日にこの上なくよく映える。

明らかにご主人様を犯人だと考えている様子なので、ネアは慌てて事情を説明した。



「…………よりにもよって、トゥトゥリの店のキャラメル林檎か」

「まぁ。今のお話だけで、お店まで分かってしまうのですか?」

「……………あの騎士が死ぬ前にも、とんでもない騒ぎがあったからな。トゥトゥリの店のキャラメル林檎がその年は発売されなかったということで、棺の精達が暴れる事件もあった」

「さては、元から棺の精さんに大人気のキャラメル林檎なのですね…………」



まさか過去にもそんな事件があったとは露知らず、ネアは遠い目になった。


アルテア曰く、ウィームの飲食関係の仕事に就いている者達は、人外者からの贔屓を受けている者が多いので、何らかの事情で営業に支障が出ると、周辺の要素を巻き込んでの大騒動に繋がることもあるのだとか。



「お前の知っているスープ屋でも、似たような事があったからな」

「もしかして、アレクシスさんのお店ですか?」

「あの店に手を出そうとした魔物のせいで、店が十日間閉店になった事がある。問題を起こした魔物は、店を贔屓にしていた連中に追い立てられて狩られたらしい。言っておくが、侯爵位だからな」

「……アレクシスさんご自身であれば、簡単に撃破してしまいそうですが、お客様もなのですねぇ………」



当時のスープ屋のおかみさんは、生まれたばかりの子供がいたので、逆恨みをされないようにと一時的に店を閉じるという決断をしたのだそうだ。

アレクシスが素材買い付けに影の国への旅に出ており、ふた月程ウィームを離れていた時のことらしい。


幸い事態はすぐに解決に向かい、悪さをした祭壇の魔物は、怒った常連客達にばらばらにされてしまい、今は代替わりしているのだとか。



「ふむ。行きつけのスープ屋さんの昔話などを聞きながらですが、何とか残りの見回りも終える事が出来ました。棺の精さん達を追い払ってくれた甘い香りのするものは、何だったのでしょう?」

「希少種の夜林檎のシロップだ。面倒ごとになる前に、残りのものを使って街へそのまま誘導してある」

「めずらしいよるりんごのしろっぷ…………」

「お前用の菓子に使ってやるつもりだったが、祝祭の系譜はえり好みが激しいからな。ああでもしないと動かなかっただろう」

「わたしようのおかしの……………しろっぷ」

「……………今回は諦めろ。冬の収穫の際にまた買って来てやる。年明けになるだろうがな」



そんな話を聞き、ネアは怒りにわなわなと震える。


先程のゼノーシュには同意こそしたものの、若干どこかは他人事だったキャラメル林檎事件が一気に自分事になって跳ね返ってきたのだ。


選択の魔物の伝手をもってしても、次の収穫時期までは買い直せないシロップというのは、一体どれだけ素敵なものだったのだろうと思えば、悲しみのあまりに今すぐ死者の国へ出かけ、今年も無事に追い返されたという元騎士をこてんぱんにしてやりたいくらいではないか。



「ぐるるる!!こ、この仕打ちは、絶対に墓犬さんやウィリアムさんに言いつけるのですよ………!!」

「ネア、可哀想に。ギモーブを食べるかい………?」

「おい、今日はそれでなくてもあれこれ食わせるつもりだろう。食べ物を余分に与えるなよ」

「ぐるる!!」

「ったく。そろそろ昼食だろう。さっさと戻るぞ」

「……………ぐる。……………煮林檎のクリームケーキもあるのですよ」

「ほお?お前は、朝のうちに林檎タルトを食べ尽くしたとカードに書いていなかったか?どれだけ食うつもりなんだ」

「むぐぅ。では、私が作ったケーキは、アルテアさんは食べないのですね……」

「…………結局作ったのかよ」

「うむ。アルテアさんから貰ったタルトは、一口大で小分けにいただけるものでしたし、朝昼晩と考えると、もう一食分のお昼のデザート枠が残っていましたから」

「ほお。その枠も埋めたのなら、そろそろ、お前の腰はなくなるんだろうな」

「こ、腰はあります!」



ネアは慌ててそう主張したが、腰を掴ませようとすると使い魔は逃げてしまったので証明には時間がかかりそうだ。


アルテアには棺の精を街に戻してくれたお礼を言い、ほっとした様子のディノを撫でてやってから、リーエンベルクに戻ることにした。





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