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災いの雨といつもの椅子





「さて、我々も出ようか」

「はい。………俺は目立たないよう、擬態しています」

「そうだね。君の背負う対価に触らないようにしておくといい」



ダレックの街で静かな雨の中馬車を降りると、向かうのは船を司る舞踏会だ。


海すらない土地で船の舞踏会があるというのも奇妙な話だが、対岸に渡るという意味を込めた象徴的な供物として、かつての儀式には小さな銀細工の船が添えられていたらしい。



その舞踏会は、この街の数ある施設の中で、古い大聖堂で行われていた。

かつては信仰の祭壇が設けられていた聖堂の中では、船の舞踏会のお客の決まりである漆黒の装いを取った者達が集まっている。



擬態をかけたグレアムも黒い服になり、互いに髪色も変え、用意しておいたチケットを受付の者に渡す。



(かつてこの聖堂で行われた儀式の際に、燃え上がった祭壇の炎のせいで溶けた船の模型が、その場から動かせなくなった)



そのせいで、船の舞踏会のみは、新たな施設などを用意出来ずにこの聖堂で行われている。



それは、ルグリューが命じた対価の一つでもあるのだろう。


障りを齎した儀式を執り行ったのは、ここを治めていた司祭であったので、教会関係者達からこの場所を取り上げるという意図もあったに違いない。


とは言え、それぞれの舞踏会には主催者と呼ばれる運営の管理者達がおり、こちらの船の舞踏会を取り仕切るのはかつての司祭と、その一族の者達である。

幸いと言うべきなのかは分からないが、かけられた呪いのせいで代替わりのようなことは想定されていないので、人員の交代はそうそう起こらず、長らくかつての大聖堂を治め続けていた。



こつこつと、靴音が響いた。

周囲に人がいないのは、こちらに入るのと同時に排他術式をかけているからだ。

静かな空間に、どこからか細やかな旋律が聞こえて来る。



「………ピアノの音かな」

「ええ。この舞踏会では、ピアノ曲だけしか使えないそうです。黒い服だけに統一されているのも、この聖堂を使っていた信仰の系譜の者達の要望でしょう」

「その上で船の舞踏会としなければいけないのだから、困ったものだね」

「呪いを授かった直後には、混乱もあったでしょう」



また一つ、大きな扉を潜り抜けて中に入れば、大きなシャンデリアの光だけが会場の彩りであった。

日中であればステンドグラスの色が入るのかもしれないが、舞踏会は夜に行われている。

細かな条件付けなどは聞いていないが、昼に開けない理由はやはり客の都合だろうか。


舞踏会は、主催者だけでは成り立たないものだ。



視線を上げると、半円形の高い天井には、信仰の庭で好まれる場面を描いた天井画がある。

柱ごとに設けられた小さな祭壇や、床石のモザイクなど、よく見ればあちこちに大聖堂がその名の通りの役割を果たしていた頃の名残があった。

とは言え、音楽に合わせて踊る者達が大勢いるだけでも、その僅かな荘厳さはもはや背景の一部にしかならないのかもしれない。


(遮蔽扉が多いということは、この地は、ルグリューの呪いを受ける前より古くから、疫病に悩まされていたのだろう)



疫病の系譜を遮蔽する為の典型的な造りとなっているこの建物には重厚な扉が多く、大広間となっている大聖堂の中央棟迄の間には、幾つもの仕切りがある。

ドレス姿の客達の為か、木製の階段を造り付けて踏み越えやすくしてある扉の仕切りを超え、大広間を見渡した。


かつては限られた者達だけに開いていた扉は、今や、チケットを買う者には隔たりなく開かれ、料理やシュプリを運ぶ妖精の給仕達が行き交う。

もしここにネアがいれば、こんな趣きもまた、愉快だと思っただろうか。

それとも、この有り様を哀れだと思うのだろうか。



(………おや?)



