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249. 最初のお客は話が出来ます(本編)




突然、ぱちりと薪が弾けるような音がして鮮やかな光がぼうっと揺れた。

幾つものオレンジ色の光が周囲でぱちぱちと弾け、中から大きな黒い翼を持った怪物が飛び出す。


ネアは、思わず眉を寄せてしまった。



「…………思っていたのと、ちょっと違います」

「ああ。俺もだ。…………この層の中に更にあわいに近い階層があるらしい。そこからの顕現のようだな……」


ウィリアムの驚きは専門的な理由からだったが、何かが密やかに忍び寄ってくるような気配にこそ怯えていたネアは、思っていたよりも騒々しい訪問者についつい想定外感を出してしまう。

人間はとても繊細で我儘なので、有事にさえこのような裏切りには物申したくなるものだ。


そして、またぱちぱちと光が弾ける。



「ま、また来た!」

「…………露払いの役割を持つ生き物だな。本隊はこの後だろう」


ネアを片手で抱えたまま、片手で剣を取り出して切り捨てるという荒業をやってのけたウィリアムが、ぼさりと地面に落ちた黒い塊をそのまま蹴りどかす。

現れたのは一体ではなかったようで、その奥ではアイザックが何かを軽々と通りの真ん中の方に投げ捨て、白い手袋を閃かせていた。



(……………鴉のような翼のある、獅子のような生き物、だろうか)



だが、そうして現れた生き物にはなぜか、植物的な印象があった。


翼も毛皮もしっかりとあるのに、生き物というよりは命を得た人形のように感じられるのはなぜだろう。

ぷんと干し草や麦穂の香りがして、陽だまりで温められた砂のような匂いも感じられた。



「これで、………全部だな」

「………ふぁ」

「思っていたより、敵意や悪意を感じるが、………俺達を特定の標的にしているという感じでもなさそうなのが奇妙だな。………ネア、大丈夫だったか?」

「は、はい。びっくりしました………」



一瞬安堵しかけてしまい、ネアは、ウィリアムが言っていた露払いという言葉を思い出す。

慌てて周囲を見回すと、しっとりとした深い霧が揺れ、どこか遠くから楽し気な宴の喧噪が聴こえてきた。


ぞろり、ぞろりと、大勢の人々の足音が聞こえるが、いつの間にか通りに流れ込んできた霧の向こうには人影はない。

それなのに、よく見れば街灯の下や、建物の窓には奇妙な人影が映り込んでいるではないか。



(こんな行進を、何度も見た事がある…………)



それは、夜の森の奥を往く白い人影だったり、背中に背負った木箱に何かを詰め込もうとする文官達だったりしたが、やはりあまり安全なものではなかった。

何よりも恐ろしいのが、こうして聞こえてくる楽しげな喧噪を聞き、ネアが一番似ていると感じたのは、テルナグアが近付いてきた際に聞こえた音なのだ。



わぁっと歓声が上がり、きらきらとした紙吹雪が舞い散る。



けれどもそう思えたのは一瞬で、どれだけ目を凝らしても通りの向こうは静まり返っている。

ひたひたと霧が夜風に揺れるだけで、誰もいなかった。



(いつもの世界で見る紙吹雪が色紙なら、ここに舞い散る紙吹雪は色付きの銀紙のよう)


