ダレックの舞踏会と仮面の魔物 3
豪奢な馬車が走り抜けたのは、不思議な森の中であった。
深い森の中を大きな馬車がびゅんと走り抜けるのはもはやおとぎ話の様相であったが、きらきらと落ちる魔術の道の煌めきや、夜の森の中でぼうっと光る花が咲いていたりと、その風景にも魅せられる。
しかしネアは、絶賛、魔術洗浄中でもあった。
「まだ、指先が冷たいね」
「これでも随分と温かくなったのですが、ディノが言うのならいつもよりは冷たいのかもしれません」
「うん。これから向かう店で食事をすれば、もう少し良くなるだろう」
「真夜中の座の領域にある、レストランなのですよね」
「うん。今夜はミカが来ているそうだから、安全だよ」
「まぁ。ミカさんが!」
「ベージを食事に誘ったのだそうだ。ベージの資質も今の君にはいい影響を与えるから、彼にも会っておくといい」
「はい!」
そう聞けばすっかり楽しみになってしまいながら、ネアは、僅かに残った胸の痛みに深呼吸した。
一度、取り込んだ毒の治癒をかけて貰ってから現れた不調だったのでどきりとしたが、どうやらこの痛みは、強制付与で毒の祝福を得た影響であるらしい。
到着までには落ち着いてくると聞き、ほっとしていた。
(………少しだけ、懐かしい痛みだわ)
ネアハーレイとして暮らしていた頃は、よく、こんな風に胸がしくしく痛んだものだ。
なので、痛みを堪えるという事ではなく、そんな懐かしさに胸を押さえていると、隣に座ったアルテアに片手を取られた。
「……………む?」
「祝福の調整はシルハーンに任せておけ。痛みの緩和はこちらでしてやる」
どうしたのかなと隣を見れば、取り上げたネアの手がアルテアの太腿の上に手を載せられる。
それはつまり、右手は拘束されたままなのだろうかと首を傾げていたが、手のひらと足で挟み込むようにしてあると指先がじんわり温まるので、魔物製の素敵な湯たんぽであると頬を緩めた。
「まぁ。胸の痛みが少し和らぎました」
「良かった。…………もう、辛くないかい?」
心配そうに瞳を翳らせたのは、祝福の調整を行ってくれているディノだ。
ネアの体に負担のない位置に整理すると聞けば、それは一体どのような作業なのだろうと思わずにはいられない。
「ふふ。これくらいなら、ちょっと食べ過ぎた日の怠さのようなものです。アルテアさんのお陰で、呼吸をするたびに感じていた痛みが消えてしまいました!」
そう言えば、安堵したようにディノが微笑む。
進行方向に背を向ける向かいの席に座ってくれているグレアムは、趣味の会の仲間から連絡が入っているようで、手帳型の魔術通信を使い熱心にやり取りをしていた。
「背中の痛みは残っていないだろうな?」
「はい。……は!窓の外にリズモ……」
「森燻りだ。清貧の祝福しか得られないぞ?」
「ぽいです………」
「ネア、今日は狩りはやめておこうか。欲しいものがあるなら、捕まえてあげるよ」
「まぁ。ディノには怖いものが沢山あるので、無理をしてはいけませんよ?」
「あんな毛玉なんて………」
がらがらと、決して大きくはない馬車の走行音が遠くに聞こえているが、ふかふかの座席のせいか、魔術仕掛けの馬車だからか、振動は全くといっていい程に感じられなかった。
それどころか、座り心地のいい椅子の背もたれに背中を預けると、そのままこてんと眠ってしまいそうだ。
ディノの体にしっかりと寄り掛かり直していると、目が合ったグレアムが小さく微笑み、窓の外を見る。
「………そろそろですね。シルハーン、ミカには連絡済みです」
「うん。今夜は、一緒に来てくれて有難う」
「………いえ。どちらかと言えば、役得でしょう」
ここで、グレアムにディノがお礼を言ってくれたので、ネアも慌てて重ねようとしたのだが、夢見るような瞳をした犠牲の魔物はそう言うではないか。
本当に嬉しそうに微笑み、こちらには短く首を横に振ったので、ネアも微笑んで頷いておく。
