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ダレックの舞踏会と仮面の魔物 2




シャンデリアの光の煌めきの下で、軽やかな音楽にステップを刻む。


楽しげな音楽の奥にはひやりとするような美しさがあり、どこか、森の奥に隠された妖精の国への入り口を覗き込むような密やかさだ。

ターンで広がるドレスの裾からは薔薇色のレースが覗き、窓のない大広間の大聖堂のような天井を見上げると、ふと、ここはまるで霊廟のようだと思った。



(……………雨音が聞こえる。不思議だな。こんなに音楽でいっぱいなのに)



さぁさぁと窓や屋根を叩く雨音は、どうして大広間まで聞こえてくるのだろう。

どこからともなく響くピアノ曲は、誰が奏でているのだろう。



そんな事を考えながら踊っていると、ぐいと腰を抱き寄せられ、体温が移る。


背中の大きく開いたドレスに触れる手のひらの感触からすると、どうやらネアの使い魔は手袋をどこかにやってしまったようだ。

それとも、こうして素手で触れることで、何らかの魔術調整をかけてくれているのだろうか。


見上げた先で薄く微笑むのは、特等の魔物の一人。

黒髪に映える赤紫色の瞳には睫毛の影が落ちていて、艶やかに微笑んでいるのに眩暈がしそうな程に暗い。



「俺と踊っている時に、考え事か」

「まぁ。ダンスの間は、大抵の方が様々な考え事をしているものですよ」

「今は、前にあるもの以外の事は考えるなよ。…………少し体温が上がっている。毒の影響も出てはいるんだろう。思案に耽っていて足を縺れさせても、いつものようには支えてやれないぞ」

「あら。こう見えて私は、毒で不調をきたすのは得意なのですよ」



アルテアの声があまりにも平坦だったので、ネアは、わざと明るく告げてみた。


だが、目の前の魔物は艶やかに微笑みを深めたものの、なぜか更に不機嫌になったようだ。

心配してくれているのかなと思って朗らかにしたのだが、不快感の置きどころが違ったらしい。



「過去を覗き込むなと言っているんだ。幻惑の類に引き寄せられると、帰り道が分からなくなりかねない」

「ここは、そういうところなのですか…………?」

「この広間にいる者達が、毎晩訪れる客だけだと思うか?…………帰り道をなくしたまま、この離宮の中を彷徨い続けている連中もいる。酒と毒の系譜には珍しくもない事だがな」



視線で広間を示してみせた魔物に、ネアも周囲を見回してみた。


言われてみれば確かに、この閉塞感は、どこにも行けなさそうな人達がいるからなのかもしれない。

華やかで艶やかな舞踏会の夜だが、どうしてだかやはり、途方もなく暗いのだ。



(メデュアルの舞踏会もずしりとした暗さがあったけれど、あの暗さは透明な黒を塗り重ねたような澄んだ闇や夜や狂気の色だった)



だがここは、靄のように白み、視界が濁ってゆくような不快感にも近い目隠しの感覚がある。


一瞬、また視覚に影響が出たのかと思いひやりとしたが、目の前のアルテアはくっきり見えているので、会場に立ち籠めている毒の香気とやらのせいだろう。


甘い花の香りにどこか粉っぽさの混じる香気は、先程飲んだシュプリのように、何かが一つ踏み外しているような不快感を残す香りだ。

記憶の中に残る苦みのある檸檬の香りや、あの日の雨の匂いを預けるには、不快な華美さであった。



ふうっと息を吐く。

僅かな毒の影響を感じながら、美しい魔物と踊る。

こんなにも騒々しくけばけばしい舞踏会なのに、不思議とどこかが静謐で、クロウウィンの街並みで賑やかな死者達の中を歩いているような気持ちになるのはなぜだろう。



「…………ここでどんな夢が見られるのだとしても、私は、私の過去を落として差し上げる程に、この舞踏会が気に入ってはいないようです」

「………引き摺られていないのなら、俺の前にも持ち出さないようにしておけ」

「ここで踊っている間は、引き摺られたりはしないようです。…………何と言うか、私の記憶の中に残るものの瑞々しさが一つもない場所なので、面影や記憶に触れたり重なりはしても、見間違える事はないのでしょう」