こんなに暗い夜なのに光を乱反射する紙吹雪は、小さな頃に遊園地で買って貰った、中に水ときらきらしたグリッターのようなものが入っていた玩具の杖を思い起こさせる。

上手く言えないが、得体の知れない者達の有する道具や素材が見慣れたものとはまるで違い、寧ろ、生まれ育った世界の怪異だと思った方が想像が及びやすいような気がした。



わおん。


また何かが声を上げ、狼の遠吠えに聞こえる。

だが不思議な悍ましさと美しさのあるその声が、ただの獣の筈もなかった。



声がした方を振り仰ぎ、アイザックがずれもしていない鼻筋の眼鏡を押し上げた。


「ふむ。………終焉の系譜に僅かですが、戦や太陽の気配もありますね。隊列を組み質量を持って現れ、進行上のものを駆逐し食らってゆくような性質があるようだ」

「やれやれ。面倒だな…………。ネア、すまないがヨシュアと一緒にいてくれ。どうやら、俺が全面に出ないと凌ぎきれないもののようだ」

「は、はい。……………ウィリアムさんは、大丈夫ですか?」



思わず心配になって白金色の瞳を覗き込むと、こちらを見たウィリアムはふわりと微笑む。

こつりと額を合わされ、深めた微笑みははっとする程に凄艶でもあった。


ああ、なんて美しいのだろうと思えば、この魔物は終焉の領域でこそ本来の美貌を見せるのだろう。

だが、今日は黒いトレンチコート姿なので、その美麗さがいっそうに引き立つようだ。


もしかすると、こちらに向かってくる者達から見れば、この魔物こそが悍ましい災厄なのかもしれないと思える程に。



「どちらかと言えば、俺の領分だ。心配しなくていいからな」

「ふぁい…………」

「そ、そうだ。ネアは僕を守るといいんだよ」

「ヨシュア?」

「ふ、ふえええ!」

「むぅ。少し不安になってきましたので、ヨシュアさんを守る事になった場合に備えて武装しておきますね」

「……………背後にも、何かの気配がある。こちらを目指して進んできている以上は、回避は難しいだろう。話が出来そうな個体を見付けるまでの間は、俺とアイザックが迎え撃つが、いざという時は、ヨシュアを盾にして構わないからな」

「おや。私はもう少し下がっているつもりでしたが…………。確かにこれは、出た方が良さそうですね」



アイザックの、頼もしいというよりも不安しかない言葉を聞きながら、ネアは、ヨシュアの腕に預けられた。

ヨシュアは、守って貰うので手を繋ぐだけがいいと言い張ったが、ウィリアムが、ネアを絶対に離さないようにとこの委託方法を譲らなかったのだ。



(……………あ)



またしても温度のない風が吹き抜け、ゴーンと鐘の音が鳴った。

ネアは慌てて目を閉じて自分の部屋を思い浮かべようとしたが、振り返ったウィリアムが首を横に振る。



「今の鐘の音は、音階が違う。…………これは、寧ろ何かが顕現した合図だな」

「えぐ。嫌なものの方でした…………」

「ふぇ。片手が塞がっていて、動き難いよ」

「……………ヨシュアさん。もし、あまりにも動き難いようであれば、降りましょうか?」

「そうするべきなんだ。手を繋げば………」

「ヨシュア?」

「ふえええ!」

「ネアも、ヨシュアに気を遣わなくていい。…………一人にだけはならないよう…」



その言葉を最後まで聞く事は、出来なかった。


突然、霧の中から巨大な獣が現れ、ウィリアムに飛び掛かってきたからだ。



「……………っ!!」


息を飲んだネアが思わず目を閉じてしまった間に、がきんと音がしてウィリアムの剣が獣の牙を受け止めている。

だが、切り裂くよりも早くぶわりと黒い煙になって霧散し、その尾を引きながら離れた場所に着地した。


「アイザック」

「……………ええ。これは、私の方が向いているようですね。そちらには別のものが来るようですよ」

「っ、……………竜か!」



(り、竜じゃない……………!!)



次に霧の中から飛び出してきたのは、縄を撚り合わせて作られた巨大な蛇のようなものだった。

咄嗟にその生き物の方を見てしまったネアは、あまりの悍ましさに吐き気を堪えて片手を口元に当てる。



千切れかけた黒い縄を集めて作られた巨大な蛇のような生き物は、竜と言うよりは、話に聞いていたジアリノームのイメージに近い。

顔の部分は子供がでたらめに作った怪物のようになっており、ゴーグル専門店の主人ですら苦手なネアにはあまりにも刺激が強過ぎた。



(………っ、竜じゃない!!)