歩いていると、一人の男がグレアムに声をかけ何かを伝えていった。

そちらに視線を向けると深々と頭を下げ、無言で立ち去ってゆく。

系譜の部下という訳ではないようだし、ネアに関わる事情なので、会の者達なのだろう。



「何か問題があったのかい?」

「いえ。崩壊に巻き込まれてはまずい客が何組かいたので、事前に帰らせてあるそうです」

「………まだ随分と残っているようだけれど、これも一つの因果だから仕方ないのだろうね」

「必要であれば、もう少し減らしますか?……観客は、ある程度残ればいいという考え方も出来ますが……」



気遣うような眼差しに、薄く微笑んだ。

色々な事が理解出来るようになってから振り返ると、いつだってグレアムは、こうして細やかな調整を行なっていてくれた。

そんな事を、今更だが有難いと思う。



「いや。…………あの子の話によれば、進水式は大勢の客で賑わっていたそうだ。因果の魔術を崩さないように過去の再現をするのであれば、このまま行うのがいいだろう」

「舞踏会の主催者は、かつて大聖堂の司祭だった者です。…………死の精霊の呪いの盤上に数百年もおりますので、信仰の資質や生来の気性などが残っているのかは分かりませんが」

「そして、…………三男なのだろう?」

「ええ。……困った事に」




今回、毒の舞踏会にネアを参加させるにあたり、気になった事があった。

目当ての離宮の隣にはもう一つの舞踏会の会場があり、そこでは、元は大聖堂であった建物で船の舞踏会を開いていたのだ。



ゆっくりと大広間の中央に向かいながら、そんな一致に気付いてしまった時のことを思い出していた。

集まった他の客達は、こちらを見てはいるが、目的のある足取りのせいか声をかけられるようなことはない。

或いは、どこか怯えるような表情を見ると、明確ではなくとも何かの予感を覚え、不安を感じているのだろうか。



(ネアが、あの日ぶりに自分の意思で飲み物に入った毒を飲むことになり、その場所の近くには船を象徴として取り上げ、進水式の場面を模した会場を作った舞踏会が開かれている)



多分、その全ては偶然なのだとも思う。


だが、信仰の系譜には、運命の踏襲という厄介な傾向があり、それを警戒し、かつては薬の魔物という役目を放棄さえしたのだから、今回の相似性も見逃す訳にはいかなかった。



(おまけに、この舞踏会の主催者は、古くから続く一族の三男だという)



ネアが復讐をした人間もまた、その土地の古くから続く一族の三男であったらしい。

この大聖堂の舞踏会は、船上の舞踏会と進水式の舞踏会の二つの主題を持たせ、奥の小広間では船上を思わせる内装を、そしてこの、入り口近くの大広間では進水式を模した装飾となっている。


これだけの要素が揃えばやはり、運命の小さな気紛れを感じ取らずにはいられない。

だからディノは、この舞踏会の進水式の間を運命の盤上から削ぎ落さねばならなかった。

運命の要素を揃えず、とは言え、あの日と同じようにそこにいた者と、主催者を破滅させねばならなかった。


大事な伴侶から幸福や安堵を奪った運命が、どのような形であれ、再びネアを傷付ける事を許す訳にはいかないのだ。

それで何の罪もない者達が巻き込まれ運命を狂わされようとも、彼女の足元にはどんな憂いの影も落としてはおけない。



その為に必要な人物の姿を求めて会場を見渡していると、一人の人間の男が目に入った。



必ず会場にいると聞いていたが、毎晩の舞踏会に参加するのは、司祭だった頃の感覚なのだろうか。

暗い眼差しはどこか投げやりな虚ろさで、グレアムがかつての気質を維持しているかどうか分からないと言及したのはそのせいかと思う。


厳密には死者ではないが、呪いをかけたのが死の精霊であるので、この街に残された咎人達は普通の生者とも異なる状況にある。

そのような状態で義務だけを負わされ、長い時間を舞踏会の為だけに生かされてきた。



「白い服だね。………司祭だからなのだろうが、このようなところも重なるようだ」

「呪いの中に取り込まれているとはいえ、唯の人間が、あのような装いをするのはどうかと思いますが」



グレアムは呆れたようにそう言ったが、ほぼ全身が白い装いで揃えていた主催者の男の姿を見た時、背筋が冷えるような思いがした。


この土地には、色に纏わる特別な信仰や規則はなかった筈なので、本来であればあのような聖衣を纏う筈もなかった階位の司祭が、どういう訳か、禁忌ともされる純白の装いでいる。