「どうだろうな。まだ、シュプリを飲んだだけだろう。…………この曲を終えたら、何か食べなければいけなさそうだな。……………妙に祝福の定着が悪いのは、お前が毒との親和性を持っていたせいだろう」

「まぁ。そのような事もあるのですか?」



ちょうど音楽が終わり、向かい合ってお辞儀をしたところでそう訊けば、アルテアは僅かに眉を寄せた。


今宵の仮面の魔物の盛装姿は、片側の肩にかけ流すような上着が足元で揺れるので、真上のシャンデリアの光で足元に落ちる影が薔薇のように見える。


魔物というものはこんなところまで美しいのだなと密かに感心している内に手を取られ、どうやら、広間の中央から食べ物のテーブルに向かうようだ。



「……………お前が毒を………用いた時には、どんな反応が出たのか覚えているか?」

「とても手短に言うと、一度心臓が止まったそうです」



そこで暫くの沈黙があり、当たり前だが、ディノに話した時とは反応が違うのだなと考えた。

この話をしなければならなかった時、ディノは酷く悲しそうに微笑んで、ネアをそっと抱き締めたり、俯いて静かに泣いていたりした。



(アルテアさんは、不機嫌になるようだ………)


ひやりとするような沈黙を保ったまま歩いているせいか、仮面の魔物に声をかけようとして近付いてきた者達が慌てて逃げてゆく。


それでも気にせずに声をかけた者もいたが、アルテアは視線を向けもしなかった。



「……………それだけか?」

「手足の痺れが出たり、目が、少しの間だけ見えなくなったりもしましたね。…………残念ながら、心臓の不具合と手足の痺れはその後も残りましたので、走ったりするのは苦手でした」

「…………………………そうか。………二曲踊った段階で、想定より祝福の定着が悪い。毒そのものへの、因果的な魔術耐性があるんだろう。シュプリだけで済ませられると思っていたが、シルハーンが食べ物も必要になるだろうと話していたのは、お前の履歴のせいだろうな」

「こちらに来てからはとても健康なのですが、そんな風に影響が残るものなのですね………」

「魔術は、知る事に重きを置く。記憶ごと消さない限りは、毒耐性の資質は残る筈だ。この舞踏会で得られる毒の祝福はを得るには、その基準に足りるだけの毒反応を得ている事が条件になる。………それを満たしてから、踊り直しだな」

「はい。お願いします。………今回は不利なのかもしれませんが、折角の経験ですので、いつかは有利に働くといいのですが」


そう答えたのが意外だったのだろうか。

僅かに目を瞠ってこちらを見たアルテアに、ネアはただ微笑んだ。


毒を飲んだことでの後遺症は、怖くて苦しいものが多かったし、ネアハーレイのその後の人生を酷く困難なものにした容易であるのは間違いない。


ただ、あの日に毒の入ったシャンパンを飲まないという選択肢は、今でもなかったと思っている。


自ら毒を呷った事自体は、悲劇でも苦痛でもなく、復讐の為の手段でしかなかったのだ。

そんな思いをどう伝えればいいのだろうかと首を傾げていると、こちらを見ていたアルテアが、ふうっと深い息を吐いた。



「……………今夜は、薬としての毒だ。毒にしかならないものは二度と飲むなよ」

「今の私には、ディノやアルテアさんや、大事な家族がいますので、きっともう、その選択肢しかないような場面は訪れなあのでしょう。今日だって、先程のシュプリがもっと美味しく、この広間の空気がもっと澄んでいればというくらいの不愉快さしか感じていないのですよ?」

「どうだかな」

「因みに、お料理のテーブルを拝見したところ、蝶だの虫だの、謎に毒々しい花だのを模した料理が多いのですが、私は、食べ物をあのように象ることは好きません。きっと美味しい何かだった筈のものを、あのような原色の紫にする仕打ちなどは、大変に不愉快だと言わざるを得ず…………」