大きな口を開けた蛇に、並んだ牙がぎらりと光る。



すかさず剣を構えたウィリアムが立ち塞がったが、その直後に振われたのは、ウィリアムに向けられた牙ではなくいつの間にかネア達の背後に回った長い尾の方であった。



「ウィリアムさん?!」



凄まじい打撃音がして、後方から振り下ろされた尾でウィリアムが吹き飛ばされる。

どおんと音がして、離れた場所にある建物に叩きつけられたようだ。


もうもうと立ち込める粉塵に、更にこの蛇が黒い煙のようなものを吐いたせいで一気に視界が狭まった。

ネアは、咄嗟にこの煙を吸い込まないようにと息を止めたが、すぐに、ぶわりと内側から空気の塊が弾けるようにして見えなくなる。


はっとして顔を上げると、ヨシュアが銀灰色の瞳を不愉快そうに細めていた。

すぐに泣いてしまうので忘れがちだが、今は夜なのだ。



「………吸い込んでいないかい?」

「ヨシュアさん………。ええ。息を止めたので、大丈夫かなと思います」

「それならいいんだよ。今のは死者の国の冷気みたいな、嫌な感じだったんだ。………ほぇ。ウィリアムとアイザックがいなくなった………」

「そんな……」



先程の一瞬で、何が起きたのだろう。

唖然としたようなヨシュアの言葉に慌てて周囲を見回すと、辛うじて見えるくらいのところに、巨大な蛇と交戦しているウィリアムが見えた。


幸い無事のようで、擬態を解いたのか白い軍服がひらりと揺れる。

だが、漆黒の装いのアイザックを探すのは難しく、あちこちを探してから、こちらも離れたところで黒い獣達と戦っている姿を見付けられた。



(行方不明になった訳ではないのだけれど………!!)



だがしかし、ざりざりと音を立てて、こちらに残った蛇が首をもたげているのだ。

残念ながら、完全にネア達を獲物と見定めている。



「これは、僕が抑えるのかな………」

「蛇さんが五匹もいるのは反則でふ………」

「ウィリアムがもう一匹抑えられればいいけれど、難しいかもしれないね。ネア、僕に掴まっているようにね」

「は、はい!」



すいと取り出されたのは雲の煙管で、ネアはふと、金庫の中の煙管もあれば役に立つだろうかと考えた。

先程の蛇が吐いた煙に対し、ヨシュアが煙管からふうっと吐いたのは白い煙だ。

そのまま雲のように地面を這い広がると、ぴしゃんと音がして、雷のような光が地面から空に向けて走る。



どおん。



一拍遅れてから凄まじい音がして、巨大な黒い蛇が苦痛にのたうつのを、ネアは呆然と見ていた。

長く太い尾が近くの建物に打ち付けられ、ばりばりと壊れた建物の欠片が容赦なく降り注ぐ。

石片が石畳に落ちて敷き詰められた石床を破り、砕けた硝子窓ががしゃんと音を立てた。



(良かった。これで何とか…)


「………硬いなぁ。もしかして、これも漂流物かな」

「な、なぬ………、もう終わりではないのですか?」

「まだ動くと思うよ。ウィリアムが一度で切れないのは、今夜が祝祭の夜ってことになっているからかもしれないね。………こんなに夜なのに、ずっと太陽の資質が強いんだ」

「太陽……」



今度の会話は、そこで途切れた。


突然、視界がわっと色とりどりのもので覆われてしまい、ネア達はいつの間にかパレード賑わいの真ん中にいる。



「………え」



舞い散る紙吹雪に、色鮮やかな衣装を着て踊る女達。

巨大な怪物姿の山車に、くるくると回る不思議な球のようなものの上で跳ねている、ピエロのような人影。

みんな楽しげに笑っているけれどひどく冷たい目をしていて、声を発していないのにどこからともなく楽しげなお喋りが聞こえてくる。



「…………これは、………ぎゃ?!」



一瞬ぽかんとしてから、はっと息を呑んだ直後、ネアはなぜか、ヨシュアから放り投げられた。

ぼさりと地面に転がり落ち、周囲の人々に踏まれないように必死に逃げ惑う。


なぜ放り投げられたのだと震えながら、雲の魔物方を見ようとしたところ、静かなヨシュアの声が聞こえた。



「………しまった」

「ヨシュアさん?!」



それは、どこか悲しげな声で、こんな時ではないが美しいと感じられるような声音だった。

人波の向こうに切れ切れに見えるヨシュアにここにいるのだと知らせる為に立ち上がったネアは、細長い銀色の棒がぎらりと光る様に目を瞠り、けばけばしいドレスを着た花籠を持つ女達が通り過ぎたところで、短く悲鳴を上げる。



(…………槍だ)



全部で四本の銀色の槍が、雲の魔物を貫いていた。


それを悠々と引き抜いてみせたヨシュアは、見えている状況程には追い詰められていないようだ。

だが、ネアを抱いていたとは言え高位の魔物にここまでのことをする者達がいるということになる。


ぞっとしたネアは、ポケットの中のベルを握り締め、何とかヨシュアの方に戻ろうとした。


けれどもまた、その時のことだ。



「むぐ?!」


後ろから腰に手を回されてひょいと持ち上げられ、ネアは何者かに拘束されてしまう。

あっと言う間にそこから連れ出され、打ち寄せる荒波のように騒々しいパレードにもみくちゃにされ、離れてはいけない仲間に向かって必死に手を伸ばしたがどうにもならなかった。