ネアが破滅させたという人間の男は、生成りがかった白い麻のスーツであったらしいが、相似性という意味ではかなり近いと言えよう。

それが何よりも恐ろしいのは、信仰の庭での運命の踏襲が行われたかどうかが、誰にも分からないからだ。



(ネアは、飲んだ毒の影響から、望まない後遺症に長年苦しんでいた………)



復讐までの日々やそれを終えた直後のことは知らないが、思うように動かない体で暮らしていたネアのことは知っている。

こちらに呼び落としたばかりの頃とは違い、それがどれだけ彼女の心を削り、多くのものを奪ってきたのかは想像に難くない。


だから、僅かな懸念とは言え、その要素を踏襲しかねないような運命の相似性を残しておくことはどうしても許し難いのだ。




「…………始めようか」



勿論、この舞踏会に参加する者達を世界の表層から削ぎ落とすにあたって、ルグリューには、事前に確認をとっておいた。


彼が最も呪いをかけたかったのは教会関係者達だろうと思いそうしたのだが、どちらかと言えば、より罪を背負う覚悟もなく素知らぬ顔で一人の妖精を捕らえた街の住人達の方が不愉快であったのだとか。

とは言え、儀式を行った司祭達も呪わしくはあったと話していたルグリューは、その罪を背負う者達の一部が失われる事を快諾してくれた。


赦されて本来の運行に戻るのではなく、ここで壊されどこにも行けずにただ失われるのだから、それならば一向に構わないのだとか。


長く彷徨わせたからもういいのだとは言わないところに、温厚だと言われはしても精霊らしい気質だと思ったが、それだけ、彼の伴侶の悲しみが深い事件だったのかもしれない。

もし、今もまだ彼女が喪われた者を悼むのなら、伴侶たるルグリューがこの街の者達を許す筈もないだろう。




手に持った錫杖を握り直すと、遠くで、掠れたような悲鳴が上がった。

擬態を解き髪色を戻したことに、いち早く気付いた者がいたのだ。


聖堂に落ちる雨音とピアノの旋律の響きの中、ざあっと雨音だけが強くなる。

波紋を広げるようなして書き換えられ、壊れてゆく空間の中で、祝福から災いに転じばらばらと崩れ落ちてくる天井画の中の魔術片が、まるで黒い災いの雨のよう。



足元の床石がひび割れ、漆黒に転じる。

近くにいた者達からざらりと崩れて灰になってゆき、その影響が迅速に及ばない遠くの者達は、苦痛の悲鳴や恐怖の声を上げて逃げ惑った。


一部の人外者達は、こちらに駆け寄ってこようとするので、元凶となる者を排除すれば生き延びられると思ったのだろう。

だが、そんな者達はグレアムが剣で薙ぎ払い、更に上の階位の者達は、こちらを見て諦めたような様子であった。



少しずつ、けれども全てが壊れ落ちてゆく。



雨のように降りしきる書き換えの残骸が、足元に落ちてはぼうと燃え上がる。

黒い炎は広がることなくすぐに消え、やがて、あんなに賑やかだった大聖堂の中は空っぽになった。


美しいまま残っていた床のモザイクは失われて、建物の基礎である武骨な石床が残るばかり。

剥離した壁面が多いが、天井や壁画はまだ残っている箇所もあって、他属性の守護や祝福を得ていたのか、大きなステンドグラスの窓だけはそのまま残っていた。



ピアノの音色は失われたようだ。

雨音だけが響く中、錫杖をしまい、ふうっと息を吐いた。



「……………終わったよ」

「ええ。……………シルハーン、大丈夫ですか?」



振り返ったグレアムが、真っ先にそんな事を言うので、目を瞬いた。

こんな時はどう答えるべきなのかを考えていると、ずっと昔から変わらない灰色の瞳の願い事の魔物は、なぜかこちらに歩いてきて困ったように微笑む。