ディノが大好きなことを隠しもしない犠牲の魔物は、こうして大事な王様と共に過ごす時間を楽しんでくれているようだ。
今日はハンカチは出てきていないようだが、ディノにお礼を言われると、目元を染めている。
やがて馬車は、青を夜の中で煮詰めたような青い光の揺れる湖畔で停まった。
余談ではあるが、今宵の馬車を牽くのは魔物の馬であるらしい。
そう聞けば種族的なものなのだろうと思ってしまうが、術式で構築された命の宿らない使い魔のようなものなのだとか。
妖精馬を有する妖精種とは違い、魔物はこのような牽引の馬車も好むという。
たぷんと、夜の色に染まった湖面が波打った。
馬車の扉を開けて清涼な夜風が肌に触れ、雨と水の香りを胸いっぱいに吸い込む。
先に降りたグレアムが魔術の道を繋げてくれたそうで、馬車から出ても雨に濡れてしまうことはない。
不可視の壁のようなものに阻まれ、魔物達の頭上で淡い魔術の光が弾ける。
湖畔から続く道の周囲には、下草が生い茂っていた。
とは言え雑多な感じはなく、小さな花を咲かせた植物やローズマリーによく似た葉の植物の茂みなど、自然のままなのに美しい色影を重ねている。
湖の中央に佇むのは魔法使いの絵本に出てきそうな小さな屋敷で、湖の上に渡した橋で向かうようだ。
「…………まぁ。なんて素敵なのでしょう!」
「以前は、船であの屋敷まで渡っていたそうだが、正式に真夜中の座の系譜下に入ってから、この橋が作られたらしい。先代の料理人は凡庸だったそうだが、その息子にあたる今の主人はいい料理を作る」
「物語に出て来そうな、不思議なレストランですねぇ。グレアムさんは、行かれた事があるのですか?」
「ああ。今夜で三度目だ。あまり品数は多くないが、どれもお勧めだぞ」
「ふぁ!」
わくわくと橋の上に立つと、雨に濡れた石造りの橋には欄干に設置された照明の明かりが、滲むように映り込んでいる。
その先に見える屋敷は少しだけ屋根が傾いているが、そんな様子がまた素敵な風合いではないか。
そっと三つ編みを持たせてきた魔物が漆黒の盛装姿なので、ネアは何だか特別な気持ちで胸を弾ませた。
「この辺りにも、真夜中の座の領地があったとはな…………」
「ああ。そう言えば、アルテアは初めてだったな」
「前回のファンデルツで話を聞きはしたが、来れず仕舞いだったからな。………妖精除けの香を焚いているのか」
「この店の主人は、妖精嫌いなんだ。……若い頃に、財産を持ち逃げされた事があるらしい」
「……まぁ、よくある話だがな」
「まぁ。思っていたよりも、個人的な理由でした……………」
橋の上から見た湖の湖面には、雨が波紋を描いている。
そこに映る湖の真ん中にある屋敷の影が美しくてついつい覗き込んでしまうと、すかさずアルテアに片手を掴まれた。
「捕獲されました………?」
「雨だからだ。いつもより身体機能が落ちている事は自覚しておけ」
「ふむ。ここで転ぶとディノを道連れにしてしまうので、足元には注意しますね」
「道連れ………」
「…………ちょっぴり恥じらっていますが、この場合は、三つ編みが引っ張られて痛いのですからね?」
「ネアだったらいいかな……」
「髪の毛は大事にして下さい…………」
橋を渡ると薔薇垣のアーチがあり、そこを潜ると小さな庭があった。
庭には歪な庭石が敷かれているので、窪みに足を取られないようにその上を歩く。
玄関灯の柔らかな光の落ちる入り口の扉の横には、小さなオリーブの木を植えた青磁色の鉢が置かれていた。
からん。
ドアベルを鳴らして扉を開けると、雨に濡れた庭園の瑞々しい香りから一転、からりとした清潔な店内の心地よい香りに変わる。
何やら美味しい香りに、僅かな木の香りと珈琲の香り。
そして、砂岩のような柔らかな色の石のカウンターの上に置かれた、杏の香り。
「いらっしゃいませ。ああ、お久し振りです」
ネア達を迎え入れてくれたのは、初老の男性であった。
よく見れば美麗な面立ちなのだが、くしゃりと目を細める笑い方をするので、どこか親しみやすい容貌だ。