ずぼっと、人波を抜けた。


清涼な風が頬に触れ、ぜいぜいと息をすれば、不穏なものに思えていた霧ですら有難く思ってしまう。

パレードを抜けた途端にまた夜は静まり返り、慌てて周囲を見回してみたが、静かな夜の街があるだけでネアの頼もしい仲間達はどこにもいなかった。



「……………やあ。茨のお嬢さん」



そしてそこには、ネアをあの場所から連れ出した男性だけがいた。


パレードから引っ張り出すとすぐに手を離してくれたが、とは言え、一人きりになってしまったこの状況下では、ネアもどうしようもない。


正面に立つ男性を警戒し、じわりと汗の滲む手を握りしめる。



(……………ここで、この人をどうにかくしゃぼろにして逃げ出したとしても、また誰もいない夜の街を彷徨うだけなのだとしたら)



こちらを見ているふくよかな緑の瞳を見上げ、ネアは必死に考える。

宝石のように煌めく瞳は、明らかに高位の人外者のものだ。

けれども、鮮やかな赤い髪に緑の瞳の美しい男性が、何者なのかを特定するには至らない。



(ウィリアムさん達が近くにいるのなら、迷わずベルを使うのだけれど…………)


だがもし、ここがまた違うあわいの層だったりした場合は、意思疎通の出来る第三者は貴重な存在だろう。

ウィリアムが、話の出来る相手を探そうとしていたことからも、安易に損うばかりが得策ではないのは間違いない。


では、どうするべきなのか。



「……………どちら様でしょうか?私は、仲間のところに帰りたいのですが」

「今はやめておいた方がいい。祝祭の行進の中から抜け出すのは容易な事ではないけれど、彼等であれば問題ないだろう。でも、君を呑み込んだままでいると面倒な連中を怒らせそうだから、ひとまずは観客席でお仲間の戻りを待っていてくれるかな」



(悪意は、……………ないのだろうか)


にっこりと微笑んだ美しい男性は、癖のある鎖骨程迄の赤毛を後ろで一本に束ねている。

黒い天鵞絨素材の夜会服と魔術師の服の間のような独特の装いで、男性的な美貌というよりは、色めいた中性的な美しさなのだろう。


気紛れな猫のような微笑みには、ほんの僅かに理知的な年長者風の穏やかさもあって、決して嫌いな雰囲気ではなかった。


ネアにはもう対岸から見ることは出来ないのだが、今のノアを、家族ではない対岸から見たならこんな雰囲気なのではないだろうか。




「あなたは、………私をあのパレードの中から連れ出してくれただけ、…………なのですか?」

「ただでさえ、見知らぬ遠征先なんだ。君程までに毛色の違うお客を入れておくと、こちらの運行に支障が出るかもしれないからね」

「……………あなたは、あのパレードの側の方なのですね?」



赤毛の男性は、その問いかけに緑色の瞳を細めて微笑む。


ふさふさとした髪の毛は、こんなに鮮やかな赤色なのに不思議と火などは連想させない。

赤い薔薇や紅茶色を思わせる、艶やかな赤だった。



「どちらかと言えば。ネアンが死者の行列を率いるようなものだろう」

「………っ、……………あなたは、この祝祭を司る方なのですか?」

「こちらではね、祝祭の主人だとか祝祭の王と言うんだよ、お嬢さん」


そう笑った男性を見上げながら、ネアは、最近出会ったお嬢さんと呼ぶ系の人々中でも、とびきり油断のならない相手のようだぞと表情を強張らせる。

祝祭の名を持つ者がどれだけ厄介なのかは、既に何度も体験済みであるし、言動からも相当に高位のものだという感じがした。



「だから、私をあの行列から連れ出したのですね?…………それは、違う祝祭の要素を持つ者だからでしょうか」

「そういう事だ。さすがに十二夜の愛娘を収穫祭に連れ込んだとなると、俺も何をされるか分かったものじゃない。おまけにお嬢さんは、狩猟の質を持ち茨の怪物に転じた、まさにあの祝祭の申し子のような履歴じゃないか」

「……………私の事が、……………分かるのですか?」



多分それは、初対面の誰かが知っていてはいけない情報だという気がした。

ひやりとした思いで訊き返せば、男は、愉快そうに微笑みを深める。



「俺は、十二夜の予兆、かの王の為の戦士でも祭祀でもあるからね」

「………けれどもきっと、私はあなたが思っているものとは、既に少し違うのだと思います。今の私は、暮らしている土地におられる祝祭の方の守護を貰っていますから」



魔術は言葉で成されるものだ。

だからネアは、出来るだけ過去に紐付けられないようにとそう伝えてみた。


するとどうだろう。

目の前の男性は目を丸くしてから、おやっというように首を傾げてみせる。



「……………んん。……………確かに、同じ時節だけれど、…………彩りと匂いが違うのか。不思議な愛し子だ。…………俺と同じ来訪者のくせに、そちら側にきちんと根付いている。…………ふうん。祝祭の子供が違う土地に流れるだなんてこともあるのか」