「…………さっそく不愉快なものが増えているぞ」

「む………」



今迄、この世界に来てから参加した舞踏会では、必ずある程度は美味しい料理が並んでいた。


この舞踏会とて人外者がこれだけ集まるのだから、きっと、並んでいる料理も味としては不味くはないのだろう。

だが、毒という舞踏会のテーマを主張しようとしたものか、あんまりな色付けをされた料理の数々を見てしまえば、ネアは怒りに打ち震えた。


何しろ、先程のシュプリがいまいちだったのである。


身勝手な人間は、この世界であれば、毒入りのお酒や料理もきっと素晴らしく美味しかったりするのだろうと考えていたので、あまりにも手酷い裏切りだと言わざるを得ない。



「こうなったらもう、毒の強さなどは関係ありません。見た目の普通さを最優先させて下さい」

「おい…………。俺が選んだものを、大人しく食べろと言わなかったか?」

「あの、黒と紫の蝶のものなどを選ばれたら、怒り狂いますよ」

「………安心しろ。あれは玄人向けだ。お前が口にすれば、一晩は意識を失うぞ」

「まぁ。そんなに強い毒なら、こっそり持って帰って、悪いやつめのお口に放り込む用の武器にしておきます?」

「冗談じゃない。絶対に触るな」



とは言え、実は第三席な魔物にも今回の料理の選定は難しかったようで、時間をかけてアルテアが選んだのは、ケーキのよう切り出された小さな正方形の料理であった。


お肉とソースやジュレを重ねて固めたパテ系の料理のようだが、鮮やかな赤いソースの層に少しの危機感を覚える。



「……………辛くありません?」

「赤い部分が果実毒だ。辛味はないから安心しろ。………症状が強く出るようであれば、すぐに言うんだぞ。緩和せずに踊りに出ると、途中で反応が強くなることもある」

「ふと気付いたのですが、先程話していた耐性というのは、毒が効くか効かないかではなく、毒を取り込んだ上で祝福が思うように付与される状態を満たしているかどうかが重要なのですね」

「………ああ。定着が悪ければ、取り込まなければいけない毒の量が増える」

「ふむ。そうなってくると、私にも想像がつかないので、これで上手くいくといいのですが…………」



食べても食べても祝福を得られないとなると厄介だぞと思いはしたが、まずは目の前の小さな料理を食べてみてからである。


アルテアがお皿に載せてくれたので、刺さっている銀色のスティックを持って口に入れてみた。

齧って美味しくないと心が死んでしまうので、このような場合は一口で頬張るのがいいだろう。


「……………むぐ」



しっかりとした噛み応えの料理は、赤い部分は甘酸っぱい果実味のようだ。

味としては普通くらいだが、パテの食感がやはり噛み応えがあり過ぎる。


長い間料理を並べっ放しで乾燥しているのではあるまいかと渋面になったままむぐむぐしていると、アルテアが、刺さっていたスティックを回収し、どこからか取り出した濡れおしぼり的なもので指先を綺麗に拭いてくれた。



(この毒は、どんな効果が出るのだろう)



毒は毒なので、初体験の人よりは冷静にいただけるものの、好んで取り込みたいものではない。


苦しかったり痛かったりしたら嫌だなという思いは当然あるので、僅かな怖さを呑み込み、反応を待つ。

そして、すっかり食べきってしまい、アルテアが近くのテーブルから取り上げ、中身を入れ替えてくれたグラスから美味しい水を飲んでいたところで、最初の反応が現れた。



「…………むむ」


指先の体温がすとんと抜けるような感覚を味わうのは、初めてのことだ。


直後、ずしりと響くような痛みが背中に走る。

経験上、このような痛みが出るのは心臓の不調からなので、ネアは発作的な反応が出ない内にと、アルテアの手を引っ張った。



「どこだ?」

「指先が冷たいのと、背中が橇遊びの翌日のように痛いです」

「……………血に溶ける毒だからな。呼気を分けてやる」

「むぐ……」



顎先に指をかけられ、口付けが落ちる。


吐息を分けてくれるという説明なので、僅かに唇を開くと、冷たい冬の空気を飲むような感じがした。

だが、その冷たさは体温が抜け落ちるような指先の感覚とは違い、きりりと冷たいウィームの雪解け水を飲んだような清涼さのよう。



「……………足りそうか?」

「ふむ。…………正確に判断がつくかどうかも分かりませんが、背中の端っこに痛みが残っているので、この場合はもう少しです?」

「……………節操なしめ」

「解せぬ」



だが、もう一度呼気を分けて貰うと、思った通り、背中の痛みがすとんと剥がれ落ちた。

ほっとして指先を握り込んでみたが、体温はまだ完全には戻っていないようだ。

少しだけ動きの鈍い指先をもう一度握り込もうとすると、アルテアが手を伸ばし、ぎゅっと握り締めてくれた。



(…………温かい)