白いシャツにオリーブ色のエプロンをしていて、どうやら一人で店を切り盛りしているらしい。
そして、店の奥の席にはもう、ミカとベージが来ていた。
「お隣のテーブルで宜しかったですか?」
「ああ。まずは、ソベロを一口ずつ貰っていいか?シュプリの前にな」
「承知しました。今夜はいい棘豚が入っているので、自慢の仕上がりですよ」
「それは幸運だ」
テーブルに案内され、こちらを見たミカとベージに挨拶をする。
二人は、お酒を飲みながらゆっくりと食事をしているようで、コースでというよりはアラカルトの注文をしているようだった。
今夜は舞踏会からそのまま来ているので、ドレスのスカートをまとめアルテアに椅子を引いて貰い座ると、やや後ろ過ぎるということもなく、最適な位置まで椅子を押し込んでくれた使い魔におおっと目を瞠る。
ウィームとは違い、注文しなければ水が出て来ない土地のようで、グレアムが水も頼んでくれていた。
「お久し振りです、ミカさん、ベージさん」
「今夜は、ダレックの舞踏会に行っていたんだな。毒の舞踏会と聞いたが、大丈夫だろうか?」
「まだ少し影響が残っているようですが、ディノやアルテアさんに面倒を見て貰っています」
「慣れない魔術付与だと、定着に負荷や時間がかかることも多い。この店の料理はうってつけだろう」
長い髪をゆったりと一本にまとめているミカは、友人と過ごす夜に相応しい寛いだ服装だ。
とは言えやはり真夜中の座の精霊らしく黒一色なのだなと思えば、水色がかった淡い灰色の装いのベージとは対になるようである。
目が合うと、氷竜の騎士団長は、いつもの優しい微笑みを向けてくれた。
「ベージ。食事の後で、この子を見て貰ってもいいかい?」
「ええ。以前に授かった祝福を、このように役立てる事が出来て幸いです」
「悪変を祓う魔術に氷竜の固有魔術ともなれば、かなり頼もしい組み合わせだな」
グレアムからのそんな言葉にベージは小さく微笑むばかりであったが、その祝福を得る際にどんな事件があったのかは、ここにいるグレアムもよく知るところである。
「……………そして、棘牛のビステッカにしますね」
「可愛い、弾んでる…………」
「おい、今夜は大人しくしていろ…………!」
「ぐぬぅ…………」
持ってきて貰ったメニューに記された料理は、確かにあまり多くはなかった。
だがこの店は、料理を食べた者の体調を整え、心と体を癒す、夜の安らぎを司る魔術の祝福が得られる料理が自慢なのだそうだ。
進行性の病などにはあまり効果がないものの、経年で影響の弱まるとされる肉体損傷や疲労などが対象になるので、今回のネアのように、毒の影響を受けた場合も有用であるらしい。
「シチューもありますね。………じゅるり」
「シチューにしようかな…………」
「ふふ。ディノの好きな系統のお料理ですものね」
「うん。君にもあげるよ」
「まぁ。私の魔物は、何て優しいのでしょう」
「ご主人様!」
「調子に乗って食い過ぎるなよ。…………俺は、鴨のコンフィだ。無花果と栗のソースと、薔薇塩か」
「な、なぬ。鴨さま……………」
「俺は、魚にしようかな。以前に来た時に、ミカが食べていた料理が気になっていたんだ」
そう呟いたグレアムに、隣のテーブルのミカが微笑む。
バター檸檬ソースの鱒料理は定番であるらしく、真夜中の座の精霊王のお気に入り料理なのだそうだ。
揚げ焼きにした鱒は皮目がぱりぱりで、中の身がふっくらとなっているらしい。
(鶏料理と魚料理が二種類に、ビステッカとシチュー、今日の煮込み料理は棘豚とトマトの胡椒煮込み)
香辛料を効かせた胡椒煮込みは、トマトの酸味にバターたっぷりでコクを出すのだとか。
ローリエなどを主とした香草の香りと玉葱の美味しさも加わり、柔らかく煮込める棘豚が手に入った日だけの特別な料理なのだもいう。
なのでネア達は、全員で少しずついただくように煮込みも頼み、野菜とコンソメのスープに、焼き立ての石窯パンとバター、前菜の三種盛りで注文を終えた。