独り言のような呟きだが、ネアははらはらした。

ポケットの中のベルを握り直し、この隙にと周囲を確認したものの、未だにウィリアム達の戻りはないようだ。


(もし、自分の属するところのものではないと考えた途端に、対応が変わるようであれば…………)



そう考えると冷たい汗が背筋を伝い、指先が震えそうになる。


これがただの通りすがりの人外者なら、きっと簡単に滅ぼしてお終いなのだ。

だがここは漂流物の領域のようだし、目の前の男性は漂流物そのものなのだろう。

おまけに、ディノ達があれだけ対策に苦慮していた作法の厳しい祝祭の何某かである。


しかし、そんなネアの警戒に気付いたのか、こちらを見た男性はくしゃりと笑うではないか。



「さては、俺がお嬢さんをどうにかしやしまいかと、警戒しているな。見知らぬものの口約束を軽々しく信用は出来ないだろうが、それは考えなくてもいい。俺達は、いつだって祝祭の系譜のものには敬意を払うようにしているんだ。…………それが例えば、新旧の互いに食らい合うものであろうとも、祝祭の庭にいる者とは出来れば争いたくない。……………そんな事をせずとも、いつだって消え去り廃れる可能性があるのが、俺達なのだからな」



その声があまりにも寂しそうで、ネアは思わず祝祭の主人を見上げてしまった。

目が合った男性は微笑みを深め、なぜだかずっと昔に亡くしたものを見るような不思議な眼差しをする。



「お嬢さんの住んでいた庭が、まさしくそうだ。……………望まぬ王座に縛りつけられ、最上位の聖なるものでありながらも同時に…………いや、やめておこう。どんな姿になろうとも、あれは俺達の王だからな。……………さて、お嬢さんの待ち人がそろそろこちらに抜けるかな」




男がそう言った直後、ふっと夜が翳った。


そして、その暗い暗い夜の向こうに白銀色の瞳がぼうっと揺れる。

あまりにも悍ましい暗さであったが、その場でぴょんと飛び上がったネアは、慌ててそちらに駆け寄る。


幸い、止められる事はなかった。



「怪我は大丈夫でしたか?!」

「……………僕は、あのくらいなら何ともないよ。祝福も災いも受けていないかい?」

「む。…………引っ張り出されただけだと考えていますが、何かをされていますでしょうか?」

「安心していい。このお嬢さんはあまりにも異質だったので、これはまずいなと引っ張り出させて貰っただけだ。取り出してここに置いた以上の事は、何もしていないよ」



駆け寄った先で、すぐにヨシュアはネアを自分の後ろに庇ってくれた。

いつもの簡単に泣いてしまう雲の魔物ではなく、高位の人ならざるものらしい冷ややかな精神圧である。



「こんな風に話せるんだね。どうしてこちらに来たのかは分からないけれど、すぐに帰った方がいいと思うよ」

「確かにそのようだ。とは言え俺達は、祝祭の夜を楽しんでいただけなんだがなぁ。………どうにも俺の資質は、ここではないどこかに繋がり易い。君達の暮らす階層の収穫祭も、そんなものかい?」

「……………少なくとも、戦事の気配は帯びないだろうな」



(あ………!!)



そこに重なったのは、ネアがずっと案じていた大事な騎士の声であった。


ぱっと目を輝かせて振り返ると、こちらを見たウィリアムが瞳の色だけで微笑んでくれる。

長剣には黒い靄のようなものが絡みついていたが、ウィリアムが剣を振るとさらさらと崩れていった。


そんなウィリアムを見ると小さく笑い、赤毛の男が肩を竦めてみせる。



「それは残念だ。俺はともかく戦が得意なのに。……………死者達と怪物達が浮かれ騒ぐ夜でもない?」

「死者の日ではあるだろう。どちらかと言えば、…………こちらでは死者の日を主軸として、収穫祭などの要素を得て育っていった祝祭だ。冬の実りが少ない土地では、収穫祭としての気質が強いところもあるが」