「まぁ。このような時は、人肌で温めて貰うのがいいものなのですね」

「……………お前の情緒が皆無なのを、都度思い知らされるのは何でだろうな………」

「なぜその評価なのかが、私はいつも分からないのですよ…………」

「もう一曲踊って祝福の様子を確かめるが、動けそうか?」

「ええ。足元がふらつくような感覚はないので、大丈夫そうです」


純真な乙女が、これでダンスが上手くいけば、もう帰れるかなと思っても仕方がないだろう。

まさかここで、二人目のお客が来るとは思わなかったのだ。




「アージュ、まさかこんなところで出会うとはな」

「…………クレイウスか」


背後からかかった声と、ふっと落ちた人影に振り返った先にいたのは、背の高い黒髪の男性だった。


とは言え、良く見ればふさふさとした襟足までの巻き毛は僅かに赤みがかって見えるので、この広間の照度では黒に見えるが、実際には焦げ茶色なのかもしれない。

こちらに向けた瞳は鮮やかな孔雀色で、ある程度の階位を持つ人外者の美貌に見える。



「君がダレックにいるのは、珍しいな。このような場所は軽薄過ぎて好かないと思っていたが、向こうにいた妖精の話を聞いて探してみたら、本当にいるとは」

「悪いが取り込み中だ。ガゼッタの案件であれば、後日調整する」

「はは、いやそこまでの用事でもないさ。白百合の聖女と婚約したと聞いたが、本当か?」

「……………は?」



ネアは、あんまりな質問に思わずアルテアをじっと見つめてしまい、視線の先の魔物は、珍しく呆然としている。



「君と婚約したと聞いたので、であれば祝いの品でも贈ろうかと思っていたが、その様子だと違うようだな」

「俺ではないのは確かだが、取り違えか、作為かまでは分からん」

「さすがに取り違えはなさそうだ。…………となると、ここで言うのも気が引けるが、早急に彼女と話し合った方がいいだろう。舞踏会への同伴者が必ずしも親密な相手だとは限らないが、もし、暇潰しの相手を連れてきているのなら、私が引き取ろうか?」


クレイウスという名前の男性は、突然そんな提案をすると、こちらに手を差し出すではないか。

紳士的な仕草に見えるが、どこかに高慢さと侮蔑が透けて見え、ネアは眉を顰めた。


「お前の手を借りるまでもない。ダンスの相手が欲しければ、他を当たれ」

「君はもう、充分な獲物が一人いるだろう。白百合の聖女の心を得ているのだから、ここでひと欠片くらい分けてくれてもいいのではないか?見たところ、この人間はあまり毒には溺れていないらしい。切り拓いて毒に溺れさせてみるのも一興だろう」

「……………触れないでいただけますか?」


伸ばされた指先に顔を顰めたネアがそう言えば、こちらを見たクレイウスの眼差しに小さな怒りが閃いた。

ネアが、抵抗するとは思っていなかったようだ。



「不愉快な声だな。喉を潰しておかなかったのか?」

「やれやれだな。仕事の邪魔をするなとまで、わざわざ言う必要があるのか?」

「……………ほお。仕事か。…………何の素材にもならなそうだが」



幸いにも、クレイウスとやらは、そこで引き下がってくれた。


ネアは、頭の中で孔雀色の瞳の人外者にきりん箱を投げつけておき、ダンスの輪に戻るアルテアに付き従う。

使い魔は再び無言になってしまったし、ご機嫌は引き続き宜しくないようだ。



「……………さっさと終わらせるぞ」

「ええ。早く終えて、婚約騒動の確認に行かなければですよね」

「それはどうでもいい。どうせ、次に出向く時には煙草にするばかりだからな」

「なぬ…………」

「クレイウスは、ジギタリスの精霊だ。お前が毒慣れしていないことで、興味を持ったようだな。二度と近付けさせはしないが、あいつの周囲にいる連中が近付いてきても絶対に触らせるなよ」