「馬車に戻りましょう。そろそろ、ネア達も戻ってくるでしょうから」

「……………うん。そうだね。……グレアム、………有難う。そう言うべきなのかどうかは、ネアがいないから分からないけれど…………これでいいのかな」

「……………ええ。きっと。ですが、俺に礼を言う必要はありません。今の暮らしが特別に気に入っていて、それを守りたいのは俺も同じですから。失われては困るものが、あまりにも多くなりましたね」

「そうだね。私も、そうなのだろう。…………ずっとネアだけでいいと思っていたけれど、ネアと一緒にいる為には、もうそれだけでは駄目なのだと思う。…………それと、」



続ける言葉を選び損ねて、沈黙が落ちた。


こんな時に答えを急かさずに待っていてくれるのがグレアムで、ノアベルトやアルテアは先に答えを見付けてくれることが多い。

そして、一緒に困ってくれるのはウィリアムやギードなのだなと思った。



「……………それと、君もそのようなものだから」


もっと他に言い方があったような気がしたが、そのまま伝えてしまった。

ネアがよく、誰かを必要とする言葉や、喜びや感謝を伝える言葉は、多少表現が足りなくてもその場で伝える事の方が重要なのだと教えてくれたからだ。



そうして伝えた言葉の先で、こちらを見ていたグレアムが、目を丸くする。

そしてなぜか、ハンカチを取り出して目を覆った。



「……………グレアム?……………間違えてしまったかな」

「いいえ。……………いいえ、………これはその、……………俺の場合の反応ですので、気になさらないで下さい」

「何か、不愉快な事だったら、教えてくれるかい?」

「そんな筈もありません。……………有難うございます。シルハーン。今の言葉をいただけただけでも、あなたのお傍に戻って来て良かった」



これで良かったのかと困惑していたところでそんな事を伝えられ、なぜか、胸の中がおかしな音を立てた。

驚いて手で押さえると、不思議な騒がしさと言葉に出来ないような微かな動揺がある。



(これは、……………何だろう)



よく分からないけれど落ち着かず、でも嫌な感じではなかった。

あまりないことなので、リーエンベルクの部屋に戻ってからネアに聞いてみようか。

もしも望ましくないものだといけないので、二人きりになってから。



「すみません、お待たせしました。…………行きましょうか。それと、まだアルテアから連絡がないので、やはりネアは、食べ物も摂らねばいけなかったのかもしれませんね」

「そうなのだろうね。………経験が記憶として残る限り、その状態に親しんでしまっていて、新たな付与として認識され難いのだろう。あの子は多分、一定の毒反応は自分には慣れ親しんだものだと考えてしまうだろうから」

「ミカと連絡を取り、予定通り向かう事になったと伝えておきます。彼女が来るのであれば、一品くらいは自分で作っておきたいと話していましたから。…………折角なら、会場でネアが食べなければいけなくなった料理などを、良い形で再現して貰った方がいいかもしれませんね」

「そのようなものなのかい?」

「ええ。人間は、特定の記憶に紐付くものに嫌悪感や悲しみを抱いたりするそうなので、そのような要素が残らないようにしましょう」

「うん。では、その方がいいかな」



(こういう時は、…………)



また考える。

このような時は確か、後からでもいいので、ミカにもお礼を言うべきだった。

ネアが持っているような菓子箱を渡した方がいいのかもしれないが、こちらは、自分で決めなければいけないだろう。



(やらなければならない事が増えた)  