「それは驚いた。……………そうか。だから、連中はあなたを目指したのか。どうやら、そちら側では俺こそが十二夜の役割を果たしているようだ。祝祭の庭の住人が失われては困るので、早々に帰らせて貰おう」

「浮かれ騒いで迷い込んだのなら、境界の揺らぎでこちらに出る事もあるだろう。帰り道がないものでなかっただけ、幸いだ」


ウィリアムの言葉に、収穫祭を司る何かはわざとらしく身を抱いて震え上がってみせると、くすりと笑った。


「帰り道がなくなるなんて、例え話でも冗談じゃない。………今年も、また来年も、この先もずっと太陽の下で戦をし、死者達と怪物達と共に一年の一度のこの夜を愉快に過ごさなくては。俺の準備が終わらないと、王の祝祭への道が開かないので困るんだ」



ぱんと、大きな音が響いた。


突然だったのでネアはぎょっとしてしまい、飛び上がったところをウィリアムにすかさず抱き上げられる。

頼もしい腕の中に収まってほっと息を吐いてから、今の音は、赤い髪の男性が手を叩いた音だと気付いた。



その合図を受けてなのか、わぁっと歓声が上がる。


霧の中には何もないのに、また、舞い散る紙吹雪と、得体の知れないものたちが浮かれ騒ぐパレードが見えたような気がした。

何度も戦という言葉を聞いたせいか、戦を終えた軍隊の凱旋パレードにも思えてしまい、ネアは目を瞬く。




(こちらのクロウウィンとはまるで違う、……………極彩色の華やかな祝祭だわ)



視線を戻せば、赤い髪の祝祭の主人は、胸に手を当てて優雅に一礼して見せるとふわっと霧に溶けるように消えてしまった。

ネアはつい、あっさりとした退場だなと思ってしまったが、あれだけの目に遭った魔物達からしてみればそうも言えないだろう。



「ああ、言い忘れていた。今暫くはこちらの祝祭が重なっているから、完全に分離させるまで一刻程はかかるだろう。それまではまぁ、収穫祭の夜を楽しんでくれ給え」


おまけに、そんな言葉を残したのだ。



「なぬ…………」

「……………やっぱりか。これだけの領域が侵食したとなると、帰れるようになるまでは、もう少しかかりそうだな」

「……………ほぇ。もう帰りたいんだよ」



ふうっと溜め息を吐いたウィリアム曰く、今回の訪問は意図的なものではなく、境界の曖昧になる祝祭の日がうっかりこちらに混ざり込んだという事象らしい。


幸いにも現れた祝祭を司る者が帰り道を知っており、それを可能とする高位さであったので、彼が向こう側に帰ってから暫くすれば、重なりが解消されてこの領域から解放されるだろうという事だ。



「だからウィリアムさんは、話のできる方を探していたのですね………ー

「この街そのものが随分と整っているだろう?戻る場所のない、変質の進んだ漂流物とは違うと思ったからな」

「うっかり、向こう側に連れていかれてしまう事はないのでしょうか?」

「ああ。一応ここは、本来はこちらの領域だからな。向こうが客である以上は心配する必要はない」

「……………ふぁ。良かったです」

「……………後は、アイザックを回収した方がいいんだろうな」



とは言えこれで無事に解決だと胸を撫で下ろしていたネアは、そんな恐ろしい言葉を聞き目を瞠った。


ふるふるしながらウィリアムの白金色の瞳を見上げると、あの巨大な蛇は全部排除してしまったらしい終焉の魔物は、何とも言えない暗い目をしていた。



「………アイザックさんは、連れ去られてしまったのです?」

「いや。……こちらの問題が解決しそうだと判断して、……………自由行動に入ったんだろう。彼は魔術狂いだからな。見付けて連れ戻さないとそのまま戻ってこない可能性があるし、さすがにそれはまずい」

「いい大人なので、責任を持って行動して貰いたいです……………」

「ということだ。ヨシュア、頑張ってくれ」

「……………ほぇ?」

「俺は、索敵はあんまり得意じゃないからな」



ウィリアムに捜索を丸投げされてしまい、ヨシュアがじわっと涙目になった。


ネアは、先程はしっかり守ってくれたので、何かおやつでもあげるかなと首飾りの金庫に手を入れてみる。

どうやら、早々に危険は去ったようだが、懸念が一つ残されてるようだ。



(でも……………)



いつの間にか周囲には、賑わいに満ちた夜の街が広がっている。

先程と同じ街並みではあるが、祝祭の夜らしい賑やかさと穏やかさで、観光だと思えばありかもしれなかった。






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