「まぁ。とても毒々しい方でした…………。これでも頑張って毒のお料理を食べているところなので、そっとしておいて欲しいです………」


こちらの世界ではどこまでなのかは分からないが、前の世界での知識の上で、出来ればジギタリスはご遠慮したいと思うばかりである。

どうやら仲間達と遊びに来ているようだが、精霊と聞けば、絶対に触られたくはない相手であった。



エスコートの手を取って再び広間の中央に戻り、ダンスの輪に加わる。

さざめきのように揺れる喧噪がふっと途切れ、音楽が始まる直前のほんの一瞬に奇妙な静けさが広がった。



(…………アルテアさんを見ている人が多いのだわ)



仮面の魔物という擬態の上でも、階位は伯爵位を下らないだろう。


また、ここで踊っているのがどんな魔物なのかを知らずに見ていても、凄艶な美貌に目を奪われる者達も多い筈だ。

選択の魔物ではなく仮面の魔物だからこそ仰ぎ見易い酷薄さが、この大広間にいる者達の関心を引くのかもしれない。



踊りながらネアは、二度程、預けている指先がするりと抜けてしまいそうになった。


アルテアがしっかりと握っていてくれたので無様な事にはならなかったし、影響を緩和して貰っているので感じ取り難いものの、思っているよりも体に影響が出ているようだ。




「……………何とかこのダンスで、終われそうだな」

「……………ふは。良かったです……」

「帰り道は少し手荒くなるが、しっかり掴まっていろよ」

「たいへん謎めいた忠告に、不安でいっぱいなのですが……」



ダンスも終盤になったところで、アルテアにそんな事を言われた。


ネアはいつもよりも早く息が上がってしまい、必死にステップを踏みながら顔を上げる。

目が合うと、どこか呆れたように微笑む姿がはっとする程に柔らかかったので、ひとまずご機嫌は持ち直したようだ。



「戻ったら、魔術洗浄だな。薬湯も飲むことになるが、口直しに何か作ってやる」

「……………おかずパイと、ぜり……」

「ったく。それだけでいいのか?」

「……………果物のタルトも欲しいです」

「好きなだけ作ってやるが、一度に食うなよ」

「そして、美味しいジュースも飲みたいでふ……」

「やれやれだな」


最後に、先程のシュプリを思い出して飲み物の注文も付け加えると、さすがにアルテアも呆れ顔になった。

聞き入れてくれるだろうかと首を傾げると、最後のターンでぐっと抱き寄せられ、おでこに口付けを落とされる。


「……………ジュース」

「お前はそろそろ、情緒どころか他のものも失っていそうだが、用意しておいてやる。………息が上がっているが、重ねて調整をかたからすぐに落ち着く筈だ」

「ふぁい。有難うございます。………今度のダンスは、とても疲れました」

「…………毒の影響だろう。……………祝福は無事に定着したようだな。帰るぞ」

「ふぁ……………むぎゃ?!」



よろよろしながら移動しようとしたネアは、いきなりアルテアに抱え上げられてしまった。

舞踏会の作法を大いに損なう移動方法なので、慌ててじたばたしていたところ、可憐な乙女を抱えた使い魔は、他にも何かをしでかしたようだ。


ずばんと重たい音がして、誰かの押し殺したような悲鳴が上がる。


片腕持ち上げのまま慌てて振り返った先で、灰のようなものがざあっと散らばるのが見えたので、どうやら使い魔は、他の招待客を滅ぼしてしまったようだ。



「……………まぁ。言ってくれれば、私にもきりん箱などの用意があったのですが」

「植物の系譜の妖精だ。お前は手を出すな」

「…………精霊めではなく、妖精さん……」

「先程のダリアの方だ。性懲りもなく近付いていたが、あの位置から忍び寄ったという事は、お前の髪でも盗むつもりだったんだろう」

「おのれ、綺麗に結い上げてあるので崩したら許しません……………」

「そこかよ……………」



かくしてネアは、淑女らしくエスコートされて入場した広間から、仮面の魔物に抱えられたままの手荷物スタイルで退場する運びとなった。


驚いたようにこちらを見ている者達もいたが、先程見かけたジギタリスの精霊などは人の悪そうな微笑みを浮かべていたので、素材として回収されているとでも思っているのかもしれない。