でもそれは、一人ではなくなったからなのだと考えながらざりりと石段を踏み、降りしきる雨を見上げる。

目的を終えても思ったよりも悪い気分ではなく、少しだけほっとして馬車に向かえば、敷地の外に先程グレアムに話しかけていた男が立っていた。



「おや、君だったのだね」

「先程は、ご挨拶を出来ずに申し訳ありません。一人、会場から追い出したばかりの者が近くに残っておりましたので、様子を見ていました」

「そうだったのだね。…………今夜は、手を貸してくれて有難う」

「いいえ。あの方の足下を揺らがすものなど、残しておいてはいけませんから」


きっぱりとそう言い、深々と頭を下げたのはリドワーンだ。


聖堂の中ではそうだと気付かなかったので、随分と巧みな擬態だったのだろう。

この後は湖上レストランにも来るのかなと思えば、今夜はもうウィームに戻ると言う。

別班という言い方をしていたので、どうやらそれぞれの役割分担があるようだ。



「……………随分と、沢山いるのだね」


リドワーンが立ち去った後にグレアムを振り返ると、丁寧に説明をしてくれる。


「ウィームでは正規の騎士団があの規模ですし、魔術師や契約の竜などを増やせませんので、こうしてネアの信奉者が増えるのはいい傾向だと思いますよ。彼女の気質が幸いして、表に出て直接関わりたいと思う者が滅多に出てこないからこそ、可能な組織ですが」

「…………うん」


それは確かに幸いなのだが、どうしてそのようになってしまうのかは少し不思議だった。

会報というものを読み、皆で話し合うだけでも充分に喜んでいると聞けば、一般的に人間が形成しがちな組織ともかなり違うのかもしれない。




(……………ネアは、毒を取り込まなくてはいけなくて、怖がっていないだろうか)