なお、デザートは季節の果実のジェラートが選べるそうで、今日は梨のものと秋桃があるという。
しかし、ネアをまず大喜びさせたのは、店に入るなりグレアムが頼んでくれた、ソベロというおつまみであった。
「……………こ、これは!!」
白い小皿の上に置かれたのは、何やら既視感のある正方形の小さな食べ物だ。
パテ状のものを小さな正方形に切り出し、断面にはソースの層も見える。
ふるふるしながら顔を上げると、こちらを見たグレアムが、馬車の中でネアが話していた舞踏会の料理によく似ていると思い、記憶の上書き用に頼んだのだと教えてくれた。
「ソースは黒スグリか。確かに、これならシュプリだな」
「だろう?定番の料理なんだが、前回来た際に食べて気に入ったのを思い出してな」
「良かったね、ネア」
「ふぁい。…………このお肉の色合いと艶感は、絶対に美味しいやつなのですよ。……………あぐ!」
フォークでぷすりと刺して口の中に入れると、案の定、それはもう素晴らしい美味しさであった。
甘酸っぱいソースとお肉の塩気に、パテの旨味がじゅわっと絡み合う。
使われているお肉はしっかりしているが、いつまでももそもそと噛まねばならないものではなく、あまりの美味しさに口の中からの早い喪失を嘆く程であった。
「…………はふぅ」
「ほお。カンツェナムのシュプリか。あまり多くない品種だが、この葡萄は味がいい」
「真夜中の座の領地内だからな。食楽の祝福のある葡萄園のものもよく揃っている」
「このシュプリは、久し振りに飲むね。……ネアも気に入ると思うよ」
「さっそく、いただいてみますね。……………まぁ」
カンツェナムのシュプリは、真夜中摘みの葡萄である。
小粒だが甘みが強く、けれどもこのシュプリは辛口に作られている。
きりりと冷やして飲めばすっきりとした味わいで、だが、舌には残らない程度の僅かな甘い香りには、不思議な夜の奥行が宿るのだとか。
(……………美味しい!)
ネアは一口飲んで目を輝かせてしまい、特別素敵な香りという訳ではないのだが、とにかくお肉料理との相性抜群なシュプリの登場に心の中で喝采を贈った。
そこでふと、湖の真ん中にある小さなレストランの屋根を叩く雨音と、店内で流れる優しいピアノの旋律に気付く。
秋の夜は、夜闇の色が黒い天鵞絨のよう。
それを切り取るのは、テーブルの上に置かれた蝋燭の炎の色と、控えめな明かりの古びたシャンデリアの煌めき。
どこかであの日によく似ているけれど、全く別の色と光の揺蕩う美しい夜の色に魅せられ、ネアは、美味しいシュプリをまた一口飲んだ。
いつの間にか、胸の端に残っていた微かな違和感は消えていて、指先もいつものように温かくなっている。
隣のディノを見上げると微笑んで頷いてくれて、その、滲むような美しい瞳の色が不思議な程に胸を打った。
「そう言えば、ジギタリスの精霊に出会ったんだったな」
「…………あいつは、もう暫くは有用だぞ。あの界隈では珍しく正気だからな」
グレアムの問いかけに、前菜の一つである、燻製ハムとコンソメジュレを使った無花果と葡萄酢のサラダを食べながら、ネアはぐるると威嚇の声を上げる。
舞踏会で出会った孔雀色の瞳の男性は、次に出会った時には通りすがりで滅ぼす所存だったのだが、この様子では、命までは奪わない方がいいようだ。
「そうだね。確かに、あの精霊は……………不愉快な事ではあるけれど、残しておいた方がいいだろう」
「むぅ。実は有能な方なのですか?」
「というよりも、彼が、ジギタリスの精霊の中では比較的まともであるという感じかな………」
「まかの消去法でした……」
「ジギタリスの精霊の王族の一人だ。…他の王族は、一言で言うなら面倒な連中だな」
「うん。ジギタリスの精霊は、柔和な言動であっても気質が苛烈な者が多い。その中では、好ましくはなくても穏やかな精霊なのだろう」
「他のジギタリスの精霊達が女性だからというのも、あるのかもしれませんね。毒と花の質で…………精霊……………女性となると、いささか扱い難くなる」