ネアは、そんな孔雀色の瞳の精霊をしっかりと瞳に焼き付けておき、いつか偶然再会したらこっそりべたべた玉でも投げつけておこうと心に誓う。


とは言え、同じように、魔物が乗り物になっているという認識ではなく、哀れな人間が回収されていくという見方をしている者達も多いようだった。



(……………雨音。………ピアノの音色。………やっぱり、どこからか聞こえてくる)



雨音は分かるのだが、ではピアノの旋律はどこからだろうと思っていると、離宮の出口に向かう際に、玄関ホールから明かりの入っていない薄暗い奥廊下に続く場所に、窓から差し込む夜の光に照らされたピアノが見えた。


周囲には誰もおらず、鍵盤の蓋も閉じていたが、舞踏会が行われている広間ではピアノを見かけなかったので、このピアノが何か関係しているのかもしれない。

艶のある黒い塗装に僅かだがこちらの明かりが映り込み、星屑のようにきらきらと輝いていた。


しゅぼっと音がして視線を戻すと、アルテアが煙草に火を点けている。

おやっと目を瞠ると、毒の香気を剥がす為に薬草煙草の煙を纏うのだそうだ。



(………煙草の香りだ)




目を閉じて、開く。

あの日の事が、また少しだけ思い出される。



「ずっと昔のこんな秋の雨の日に、あまり好ましくはない夜の社交場に出掛けた事がありました。…………親しくもない人に、腕を掴まれたり、不愉快な言葉を上品めかして投げかけられたりして辟易していましたが、それでも不思議と、…………雨音とピアノと、煙草の煙が美しい夜だったんです」

「……………この場所には、くれてやらないものじゃなかったのか」

「あら、私はアルテアさんに話しているのですよ」

「おい、まさか毒酔いしていないだろうな………」

「………今夜はなぜか、その日の事を少しだけ思い出していました。………あの日の私は、そんな不思議な夜の美しさや、何とも言えないような胸のざわめきを誰に言えないままでしたし、腕を掴んだ見知らぬ人の爪先も踏み滅ぼせないままだったなと思ったら、今夜は、こんな風に毒を取り込む事になっても、何だかいい日なのかもしれないと思ったのです」


ネア個人のただの感傷であったので、アルテアは暫く返事をしなかった。

ややあって、思ってもいなかったことを尋ねられる。


「その時に聴いたピアノの曲は、まだ覚えているのか?」

「……………ええ。月光という曲名でした。実は私も弾けるので、今度、弾いてあげますね」

「音階の把握がおかしいお前がか?」

「ぐるる…………」




離宮を離れて馬車に戻ると、ネアは、すぐさま待っていてくれた伴侶の魔物の膝の上に安置された。


しっかりと抱き締めて貰い、グレアムからも祝福の確認を受けると、無事に厄介な魔術を退ける基盤となるだけの要素を持ち帰れたようだ。


この毒の祝福を起点にして、問題の固有魔術を退ける為の守護を構築するそうなので、これで一安心である。

可動域の高いエーダリアは自身で、毒薬を使って作れる起点だが、ネアの可動域では、強制付与がかかる場所にこうして出向くしかない。



なかなか体温が戻らずに、冷たい指先でディノやアルテアに触れると、ストーブの火が消えてしまい、凍えた夜に探していた暖かな宝物を抱き締めているような気持になる。


毒酔いという、馴染みのない毒素のせいで軽い酩酊状態になる症状も出ていたネアは、すっかりはしゃいで温かな伴侶を沢山触ってしまい、ディノをたいそう恥じらわせた。



ただやはり、ネアが毒の症状をしっかりと得た事で、ディノは悲しかったようだ。


簡単な解毒と守護の再構築を行うと、何か楽しいことも付け加えようかと、この国の近くにあるという、真夜中の座の管轄の湖水レストランに連れて行ってくれることになる。


そのレストランは、夜の足跡を消すというちょっぴり特別な祝福を持つお店なので、望ましくない用事の後に立ち寄るといいだそうだ。


冒険の最後には美味しい時間がついてくるようだぞと目を輝かせ、ネアは、往路とは比べ物にならない幸せな微笑みを浮かべ、酔い覚ましなどを飲まされながら馬車に揺られるのだった。






繁忙期につき、明日10/13の更新はお休みとなります。TwitterでSSを上げさせていただくので、宜しければご覧下さい!

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