馬車に戻れば、今度はそう考えて不安になった。

毒を自ら取り込むのだ。

体を損ない、痛みや恐怖を伴うものに、彼女はどんな思いで触れるのだろう。


けれども、そのようなことを色々と考えていたところで、ネア達が戻ってきたようで、先に気付いてくれたグレアムが馬車の扉を開ける。


「ディノ、このような体勢からですが、無事に終わりました」


この馬車は御者も術式なのだが、今回は、扉の開け閉めなどはこちらでやるようにして反応させずにいる。

戻って来たネアがアルテアに抱えられていたのでひやりとしたが、これは、面倒な客に声をかけられないようにする為の素早い退出用の措置であったらしい。


アルテアはすぐに膝の上にネアを置いてくれ、いつも、ネアが椅子と表現する状態になる。

そこにネアの重みが加わっただけで、不思議なほどに安堵した。



「飲み物と、食べ物もかな………」

「はい。シュプリと小さな前菜風のお料理を食べました。こうして無事に戻ってきたので、安心して下さいね」

「………うん。貰ってきた祝福をしっかりと浸透させておこうか。君の障りにならないところがいいかな」

「ほわ。後からそのようなことも出来るのでですね……」

「………まだ、毒の影響で体温が低いな。それと、胸の痛みが出てるようだが、そちらは引き続き反応が出るようであれば置き換えで俺が引き取る」

「む。消してくれているのではなく、……………引き取ってくれているのです?」

「ああ。祝福の定着まで、なかった事にする訳にはいかないだろう」



しかし、アルテアが置き換えだと知らせると、俄かにネアが慌て始めた。

どうやら、自分が感じていた痛みをアルテアに渡す事を懸念したようだ。



「問題ない。俺は、知覚できる痛覚を制限しているからな」

「……………むぐぐ。それでも、不快感などはありませんか?呼吸も大丈夫です?」

「大丈夫だ。お前は、まず祝福の安定を優先しろ。遅れて出る不調があったら、必ず言えよ」

「ぐぬ………」

「いいか、こちらの調整に響く。ぜったいに隠すな」

「……………ふぁい」



頷きながらネアがこちらを見たので、問題ないよと微笑んでおいた。


きっとアルテアは、その痛みや不調をそのまま感じているのだろう。

痛覚などをある程度制限出来るのは事実だが、ネアの体にどの程度の反応があったのかを知る為にも、今回はそのまま受けている筈だ。


目が合うと僅かに顔を顰めてみせたので、反応としては決して軽微なものではないらしい。

だが、舞踏会の会場での話をネアから聞いていると、その程度は覚えがある症状として、彼女は受け流してしまおうとしたようだ。



「………まぁ。どうしてそんなにしょぼくれてしまったのですか?」

「もう、どこも痛くないかい?他に不要なものがあれば、私が引き取ってあげるよ」

「あらあら。ディノは今、私の貰って来た祝福を調整してくれているのでしょう?」

「何か、他に困った事はないかい?…………ギモーブを食べるかな…………」

「む!ギモーブは食べます!」



食欲はあるようだったのでギモーブを口に入れてやると、美味しそうに食べてくれた。


けれどもやはり、体温はいつもよりも低く、少しだけ疲れたような目をしている。

アルテアもネアの手を離そうとしないので、受け取っている痛みからの懸念だろう。



(早く、君が喜ぶようなものを食べさせてあげられるといいのだけれど………)




窓の外を見たが、目当ての店まではもう少しかかるようだ。

様々な魔術の規則性を整える為にも、今夜ばかりはこのような馬車の移動が望ましい。




「ところで、ディノはどのような用事を済ませてきたのですか?」



もう少し早く走れないかと考えていたら、ネアが突然そんなことを言うではないか。

驚いて目を瞠っていると、こちらを見上げ、困ったように微笑んでいる。



「…………どうして、分かってしまうのだろう」

「あら。一緒に舞踏会の会場に入らなかったのに、そうしていつもとは違う装いだからでしょうか」

「ご主人様………」

「………敢えて言わなくてもいいのですが、もし、何か怖い思いをしていたなら、すぐに打ち明けて下さいね。ディノを怖がらせたものは、私が滅ぼしてきますから!」

「…………そのようなものではなかったよ。ただ、君が今夜祝福を得るにあたり、外で調整しなければならない事があったんだ」

「怖い思いはしていません?」

「…………うん。グレアムも一緒だったからかな」

「まぁ。グレアムさんが一緒にいてくれたのなら、きっと安心ですね。…………ほわ、泣いてる………」

「グレアムが………」



なぜかまたハンカチで目元を覆ってしまったグレアムを困惑して見ていると、ネアが金庫から小さな砂糖菓子を取り出し、口の中に押し込んでくれた。



「………可愛い」

「ふむ。これで一安心ですね。アルテアさんは、ちびふわ用のフルーツケーキを食べますか?」

「いらん。………お前は、少し大人しくしていろ」

「グレアムさんは、………むぅ。まだ泣いておられます」

「グレアムは、大丈夫かな………」

「放っておけ。考えるだけ無駄だぞ」




いつの間にか慣れ親しんだ会話の温度が戻り、ネアの指先はまだ冷たかったが、それでも、表情を見ていると随分と気分は良くなったようだ。

レストランが楽しみなのか、そわそわと窓の外を見ている。


アルテアの様子も見ていたが、問題ないと首を横に振られる。



「ディノ、湖の上のレストランだなんて、楽しみですね」

「うん。気に入ったら、また連れて来てあげるよ」

「まぁ。そう言ってしまったら、絶対なのですよ?」

「可愛い………」



当たり前のように隣り合うぬくもりは、口の中で溶けてなくなってしまった砂糖菓子の甘さに似ていて、その柔らかな体温をそっと抱き締めれば、夜の雨音は優しい音楽のように聞こえたのだった。







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― 新着の感想 ―
[良い点] こうしてディノ視点だと、ネア達と関わって学んできたことをよくよく思い出して、こういう時はどうするのだったかなと考えて行動しているのですね。ディノの成長を前作からずっと見守っている側として、…
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