隣のテーブルにも精霊がいる事を思い出したのか、グレアムが、僅かに言葉を彷徨わせた。
くすりと微笑んだミカが、聞こえてしまったけれど、確かに合の系譜の精霊は面倒な気質の者達ばかりだねと補足してくれ、グレアムも苦笑している。
「まぁ。では、べたべた玉はやめておき、べたべたキノコあたりにしておきますね」
「やめろ。それこそ悪変するぞ。植物の系譜には重ねて使うなよ」
「……………む。確かに、キノコだかジギタリスだか分からなくなってしまいそうです…………?」
呆れたような口調ではあったが、アルテアがフォークで差し出してくれたのはお待ちかねの鴨なので、ネアは、そう答えながら躊躇う事なくぱくりといただいた。
いつもなら腰回りに厳しい使い魔なのだが、今夜は少し甘やかしてくれるらしい。
時折、観察するような眼差しでこちらを見ている魔物は、すっかり擬態を解いて、今夜の舞踏会用の仮面の魔物の姿ではなくなっていた。
「………むぐ。ビステッカもとても美味しいれふ」
「シチューも食べるかい?」
「では、ディノにもビステッカをお裾分けしますね!」
ここで、うっかりアルテアに貰った手法のまま、伴侶の魔物のお口に切り分けたビステッカを押し込んでしまったネアは、へなへなになってしまったディノに慌ててシチュー皿をテーブルの奥にずらす羽目になった。
綺麗な真珠色の三つ編みが浸かってしまったら、大惨事ではないか。
「ネアが虐待した……………」
「むぅ。うっかり、食べさせる手法になってしまいました。でも、とても美味しいと思いませんか?」
「美味しい……………虐待……………」
「そして、グレアムさんが泣いているのはなぜなのだ……」
「…………放っておけ。何年かすれば慣れるだろ」
「年単位なのですね……」
伴侶が儚くなりかける事件はあったものの、美味しい夜はその後も平穏であった。
濁るような独特の暗さの舞踏会会場の景色が遠くなり、何だかもう、ずっとこの居心地の良いお店で食事をしていたような気がする。
焼き立てのパンは美味しく、雨音も素敵な音楽になっていて、食事を終えてからベージに体調を見て貰ったが、すっかり復調したようで問題なしという事であった。
とは言え後から影響が出ないようにと、手の甲に一つ祝福を貰い、今度、ウィーム中央の運河沿いに出来た新しい焼き菓子の専門店の情報交換をする約束を交わす。
楽しい夜だからか、時間はあっという間に過ぎていった。
「では、お先に失礼しますね」
「ああ。気を付けて帰ってくれ」
「シルハーン、では俺はこちらに」
「うん。今日は有難う」
「…………いえ」
「グレアム、ハンカチは足りているか?」
「こちらに控えがある……」
帰り際には、ミカが真夜中の座の祝福を重ねてかけた、カンツェナムのシュプリを持たせてくれた。
明日の夜に予定している、使い魔晩餐会に呑もうぞと目を輝かせると、ふわりと微笑んだ真夜中の座の精霊王は、帰り道では、特別に真夜中の領地を通らせてくれるという。
(……毒を飲んだりと慣れない事もあったけれど、こんな素敵な夜の終わりになるとは、思っていなかったな)
グレアムは店に残り、ネア達は食事を終えてウィームへの帰路に着いた。
真夜中の座の領地である美しい森に降る真夜中の雨を眺めながら、心地よい馬車の振動に揺られている。
ディノとアルテアに挟まれて座っているので、体がしっかりと収まっている感じも素晴らしい。
湖の上の素敵なレストランで美味しい料理を食べて、皆でお喋りもした。
一口パテのおつまみは、買って帰ることも出来るので家族へのお土産も買えている。
すっかり温かくなった指先で膝の上の三つ編みを握り、もう片方の手は、経過観察中でアルテアに預けたままで、さあさあと響く雨音の中で、甘く贅沢な眠気が瞼を重くする。
「………ぐぅ」
そんな贅沢な帰り道で、ネアは、帰りの馬車に乗って暫くするとぐっすり眠ってしまったのだった。